title メディカルツーリズム再論 観光科学 = journal...

15
Title メディカルツーリズム再論 Author(s) 片岡, 英尋 Citation 観光科学 = Journal of Tourism Sciences, 7: 55-68 Issue Date 2015-12-01 URL http://hdl.handle.net/20.500.12000/33405 Rights

Upload: others

Post on 04-Jul-2020

7 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

Title メディカルツーリズム再論

Author(s) 片岡, 英尋

Citation 観光科学 = Journal of Tourism Sciences, 7: 55-68

Issue Date 2015-12-01

URL http://hdl.handle.net/20.500.12000/33405

Rights

Page 2: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

観光科学 第 7 号 (平成 27 年 12 月) pp.55-68 Journal of Tourism Sciences. Vol.7 (December.2015)

―55―

メディカルツーリズム再論

Re-argument of the issue of Medical Tourism

片岡 英尋 * Hidehiro KATAOKA

This article based on the research about Medical Tourism in 2007. The author’s ex-research theme is to classify medical tourism in the world. In the paper, firstly, the author exemplifies five cases. Secondly, analyzing these cases, to show the critical point of classifying. In this article the author tries to figure out the function of certification authority such as JCI. Then the author re-argues the consistency of the desirable governmental policy and the present medical tourism. The author shows four groups based on the types of medical tourism services in the countries. And the author aimed to show next stage of this kind of research.

Key words 医療政策、メディカルツーリズム、認証機関、医療の質

medical policy, medical tourism, certification authority, quality in medical care 1. はじめに 筆者は、これまでに「医療とヘルスツーリズムの現状とメディカルツーリズム」1)と 「メディカルツー

リズム実施国の分類に関する考察」2)の 2 本の論文を執筆している。執筆当時の、問題意識は、わが国の

医療経営において、さらには、将来の医療改革の方向性を考えるときに、メディカルツーリズムが、手段

として有効であるか否かに、焦点を当てることにあった。 前者論文においては、ヘルスツーリズムとメディカルツーリズムが、医療制度の視点から見て、同一視

できないものである限り、メディカルツーリズムに限定した場合に、旅行業者が果たしうる役割に、限界

があることを示唆している。後者論文においては、メディカルツーリズムを実施している諸外国の事例に

おいて、医療に内在する情報の非対称性から生じるリスクが、遠隔地に移動して診断・治療・療養を行う

場合にどのようにシェアされているのかについて、分析している。分析の結果として、メディカルツーリ

ズムの実施国を、4 分類できる可能性を示唆している。本稿において後述しているが、医療機関の質に関

して、認定基準の設定と、評価を行っている機関(JCI)が存在感を増してきている。メディカルツーリズ

ム実施国においては、積極的に活用されている。わが国においても、個別の医療機関でメディカルツーリ

ズムを指向しているも機関の間で、急速に認知度を上げてきている。この事象は、上記の論文執筆時点と

は様相を異にしている。 以上のように、過去の2つの論文においては「メディカルツーリズムを実施する、あるいは有効に機能

させるためには」というベクトルが働いている。これはいいかえれば、わが国がメディカルツーリズムを

推進してゆくと決めた際に、患者勧誘に際して留意するべき現行制度上の問題の所在を念頭に置いて執筆

したものであるといえる。 したがって、当初の問題意識から考えると、経営的側面の分析に大部分が充てられたもので、メディカ

ルツーリズムをわが国の医療制度にビルトインする場合にどの様な問題が生じうるのかといった点ついて

*琉球大学大学院観光科学研究科

Page 3: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―56―

は考察が不足した論文になっている。また、執筆当時の実施国の現況も変わってきており、メディカルツ

ーリズムの位置付けも、相当に変わってきている 3)。 わが国におけるメディカルツーリズムの現状は、大きな期待を持って全国各地で検討されているが、未

だ我々の日常生活の中では存在感を示すには至っていない。医療機関自身が超えるべき課題につき検討が

重ねられてきている。さらに。検討だけではなく解決に向けて実務レベルで取り組んでいる事例も多く、

地道な努力も積み重ねられている。 本稿では、前記の 2 つの論文の再検討および、拙論『医療関連業務におけるビジネスモデル』4)を下敷

きに、2011年度から期間延長を含めて4年間に渡る科研費研究「観光による地域振興に伴う負荷に関する

構造的分析の基礎研究」の研究成果を加味することにより、メディカルツーリズムをわが国の医療制度に

ビルトインするために求められる視点を明確にすることを目的としている。この明確化の過程で、メディ

カルツーリズムを含むわが国の医療制度の将来についても考察を加え、今後の研究の方向性について明確

に成るものと期待するところである。 2. メディカルツーリズム成立条件の再考 拙稿「医療とヘルスツーリズムの現状とメディカルツーリズム」において、筆者はメディカルツーリズ

ムの成立条件として、以下の3点を挙げた。「圧倒的なコスト競争力」「徹底した情報公開」「メディカルツ

ーリズム提供国の通貨の相対的弱さ」である。これらは、インド、シンガポールをはじめとする諸外国の

事例より、それらの国でメディカルツーリズムが成立している現象面での要因を抽出、要約したものであ

る。本節では、これらに本稿の目的に沿った形で、各成立条件に補足的な分析を加える。

2.1. 圧倒的なコスト競争力

この条件に関しては、インドの事例を参考にしている。インドにおけるメディカルツーリズムの患者の

送り出し国としての米国は、医療技術の先進国であるが、医師の人件費が非常に高くなっている。インド

のメディカルツーリズムの成立状況を、インドと米国との関係をもとに、単純化して説明すると以下のよ

うになる。米国の医療保険会社は保険加入者であり、且つ、心臓のバイパス手術が必要な患者をインドで

手術させることにより、米国の医師の人件費とインドの医師の人件費の差額を利益として見込める。この

コスト競争力が、まさしく圧倒的 5)であるために、インドはメディカルツーリズムを国策の一部に取り入

れることが出来ている。また、医療機関の装置産業的な側面に着目すると、医療機器が高額であることに

起因する、以下のメリットがある。高額の医療機器をフル稼働することにより、耐用年数中に資金回収で

きることとなり、当該機器がメディカルツーリズムを標榜していない一般的な医療機関で転用することに

なれば、インド国内の患者に対しても比較的新しい医療機器による治療が可能となる。 この事例の場合の「圧倒敵コストな競争力」は、以下のように読み替えることが可能である。すなわち、

