沖大論叢 = okidai ronso, 9(1): 19-47 issue...

30
Title 民政府裁判にみる布令無効判断の回避 -友利裁判をめぐ って- Author(s) 佐久川, 政一 Citation 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Date 1969-02-28 URL http://hdl.handle.net/20.500.12001/11001 Rights 沖縄大学

Upload: others

Post on 12-Mar-2020

3 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

Title 民政府裁判にみる布令無効判断の回避 -友利裁判をめぐって-

Author(s) 佐久川, 政一

Citation 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47

Issue Date 1969-02-28

URL http://hdl.handle.net/20.500.12001/11001

Rights 沖縄大学

Page 2: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

-友利裁判をめぐって-

佐久川政

はしカfき

友利裁判の概要と問題の所在

E 同判決にみる布令無効判断の回避

E アメリカにおける違憲判断回避

1. アメリカにおける司法審査権行使の概況

2. 制定法解釈による違憲判断回避

むすびにかえて

はしがき

沖縄の裁判史の上で、いわゆる友利・サンマ移送裁判ほど蟻烈を極めた

政治裁判として、内外の反響をよんだ事件はない。その判決のもつ意義

は、単に原告=被上告人が勝訴することにより立法院議員たるの資格を回

復したことに止まらない。同判決文中の傍論と思われる部分において、琉

球政府裁判所に布令審査権を認めるに至ったことも、これについて明示的

な規定がなしまた民政府裁判にも先例がなかっただけに劃期的な事件で

あった。

けれども、それ以上に評価されるべきこむは、同判決の反射的効果とし

て、ついに高等弁務官をして問題を生ぜしめた布令第回号第22条後段の腐1)

止を余儀なくさせたということである。立法院議員の被選挙人資格を定め

1 ) アンガー高等弁務官は判決がでて五日後の1966年12月7自に改正布令11号

を公布して同条項を廃止した。

-19ー

Page 3: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

た同布令は、実際上は、有力候補者をチェックする働きをしたので、その

廃止はその後の沖縄政治の動向に多大の影響を与えたという意味におい

て、同判決の反射的効果は実に大きいものがあった。

両裁判ともいろいろの問題点を含んでいるが、法的観点からすれば、司

法審査権=布令審査権の占める比重は大きい。判決が確定してからすでに2)

数年が経過しているが、これまでに現れた数少い判例批評やレポートの主

要論点は、琉球政府裁判所に布令布告の審査権があるか否かとか、布令布

告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由 (ratio

decidendi) の部分にそのことを宣明しているかどうかとか、その他重罪

の概念や移送裁判と司法権の独立等に関するものである。

本稿の目的は、上述の論点をはなれて、未だ考究されない問題、つまり

米国民政府裁判所によってなされた同判決は、問題となった布令を守護す4)

るために、同布令を限定解釈することにより大統領行政命令判断を回避し

たのではないかどうかということに焦点を合せて考究するということであ

る。

I1買序として先づ裁判の概要を記し、次に同判決の布令無効判断回避につ

いて論じた上、最後に米国における違憲立法審査回避のノレールについて判

例を中心に慨観することにする。

I 友利裁判の概要と問題の所在

友利隆彪(原告=被上訴人)対中央選挙管理委員会(被告=上訴人)事件

2) 日本弁護士連合会編・沖縄報告書、 法律時報、 昭和何年3月号 (臨時増

刊)74頁。

3) 宜野座毅「友利判決の先例価値について」流球高等裁判所事務局発行、裁

判所報第71号1頁。4) 米国大統領行政命令第10713号はその改正も含めて、沖縄の一種の憲法であ

る。 CivilCase No. C・2・660

-20-

Page 4: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

5) 友利氏と砂111氏の両人は、 1965年11月14日に行われた立法院議員の総選挙

において第29区から立候補し、投票総数8972票のうち友利氏が4733票、砂

川氏が4206票得た。得票数からすれば友利氏は当選人となる筈であった。

然るに投票完了直後、中央選挙管理委員会は、友利氏が1962年に罰金50弗

の有罪判決を受けていたことを理由に、 民政府布令第68号 (琉球政府章6)

典)第22後条段の規定を根拠に同氏は立法院議員の被選挙権を有しないの

で、彼』乙投ぜられた票は全部無効であると決定し、次点者の砂川氏を当選

人として決定告示した。

失格を宣言された友利氏は、決定を不服として、中央選挙官理委員会に

対し異議申立をしたが問委員会はこれを却下した。7)

その後、同氏は中央巡回裁判所に対し「立法院議員当選無効の訴」を提

起し、勝訴したのであるが、 1966年2月23日のいわゆる前田判決は、その

なかで、琉球政府裁判所に布令審査権があることを当然のこととして、

前述の布令68号第22条後段の規定は、大統領行政命令第2節、第6節、第

11節 (b)項及ぴ第12節の規定に反して、住民の参政権(選挙権)を不当

に制限するものであり、なお、行政命令は琉球の対内事項についての立法

は住民自治の理念に立って琉球政府立法院に付与しているのに、これに反

し立法院の立法に相反する布令を公布することは、行政命令で規定する住

民自治の浬念に反する違法なものとして無効といわなければならない、と

判示した。

5) Civil C1ise No. C・2・66,United States Civil Administration Court,

Naha, Okinawa, Ryukyu Islands、 移送前の下級審判決は、 中央巡回

裁判所1965年(ナ)第4号1966年2月23日判決 「立法院議員当選無効事

件」

6) r何人も重罪t乙処せられ、叉は破廉恥に係る罪i乙処せられた者で、 その特

赦を受けない者は、立法院議員の被選挙権を有しない。」

7) 民立法による新しい裁判所法が1968年1月1日から施行され、 従来の巡回

裁判所は那覇地方裁判所と改称された。

- 21ー

Page 5: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

これにより敗訴した中央選挙管理委員会は同月25日、琉球政府上訴裁判

所に上告した。上訴裁では審理は終結し、 6月28日の判決言渡期日も指定

されていたが、 6月7日高等弁務官の裁判移送命令によって、本件につい

ての琉球政府裁判権を取消し、米国民政府民事裁判所に移送され、琉球政

府裁判所がこれまでに審理・判決したことが無に帰したのである。

民政府裁判所においては、口頭審理は行われず、すべて記録一一briefs,

ρleadings,上述の琉球政府中央巡回裁判所判決および宮古巡回裁判所判決

の正本等一ーに基いて審理された。同裁判所の判決は、 1966年12月2日に

サンマ判決と共に言渡されたが、その要旨は被上訴人友利氏は、布令68号

第22条後段の定める「重罪を犯した者」に該当せず、従って1966年11月の

立法院議員総選挙において資格を有する候補者であったから、被上訴人友

和にそ当選人と宣告すべきであるとして同氏を勝訴に導いたのである。と

ころがその理由づけは、中央巡回裁判所のそれとは全く逆で、布令68号第

22条後段の無効判断によるものではなく、むしろ同規定を大統領行政命令

に反しないように限定解釈することにより、同布令を救うと同時に被上訴

人の権利をも保護するという鮮かな妥協的判決をなしたのである。この点

において恵庭判決と同類の判決であろ。この問題については次章にくわし

く論じよう。

次に判決の中で最も重要と d思われているのが布令審査権の問題である。

琉球政府裁判所の下級審においては、これまでしばしば、暗黙裡に、.或は8)

明示的に布令無効の判断がなされ、確立された原珂になっているのである

が、民政府裁判所において司法審査権が承認されたのは本件を膏矢とする。9)

民政府裁判所は司法審査権に関して次の如く判示している。

8) 金城秀三「琉球における裁判所の法令審査権J (琉大法学第4号63頁)お

よぴ「沖縄人権問題のー側面J (世界昭和43年10月号、 88頁)。

9 ) Civil Case No. C・2・66.Page 13.

