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夏目漱石

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次︵第一巻︶

第一部

夏目漱石

先生の思い出

先生と門下

先生と私

先生の文学的経歴

漱石文法

漱石の語学

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漱石の墓その他

伊藤左千夫を怒らした話

師弟の情誼

じょうぎ

漱石とドストエフスキー

漱石と寺田博士

漱石と生田長江

朝日文芸欄

漱石の書画

﹃煤煙﹄とその前後

松山巡礼記

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誰がいちばん愛されていたか

紅葉の﹃紫﹄と漱石の﹃坊っちゃん﹄

スウィフトと漱石

漱石研究

生い立ち

学校時代

時代の背景

初期の代表作

長篇時代

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初期の作品

︱解説と鑑賞

﹃吾輩は猫である﹄

﹃倫敦消息﹄と﹃自転車日記﹄

﹃倫敦塔﹄と﹃カーライル博物館﹄

﹃幻影の盾﹄と﹃薤露行﹄

かいろこう

﹃琴のそら音﹄と﹃趣味の遺伝﹄

﹃一夜﹄

﹃坊っちゃん﹄と﹃草枕﹄

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﹃二百十日﹄と﹃野分﹄

﹃虞美人草﹄と﹃坑夫﹄

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第一部

夏目漱石

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先生の思い出

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15

先生と門下

私はいま昂奮している︒先生が亡くなられてからほと

んど絶え間なしに人と応接していたので︑悲しいという

こともまだよくわからない︒最初は

︱こんなこと言え

ば︑唐突と滑稽の感を誘致するかもしれないが

︱雪隠

せっちん

へはいったとき︑やっと涙が差しぐまれるくらいのもの

であった︒この一両日はよく夜半に眼を覚ます︒そして

たまらなくさびしくなる︒昼間はまだ先生のお宅へさえ

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16

行けば︑いつでも先生に会われるような気がしている︒

こんなあわただしい心持ちでいるとき︑先生について語

るのはなんだか悪いような気がしないでもない︒

が︑それにもかかわらず︑﹃太陽﹄の依嘱に応じて︑

いしょく

ここに先生について筆を執ろうと決心したのは︑先生の

亡くなられた九日の夜︑私が新聞記者の応接係をして

︱それも口吃して弁の訥な私がみずから進んでなった

こうきつ

とつ

わけではない︑ちょうど記者諸君の押しかけたとき︑私

かその場に居合わせたから押しつけられたまでである

︱記者の問われるままに答えたところ︑ああいう場合

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17

にありがちなこととして︑私の言おうとしたことがかな

り多く誤まり伝えられた︒私はそれに対して責任を感じ

ないわけにはいかない︒で︑最近の機会においてそれを

是正しておきたいという欲望が私自身にある︒それと︑

も一つは私自身よりも適当な人がもしだれも書かないな

らば︑そして誰かが書かなければならぬとすれば︑せめ

て私が書くということがよりよいことであろうと信じた

、、

からである︒

先生の一生︑もしくは一生の事業について語ることは︑

私のいまの問題ではない︒それは︑いまの私にはできな

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18

い︒できてもしたくない︒私は主として先生と先生の門

下生との間の事情について語ろうとする︒

先生の門下生

︱と言っていいか︑とにかく先生の門

に出入りして教えを受けた青年の数多かったことは当代

の異数として差しつかえないと思う︒そして︑世間では

先生のことを文学上の教えを垂れる以外に︑よく門弟子

もんていし

の世話をする人︑世話好きの人として噂をするようであ

る︒実際︑先生はよく世話をした人であった︒が︑いわ

ゆるおせっかいな︑世話好きでは断じてなかった︒むし

ろ差し出がましく他人の事情に立ち入ることはきらいで

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19

あった︒きらいではあったが︑また人が困るのを見ては

うっちゃって通り過ぎられない人でもあった︒

人の窮を見て救うということは︑みずから犠牲をは

きゅう

らうことである︒みずから犠牲をはらうことは︑先生自

身の言葉に従えば︑非常に苦痛である

︱もっとも︑こ

ういう場合本人の言葉をどこまで信じていいかわからな

いけれども︑とにかく先生はそう言っていられた︒そし

て︑私自身もそれを信じようとしている︒が︑犠牲をは

らうことを苦痛に感ずるのは︑いよいよそれをはらうま

でで︑はらってしまってからはすぐにそれを忘れる人で

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20

あった︒他人に金を恵んでおいてから︑いつまでもそれ

をおぼえているような人ではなかった︒

これは先生の修養からもきていようが︑大部分は持っ

て生まれた性癖であったらしい︒とにかく︑先生は努力

なくしてそれを忘れることのできる人であった︒これを

見ても︑世俗のいわゆる世話好き︑もしくは親分気質の

人として先生を見る説は撤回してもらいたい︒親分気質

というものは︑子分を扶持しておいて︑それを土台にし

てみずから利しようとする気味がある︒意識的にはなく

とも︑少なくとも意識下にはある︒先生は門下生によっ

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てなにひとつ利せられたことはない︒

先生の葬式が十二日に済んだ明くる日︑一人の雲水が

玄関へ訪ねてきた︒聞いてみると︑それは七年前に先生

が胃腸病院にいられるころ一度訪ねてきた青年だそう

な︒親が破産したあげく︑坊主になれと遺言して死んだ︒

ところが︑青年は坊主よりも小説家になりたい︑だから

弟子にしてくれというのだ︒先生は文学者としての成功

の困難を説いて︑それよりも親の遺言に従って︑大きな

寺へでもはいって修業したらよかろうというので︑越前

の永平寺まで行くだけの旅費をくれた︒

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その青年は先生の言葉どおりに永平寺へ行って修業し

た︒修業中は親兄弟といえども音信をせぬ規定なので︑

いままで先生へ手紙も差し上げなかった︒が︑今度長老

︵?︶の位を受けて遠州の秋葉山へ変わるについて︑

くらい

遠州へ来てからはじめて先生のご病気の話を聞いた︒で︑

生前に一度お目にかかりたいと思って︑さっそく秋葉山

を出発したが︑雲水の身では汽車に乗ることも許されて

いない︒夜を日に継いで歩いて来て︑今やっと到着した

というのである︒先生の霊前で読経焼香することを許さ

れたいといって︑お線香と蠟燭とを持って来て︑読経し

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て帰った︒三十五日までは市内の各寺に寝泊まりして︑

毎日来て読経したいと言った︒そして︑その言葉のごと

く︑いまでも毎日来ている︒

とにかく︑先生はよく人のめんどうを見た人であった︒

そして死んでからでも︑よく人を泣かせる人であった︒

ここに挙げたような話はまだほかにいくらでもある︒が︑

こんな意味で世話にならないまでも︑会うほどの者に一

種の懐かしみを抱かせる人であった︒懐かしみを抱かせ

るだけのゆとりと暖かみのある人であった︒

木曜会

︱そんな会の名があるわけではないが︑木曜

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日の面会日に先生の書斎へ集まってくる若い学生と先生

との間に︑議論風発︑めいめい勝手なことを言い合って︑

夜の闌くるを知らなかったのはほとんど毎週のようであ

った︒先生は大学はきらいであったけれども︑学生は好

きであった︒そして︑若い者にも言うだけのことは言わ

せる人であった︒自分の主義主張とか︑ないし気分とか︑

傾向とかいうものに嵌まったことでなければ言わせない

のが︑通例先輩なるものの弊である︒したがって若い者

へい

のほうでも︑どうしてもそれに迎合していく傾きがある︒

先生はそれはきらいであった︒

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迎合されることがきらいなだけに︑先生のほうでも若

い者の気に食わんところはぴしぴしやっつけられた︒ぴ

しぴし頭からやられながら︑やはり先生と話をしている

時がいちばんのんびりした︒のんびりして思うことが十

分に言えるのである︒これが先生の門下に多くの学生の

集まった最大原因であろうと思われる︒先生の作を読ん

で︑先生の前へ出ると︑たいていの人が皆悪く言った︒

悪く言わなければすまないような気がして悪く言うので

ある︒そういう傾向は木曜会の初期︑先生の創作にいち

ばん脂が乗った時代において︑最もはげしかった︒

あぶら

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三十九年の夏︑私が先生からいただいた手紙の中にも︑

﹁昨宵の猫に対する皆の非難は多数決だから仕方がな

さくしょう

いとして︑知己を後世に待つほかない︒今日は春陽堂か

ら督促にあって暑い最中にうんうん言いながら︒筆を走

らせている︒これは君の気に入りそうなものだ︒君にで

も気に入らなければ気に入るものはあるまい︵草枕を書

いていられたのである︶︒漱石虚名を擁して︑毎日知己を

後世に待つようでは憫然なり﹂というような意味のこと

びんぜん

が書いてある︒この手紙を読み返してみても︑その当時

の木曜会の光景が彷彿として眼にうかんでくる︒

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先生の講演のうまかったことはあまねく世人の知ると

ころである︒が︑座談は一層うまかった︒うまいといっ

ては失礼かもしれないが︑一層尽きない味があるのであ

る︒私は学校時代に哲学の初歩を教わったとき︑いわゆ

るディアレクティック・メソッドということを学んだ︒

これはなんでも他人と談話を交え︑もしくは自分自身と

談話を交えているあいだに︑それによって真理を発見す

る方法だということである︒哲学者が思索するというこ

とは︑彼自身と談話を交えたり討論したりすることであ

る︒初期の哲学者はたいていこの対話の形式で彼自身の

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哲学を発表した︒プラトンの﹁対話﹂なぞ引き合いに

ダイアログ

出してくると︑先生はいいとしても︑私どもが少しえら

くなりすぎるようでおこがましいが︑とにかく先生は生

まれながらのディアレクティシャンであった︒

先生が座談に長ずるとともに︑また機知縦横の人であ

ったことも有名な話である︒理路井然たる談話のあいだ

せいぜん

に︑ときどき天来のユーモアやウイットを挿入する︒そ

れが胡椒の役目をして︑いっそう談話を活躍させるとと

こしょう

もに︑座談をそのまま活字にしておきたいと思うことも

たびたびであった︒ある夜赤木桁平君が先生に対して︑

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例によって四辺に鳴り響くような侃々諤々の議論を吹ッ

かんかんがくがく

懸けていたところ︑先生がいっこうそれを承認しないの

をみて︑﹁そんなことを言われるようじゃ先生も近ごろ箍た

がゆるんできたんでしょう﹂と言った︒先生即座に応じ

ていわく︑﹁ばか言うな︑おれは昔から箍なぞ嵌めてい

ない﹂と︒一座哄笑して︑赤木君もそれなり黙ってし

こうしょう

まった︒

ついでながら︑赤木君が先生を指して箍がゆるんだな

ぞと言ったのは︑一時の言いまちがいもしくは見当違い

いちじ

であらねばならぬ︒先生くらい永く文壇に馳駆して︑先

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生くらい箍のゆるまない人はめずらしい︒文壇にめずら

しいばかりでなく︑他の学者︑政治家︑宗教家など︑あ

らゆる社会を通じてまれに見る人と言わなければなら

ぬ︒先生に対してもっと他の人間になってほしい︑もっ

と他流の作をして欲しいというような注文は生前にもあ

ったようだ︒が︑先生一流の人生観や芸術においては︑

近来ますます緊張して︑いよいよ冴えわたってきたよう

である︒これは私一人の私見ではない︒心ある人々の一

様に認めていたところである︒

上来述べきたったような先生の性格なり︑思想の径

じょうらい

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路なりが﹁則天去私﹂という一句に暗示せられたような

思想に到着することは︑けだし自然の数であろう︒亡く

すう

なられる二︑三ヵ月前から︑先生はよくこの﹁私﹂とい

うことを問題にしていられた︒私は夏のあいだも手前に

かまけて︑木曜会にもうかがうことがまれであった︒が︑

たまにうかがうときは︑いつでもこの﹁私﹂が問題にさ

れていた︒最初は﹁私﹂なるものの範囲が曖昧で少しず

つ動くようにも思われたが︑木曜日ごとにだんだんそれ

が引き締っていって︑ついには牢固たる一つの思想体系

を形づくるように見えた︒

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が︑正直に言えば︑先生のこの思想は十分私にはわか

らなかった︒自分でわからないことを

︱しかしこれが

先生の最後の頭脳を支配していたことは確かであったの

あたま

︱新聞記者諸君にしゃべったから︑さまざまな誤解

を生じた︒それは私の責任である︒で︑先生のこの思想

を詳細に説明する役は︑私よりももっと適当な人に譲っ

ておきたい︒で︑ここにはただ新聞の誤伝を是正する範

囲において︑また後の説明者の邪魔をしない範囲におい

て︑私の思うところを述べておきたい︒

先生に従えば︑私ども若い者の書くものにはすべて

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33

﹁私﹂がある︒自分の﹁私﹂をもって他の﹁私﹂を説伏

せつぷく

しようとするから相手の説服しようはずがない︒﹁私﹂

を捨てて﹁神﹂と同じ心持ちになってこそ︑はじめて相

手の誤まりを承認させることもできるのである︒そして︑

この﹁私﹂を捨てることは︑誰にもできていない︒論文

にももちろん﹁私﹂があるが︑小説にもある︒ひとり日

本の文壇ばかりでなく︑西洋にもある︒

イプセンやストリンドベルヒは﹁私﹂の出ている隊長

だが︑トルストイやドストエフスキーにも出ている︒先

生はトルストイの作の自然性をゴッドのネーチュアとま

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34

で激賞していられたが︑やはりトルストイにもまだ神に

なりきれないところがあるというのだ︒すなわち作中の

人物が人物みずからの意志によって動かないで︑作者の

意志によって無理に動かされているところがある︒そこ

に作者の﹁私﹂が出ている︒そこへいくと︑シェークス

ピヤなぞは︑自分が天才だとも︑自分の作が後世に残る

とも考えていたわけではない︒ただ自分が脚本を書けば︑

客が来る︒客が来て金がもうかるから自分の職業だと思

って書く︒先生の眼から見れば︑自分の職業だと思って

作をすることは︑自分がえらいと思って作をするよりも︑

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﹁私﹂のないだけそれだけ尊いものになっていたらしい︒

で︑シェークスピヤにはトルストイに見るような﹁私﹂

が出ていない︒作中の人物は皆人物みずからの意志によ

って動いている︒すなわち作者としてシェークスピヤは

トルストイよりもいっそう神に近いことになる︒

ここにいたると︑先生の説は先生の人生観から芸術上

の技巧論にまでわたっているのである︒﹃明暗﹄におい