「医師の技術レベルに差が無いとすると、同一機器を利用した場合、インドのコスト競争力は、全世界的

規模で圧倒的である。つまり、米国の保険会社にとってインドにおける心臓バイパス手術は、コスト面を

考えると、インドに行くことはそこにしか無いメリットがある」。このインドの事例においてコスト競争力

は米国の保険会社に対して発揮される。この構図は、保険会社にとって、きわめて重要な要因となる。こ

のような保険会社にとってのコスト競争力は、一般論として他の要因に置き換えることが可能である。例

えば「特定の治療方法や施設が、そこにしか無い」場合、「(そこに行くことは)そこにしか無いメリット

がある」と置き換えることが可能である。このような事例としては「メディカルツーリズム実施国の分類

に関する考察」においてフィンランドのクオピオを取り上げた 6)。クオピオは子供の神経疾患である「小

児てんかん」の研究と治療の世界的センターを目指している。「クオピオに行くことは、そこにしか無いメ

リットがある」のである。

Page 4: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―57―

わが国においてもクオピオと似た動きがみられる。例えば、重粒子線による治療施設 7)の建設計画が各

地で進んでいる 8)。その中で、沖縄県と沖縄県医師会が重粒子線治療施設の導入可能性を検討している。

公開されている資料の概要 9)をみると、「海外を含む県外からの患者を当初から積極的に集患する必要があ

る」「比較的短期のリゾート資源を活用した医療滞在が起こる可能性がある」という記述があり、立地候補

地の総合評価総括表の評価項目に項目の12番目に「アメニティ」項目の13番目に「アミューズメント」

とある。 重粒子線治療施設の設置計画は、全国にみられるが、沖縄県の全体計画は、東アジア全体を念頭に置い

た、研究機関・人材養成機関を含む国際的医療集積設置計画の一部として検討されている点で、他とは一

線を画していると見ることが出来る。 ここまで、インド、クオピオ、沖縄の事例を挙げて、「そこにしか無いメリット」について述べてきたが、

これらを総合すると、従来の拙稿では「圧倒的なコスト競争力」としてきたのは、インドという特定国の

現象を念頭においたものに過ぎず、より一般的には経営学における「競争力」という言葉に置き換えるこ

とが出来よう。であるならば、市場の明確化、参入障壁の高さ、既存商品との差別化等の、実務的な競争

戦略の明確化が成否にかかわると見ることが出来る 10)。 2.2. 徹底した情報公開 拙稿「医療とヘルスツーリズムの現状とメディカルツーリズム」において、この条件はシンガポールの

事例を基に考察したものである。シンガポールは世界的にもメディカルツーリズムに対する取組みにおい

て先進的な事例となる。シンガポールにはインドネシア、マレーシア、ブルネイから多くの患者が東南ア

ジア域内で最高の水準にある医療を受けるために渡航する。

シンガポール政府は、2003年に、中国、インド、中東からも患者を誘致しようと、200万シンガポール

ドルの予算を投じる“Singapore Medicine”キャンペーン計画を発表し、実施された 11)。これは、シンガポー

ルの医療サービスを海外に PR しようというもので、このキャンペーン以外にも、各国の医師 150 人を招

いてのスタディーツアーや、他国の旅行代理店と連携して、人間ドックを組み込んだパッケージツアーを

売り出したりしている。 このように政府がメディカルツーリズムを産業として位置付けて、それに合致した制度変更や組織の組

み換えを行ってきたところにシンガポールにおけるメディカルツーリズムの先進性があった。他国ではイ

ンド政府やタイ政府がメディカルツーリズムを国策として標榜しており、海外から医療目的で入域してく

る外国人にどの様な方法で医療の質を保証するのかについて「医療とヘルスツーリズムの現状とメディカ

ルツーリズム」で考察した際には、この「国の関与による情報開示」を重視することとなった。

シンガポールの医師の水準が高いのは、自由診療で医師間・医療機関間の競争が激しいことや、国内の

医学部がシンガポール国立大学のみに制限されているため、医師を志望する学生の多くが欧米の国際的に

評価の定まった大学で学ぶ必要があることも要因となる。また、医療機関の質に関しては、米国に本部を

置く医療機関の質定基準の設定と評価をおこなっている機関である JCI(Joint Commission International)の

認定はシンガポールで外国人の医療を担う 21 機関 12)が取得している。この認定取得に関してはシンガポ

ール政府の政策的な方向付けがあったとされる。ちなみに日本は13機関が取得している。

「医療とヘルスツーリズムの現状とメディカルツーリズム」執筆時は、JCI による認証を筆者は認知し

ていなかった。その後、医療機関の質的評価の国際基準としてメディカルツーリズムとの関連で知ること

となった。わが国においては、2009年取得の千葉県の亀田総合病院が取得第1号となっている。後述する

が、個別医療機関の医療の質の国際化の基準については、この JCI 認証が事実上のスタンダードとなって

いる。

上記を踏まえたうえで、改めて「徹底した情報開示」を論点としてとらえ直すと、この問題は、経営学

Page 5: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―58―

における、情報の非対称性が存在する場合の、取引の公正性の確保の問題、特に、業務の質の保証と標準

化に資する認定制度の存在と認定機関の機能に関連する論点として再考察が可能である。

2.3. メディカルツーリズム提供国の通貨の相対的弱さ シンガポールの健康省の調査 13)によると、外国人がシンガポールで手術を受けた人数は、1993年の1万4292人から1997年には2万1014人と、4年間で5割近くアップした。しかし、アジア通貨危機でインド