~ 22-

Page 6: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

(1) 大統領行政命令は、琉球列島における統治の権限を分配し、その行

使の権限を付与する文書である。要するにそれは一種の憲法であり、

最高法規であるの

(2) われわれは、 Marburyv Madison におけるマーシャル長官も宜

明したように、米国の平和的統治に服している領土においては「裁判

所は憲法には目をつぶれ 単に法律のみを見ればよいJ(Courts

must close their eyes on the constitution, and see only the law)

と議論することは不可能である。若しそのように議論するならば、そ

れは憲法の基礎を破壊するものである。

(3) われわれの立場は、結論において、大統領行政命令の第10節(dl(2)、

(11)項の文言により強化される。もしも、そこに述べられている如く、

米岡民政府の最高の上訴審裁判所は、 「合衆国大統領の行政命令叉は

高等弁務官の発する布告・布令若しくは命令の解釈を含む合衆国法、

外国法叉は国際法の問題」に係るもので、琉球政府の最上級の裁判所

が裁判したいかなる事件をも帯査できるとするならば、明らかに琉球

政府の最上級の裁判所ばかりでなく、当該問題が最初に提起された下

級裁判所もまた行政命令に照して、高等弁務官の立法を審査するため

の裁判権が付与されていると考えられる。

民政府裁判所は、同裁判史上初めて司法審査制 (judicialreview)の概

念をこの友利移送判決のなかに導入したのであるが、その理論的根拠は

Marbury v. Madison のマーシャ Jレ式論法をそのまま素朴に受け入れて

論じている。すなわち、上述の(1)は最高法規性の概念であり、大統領行政

命令は琉球の一種の憲法であるというの憲法が法律に対して優位の法であ10)

るということは、司法審査制の第一のf肯定である。次に(2)は憲法は裁判所11)

によって強制されるべき法であるという司法審査制の第二の措定である。

10) 高柳賢三「司法権の優位J49頁。

11) 前掲、 53頁。

-23-

Page 7: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

法概念を、自然法的なものを排除し、実証主義的なもの一一司法機関によっ

て強制されうるものーーに限定するという考え方が背後に横っている。従

って法律のみでなく憲法もまた事件に適用されるし、その意味において、

憲法は議会の指針であるばかりでなく、裁判所の指針でもある。

上述の(1)と(2)は司法審査の理論的根拠であるとすれば、 (3)は実定法的根

拠として加えたのであろう。行政命令第10節は民裁判所による布令布告等

の審査権の行使を前提にしていると見る。これに関する実定法上の解明は12) 13)

金城教授の労作をはじめ、最近では日本弁護士編連合会「沖縄報告書J1[.

詳細であるのでこれに譲り、私の疑問だけを末尾の結論のところで提起す

るだけに止める。

E 同判決にみる布令無効判断の回避

上述の如く、被上訴人友利は米国民政府民事裁判所において、勝訴の判

決を得、立法院議員の資格を獲得した。判決の理由とするところは、同氏

は立法院議員の被選挙人の欠格事由の一つである「重罪」に該当する罪を

犯したものではないとされたことによるものである。同判決は結果におい

ては、中央巡回裁判所判決と同様被上訴人友利氏を勝訴せしめたのである

が、結論を導くに至った理由づけにおいては全く相反する立場を採用して

L、る。

結論的にいうならば、中央巡回裁判所判決は、布令68号第22条後段の規

定が大統領行政命令第12節等に反して無効であり、その無効な法令を適用

して被土訴人=原告の被選挙人の資格を奪うことはできない。また、仮に

同布令が有効だとしても被選挙人たるの欠格事由について立法院の立法に

12) 金城、前掲琉大法学、 39頁。13) 法律時報(昭和43年3月号臨時培刊)84頁。

-24-

Page 8: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

相反する布令を公布することは行政命令で規定する住民自治の理念に反す

る違法なものとして無効といわなければならないとするものであった。

これに反して民政府裁判所判決は、問題の布令が大統領行政命令に反す

るかどうかの判断を回避して、同布令の解釈を被上訴人に有利に解釈する

ことにより勝訴せしめたのである。すなわち立法院議員の被選挙権の欠格

事由を定める布令68号第22条にいう「重罪」は被選挙人が過去において、

実際に一年以上の拘禁刑に処せられた場合をいうのであり、下級審の採用

する法定刑説による「重罪」の定義は正しくないとし、被上訴人は重罪を

犯したものではない、との論拠によった。前者は布令が行政命令に反して

無効であるとの司法審査により、後者は法規を限定解釈することにより、

被上訴人=原告は同法令の適用外にあるとの判断をすることにより司法審

査を回避し、しかも原告=被上訴人勝訴という同ーの効果をもたらしたの

である。

このようなアプローチの仕方は、アメリカの判例 Ashwanderv. TV A

(297 U. S. 288)のプランダイスの補足意見のなかに示されている憲法判

断回避のための七準則のうちの第四と第七準則の適用であって、司法の自

己制限乃至司法消極主義のあらわれである。すなわち、

第四準則一裁判所は憲法問題が記録によって適切に提出されていても、

もし事件を処理することができる他の理由が寄在する場合は、その憲法14)

問題には判断を与えない。

第七準則一国会の法律が問題となった場合は、合憲性について重大な疑

いが提起きれでも、裁判所が憲法問題を避けることができるような法律15)

の解釈が可能かどうかを最初に確めることは、基本的な原則である。

憲法判断を回避するためのこのようなアプローチは、アメリカにおいて

ま確立した原則であるかのような観を呈していて多くの判例が挙げられ

14、15) 芦辺「現代の立法J327、328頁、

-25 -

Page 9: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

'民政府裁判にみる布令無効判断の回避

る。例えば NationalLabor Relations Board v. Jones & Laughlin

Steel. Corpolation, 301 U.S. 1 (1937)におけるヒューズ長官の下記の

意見の芯かに見出すことができる。

“The cardinal ρrinciple 01 statutory construction is to save and

not to destroy. We have repeatedly held that. as between two

ρossible interρretations 01 a statute, by one 01 which it would be

unconstitutional and by the other valid ourρlain duty is to adopt

that which will save the act." (成文法解釈の基本的原理はその成文

法を教うことであり破壊することではない。我々はくりかえし述べたこ

とであるが、或る法文の解釈が二通り可能である場合一ーその一つによ

れば違憲となり、他の一つによれば合憲となる場合一ーわれわれの明白

な襲務は法文を救うような解釈を採用することである。)

