close up 5 11 月号 テーラーメイド 医療の 現在。 研究成果よ …...close up...

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02 Topics 科学技術でアジアの連携を。 中国総合研究センターの取り組み 言語の熟達度が脳で見える! 01 Topics 外国語としての英語力と密接に関係する脳部位を特定 月号 研究領域 研究成果より Vol.5 No.11 2009 February 2 メイド医療を 目指したゲノム情報 活用基盤技術 Close up メイド 医療の 現在。

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  • 02Topics 科学技術でアジアの連携を。 中国総合研究センターの取り組み

    言語の熟達度が脳で見える!01Topics外国語としての英語力と密接に関係する脳部位を特定

    月号

    研究領域

    の 研究成果より

    Vol.5 No.112009 February 2

    テーラーメイド医療を 目指したゲノム情報 活用基盤技術

    Close up

    テーラーメイド 医療の 現在。

  • 2月号

    Vol.5 No.112009 February

    編集長:福島三喜子 (JST)/編集・制作:株式会社トライベッカ/デザイン:中井俊明/印刷:株式会社テンプリント

    Contents

    (文・西田節夫)

    偶然と洞察 アレクサンダー・フレミング

    [1945年ノーベル医学・生理学賞]

    Granger/PPS通信社

     1928年9月初めのある朝、1カ月余りの夏休み

    からロンドンにもどった細菌学者フレムは、聖メア

    リー医学校内の研究室に積み上げられたペトリ

    皿と格闘していた。休暇前にブドウ球菌を各皿

    の培地に植えつけておいたのだが、研究に役立

    ちそうなめぼしいものは少なく、ほとんどの皿は殺

    菌液を満たした容器に漬けられ、培地は廃棄され

    る運命にあった。

     そこへ若い同僚が訪ねてきた。フレムは同僚

    に培地を見せるため手近にあるペトリ皿を取った。

    廃棄予定の培地である。そのとき、ふと彼は奇妙

    なことに気づいた。培地の中では、増殖したブド

    ウ球菌のコロニー(集団)とは別に、どこからか舞

    い込んだカビが大きな塊に成長していた。微生

    物が培地に混入すること自体は珍しいことではな

    い。奇妙なのは、円形に成長したカビの周囲に

    だけはブドウ球菌がなく、透明になっていたことで

    ある。黙り込んでこれを観察していた無口なスコ

    ットランド人は、やがて口を開いた。「これはおも

    しろい」――愛称フレムことアレクサンダー・フレ

    ミング(Alexander Fleming:1881~1955)が

    世界で初めて抗生物質を発見した際の、世に有

    名なエピソードである。

     そこで起きていたのは、カビが産生する“何も

    のか”がブドウ球菌の発育を阻止するという現象

    だった。フレミングはその“何ものか”を、混入し

    たカビがペニシリウム属の一つであるところから、

    「ペニシリン」と命名した。その後、同様の性質

    を示す物質が続々と発見されるに及び、一般に

    「微生物が産生し、他の微生物の発育を阻害す

    る化学物質」のことを、抗生物質(antibiotic)と

    呼ぶようになったのである。

     もっとも、ペニシリン発見は偶然の連続でもあ

    った。混入したカビがペニシリンを産生する種類

    だったこと、夏休み中の天候や室温がカビの成

    長に適していたこと、フレミングが手に取ったのが

    そのペトリ皿であったこと等々、彼の伝記は七つ

    もの偶然を列記し、発見につながる確率は、「す

    べての出走馬の名前を書いた紙を入れた帽子の

    中から、七レース連続してレースの順に勝ち馬を

    引き当てるに等しい」*と書いている。しかし、練

    達の細菌学者の洞察あっての発見だったことは

    もちろんで、フレミングの功績は些かも減じない。

     とはいえ、フレミングは薬品としてのペニシリン

    開発に成功したわけではない。1940年にペニシ

    リンを薬剤化し、工業生産にも成功して世界に

    巨大な貢献をなしたのは、H.W.フローリー、E.B.

    チェインらオックスフォード大学のチームである。

    そこで1945年のノーベル医学・生理学賞は、フ

    レミング、フローリー、チェインに与えられたのだっ

    た。

    *『奇跡の薬 ペニシリンとフレミング神話』 グウィン・マクファーレン(北村二朗訳)平凡社 1990

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    16

    Topics01

    Topics02

    外国語としての英語力と密接に関係する脳部位を特定

    言語の熟達度が脳で見える! 中国総合研究センターの取り組み

    科学技術でアジアの連携を。  ようこそ、私の研究室へ 河合 潤 京都大学大学院工学研究科教授   サイエンス チャンネル ベスト・セレクション

    グレゴリオの迷宮     ~暦の科学~ 

    遺伝子の情報を生かして、一人ひとりに合った予防や治療を行う「テーラーメイド医療」が、医療の常識を大きく変えつつある。 そんな現状に、研究領域「テーラーメイド医療を目指したゲノム情報活用基盤技術」の2つの研究成果から迫った。

    06

    03Close up

    科学技術振興機構の最近のニュースから……

    JST Front Line 研究領域「テーラーメイド医療を目指したゲノム情報活用基盤技術」の研究成果より

    テーラーメイド医療の現在。

  • 03

    大量解雇、景気下落など、暗い話題が続く今日この頃ですが、 今月紹介する最新の科学技術の研究成果やシンポジウムなどが、そんな状況を打破する大きな力になりますように!

    NEWS 02企業ニーズ主導型の“事業化志向が明確な産学連携”へ! 「産から学へのプレゼンテーション」を開催。

    「免疫難病・感染症等の先進医療技術」研究領域が終了シンポを開催。 世界中にインパクトを与えた数々の研究成果を報告。

    NEWS 01

    新規事業

    シンポジウム

    当日は3時間半にわたる3社からのプレゼンテーションのほか、個別相談の場も設けられました。

    NEW

     産学連携を推進する新たな試みとして、「産から学へのプレゼンテーション」第1回が、2008年12月4日(木)、東京・JSTホールで行われました。  近年、競争力強化や新事業創出の有効な手段として、産学連携が活発に行われるようになりました。しかし、それらはほとんどすべて、「学(=大学等研究機関)」が「産(=産業界)」に対して、「こういう研究成果があります」「こういう用途が考えられます」と、シーズを発表するかたちで行われています。その結果、両者の距離も縮まってきましたが、その連携がすぐ事業化へとつながるとはいえません。

     今回の試みは、発想を変えて、「産」から「学」へ、「解決したいこんな課題があります」とニーズを発表することで、さらなる活性化を図ろうという狙いから

    企画されたものです。例えば「産」の側からは、「解決が難しいと思っている課題が、意外にハードルの低いものだとわかった」、「学」の側からは、「事業化につながりやすい研究の方向性へのヒントをもらえた」といった成果や気づきが生まれると期待されます。  当日は、「産」から3社の発表に対し、「学」からは大学・公的研究機関・TLOのコーディネータや研究者、約90人が聴講に訪れ、関心の高さがうかがえました。すでに第2回を終え、第3回は2月26日(木)に開催。いつもの「話し手」と「聞き手」が立場を変えることで、どんな刺激が生まれるのか注目されます。

     iPS細胞(人工多能性幹細胞)の発見、インフルエンザや赤痢の画期的なワクチンの開発など、数々の研究成果を残した戦略的創造研究推進事業CRESTの研究領域「免疫難病・感染症等の先進医療技術」が今年度をもって終了。それを機に、第 5回(最終)公開シンポジウムが、2008年12月15日(月)、東京コンファレンスセンター・品川で行われました。  この研究領域は、成果の大きさだけでなく、それを成し遂げたのが、採択時には決して有名とはいえなかった研究者だったことも注目を集めました。「大きな研究室の出身でなく、研究資金に恵まれていませんでしたから、採用されたことに感謝しています」と振り返るのは、iPS細胞の樹立で世界中を驚かせた山中伸弥・京都大学物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長/再生医科学研究所教授。従来法では困難なインフ

    ルエンザワクチンの開発に成功した河岡義裕・東京大学医科学研究所教授も、「アメリカから帰ってきて日本の学界に人脈がなく、途方に暮れていたところ、この資金を得られたのはありがたかったです」と語りました。  こうした抜擢を積極的に行った研究総括の岸本忠三・大阪大学教授は、人材を発掘するために必要な姿勢として、「実際に話を聞いたり、論文を読んだりして、どこで、どんな人が、どんな研究をしているのか、常に勉強すること」を挙げていました。山中教授の、「言葉は悪