ネシアや近隣諸国の通貨価値が下がり(=シンガポールドルの価値が上がり)、1998年には前年比37%減

の1万3225人と激減した。このように、健康・生命にかかわることがらにおいても、為替変動の影響は顕

著に出るのである。 この条件は、患者側から見れば医療コストの問題に転換できるが、患者を受け入れるメディカルツーリ

ズムの実施国側からすると、コントロールが困難な要因で、政策の実現に支障をきたすこととなり、マネ

ジメントの力が及びにくい条件である。 海外に渡航して、医療サービスを受ける場合、医療費に加えて、渡航部分に掛る費用を出費する必要が

ある。シンガポールの 1998 年の激減において、減少した 37%の潜在的な患者はどこで受診したのであろ

うか。タイやマレーシアで受診したのではないかと推測するが、この間の資料は当該国の公的資料からは

見いだせなかった。 この推測の基となるのは、タイやマレーシア、シンガポールにおいて医療の水準が高い要因を挙げるこ

とができる。これらの国では、自国内の医療サービスに対する内需が小さく、医師を目指す場合、海外の

大学で、医師としてのトレーニングを受け、多くが海外で医師として就労し、一部の医師が帰国して母国

の医療に携わるという構図がある。したがって、米国や英国、ドイツ等の医療先進国でトレーニングを積

んだ医師が、高度な能力を身につけて、母国へその能力を還元するということになる 14)。したがって、シ

ンガポールでの受診が高額な場合、セカンドチョイスとしてタイやマレーシアでも、同様のレベルの医療

を受けられたと思われる 15)。 これらの国の医療において、国内の需要に対する医師の能力総合計が超えて供給されている可能性があ

る。このことと、特に、シンガポールとタイにおいて、医療サービスの価格決定において自由診療の占め

る割合が相対的に大きいことは、メディカルツーリズムを含む医療全体の姿に大きな影響を与えていると

考える。 ただし、タイの現状、つまり「明らかに富裕層向けの病院が存在する。そもそもタイにおいては富裕層

が、他の一般の国民が受けられる治療と全く異なるレベルの治療が受けられる」ということに対して、タ

イの医療関係者や医療政策に関する有識者が肯定的な意見を有している 16)。 わが国においては、ここ2年の間に、日銀の政策転換により、リーマンショック前の水準に、円ドルの

為替レートが戻ってきている。この状況にあって、短期的に訪日外国人の総数が飛躍的に伸びている 17)。

2014年の訪日外国人総数は、対前年比29.4%増の1341万4000人を数えている。 この状況において、日本全国の医療機関では、図らずも、医療の国際対応を、強いられている状況にあ

るものと思われる。 2.4. メディカルツーリズム成立条件の再考-小括 本節において、過去の拙論「医療とヘルスツーリズムの現状とメディカルツーリズム」で提起した、メ

ディカルツーリズムの成立条件にについて、再考してきた。上記2.1から2.3までの内容を、改めて纏めて

おくと以下になる。 ●医療が、コストに限定することなく、国際的な競争力を有していること。 メディカルツーリズムを実施する為には、他国(主要な、患者送り出し国)の医療と、差別化できてい

Page 6: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―59―

る要因が必要となる(2.1)。例えば、日経メディカルオンライン2012年記事『日本は医療ツーリズムより

国際医療交流を 18)』には、タイのがん患者が、米国での治療を拒否されたが、日本の福島県で陽子線によ

る治療を 2 年間に渡り受けることができた事例が紹介されている(2.3)。この事例は、最先端の技術を応

用した治療に関しては、日本がアドバンテージを有していることを示唆する、一例である。 ●医療機関の質に関して保証する仕組みが存在していること。 メディカルツーリズムに限らず、あるいは医療に限らず、専門家と専門家が提供するサービスのユーザ

ーの間には情報の非対称性が存在する。特に医療においては、命や健康にかかわる事柄であるため、ユー

ザー側は保守的になる 19)。この問題を乗り越えて、海外からの医療目的の渡航者を惹きつけるためには、

医療機関に対する評価制度が、必要とされる。現在は JCI による国際標準が注目を集め、日本の医療機関

でも認証を受ける機関が増えてきていることは先の述べたところである(2.2)。他方で、日本でも厚生労

働省が、医療機関の質的な保証に繋がる情報公開の充実や、認証の制度を設けている。例えば、『医療機能

情報提供制度(医療情報ネット)』は、2007 年から各都道府県が主体となり医療機関の機能情報を網羅的

に住民に提供する制度である。但し、この制度で提供される情報は、治療実績等の質的情報を含むもので

はなく、かつ、厚生労働省のウェッブページに「住民・患者による医療機関の適切な選択を支援すること

を目的として~中略~医療機能に関する情報について都道府県知事への報告を義務づけるとともに、報告

を受けた都道府県知事はその情報を住民・患者に対して提供する制度 20)」とあるように、住民の医療機関

選択に資するものとして基本情報(病床数、診察日、対応可能疾患・治療方法等)を提供することを目的

としたものである。また、医療機関の質的情報を提供する試みとしては、「医療の質の評価・公表等推進事

業」が、2010年より実施されているが、この制度は上記の制度とは異なり、厚生労働省の募集に対して応

募した医療機関の団体(全日本病院協会、全国自治体病院協議会等)が審査を受けて単年度の事業として

実施する制度である。内容は、「患者満足度を含めた臨床指標を選定し、本事業に協力する病院の臨床デー

タを収集・分析し、臨床指標を用いた医療の質の評価・公表を行い、評価・公表に当たっての問題点の分

析等を行う団体に対して補助金を交付 21)」となっており、質的情報についての公表制度となっている。来

日中の外国人の医療に関係する制度としては「外国人患者受入れ医療機関認証制度」がある。これも厚生

労働省の「外国人患者受入れ医療機関認証制度整備のための支援事業」を基盤にした制度で、日本医療教

育財団 22)が運用機関となっている。現時点で認証を受けている医療機関は全国で 7 機関に留まっている。

本認証制度の認証にいたる流れは、JCI のものと似ている。さらに経済産業省が支援する、一般社団法人

Medical Excellence JAPAN23)(略称「MEJ」)が日本の医療の国際化の視点から活動している。但しこの団体

は、国際化の一環として、内外を結ぶコーディネート事業に重きを置いており、認証制度については触れ

られていない。 ●医療サービスのドメスティックな国内需要に対して、インターナショナルな質を持つ供給が許容されて

いる。 例えば、日本、インド、タイ、シンガポールの直近のジニ指数は、以下のとおりである。 表1 日本、インド、タイ、シンガポールのジニ指数

国名→ 日本 インド タイ シンガポール

ジニ指数 37.6(2008) 36.8(2004) 39.4(2010) 46.3(2013) 出所:米国中央情報局(CIA)WORLD FACTBOOK「DISTRIBUTION OF FAMILY INCOME - GINI INDEX」より筆者が再構成 24) データ取得の年が異なっているが、データの上では4カ国の国内の貧富の格差は、それほど異なってい