条文の用語が明確でないために、合憲違憲の両様の解釈が可能である場

合には、裁判所は制定法を有効とする解釈を採用すべきで、法律の文言が

許すかぎり憲法と調和するように解釈するのが裁判所の義務であるとされ

る。また、もし違憲か合憲か疑いの存する場合は法支を限定解釈して法律

を救済する解釈を採用すべきであるというアメリカの支配的な合憲解釈の

アプローチは、沖縄在の米人裁判官によって運営される民政府裁判所の判

決のなかにも見出されることは、少からず興味ぷかいことである。

本稿の主なる目的は、友利移送判決が果して上述の合憲解釈のアプロー

チ叉は違憲判断回避のルールを採用して得たものかどうかを論究すること

である。以下に布令第68号第22条後段を大統領行政命令に照して無効とし

た琉球政府中央巡回裁判所(以下中央巡裁と略す)の判決と同条を限定解

釈して有効と判断した米国民政府裁判所(以下民政府裁判所と略す)の判

決とを対比しつつ論じようわ

両判決とも立法院議員の資格はく奪4をもたらした下記の布令68号第22条

後段の規定の「重罪」とは伺かの解釈が論点になっている。

-26ー

Page 10: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

"Noρerson shall be eligible for election as a member of tt,e

Legislature who has been convicted of a felony or a crime . irivol.

ving moral turpitude and vho has not received aρardon.' (何人も

重罪に処せられ、又は破廉恥に係る罪t乙処せられた者で、その特赦を受

・けない者は、立法院議員の被選挙権を有しない。)

中央巡裁は「重罪」を次の如く解釈する。 r現行法としての刑法典氏そ

の用語の定義がない以上布令68号に用いられた重罪につき同布令に別段の

定義が規定されていおか、別段の解釈をすべき明白な理由が存しないかぎ

り布令第144号におけると同意義に解しなければならない。」

ところで布令第144号(r刑法並びに訴訟手続法典J)2.1.6項前段は

次の知く重罪を定載している。

"Any offense ρunishable by death or imρrisonment for a term

exceeding one year is a'felony. ' Any other offense is a 'misdeme.

anour"'. (死刑叉は一年を超える懲役をもって間せられるすべての罪は

「重罪Jとし、他のすべての罪は「軽罪」とする。)

ζの規定によると、実際には罰金が言渡されでも当該犯罪が一年以上の

懲役で罰することもできる罪を犯した場合にも「重罪」を犯したというこ

とになる。これはアメリカの多数の州で採用されている法定刑説である。

しかしこのような規定があってもアメリカの少数説の解する如く、言渡し

た判決が拘禁刑以外のものである場合は重罪ではないと解することも可能16)

である。前説を採用したのが中央巡裁であり、後説に従ったのが民政府裁

判所である。かくして中央巡裁の前田判決は、多数説にしたがい、友利氏

は過去においては罰金60弗の言渡しがあったのにも拘らず、重罪をおかし

たと判示したのである。

けれども前田判決は友利氏の救済を別に求めた。すなわち原告友利氏の

16) 仲原「アメリカ法における「重罪」と「破廉恥罪の概念J(裁判所報第64号

16頁)、

マ-nt

Page 11: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

主張の如く、布令68号第22条後段の規定は「右に説示したとおり行政命令

第2、節、第6節、第11節め)項及ぴ第12節の規定に反して住民の参政権(選

挙権) を不当に制限するものであり、なお、これに加え後記4において述

べるとおり行政命令は対内的事項については住民自治の理念に立っている

のに、 これに反し立法院の立法に相反する布令を公布したことは、行政命

令で規定する住民自治の理念に反するものである」として無効と断定する

のである。

これに反して民政府裁判所は琉球政府裁判所にも布令審査権が幸子在する

との見解を明らかにしつ hも上述の前田判決とは全く逆の理由づけ (rea-

soning)により、 しかも効果において同ーの判決に至るのである。

同判決は重罪の解釈いかんによっては大統領行政命令に抵触するとの解

釈が成立する可能性を認めてはいるが、それ故にそのような解釈を避けん

と努力する。そのような解釈が唯一の解釈ではないとして次の如くいう。

本稿にとって最も重要な部分であるので煩巻厭わず引用しよう。

“…… we think that the lower court erred in the reasoning by

ρrincitle which it reached that intertretation, overlooking the

that courts should strive to sustain, rather than strike down,

legislation where reasonable b_a_sis can be found for doing

so."(…われわれは、裁判所がもし法令を支持するための合理的根拠を発

見できるならば、それを否定するよりはむしろ支持するように努めるべ

きであるという原理を見逃した解釈により理由づけをしたという点にお

いて、下級裁判所はあやまりをおかしていると考える。) (下線およひ

点鰻は筆者強調)

同判決は上のような解釈原理を採用し、本件のキーポイトである重罪を18)

次のように説く。

17)

18)

Civil Case No. C-2・66,P. 16、

Civil Case No. C-2・66,P. 17、

-28-

Page 12: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政厨裁判にみる布令無効判断の回避

「われわれは、中央巡回裁判所の見解、つまり、布令144号‘ (刑法典)

の2.1.6項に定められている「重罪」の定議は、 アメリカの多数の州に

よってとられている見解の意味において解釈さるべきで、また琉球の選

挙法の下の資格はく奪に関連して用いられた時にもその文言を確定的な

ものとして一義的に解釈すべきだとする見解に縛られ怠ければならない一

だろうか。このような解釈は同布令と行政命令との抵触をもたらすので

もしそのような結果を避けうる他の等しく合理的な解釈が見出されるな

らば、その解釈は優先すべきであり、それに従うべきである。 J(点線

筆者強調)

法文が平明でないため行政命令に照らして合法違法両様の解釈が可能で

ある場合には、裁判所は法令を有効とする解釈を採用レ泣ければならない

との米国判例に支配的な見解、つまり制定法を限定解釈して憲法判断を回

避せんとする司法消極主義の一端のあらわれである。そのような解釈原理

に立てば、布令回号第22条後段の「重罪」の意輯は同条項自体からは明ら

かでないので、 必ずしも中央巡裁の採用する布令144号2.1.6項に定め

る「重罪」の定義にとらわれる必要はなく、琉球の選挙法(立法院の立法

せる立法院議員選挙法や布令回号第22条等その他関係法令や布令等を含め

て)の下では法令の文面の背後にひそむ目的・効果等を考慮して決定すべ

きだとするものであって、法解釈としてはそれ自体正しいとしなければな

らない。19)

(勿論立法者t:る高等弁務官がそのような意図をもって改正8号

布令を出したのかどうかは別問題である)