    いですが、鬼軍曹にしごかれる仲間たちのような連帯感が生まれました」との発言からは、若き研究者たちが互いに刺激し合い成長していく姿が見えてきます。  今回、抜擢され、成果を挙げたメンバーが、やがて研究総括となったとき、かつての自分を思い出して若手を抜擢する――そんなつながりこそ、日本の科学技術の継続的な発展につながるのでしょう。

    当日の記者会見にて。世界中に大きなインパクトを与えた山中教授(右)のiPS細胞の発見も、岸本研究総括(左)の抜擢から生まれました。

    Symposium

    2月号 2009 科学技術振興機構(JST)の最近のニュースから……

  • 04

    科学技術振興機構(JST)の最近のニュースから……

    量子コンピュータ実現に向けての大きな障害を克服! 電子スピン状態を光パルスで完全制御することに成功。

    NEWS 03 研究成果

     超高速の情報処理など、常識では困難とされる問題を解決する、未来型コンピュータとして期待される量子コンピュータ。その実現への一里塚となる、「電子スピン状態の光パルスによる完全制御」に、情報・システム研究機構国立情報学研究所の山本喜久教授らの研究チームが成功しました。戦略的創造研究推進事業発展研究SORST「量子もつれプロジェクト」の研究課題「光を用いた量子情報システムの研究」による研究成果です。  量子コンピュータの実現には、量子情報を保存するスピン状態を完全に制御することが重要です。そのための有力な方法として、電子スピンの基底状態と励起状態のエネルギーに共鳴したマイクロ波を照射し、回転させる「電子スピン共鳴法」が行われています。しかし、マイクロ波を使った場合、制御にかかる時間が数ナノ秒~数十ナノ秒以上(1ナノ秒=10億分の1秒)になり、その間に多くの量子情報が失われてしまうという課題がありました。  山本教授らは、マイクロ波の代わりにそれより5桁も周波数が高い光波のパル

    ス(光パルス)を用いれば、大きな障害となる課題を解決できると考えました。そして、実験を重ねた結果、制御にかかる時間をわずか1ピコ秒~10ピコ秒(1ピコ秒=1兆分の1秒)と、マイクロ波の場合の1000分の1以下にまで短縮することに成功したのです。  さらに、2つの光パルスを時間差を変えて照射し、電子スピンの状態を測定する「ラムゼー干渉」と呼ばれる実験により、電子スピン制御が正しく制御されて

    いることも証明されました。  また、山本教授らは、保存されている量子情報が失われるまでの時間(デコヒーレンス時間)が理論的に10ミリ秒程度と非常に長いことも発見しました。今回開発された光パルスによる電子スピン制御技術を用いれば、デコヒーレンス時間内に10億回もの計算を行うことが可能となります。  スピン状態の初期化(古い情報の消去)、スピンの回転(新しい情報の書き込み)、スピン状態の検出(情報の読み出し)という、スピン制御技術にかかわる研究成果によって、大規模な量子コンピュータの実現に一歩、近づいたといえそうです。

    電子スピンのラムゼー干渉パターン

    NEWS 04 ベンチャー企業設立 大学発ベンチャー創出推進の研究開発成果を事業展開。 “進化的画像処理”をもとにしたソフトウェアを製造・販売。

     CCDカメラなどで撮影された画像情報は、工業製品のキズやムラの検出、病院での診断、人物の追跡や確認によるセキュリティの確保など、さまざまな場面で使われています。その現場で役立つ自動化・省力化された画像処理自動構築ソフト(クラフトイット)が、ベンチャー企業「(株)マシンインテリジェンス」によって発売されました。独創的シーズ展開事業・大学発ベンチャー創出推進の研究開発課題「進化的画像処理による画像処理・認識システムの研究開発」(開発代表者:長尾智晴・横浜国立大学教授)の成果をもとにしたものです。  撮影された画像を利用するには、必要な情報を取り出し、判断しなければなりません。これまでは、その技術が理論化

    されておらず、例えば、熟練の技術者が多数の事例から「これはキズ」「これはキズでない」と判断し、時間をかけて処理していくしかありませんでした。  長尾教授らは、生物の進化から着想を得た最適化・探索法「進化計算法」などを用いて、いくつかの事例をコンピュータに認識させるだけで複雑な処理を自動的に行える「進化的画像処理・認識技術」を開発。この技術をもとに2008年7月、(株)マシンインテリジェンスを設立し、このほど画像処理自動構築ソフトの製品化を終えて、販売を開始しました。従来のプロセスを圧倒的に省力化、低コスト化し、不可能だった技術の実現も可能なこの製品が、画像処理の新たな地平を開いてくれそうです。

    販売するソフトウェアのパッケージ

    0

    40

    60

    80

    100

    0.5 1 1.5

    電子スピンの状態(π)

    2 2.5 3

    0

    1

    2

    3

    2つの光パルスの照射時間差(ps)

    励起状態

    基底状態

    電子スピンの基底状態(暗)と励起状態(明)の周期的な変動が、状態を制御できていることを表しています。

    February 2009

    NEW

  • 05

    右脳と左脳の違いを発見! 海馬にあるシナプスの、形や大きさの違いを明らかに。

    NEWS 05 研究成果

     脳の左右のミクロの構造レベルでの違いを、自然科学研究機構・生理学研究所の篠原良章研究員、重本隆一教授らが明らかにしました。戦略的創造研究推進事業発展研究SORSTの研究課題「記憶の脳内表現と長期定着のメカニズム」の、自然科学研究機構・生理学研究所や理化学研究所との共同研究による成果です。  近年、脳イメージング技術の進歩などにより、右脳と左脳の、はたらきの違いが明らかになりつつあります。しかし、

    その違いは細かい構造レベルでは明らかになっていません。そこで研究チームでは、これまでに、マウスの脳の中でも記憶をつかさどる海馬に着目し、神経伝達物質(情報を伝える信号となる化学物質)を感じるたんぱく質「グルタミン受容体」などを手がかりに、右脳と左脳のさまざまな違いを明らかにしてきました。  篠原研究員らは、今回、海馬のCA1領域にあるシナプス(ある神経から別の神経に信号を伝える場)の形や大きさに

    ついて電子顕微鏡を用いて観察しました。その結果、シナプスには、小さいものと、大きくてマッシュルーム状のものがあることがわかりました。また、それぞれに含まれるグルタミン受容体について調べたところ、分子の数(密度)や豊富に含まれる種類に違いがあることがわかりました。さらに、そのつながり方に着目し、CA3領域から信号が送られているシナプスについて調べたところ、形や大きさの違いの現れ方が、左右で異なっていることも突き止めました。  この研究成果は、脳の左右の構造の違いをシナプスに関して明らかにしたという点で、画期的なものです。また、今回、左右で違いが見られたグルタミン受容体の量や種類は、記憶の原理として注目される長期増強という現象に影響していることがすでに知られています。これと今回の成果とを関連させれば、長期記憶の起こりやすさの、右脳と左脳による違いについても見えてくるかもしれません。脳の構造とはたらきに関する、さまざまな研究成果のコラボレーションが、脳の秘密をさらに解き明かしてくれそうです。

    NEWS 06 シンポジウム 「SIST(科学技術情報流通技術基準)セミナー2009:参考文献の書き方」を 京都(2月20日・金)と東京(3月10日・火)で開催。

     論文執筆、学協会誌・技報の編集、大学・図書館・企業での情報関連業務など、科学技術情報に携わる方々のために「SISTセミナー2009:参考文献の書き方」が、京都(2月20日・金、京都リサーチパーク)と東京(3月10日・火、東京・JSTホール)で開催されます。  SIST(Standards for Information of Science and Technology=シスト:科学技術情報流通技術基準)とは、JSTが行っている、科学技術情報が円滑に流通するための標準化事業のこと。抄録、書誌、雑誌、索引など、情報にまつわるさまざまな事項について、構成、項目、表記法などの原則や指針を示し、冊子やホームページ(http://sist-jst.jp/)などを通じて公開しています。

     その普及活動の一環として、毎年セミナーを開催しています。今年は、慶應義塾大学理工学メディアセンターの市古みどり事務長に、同大学の「eラーニングシステムKITTIE」について、川村学園女子大学教育学部の藤田節子准教授には、SISTのなかでももっとも活用されている「参考文献の書き方」に関する基準(下写真の冊子参照)について語っていただ

    きます。  科学技術情報流通の整合性を高めるSISTは、知っておくと、情報を発信するときにも、探すときにも役に立つガイドラインです。興味のある方はこの機会にぜひ、ご参加ください。  詳しい内容や申し込みは、SISTセミナーのホームページで。 http://sist-jst.jp/seminar2009/