ても︑先生は世間がどう見るかは別問題として︑先生み

ずからは毫も﹁私﹂を出さない︑作中の人物は人物みず

ごう

からの意志によって︑神の摂理に従って動いているもの

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のように書きあらわしたいと︑折にふれて言っていられ

た︒そして︑そうあらんことを予期していられたようで

ある︒

芸術上の問題ばかりでない︒先生の座臥常住にもこ

がじょうじゅう

の用意を怠られなかったようだ︒最終の木曜日に

おこた

すなわち十一月十六日の夜

︱私はある友人といっしょ

に先生を訪れた︒その時友人は近ごろ自分の友人で︑あ

る華族の令嬢と結婚したものがある︒それに対してお祝

い物を贈ろうとするが︑先方の家と釣合うほどの物を贈

ることは自分の財政が許さない︒許しても苦痛である︒

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37

いっそ贈ることをやめにしようかとも考えたが︑それも

なんだか気がすまない︒こんなつまらない世俗的の習慣

にも︑自分は倫理上の苦痛を感じさせられる︒それがい

やだというような意味のことを言っていた︒

それに対して先生は︑それはまだ﹁私﹂を去ることが

できないからだ︒お祝いなぞ贈らないで︑御馳走にだけ

なりに行って︑平気ですましていられるようになるとい

い︒自分は他の文士と比較して割合によい報酬を獲てい

る︒それは不都合だといってとがめる者があるかもしれ

ない︒かりにそういう者が出てきたとしても︑自分は気

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にかけないでいられるつもりだ︒同時にまた多勢ある娘

の一人が自分の前へ出てきておじぎをした︒ふと顔をあ

げたのを見ると︑片眼がつぶれている︒それを見ても︑

自分はああそうかと言ったまま︑心を動かさずにいられ

るような境地に入ったとは言わないが︑そういう境地に

入りたいとはしじゅう心掛けているというような意味の

ことを言っていられた︒

私がこの話を新聞記者に向かって繰り返したとき︑最

後に居残ったある記者は私に反問していわく︑﹁失礼で

すが︑ここのお嬢さんでお眼の悪い方はどなたですか﹂

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と︒私は驚愕措くところを知らなかった︒そして︑と

きょうがくお

んだことを話したものだとみずから悔いた︒新聞記者諸

君に向かってこんな話をしたのは︑実際私の粗忽である︒

そこつ

しかし私はその時自分の心に実際感じていたことのほか

に︑なにごとも話すことができなかった︒私が自分を二

重に使い分けして︑あの時あの場合新聞記者に向かって

話すにふさわしいようなことを話すことができなかった

のは︑ひとえに宥恕を乞うほかない︒

︱私はここに繰

ゆうじょ

り返しておく︑先生のお嬢さんに眼の悪い方は一人もな

い︒あれは譬である︒

たとえ

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私は最終の木曜日に︑最後まで居残って先生と話すこ

とができたのは︑私が一生の幸福と思うところである︒

平生なら頭からがみがみやられるところだが︑あの夜は

どうした風の吹きまわしか︑大変お手和らかで︑大いに

てやわ

受けがよかった︒不思議に思って帰って来たが︑次の木

曜日に行ってみると︑先生は急病でいっさい面会謝絶だ

ということである︒それから十七︑八日にして︑先生は

とうとう帰らぬ旅に立たれた︒私は先生が吐血されたと

聞いて︑すごすご玄関から引き返す時︑先生が前の週に

大変やさしかったことを想い起こして︑担ぐわけではな

かつ

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いが︑どういうものか不吉の感に打たれた︒その後も医

者から容態の報告を聞いて︑理性の上では多少安心しな

いでもなかったが︑感情では少しも不安の念が去らなか

った︒不意に来る暗示はいつも悪かった

︱こんなこと

を発表するのは今がはじめてだけれども︑いつも不吉な

暗示にばかりうたれた︒そして︑私の不安はとうとう適

中した

︱︒

よく訊かれることだが︑先生には遺言というものは全

然なかったようである︒先生の生前の覚悟からいっても︑

そんな必要はなかったらしい︒病中も医者から容態を訊

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かれるたびに︑それに応答えをされたのをほかにしては︑

なにごとも言われなかったようだ︒もしそれ先生の存ぞ

生中最後に言われた意味のありそうな言葉といえば︑

じょうちゅう

次のようなものだ

︱︒

亡くなられる当日︑九日の朝︑お子さん方を寝間へ連

れて行ったとき︑先生は末の男の子二人の顔を見て︑な

んにも言わずににっと笑われたそうな︒それから十二に

、、

なる末の女の子を連れて行ったとき︑女の子だけに︑先

生のやつれた顔を見るや否や︑声をあげて︑わアわア泣

き出した︒かたわらにいた奥さんは︑﹁泣くんじゃない︑

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泣くんじゃない﹂と言ってたしなめられたそうな︒それ

が先生の耳に通じたのか︑先生は弱い声音で︑﹁もう泣

こわね

いてもいいんだよ﹂と言われたそうである︒これはいか

にも先生らしい言葉ではないか︒先生らしいというほか

に︑なんとも形容することはできない︒﹁もう﹂の一語

が利いている︑よく利いている︒まことに先生らしい悲

しい言葉である︒

先生の葬儀の翌日︑先生を慕って︑遠州の秋葉山か

ら徒歩でやって来たという雲水は︑こういう場合にあ

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りがちな偽坊主であったことが︑後にいたって判明し

た︒それは︑先生の没後まもなく長逝された有島武

ちょうせい

郎氏の先考の葬儀の際にも︑同じような雲水が同家へ

せんこう

やって来て︑同じような口実のもとに︑毎日読経を上

どきょう

げて︑時分時にはたまにお斎につくこともあるが︑な

、、

じふんどき

とき

んらの報酬も要求しない︒強いてわずかばかりの報謝

ほうしゃ

を取らせると︑それをもらって帰るくらいのものであ

る︒別にひどく悪い奴とも思われないが︑同じような

手口で愁傷している家族を欺こうとするのは怪し

しゅうしょう

あざむ

いというので︑﹁太陽﹂に載った私のこの文章を見た

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有島武郎氏から︑わざわざ手紙で注意してくれられた︒

その後ある会合の席上で︑武郎氏の令弟生馬氏に出

れいていいくきま

会った際にも︑同氏からその話を聞かされて苦笑した

ことである︒実際のところは︑私はその雲水には一度

も会っていない︑ただ夏目家の家族の人達からその話

を聞いたばかりだが︑話の持って行き方がうますぎる

点から推しても︑いま思えば最初から怪しい坊主であ

った︒

で︑こういうふうに考えると︑先生の最後の言葉だ

と言われる﹁もう泣いてもいいんだよ﹂も︑先生自身

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はそう深い意味で言われたのでない︒あるいは︑先生

としては︑ただ﹁泣いてもいいんだよ﹂と言われたの

が︑愁傷している家族の耳には︑﹁もう泣いてもいい﹂

と言われたように聞き取れたんだとも考えれば考えら

れないことはない︒それが自然主義的なものの見方で

ある︒が︑私の気持ちからいえば︑どうもそうは考え

たくない︒やはり先生の最後の言葉は﹁もう泣いても

いいんだよ﹂であったとしておきたい︒そして︑それ

でいいのだと私は信じている次第である︒

︵昭和十七年五月四日付記︶

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先生と私

先生がはじめて創作に手をつけられた前後から︑さま

ざまな人が先生の周囲に集まって来た︒そのころ先生の

門に走った者の中には鈴木三重吉君がいた︑小宮豊隆君

がいた︑かくいう私もいた︒これらの人々は皆先生の人

となりを慕い︑先生の中に自己を見出して︑有頂天にな

ってその門に出入りしたものだ︒中にも豊隆子の如き

ほうりゅうし

は︑先生の中に自己を見出したというよりも︑先生によ

うち

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ってはじめて自己を造られたと言ったほうがいいかもし

れない︒つまり先生から生まれたような男である︒三重

吉は先生とはだいぶ違っていた︒ちょっと見てはどこに

先生と相通ずるところがあろうとも思われない︒それに

もかかわらず︑彼は先生の持っていられる一面をきわめ

て濃厚に代表していた︒

では︑私自身はどうか︒正直に言えば︑私はどうも先

生の中に自己を見出したとは言いきれない︒先生の持っ

ていられた善いもの︑先生の長所というようなものを︑

私自身も持っていたとは言いたくも言われない︒趣味も

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傾向も違っていた︒どちらかと言えば︑いわゆる門下生

の間にあっても︑私ひとりは異分子であった︒異分子を

いぶんし

もって遇せられていた︒ただそんな異分子でも包括せら

ぐう

れたところに︑先生の偉大もあれば︑私が先生から離れ

えなかった理由もある︒

で︑そんなふうだから︑木曜会の席上でも︑最初のう

ち私は多く沈黙を守っていた︒三重吉や豊隆子が先生の

宅をわが家のようにふるまってるあいだに︑私ひとりは

うち先

生のそばに小さくなってかしこまっていた︒が︑先生

の前で黙っている代わりには︑うちへ帰って手紙を書く︒

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一つは少しでも先生に認められたいという客気に駆られ

かっき

たことは言うまでもないが︑一つはこちらから先生にぶ

つかっていって︑小さな自己でも砥礪したいという欲望

とれい

があったからである︒先生はそれに対してきっと懇切な

返辞をくれられたものだ︒

で︑よい気になってまた手紙を書く︒﹃書簡集﹄につ

いて見ても︑そのころは私がいちばん先生に向かって議

論をふっかけたらしい返辞をもらっているようだ︒なん

だか故人に対してすまないような︑同時にまたありがた

い気がする︒が︑その間にはだんだん増長して︑先生の

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前でも幼稚な気炎を挙げるようになった︒一方木曜会も︑

きえん

最初はただ来客の多いところから面会日を木曜の晩に定

められたというにすぎなかったが︑だんだん話が弾むよ

うになって︑一時私どもが先生の前で勝手な熱を吹く討

いちじ

論会の性質を帯んできた︒

ふく

いったい︑先生は若い者を相手にいくらでも話をする

人であったが︑たやすく若い者に同じられるようなこと

はなかった︒場合によっては︑私どもの言うことには事

ごとに反対せられた︒あまりそれがはげしいので︑﹁ど

うも先生は反対するために反対せられるような傾向があ

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る﹂と︑抗議を申し込んだことがある︒すると先生は﹁僕

は決して反対するために反対するというような︑旋毛曲

つむじまが

りでも︑依怙地な人間でもない︒ただ君らのような若い

者といっしょになってしゃべっていたら︑どんなことに

なるかもしれないと思うから︑わざと君らを牽制するよ

うな反対説を立てるんだ﹂と言われた︒

私はそのころ学校ではじめて哲学概論を教わっていた

から︑﹁じゃ︑先生はヘーゲルのディアレクティック・

メソッドを実行していられるんですね﹂と言ったら︑先

生はくすぐったいような顔をして︑﹁おれはヘーゲルは

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知らない﹂と言われた︒まったく生齧りの知ったかぶり

なまかじ

はくすぐったいものに相違ない︒が︑先生の門下生に対

する態度はやっぱりディアレクチシャンのそれであっ

た︒中にも︑私は先生の反対対当にかかって︑いつもこ

アンチセーシス

っぴどくやられたものだ︒先生の座談に長じていられ

ちよう

たことは人も知る︒ただいかにそのいわゆる反対対当を

立てられることのすばやいか︑またその間に先生一流の

機智の閃くかを例証するために︑一つ二つ先生と私と

ひらめ

の間に起こった問答を掲げておきたい︒

ちょうど︑私がある事情のために二週間ほど先生の家

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に厄介になっていた当時のことであった︒ある日の夕方

私は先生といっしょにお湯へはいった︒そのころ私は人

生をむやみに長たらしい︑耐えがたいものに考えさせら

れていたから︑卒然として先生に向かって︑﹁先生は死

んでからもう一度人間の世に生まれ返さしてやると言わ

れたら︑甘んじて生まれ代わっていらっしゃるか﹂と訊

ねてみた︒一つはふたりとも生まれたままの裸体だから︑

はだか

そんな妙なことを想いついたものらしい︒先生は突然こ

のへんてこらいな質問を受けて︑不思議そうに私の顔を

見ていられたが︑やがて臍のあたりをじゃぶじゃぶ洗い

へそ

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ながら︑﹁僕はこの胃袋さえもっと健康に生みつけてく

れたら︑甘んじても一度この世へ出て来るね﹂と答えら

れた︒私は啞然として言うところを知らなかった︒

また先生は有名な子福者である︒そこから想いついた

こぶくしゃ

わけでもないが︑あるとき私がなにかのついでに﹁人間

も子供を産まないあいだは自分の生命は自分の掌に握

てのひら

っている︒先祖のアミーバから伝わった︑この何千年続

いたかしれない︑また今後何万年続くかしれない生命の

流れでも︑自分の意志一つでどうにでも断つことができ

る︒が︑一度これを子供に譲ったら︑もう永久に自分の

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意志の支配権外にある︒その子がまた子を産み孫を産ん

で︑今後何万年続くかしれない︒何万年続いたあげく︑

自分の子孫が世界の覆滅の日に逢うかもしれない︒それ

ふくめつ

でも自分は手を拱して見ているほかない︒思えば恐ろ

きょう

しいことである﹂と言ったら︑先生は言下に﹁ばかを言

げんか

っちゃいけない︒そんなことを気した日には︑自分のひ、

った糞の行末だって心配しなければならない︒あれが菜

、、

ゆくすえ

なっ

葉から糞︑糞からまた菜葉というように︑何にどう変化

ぱして︑今後何万年続くかしれない︒思えば恐ろしいこと

である﹂と答えて︑並居る面々の度肝を抜かれた︒

なみい

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この二つの例は︑別段私がこっぴどくやられていると

いうわけでもないが︑それでも私の空想的な感傷主義

センチメンタリズム

に対して︑わざわざ先生の現実主義を強調されたものと

リアリズム

も見られる︒かくのごとくして︑私の先生から受けた影

響は︑私の持っているわずかなものでも︑それを助長し︑

はぐみ育ててもらったというよりは︑ともすればあらぬ

方へ逸れがちな私の性情を︑先生によって矯め直された

なお

と言ったほうがいい︒少なくとも私にはしじゅうそう見

えた︒私がともかくも人生と社会とを正当に理解し︑ま

がりなりにも世の中に立っていかれるようになったの

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は︑ひとえに先生のおかげである︒実際先生がなかった

ら︑私はいまごろどうなっていたかわからない︒

が︑それは精神生活の上よりも︑実生活についていっ

そう適切に言われるかもしれない︒もっとも実生活とい

ったところで物質上のことを意味するものではない︒そ

のほうでは私よりももっと先生に厄介をかけた連中がい

くらもある︒ではなにか︒ほかでもない︑﹃煤煙﹄のこ

ばいえん

とである︒当時さまざまな反対があったにもかかわらず︑

あの作を朝日新聞の紙上に発表することができたのは︑

ひとえに先生の疵蔭によると言わなければならない︒そ

ひいん