このような見解に立って、 シムズ判決は布令68号の改正布令が公布され

た時点において、琉球における公職の選挙法の欠格事由に関するすべての

19) 布令68号第22条後段は1957年に改正されて重罪の言葉がいれられた。1952年

の制定当時は i..・H ・贈収賄、偽証罪叉はその他の破廉恥罪を犯レTこ者は、

立法院議員の職につくことはできない。」と規定して一定の罪に限定して

b、Tこ。

-29-

Page 13: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

既苦手の法令のl中で、有力な基準は一定の名ぎされた犯罪(贈収賄、偽証罪、背

徳等一般に破廉恥と称される範障に属するもの)につき有罪を言渡された

か、或いは拘禁の実刑を言渡されたかのいづれかであったと述べ、高等弁

務宮は改正8号を公布して物議を醸した文言を入れて第22条後段の規定に

改めたのであるが、それは上述の解釈を改めて下級裁の解釈するところに

変更する意図をもってなされた訳ではなく、むしろ既存の法令と調和せし

めんが為の改正であったと判示した。これが一つの合理的解釈の裏づけで

あると云うのである。

その判決の云う既存の法令と調和せしめるために重罪の言葉を入れたと

いうことは、立法院議員の欠格事由として拘禁刑の宣告は羽田年の選挙法20) やその他古い民政府布告や布令に列挙されていたのだが、改正前の布令68

号第22条の規定にはそれが除かれていた。そこで立法院議員の選挙法が民

立法で可決されたので、拘禁刑を欠格事由として加えるために、すなわち

立法院議員選挙法と足並を揃えるために、改正布令8号を公布し、重罪規

定を入れたのであるというのである。

つ Yげて同判決は、高等弁務官は改正8号布令を公布することによっ

で、民立法Tこる選挙法を侵犯せんとした訳でもないと述べ、その証左とし

て、もし侵犯する意図があったなら、同選挙法を裁可しなかったであろう

し、また行政命令第11節規定の高等弁務官権限によって、自ら琉球列島に

おけるすべての権限の一部を行使することによっても為し得た筈であるが

そのような動きがあったとの証拠もないと述べている。思うに、重罪概念

は本来英米法固有のものであり、日本旧刑法にはその規定があったが、現行

法にはこの名称がないので資料も少いし、私にとってこれの解明は不可能

20) 民立法第一号である「立法院議員選挙法」第19条は選挙権及び被選挙権を

有しない者として同禁乙以上の刑l乙処せられ、その執行を終るまでの者、

国禁乙以上の刑i乙処せられ、その執行を受けることがなくなるまでの者を

挙げている。

-30-

Page 14: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

でもあり、また本稿の目的でもないのでこれを省略するが、法解釈として布

令68号第22条の「重罪」の意議は中央巡裁のいうように布令144号の定義

どうりに、つまり他の解釈を許さず一議的に解釈しなければならないかど

うかということである。私は必ずしもそのように解する必要はないと思う。

なるほど布令144号の定義は他の布令の解釈にとって大いに参考になろ

う。しかい選挙法規(布令68号第22条)はそれ自体の目的や効果を考慮して

独自の解釈をなすことも自由である。例えば「住所」の定義については、

民法の意味するものと公職選挙法の意味するものとは必ずしも一致しない

解釈も止むを得ないものではないだろうか。勿論中央巡裁の解釈も正当で

ある。法文が平明でないのでどちらを採用するかは裁判官の裁量に待つ他

ない。

民政府裁判所は今一つの「重罪」についての合理的解釈を詩みる。 i重

罪」という言葉を中央巡裁が解釈したように死刑叉は一年を超える拘禁刑

により処罰できる罪一ーたといそのような刑罰が実際上科されなくても

ーーを意味すると解釈する必要はない、としてアメリカの判例を引用す

る。オレコーン州最高裁判所において争われた Statev. Rader, 94 Ore.

432(1919) 事件では宣告刑説を採用している。いわし

「もしもある犯罪に対して選抗的刑罰が規定されていて、犯罪人が拘禁

刑に処せられるか、叉は裁判官の裁量により罰金刑が言渡されるか或肱

郡刑務所に入れられるならば、犯罪はそれにも拘らず、実際t乙科された

刑罰が拘禁刑以外のものとなるまで、或は拘禁刑以外のものでない限

り、重罪と看徹される。しかしもし実際に科された刑罰が刑務所内拘禁

以外のものであるならば、その犯罪は刑罪を命じた判決が言渡された

後、軽罪と看撤される。」

因みにカルフォルニヤ州の場合、明文の規定があって、それによると、

裁判所の裁量で拘禁刑でも罰金刑でも処罪されうる場合は、州刑務所拘禁

-31ー

Page 15: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

刑以外の判決が言渡されたとき以後は、いかなる場合でも軽罪と看倣され21)

るとされる。

以上概観したように、重罪についての二様の解釈がその正当性を主張し

ているのであるが、解釈論的にはどちらも正しいように思われる。ところ

が民政府の解釈は布令無効の判断を回避するために無理にこじつけている

感が深い。なぜならば、もし民政府裁判所の云う如く、布令8号改正は民

立法による1986年の「立法院議員選挙法」の領域を侵すつもりはなかった

とするならば、何故に一年経過した1967年に布令68号の布令8号改正を公

布し「重罪」を定載せずして、どちらにもとれるような (しかも布令144

号を参照すれば法定刑説に従わねばならないような)あいまいな文書を配

したのか。また民立法を裁可したのであるから、それ以上に布令まで必要

とした理由は何か。何故に、シムズ判決が出て一週間も経たないうちに該

布令の第22条後段を廃止したのか。これらの点を過去の政治的背景に照ら

して考察した場合、法解釈としては一応成立つとしても、理由づけの正し

さに対しては疑問なきを得ない。

E アメリカにおける違憲判断回避

1 アメリカにおける司法審査権行使の概況

友利移送判決に携わったシムズ、ブラックおよひマッキンニスの三判事

ともアメリカ法の土壌に育ちアメリカ法に習熟した法律家である。法律の

合憲性を判断する司法審査はアメリカにおいて確立された原理であるが、

それと同時に、自制のルールもまたアメリカにおいて確立された原理であ

る。友利判決(叉はシムズ判決と称す)は第二章で見た如く法律解釈のテ

クニックによって、布令無効の判断を回避したケースである。きれば本章

においてアメリカにおける司法審査権行使の概況と自制のJレールを判例を

取上げつ〉解明することは無駄ではないと思う。

21) 仲原、前掲18頁、

-32-

Page 16: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

米国最高裁判所は、制定法の違憲判断をなす絶大な権限を有するのであ

るが、その権限の行使はむしろ消極的にしか行使されなかった。連邦議会

による制定法が連邦憲法に反して無効であるとする最高裁判所判例を179022)

年から1930年までを10年単位で表示すると次の如くである。

1790-18∞."…...0

1800-1810・・・…"'1

1810-1820・・・・・・・・・ 0

1820-1830......…0

1830-1840・・・・・・・・・ 0

18却,ー-1850.........0

18町一-1860……・・・ 1

1860-1870…......4

1870-1880・ー…・・・ 9

1880-1890・・・・・・・・・ 5

1白Oー-1900,"…・・・ 5

1900-1910・・・ ・・・・ 9

1910-1920・..…・・・ 7

1920-1930・・・・・・・・・19

マーシャルが1803年に Marburyv. Madisonおいて、司法審査の原理

を連邦最高裁判史上初めて確立してから、第二の無効判決である1857年の

Dred Scot事件との聞に約半世紀を要している。けれども、 1937年まで

は、影響力の大きい経済変動が生じる度に違憲判決を受ける経済立法が増

加することを示す。上図に見る如く、 19世紀の前半期においては僅か一件

の無効判決が出たに過ぎないのに、南北戦争以後は増加の傾向を示し、歴

史上最も違憲判決の多い時代は、 1933年10月以後の三年間である。その三

年聞に最高裁判所は12件の連邦法無効の判決を下した。しかも1935年ター23)

ムの一年間に 5件の無効判決が出てそのピークを記録したのである。この

ような傾向を“Partieshave an aρ'teal from the legislature to

the courts."との皮肉まじりの非難を供したが 1937年以来財産権に関す

る無効判決はなくなった。

22) Bates, Ernest Sutherland: The Story of the Supreme Court. 1936,

p.263.