るわけではない。だとすると、2.3で述べた、タイ国内の医療格差の問題は、貧富の格差によるものとは言

Page 7: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―60―

えない。 次に、上記4カ国の国民の収入状況についてであるが、下記の表のようになった。 表2 ILOによる2009年の平均月収のデータ 25)

国名→ 日本 インド タイ シンガポール

平均月収(US$) 2522 295 489 2616 出所:ILOが2009年に公表したデータにより筆者が再構成した。 ILOがこのデータを公表した本来の目的は、世界の平均賃金を求めて公表することにあった。2009年の

ILOの算出によると、その額は 1480ドルであった。この額とインド、タイのそれを比較すると、両国では

世界的に標準とされる医療サービスを広く国民に提供することは不可能と思われる 26)。他方、シンガポー

ルにおいては、保健制度の中核が、行政による給与からの天引きの形での強制貯蓄が担っている。これは

文字通りの貯蓄で、財産性があり、子息への相続が可能である 27)。また、シンガポールの医療政策では、

すべての国民に質の高い「基本的な医療サービス」を比較的安価で提供することが基本方針として掲げら

れている 28)。そして、シンガポール国民の70%を占める華僑の文化では親の扶養や親族への互助精神に加

え自助意識が高かった 29) 30)。このような政策の中で、シンガポールの国民は日常的健康への意識が高く、

高齢になってもなるべく医療にかからないでおこうという、インセンティブが働いていると考えられる。

このようにシンガポールの国内医療は、国民と政府の間で、医療の総量を抑制的に維持しようという合意

が形成されており、文化的背景からも終末期における過度に高度な医療の活用も抑制的である 31)。このよ

うな背景のもとで、シンガポールは国として、同国の医師が海外で身につけた高度な医療技術を、国民に

提供する以上に、海外からの渡航者に提供することを指向し始めたのである。また、表1にあるように、

表中4カ国の中ではシンガポールのジニ指数が大きく、貧富の差が大きなことも、前記の事に関わってい

ると思われる。 3. メディカルツーリズム実施国の分類に関する、再考と考察 拙稿「メディカルツーリズム実施国の分類に関する考察」において、インド、シンガポール、ポーラン

ド、フィンランド、アラブ首長国連邦を核として、アルゼンチン等他の国状況を考察して加えている。こ

こにそのままの形で、本稿において図1として再掲する。 次図に関しては、先行研究である、姜淑瑛の「ヘルスツーリズムの現状と課題」32)と「ヘルスツーリズ

ム(Health Tourism)理論と実際 -韓国と日本の事例分析-」『第9回 観光に関する学術研究論文 観

光振興や観光交流に対する提言入選論文集』33)を参考に筆者が構成したものである。図1については、「メ

ディカルツーリズム実施国の分類に関する考察」内の、解説部分を、本稿における「再考するべき部分」

として重要な内容をふくんでいるので、若干長くなるが、引用しておく。曰く「図 234)では、ここまでに

述べてきた各国の情報をもとに縦方向にメディカル(ヘルス)ツーリズムの内容、横方向に運営主体を置

いている。患者のリスク負担は運営主体が各国の政府機関の主導性が高くなるほど低くなると考えられる。

図2で示すように4つのグループに分類できるのではないかと筆者は考えている。図2では象限の左上に

『旅先での疾病等による受診』のグループがあるが、メディカルツーリズム・ヘルスツーリズムの実施国

の分類の視点からは異質であるので、本稿では言及しない。ただし、前述した「政府の関与、医療水準の

保証、差別化、都市計画との結合」という分析の視点から考えると、メディカルツーリズム・ヘルスツー

リズムの実施国が、外国人の患者に対してどのようなスタンスを取るかという点で、一考の余地があると

考えている」。改めて、引用箇所の記述内容に関して、本稿での後の記述の理解のために必要となる部分に

つき、追加の解説をくわえる。

Page 8: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―61―

図 1 諸国におけるメディカルツーリズムの展開

出所:拙論『医療とヘルスツーリズムの現状とメディカルツーリズム』図11を再構成した。当該図は

『ヘルスツーリズム(Health Tourism)理論と実際-韓国と日本の事例分析-』の図4より筆者

再構成。姜論文の図を、筆者が再構成する際に本稿の展開上必要不可欠な部分のみに要約し再構

成した。さらに本論では、本文中にあるようにリスクの負担の観点から若干の調整を加えている。

検査・診断

医療機関での

治療+療養 =

治療フェイズ

(メディカルツ

ーリズムの内容)

↑潜在的リスク

患者のリ

スク負担

小→ 観光者自身 観光地側行政 旅行代理店等

(プログラム提示の主体)

レジャー施設

宿泊施設での リラックス等

= 予防フェイズ

シンガポール UAE Kuopio (フィンランド) =

グループA グループB = タイ インド フィリピン

アルゼンチン コスタリカ ポーランド マレーシア トルコ ハンガリー = グループC

ギリシャ=グループD

(旅先での

疾病等による

受診)