    Symposium

    参考文献の 役割と書き方

    右脳と左脳の神経のつながり方の違い

    SISTの普及の一環として、もっとも活用され、今回のテーマの1つである参考文献についてまとめた小冊子。ホームページからもご覧になれます。

    小冊子

    小さなシナプス 大きな マッシュルーム型の シナプス

    信号が、海馬のCA3領域から海馬のCA1領域に伝わるときの、右脳と左脳によるシナプスの違いを示した図。青色は左脳のCA3領域およびCA1領域を、赤色は右脳のCA 3領域およびCA1領域を表しています。右脳のCA3領域から同じ右脳のCA1領域、もしくは左脳のCA1領域に伝わる場合、シナプスは大きくマッシュルーム状ですが、反対側の左脳のCA3領域から同じ左脳のCA1領域、もしくは右脳のCA1領域に伝わる場合、シナプスは小さいことがわかりました。

    海馬(CA1領域)の神経

    同じ側からの入力

    反対側からの入力

    海馬(CA3領域)の神経

    左脳 右脳

    科学技術情報の 流通に役立つ内容が いっぱいです。

  • 留学先での遺伝学との出合いが 大きな転機に。 これまで見えなかった情報も

    遺伝子からなら得られる。

    06

    「いまは白衣を着ることは滅多にありませ

    んね」――そう言って微笑むのは東海大学

    総合医学研究所の井ノ上逸朗教授だ。背後

    に並ぶ数台のコンピュータ。医療という言

    葉から思い浮かべる一般的なイメージとは

    異なるこの光景こそ、テーラーメイド医療

    の現在の姿の象徴といえる。

     元来、井ノ上教授の専門は生化学。多く

    の人が悩まされるありふれた病気の原因を

    体系的に明らかにしたいという志を抱き、

    研究に明け暮れていた。しかし、大学院を

    卒業して本格的な研究生活に入ろうとした

    頃、ある先生の言葉に大きな衝撃を受ける。

    「『医学は学問ではない』――そう言われ

    たのです。医学は、新しい診断技術が生ま

    れるたびに変わっていく。そこには体系も

    なく、学問とはいえないと」

     失意のなか、1989年に留学したアメリ

    カのユタ大学で、再び大きな衝撃を受けた。

    「留学初日に、当時の教授が、ホワイトボ

    ードに数式をびっしり書いていったんです

    よ。何のことかさっぱりわからなくて、呆

    然としました」

     それは、日本にいた頃はまったく学んだ

    こともない、遺伝子解析に必要な統計学の

    理論だった。当時のユタ大学には遺伝学者

    が多数集まり、最先端の研究を進めていた

    のだ。そして、遺伝学についての知識を深

    めるにつれ、最初に感じた戸惑いが希望へ

    と変わっていく。

    「ユタ大学ではすでに、高血圧というあり

    ふれた病気の原因となる遺伝子の特定や、

    病気のメカニズムの解明に着手していたの

    です。『遺伝学を生かせば、医学が学問に

    なる!』と思いました」

     さっそく、生化学から人類遺伝学の研究

    室に移り、高血圧の遺伝子の研究に取り組

    みはじめる。まったくの門外漢だったが、

    統計学の基礎から学び、白衣を脱いでコン

    ピュータと格闘しながら、約6年間、夢中

    になって研究に打ち込み、成果を上げて帰

    国。胸の奥では、日本を離れた時にはしぼ

    んでいた志が、再び大きく膨らんでいた。

     井ノ上教授は2003年から戦略的創造研

    究推進事業CRESTの研究領域「テーラー

    メイド医療を目指したゲノム情報活用基盤

    技術」の研究課題「sub-common disease

    の感受性遺伝子同定と個人型易罹患性診断

    への応用」の研究代表者となり、研究を進

    めている。その成果の1つとして、2008

    年11月に発表されたのが、「脳動脈瘤の感

    受性遺伝子の同定」だ。

     脳動脈瘤とは、脳の血管の壁がコブ状に

    ふくらんだもので、成人の日本人100人の

    うち数人(2~6%)の脳にあるといわれる。

    コブが大きくなって破裂することで引き起

    こされるのが、くも膜下出血。患者の半数

    近くが死に至り、死を免れても後遺症で苦

    しむことが多い深刻な病気だ。井ノ上教授

    は、フィンランド白人、オランダ白人、お

    よび日本人の脳動脈瘤患者約2200例と、

    脳動脈瘤を持たない対照群8000例のゲノ

    ム全域の遺伝子データを比較・分析。その

    結果、脳動脈瘤患者には、3つの遺伝子領

    域に「遺伝子多型」、すなわちDNAの塩基

    配列上の特徴が見られることを突き止めた

    (右下画像参照)。

    「これらのうち1つだけでは、脳動脈瘤発

    生のリスクは約1.4~1.7倍にしかなりま

    せん。ところが、3つすべてを持っている

    と、リスクは約7倍に跳ね上がるのです」

     互いに影響し合って疾患を引き起こす「感

    受性遺伝子」が同定されたことは、脳動脈

    瘤の発生メカニズム解明のきっかけとなる。

    そこから、脳動脈瘤の発生を抑え、患部を

    小さくする薬の開発などが期待できる。そ

    の先に見えてくるのが、一人ひとりに合っ

    た「テーラーメイド医療」の実現だ。現在

    の医療現場でも、できうる限り治療は一人

    脳動脈瘤の要因としては、体質的な遺伝要因のほか、喫煙、飲酒などの生活習慣や、ストレスなどの外的刺激などが考えられる。脳動脈瘤は存在するだけでは症状を出すことは稀だと考えられるが、こうしたいくつもの要因が複雑に絡み合い、破裂することで、くも膜下出血を引き起こす。

    研 究 領 域「 テ ー ラ ー メイド 医 療 を 目 指し た ゲ ノム 情 報Close up

    遺伝子の情報を生かして、一人ひとりに合った予防や治療を行う「テーラーメイド医療」が、医療の常識を大きく変えつつある。そんな現状に、 

    脳動脈瘤の感受性遺伝子を同定。 井ノ上逸朗 教授 東海大学総合医学研究所

    Part01

    脳動脈瘤 の

    危険因子

    いくつもの危険因子が 絡み合って発症する!

    生活習慣 喫煙 飲酒 高血圧

    外的刺激 ストレス

    体質 遺伝要因

    くも膜下出血

    脳動脈瘤

    破裂すると……

    February 2009

  • 生活習慣などのデータも合わせて メカニズムの解明を。

    07

    ひとりの症状に合わせて行われているが、

    そこへさらに遺伝子情報を用いることで、

    そのレベルを、飛躍的に高めることができ

    るのだ。例えば、一人の患者の遺伝子を調

    べて、脳動脈瘤の発生リスクを診断する。

    さらに、脳動脈瘤の発生だけでなく破裂に

    かかわる感受性遺伝子を同定できれば、テ

    ーラーメイド医療の可能性は大きく広がる。

    「脳動脈瘤は、発生しても破裂さえしなけ

    れば、くも膜下出血にはつながりません。

    実際に、脳動脈瘤が破裂しないまま一生を

    終える人はたくさんいます。破裂にかかわ

    る感受性遺伝子を同定できれば、破裂する

    リスクが高いのか低いのかを遺伝子によっ

    てあらかじめ診断し、それぞれに合った治

    療を実現できるのです」

     病気に関連した遺伝子の探索は、この1

    ~2年、急速に進んだ。背景には、遺伝子

    情報の解析に関する技術の進歩がある。

    「以前は『連鎖解析』とよばれる手法が主

    流でした。兄弟や親子で同じ疾患にかかっ

    ている人たちに注目し、遺伝子の伝わり方

    を調べるのです。この手法では、遺伝子を

    400程度に絞るのが限界でした」

     現在、それに取って代わっているのが、

    今回の研究成果にも結びついた、患者と、

    それ以外の者とのゲノム全域の遺伝子情報

    を比較・分析する「患者対照関連解析(アソ

    シエーション・スタディ)」だ。これなら、

    領域を絞る精度をはるかに高められる。

    DNAチップ技術の進歩によって、1つの

    チップの情報を約30万~50万もの領域に

    分けて見ることができるようになり、初め

    て実現した解析法だ。ただし、この手法を

    用いるには人間の側にも技術が求められる。

    特に難しいのは、データの品質を管理し、

    見極めること。今回の研究は、アメリカの

    エール大学と共同で行ったが、井ノ上教授

    らのグループは技術の確かさが認められ、

    解析は日本側に任せられることになった。

     こうした熟練した技術を要するとはいえ、

    この手法ならある程度確実に、病気に関連

    した遺伝子を見つけ出すことができる。だ

    からこそ、世界中の研究者がこぞって取り

    組み、現在、専門誌の掲載論文の約半数は、

    この手法を用いた成果だという。しかし、

    井ノ上教授の視線は、すでにその先へと向

    けられている。

    「脳動脈瘤の発生や破裂もそうですが、生

    活習慣病に代表される多くのありふれた疾

    患 (common disease) は、遺伝要因と、喫

    煙・飲酒といった生活習慣などが複雑に絡

    み合って発症します(左頁図参照)。遺伝

    子の情報ばかり見ていては、メカニズムを

    明らかにはできません。脳動脈瘤について

    も、患者の環境要因をしっかりとデータ化

    し、分析していきたいと考えています」

     約20年前、「病気の原因を体系的に明ら

    かにしたい」という思いから、井ノ上教授

    はためらいなく白衣を脱ぎ捨て、遺伝学と

    いう未知の分野に飛び込んだ。いまもブレ

    ることのないその志が、テーラーメイド医

    療をさらに一歩、前に進めようとしている。

    1984 年、鹿児島大学医学部卒業。医学博士。アメリカ・ユタ大学に留学した後、群馬大学助教授、東京大学客員助教授を経て、東海大学医学部教授。生活習慣病などありふれた疾患の原因と成り立ちをゲノム解析によって探っている。