23) Robert H. Jackson: The Struggle for Judicial Supremacy, p. 41.

可苅

ν

Page 17: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避ー

マーシャルから1937年に至る130年聞は財産権一一土地、 契約の強制、

奴隷所有者の財産権、企業の規制、労使聞の紛争、労働条件およひ税金等

一ーに関する判決が多かった。これらの判決は、財産所有者連を支持せん

とする保守的立場を堅持して、公共の福祉のためには企業を規制すべきだ

とするリベラルな立法に対抗するものであった。ルーズベルトのニューデ

ィーノレ立法がいわゆる古い裁判所(OldCourt)の反対に会って上述の如く

無効判決が多くなったのであった。

それは、有産階級を支持する判決を書いた判事遣が買収されたのではな

かった。それは、判決の背後にひそむ司法哲学上の思想、すなわち John

Lockから受継し Foundingfathers!乙よって発展させられた思想が裁判

官達t乙よって適用されたまでであった。すなわち財産権を‘higherlaw'と

して尊重する考え方で、司法部もかく解するのが正しい任務の遂行なりと24)

信じたが故であった。従ってこのような思想が支配しなくなった1937年以

後の NewCourt においては、財政権に関する無効判決はなくなったので

ある。

勿論、 Old Courtの保守的な裁判官遼の考え方を非難した者はリベラ

ルな進歩主義者達であったが、その論拠として、司法部は選挙で選ばれた

代表者の多数意思を踏みにじる無責任な機関であり、これまで公衆が緊要

かっ賢明であると認めた財産規制立法を打ちのめす徒であると非難した。

かくしてアメリカにおいては資産家を保護せんとする保守主義と公共の

福祉のためには財産権の制限も止むを得ないと主張するリベラリストとの

聞の抗争は間断なく続くのであった。ところが、 1937年になると財産権に

関する最高裁の態度に革命が起った。以下に概略を記す。

24) Edited by C. Hennan Pritchett & Alan F. Westin: The Third Bra. nclz o[ Government,ρ.2.

-34-

Page 18: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

第一1<:,1937年以降、財産権規制立法に関する事件を事実上憲法訴訟事25)

件表から除外してきたということである。従って1937年以来財産権を規制

した立法で違憲と判決されたものは皆無であり、また産業を規制する州法

についても、契約上の権利や私有財産への干渉として無効とされたものは

非常に少い。その結果として、連邦政府は国家の経済統制に関しては莫大

な権限をもつに至った。最高裁判所はもはや国の経済方策について、連邦26)

及び州議会の判断に代えて自らの判断を用いることはしないたeろう。

第二の特徴は、 1937年以降は、財産権に関する事件に代って身分に関す

る問題 (issue 01 sfafus)が憲法訴訟の中心的論争として登上してきたこ27)

とである。すなわち、 (1)黒人、東洋系アメリカ人およひプエルトリコ人等

の少数グループに属する非白系人種の権利にまつわる平等の問題であると

か、選挙区割の不平等のために生ずる都市地区住民の一票の価値の誠少の

問題、およびユダヤ人種、エホバの証人、セブンスデー・アドベンチスト

やカトリック.系等の少数宗教クツレープを公務において不平等に取扱うこと

から生ずる問題があり、 (2)アメリカの政治経済体制を批判せんとする共産

主義者、無神論者、米国ナチ党員および反戦論者連の表現の自由や団結の

自由の問題があれまた映画、本、演劇および雑誌等において一般人が支

持する善良なる晴好規準を超越せんとする人達の表現の自由の問題、 (3)最

後に、上に述べた平等権や自由権闘争に関連して逮捕された人達の捜査や

裁判における「公平J (fairness)と「正当な手続J(due ρrocess)等の28)

手続上の問題があげられる。

かくして、 1937年以後は人権問題に関して最高裁判所判事達は、程度の

差はあるとしても、リベラルな哲学を採用することにより、 minorityの

25) lbid. p. 3.

26) lbid.ρ.3.

27) Ibid.ρ.4.

28) Ibid.ρ4.

Jnd

Page 19: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

利益を大いに保護してきた。 1937年以前においては、これら少数クツレープ

は実業社会において、平等や自由を求めても最高裁判所は保護の手をさし

のべなかった。しかし今や彼らは連邦議会や州議会で勝利を納めることが

できなかった事を裁判所で手に入れることができるのである。司法審査制

が我固に導入されてからやがて四分の一世紀にならんとしているが、審査

の対象毎に取扱いを異にする(財産権か市民権か)アメリカの細い理論及

び実践にまで未だ手が届いていないというのが実情であろう。

29) 2 制定法解釈による違憲判断回避のルール

米国最高裁判所は、違憲立法審査権を有するのであるが、上に見る如

く、その権限の行使にあたっては、その歴史を通じて、必ずしも積極的に

なされたのではなかった。裁判所は憲法裁判の分野にいくつかの司法的自

30) 己制限のルール (seがzmρosedrules 01 judicial abstention)を編みだし

29) との部分は Simon E. Sobeloff 判事の Decisionunder. Guise of

Statutory Interpretation (International Seminar on Constitutional

Review, p. 302, New York University, 1963)を参照した。

30) Ashwander v. TVA (297 U.S. 288 ) におけるプランダイス判事の補

足意見は有名である。すなわち、 (1)裁判所は談合的な非対立的訴訟手続に

おいては立法の合憲性について判断をしない。 (2);裁判所は憲法問題を、そ

れを決定する必要が生ずる前に、前もって取りあげない。 (3)裁判所は憲法

に関する準則を、それが適用される明確な事実が要求する以上に広く公式

化しない。 (4)裁判所は憲法問題が記録によって適切に提出されていても、

もし事件を処理する乙とができる他の理由が存在する場合は、 その憲法問

題には判断を与えない。 (5)裁判所は法律の施行によって侵害を受けたζ と

を証明しない人の申立にもとづいて、 その法律の効力に判断をくださない

(6)裁判所は法律の利益を利用した人の依頼で、 その法律の合憲性に判断を

くださない。 (7)国会の法律の効力が問題になった場合は、合憲性について

重大江疑いが提起されでも、 裁判所が憲法問題を避けることができるよう

な法律の解釈が可能かどうかを最初に確かめる乙とは、 基本的な原則であ

る。(訳は芦辺編、現代の立法、 327頁による)