まず、縦軸は、ヘルスケアの段階から、医師の診断を経て、治療するべき疾病等の発見、その後、治療・

急性期療養という医療機関によってしかできないケアを得て、療養期、寛解期、そして未病の状態になり、

ヘルスケアの段階にもどるというサイクルになっている。縦軸の医療機関によるケアの部分は患者にとっ

て潜在的なリスクが大きくなっている。 この図において、横軸の構造の前提となっているのは、医療サービスの提供と受け取りの間には、乗り

越えがたい情報の非対称性があるということである 35)。ツーリズム=観光について考えるだけでも、未知

の土地に滞在することは、緊張を強いられるものである。その上に医療サービスという、およそ医師以外

には判りようの無い、主義や秩序、理論や経験則が加わるサービスが付加されるのである。さらに、それ

はしばしば、命や健康と密接に結びついているのである。患者と呼ばれるサービスの受け手は、医療にお

いては医師に、なかば身をゆだねることになるのである。したがって、この縦軸と横軸の間のフィールド

をつかって考えると、以下のようになる。患者自身は自分の主体性をもって、選ぶことが出来るのは診断

に掛るところまでである。そこから上に行くためには、情報の非対称性を乗り越えるために、誰かの助け

が必要である。拙稿「メディカルツーリズム実施国の分類に関する考察」においてはツーリズム・ビジネ

スの視点を強調していたため、メディカルツーリズムにおいて患者の最初の手助けとなるのは、旅行代理

店等としている。しかし、本来の機能としては広くコーディネーターと呼ばれる役割を意味している。コ

ーディネーターとは、簡単に述べると、お互いに面識の無い患者と医療機関の橋渡しをする役割の事であ

る 36)。そして、さらに進んで、高度で先進的な医療を必要とする場合は、その判断の段階で高度な専門性

が要求される。この段階では、医療機関の質的な側面から生じるリスク評価が必要と考えられるのでる。

Page 9: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―62―

メディカルツーリズムの実施国のサービスを調べると、湯治に留まるものから、高度な医療を提供するも

のまで様々な現象に遭遇する。拙稿「メディカルツーリズム実施国の分類に関する考察」においては、そ

れらを、グループA~Dにタイプ分けした。それぞれの特徴は下記のとおりである。 グループA:政府関与+高度先進医療グループ グループB:政府関与+医療産業重視グループ グループC:政府関与予防フェイズ限定グループ グループD:既存観光資源多角化グループ 本稿執筆に際しては、この部分に関して近年、JCIという機関の認知が深まっていることは先に述べた。

この JCI の機能を考慮すると、前述の引用の「患者のリスク負担は運営主体が各国の政府機関の主導性が

高くなるほど低くなると考えられる」部分は、本稿の新しい考察では、2.4の新たなメディカルツーリズム

の成立条件「●医療機関の質に関して保証する仕組みが存在していること。」の内容を踏まえて、図 1の記

載内容を変更する余地が生じてくる。図 1 の内容変更については、JCI に関する考察を加えたうえで、本

節の最後に図2として、示すこととする。 以下では、まず JCI の活用状況に触れたうえで、高度医療に関わる患者リスクを負担する主体としてど

の様な記述が妥当であるか検討する。 本稿の図1において、図中にある各国内の医療機関のうち、JCIの認証を受けている機関数を下記の表3

に示す。左から順に、グループ、該当する国名、当該国の医療機関総数にたしする JCI 認定機関の総数、

その構成比の順になっている。 表3の数字を多いと考えるか、少ないと考えるかは意見の分かれるところであろう。割合においてはシ

ンガポールが突出しているが、島嶼の都市国家出ある点、資源が少なく高度専門職の輩出とそこからの外

貨収入が国の財政にとっての生命線であることを考えると、当然のように思われる。シンガポールを除く

と、多いところでも 3%から 4%にとどまっており、JCI が全ての機関をカバーしていないことは明らかで

ある。 メディカルツーリズムの成否を除外して考えても、医療の質の保証は、どの国においてもツーリズムの

増加に伴う必然的な医療の国際化への要請にともなって重要度は増してゆくと思われる。したがって、そ

れぞれの国が医療の質を評価する際に、JCI によるカバー率を表 3 から増やしてゆく方向に成るのか、そ

れとも JCI のカバー率を増やさず(=増やす方向への誘導はせず)その国独自の指標をみいだすのかは、

その国の医療のあり方に大きな影響を与えることになる。 この部分は、その国の国民が、医療をどの様に捉えているのかが、結果的に関わってくる問題であると

考える。この部分については、本稿最終節の「おわりに」で再論することとする。 わが国における、医療機関の質的評価に関しては、本稿の 2.4 中「●医療機関の質に関して保証する仕

組みが存在していること」で、紹介している。これらの取組みが、今後どのような様相をもって、医療機

関に活用され、医療機関と我々国民との間で、リスクのシェアがなされるのかは、医療の国際化の観点か

らも興味深い点である。 筆者が「メディカルツーリズム実施国の分類に関する考察」を執筆した時点では、政府の関与を推し量

るしか無かったのであるが、JCI の認証を受けることに、各国の政府等の公的機関がどのように関わって

いるのかについては、現時点では、情報が少ない。JCI のウェッブページでは北米以外の全世界の認証を

受けている医療機関を検索できる 45)。そこで興味深いのは、イギリス、ドイツ、フランスといった進んだ

医療システムを有する国で、認証件数が少ないことである。イギリスは1機関、ドイツは4機関、フラン

Page 10: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―63―

表3 メディカルツーリズム実施国の医療機関で JCIの認証を受けている機関数 グループ 国名 認証機関数/医療機関数 構成比% グループA シンガポール 21/137 37) 28.8%

UAE 107/3288 38) 3.25% フィンランド 0 -

グループB タイ 44/1286 39) 3.42% インド 22/15097 40) 0.15% フィリピン 6/18727 41) 0.03%

グループC アルゼンチン 1/8384 42) 0.01% コスタリカ 2/不明 - ポーランド 0 - マレーシア 13/1286 1.01% トルコ 52/1276 43) 4.08% ハンガリー 1/不明 -

グループD ギリシャ 1/313 44) 0.32% 出所:各国の医療機関数のデータは、それぞれの注番号に対応する資料から得た。年次を揃えて把握で

きるデータが存在しないので、便宜的な手法を用いている。認証機関数については JCI のウェッブページ

の検索機能を使用し求めている。 スに至っては0である。また欧州において非常に効率的な医療制度を有するとされる、オランダも2機関

に留まっている。JCI 以外の質の評価に関しては、例えば、ドイツでは医師が自律的に医療の質を評価す

る制度を有している 46)。 次に表 4 であるが、この表は、各国の JCI 認証済み医療機関の内、いくつの医療機関がメディカルツー

リズムに関わっているかを示している 47)。 左から順に、グループ、グループに属する国名、JCI 認証機関の中でメディカルツーリズムに関わって

いる医療機関数の数となっている。 表4だけでは、JCI認証を受けていない医療機関のメディカルツーリズムへの関わりの状況が判らない。

この部分に関しては、当該国の医療機関すべてを個別に調べる必要があり、実質的には不可能であると思

われる。例えば、将来に向かって表 4 のデータを年度ごとにとれば、JCI の認証とメディカルツーリズム

の関わりが見えてくるかもしれないが、本稿においては時間的制限がありそれは、叶わなかった。 但し、この表の特徴から、JCI とメディカルツーリズムの関わりについて、今後の研究に資するであろう