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の後私は先生の下に同新聞の文芸欄でも働いた︒私が全

もと

然事務の才を欠くにもかかわらず︑これも先生の疵蔭に

よって︑同文芸欄は先生の修善寺の大患以後まで持続す

ることができた︒

想うに︑先生がはじめて創作に筆を執られてから修善

寺の大患までというもの︑最も露骨に言うことを許され

るならば︑先生は奥さんの先生でもなければ︑天下の漱

石でもなかった︒単に弟子どもの漱石であった︒弟子ど

もの所有であった︒少なくとも弟子どもはそのつもりで

いた︒こんなことを言ったら︑先生のほうでは大いに異

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議があるかもしれない︒﹁おれはおれだ︒お前達のため

に生きていたんじゃない﹂くらいはきっと言われるに違

いない︒が︑先生の没後︑それに乗じてと言うわけでは

ないが︑あの当時先生を﹁弟子どもの先生﹂と宣言して︑

私は内に省みても毫もやましくないように思う︒

かえり

ごう

ただしそれは大患までである︒大患以後の先生は︑急

に弟子どもの手を離れて︑天下の漱石となられた︒社会

の所有に帰した︑同時にまた奥さんの手にも帰っていか

れた︒もっとも︑これは単に私どもの感じから言うばか

りである︒が︑それ以後の先生については︑私どもがい

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ちばんよく知っているとは言われない︒じゃ︑誰が知っ

てるか︒おそらく先生を知る者は先生一人であったかも

しれない︒それからずっと︑私は比較的先生から離れた

生活をしていた︒

そして︑大正五年十二月九日︑先生はとうとう最後の

大患にかかって不帰の客となられた︒が︑病臥の一週間

びょうが

十一月十六日の夜︑最後の木曜会にゆくりなくも参会し

て︑一夕を先生の温容に接しながら︑心ゆくばかりの清

せき

談にすごしたのは︑私にとってなにものにも代えがたい

記念となった︒先生はその夜を最後として再び訪客に

ほうきゃく

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接しられなかった︒私はその夜のことを想うごとに︑再

び先生を自己の所有にしたような気がする

︱もっと

も︑私一人の感じにすぎないけれど︒

これを要するに︑私はいわゆる門下生の中でもいちば

んよく先生を知っていたとは言われない︑いちばん多く

先生からかわいがられたとはなおさら言われない︒が︑

いちばん深く先生に迷惑をかけたことだけは確かであ

る︒迷惑をかけたということはいっこう自慢にはならな

い︒ただそういう自覚をもったとき︑私はいちばん先生

に接近するような気がする︒

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先生の文学的経歴

先生は学生時代から漢詩と俳句を作っていられた︒こ

とに俳句は熊本時代に最もさかんに作られたようだ︒こ

れは友人に子規居士があって︑その提撕によるところも

ていせい

多かったであろうが︑一つは先生自身の天性が俳句の指

示するような境地を求めずにいられなかったからであろ

うとも思われる︒私は俳句を知らない︑そのほうの修養

がないからあまりはっきりしたことは言いかねるが︑先

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生のは俳句を作らんがために作った俳句ではない︒折に

ふれ機に応じて︑心の行くままに自己の生活を句にした

ものである︒自由である︒どこにも拘束されるところが

ない︒したがって専門家から見たら駄句として捨てるべ

きものも多いであろうが︑ひとたびよく肯綮に当たれば

こうけい

一唱三嘆に値するものが比々としてこれある︒

いっしょうさんたん

枕辺や星別れんとする晨

あした

肩に来て人懐かしや赤蜻蛉

あかとんぼ

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のごときは︑その時の感情が句の表ににじみ出ているよ

うで︑一度読んだものの永く忘れえない句である︒が︑

句作におけるこういう傾向から見ても︑永く俳句に満足

される人でないことは︑誰の眼にもおのずからうかがわ

れようというものである︒

俳句や漢詩ははやくから作っていられたようなもの

の︑はじめて創作に指を染められたのは先生が三十七歳

の冬だ︒﹃倫敦塔﹄と﹃吾輩は猫である﹄を一時に書き

出されたのがそれである︒その前に﹃倫敦消息﹄と﹃自

転車日記﹄の二つがあるが︑これはむしろ題名の示すと

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おり私の消息または私の日記と言ったほうがいい︒では︑

それまで先生は創作というものにまるで意を向けられな

かったかというに︑そうでもない︒少年時代から文学に

趣味を持ち︑文芸をもって世に立ちたいとはしじゅう考

えていられたようだ︒ただしそれも小説というようなは

っきりした形を具えたものではない︒ただ漫然と文学で

そな

ある︒こう言うとはなはだ先生にも似合わしからぬこと

のように聞こえるかもしれないが︑先生の出所︑先生の

素養というようなものから見れば︑容易にうなずかれる

ことである︒

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小説と文学とをいっしょに考えるのは︑西欧の文学

︱ことにロシアやフランスの大陸文学を見慣れたもの

の言うことであって︑イギリスでも小説を文学の中心と

は考えていない︒イギリスはやはり詩が中心である︒で︑

老荘の哲学を背景にした東洋趣味の素養があるうえに︑

ろうそう

イギリス文学を専攻された先生が文学と小説をいっしょ

にされなかったのは︑もとよりそのところだと言わなけ

ればならない︒

といって︑まさか新体詩でもあるまい︒邦語には韻律

がない︒韻律のない国語に詩の栄えようはずがない︒新

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体詩は外国の詩のきわめて不完全な︑貧弱な模倣にすぎ

ない︒こうなると先生のような思想をもった人が一時俳

句に踏みとどまられたのも無理はない︒とにもかくにも

俳句は︑十七字の短詩形の中に渾然たる東洋趣味を盛る

ことができるからである︒が︑その俳句に満足ができな

くなったらどうするか︒先生が文学をもって世に立つ覚

悟をしながら︑さて何をどうしようという判然たる考え

を持していられなかったのも︑けだしやむを得ない当時

の事情と言わなければなるまい︒

で︑こうした漫然たる考えを抱きながら︑先生は伊予

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の松山へ赴任された︒それからさらに西熊本へ下られた︒

が︑その間始終文学をもって立たれたい考えは続いてい

たらしい︒最後にイギリスへ渡って︑専門に文学を研究

せられるようになってからは︑一層その考えが強くなっ

た︒が︑その時ですらなお何をするかということははっ

きり決まっていなかったらしい︒ただなにか﹁人のため

や国のためにできそうなものだ﹂というふうに考えてい

られたようだ︒文学をやるのに︑自己のためということ

よりも︑まず人のため国のためと考えるところに︑東洋

人としての先生が出ていると言わなければならない︒

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﹃猫﹄や﹃倫敦塔﹄のようなものを書き出されてから

も︑まだ本気に小説を書くつもりではなかった︒私はそ

う信じている︒試みに先生の作をとって一つ一つ検する

けん

に︑﹃倫敦塔﹄は単なる塔の見物記ではないにしても︑

過去の回想録である︒夢物語である︒﹃カーライル博物

館﹄はいっそう見物記に近い︒﹃猫﹄は先生自身の周囲

にうろうろしているような︑現代の人物を写実的に取り

扱ったものには相違ないが︑やはり人情の裏へ回って滑

稽と諷刺の蔭に隠れたようなところがある︒

﹃倫敦塔﹄と同じように︑舞台を過去の外国に取っても

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のされた﹃幻影の盾﹄と﹃薤露行﹄とは︑二つながら火

かいろこう

のような恋物語ではあるが︑二つとも呪いの力というよ

うな︑超自然的要素を取り入れたもので︑ロマンティッ

クの色彩のきわめて濃厚な作品である︒つまり恋を描く

ならロマンティックな面紗を被けて夢のようにぼかして

ヴェール

しまうか︑写実的に現代の人情を取り扱うなら滑稽諷刺

の陰に隠れるかして︑いずれも正面から普通の人情に触

れたものではない︒

﹃琴のそら音﹄と﹃趣味の遺伝﹄とは︑二つながら霊性

の感応というような︑やはり超自然力の活動を主題に取

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ったものだが︑これは舞台も現代で︑やや普通の人情を

取り扱ったものに近い︒が︑﹃一夜﹄と﹃草枕﹄の二篇

いちや

にいたっては︑はるかにまた普通小説の埒外に逸してい

らちがい

いっ

る︒二つとも禅の悟りと美に同化する芸術上の境地との

相似を挙げて︑人生に対する非人情の態度を力説したも

のだから︑人情を取り扱うどころか︑全然その反対だと

言っていい︒﹃坊っちゃん﹄はまた人情を取り扱ったも

のには相違ない︒人情の葛藤も出てくる︒が︑それでも

まだどうも普通の小説とは言われない︒普通の小説はや

むを得ざる人情を取り扱うものである︒が︑﹃坊っちゃ

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ん﹄はやむを得る人情を取り扱っている︒

︱換言すれ

ば︑﹁余裕のある小説﹂ということになるかもしれない︒

余裕のある小説という点では︑﹃二百十日﹄も同様であ

る︒この作は﹃草枕﹄の人生に対する消極的態度に反し

て︑大いに積極的態度を主張したもので︑富と権勢とに

対する反抗の声なぞも挙げられているが︑全体から受け

る感じからいえば︑はなはだしく余裕のある小説だと言

わなければならない︒

先生が初めて余裕のない︑せっぱつまった人情を取り

扱われたのは﹃野分﹄の一篇である︒余裕のない人情を

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取り扱われただけに︑この作はまた初めて論理的の調子

トーン

を帯んできた︒人も知るごとく︑先生はかつて反道徳の

ふく

作をせられたことがない︒もちろん反道徳的な材料を取

り扱われたことがないというのではないが︑決してどう

いう傾向を肯定するような態度に出られなかった︒すべ

てが道徳的である︒道徳的に健全な作ばかりである︒そ

れにもかかわらず︑﹃野分﹄にいたるまでの先生の作は

どうも倫理的という感じに乏しかった︒

とぼ

乏しいはずである︒従来の先生の作は皆﹃猫﹄のよう

な滑稽物でなければ︑﹃草枕﹄のような美を主眼とした

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作であった︒美も滑稽も倫理を超越したものである︒で

なければ﹃薤露行﹄のようなロマンティックな美しい作

であった︒でなければまた﹃坊っちゃん﹄のような余裕

のある小説であった︒つまり︑先生の作はすべて倫理的

であるべくあまりに余裕のある作風であったと言っても

いい︒

﹃野分﹄にいたって︑先生ははじめて倫理問題に触れら

れた︒が︑﹃野分﹄ではまだその倫理問題が生のまま︑

なま

概念のまま提出されている︒それが具体化されて︑人情

の葛藤となってあらわれたのは︑﹃虞美人草﹄以後の作

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にあると言わなければならない︒すなわち先生は大学の

講座をなげうって︑純然たる職業作家として立たれたと

き︑はじめて普通の小説に筆を染められたと言うことが

できるのである︒

で︑それから﹃三四郎﹄﹃それから﹄﹃門﹄というよ

うにだんだん書き込んでいかれたが︑すべて倫理上の葛

藤を題材としたものにほかならない︒のみならず︑﹃虞

美人草﹄は﹃野分﹄の引き続きとして︑まだ人生哲学め

いた思索が作の背景をなしているにすぎないが︑﹃三四

郎﹄以後の諸作では︑おいおい心理的な解剖や展開が作

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の基調をなすようになってきた︒

ことに﹃それから﹄は主人公の心理の委曲を尽くし

いきょく

た点で有名な作で︑心理描写ということはとうとう作家

としての先生の特長として数えられるにいたった︒ここ

においてか︑先生はようやく小説家らしい普通の小説を

書くようになられたと言っていい︒その後の作は﹃心﹄

﹃道草﹄から﹃彼岸過迄﹄﹃行人﹄を経て︑最後の大作

﹃明暗﹄にいたるまで︑それぞれの特徴もあり個性もあ

るが︑大体から見て皆この範疇を出でない︒すべて小説

らしい小説である︒

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こうして先生は最初きわめて小説らしからざる小説か

ら入って︑だんだん小説らしい小説を書くようになられ

た︒この径路は先生においてのみ見るを得る特徴として

注目に値するものである︒想うに︑先生のような境遇の

もとに︑先生のような東洋流の薫陶を受けて少年時代を

育ってきた人は︑ただ小説を書くということがなんとな

く気おくれせられるのではあるまいか︒が︑先生の東洋

趣味における素養はただにそういう方面にばかり現われ

ているのではない︒もっと作の本質に近いものの上にも

見ることができる︒前に言ったとおり︑先生の作には哲

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学的の背景もある︒心理描写もある︒またその論理のや

ロジツク

り方には︑どうしても︑西洋流に鍛え上げた精緻な頭脳

の持ち主でなければできないものがある︒が︑それにも

かかわらず︑先生の作に取られた主題はあくまで東洋流

テーマ

である︒作者はどうしても東洋人だなと思わせるような

あるものがある︒

先生は晩年好んでアナトール・フランスの作物を読ん

さくぶつ

でいられた︒その学者肌なところ︑都会人らしい気の利

いたところ︑フランス語にいわゆるエスプリに富んだと

ころなど︑もし西洋の作家に先生の匹儔を求めるなら

ひっちゅう

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ば︑この作家なぞは最も先生の肌合いに近いものかもし

れない︒が︑両者のテーマはまるで違っている︒アナト

ール・フランスのそれがあくまで西洋人であるのに対し

て︑先生のはどこまでも東洋人である︒ここに作家とし

て動かしがたい先生の特徴があると言わなければならな

い︒が

︑東洋趣味の特質はいっそうよく先生の文体の上に

表われている︒殊に初期の作においてそうである︒わが

国語は日に月に変化して︑十年前の文体はもはや今日の

ぜん

文体ではない︒このはげしい変化の末はどうなるにして

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も︑だんだん従来の和漢文脈の表現様式が西洋文脈のそ

れに征服されていくことだけは確かである︒で︑このウ

ェルデンの状態にある日本語の過渡期を代表するものと

して︑あの和漢文の素養があるうえに︑西洋文脈の表現

様式を交えた先生一流の豊麗な文体は︑前に往者を見ず︑

おうしゃ

後に追随する者のない︑唯一独特の文章として︑永く国

民の什宝とならなければならない︒

じゅうほう

最後に一言言っておきたいのは︑私は先生の作物に接

するとき︑なによりもまず滾々として詞藻が湧いて出で︑

こんこん

しそう

汲めども汲めども尽くるところを知らないような風があ

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るのに驚く︒何を見ても先生はあとが書けないというよ

うな心配気なしに書いていられる︒まったく先生には無

尽蔵の感がある︒もちろん︑それは前にも述べたような︑

和漢洋にわたった深い素養があって︑それをわが所有と

していられたからでもあろう︒が︑やっぱり誰も言うよ

うに︑その連想と推理の力が異常に秀でていたためであ

る︒直覚力がほとんど病的に発達していたためである︒

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漱石文法

全集の校正を引き請けたとき︑私は二︑三の同人とと