    DNPチップに組み込まれたゲノム全域の遺伝子情報を取り出し、解析する。

    脳動脈瘤患者のデータを脳動脈瘤のない人のデータと比較・解析することで、脳動脈瘤患者に特徴的な3カ所の遺伝子領域を同定した。

    活 用 基 盤 技 術 」の 研 究 成 果 より

    、 研究領域「テーラーメイド医療を目指したゲノム情報活用基盤技術」の2つの研究成果から迫った。

    ゲノム全域遺伝子多型(SNP)解析

    ゲノム全域アソシエーション・スタディの結果

    脳動脈瘤のかかりやすさを決めるSNP

    脳動脈瘤との関連の強さ

    ヒトの染色体番号(SNPの位置)

    Profile

    ありふれた 病気の

    メカニズムを 解明する。

  • ある種の肺がんを 「飲むだけで治す」特効薬。

    研究領域「テーラーメイド医療を目指したゲノム情報活用基盤技術」の研究成果より Close up

    08 February 2009

    40 年ほど前までは、がんの死亡数はダントツで胃がんが多かった。その後、肺がんが増加し続け、いまでは胃がんをはるかにしのぎ、10 年以上も第1位となっている。

    ( 厚生労働省「人口動態統計」より )

    がん遺伝子が強いからこそ 驚異的な効果を示す。

     遺伝子の情報を生かしたテーラーメイド

    医療のなかには、すでに医療の常識を革命

    的に変えはじめているものも少なくない。

    なかでもインパクトが強いのががん治療だ。

    戦略的創造研究推進事業CRESTの研究領域

    「テーラーメイド医療を目指したゲノム情報

    活用基盤技術」の研究課題「遺伝子発現調

    節機構の包括的解析による疾病の個性診断」

    からは、ある種の肺がんを〝飲むだけ〟で治

    す特効薬という、おとぎ話のような成果

    が生まれようとしている。

     自治医科大学ゲノム機能研究部の間野博

    行教授を代表とする研究グループは、すで

    に2007年、肺がんの原因遺伝子の1つとし

    てEML4-ALKを発見している。細胞の骨格

    となるたんぱく質を作るEML4遺伝子の半

    分と、酵素の1種を作るALK遺伝子の半分

    が融合する染色体異常によって生じるものだ。

     その研究をさらに進めた結果として、今

    回は主に2つの成果が発表された。まず、

    EML4-ALKが肺に特異的に発現するマウス

    を作製し、生後わずか数週間でその両肺に

    数百個のがん発生を認めたこと。これによ

    って、EML4-ALK遺伝子が間違いなく肺が

    んの原因であることを確かめた。そして、

    このマウスにALK阻害剤を1日一度、経口

    投与したところ、1カ月の治療で完治した

    ことだ。「完治」と表現したのは決して誇張

    ではない。むしろ控えめなくらいだ。なに

    しろ、がん細胞がまったく消えてなくなっ

    てしまったのだから。それも経口投与した

    すべてのマウスにおいて。

    「マウスの実験結果がそのまま人間に当て

    はまるとは限りません。しかし、理論上は、

    EML4-ALKのみを原因遺伝子とする肺がん

    ならば、外科的処置をいっさい行わず、薬

    を飲むだけで完治させられることが明らか

    になったと考えられます」

     そう語る間野教授自身の、興奮を抑えき

    れない口調が、この成果の価値を何よりも

    雄弁に物語っている。

     肺がんは、日本やアメリカなどの先進国

    におけるがん死因の第1位を占める疾患だ。

    がんの部位別に見た死亡数の推移を見ても、

    ほかの部位に比べて急速な伸びを示してい

    ることがわかる(上図参照)。EML4-ALKを

    原因遺伝子とするものは、肺がんのなかで

    は約5%で、若い世代に多い。また、肺が

    んのなかでも特に進行が早く、短期間で死

    に至る。こうした特徴は、EML4-ALKの、

    がん遺伝子としての強さに関連していると

    間野教授は解説する。

    「がん遺伝子には複数の種類があり、それ

    ぞれ強さが異なります。相撲の番付で例え

    るなら、EML4-ALKは横綱クラスの強さだ

    といえるでしょう。だから、発生したら急

    速に進行し、死に至らしめてしまうのです。

    一方、平幕クラスのがん遺伝子の場合は、

    それほどの威力がないため、若いうちに罹

    患したとしても気づきません。症状が現れ

    るのは、年齢を重ねて、そうした前頭クラ

    スのがん遺伝子に複数、侵されてからなの

    です。だから、相対的にEML4-ALKを原因

    遺伝子とするがんは、若い世代に多くなる

    のだと考えられます」

     そしてこの強さが、症状の深刻さの反面、

    開発された薬剤の驚異的な効き目につなが

    る可能性が高いという。

    「前頭クラスのがん遺伝子複数が原因とな

    っている患者の場合、仮に阻害剤などによ

    って1つを退治したとしても、ほかにもま

    だがん遺伝子が残っていますから、完治さ

    せることはできません。しかし、EML4-ALK

    は単独で症状が現れますから、それが原因

    遺伝子だと特定できたがん患者の場合、こ

    れ1つを退治できれば、がん細胞を一掃で

    きるでしょう」

     じつは、EML4-ALK の場合は特効薬の開

    発もすでに目星がついている。ALK遺伝子は、

    悪性リンパ腫の一部でNPM遺伝子と融合し

    てNPM-ALKという別のがん遺伝子になるこ

    とが以前から知られており、製薬会社が

    ALK阻害剤の開発を進め、すでに臨床試験

    に入っていた。そのALK阻害剤が、強力な

    EML4-ALKを原因遺伝子とする深刻な肺が

    ん患者にも効果があると考えられるのだ。

    ある種の肺がんを「飲むだけで治す」とい

    肺がんの原因遺伝子を発見。 間野 博行 教授 自治医科大学ゲノム機能研究部

    Part02

    日本における 「がん」の主な 部位別に見た 死亡数の推移

    (男性)

    昭和45年 50年 55年 60年 平成2年 7年 12年 16年 17年 18年 19年 0

    5,000

    10,000

    15,000

    20,000

    25,000

    30,000

    35,000

    40,000

    45,000

    50,000

    結腸 膵臓 食道 前立腺 直腸 胆のう

    肝臓

    白血病

    肺 47,685

    大腸

  • 09

    1984 年、東京大学医学部卒業。医学博士。東京大学医学部第三内科助手、自治医科大学医学部分子生物学講座講師等を経て、2000年に自治医科大学ゲノム機能研究部を立ち上げ、教授に。ゲノム解析によるがんの原因究明と治療法の開発を目指している。

    ALK阻害剤を1日一度経口投与したマウスと、しなかったマウスとを比較したところ、投与しなかったマウスは肺の腫瘍が大きくなり、腫瘍数が増えたが、投与したマウスは腫瘍が速やかに消失した。