推論は可能である。例えば、アルゼンチンや、ギリシャのように、JCI 認証取得済みの機関が極めて少な

いにもかかわらず、その 1 機関がメディカルツーリズムと関わっている様子は、医療機関の側でも JCI 認証の取得が、メディカルツーリズムに関わる上で有用であると認識しているのではないかということでる。

このことは、近年のわが国のメディカルツーリズムを対象とする研究の中で JCI について触れられている

ことが多く、わが国においてメディカルツーリズム推進の議論の過程で先進事例として取り上げられてき

た多くの医療機関が JCI 認証を受けていることとも整合的である。但し、医療の質の評価の問題は、その

国の医療のあり方と深く結び付いているはずである。この点を、考えると、ただちに JCI 認証を全面的に

取り入れることで、メディカルツーリズムに対応できる医療機関の母数を増やせという結論にはならない

というのが筆者の見解である。この部分に関しては終節「おわりに」で述べることとする。

Page 11: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―64―

4. おわりに 本稿では、ここまで2つの拙稿「医療とヘルスツーリズムの現状とメディカルツーリズム」「メディカ 表4 JCI認証機関のメディカルツーリズムへの取組み

グループ 国名 メディカルツーリズム関わり数/JCI認証機関数 グループA シンガポール 10/21

UAE 10/107 フィンランド 0

グループB タイ 12/44 インド 11/22 フィリピン 2/6

グループC アルゼンチン 1/1 コスタリカ 1/2 ポーランド 0 マレーシア 5/13 トルコ 27/52 ハンガリー 0/1

グループD ギリシャ 1/1 出所:JCI ウェッブページの検索機能とリンクをつかい、医療機関のウェッブページより情報を抽出し筆

者が再構成した。

ルツーリズム実施国の分類に関する考察」の順に、メディカルツーリズムを取り巻く新しい状況や、それ

に適応する諸状況を加味する形で、再論議を行ってきた。 終節となる、本節では、これまでの議論で本稿中にある、筆者が考えるキーポイントを再掲しながら、

わが国の医療政策とメディカルツーリズムに対する、筆者の見解を纏めることとする。 本稿の2.4で、新たな考察を加えて、メディカルツーリズムの成立条件を ●医療が、コストに限定することなく、国際的な競争力を有していること。 ●医療機関の質に関して保証する仕組みが存在していること。 ●医療サービスのドメスティックな国内需要に対して、インターナショナルな質を持つ供給が許容されて

いる。 の3つとした。わが国のメディカルツーリズムは、現行の医療制度と接合させることは可能なのであろう

か。例えば、日本の医療の競争力はどの部分にあるのだろうか。そして、日本の医療機関の質を保証する

枠組みはどのような仕組みが妥当なのであろうか。さらに、国内既存の医療サービスに対する需要は、メ

ディカルツーリズムからどの様な影響を受けるのだろうか。この議論の切っ掛けとして、ここまでの議論

を踏まえて図1に修正を加え、それを頼りに論じてゆきたい。 図2の変更点を順に解説してゆくと、グループBのタイをグループAに移動した。拙稿「メディカルツ

ーリズム実施国の分類に関する考察」において、筆者は当時の検討課題として「グループ間の移動は起こ

りうるのか」ということを挙げていた。後注の16にあるように、タイの医療関係者はタイ国内の医療格差

については、現状では憂うことなく、外貨獲得の手段としてのメディカルツーリズムの存在を肯定的に述

べている。明らかに指向はグループAに向いており、今後もその方向は継続するものと思われる。このよ

うな、これがなしうる条件としては、タイもシンガポールと同様の自由診療を医療制度の一部に持ってい

ることが指摘できよう。患者と医師の個別契約による自由診療は、所得の多寡が医療の内容にダイレクト

に結びつく点に特徴がある。この制度は、より高度な医療技術の導入のインセンティブになると考えられ

Page 12: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―65―

るし、ここを強化しなければ、平均収入の低いタイでの医療サービスに対する需要と寄り添う形の医療政

策に偏ると、メディカルツーリズムの成立条件である、競争力が失われることになる。タイは政界でも有

図 2 諸国におけるメディカルツーリズムの展開

出所:拙論『医療とヘルスツーリズムの現状とメディカルツーリズム』図 11を再構成した。当該図は『ヘ

ルスツーリズム(Health Tourism)理論と実際-韓国と日本の事例分析-』の図 4より筆者再構成。姜論

文の図を、筆者が再構成する際に本稿の展開上必要不可欠な部分のみに要約し再構成した。さらに本論で

は、本文中にあるようにリスクの負担の観点から若干の調整を加えている。

検査・診断

医療機関での

治療+療養 =

治療フェイズ

(メディカルツ

ーリズムの内容)

↑潜在的リスク

患者のリ

スク負担

小→ 観光者自身 国による医療

の質の評価の

仕組み + JCI 等の認証機

コーディネーターの役割= ・モニタリング ・マーケットリサーチ

レジャー施設

宿泊施設での リラックス等

= 予防フェイズ

シンガポール UAE Kuopio (フィンランド) タイ =グループA グループB

= インド フィリピン

アルゼンチン コスタリカ ポーランド マレーシア トルコ ハンガリー = グループC

ギリシャ=グループD

(旅先での

疾病等による

受診)

名なホスピタリティを持つ国である。これと医療を結びつけることで外貨を獲得したいというのが、タイ

のメディカルツーリズムの本音であろうと思う。タイ国民の間の医療格差を問題視しないのは、日本の制

度と比較するとき、悲劇的な印象すらあるが、好意的に捉えるとそれは柔軟であるともいえる。全世界的

な視点からシンガポールの医療制度の効率の良さは、賞賛を受けているが、タイの医療も同じベクトル上

にあるのかもしれない。次に、旅行業者等としていた部分を「コーディネーター」に置き換え、主要な役

割としてモニタリングとマーケティングを入れている。経済産業省がサポートする一般社団法人 Medical Excellence JAPANは、海外から患者を受け入れる、メディカルツーリズムだけではなく、日本の優れた病