-36-

Page 20: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

た。例たば、政治問題(ρoliticalquestion)や現存の事実や権利関係に基づ

かない問題 (mootquestion)に対しては、判断を差控えるということは

我国においても「統治行為論」ゃ事件の争訟性の問題としてよく知られて

いる。叉裁判所が法律の合憲性を判断するのはその法律の適用によって訴

訟当事者の利益が直接的に侵害された場合に限るとする当事者適格の問題

(standing to sue)の問題や経済立法の合憲性の推定 (ρresumρtion 01

constitutionality) の問題も司法的自己抑制のルールの一種である。

けれども、司法的自己制限の中で最も広範に用いられる Jレールは、制定

法解釈を口実として憲法判断を回避することである。このルールは連邦法

の合憲性ばかりでなく、州法の合憲性が問題になる場合にも広く適用され

る。最高裁は、しばしば、州法の合憲性が争われる場合、憲法判断をせず

に、州法の解釈のみによフて事件が解決されうると判断する場合、それを差

戻すのである。叉憲法判決が避けられる場合として、下級審は法解釈に誤

りをおかしたとすることによって、憲法判決をしたと同様の結果に達する

こともできる。

その他、富法判断を避ける場合として、問題となっている制定法の中に

憲法的基準を読みとる方法がある。 その適例として、 Steele v. Louis-

ville & Nashville Raijroad Co. 323 U.S. 192(1944)があげられる。

そこでの争点は、同業者の多数によって選ばれた団体交渉員としての組合

は、鉄道労働法の下では排他的代表権を有するものであるが、その使用者

である鉄道会社との聞に黒人労働者を差別する内容の協約を締結すること

ができるか否かであった。最高裁判所は、人種を盟由とする差別は法律によ

って禁じられており、従って選出された交渉員は自己の属する同業者仲間

ばかりでなく、他の非組合員や少数ク。ループに属する人々の利益をも公平

に代表せしめることが連邦議会の意図するところであったと判示した。つ

まり鉄道労働法は組合に対してそのような差別的労働協約を締結する権限

を付与するものではないと解釈したちのであろ。法律自体はそのことにつ

-37ー

Page 21: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

いて何ら触れていないので、今一つの解釈として、マーフィー判事が補足

意見で述ぺている知く「もし法律が制定法上の団体交渉員に少数ク・ループ

の権利を侵す権限を認めるならば、その法律は修正憲法第 5条に反して違

憲であるJとして解決することも可能であったのである。この様に法律の

文言が平明でない場合「人種のみを理由として差別することは明らかに不

公平で筋が通らない (irrelevantand invidious) 0 Jという言葉を用いる。

要するにこのような事件においては裁判所は、憲法基準を法律の意味する

ところであると解釈するのである。

同種の判決として、 Duncan v. Kahanamoku, 327 U.S. 304 (194

6) をみげることができる。真珠湾攻撃直後ハワイ准州知事は戒厳令を公

布し、人身保護令状を停止した上、裁判所を閉鎖し、統治上の権限をハワ

イ在軍司令官に移管した。大統領はこれを裁可し、ハワイは1944年10月24

日まで軍部の統治するところとなった。このような状況下で、 1944年2月

整備係として海軍に雇われた民間人Tこるダンカンは二人のマリン兵と口論

をし、暴行罪をもって起訴された。彼は民の裁判所ではなく軍事裁判所で

裁判を受けた。争点は、ハワイにおける軍政府(の行為)はハワイ組織法

の下で有効かどうかであった。最高裁判所は、連邦議会はハワイ組織法67

条によって民間人を軍法会議の裁判に服せしめようとの意図をもつもので

はなかったと判示した。このような結論は、表面的には議会は民間人を軍

法会議で裁判する意図をもつものではないとの非憲法的理由づけに基いて

なされているのであるが、もしも連邦会議がこれと反対の意図をもつもの

であったと解するならば、憲法問題に直面せざるを得なかったであろう。

この事件も憲法問題を避けるために議会で制定した法律の中に憲法基準を

読みとろうとする例である。

また裁判所は、法律にしたがってなした憲法上疑しい行政機関の行為を

31) Smith v. California, 361 U. S. 147 時国「合態解釈のアプローチ

(下)Jツュリスト第327号95頁

-38-

Page 22: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

審査した後、問題となっている行政行為は法律上許容されるものではない

と解釈して、当法令を憲法違反として処理することを避けようとする場合

が多い。例えば、 Wong Yang Sung v. McGrath 339 U.S. 33 (19

50) は、表面上は憲法問題を避けながら法文を解釈し、問題となってい

る行政行為は憲法によって禁じられているのであるから法律も当然そのよ

うな行政行為を許容するものではないとするのである。本件において最高

裁判所は、圏外追放手続は行政訴訟法の定める公判 (hearing) によらな

ければならないと判示した。判決は制定法解釈に依拠したのであるが、裁

判所は、圏外追放法は公判を要せずとの命題を前提とする議論は困難であ

り、したがって公判なしの追放は憲法上もその権限はないであろうと指摘

した。本件と類似の解釈方法によったとみられる我国の判例として、昭和

32年11月27日の大法廷判決を挙げることができる。旧関税法83条l項によ

る第三者の所有物の没収につき、韓意の第三者の所有に属する貨物または

船舶を没収するがごときは、 「犯人以外の第三者の所有物についてなされ

る没収の趣旨及び目的に照らし、その必要の限度を逸脱するものであり、

ひいては憲法29条違反たるを免れない」と判示し、第三者の所有物の没収

及ぴ目的に照らし法解釈をし、悪意の第三者の所有物に限り没収しうると

の狭義の解釈をとり、法規自体の違憲判断を回避したのである。

ところで、判決の理由づけが二者抗ーである場合でも裁判所は、憲法問

題に直面することを選ぴ、法律が憲法に反して無効であると宣言する例も

数多い。ロスアンヲェルス市条例は表現の自由を制限するものだとして違

憲無効とした Smithv. California事件もその例である。同条例は「猿

せつな本を、販売の目的で所持した者は処罰する」というものであるが、解

釈としては、現せつな本と知って販売目的で所持した本屋に限定して適用

する場合と、善意悪意を問わず損せつな本と知らずに所持した本屋に対し

でも適用される場合の二種があり、前者の解釈を採用すれば同条例は合憲

となり、後者の解釈を採用すれば違憲とされる余地があったのである。とこ

-39-

Page 23: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

ろが米国最高裁判所は1"1去の合憲の適用と違憲な適用の可分性についての

通常の法則は、この法則によった場合、表現の自由の権利ぞ憲法上有効に行

使するものが、刑事手続に引き出されるという負担と不便を蒙ることを恐

れなければならない結果を産む、多くの違憲な適用の明らかな可能性を蔵

する法を、そのまま持続させるという効果をもっ場合!こは、適用されては32)

ならない」として、違憲判断をしたものである。

また古い判例として United States v. Reese, 92 U.S. 214 (1875)