もにひとわたり先生の作品に目を通して︑まず﹁漱石文

法﹂制定の必要を切に感じた︒それは次のような理由に

よる︒

第一は邦語の文章が漢字とかなとを併用する結果︑ど

れぐらいまで送りがなを付けるかがきわめて曖昧であ

る︒たとえば︑肩をそびやかすというような動詞にして

、、、、、

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からが︑聳という漢字を当てることにして︑さて送りが

なはやから出すべきか︑かから出すべきか︑それともこ

の動詞の語尾として働くすだけにしておくべきか︒もち

ろんかから出すのは意味がない︒が︑この動詞は本来そ

びゆからきているので︑漢字も聳ゆと当てたのを見慣れ

、、

そび

ているから︑そびやかすの場合にも聳やかすと書くのは

決して理由のない用法ではない︒

ところで︑先生の用例はどうかというと︑一般に初期

の作はふりがなの付かぬ雑誌に書かれたから︑読者の訓よ

み違いを恐れてできるだけ送りがなをたくさんに出され

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たのが多く︑後期の作は皆新聞で発表されたから︑ルビ

付き活字の都合上なるたけ送りがなをふりがなへ繰り込

んだものが多い︒が︑これはだいたいの傾向がそうなっ

ているというまでで︑先生自身は無方針のでたらめであ

る︒あまりそんなことには頓着していられなかったと言

っていい︒前のそびやかすにしてからが︑いちばん意味

、、、、、

のない聳かすがいちばん多く使われている︒ただよわす

、、、、、

のごときは漂よわすとごていねいに語根のよまで出して

あるのもある︒もっともこれは先生ばかりが無責任とい

うわけではない︒日本人の書く漢字交りの文章ときたら

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大抵いい加減なものである︒たとえばかえりみるのごと

、、、、、

き︑顧みるとみを送って誰一人怪しむものもないが︑あ

れは返り見るであって︑みはいかなる場合にも働かない

語根だから︑どうしても顧るというように書くのが本当

であろう︒が︑そう書けばかえって世間から怪しまれる

くらい間違いのほうが普及している︒

ところで︑送りがなはひとり動詞において問題になる

ばかりでない︑形容詞でも︑副詞でも︑またそれらの動

詞や形容詞から導かれた名詞でも問題になる︒少ないの

なを出そうか出すまいか︒めずらしいは珍らしいとすべ

、、、、、

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きか︑珍しいとしようか︑それとも愛ずらしいとすべき

であるか︒これは形容詞の例である︒いたずらには徒に

、、、、、

と書くか︑それとも徒らにと書くべきか︒とこしなえに

、、、、、、

は長えにか︑長なえにか︒それとも長しなえにであるか︒

これは副詞の例である︒違い棚だの︑乗り手だの︑振り

ちが

だな

仮名だのというような︑動詞と名詞とからできた複合名

詞では︑動詞の語尾のいやりは出したものであろうか︒

それとも出さないがよかろうか︒世間では出さないが普

通らしいが︑先生は多く出していられる︒こうなるとま

ったくややこしい︑手がつけられなくなる︒が︑全集の

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ようなまとまったものでは︑どこかに統一を見出さない

と気がすまない︒

第二は漢字における正字俗字の弁だが︑これはあまり

せいじぞくじ

やかましく言うと︑私どものようなその方面に無学な者

は閉口して投げ出すほかない︒が︑それはできるだけ字

典をたよりに正字を使うようにしていけば︑校正の方針

だけは立つというものである︒

ただ一つ困るのは先生自身が︑あれだけ漢学の素養の

深い人であったにもかかわらず︑当て字を平気でめった

やたらに使っていられることである︒もしそれが単なる

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先生のまちがいであるなら︑いくら先生のまちがいだっ

て校正者の権威としてまちがいを寛仮するわけにはいか

かんか

ない︒どしどし正しい文字に訂正してしかるべきである︒

が︑その中にはどうも単なるまちがいとは言えない︑先

生自身それと知りながら︑わざとそんな当て字を使われ

たらしく思われるのがある︒わざとではなくとも︑少な

くとも先生自身の文字に対する無頓着からきているとし

か思われないのがずいぶんある︒本来先生という人は︑

人も知る文章の調子に重きを置いた人で︑眼で見て書く

よりは耳で聴いて文章を作った人である︒したがってそ

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ういったような無頓着さ加減はかなりあり得べきことだ

と言わなければならない︒こうなると︑単なる当て字も

先生の作風の一端を示すものとして︑是非とも保存しな

ければならないことになる︒では︑保存するとして︑ど

の程度まで保存したらいいか︑こうなるとまたむずかし

くなる︒まず例を挙げたほうが手ッ取り早い︒

たとえば先生は凶事を兇事︵﹃琴のそら音﹄︶邸宅を庭

きょうじ

ていたく

宅︵﹃猫﹄︶趣向を手向︵﹃倫敦消息﹄︶呉絽の垢すりを語

しゅこう

あか

呂の垢すり︵﹃猫﹄︶合卺の式を合衾の式︵﹃猫﹄︶なぞと

ごうきん

書いて︑平気ですましている人だ︒凶事を兇事︑合卺を

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合裳と書くなぞはあまりひどい︑だいいち体裁もよくな

いから︑断然訂正することにする︒趣向を手向︑呉絽を

語呂と書くなぞは全然先生の無頓着さ加減を表わしたも

のだが︑それにしても他の意味に取られては困るから︑

これも訂正することにしたい︒最後に邸宅の庭宅だが︑

これは無頓着からきたものであることは明白でもある

し︑それに使い場所によってはそのままで意味も通ずる

から保存することにするが︑一歩の差は千里の差である︒

こうして一つ妥協すると︑続々妥協を強要されるのが出

てくる︒

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たとえば︑先生は辛抱を辛防︑人生観を人世観︑鑑定

を勘定︑畢竟が必竟というふうに書いていられるが︑そ

れぞれ意味も通ずるし︑必竟のごときはそういうよう

ひっきょう

に書いた先例が古書にいくらもある︒勘定もありそうで

かんてい

ある︒なにしろあれだけ漢学に達した人の書いたものだ

から︑うっかりまちがいだと思って直したりすると︑と

んだ失策をする︒いつかも嶄新を斬新と書くのは見慣れ

ざんしん

ないと思って直したら︑あとで斬新のほうが正しいとわ

かって︑大いに狼狽えたことがある︒こんなことを言う

うろた

のは私の無学を表白するようなものだが︑適例だから挙

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げておく︒

そのほか先生はかんしゃくを肝癪︑疳癪︑癇癪︑りょ

、、、、、

、、

うけんを了簡︑料簡︑了見と三通りずつに書き︑じょう

、、、

、、、

だんを常談︑贅談︑笑談︑串戯と四通りにも書いていら

、、

れる︒いずれもそのまま保存して差しつかえあるまい︒

ことにバケツを馬穴︑インキを印気と書くがごときは︑

元来洋語に漢字を当てはめたのだから︑どんな字を当て

たところで構わないわけだ︒それと同じように︑じかに

会って話するのじかにを自家に︑ケチな奴を希知な奴︑

、、、

キタイな男を希代な男︵以上三つとも﹃坑夫﹄︶と書いた

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ようなのは︑俗語に漢字を当てはめたもので︑こんなひ

ょうきんな字を当てたところに一種のおもしろみさえ出

ている︒切歯つまる︵﹃坑夫﹄︶のごときも︑この当て字

せっぱ

が当たっているかいないかは別問題として︑だいいちに

見ておもしろい︒で︑こう漢字だけでも標準がまちまち

ではしようがない︒なんでもいいからその間に法則を求

めて︑先生の用字例というようなものが定めておきたく

なるのは自然の数である︒

すう

第三の理由は︑生粋の江戸っ子だけに︑先生の作には

きっすい

ずいぶん江戸っ子の訛りが出てくるが︑この訛りを看過

スラング

かんか

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すると︑全体の文章そのものがかなり間の抜けたものに

なりうる︒先生も自身だいぶそれを気にかけていられた

ものらしい︒江戸っ子はいったい舌ッ足らずのものだが︑

なかには野馬をのんま︵﹃琴のそら音﹄︶というように跳

、、、

ねるのや︑いやにと言うところをやに威張ってやがると

、、、

、、

いうようにつまるのも少なくない︒これはあえて先生ひ

とりというわけではない︑江戸っ子一般の慣用法かもし

れないが︑私どもから見れば︑先生特有の語法と言いた

いような︑先生の癖がある︒

たとえば︑私どもなら縦横十文字と言うところを︑

たてよこじゅうもんじ

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先生は必ず横縦十文字と言われる︒経緯と書けば︑普通

ならたてよことかなを振るべきだが︑先生は一人よこた

、、、、

、、、

てと振っていられる︒私どもなら羽織袴と言うところ

はおりはかま

を︑先生は袴羽織と言われる︒天然自然にと言うところ

てんねんじねん

を︑自然天然と言われる︒もっとも︑これは先生ばかり

じねんてんねん

でない︑江戸っ子は一般にそう言うものだという説もあ

るが︑私の知っているかぎりにおいてはやはりそうは言

わない︒どうも先生ひとりの癖のように思われる︒それ

から先生はある場合︑惜しいと欲しいとを混同していら

れるようだ︒﹃琴のそら音﹄の中に切支丹坂のことを︑

きりしたんざか

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﹁日本一急な坂︑命の欲しいものは用心じゃ用心じゃ﹂

とあるのは︑どうしても命の惜しいものはのまちがいと

しなければならない︒ところが︑たまたまそれを注意す

る者があっても︑強情な先生は頑として︑自己のまちが

いを承認せられなかったのである︒そのほか先生はどう

かした場合に否定と肯定とを取り違えられることさえあ

る︒で

︑以上挙げてきたような理由から︑私どもは会議の

うえ︑かりに﹁全集校正文法﹂なるものをこしらえて︑

それによって﹃漱石全集﹄の校合に従事することにした︒

こうごう

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ところが︑文法そのものがもともと一時の間に合わせに

作ったものではあるし︑それに校正をしている間には後あ

から後から新しい事実を発見して︑標準もぐらつけば︑

私どもの意見も変わっていく︒その結果︑最初の期待に

反して︑きわめて統一を欠いた︑あのとおりの全集をこ

しらえ上げたのは汗顔のいたりである︒

かんがん

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漱石の語学

夏目漱石先生が晩年ドイツ語を学んでいられた時︑つ

くづく嘆息して︑﹁ぼくのドイツ語はまるでカンテンの

中を泳ぐようなものだ﹂と言われた︒いくら骨を折って

も前へ出ないというシャレである︒ドイツ語がカンテン

の中を泳ぐようなものなら︑英語は水の中を抜手を切っ

ぬきて

て泳ぐようなものか︒先生の英語は達人の域に達してい

られたようだが︑それでも陸上運動場を駆けるようなわ

けにはいかなかったと思う︒

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漱石の墓その他

雑司ケ谷の墓地へ行ってみると︑墓地の中央︑杉と槻

ぞうし

の林を背にして︑表に故人の法名に並べて未亡人の赤い

法名を彫りつけた巨大な石碑が立っている︒これが文豪

夏目漱石の墓だ︒石は磨きのかかった常陸産の花崗石︑

みこうせき

式もちょうど人力車か︑さもなければ安楽椅子に法名が

腰掛けているところを思わせるような︑なかなかモダー

ンなものだ︒

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101

が︑しかしたまたま雑司ケ谷の墓地へやって来て︑故

人の墓を弔った人が︑これを見て︑これが漱石先生の人

格の一端でも︑趣味の一片でも代表しているものだと思

ったら︑それは大きなまちがいである︒あれはもちろん

先生が亡くなってから遺族の手に成ったもので︑もしい

くらかでも趣味や精神を表わしているとすれば遺族の

方々のそれであって︑先生の関知するところではない︒

そこから︑一丁足らず離れた所に島村抱月氏の墓所があ

る︒なんでも自然石に人生と芸術に関する格言もしくは

警句めいた︑氏が生前の一句を彫りつけてあったように

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記憶するが︑あれもはたして抱月氏の意志に適ったもの

かな

かどうかはわからない︒しかし漱石先生の場合はそれ以

上に先生とは関係のないものだとだけは言い得られるの

である︒

いったい︑先生は自分の墓をどう考えていられたろう︒

ある時︑一本の枯木の下に小さな円い自然石︵なにも書

まる

かない︶を据えたものを描いて︑﹁わが墓﹂と題してい

られたのを見たことがある︒またある時︑﹁おれの墓は

広い野の末に土饅頭でも盛って︑その上に円い石でも

すえ

どまんじゅう

まる

転がしておいてくれたらいいね﹂というような意味のこ

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103

とを言われたのを聞いたように覚えている︒先生の自分

の墓に関する感慨はおそらくそれくらいなものであろ

う︒しかもそれはついに実行されなかった︒また実行さ

れなくとも仕方のないことかもしれない︒思うに︑先生

としては︑そんなことどうでもよかったのだ︒

先生生前の感慨としては︑よく平凡人の生活

︱つま

り世間に名も聞こえなければ︑騒がれもしない︑自分は

自分だけのことをして︑他人の厄介にならず︑黙々とし

て生きて黙々として死んでいくといったような︑平凡人

の生活を賛美していられた

︱さもさもうらやましそう

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104

に︒これはすでに世に立ってその名を謡われ︑またそれ

だけの業績も残した人の栄燿の餅の皮かもしれない︒し

えいよう

かし︑先生がその一面において︑﹃門﹄の中の宗助のよ

うな生活に心からなる憧れを抱いていられたことは疑い

もない事実である︒

私も

︱といって︑もちろん先生のような名前は持っ

ていないが

︱それでもなお齢五十を越ゆるに及んで︑

よわい

しみじみ先生の気持ちがわかるような気がしてきた︒金

さえ不自由しなかったら︑そしてつづまやかな︑事足る

こと

だけの生活を営むことができたら︑名前を売ることなぞ

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毫も必要としない︑同時に省みて恥ずるところのない︑

かえり

隠れた平凡人の生活ほどうらやましいものはない︒

先生は﹁有名になる﹂とか︑﹁名を後代に残す﹂とか

いうことが大きらいであった︒そして︑私どもに向かっ

て︑よく﹁豆腐屋の主人にも︑酒屋の親爺にも︑機会さ

おやじ

え与えられたら︑大政治家にでも大文豪にでもなりうる

資格を持って生まれたものが幾人もあろう﹂と言い言い

された︒一つは私どもが早く﹁有名﹂になろうと思って

焦燥っているのを抑えるためでもあったろう︒

せ私は反問した︑﹁それじゃ先生の建て前からすれば︑

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豆腐屋に生まれたら︑豆腐屋としてその分を尽くして︑

ぶん

大過なく一生を終わるのが人間の理想だということにな

りますね?﹂﹁そうだ﹂と︑先生は大きくうなずいて︑

﹁豆腐屋は豆腐屋︑米屋の主人は米屋の主人として︑他

を犯さず︑他からも犯されず︑正直に一生をすごしたう

え︑名もない一個の市民として土の下へ入ったほうが︑

大臣や大将になるよりも︑人間としてどのくらい高尚な

尊ぶべき生涯だかわからない﹂と言われた︒私は憮然と

ぶぜん

して聴いていた︒そして︑いまでもときどきその言葉を

想い出すのである︒