院システム等の医療システムの輸出を「アウトバウンド」と称して、同時に取組んでいる。この視点は「競

争力を発揮する為には市場のどこにギャップ 48)が生じているかを明確に理解する必要がある」というマー

ケティングの基本的な考え方に沿うものである。本稿では、メディカルツーリズムの成立条件に国際的な

競争力を入れている。この、競争力だが「既に持っているのに、持っていることに気付かない」状況が良

くあることが知られている。これを回避するには、絶えざるモニタリングとマーケットのギャップを見つ

Page 13: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―66―

け出す探索活動が必要である。最後に、国による医療の質の評価の仕組みと JCI のような認証機関を並立

させている。これは、メディカルツーリズムの成立条件の3番目の「医療サービスのドメスティックな国

内需要に対して、インターナショナルな質を持つ供給が許容されている。」状態を作り出すために必要だと

考える。実質上、メディカルツーリズムの実施国の医療は、二重構造である。であるならば、質の評価は

どうあるべきであろうか。1 つには、医療の質を国内的に保証する為には評価軸を 1 つにする必要がある

という意見もある。しかし、シンガポールやタイの事例を見ると、国際基準に準拠した高度な先進医療だ

けが必要とされるのではないということに気付く。例えば、どこの国であっても、高度な先進医療と並行

して伝統的な医療は根強く存続しているものである。それぞれの国の医療制度は、その国の伝統や生活習

慣と強く結び付いている。医師に対する態度など、その国なりの医師の位置づけにより大きく異なること

は頻繁に耳にする。それらも含めて、1つの評価軸で括ることは、人々の生活になじまない。 ここまで、他国のメディカルツーリズムの状況をもとに、考察を進めてきたが、わが国の状況はどのよ

うに解釈されるべきなのか、国民皆保険、フルアクセス(どこででも基本的に同質の医療が期待できる)

という特徴をもち、それが為に、先進的な医療からの立ち遅れを指摘する向きもある。本の医療機関が JCIの認証数を急激に伸ばしながら、他方で厚生労働省主導の医療の質の評価を動き始めている。混合診療解

禁の是非についても、政策実行という面ではなかなか前に進まない。筆者の私見では、これらの解決には

上で述べた、二重基準の活用と特区の活用、この2つを併用するしかないと考えている。日本の現行の医

療制度になじんでいる国民が、タイやシンガポールのような格差には耐えられないのではないかと想像す

る。この格差は、日本の社会保障政策への信頼を揺るがす。他方で、現行制度を温存することで、先進医

療への取組みが遅れることも、情報が瞬時に共有される現在においては、制度への信頼感を損ねるもので

る 49)。最終的には、混合診療を解禁し、高額な先進医療を導入する特区と、それ以外の地域で 2つの基準

を適用するのが、妥当であると思う。この2つの基準を持つ制度の設計に関しては、稿を改め今後の研究

課題としたい。 注 1)片岡英尋「医療とヘルスツーリズムの現状とメディカルツーリズム」東北亜観光学会紀要

Volume2,Number2、2006年 2)片岡英尋「メディカルツーリズム実施国の分類に関する考察」東北亜観光学会紀要 Volume3,Number1、

2007年 3)例えば、現在のタイにおいてメディカルツーリズムは、「観光政策=海外からの誘客」に重心を移して

おり、国内の医療水準の向上は、目的としては明確にうたわれていない。 4)片岡英尋「医療関連業務におけるビジネスモデル」太田進一他編『ビジネスモデルと企業政策』第 9章、甲陽書房、2006年

5)インドの手術費用の一例 6)クオピオ市の全体計画は、市、病院、サイエンスパーク、企業、大学ほか教育機関が連携して、健康サ

ービスを観光産業に取り入れ、またKuopioを新しい健康福祉製品やサービスの試験環境の場とし、健康

福祉分野において、ヨーロッパでトップクラスとなるような優秀な技術と知識を備えることを目標にし

ている。 7)現在日本国内で5つの施設が稼働中である。一般社団法人粒子線がん治療患者支援センター運営管理「重

粒子線治療ガイド」 http://www.hirt-japan.info/ 2015/5/12取得 8)既存施設での重粒子線による治療は、治療費の一部に高度先進医療が適用されるが、計画が各地で進ん

でいるのは、機器の特性から年間の治療可能人数が少ないため、全額保険適用とするためには国民誰で

もが治療を受けられる状態にする必要があるためだと思われる。

Page 14: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―67―

9)沖縄県・沖縄県医師会「沖縄県重粒子線治療施設導入可能性検討調査報告書・概要版」2014 年 3 月。

重粒子線治療施設の導入は、沖縄に導入するべき先端医療施設について検討する場合の要素の一つとさ

れている。 10)林廣茂「国境を越えるマーケティングの移転」同文館、1999年。 11)同キャンペーン以後、以下の Web ページで政策的に医療のマーケティングをおこなっている。

http://www.singaporemedicine.com/ 2015/5/12取得 12)JICのWeb上で検索機能を使用し、抽出。 2015/5/12取得

http://ja.jointcommissioninternational.org/about-jci/jci-accredited-organizations/?c=Singapore 13)Leslie Khoo “Trends in Foreign Patient Admission in Singapore “ Singapore Ministry of Health,.2003 14)株式会社野村総合研究所「経済産業省平成 21 年度サービス産業生産性向上支援調査事業国際メディ

カルツーリズム調査事業 報告書」2010年。 15)山下 護「なぜタイで医療ツーリズムが盛んなのか?」日経メディカル 2012年。

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/opinion/orgnl/201207/525635_2.html 2015/5/12取得。 上記によるとタイのメディカルツーリズムの起源は、ベトナム戦争後にあるとされている。この時期に、

現在のタイのメディカルツーリズムの中心的担い手の私立病院の原型が現れた。 16)上記には、タイの医師会長を務めた人物と医療政策に詳しい有識者の言葉として「国に貢献している

富裕層と、貧困層が同じ医療でよいはずがない」「国民によって社会への貢献度合いが違うのだから、結

果として医療サービスにも格差が生じて当然」の2つの見解が紹介されている。 17)JNTO 平成 27 年 1 月広報発表資料 https://www.jnto.go.jp/jpn/news/press_releases/pdf/20150120.pdf