    肺がん患者由来の外科切除標本からmRNAを抽出。がん化能を示す遺伝子を検索し、活性型がん遺伝子であるEML4-ALKを発見した。

    TEXT:十枝慶二/PHOTO:今井 卓

    ブレーキをかけるのではなく アクセルを踏ませなくする。

    う特効薬は、掛け値なしに、実現の一歩手

    前まできている。

     この画期的な研究成果は、偶然からもた

    らされたものではない。どうすればがんの

    効果的な治療法を開発できるか、間野教授

    が考え抜いた末にたどり着いたものだ。

    「抗がん剤のように増殖したがん細胞をタ

    ーゲットにするのではなく、がん細胞を増

    殖させる機能そのものを失わせようという

    分子的治療法は、すでに15年ほど前から行

    われてきました。しかし、顕著な治療効果

    につながったものと、そうでないものとが

    ある。この違いはどこから生まれるのかを

    考えたのです。そして、それぞれのがんに

    おけるカギとなる、活性型がん遺伝子を発

    見することこそ重要なのだと気づきました」

     すでに肺がんへの治療効果が認められて

    いるゲフィチニブ(製品名:イレッサ)は、

    上皮成長因子受容体(EGFR)遺伝子の突然

    変異が原因となる肺がんにおいて、EGFR

    遺伝子に直接はたらきかけている。しかし、

    ゲフィチニブも、EGFR遺伝子の突然変異

    以外が原因となる肺がんに対しては効果が

    ない。そこで間野教授は、まずは肺がんの

    キーとなる別の活性型遺伝子を見つけるこ

    とに注力しようと考えた。

    「キーとなる部分以外にはたらきかけるのは、

    ブレーキをかけてクルマを止めようとする

    ようなもの。がんにアクセルを踏み込まれ

    たら、さらに強くブレーキをかけるしかあ

    りません。それよりも、アクセルを踏ませな

    いようにしたほうが、はるかに効果的です」

     病気にかかわる遺伝子の発見には、ゲノ

    ム全域の遺伝情報を比較・分析する手法が

    主流となりつつある。しかし、間野教授は

    違うアプローチを試みた。がんの細胞株を

    取り出して培養し、スクリーニングしたう

    えで見つけ出そうというのだ。だが、発見

    までの道のりは決して平坦ではなかった。

    培養皿の上では、なかなか体内と同じよう

    にがん細胞にはならない。あきらめそうに

    なる研究メンバーを、「うまくいけばきっと

    世界を制することができる」と励まし、知

    恵を絞りながら、3年間かけて効果的な手

    法を見つけ出した。それが、やがて大きな

    成果に結びつく。喜びを研究メンバーたち

    と分かち合いながら、間野教授は、遺伝子

    情報によるテーラーメイド医療こそ、医療

    の明日を拓くと確信している。

    「肺がん診断の場合、例えば、これまでは

    喀痰を広げ、細胞の顔を見るようにしてが

    ん細胞の有無を判断しています。だが、こ

    のやり方では、摘出した細胞の3%はがん

    細胞がないと発見できません。そこまで進

    行してしまうと治療は難しい。しかし、遺

    伝子の情報による診断なら、早期発見が可

    能です。診断法も確立していますから、一

    般の定期健康診断などでも近い将来、導入

    できるでしょう」

     間野教授のグループは、自ら編み出した

    手法を用いて、すでに別のがん遺伝子の発

    見にも取り組んでいる。遺伝子情報による

    テーラーメイド医療の恩恵にわれわれがあ

    ずかる日も、遠くはない。

    活性型がん遺伝子「EML4-ALK」の発見 ALK酵素阻害剤による治療効果 Profile

    この研究は きっと世界を 制する!

    薬剤非投与群

    治療前

    25日後

    心臓

    肺がん 腫瘍

    薬剤投与群q 薬剤投与群w

  • 文法中枢

    文章理解中枢

    10 February 2009

    1964年生まれ。92年、東京大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。ハーバード大学医学部リサーチフェローなどを経て、現在は東京大学大学院総合文化研究科准教授。専門は言語脳科学。

    酒井邦嘉 (さかい・くによし)

    脳活動から 個人差の原因を 探るんです。

    fMRIで脳活動を見てみると……

    機能的磁気共鳴画像法(fMRI)は、脳内の

    神経活動にともなう血流の変化を測定し、画

    像化する方法である。これを使うと、実験対

    象者をまったく傷つけることなく、外部から

    脳活動を観察することができる。

    酒井邦嘉・東京大学大学院総合文化研究科

    准教授の研究チームは、fMRIを用いた実験

    を行い、外国語としての英語力に密接に関係

    する脳の部位の特定に成功した。

    この成果は、戦略的創造研究推進事業CR

    ESTの研究領域「脳の機能発達と学習メカ

    ニズムの解明」の研究課題「言語の脳機能に

    基づく獲得メカニズムの解明」によるものだ。

    今回の研究について、酒井准教授は次のよ

    うに語る。

    「外国語として英語を学ぶときに、すぐに身

    につく人もいれば、何年やってもなかなか身

    につかない人もいます。母語である日本語の

    獲得にはほとんど個人差がないのに、外国語

    の獲得には個人差がとても大きいというのは、

    脳に原因があると考えられます。そこで、学

    習者一人ひとりの脳の活動を調べれば、この

    個人差にかかわる脳の部位を特定できるので

    はないかと考えたのです」

    これまでに、酒井准教授の研究チームでは、

    中学校から英語の学習を始めた場合、大学生

    になるまでの6年で英語が定着するにつれ、

    左脳にある「文法中枢」と呼ばれる部位(中

    央下の写真参照)の活動が、最初は活発だっ

    たものが、だんだん節約される(省エネ化す

    る)ように変化することを明らかにしていた

    (右頁下段図参照)。

     これを踏まえて、今回の研究は、英語の学

    習を開始する年齢が違っても、同じように「文

    法中枢」の活動に変化がみられるかを確かめ

    ようと試みたものだ。

    その結果、学習開始の年齢の違いにかかわ

    らず、学習開始後6年を境にして、「文法中枢」

    の活動が省エネ型の方向に変化することがわ

    かった。

    今回の研究では、東京大学教育学部附属中

    等教育学校と加藤学園暁秀高等学校・中等学

    校の協力を得て、30人の中高生が実験に参

    加した。参加者は、中学校から英語の学習を

    始めた、学習5年未満の「短期習得群」と、

    小学校から英語の学習を始めた、学習6年以

    上の「長期習得群」の2群に分けられた。両

    群の違いは英語の習得期間だけで、平均成績・

    年齢など、その他の条件は、ほぼ同じになる

    ように調整された。

    実験は、この両群の中高生に対して、文法

    的に正しい英文かを判断する「文法課題」(例

    えば、「Do you often meet Mary?」「Yes, I

    often meet.」という文章を見て、文法的に

    正しいかどうかを6秒以内に答える、という

    テストを一定時間繰り返して行う)と、文中

    のスペリングの正誤を同様に答える「スペリ

    ング課題」の2つの課題を与え、それぞれの

    課題に取り組んでいるときの脳活動をfMRI

    で計測することで行われた。

    実際にこの研究で注目するのは、「文法課題」

    に取り組んでいるときに選択的に働く脳の部

    位の活動である。酒井准教授は、言語のなか

    で大きな要素を占めているのは文法だと考え

    るからだ。

    それではなぜ、「スペリング課題」を行っ

    たのだろうか。じつは、どのような課題であ

    っても脳のさまざまな言語中枢は活動してい

    る。そのため、「文法課題」に取り組む脳活

    動の画像を見るだけでは、文法に関係する脳

    の部位がどこであるかを特定することはでき

    ない。そこで、「文法課題」に取り組む脳活

    動から、「スペリング課題」に取り組む脳活

    動を差し引くことで、文法に関係する脳の部

    位を抽出することができるというわけである。

    実験の結果、「文法中枢」が成績との相関

    を示し、「文章理解中枢」と呼ばれる部位(中

    央下の写真参照)が、答えを出すまでの反応

    時間との相関を示した。それ以外の部位に選

    択的な相関関係は見られなかったことから、

    英語の熟達は、この2つの脳部位の複合的な

    機能変化によって担われていることが示され

    たのである。では、具体的にはどのような機

    能変化なのだろうか。

    右ページ中段の図は、短期習得群と長期習

    fMRIによる脳機能イメージング

    実験対象者は、「文法課題」「スペリング課題」の画像を映し出すゴーグルをつけて中に入る。

    英語の学習開始後6年で 脳活動は省エネ化する。

    英語獲得の個人差に関係する 「文法中枢」と「文章理解中枢」。

    言語中枢が活発に活動している。特に、文法中枢と文章理解中枢の活動が注目される。

    Topics 外国語としての英語力と密接に関係する脳部位を特定

    英語の 短期習得群が 示した文処理に 選択的な 脳活動

  • 音韻中枢

    短期習得群が示した脳活動と、文法課題の成績との関係 長期習得群が示した脳活動と、文法課題の成績との関係

    第二言語の習得時間

    脳活動

    獲得過程

    定着課程

    11

    学習開始直後は、文法中枢の活動が急激に上昇していく。その後、活動量は維持され、学習開始後6年を境にして、節約される方向に向かう。

    人間の左脳の 言語中枢

    単語中枢

    得群それぞれの「文法課題」における「文法

    中枢」の活動と成績の関係である。縦軸に活

    動量、横軸に成績をとっている。

    図を見て明らかなように、短期習得群では、

    成績が高いほど「文法中枢」の活動が活発に

    行われ、逆に長期習得群では成績が高いほど

    活動が少なくなっている。つまり、英語に熟

    達するほど「文法中枢」が効率よく使われる

    ようになるという機能変化が起きるのである。

    「最近、脳を活性化させると良いというよ

    うなことが世間でよく言われていますが、本

    当に熟達すれば脳の活動はむしろ少なくなり

    ます。脳が活性化しないことが熟達度を反映

    しているんですね」と、酒井准教授は言う。

     一方、「文章理解中枢」と反応時間との関

    係に関する実験結果は、当初は予想していな

    かったことだった。論文作成途中で、反応時

    間と関係する脳部位を検証したところ、わか

    ってきたものだそうだ。それによれば、短期

    習得群では反応時間が長いほど活動が活発化

    しており、長期習得群では逆に反応時間が短

    いほど活動が活発になることがわかった。英

    語に熟達するほど短い時間で文法中枢を活発

    にはたらかせることができるという機能変化

    が起きるのである。

    この実験結果だけを安易に見ると、「文法

    中枢」の効率化は、小学校から英語学習を始

    めたからこそ、6年経って成立するのでは?