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近ごろ唯物的弁証法なるものが流行ってきた︒それに

つれて︑夏目漱石を今日に生かしておいたらというよう

なことを興味を持って訊く人がある︒先生は徹底した唯

物論者ではあった︒しかしながら私どもの聞いた範囲で

は︑﹁金は過去の労力の象徴である︒あえて卑しむべき

かね

いや

でない﹂とか︑﹁株でもうけたような浮いた金と︑われ

われの汗と労力とで得た金とは紙幣の色でも違えておい

てもらいたいものだね﹂といったような︑きわめてナイ

ーブな二︑三の見解を口にされたに留まる︒﹃心﹄の巻

とど

末でも自白していられるとおり︑晩年の先生は過去の明

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治時代の作家をもって任じていられた︒おそらくは先生

のむしばまれた健康がそうさせたのでもあろう︒

鈴木三重吉君はどこやらで︑﹁先生くらい一生の輪郭

をはっきりと生きた人はない﹂というような意味のこと

を言っていた︒これも先生に接触したほどのものなら︑

だれしも感ぜずにはいられない先生の特徴であったろ

う︒私

は鈴木君の意味を正解しているかどうか知らない

が︑先生に接すると︑その穏やかな落ち着いた応対の中

に︑なによりもまず正しい人という感銘を強く与えられ

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る︒先生は決してその生活に曖昧ということを許されな

かった︒正邪の観念がはっきりしている︒もっとも︑そ

れを他人に強いられるのではない︑ただそれによって自

己を律していられるに止まった︒しかも︑先生に対する

者がその反映を受けるのはやむを得ない︒心にやましい

ことのある時︑先生の前へ出ては︑私なども実際忸怩た

じくじ

らざるを得なかった︒世に変人をもって先生を遇する者

があるのは︑先生のこの徹底した正しさが︑無意識の妥

協とごまかしとに充ちた世間に奇異の感を与えたからに

よることは言うまでもない︒

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しかもこれほどまでに正しく生きようとしていられた

先生も︑朝日新聞社に対しては︑自己の人格にまで食い

込まれない範囲において︑かなりな程度まで妥協をして

いられた︒たとえば

︱といって︑あまり適切な例では

ないが

︱毎日の新聞に連載された小説についても︑そ

の日その日に読み捨てられる新聞の載せ物であることを

意識して︑常にそれに順応するように心掛けていられた︒

正宗白鳥氏が﹃道草﹄の感想を述べられた際であったと

思うが︑新聞の続きものであるという芸術上の拘束に言

及していられたのは︑やはりその道の苦労人でなければ

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言われない眼のつけどころだと思った︒

こうして新聞社に対しては︑ある程度までの妥協に甘

んじていられた先生が︑ああして大学に対してのみ終生

不快の念を抱いていられたのは︑私どものちょっと不可

解に思うところである︒が︑先生といえども人間である︒

その間に虫の好くと好かないのとの別はあろう︒それに︑

最初から先生の価値を理解してかかったのと︑初手から

しょて

それに無頓着であったのとでは︑先生のそれに対する態

度に寛容と不寛容との別を生じたのも︑もとよりそのと

ころであったかもしれない︒

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最後に︑最近に頭をもたげた思想

︱すなわち人間の

平等と機会の均等を主張する思想に対する先生の考えは

どうであったか︒これは先生を知ろうとする人々に対し

て興味ある問題には相違ないが︑ただ私どもとの座談の

折々に﹁まあ仮にかれらの言い分を通して財産を平分し

てみるがいい︑人間の本性の変化しないかぎり︑期年な

らずして再び不平等な世の中が現出するよ﹂と言ってい

られた︒﹁道徳は天から与えられたものでも︑神が造っ

てくれたものでもない︑人間が生活するうえの必要から

こしらえた相互の約束である﹂というように考えていら

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れた先生の倫理観︑人間観から推せば︑こういう言葉の

出るのはあるいは当然の帰結かもしれない︒そして︑そ

の言葉がロシアの現状を見てもそのまま実証せられてい

るというほかに︑先生のこの問題に対する意見としては︑

なんら文書の徴すべきものがないのを遺憾とするほか

ちょう

ない︒

想うに︑先生は﹁われはこの世に平和をもたらすため

にきたのではない︑乱をもたらすためにきたのである﹂

と宣言したキリストのような人ではなかった︒先生自身

も言っていられるように︑決して宗教家でも革命家でも

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なかった︒一代の師表とするに足る人物だなぞと言った

だけでも︑たちどころに先生から怒られてしまうだろう︒

が︑少なくとも︑私どもにとってはまたと得がたい師で

あった︒私どもの覬覦することを許さない天分をもって

生まれてきながら︑しかも本当になつかしみのある師で

あった︒私は先生を失ってから︑つくづく自分自身では

師となれない︑しかも師がなければ一日も生きていかれ

ない︑永遠の弟子であるような気がしている︒

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伊藤左千夫を怒らした話

﹃アララギ﹄の成長についてなにか書けというご注文を

﹃アララギ﹄派両御大のご連名で受けたが︑さてなに

りょうおんたい

も書くことがない︒歌のわからぬ私には︑その道の専門

家に読んでもらうようなことはなんにも言えない︒

二十五周年の記念号が出るについて︑強いて感慨はと

問われるなら︑歌でも俳句でも︑正岡子規の流れを酌む

﹃アララギ﹄と﹃ホトトギス﹄とが連綿として︑今日な

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お歌壇俳壇の先頭に立って指導していられるのを見て

は︑ただ偉なるかなと嗟嘆するくらいのものにすぎない︒

さたん

もっとも﹃ホトトギス﹄のほうはやや守旧派らしく︑

しゅきゅうは

新傾向の先頭に立っているとは言われないようだが︑﹃ア

ララギ﹄のほうは文字どおり先頭に立って歌壇を率いて

ひき

いられる︒少なくとも世運とともに着々とその地歩を占

せうん

めてこられたように他所目にも見える︒と︑これだけは

私にも言われるが︑では︑その差はどうして生じたか

しょう

と聞かれるともうわからない︒﹁さあ︑人の問題でしょ

うかね﹂と答えるほかはないようにも思う︒高浜虚子氏

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が今日なお矍鑠としていられるのに対し︑伊藤左千夫

かくしゃく

氏が今日まで生きていられたらとも考えてみた︒が︑こ

の返辞はもう私にはできない︒

そこで一つ私と左千夫氏との間にあったたった一つの

、、、

交渉をここに引いてみる︒といって︑それはご参考にも

なんにもならない︒ただお座興までに書いてみるのであ

ざきょう

る︒そ

の昔私は左千夫氏の﹃野菊の墓﹄を読んで感服した︒

感服した次第を夏目漱石先生に手紙で言って上げたら︑

そいつは雑誌に書いてやったら左千夫が喜ぶだろうから

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書いてやるがいいと言われた︒そこで私はその当時私ど

もの出していた﹃芸苑﹄にその批評を載せた︒その次第

げいえん

は﹃漱石全集﹄の書簡集の中にも出ているからまちがい

のない話である︒

ところで︑それはだいぶ褒め上げた批評であったには

違いないが︑どこをどういうふうに感服したかは全然記

憶に残ってない︒ただ﹃野菊の墓﹄を読んだときの気持

ちが朧げながら残っているからそれを述べてみると︑

おぼろ

文章はなるほどたどたどしい︑あるいは幼稚と言っても

いいくらいのものであったかもしれないが︑いかにも

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初心で単純な田舎の青年と少女の気持ちがよく表われて

いたように思う︒ことに作者左千夫氏はその当時齢す

よわい

でに不惑を超えた人であったらしい︒その人が未だ青年

ふわく

いま

の純な心を失わないでいる︒そこに歌人としての彼氏の

生命もあったのではあるまいか︒もちろん︑小説として

は︑彼氏により永き生命をかしたところで︑この一篇が

将来の大を約束するほどの作とは思われない︒しかし歌

だい

人としては︑永遠に老いざるこの素質がものを言うよう

に私なぞには思われるのである︒

ところで︑左千夫氏ははたして大いに喜んだ手紙を私

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にくれられた︒それだけで済めばなにごともなかったの

を︑若気のいたりで︑私がそこに一つの失策を演じたの

わかげ

である︒もちろん︑私はその手紙を﹃芸苑﹄の同人に示

した︒するとその中のひとりがそれを読んでいくあいだ

に︑だんだんいきり立って︑﹁こりゃ君を侮辱している

んだぜ︒見たまえ︑まるで師匠が弟子に対するような調

子だよ﹂と言い出した︒なるほど︑そういえば︑そう見

られないこともない︒つまりそれは左千夫氏ばかりには

かぎらない︑歌や俳句のほうでは︑今日なお師弟となれ

ば︑弟子は弟子の礼を取って師に接し︑師は師としての

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威厳を持して弟子に臨むといったような︑昔気質なと

むかしかたぎ

ころが残っているのではあるまいか︒左千夫氏が私にく

れた手紙にも︑こちらが若い学生であるだけに︑いわば

その癖がほんの少しばかり出ていたのだ︒

、、、

が︑こちらは当時の偶像破壊的な気風に染まっていた

学生だからたまらない︑こいつ生意気なとばかりに︑同

人のひとりはただちに筆を取って︑反駁というよりは︑

はんばく

悪罵と攻撃をないまぜにした返事をしたためた︒そして︑

あくば

自分の名を署するとともに︑他にも署名を迫った︒私も

それほどにせずともとは思ったが︑夏目先生が左千夫氏

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を知っていられ︑同人の中で私ひとりが先生のもとに出

入りしていた関係上︑長者を恐れると思われるのがいや

さに︑長者に礼を失う手紙に敢然署名した︒そして︑そ

の手紙はすぐに投函された︒

こいつを受け取った左千夫氏は︑なんのことやらわか

らないで︑さぞ驚くとともに立腹もされたことと思う︒

なんでも憤慨しているような︑一方ではまごまごしてい

るような返事をいただいた︒褒めておいて︑すぐその後

から馬鹿野郎呼ばわりするんだから︑相手がまごつくの

は当然である︒

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私がこんな話を書いたのは︑一つは左千夫氏が生きて

いられたとしても︑たぶんもう笑って私を許してくれる

だろうと信じたのと︑もう一つは歌や俳句の師弟関係に

ついて多少の感慨があるからである︒私は歌や俳句に昔

風の師弟関係が残っていることを非難しようなぞとは少

しも思っていない︒それはむしろ美しいものである︒

夏目漱石先生とその門弟子との関係が︑他に見られな

もんていし

い師弟の情によって結ばれていたことは︑私が一生忘ら

れないなつかしい想い出である︒が︑あれなぞも先生の

人格のしからしむるところであるとはいうものの︑一つ

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は先生が子規居士との友好から歌や俳句に多少の関係を

持っていられたところからして︑その門に集まるものも

多少そんな気持ちで集まってきたからではあるまいか︒

ちょっとそんな気もするのである︒で︑そういう場合師

たるものの人格が高ければ︑なにも言うことはない︒も

しそうでなくして︑多少でも形式に流れたらおかしなも

のになる︒漱石先生の場合にあってすら︑あの師弟の一

団に対して快く思わない人々の間には︑冷眼これを見

こころよ

れいがん

る傾向がないでもなかった︒

もちろん︑私は﹃アララギ﹄に向かってこの言をなす

げん

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ものではない︒一般の歌壇俳壇の師弟関係についていう

のである︒斎藤氏は自他の区別すら立てないほど朗らか

な人格の持ち主であり︑土屋君もまたまれに見るものの

判った人である︒読者においても︑私の意のあるところ

わかを

まちがえられる気づかいはないと信じて︑とうとうこ

んなことを書いてしまった︒

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師弟の情誼

じょうぎ

旧臘九日の夜︑故先生の法会がすんだ後︑私は鈴木

きゅうろう

ほうえ

三重吉君に導かれて小宮豊隆君とともにある家に集まっ

た︒私

は双鬢すでに白く︑小宮は半白︑三重吉は白くはな

そうびん

はんぱく

らない代わりにだいぶ天井が薄くなっていた︒三人とも

に顔を見合わせて︑悵然たるものがあった︒しばらく

ちょうぜん

して﹁とにかく︑われわれは夏目漱石と同時代に生まれ

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合わせて︑ある期間直接先生を知り︑先生と膝を交えて

語ることができた︒それだけは幸福であったね﹂と︑私

は言い出してみた︒二人とも言葉なくしてうなずいた︒

﹁今になって思うと︑ぼくは先生の生前﹂と︑私は図に

乗って語りつづけた︑﹁なにを書くにも今度は一つ先生

を感服させてやりたいというような気がつきまとった

︱﹂

﹁そりゃ君はそうじゃった﹂と︑三重吉はすぐに口をは

さんだ︑﹁なんぞというと︑ドストエフスキーなぞ振り

回しやがって⁝⁝だが︑おれ達にはそんな気はなかった︒

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おれ達はもっと純な気持ちで

︱﹂

﹁まあ待ってくれ﹂と︑私も相手を留めた︑﹁ぼくはい

ま懺悔をしてるんだ︒で︑ぼくにはそういったような︑

いわばおおけなき気持ちがなかったとは言われない︒し

、、、、、

かしこのごろはそうじゃない︒いまにして先生ありさば︑

ぼくはただ先生に卑しまれたくない︒このごろはただそ

いや

う思って書くようにしている﹂

先生を感服させてやりたい!

私としては︑これはや

や露悪主義の言葉である︒弟子として︑ただ先生に認め

てもらいたかったのだ︒私はただ認めてもらいたさに先

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生に接近した︒これも不純といえば確かに不純な感情で

ある︒が︑私はもともと一本立ちのできない﹁永遠の弟

子﹂であった︒先生が亡くなられたとき︑私がいちばん

まごついたのは﹁いまより後おれはいったい誰をあてに︑

誰に認めてもらおうと思って書くのだ?﹂ということで

あった︒当時私はすでに三十六歳であったのである︒現

今の文壇の士なぞと比べたら︑まったく幼稚なものだと

言わなければならない︒が︑齢知名を越ゆるにおよんで︑

ちめい

はじめて﹁先生に卑しまれたくない﹂という気持ちだけ

になった︒私としては一つの進歩である︒

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長谷川如是閑氏は新聞記者として先生の同僚のひとり

にょぜかん

であるばかりでなく︑また先生の知己のひとりでもあっ

た︒日ごろ氏と同席したとき︑私は氏に向かって︑

﹁あなたのところへは若い人達が集まって来るでしょう

が︑漱石先生のところへ集まった連中の持っていたよう

な気持ちが︑いまの若い連中に多少でも残っているでし

ょうかね﹂と訊いてみた︒氏はからからと笑って︑

﹁そりゃ君︑あの時分だってあれは特別だよ︒あんな師

弟の関係は昔だってありゃしない﹂と再びからからと笑

いつづけられた︒

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あの時分だってない!

なんでもないことながら︑私

はちょっとめんくらった︒あんな師弟の情誼は昔だって

じょうぎ

ありゃしない!