2015/5/12取得 18)山下 護「日本は医療ツーリズムより国際医療交流を」日経メディカルオンライン 2012年。

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/opinion/orgnl/201207/525762.html 2015/5/12取得 19)シンガポールやタイに在住する邦人が、滞在国でも国際的にみて高い水準の医療が受けられる、ある

いは、日本より高度な医療が受けられるにも関わらず、症状が重い場合は日本ヘ帰って治療を受けるこ

とを選択する例は、様々なところで述べられている。例えば、「タイ移住情報、医療・病院・保険」『海

外移住情報』http://www.interq.or.jp/tokyo/ystation/thaimed.html 2015/5/12取得 20)厚生労働省ウェッブページ「医療機能情報提供制度(医療情報ネット)について」

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/teikyouseido/ 2015/5/12取得。 21)厚生労働省ウェッブページ「平成25年度医療の質の評価・公表等推進事業を実施する団体について」

http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/topics/tp140212-1.html 2015/5/12取得。 22)日本医療教育財団ウェッブページ http://jmip.jme.or.jp/index.php 2015/5/12取得。 23)一般社団法人Medical Excellence JAPANウェッブページ

http://www.medical-excellence-japan.org/jp/index.html 2015/5/12取得。 24)米国中央情報局ウェッブページ「WORLD FACTBOOK:DISTRIBUTION OF FAMILY INCOME - GINI

INDEX」 https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/fields/2172.html 2015/5/12取得

25)基となるデータにおいて購買力平価で調整済み。 26)タイ保健省のウェッブページによると、農村地帯では慢性的に医師が不足しており、そのような地域

での医療は、医師の免許を持たない医療相談員による診断が中核を担っている旨の記述がある。 27)自治体国際化協会「医療制度と医療ツーリズムに見るシンガポールの戦略」Clair Report No.383 2014年

http://www.clair.or.jp/j/forum/pub/docs/398.pdf 2015/5/12取得 28)経済産業省産業構造審議会基本政策部会(第2回)‐配付資料4-2参照。

Page 15: Title メディカルツーリズム再論 観光科学 = Journal …ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/33405/1/Vol...観光科学 第7 号 (平成27 年12 月) pp.55-68

―68―

29)自助、互助、間接的援助がシンガポールの福祉政策の3原則である。 30)田尾雅夫、草野千秋、深見真希「シンガポールの医療政策」京都大学大学院経済学研究科Working Paper

J-62,2006年。 31)矢野聡「シンガポール医療保障政策の最近の動向」『健保連海外医療保障No.92』健康保険組合連合会 社会保障研究グループ、2011年。

32)姜淑瑛「ヘルスツーリズムの現状と課題」、前田勇編著『21世紀の観光学』学文社、2003年。 33)姜淑瑛「ヘルスツーリズム(Health Tourism)理論と実際-韓国と日本の事例分析-」『9回 観光に関

する学術研究論文 観光振興や観光交流に対する提言入選論文集』日本財団、2003年。 34)「メディカルツーリズム実施国の分類に関する考察」において図2として掲載されているのでそのまま

引用している。本稿では図1となっているので読替を要する。 35)このことについては、現象としてインフォームドコンセントの重視や、手術における同意書の活用に

みられる。周知の事実だと思われる。 36)コーディネーターの役割については、一般社団法人Medical Excellence JAPANウェッブページを参照

されたし。 37)自治体国際化協会「医療制度と医療ツーリズムに見るシンガポールの戦略」Clair Report No.383 2014年。 38)医療法人社団 創友会「ドバイのがん診断と治療及び医療機器実地調査プロジェクト 報告」経済産業

省日本の医療機器・サービスの海外展開に関する調査事業、2013年。 39)明治大学国際総合研究所、ドゥリサーチ研究所「新興国マクロヘルスデータ、規制・制度に関する調

査・国別詳細版」明治大学国際総合研究所、ドゥリサーチ研究所、2013年。 40)日本貿易振興機構「インドの医療機器市場と規制」日本貿易振興会、2012年。 41)日本国在フィリピン大使館ウェッブページ「保健医療関連指標」

http://www.ph.emb-japan.go.jp/bilateral/oda_3_1.htm 2015/5/12取得 42)廣瀬輝夫「南米諸国の医療事情」Medical Tribune記事、2008年。 43)アイテック株式会社「トルコ共和国における病院整備運営環境調査・調査報告書」経済産業省 日本

の医療サービスの海外展開に関する調査事業、2012年。 44)石塚秀雄「ギリシャの医療制度と社会的経済」いのちとくらし研究所報第39号、2012年。 45)JCIの検索機能は下記のURLで利用することが出来る。

http://ja.jointcommissioninternational.org/about-jci/jci-accredited-organizations/ 2015/5/12取得 46)科学技術政策研究所 第2調査研究グループ「科学技術の社会的ガバナンスにおいて専門職能集団が果

たす自律的機能の検討-医療の質を確保するドイツ医師職能団体の機能から-」、POLICY STUDY No.11文部科学省科学技術政策研究所、2005 年。欧米の諸制度においては、質的評価が必要な多くの場合に、

行政(政府と表現されることが多い)から独立した評価機関が多用される。これは、行政と国民の間に、

納税者、収税者という本質的な利害対立が存在する為である。納税者と政府の緊張関係が現れていると

見ることもできる。 47)関わっているか否かの判定は、各医療機関のウェッブページのトップページに以下の文言のうち何れ

かが記述されている場合、その医療機関はメディカルツーリズムに関わっているとした。使用した文言

は英文で「Medical Tourism」「Foreign Patients」「International Patients」の3つである。これらの文言を頼り

にする過程で、多言語対応のウェッブサイトに関してどのように判断すべきか迷ったが、メディカルツ

ーリズムに関わることの実績を重視して、多言語対応に関しては捨象した。 48)ここでいうギャップとは、顧客が真に望んでいるものと、顧客が今手にしているものと差異を意味する。 49)身近な例では、長きに渡り放置されてきた航空運賃の内外価格差は国民に大きな不信感を与えてきた

ことを挙げることができる。