     やはり、学習開始時期が重要なのでは? と

    いう疑問も出てくる。しかし、前述したよう

    に、中学校から英語を始めて大学までの6年

    間でも、「文法中枢」の効率化は明らかに

    されているのだ。つまり、学習開始時期が早

    いか遅いかは、英語の熟達に決定的な影響は

    なく、6年以上英語を学習することの重要性

    が示唆されるのである。無論この結果は、英

    語の早期教育を否定するということではない。

    当たり前のことだが、早く始めるほど学習期

    間が長くなるので、メリットはある。また、

    6年学習すれば必ず英語が熟達し、脳活動に

    変化が生まれるわけでもない。これには「6

    年間一生懸命やる」という条件がつく。

    今回の研究成果として大きいのは、英語の

    熟達に関する個人差を、「文法中枢」と「文

    章理解中枢」のはたらきから、目に見えるか

    たちで定量的に測定できることが示されたこ

    とにある。

    この研究の今後の展開として、以下の3つ

    の可能性が見えてくる。

    第1の可能性は、この結果を発展させて、

    人間が言語をどのように獲得していくのかと

    いうメカニズムの解明が、さらに進むことへ

    の期待だ。

    第2は、語学教育の改善への期待。学習の

    到達度を脳のはたらきの計測値として見るこ

    とができるので、教育方法を客観的に評価で

    きる。したがって、より効率的な教育方法を

    選択することができるようになると考えられ

    るのだ。また、なかなか語学の成績が上がら

    なくても、脳活動の変化が自分に起きている

    ことがわかれば、もっとがんばってやってみ

    ようという、英語学習のモチベーションにつ

    なげることができる。さらに、個人の向き不

    向きも、その人の脳活動からある程度予測す

    ることができるので、その人に合った、個性

    を伸ばすような学習方法を選択することがで

    きるようになるかもしれないのだ。

    第3には、言語障害の機能回復への応用が

    考えられている。言語回復の過程において、

    脳活動がどのように変化するかがわかれば、

    より効率的なリハビリテーションへの知見が

    得られると考えられるのだ。

    このように、言語獲得機構が科学的に解明

    されたことは、今後、大きな社会的意義につ

    ながると期待されている。

    第二言語 習得における 文法中枢の 活動変化

    脳活動

    文法課題の正解率

    成績と「正」の相関

    60 80 10040

    -2

    0

    2

    4

    6

    8

    10

    脳活動

    文法課題の正解率

    成績と「負」の相関

    60 80 10040

    -2

    0

    2

    4

    6

    8

    10

    意識的な 獲得過程

    自動的な 定着過程

    研究成果の意義と 今後の可能性。

    いつ始めても、外国語は熟達できる!

    機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いた実験で脳の活動を測定した結果、

    第二言語としての英語の獲得には、学習の開始時期よりも、英語に触れる年数のほうが

    重要であることが明らかにされた。その研究の具体的な内容と、期待される今後の可能性を紹介する。

    TEXT:大宮耕一/PHOTO:今井 卓

  • 主要国等の研究開発費の推移(購買力平均換算) 主要国等の研究者数の推移

    米国:343748 EU25:241369 EU15:230596 日本:138782 ドイツ:66689

    フランス:41436 韓国:35886 イギリス:35591

    中国:86758

    米国:139.5 EU27:130.1 EU15:108.7 日本:71.0 ドイツ:28.0

    フランス:20.4 韓国:20.0 イギリス:18.0

    12 February 2009

    アメリカ・コロンビア大学にて政治学博士号取得。東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、経済産業研究所研究員などを経て現職。政策研究大学院大学准教授を兼務。

    出典:JST研究開発戦略センター

    ※EU15:ベルギー、ドイツ、フランス、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、デンマーク、アイルランド、イギリス、ギリシャ、ポルトガル、スペイン、オーストリア、フィンランド、スウェーデン  EU25:EU15に加え、キプロス、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロバキア、スロベニア/EU27:EU25に加え、ブルガリア、ルーマニア

    出典:文部科学省「科学技術白書」(平成20年版)

    0

    (百万ドル)

    0.0

    20.0

    40.0

    60.0

    80.0

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    120.0

    140.0

    160.0(万人)

    50000

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    200000

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    300000

    150000

    350000

    1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007

    中国総合研究センター 副センター長

    角南 篤 すなみ・あつし

    中国:122.4

     近年、急速に経済発展を遂げている中国。

    経済面では日本とのつながりが深く、製造

    拠点であるとともに、13億人という人口を

    背景に、市場としての重要性も増している。

    ところが、こと科学技術となると、紹介され

    る機会は決して多いとはいえない。

     一国の技術力だけで有人宇宙船「神舟」

    の打ち上げに成功した報道などからもわか

    るように、科学技術力も急速に発展してい

    ることは明らかだが、実際にどのような研究

    が行われているのか、具体的な情報は乏し

    いのが現状だ。そのような状況のなか、中

    国総合研究センターでは、中国の科学技

    術の動向を紹介する活動を続けている。角

    南篤副センター長がこう説明する。

    「日本では、中国の科学技術について本

    格的に調査した報告はまだありませんが、

    研究費、研究者数、論文件数などは間違

    いなく急速に伸びており、すでに欧米諸国

    は中国の科学技術力に注目しています。

    特に多くの優秀な人材が輩出されているこ

    とへの関心は非常に強いんです」

     左下のグラフは各国の研究開発費の推

    移を示している。アメリカ、EU、日本ともに

    順調な伸びを示しているが、伸び率では中

    国も急成長している。右のグラフは各国の

    研究者数の推移を示したもので、中国は

    2000年頃から急増し、すでに日本を抜き去

    っていることがわかる。

     加えて、将来の研究者数を予測する意

    味で重要な大学入学者数を比較すると、

    中国は日本の7倍弱、しかも日本の学生よ

    りも理工系志向が強い。日本では、全大学

    進学者のうち理工系の学部への進学者が

    占める割合は3割程度であるのに対して、

    中国では約半数が理工系に進学している。

    全人口の分母数が大きく異なるので、単純

    な計算はもちろんできないが、将来の科学

    者が育っていく素地は十分であり、今後、

    中国はより多くの研究人材を輩出していく

    ことが確実である。

     また、改革開放政策が進んだこともあって、

    欧米に留学した中国人研究者が帰国し、

    中国の科学技術力を底上げしているという

    現状もある。その結果、現在では発表され

    る論文の数は日本に肉薄し、被引用件数

    も急増しているのだ。

     こうした中国の科学技術力の躍進を受

    けて、すでに欧米の研究機関は中国とのパ

    ートナーシップを築くべく動きはじめている。

    特に豊富な人材への関心は高く、中国が

    得意とする材料科学やソフトウェア開発な

    どの分野では、中国が世界の科学技術を

    推進する研究者の供給源になっている。

    優秀な人材を求めて、開発拠点を中国に

    置く企業も増えているという。

     欧米の科学メディアも中国の重要性を

    認識し、中国との連携を強めている。例えば、

    企業や研究機関を対象に科学技術情報を

    提供しているトムソン・ロイター社は、2008

    Topics 中国総合研究センターの取り組み

    躍進する中国の科学技術力。

    研究者数では日本を抜き去り 論文数、被引用件数で日本に肉薄。

    世界的な科学メディアも 中国を視野に情報提供を開始。

  • 13

    中国では経済が発展し続けているのと同様に、科学技術力も大きく飛躍している。

    しかし、具体的な現状はあまり知られていないし、日本では最新動向の情報を入手することも難しい。

    中国総合研究センターでは、中国の科学技術の紹介を通じて、日中の相互理解を目指している。

    2008年12月9日、10日/東京大学安田講堂にて開催

    日中科学技術シンポジウム

    Science Portal China

    http://www.spc.jst.go.jp/database/

    http://www.spc.jst.go.jp/

    中国総合研究センターに求められるものは?