実際そのとおりかもしれない︒私ども

はただ自分達の顔を知らずにいたばかりである︒如是閑

の言われるように︑それが時代錯誤の現象であったにせ

よ︑または旧時代のなごりであったにせよ︑とにかくそ

ういう師弟の関係があったとして︑いったいそういう師

弟の情誼はどこから生まれたのか︒もちろん︑故先生の

人格のしからしむるところであったのは言うまでもな

い︒が︑先生ひとりでは師弟の関係は生じない︒そこに

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はまたそういう弟子があったのである︒

その点から見て︑いつか吉村冬彦氏がなにかに書いて

いられた話をおもしろいと思う︒それによると︑先生が

洋行から帰って来られたとき︑吉村さんは先生を停車場

に迎えてから︑さっそくまた先生の奥さんの実家に︑先

生を訪ねて行かれた︒時分時になってお寿司が出たが︑

じふんどき

しばらくそれを突っついているうちに︑先生は思わず笑

い出された︒いわく︑﹁さっきから見ていると︑君は寿

司を食うにもぼくのまねばかりしているじゃないか︒ぼ

くが海苔巻を取ると︑君も海苔巻を取る︑ぼくが卵焼き

りまき

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を食うと︑君も卵焼きを食う﹂云々︒どうも自分ではそ

んな気もなかったが︑不知不識のうちに︑やっぱり先生

ふしき

のまねをしていたものとみえると︑吉村氏自身述懐して

いられる︒

氏はその当時熊本の高等学校から上がってきたばかり

の田舎者であった︒弟子のまねに気のついた先生はもち

ろん江戸っ子である︒だから︑江戸っ子が田舎者の欠点

に目付けた滑稽な話としてしまえば︑それまでだが︑そ

の裏になんと言葉には言い表わせない師弟の情誼が溢れ

ていることよ︒師は︑普通なら弟子のきまりの悪がるよ

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うなことを平気で言ってのけている︒が︑その実師はそ

じつ

んなことまで自分のまねをされたことがうれしいのであ

る︑ありがたいのである︒自分のうれしく感じたこと︑

ありがたく感じたことを発表するのに︑かえって相手が

きまりを悪がるようなことをもってするのは︑江戸っ子

の悪い癖だと言えば言うようなものの︑なんだかそこに

情人同志の痴話︵私の誇張を許せ︑誇張なしにはなに一つ

いうことのできない私だから︶とでも言いたいものがある

ような気がして︑私どもは健羨の情に堪えない︒

けんせん

要するに先生はさびしかったのだ︒洋行から帰って︑

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久しぶりに妻子の顔を見て︑なおかつそうして他人に求

めないではいられないほど先生はさびしかったのだ︒も

し故先生とその弟子との間に他に見られないような︑特

別の情誼があったとすれば︑その俑を作ったものは吉村

よう

さんである︒他は小宮︑鈴木︑野上︑それから私にして

も︑皆それにならったものにほかならないと︑ただこれ

だけのことが言いたかったのだ︒

﹃猫﹄の中にあらわれるのは︑弟子としても寒月先生以

前の人達で︑むしろ苦沙弥先生のお友達だと言ったほう

くしゃみ

がいい︒もし先生の作品中に︑先生の弟子に対する気持

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ちのうかがわれるものはと訊かれたら︑やはり﹃三四郎﹄

だと答えるほかあるまい︒三四郎の故郷福岡県京都郡犀

みやこぐんさい

川村は小宮の故郷をそのまま取ったものである︒しかし

がわむら

熊本の五高を出てぽっと出の田舎者として上京するあた

、、、

りは︑むしろ吉村さんである︒

三重吉はあの中の与次郎に擬せられることをたいそう

いやがるが︑さりとて与次郎をすっかり三重吉から取り

上げて︑あれは死んだ高須賀淳平だと言ってしまったら︑

三重吉はさびしかろ︒広田先生の引っ越しを手伝って︑

猫を籠へ入れて持って行く途中小便をかけられるなど︑

かご

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三重吉として逃れられない証拠もある︒私自身も引っ越

のが

しの前に家探しのお供をして︑石の門のある家を推薦し

て先生からしかられた︒﹁新しい男爵のようでいいじゃ

ないですか﹂は︑その当時日清戦争後で︑旅団長が皆新

しい男爵になったからである︒この点だけでは︑私も三

四郎と与次郎の中へ食い入っていると言っていい︒

が︑私が本当に先生に描かれたような気のするのは︑

むしろ﹃野分﹄の中の高柳である︒先生と私との関係は

広田先生と三四郎や与次郎というよりも︑むしろ道也先

生と高柳君とに近かった︒それだけ暗いものがあった︒

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いつであったか︑先生は夕方晩く丸山福山町の私の下宿

おそ

している家の玄関に立たれた︒そして︑﹁これから飯を

食いに行くが︑君もいっしょに行かんか﹂と誘われた︒

私は二言といわず応諾した︒先生はそのころ本郷にたっ

た一軒あった洋食屋の真砂亭に私を連れて行かれた︒そ

まさごてい

こでごちそうになって︒それから切通しの坂を降りて︑

きりどお

池の端を一回りして︑弥生町から大学と一高との間へ出

て来るまでのあいだに︑私は妙に感傷的になって︑自分

の一身上の事情を逐一先生に打ち明けた︒

私は今それを想い出しても顔が赤らむような気がす

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る︒恩に狎れる

︱先生のほうではそんな打ち明け話ま

でされようとは期待していられなかったに違いない︒そ

う思うと︑実際いまでも口を捩じ千断りたいような気が

して︑たまらない︒が︑先生はしじゅう無言のまま黙っ

て聞いていてくれられた︒私は西片町のS字坂の上まで

にしかたまち

お供をして︑そこで先生と別れた︒私はその時はじめて

無言のありがたいことをしみじみ体験した︒

千駄木から西片町︑まもなく早稲田へと︑先生はだん

だん居を移された︒それとともに︑先生は東京朝日新聞

きょ

社に入って︑純然たる作家として立たれるようになった︒

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私どもは木曜日の夕方になると︑きまって先生の書斎に

参集した︒常連のほかに︑めずらしい客のひとりふたり

あることもあれば︑ないこともある︒話題は

︱どうも

その時分弟子連があまり書かなくて︑先生ひとり脂が

あぶら

乗って︑﹃虞美人草﹄﹃坑夫﹄﹃夢十夜﹄﹃三四郎﹄とつ

ぎつぎに書いていかれたのは汗顔のいたりだ

︱で︑話

題はおのずと先生の作品に対する弟子どもの無遠慮な批

評が多きを占めるようになった︒先生もなかなかそれに

屈しないで︑若い者といっしよになって渡り合われたが︑

たまにはいさぎよく冑を脱がれることもあった︒その

かぶと

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わだかまりのない対話が私どもにはなんとも言われない

ほどうれしかった︒三重吉が籠に入れた文鳥を持って来

て︑強いて先生に飼わせるようにしたのも︑そのころの

ことであった︒

で︑そんなたわいもない雑談に夜を更かして︑いざと

一同が立ち上がる時は︑夜も十二時過ぎ︑たいていは一

時を打ってからであった︒未だ市電がいまのように普及

いま

しない時分のこととて︑それから四人連れで本郷まで歩

いて帰る︒伝通院前を脱けて︑小石川初音町の溝のそば

どぶ

まで来ると︑橋の袂に毎晩一軒のおでん屋が出ていた︒

、、、

たもと

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寒いからそこへ寄って︑またひとしきり先生の噂やばか

げた話に市が栄える︒野上君なぞは︑染井の墓地の近く

の植木屋に住んでいたから︑自宅へ着くとたいてい鶏

にわとり

が鳴いて夜が明けたそうな︒

私は前に先生と自由に話をされる吉村さんをうらやま

しいと思ったように書いたが︑もうこの時分にはそんな

気はお互いに微塵もなかった︒そして︑めいめい先生は

自分のものだと思っていた︒少なくとも︑自分達共同の

ものだと思っていた︒家族の方々の先生ではなくして︑

弟子どもの先生

︱これは実にいわれのない話である︒

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が︑そういう気持ちが弟子どものあいだにあったことだ

けは事実だ︒

私どもは決して先生の家族を無視したわけではない︒

それどころか︑人によって程度の差こそあれ︑家族の方々

に対してはそれぞれ親愛の情を抱いていた︒それにもか

かわらず︑先生はやっぱり自分達のものだという気がし

ていた︒そして︑こんな気持ちは一方だけで抱けるもの

でない︒先生にも責任がある

︱とは言わないにしても︑

先生のほうにもそれを許しておかれたような形跡があり

はせぬか︒

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その当時私どもにはよくわからなかったけれども︑と

にかく先生は家庭的にさびしい人であった

︱だから弟

子どもがそんな気持ちを抱くことも黙って許しておかれ

た︒そして︑それなればこそ︑長谷川如是閑氏から﹁昔

だってありゃしないよ﹂と言われるような︑師弟の情誼

が生じたのではあるまいか︒

私どもの仲間にH君という宗教科出の男があった︒ド

イツ語がよくできたが︑よくできる以上に自信のほうが

強かった︒馬面で反歯で︑色が真っ黒で︑眼がぎょろり

うまづら

そっぱ

として︑男ぶるにはなに一つ取柄がなかったが︑それで

とりえ

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いて自分では菅原道真の子孫だと称していた︒そして着

ていた黒木綿の羽織の定紋を見せた︒見せられた者は大

くろもめん

概その梅鉢の紋所とH君の顔とをそっと見比べるのを常

、、

とした︒H君はまた相手が黙っているのを見ると︑自分

の言葉を疑われたように侮辱を感じて︑滔々とその由緒

とうとう

正しい系図を述べ立てるのを常とした︒なに︑こちらは

H君の系図を疑ったわけではない︑ただ道真公からH君

みちざねこう

にいたる数十代のあいだに起こった顔面の変化に︑こう

もなるものかとただあきれて見ているだけである︒

たしか先生が胃腸病院か︑あるいは大阪の湯川病院か

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に入院中であったと思う︒家族の方々がどこかへ避寒に

行かれた留守中︑H君は独身者のこととて先生の家の留

守番に頼まれて行ったことがあった︒書棚の本は何を引

き出して読んでもいいという特権を与えられていたの

で︑H君は大喜びで先生の書斎に陣取った︒そして︑そ

の時分のことだからガスストーブのめずらしさに︑汗を

だくだく流しながら朝から晩まで︑起きるから寝るまで

焚きつづけた︒その結果︑ストーブ一つだけでガス代一

たヵ月二十八円を払わせて︑大いに奥さんをめんくらわせ

たという珍談がある︒この珍談はH君の性格を紹介する

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ためにちょっと述べたまでで︑いわば序曲のようなもの

だ︒私が聞いてもらいたいと思った話の本筋はこれから

である︒

ある日

︱たしか先生が退院されて︑自宅で静養中︑

私どもが木曜日でも遠慮して出掛けなかった時分のこと

だと思う

︱このH君が朝っぱらから先生をその書斎に

訪ねて行った︒数回留守番をさせたことではあり︑先生

も快く面会されたが︑H君のほうでも気がねはしなか

こころよ

った︒が︑H君という人は話のおもしろいほうではない︒

それに先生も胃が悪いから強いて話をするのが大儀でも

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あったらしい︒二人は顔を見合わせたままむずむずとし

ているあいだに︑午飯の時刻になった︒H君は先生と膳

を並べて午飯のごちそうになった︒午後になっても︑H

君は何を言い出すでもなければ︑また何を頼みに来たと

いうわけでもない︒ただむずらむずらとしている︒先生

もまた客を放っておいて︑自分は自分で勝手に本を読む

というような︑無遠慮なことをする人ではなかった︒そ

のうちにやっと夕飯の時刻になった︒H君はまた先生と

膳を並べて夕飯のごちそうになった︒

それが済んでから先生は︑例によって︑医師の処方に

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よるいろいろの薬を服まれた︒薬を服んでしまうと︑ふ

と想い出したように︒﹁H君︑ぼくはこれからちょっと

散歩して来るよ﹂と言い出された︒先生はその時分︑こ

れも医師のすすめに従って︑一日に一度はきっと時間を

定めて散歩をするようにしていられたのである︒で︑﹁君

はもっと遊んで行くなら行きたまえ︒﹂こう言い言い先

生は立ち上がられた︒

﹁先生︑散歩ですか﹂と︑H君はびっくりしたように先

生の顔を見上げた︒﹁先生が散歩されるんなら︑私もい

っしょに出ましょう﹂そう言いながら︑H君はあわてて

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先生の後から随いて出た︒先生も別段随いて来るなとは

言われなかった︒こうして二人はいっしょに早稲田の門

を出た︒

二人は榎町の通りをまっすぐに矢来の交番下まで来

やらい

た︒ここを左へ曲がって江戸川縁へ出るのが.H君の下

へり

宿している本郷へ帰る順路である︒が︑H君は別段そう

する様子も見えない︒先生が桜のステッキを突いて︑こ

つこつ坂を上り始めると︑H君もその後から黙って随い

て行く︒二人は寺町の郵便局の前を通って︑日のあるう

ちに神楽坂へ出た︒神楽坂を降りて︑濠端の通りへ出た︒

ほりばた

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ここからも本郷へは帰られる︒が︑H君はやっぱり先生

から離れようとしない︒先生はまた牛込見附をはいって︑

富士見小学校の前のだらだら坂を上って行かれた︒H君

は影の形に添うがごとくに随いて来る︒それから二人は

偕行社の角にある石の燈籠の下まで来た︒ここからはぽ

かいこうしゃ

とうろう

つぽつ灯のとぼり始めた東京の下町が一目に瞰下される

かんか

のである︒

その角まで来て︑先生がちょっと足を留められると︑

H君は何気なくそのまま五︑六歩九段の坂を降り始めた︒

くだん

先生はそれを見て︑

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﹁おお︑君はそちらへ行くのか︑ぼくはあちらを回って

帰るよ﹂と言いながら︑内堀に添うて英国大使館の方へ

まわるさびしい道を杖で指された︒

﹁え︑あちらへお回りになるんですか︒じゃ︑私もお供

しましよう﹂と︑H君はまたもやすぐに踵を返そうと

きびす

した︒

こうなっては︑さすがの先生ももう敵わぬと思われた

かな

のであろう︒観念して︑

﹁H君︑実はぼくはひとりでもう少し散歩したいんだ

じつ

よ﹂と︑はじめて明白に切り出された︒

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で︑やっとH君も合点がいったと見えて︑すごすごと

がてん

一人で坂を降りて行った︑ということである︒

この話は私が故先生の口から直接聞いた話だから︑私

の覚え違いでないかぎりはまちがいはないものと思って

いただいてよろしい︒実際︑H君もそこまで先生に言わ

せるのはひどい︒私もずいぶん通じないほうだが︑H君

ときたらまた輪をかけて通じない男だから︑このくらい

のことは本当にあったろうと思うと︑当人を知っている

だけにいっそうおかしくなる︒が︑H君も単に通じない

ばかりでなく︑先生となら本当に奈落の底までもいっし

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ょに散歩する気でいたろうということも察してやらなけ

ればならない︒そしてまた先生はこうした通じない男が

別段きらいではなかった︒笑って話されたが︑その時は

迷惑でも︑あとでは愉快な追想であったに違いない︒こ

の一笑話がちっとでも先生とその弟子との関係を説明す

る役に立てば私の幸福である︒

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漱石とドストエフスキー

最近小宮君に逢ったとき︑彼憮然としていえらく︑

ぶぜん

﹁もしわれらの漱石先生が家庭的に恵まれた︑幸福な人

であったら︑おそらく一生俳句か漢詩でも作って︑俳人

もしくは詩人として︑その仲間に聞こえるくらいで終わ

ったろうよ﹂と︒

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これはずいぶん思いきった︑恐ろしい観察である︒が︑

ソクラテスはその妻クサンテッペのために弁証法を得た

とか︑シェークスピヤはその妻アン・ハザウェイから遁の

れてロンドンへ出奔したおかげで︑あれだけの大作がで

きたとか伝えられる︒それにいくばくの真理が含まれて

いるとすれば︑あるいは漱石先生についても同様のこと

が言われないとはかぎらない︒ことに先生の初期の作に