がある。本件は市の選挙管理官が、黒人の投票を受理することを拒んだた

めに起訴されたもので、本件に適用される法律は、市民(し、かなる市民で

も)が選挙において投票する際、それを妨害する人は何人でも罰されると

規定していた。選挙管理官である被告人は、同法は、慣行として行われて

いる人種、ひょ、の色または過去の奴隷状態に義づいた差別に限定しでな

く、いかなる市民 (any citizen) が投票する場合でも、それを妨害する

人は処罰されると規定しているが、かかる包括的な法制定は議会の権限を

超えるもので違憲であると主張した。最高裁判所は、同法は黒人に対する

差別の場合にのみ適用される意図をもつものであると限定解釈して違憲判

断を回避することも可能であった。ところが最高裁はそうは解釈しない

で、限定的に法解釈をすることは新しい法律を作ることになり、それは我

々の義務ではないと述べ、被告人の主張を入れ、違憲判決をした。

上述の例から明らかなように、憲法判断をするか、法の限定解釈をする

ことにより憲法判断を回避するかは、最高裁判所のもつ司法哲学に大きく

左右される問題である。例えば、司法消極主義のチャンピオンであるフラ

ンクファターはどの判事よりも憲法判断を回避しようとする態度を示す。

United States v. Rumleyや Smithv. Califomia におけるフランク

ファターの意見は、回避の準則を絶対的な準則 (absoluterule)にまで高

32) 時園、前娼。

-40-

Page 24: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

め、例外を認めようとしないということができる。これに反して、マーフ

ィ一、ブラック、ダクラス判事は司法積極主義を代表して、回避の準則は

絶対的なものではなく、裁量的準則 (arule of discretion) に過ぎない33)

と主張する。

次に上に述べたニつの考え方の栢異を表明した事件をニつ取りあげよ

う。 UnitedStates v. Rumley において theCommittee for Constitut-

ional Government (立憲政治委員会)と称する団体の書記をしていた被

告人は、政治的性質の文書を配布していたのであるが、その文書の購売人

のリストを theHouse Select Committee on Lobbying Activities (院内

ロピー活動に関する特別委員会)に提出しなかったという理由で侮辱訴訟

に問われた。多数意見を書いたフランクファーターは、制定法は憲法問題

を避けて解釈されるべきであるとする原理に導かれて、議会はその院の決

議によって、院内ロビー活動に関する特別委員会に対して被告人から情報

を強要する権限を与えたものではないと判示した。これに対して反対意見

を書いたダグラス判事(ブラック判事も加わる)は、特別の調査権が、議

会の決議によって、同特別委員会に付与されているが、それは出版の自由

の制限として作用するので修正憲法第一条に反して違憲であると述べた。

最後に最近の判例 Clayv. Sun Insurance Office, 363 U. S. 207

(1960) をとり・上げよう。上告人はイリノイ州で財産の損失に対する保険

証券を購入した。同証券は如伺なる場所で財産の滅失乃至損傷が生じても

保険金の請求ができる旨定めていたが、訴提起の時効として損失発見後十

二ヶ月を規定していた。上告人は、その後フロリダ州に移り住んだが、当

該財産の損失の発見後二年経ってからフロリダ州在の連邦地方裁判所に訴

を起した。被上告人は、第一審において、本訴はイリノイ州法の下で有効で

ある保険証券約款に明示されている起訴時効十二ヶ月を経過しているので

33) Sobe!off前掲415頁。

- 41ー

Page 25: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

却下されるべきであると主張したが入れられなかった。フロリダ州法によ

れば書面による契約において、起訴時効として 5年以下を規定した場合、

知伺なる契約であれ、その起訴時効に関する条項はすべて無効であると定

めているので、本訴は適法であるとしたものである。

ところが第二審である第五巡回裁判所は、イリノイ州で締結された契約

にフロリダ州の制定法を適用することは、連邦憲法に定める適正手続条項

(dueρrocess ollaω)に反して違法であるとして第一審判決を覆した。

最高裁判所は、下級裁判所は憲法問題について裁判すべきでなく、その

前に州法の二点について判示すべきであった。すなわち、フロリダ州法95

.03は本契約に適用できるかどうかということと、 訴の対象となっている

損失が上告人の妻によって生じたものである場合でも保険証券がカバーす

る、あらゆる危険=aUrisks"の範囲内のものかどうかというこ点につい

て判断すべきであったとして事件を差戻した。フランクファーターは、

多数意見の中で「二つの未解決の州法問題のどちらかを処理すればこの訴

訟は解決する」とのべ、更に「裁判所は憲法問題について判断しなければ35)

ならない必要性に先立って、憲法問題に期待しではならないJとつけ加え

Tこ。

これに対してブラック判事の反対意見は、これと興味深い対象をなして

いる。彼は多数意見が裁量的Jレールてeあるべきものを絶対的Jレールに仕立

てるとの批判をあぴせ、最高裁判所が憲法問題に関して審決を拒否したこ

とについて「当法廷が憲法問題の審決を拒否することは、その用いる文言

をも含めて、連邦裁判所は、もし憲法問題以外の他の理由でその事件ぞ処

理できるなんらかの可能性がある限り、如伺なる状祝下においても憲法問

題について判決することはできないとの準則を絶対的なものとして自動的

34) United States v. Rumley, 345 U.S. 410

35) Clay v. Sun Insurance office 3回 U.S. 211。

-42-

Page 26: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

に適用しているように私には思われる。私は、司法技術的には憲法判断を

逃がれる道が見出されても、憲法問題が重要性をおび、憲法判断がなされ36)

るべき時があると信じる。」とのべた。ブラックの見解によれば、裁判所

は通常、その事件の解決に重要でないならば憲法問題について判決すべき

でないとの司法慣行は大抵の場合においては賢明であることを認めつ h

L しかし「私の判断によれば、憲法問題について判断すべき時期が熟す

る時、またはその判断が大いに必要とせられる時がある。そのような場合

には、その事件から憲法問題を取り除く方法により、非憲法問題につき判

決できる可能性または査然性があっても、憲法問題につき判決するのが妥

当である。」と述べており、フランクファーターとは全く対立する見解に

立っている。このことは憲法判断をなすべきかどうかについて、あるいは

何時憲法判断をなすべきかに関して相異なる司法哲学があることを物語っ

ている。第四連邦控訴院主席判事であるソペロフ氏は、 Clay判決を評し

て、歴史的に見れば Black判事の反対意見が正しいとし、 「事件が他の

根拠にもとづいて判決できる場合、憲法問題を避けることは通常の準則で

あるけれども、それは絶対的なルールではなく裁量的なルールである。過

去においても相対立する考え方が若手し、司法的工夫によって憲法判断の必

要性を逃れしめる場合でも、憲法問題について判決してきたのである。そ

のことが現在変革されたかどうか、また、可能である限り憲法問題を回避

すべきであるという原理が、ブラック判事が憂うる如く、絶対的なもので37)

あるかどうかは後になってみなければわからないJと述べ、ブラック判事

の見解を支持している。

36) Clay v. Sun Insurance Office. 3回 u.S. 214。

37) Sobeloff. 前掲、 307頁。

-43ー

Page 27: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

N むすびにかえて

法文の合理的解釈が両様に可能であしその一方によれば違憲となり、

他方によれば合憲となる場合、後者による解釈を採用することにより憲法38)