    中国国内で発表された主要な文献が収録されており、日本語で検索できる。2009年1月現在、25万件以上のファイルを収録。日本語の抄録もあり、文献の内容を把握することができる。

    中国文献データベース

    サイエンス・ポータル・チャイナでは、より簡単に中国の科学技術の動向を知ることができるようになった。科学技術政策、科学技術分野別状況、産業・経済、教育・人材など、幅広い情報を掲載。

    年から英語以外の言語では初めて中国語

    による文献データベースを開設した。

     また、世界的に権威があるイギリスの科

    学雑誌「Nature」や、オランダの国際的出

    版社・エルゼビア社(アメリカの生物学雑

    誌「Cell」、イギリスの医学雑誌「Lancet」

    等を発行)は、それぞれ中国に現地法人を

    設立し、中国と欧米との間での科学技術

    情報の流通を担っていこうとしている。

     欧米諸国が自国の科学技術の発展に

    とって中国を重要な存在として位置づけて

    いるのに対し、日本の科学界はどのように

    対応していくべきなのだろうか。角南副セン

    ター長がこう続ける。

    「科学技術の分野でも発展を続ける

    中国を過大評価して“脅威”と考えるか、

    それとも強力な“パートナー”と考えるか、

    そこが問われているのではないでしょうか。

    中国を脅威と考え、日本の科学技術を保

    守し囲い込むという選択も、もちろんできます。

    しかし、科学技術というものは、たとえ隠し

    ても、遅かれ早かれオープンになるものです。

    ならば積極的に交流して、戦略的なパート

    ナーシップを築いていくほうが賢明だと思い

    ます」

     ただし、中国と戦略的なパートナーシップ

    を築くうえで、大きな障壁となるのが言葉の

    問題だ。英語で表記される国際的な学術

    雑誌への、中国からの論文投稿数が増加

    しているとはいっても、大多数の中国の研

    究者は、国内で発行されている雑誌に論文

    を発表している。中国国内で発行されてい

    る学術雑誌のうち、英語化されているのは

    わずか4%程度、中国の研究者と連携しよ

    うにも、基礎的な情報すら得ることが難しい

    のが現実だ。

     そこで、中国総合研究センターでは、中

    国の科学技術情報を提供する「サイエンス・

    ポータル・チャイナ」を開設。これまで入手

    の難しかった中国の科学技術の動向を効

    率的にチェックできるようにした。また、中

    国国内で発表された主要な文献を収録し

    たデータベース「中国文献データベース(JST

    チャイナ)」を開設し、日本語での検索を可

    能にした。

     このように、中国総合研究センターのミ

    ッションは、中国の科学技術政策や研究開

    発成果を日本国内に伝え、同時に、日本か

    らも中国に向けて情報発信を行い、両国の

    相互理解を深めること、さらにその活動成

    果が広く活用されるよう、研究機関など関

    係機関に情報を提供することにある。

     しかし、これからの中国総合研究センタ

    ーの役割はそれだけにはとどまらないと、角

    南副センター長は指摘する。

    「例えばアメリカの研究者がヨーロッパの

    研究者と連携をとる場合、言葉の問題が

    大きいのですが、これまではイギリスが常に

    その窓口になってきました。それと同様に、

    日本がアジアにおける同様の機能を担い、

    欧米諸国が中国などと連携する場合のゲ

    ートウェイになっていくべきだと思います。で

    すから、いまのところ中国文献データベース

    は日本語でしか検索できませんが、将来的

    には英語でも検索できるようにして、欧米

    の研究者にも利用してもらえるようにしたい

    と考えています」

     2008年12月には、中国の科学技術の

    現状と、今後の展望を紹介するシンポジウ

    ム「日中科学技術シンポジウム~躍進する

    中国科学技術力~」を開催した。そのなか

    で、中国総合研究センター・アドバイザリー

    委員長の有馬朗人・日本科学技術振興財

    団会長は、日本、中国だけでなく、東アジア

    諸国を中心とした科学技術の連合体の結

    成を提唱。この科学技術連合体の実現を

    目指すためにも、中国総合研究センターが

    中核機関となって、中国、そしてアジア諸

    国の連携を推し進める役目を担っていくこ

    とが期待される。

    TEXT:斉藤勝司/PHOTO:大沼寛行

    入手困難な中国の科学技術情報の 日本語データベースを開設。

    日本、中国の連携だけでなく 東アジアの科学技術連合体の創成を。

  • 14 February 2009

    23ようこそ 私の研究室へ

    Welcome to my laboratory

    「化学分析の新しい手法や測定装置の開発

    に取り組んでいます。既存の装置を改造し

    たり、新しい使い方を探したり、これまで

    にない装置を組み立てたりしています」

    「ここにある装置は、1つを除いて全部、

    もらってきたものです」

     実験室に入った河合潤さんは開口一番、

    愉快そうに語る。見渡せば、どれも年季の

    入った機械ばかり。科学の最先端の現場に

    来たのに、タイムスリップした気分だ。

    「これなんか、ふつう廃棄モノですが、た

    ぶん世界で一番いいデータを出しています」

    という79年製のX線分光器。装置の開発

    が本業だから、最新の装置を買って使うこ

    とに関心はない。

     小学生の頃から、化学実験や電気工作が

    大好きだった。「とにかく学校から帰ると

    部屋にこもりっきりで工作したり、実験し

    たりの毎日。勉強はぜんぜんしなかったで

    すね」。分解した電池から二酸化マンガン

    を取り出し、オキシドールを注いで酸素を

    発生させたり、電気部品を扱う店に通い、

    真空管でラジオを作った。強力なUHFの

    発振器を作って、近所のテレビの受信を妨

    げ、怒鳴り込まれたこともある。

     大学4年生になり工業化学の研究室に配

    属されたとき、実験器具や測定装置を前に、

    「これで好きなことがなんでもできる」と

    嬉しくて仕方がなかった。河合研究室では、

    学生たちの研究は基本的に放任だ。「院生

    が実験室で怪しげな機械を組み立てている

    んですが、なんでしょう。よくわかりませ

    ん」などと言う。研究は失敗も含めて楽し

    みながらやるもの――いまの学生にもそれ

    を体験してもらいたいと望んでいる。

    「専門はX線を使った分析技術の開発です。

    研究自体はとても楽しいのですが、アイデ

    アを育て、技術として世に送り出すまでに

    は、多くの人間的な苦労をともないます」

     X線といえばレントゲン写真だが、物質

    にX線を当てることでいろいろなことが調

    べられる。結晶に当てて、回折するX線を

    観測すると結晶構造がわかる。物質が吸収

    するX線のスペクトル(エネルギー分布)