親しんでいる私どもにとっては︑その感が深いのである︒

小宮君の言葉を聞いて︑私は腕をこまねいたまま黙って

いた︒で︑しばらくしてから︑﹁そうか︑そうも考えら

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れるね﹂と︑ようよう吐息をついた︒

つらつらおもんみるに︑﹃吾輩は猫である﹄一篇こと

ごとくこれ自嘲の文字である︒あの諧謔と諷刺を通じ

かいぎゃく

て︑私どもは作者の抑えきれない憤懣の情を見ること

ふんまん

じょう

ができる︒つまり自嘲と諧謔を通してのみ︑先生は自家

の経験を語ることができたとも言われよう︒

﹃草枕﹄その他初期のロマンティックな作品にいたって

は︑先生の逃避的態度のいっそう顕著なものがある︒逃

避的態度というのは︑自家の実生活に面を背向けて︑も

っと好ましい︑もっと理想的な︑したがって作家にとっ

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てはいっそう真実の生活を創作の中に見出そうとするも

のである︒この態度をできるだけ貫こうとする気持ち

つらぬ

は﹃虞美人草﹄﹃坑夫﹄﹃三四郎﹄﹃それから﹄﹃門﹄等々

の長篇を書かれるに及んでもなお先生の頭から脱けきら

なかった︒が︑小説を書いて全然実生活に目を閉じると

いうことはほとんど不可能に近い企てである︒したが

くわだ

って先生も実生活を忌避しながら︑これらの作中におい

て︑やっぱり実生活に触れずにはいられなかった︒

で︑最後に思いきって正面から実生活にぶつかってい

かれたのが﹃道草﹄の一篇である︒これは先生が過去を

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清算するつもりで筆を執られたもので︑先生の作中にあ

っては特異の例といっていい︒

が︑こうして創作が実生活と接近するにつれて︑先生

はまた創作の中の生活から遁避する必要を感ずるように

とんぴ

なられた︒晩年︑先生が再び俳句と漢詩とを取り上げて︑

﹃明暗﹄一回を書き終わるごとに︑必ず漢詩一篇を作ら

なければ︑自分の生活がよごれたような気がすると言い

言いされたのも︑この間の消息を語るものである︒実際︑

かん

先生は先生のいわゆる﹁逃避的態度﹂に一貫されたもの

と言っていい︒

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事情は違うが︑同じように実生活から切り離されて︑

創作をもって自己の真の生活とした人にフョードル・ド

ストエフスキーがある︒彼は盲目的な運命の手によって︑

彼自身はいまだなにごととも覚りきらないうちに死刑を

宣告された︒そして︑再び絞首台の上から赦された︒ジ

ゆる

ョン・ミッドルトン・マリの言うところによれば︑彼は

こうしてひとたび死の深淵の上にぶら下がることによっ

、、

て人生から切り離された︑死の彼岸へ渡ってしまった︒

ひがん

それからさらにシベリアにおける四ヵ年間の流謫は完全

るたく

に彼を人生から絶縁してしまった︒さらに七年の兵役を

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終わった後︑十一年目に再びペテルスブルグヘ戻って来

たとはいうものの︑その時はもはや彼はロシア人に対し

て異邦人であったばかりでなく︑人生その者に対しても

異邦人であった︒

もっとも︑その後の彼にも実生活がないではなかった︒

妻も娶れば︑子供も生んだ︒が︑彼の実生活と創作とは

めと

なんの関係もなかった︒四ヵ年間の流謫のあいだ︑彼は

るたく

語るに友なく︑檻に捕らわれた獅子のようにさまよいな

おり

がら︑ひとりで考えつづけた︒その考えのつづきを逐う

て︑彼はその後二十年間生きていた︒彼の真の生活はそ

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の意識の流れの中にあった︒

その意識の発展の各段階をあらわすものが﹃罪と罰﹄

のラスコールニコフであり︑スヴィドリガイロフであり︑

﹃白痴﹄のムイシキン公爵であり︑﹃悪霊﹄のスタフロ

ギンであり︑﹃カラマーゾフの兄弟﹄のイヷンの悩みを

経て︑霊肉合致の新人アリョーシャを創造したところに︑

ドストエフスキーの意識展開の絶巓がある︒

せってん

が︑実生活と絶縁して︑創作の中に真の生活を求めた

点において︑両者の一致するものがあったとはいえ︑そ

れにしてもドストエフスキーの歩んだ道と漱石先生のた

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どられた道とのいかに違っていたことよ︒もちろん︑究

極において両者の行き着いたところは同じであったかも

しれない︒アリョーシャは結局﹁則天去私﹂を肉体化し

たものにすぎないかもしれない︒が︑私はそこにいたる

までの道程を言うのだ︑あらわれ方を言うのだ︒

みちのり

﹃白痴﹄の主人公ムイシキン公爵はスウィッツルの山中

にあるとかいうサナトリウムから帰来︑ただちに人に向

きらい

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かって︑

﹁死刑の怖ろしいのは︑いま一時間たったら︑十分たっ

おそ

たら︑三十秒たったら︑いますぐに

︱魂が肉体から

たましい

飛び出して︑もう人間でなくなるんだ︑ということを確

実に知ることです︒⁝⁝この確実というのが大切な点で

す︒宣告を読み上げて人を殺すのは︑強盗の人殺しなど

とは比較にならぬほど怖ろしいことです︒強盗に夜間森

の中で斬り殺される人は︑必ず最後の瞬間まで救助の希

望を持っています︒⁝⁝戦場へ兵士を引っ張って来て大

砲の真ん前に立たして︑そいつをねらって発射してごら

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んなさい︒そいつはいつまでも一縷の希望をつないでい

いちる

ます︒ところが︑この兵士に対して死刑の宣告を確実に

読み上げたらどうです?

そいつは半狂乱になって︑き

っと泣き出しますよ﹂と言っている︒

私は初めてこの一節を読んだとき︑ほとんど人生観が

一変したかと思われるほどの大きなショックを受けた︒

おそらく﹃白痴﹄をまじめに読んだ人なら私と同感であ

ったに違いない︒しかもムイシキン公爵をしてこんなお

そろしい真理を言わせえたのはドストエフスキー自身の

経験ではないか︒ドストエフスキーみずから確実に死刑

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を宣告されて︑﹁いま一時間たったら︑十分たったら︑

三十秒たったら︑魂が肉体から飛び出して︑自分はもう

人間でなくなるんだ﹂と知りながら︑一秒一秒その死が

近づくのを待った覚えがあるからではないか︒﹁経験も

また天才の一部分である!﹂とは︑私がその時覚えず発

した絶叫である︒

実際そういう経験があればこそ︑ドストエフスキーは

またよく︑二歩前に立った女からピストルを向けられて︑

最初の一発がはずれ︑二発目が不発に終わると﹁まだ三

発目が残ってるでしょう︑今度はしっかり!﹂と声をか

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けるだけの超人スヴィドリガイロフも創造されたのであ

ろうし︑万一にも絹紐の解けぬように石鹸の泡をぬたく

、、、

きぬひも

せっけん

っておいて︑従容として首を縊るだけのスタフロギン

しょうよう

くく

も想像されたのであろう︒もっと進んでいえば︑自分に

はあらゆることが許されるという確信をもちながら︑厭い

うべきスメルジャコフが自分の意を継承して父親を殺し

たために︑自分としてはどうしても父親を殺したとは承

認されないが︑しかもそれを承認しなければ自分の罪は

許されないというジレンマに悩むイヷンの超人的な悲劇

も︑ドストエフスキーの経験があってはじめて想像に浮

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かんでくるもののように私には信ぜられる︒

では︑どうしてドストエフスキーのような異常な経験

がドストエフスキーにのみ与えられて︑他の者には与え

られないか︒そりゃ罪なくして死刑を宣告される

︱少

なくともみずからを正しと信じながら死刑を宣告される

くらいのことは︑今日のような社会情勢のもとにあって

は︑わが国でも決してありえないことではない︒しかし

ながら︑いったん死刑を宣告されて︑なおかつ絞首台の

上から安全に降りて来ることは︑ドストエフスキーでも

なけりゃちょっとむずかしい︒﹁経験も天才の一部分で

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ある!﹂というような︑神秘めいた格言を私が信ずるよ

うになったのも︑まったくこの理由に基づく︒

一方︑創作心理を説く在来の学者の説はたいてい私と

は反対のようだ︒曰く︑﹁作家の境遇とか生活経験とか

いわ

いうと︑すぐ波瀾重畳︑絶望と歓喜の交錯する生活経

はらんちょうじょう

験を想像しがちだが︑事実は必ずしもそうではない︒ゲ

ーテはどうだ?

漱石はどうだ?

漱石のことは言うに

およばず︑ゲーテといえども︑今日のいわゆるブルジョ

アの家に生まれ︑外的にはなんらの破綻もなくきわめて

恵まれた環境のうちに︑位人臣の栄を極むるところま

くらいじんしん

えい

きわ

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で進んでいった︒しかも経験という言葉を常識的に考え

れば︑ゲーテにはとくに経験と称すべきほどの経験はな

かったと言われる︒しかしドストエフスキーのような経

験ばかりが経験ではない︒ゲーテにも漱石にも︑その創

作活動を刺激するだけの経験なり境遇なりはあったので

ある︒作家に取って︑重要なのは︑そうした外的経験や

境遇の多様さではない︒むしろかかる外的生活を感受し

て︑そこに意義と刺激とを見出す内的生活経験の深さで

ある︒創作活動の重要な条件として異常な人間生活を要

求するのは︑われわれのややともすればおちいりがちな

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謬見である﹂と︒

びゅうけん

まったくそのとおりである︒外的経験に遭逢して︑た

そうほう

だちにそれを消化して自分の血や肉とするだけの内的準

備の必要であることは︑私といえどもこれを否認するも

のではない︒現にドストエフスキーとともに絞首台から

降ろされたのは︑ほかにも数人あったはずである︒しか

もムイシキン公爵をしてあの言を成さしめたものはドス

トエフスキーひとりであったところから見ても︑それは

自明の理と言わなければならない︒が︑それだからとい

って︑外的経験が全然無用であると言われようか︒私は

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そこに疑いがある︒

金もうけの才があるものはずいぶん多い︑しかも実際

成金になるものが寥々としてしかくまれであるのは︑

りょうりょう

機会と境遇に恵まれざるによる︒この比喩は天才と境遇

の場合に当てはまらないだろうか︒どうも少し食い違っ

てるようだ︒それは金もうけが相手仕事である︑社会の

情勢に依存することが多いのに対して︑創作は全然ひと

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りの仕事だからにほかならない︒が︑そこに機会と境遇

との作用する余地が全然ないとは言われない︒

なるほど﹃ハムレット﹄劇の前史となっている亡霊︱

王︱王妃の三角関係がシェークスピヤの私的生活の反映

であるからといって︑シェークスピヤの生活にかかる不

祥事件がなかったら﹃ハムレット﹄は作られなかったろ

うと推定するのは早計である︒﹃ハムレット﹄はいくら

も他の形を取って書かれたろう︒が︑畢竟それも書か

ひっきょう

れたろうである︒もし多く考うるために行動の自由を失

った優柔不断の青年を想いつかせるような事情なり境遇

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なりがシェークスピヤに全然欠けていたら︑あるいは﹃ハ

ムレット﹄はこの世に現われなかったろうとも言われな

いことはない︒

その昔漱石先生は︑私があまりにしばしばドストエフ

スキーを口にするのを見て︑

﹁なにもドストエフスキーの描くような異常な局面ばか

りが深刻な人生を示唆するものとはかぎらない︒もっと

平凡な生活のうちに深刻な人生を暗示するものがいくば

くもある﹂といって︑私をいましめられた︒私はそれに

対して返す言葉はない︒しかしながら︑先生は異常な経

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験をもたれず︑またそれに興味も持たれなかったために︑

日常の瑣末な事件のうちに人生の深刻味を発揮された

さまつ

︵ときには﹃心﹄のようにかなり異常な事件を取り扱われた

ものもないではないが︑まず主義として︶︒それに対して︑

ドストエフスキーは人生の可能性をあくまで押しつめて

いったために︑ああいったような作品が生まれた︒両方

ながらそれでよいではないか︒ことに︑もしシェークス

ピヤがアン・ハザウェイから遁れてロンドンへ走ったた

のが

めに︑あれだけの大作ができたと同じように︑先生も家

庭があまり幸福でなかったために創作に走られたという

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ことが真実とすれば︑境遇が作家をつくるという私の提

言も︑その意味では決して過言ではあるまい︒

とにかく︑作家の境遇と創作活動との内面的関係を思

えば︑異常な体験を持つということがいかに作家にとっ

て有利であるかは多く言うまでもあるまい︒﹃蟹工船﹄

に始まったプロレタリア作家の作品が当初読者の心を捕

らえ得た原因の一つは︑未知の生活部面を描いて見せた

ところにあったらしく思われる︒

が︑単に異常なものを作品に表現しようとすることだ

けに専念すれば

︱そして︑ジャーナリズム資本の要求

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は絶えずそうした方向に作者を引きずろうとしている

︱やがて読者の猟奇趣味に訴えるだけのものに堕落す

る恐れがある︒異常な生活体験を持つうえに︑さらに深

刻な内面生活を持っていたら︑それこそ鬼に鉄棒といっ

かなぼう

てよかろう︒現に極左派に属する作家達は︑われわれ常

人には想像も及ばないような境遇に置かれているらし

い︒こうした人々が自分の生活を単に記録的に表現した

だけでも︑ある程度までは読者の心を捕らえることがで

きよう︒

が︑文学作品という一つの独立した鑑賞と享受の支配

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するところでは︑さらにかかる異常な体験を深化して︑

それに意味を与えるだけの精神的準備が必要である︒プ

ロレタリア作家の中には︑死というようないわゆる極限

状況に直面しなければならない人々もそのあいだには出

てこよう︒いや︑すでに出てきたようだ︒が︑そうした

生活経験を単に形式的に資本主義社会の罪に帰している

だけでは︑情緒を媒介とする作品では不十分ではなかろ

うか︒この点は︑プロレタリア作家に対して︑せつにそ

の再考をわずらわしたいところである︒

私は前に︑﹁境遇もまた天才の一部分である!﹂と言

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った︒が︑その言葉のうちには︑﹁だから天才と同じよ

うに︑境遇も作家が自分で勝手に作るわけにいかない﹂

という意味も含まれていると承知せられたい︒私は何が

きらいだといって︑労働者の体験が得たいからといって︑

わざわざ夫婦で労働街へ行って住んでみたり︑極左派の

内部の事情に通じたいからといって︑創作の目的で左翼

の中に入り込んだりするようなインチキ連くらいきらい

なものはない︒こういう連中は労働者や左翼にもあまり

喜ばれなかろうが︑純芸術の仲間にだって喜ばれるはず

がない︒いったいまたそういう性根で純粋の労働者や左

しょうね

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翼の気持ちが体験されようとも思われないのである︒私

はそういうイカサマ師に向かって言ってやりたい︒

﹁どうだ︑いっそやるくらいなら︑一つ思いきって死刑

の宣告を受けるところまでやってみては!

もし天が本

当にお前を不世出の作家にするつもりでいたら︑きっ

ふせいしゅつ

とドストエフスキーのように絞首台の上から安全に降ろ

してくれるに相違ないから﹂と︒

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最後に作家の修養

︱それも読書修養の方面について

一言してみたい︒これは﹃帝大新聞﹄の記者のご注文に

応じてである︒

境遇はしかく作家のうえに重大な影響を持つものであ

るが︑しかもその境遇は天から与えられるもので︑われ

われが勝手に作るわけにはいかない︒といって︑われわ

れは常に自分の境遇を拡大し︑経験を拡充したいという

やむにやまれぬ欲望に燃えているとすれば︑これをどう

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したらよかろう?