判断を回避すべきとするルールは我国の裁判例にも数多く見受けられる。39)

最近の恵庭判決はその代表的なものであり、旧関税法83条l項による第三40)

者の所有物の没収に関する昭和32年l月27日の大法廷判決もその一例であ

る。

恵庭判決は、被告人両名の行為は自衛障法121条にいわゆる防衛の用に

供する物を損壊した場合に該当するかどうかにつき、通信線は「その他の

防衛の用に供する物」に該当しないと判断し、 「被告人両名の行為につい

て、自衛隊法121条の構成要件に該当しないとの結論に達した以上、 もは

や、弁護人ら指摘の憲法問題に関し、なんらかの判断を行う必要がないの

みならず、これを行うべきものでもない」と判示した。審理の過程におい

ては自衛隊法の合憲性について多くの時間と労力を消費したにもかかわら

ず判決は憲法判断を回避したのである。政治を避けた政治的判決と評され

る所以である。

後者の事例も憲法問題を避けるために、法を限定解釈したものである。

旧関税法83条工項による第三者の所有物の没収につき同判決は、善意の第

三者の所有に属する貨物または船舶を没収するがこときは「犯人以外の第

三者の所有物についてなされる没収の趣旨及ぴ目的に照らしその必要の限

度を逸脱するものであり、ひいては憲法第29条違反たるを免れない」と判

示しながらも第三者を悪意の第三者に限定して解釈することにより、法規

自体の違憲判断を回避したものである。

38) 時国「合憲解釈のアプローチ(上)Jヲュリスト326号81頁。39) 札幌地裁判決昭和38年(わ)193号。

40) 昭和32年11月27日大法廷判決、刑j集11巻12号3132頁。

-44 -

Page 28: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

41) ところでこの憲法判断を回避するポリシーの論拠として種々あるなか

で、司法機関は不必要に他機関の行為に干渉すべきでないということがあ

げられる。その理由は人民の選んだ代表者によって制定された法律が非

民主的機関である裁判所によって覆えされることは好ましくないからであ

る。しかるにこのような伝統的な論拠は今やそのままは認められない。ジヤ42)

クンソ判事が述べた如く生命、自由、財産、自由なる言論・出版、自由なる信

仰およひ自由なる集会に対する権利は、選挙の結果に左右されてはならな43)

い部分である。またロストーが述べている如く、デモクラシーはすべての

問題を直接に人民の投票で決めることではなく、選出叉は任命された代表

者の行為に対して最終的責任を確保することである。また最終的に国民に

よる憲法改正が保障されているのであるから裁判所に憲法の mediatorと

しての権限を与えてよいのではないか。この点我国の裁判官遣や友利裁判

の米人裁判官達がフランクファタ一流の司法消極主義を金科玉条のごとく

信奉している態度は改められねばならない。

上述の Clay事件のブラック判事の見解の如く、憲法判断をなすか、あ

るいは憲法判断を回避するかは裁量的なものであり、それを絶対的なルー

ルにまで高め、法律の解釈に終始して事件を解決すべきであるとするフラ

ンクファーターの考え方には賛成しかねる。特に沖縄は高等弁務官という

住民によって選挙せられない機関が最高の立法権を把持しているのである

から、住民の基本的人権に関する布令布告を Checkする機闘がなければ

ならない。それこそ裁判所による司法審査である。

41) その他に、議会の判断の尊重、 政府機関相互聞の適当なバランスの維持、

また判決が後になって誤りである乙とが判明した場合憲法法理に高められ

なかったならば、たやすく改めることができるということなどもあげられ

よう。

42) West Virginia State Board of Educ. v. Barnette, 319 U. S. 624.

43) Eugene V.“Rostow, The Democratic Character of Judicial Review

(1)" in The sovereign Prerogative 152.

-45-

Page 29: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

然るにこのような議論に入る前に先決的問題として種々のものがあるυ

先づ第ーに考究さるべきは、琉球政府裁判所に司法審査権=布令審査権が

あるかどうかということである。それを肯定する学説や判例は有力であ

る。友利判決においても民政府裁判所は布令審査権の存在を明確に認めて

いる。けれども私は、他の論者と同じく、シムズ判決申の布令審査権の寄

在を宣明している部分は、拘束力ある判決理由 (ratiodecidendei) では

なく、傍論 (obitadictum)であったと考える。伺故ならば、シムズ判決

において、判決理由の重要な部分は、布令審査に依拠して得た判断の論理

過程ではなくして、むしろ布令審査回避に依る布令の制限解釈の論理過程

でみるからである。

けれども、私は琉球政府裁判所および民政府裁判所に司法審査権=布令

審査権が脊在することについて異議を称える者ではない。理論的に承認で

きょう。しかし、沖縄のおかれている政治条件の中で、布令審査権が知何

ほどの意味をもつだろうかということである。理論的に承認できる司法審

査権色、沖縄の統治形態に思いを至すとき、それは神話に等しいと断ずる

ことは早計であろうか。

司法審査権は司法権優位 (judicialsupremacy)の伝統のある民主国

家においてのみその機能を発揮できるのであり、沖縄のごとく三権の頂点

にオールマイティたる高等弁務官を有する異常な政治形態は、司法審査権

がはぐくまれる立地条件ではない。統治者たる高等弁務官の布令を被治者

側に立つ琉球政府裁判所が無効と宣言しても最終的裁判権を高等弁務官に

よって一方的に任命されるアメリカ人裁判官によって構成される民政府裁

判所が掌握している以上、同裁判所が布令無効の判断をする可能性またほ

蓋然性は益々少くなってくる。民政府裁判所は布令無効の判断を回避せん

がために、友利判決にみる如く、限定的法律解釈を採用するであろう。

この友利裁判こそ民政府裁判所の全貌を物語っているといっても過言では

ない。

-46ー

Page 30: 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 19-47 Issue Dateokinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11001/1/Vol9No1p19.pdf · 告の審査権の存在は判決の中に先例としての拘束力ある判決理由

民政府裁判にみる布令無効判断の回避

けれども沖縄においては司法審査の適切な運用は期待できないといって

も、その存在意義が全くない訳ではない。下級審において、布令無効の判

断がなされれば立法者たる高等弁務官は、法的効果としてでなく、政治的

圧力の故に立法上の配慮ぞ促がされるからである。シムズ判決が言渡され

て一週間も経たないうちに、問題となった布令68号第22条後段を廃止した

のは、判決の効果としてでなく、政治的考慮の結果によるものであったこ

とは組起きれねばならなし、。

ともあれ琉球住民の基本的人権佐保障するには現法体系の下では不充分

である。住民の願望である日本復帰の実現により日本法体系下に組入れら44)

れるか、さもなければジョーツ教授が主張する知く、民政府裁判所から米

国第九巡回裁判所への上訴を正式に認めなければ司法審査の適切な方法を

見出すのは困難であろう。

44) B. J. George, Jr., The United States in the Ryukyus" New York

University Law Review. 809 閥訳、佐久川・{中原 (沖大論議7巻1号

96頁).

-47-