    や吸収することで物質が放射する蛍光X線

    や電子からは、物質に含まれる元素の種類

    や濃度などがわかる。

     こうしたX線分析や解析を行う装置は用

    途によって、手持ちサイズの簡便なものか

    ら数百メートル規模の放射光施設まで、大

    小さまざまだ。河合さんは博士研究員時代

    に、それまで放射光施設で行われることの

    多かったある分析を、実験室に収まる既存

    の装置を活用して行う手法を思いつく。「徹

    夜明けのもうろうとした頭で、測定データ

    を眺めていて、ふと思いついたんです」

     ところが技術として確立するのに10年

    を要する。最初はアイデアの価値をなかな

    か認めてもらえず、研究費を獲得できない

    ことが枷かせ

    となった。周囲の援助でようやく

    実験ができたので、論文を投稿すると、今

    度は学術誌の査読者に拒否される。発表に

    こぎ着けるために、違う雑誌に投稿し直す

    こと数度。「独創的な論文ほど拒否される

    傾向がありますから、頑張って公表してお

    かなければいけません」。開発した技術は、

    特定の元素の試料中での化学状態を調べる

    方法で、現在はEXEFS法として知られる。

     こうした苦労を経て世に送り出した新し

    い分析技術や装置がいくつもある。

    「現在、JSTのプロジェクトで超微量有

    害元素分析装置を開発中ですが、アタッシ

    ュケースに収まるサイズで、放射光施設並

    みの検出下限を目指しています」

     開発中の装置は、試料にX線を照射して、

    含有する微量元素の種類や濃度を調べるも

    の。用途は、工業材料の検査や環境汚染調

    査、科学捜査など幅広い。簡便に扱える小

    型な分析機器を開発すれば、多くのシーン

    で潜在的な需要に応えることができそうだ。

     この分析ではX線のパワーが強いほど感

    度が高まるとされ、超微量の元素の分析に

    は、放射光施設が利用されてきた。一方、

    河合さんらはB4サイズの書類カバンの大

    きさの装置で、超高感度を目指す。すでに

    特定の試料に対しては、放射光施設にこそ

    及ばないが、市販の分析機器を上まわる感

    度を実現。「市販の装置を導入する場合、

    実験室にダクトを据え付けるなどの工事を

    要しますが、僕らの開発した、ごく弱いX

    線を使う装置には不要で、手軽に使えます」

     ブレイクスルーをもたらしたのは3つの

    “非常識”だ。検出下限を下げるためには、

    X線のパワーが強いほどよい、試料は多い

    ほどよいとされてきた。ところが実際には、

    パワーがごく弱く、試料が少ない条件で検

    出下限を下げる最適解が存在することがわ

    かった。さらに、高感度化のためには、余

    計なX線の波長を除き単色化するのが定説

    だったが、微弱なX線を照射するときには、

    単色化しない方がよいことも発見。

    「常識は役に立たないと思った方がいい。

    理屈よりも直感でやった方がうまくいく」

     囚われない発想で、人々の見落としてき

    た現象を発掘する河合さんの研究は続く。

    新しい技術は 非常識から生まれる。

    河合潤 (かわい・じゅん) 京都大学大学院工学研究科教授

    1957年岐阜県生まれ。82年、東京大学工学部工業化学科

    を卒業。86年、同大学大学院工学系研究科博士課程を中

    退し、東京大学生産技術研究所教務技官。89年、工学博士。

    同年、同研究所助手を経て、理化学研究所基礎科学特別研

    究員(第1期生)となる。93年、京都大学工学部助手。94年、

    同大学工学部助教授に就任。2001年より現職(材料工学

    専攻プロセス設計学分野)。07年10月より先端計測分析技

    術・機器開発事業チームリーダー(~2010年3月)

    「ハンディー型全反射蛍光X線元素センサー」 チームリーダー

    先端計測分析技術・機器開発事業“要素技術プログラム”

    ポンコツ装置で 世界一のデータを出す。

    逆風に耐えてこそ 独創的アイデアはものになる。

  •  理科の時間に習った原子の構造を思い出して欲しい。原子核が中心にあり、その周りを各電子がそれぞれに固有のエネルギー準位を占めて巡っている。そこへX線を照射すると、X線を吸収してエネルギーを得た電子が原子から放出。すると、その電子が占めていたエネルギー準位に空席ができ、より高いエネルギー準位の電子がそれを埋める。このとき、電子がエネルギー準位の差分を蛍光X

    線として放出。したがって、蛍光X線のスペクトルを詳細に調べれば、原子のエネルギー準位がわかり、元素の判別ができる。これが蛍光X線による微量元素分析の原理。  河合さんの開発したハンディー型の試作機は、すでに特定の試料に対して数十pg(ピコグラム。1兆分の1グラム)の検出下限を実現。fg(フェムトピコグラム。千分の1pg)といわれる放射光施設の検出下限には及ばないが、市販の分析機器とは互角だ。現在は、一般的な試料に対して高感度を実現するように改良中。

    研究の概要

    ハンディー型超微量有害元素分析装置の試作機。本体ボディは鉄製。工業デザイナーによるデザイン。

    15TEXT:黒田達明/PHOTO:大沼寛行/パース:意匠計画

    「斜入射型真空分光器」と「X線充電子分光器」の2台だが、あちこちパーツを外して、他の装置開発に流用され、現在は稼働しない。

    79年製。自動制御のモジュールが壊れて、「1分に1回ボタンを押さないと測定できない」全手動になった。

    300ミリ

    225ミリ

    ハンディー型超微量 有害元素分析装置の中身。

    東大から移管したX線分光器

    年季の入った機械のいたるところに直接マジックで書かれた、操作方法や注意事項。見た目は気にしない。

    X線検出器を開発中の作業机。動作テストを行うときに、X線が漏れないように鉛の遮蔽板で囲っているが、X線は乾電池で発生させる弱いもの。

    右下の黒い部分に試料を入れ、左側の銀の箱からX線を入射。1-2-3と書かれた箱が試料の発光する蛍光X線を検出。写真はA4サイズタイプで重量5kg。

    院生が組み立てた怪しげな機械

  • Vol.5 / No.11 2009 / February

    発行日/平成21年2月 編集発行/独立行政法人 科学技術振興機構 広報・ポータル部広報課 〒102-8666 東京都千代田区四番町5-3 サイエンスプラザ 電話/03-5214-8404 FAX/03-5214-8432 E-mail/[email protected] ホームページ/http://www.jst.go.jp JST News/http://www.jst.go.jp/pr/jst-news/

    暦はどのようにして作られてきたのか、そこでは どんな工夫がなされてきたのでしょうか?

     天体運動を観測して暦を作る技術は、最古の科学の1つです。とらえどころのない時間を「日、月、年」という単位で区切ることで、私たちの生活や社会に、秩序とリズムが作られています。  番組では、現在世界で使われている「グレゴリオ暦」が生まれたイタリア・バチカンを取材。貴重な「日時計の間」やバチカン天文台を訪ね、暦の仕組みをわかりやすく解説します。  そのほか、文化や宗教による暦の違いや、古代の暦、江戸時代の暦、旧暦などの歴史、また昔も今もほとんど変わっていない航海暦など、暦にまつわる意外なお話も紹介します。

     カレンダーって、家のどこにでも貼ってあって、誰もが毎日、目にするありふれたものですよね。でも、そんな身近なものに、じつは人間の歴史が始まった頃からさまざまな工夫がなされてきた、長~い物語があるんです。何気ない日常のなかにあって、人間が科学の力を使って試行錯誤してきた結果が凝縮されている、それが暦。その深くて広い世界を表現したら面白いだろうなと思い企画しました。  ですから、人々が暦を作るために天体の動きをとらえようと努力してきたということ、さらにそこには、宗教や文化といった科学以外の人間の営みが関係していること、そういった時間の流れというか、暦にまつわる全体像に興味を持ってもらえるといいなぁと思います。暦に限らず、いろいろなものに歴史があり、人間の知

    恵が幾重にも重なって今がある、そう感じてほしいというのが番組の狙いです。  見どころはやっぱりバチカン取材ですね。特に「日時計の間」は観光で行っても入れない部屋なので、ぜひ番組で見てほしい。当時こういった暦の部屋がはやったそうなのですが、人々の暦に対する思いが伝わってくるような、なかなか素敵なところでしたよ。

    再生紙を 使用しています。

    オープニング ナビゲーター役は謎のウサギ

    天球のしくみを紹介 江戸時代の暦

    バチカン「日時計の間」

    ……というわけで、      私のイチ押しは、

    ま だ ま だ あ り ま す !

    科学医療フロンティア

    見どころ:医療現場におけるさまざまな最先端技術をレポートするシリーズ。今回のテーマは「最新の胎児診断・胎児治療」。病気を早期発見する超音波検査による診断や、胎児に直接治療を施す「胎児治療」について紹介します。

    見つめてみよう! 植物の世界

    見どころ:今回のテーマは花の役割について。虫に花粉を運んでもらうために、花はさまざまな工夫をしています。形、色、匂い、花粉や蜜を与えたりなど。ハナバチだけに蜜を与えるために進化した、絶妙な仕掛けのある花も観察します。

    (株)映像館 プロデューサー

    2 0 0 7年度制作 4 4分

    第 1 0 回

     暮らしのなかの技術から、  最先端の実験・研究まで!

    オトナもコドモも、楽しみながら 科学技術に親しめる

     「サイエンス チャンネル」。 「サイエンス チャンネル」は、

    スカパー やインターネットなどで 放送されている番組です。 数あるプログラムのなかから、 厳選して、その魅力を ご紹介します。

    2 月の お す す め 番 組 ■インターネットで見る http://sc-smn.jst.go.jp/ にアクセス お好きな番組を無料のオンデマンド放送でご覧いただけます。 ※一部視聴できないものもあります。

    ■CS放送で見る スカパー 795チャンネル(懐かし音楽★グラフィティTV/keiba) 毎日15時~20時 視聴料無料 ※一部日程により18時~23時に放送。詳しくは番組ホームページをご覧下さい。 スカパー e2 300チャンネル(日テレプラス) 毎日朝8時~11時 視聴料無料 ※スカパー 等への加入には別途料金がかかります。 ■ケーブルテレビで見る 全国200のケーブルテレビ局でノンスクランブル放送中です。 ※放送日時等は各ケーブルテレビ局によって異なります。  詳しくは、お近くのケーブルテレビ局へお問い合わせください。

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