そこにはただ一つ読書という道が残

されているばかりである︒書物は要するに他人の経験の

蓄積である︒そこに表われた思想や観念は︑畢竟するに︑

過去の偉大な生活経験を基礎として作りあげられたもの

にほかならない︒われわれが取ってもってこれを自分の

経験の代用として利用するに︑なんのはばかるところぞ

やである︒

が︑作家が他人の思想や観念から教えられたり影響さ

れたりするといっても︑それは決して作家が全然未知の

観念や思想を受けいれて︑それを出発点として新たな生

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活経験をするという意味ではない︒形式からいえば︑そ

の正反対である︒作家自身の生活経験の中に︑新しい思

想なり観念なりを受けいれられるだけの素地ができてい

て︑

︱つまり作家自身の過去の生活経験によって︑新

しい思想なり観念なりを理解し消化するだけの土台がで

きていて︑はじめてその作家は新しい思想や観念を受け

いれ︑それによって人生の新局面を認識するようにもな

るものだ︒と︑まあこんなことはことごとしくここに説

き出すまでもあるまい︒

で︑ただちにその実例に入る︒その昔芥川龍之介君が

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漱石山房に出入りするようになってからまもなくのこと

であった︒ところで︑この話は結局故人の欠点を暴露す

るようになるから︑いかにとは思うが︑いったい芥川君

という人は評判のいい人だ︒ときにはよすぎるかとも思

われるくらいよい人だ︒ところが︑人間というものはそ

うそう完全なものではない︒芥川君にだって人から笑わ

れるようなことが一つや二つあってもいいはずであるば

かりでなく︑それでなければもはや人間ではない︒それ

に︑同君が学生時代を終わったばかりで︑﹃芋粥﹄その

他を書き出して︑内外の評判がよく︑新進気鋭︑当たる

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べからざる勢いを持していた当座のことだということも

眼中に置いて読んでいただきたい︒

その芥川君が︑一日漱石先生に向かって︑最近自分は

いちにち

ガーネット夫人の訳でトルストイの﹃戦争と平和﹄を二

日二晩で読み通したというようなことを言い出した︒﹃戦

争と平和﹄はガーネットの訳で一千ページに近く︑ぎっ

しり詰まった四六判で︑あれを二日二晩で読み通すこと

は︑いくら英文学科の秀才でも︑あまりに神出鬼没の早業

はやわざ

である︒さすがの漱石先生も︑

﹁へえ︑それは本当かい﹂と︑眼をしょぼしょぼさせな

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がら聞き返していられた︒

そうなると︑芥川君もあとへは引かれない︒

﹁ええ︑興に乗じて二晩とも徹夜してしまいました﹂と

言い張った︒

﹁そうかねえ﹂と︑これも英文科を前後して出たH君が

あいづちを打った︒﹁世には﹃カラマーゾフの兄弟﹄を

三ヵ月半もかかって読んだという人もあるのに!﹂

この﹃カラマーゾフの兄弟﹄を三ヵ月半かかって読ん

だというのは︑実は私自身のことである︒H君もよけい

なことを言うなと思いながら︑私は黙ってかたわらで聞

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いていた︒話はこれぎりである︒こんなつまらない話を

私が今日までおぼえているのは︑私のことが引き合いに

出されたからにほかならない︒

私が﹃カラマーゾフの兄弟﹄を読むに三ヵ月半要した

のは︑私の英語の読書力が弱いこと︑頭脳が早く回らな

いことなぞをことごとく勘定に入れても︑少し長すぎる

ようだ︒が︑私は実際百日あまりかかった︒その間私は

寝食を忘れて︑昂奮して︑ひとりで笑ったり泣いたりし

ていた︒同じページをみつめたまま一日も二日もじっと

考え込んでいることもまれではなかった︒考え込んでい

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るといって︑ただそのページの文字によって喚び起こさ

れた空想に︑それからそれへと耽っているばかりである︒

ふけ

一口にいえば︑私は﹃カラマーゾフの兄弟﹄を自分の経

験として経験していたからにほかならない︒

想うに芥川君が二日二晩で﹃戦争と平和﹄を通読され

たのは︑それは学者としてただ知るために読まれたから

であろう︒私もときにはそういう読み方をしないでもな

い︒が︑そんな読み方をしなくちゃならないような書物

は︑なるべく読まないようにしている︒といって︑三ヵ

月間もつづいて私を昂奮状態に入れておいてくれるよう

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な書物には︑これまためったに出くわさない︒仕方がな

いと︑私はいつも新約聖書に返るようにしている︒バイ

ブルの作者としてのキリストに返るのである︒

﹁ニーチェくらいキリストを嫉妬した男はない︒ドスト

エフスキーもキリストを愛し︑キリストの歩んだ足跡を

たどろうとした︒しかし彼はニーチェのようにキリスト

を嫉妬することはなかった﹂とは︑アンドレ・ジードの

言うところである︒キリストを嫉妬するのはあまりにア

ムビシャスである︒しかし︑謙譲な気持ちで︑﹁キリス

トに返れ!﹂

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とはいかなる作家に向かっても言われうることではな

かろうか︒﹁血をもって︑身をもって書いたキリスト

に!﹂

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漱石と寺田博士

私が寺田さんにはじめて会ったのは

︱とも言われな

い︑その以前にやはり漱石先生のお宅で︑多人数会合の

席上で二︑三回は会ってるだろうと思うが︑はっきりし

た印象が残っていない︒はっきりした印象の残っている

のは︑明治三十九年八月二日である︒これは漱石先生か

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ら翌日いただいた返事

︱私のその晩出した手紙の返事

︱によって明白である︒

私はその年の七月大学を出たばかりのほやほやの文学

士である︒もちろん就職もしていないし︑またそんな望

みも薄かった︒しかし漱石先生の宅を訪問したのは就職

の依頼ではない︑ただ無駄話に出掛けたのである︒その

時先着の客に寺田さんがあった︒私は先生と寺田さんの

話を傍聴しながら︑ただまじまじとふたりの容子を眺め

ようす

ていたらしい︒その時どんな話が出たかは一つも覚えて

いないから︑まず聴いていたよりは︑見ていたほうが主

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であったと思われる︒これは先輩︑長者の席に後輩もし

くは田舎漢が列なった場合にありがちのことだから︑な

いなかもの

つら

にも私ひとりに限ったことではない︒

なんでも寺田さんはその時例によって白のリンネル

の︑それも幾度か水をくぐったらしい皺苦茶の洋服を着

しわくちゃ

ていられたように思うが︑その後もしじゅうそういう服

を着ていられたから︑これはあとからくッつけた連想か

もしれない︒ただ確実なことは黒の蝶結びのネクタイを

していられたことだ︒そのネクタイは︑今はたぶんそん

なのはあるまいが︑初めからちゃんと結んであって︑背

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後でゴムのバンドで留めるような仕かけになったもので

ある︒その蝶結びのネクタイがカラーのボタンをはずれ

て︑だんだん上へ上がっていく︒そして︑寺田さんの長

い頸の咽喉仏の所へ行って留まる︒寺田さんはしきり

くび

どぼとけ

に先生と話をしながら︑気にしてはそのネクタイを下げ

られるが︑それがまたすぐにはずれて上へ上がって行く︒

﹃吾輩は猫である﹄の第一冊が出たころで︑玉擦りの寒

たます

月は寺田さんだという評判が立っていた︒見ると︑寺田

さんの前歯は﹃猫﹄の中に書いてあるように一枚欠けて

ある︒こんな証拠があっては︑いくら自分のことでない

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と抗議をしても仕方があるまい︒私はそれを気の毒と思

うよりはむしろうらやましいような気がした︒が︑蝶結

びのネクタイがはずれるのばかりはなんだか気の毒なよ

うな気がして︑どうかならぬものかなと気をもみながら︑

私はその欠けた門歯と蝶結びのネクタイを等分に見較べ

ていた︒すると︑その間に若い婦人が主客の前に茶菓を

運んで来られた︒

私は一年足らずも先生の門に出入りしていたけれど︑

奥さんの見参に入ったのはこの時がはじめてである︒だ

から︑これが先生の奥さんだとは知らない︒ご承知のと

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おり︑先生は年よりも老けて見える人である︒そこへ奥

さんがまた年よりも若く見えたものだから︑どうもこれ

は先生の奥さんじゃないような気がした︒それに先生の

奥さんともあろうものが︑自分でお茶を汲んでくださる

ことはあるまいというような︑田舎漢らしい遠慮も手伝

いなかもの

った︒しかし︑万一奥さんであれば︑またそのようにて

いねいにあいさつしなければすまない︒いずれにしても︑

寺田さんのあいさつの仕振りを見ていようと決心した︒

ところが︑寺田さんは自分の前へ茶碗を出されても︑﹁ふ

む﹂といったように︑首を一つ背後へ反らしたばかりだ︒

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仕方がないから︑私の番になっても︑やはりそのとおり

に首を一つ背後へ反らしておいた︒もしこの寺田さんが

茶碗を引っくり返したら︑私もいっしょになって茶碗を

引っくり返したかもしれない︒そのくらい私はずぶの百

、、

姓であったのである︒

が︑下宿へ戻ってからも︑どうもそのことが気になる

ので︑その晩さっそく先生に手紙を書いて︑いったい今

日出ていらしたのは先生の奥さんですか︑先生の奥さん

にしてはどうも若すぎる︑しかしはたして先生の奥さん

であったとすれば︑誠に失礼したと︑お詫びがてら︑い

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ま思えばずいぶん遠慮のない質問をしたものだ︒それに

対して︑先生から︑﹃書簡集﹄の中にもあるように︑﹁君

にお辞儀をしたものはまさにぼくの妻にして年齢は当年

三十︒二十五︑六に見えたと申し聞かしても喜びそうも

ないから話さずにおく︒ぼくの妻にしては若すぎるとは

大いに此方を老人視したものだ﹂という返事をいただい

こちら

たのである︒

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昨年の夏漱石先生の二十回忌記念として︑新たに全集

を発刊する相談会が星ヶ岡茶寮で催されたとき︑私は久

しぶりに寺田さんに会った︒寺田さんの奥さんとそのお

妹さんとには時折お目にかかる機会があったが︑寺田さ

んに会ったのは実際久しぶりであった︒そして︑妙に寺

田さんが年を取られたような気がした︒そう思ったのは

私ひとりでないとみえ︑鈴木三重吉君のごときは︑

﹁寺田さん︑あんたまだそんなに年取って見える年齢じ

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ゃないだろう︒それは入れ歯が悪いんだよ︒いいから入

れ歯を代えて︑一つ若返りなさい﹂と︑面と向かってず

けずけ言っていた︒寺田さんはにやにや笑いながら聞い

ていられた︒

その席上︑私に漱石先生の﹃言行録﹄を集めろという

ような提議が一同からあった︒私はほかにやりかけた仕

事もあって︑あまり気が進まなかったので生返事をして

おいた︒ところが︑その後どうしてもやってくれという

ような話が持ち上がって︑私は九月になってから一度寺

田さんのお宅へ相談に行った︒で︑もし寺田さんが一語

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でも﹁それに及ぶまい﹂と言われたら︑断じてやらぬ腹

であった︒しかるに寺田さんは︑それどころか﹁ぜひや

ってもらいたい﹂というので︑九月の初旬第三高等学校

の校長であった溝渕進馬さんの亡くなった例を挙げて︑

﹁夏目先生の大学寄宿舎時代には︑隣室に浜口雄幸だの︑

大原定馬だの︑溝渕進馬だのという人々がいられたそう

だが︑どうも土佐ッぽうというものは議論好きで︑朝か

ら晩まで議論ばかりしていて︑やかましくって困ったと︑

ぼくに向かって言われたことがある︵これは寺田さんが

同じく土佐人であるところから︑先生はわざと当てつけてそ

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う言われたものらしい︶︒ところが︑その浜口さんも大原

さんもとうに亡くなって︑溝淵さんひとり残っていられ

たのが︑これも二︑三日前に亡くなった︒こうして先生

を知っている人は続々死んでいく︒ぼくだって十年たて

ばもういやしない︒その意味において︑﹃言行録﹄の仕

事は本当に一日を緩うすべからざる仕事だよ﹂と言われ

ゆる

た︒私はその熱心さにほだされて︑﹁ではやります﹂と

即座に請け合ってしまった︒来た時とはまるで反対の決

心をしたのである︒

その後同じ仕事について相談するために︑私は二︑三

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度引き続いて寺田さんを訪問した︒その都度寺田さんは

家の中ながら杖を突いて応接間へ出て来られた︒そして

﹁どうも腰が痛んで困る︒神経痛らしいが︑まだ医者に

はかからない︒ぼくの病気はそこらの医者にはわからな

いし︑わかるような医者はいばっているからいやだ﹂と︑

まるで駄々ッ児のようなことを言っていられた︒﹁わか

るような医者﹂というのは︑大学のお医者さん連のこと

らしい︒

で︑そのあとから﹁君︑いつか真鍋君のことを書いた

ね︑あれは実に痛快だったよ﹂と︑例によって顔中皺だ

しわ

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らけにして笑っていられた︒実際私は五︑六年前朝日の

学芸欄に真鍋国手に﹁大人の百日咳﹂を診察してもらっ

まなべこくしゅ

た話を書いたことがある︒しかし私はただ国手が診断に

ついていかに敏感であるかを叙述したまでで︑決して国

手をやっつけた覚えはない︒が︑寺田さんのようなデリ

ケートな性質の人から見れば︑あれでもやっつけたこと

になるんだろうと思ったら︑内心少々おかしくなった︒

同時に寺田さんと私とでは︑このくらい対人関係の認識

が違うのかと思うと︑なんだか自分が下品なような気が

して︑反省もされた︒

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十月二十四日の午後︑私は寺田さんがいよいよ病床に

つかれたと聞いて︑田原屋のメロンをさげて見舞いに行

った︒病床につかれたといっても︑私は早く医者にかか

って︑本格的養生されたらよかろうと願っていたから︑

いよいよその気になられたんだなと思っただけで︑これ

が死病になろうなどとは夢にも思っていなかった︒

で︑病床に通ると寺田さんは︑﹁いよいよ降参して医

者にかかったよ﹂と笑っていられた︒

﹁医者にもよくわからぬらしいが︑なんでも腰のあたり

の背中の方に腫物ができたというような説もある︒いず

はれもの

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れ永くはかかるらしいが︑生命には別条ないようだ﹂と

いう返事︑私ももちろんそのつもりである︒

で︑その月はちょうど﹃漱石全集﹄の第一回が配本に

なった折とて︑月報の中の﹃言行録﹄に載った前田つな

子刀自の若いころの写真の話が出て︑﹁あれはインテレ

クチュアルなよい顔で︑これなら先生も気に入ったろう︒

ぼくもこの顔は好きだ︒あの話の中に︑山川さんはよく

話をなさるが︑先生はめったに口を利かれなかったとあ

るね︒あれは先生︑自分が気に入っていたものだから︑

色気があるので口が利けなかったんだね﹂と︑寺田さん

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はまた顔中皺苦茶にして笑われた︒

しわくちゃ

寺田さんは︑前に見た時より多少面やつれはしていら

おも

れたが︑元気はなかなかある︒そして︑仰向けに寝たま

あおむ

ま︑すぱすぱとしきりに巻煙草をふかしては︑苦しそう

に咳き込まれる︒その息の下から︑﹁どうも咳をすると︑

腹の筋が緊張して︑背骨が痛む﹂と言われるから︑﹁そ

りゃ煙草はよくないでしょう︑少しおやめになっては﹂

と言うと︑﹁こう寝てばかりいては︑煙草でも喫まなく

ちゃやりきれない﹂と︑またしても駄々ッ児のような返

辞である︒が︑その駄々ッ児のような返辞の中に︑私は

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ある種の親しみとなつかしさを感じてうれしかった︒

で︑家人の注意もあったしするから︑まもなく辞して

かじん

帰ろうとすると︑当の寺田さんは﹁もう帰るのか!﹂と

びっくりしたように私の顔を見ていられた︒﹁ええ︑き

ょうは帰ります︒まあ泰然としてゆっくり寝ていらっし

たいぜん

ゃい﹂とあいさつしたら︑﹁痛くさえなけりゃ︑いくら

でも泰然として寝ているが︑ときどき発作的に痛み出す

からあまり泰然ともしていられない﹂という返辞であっ

た︒私はその返辞を聞き流すようにして病室を出た︒

これが私の生きている寺田さんを見た最後である︒十

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一月いっぱいは︑私は長男が結婚したために︑なんやか

や取り紛れて寺田さんを見舞う暇がなかった︒もっとも︑

まぎ

十一月二十二日︑わざわざ仙台から出て来て︑その披露

宴に列席してくれた小宮豊隆君は︑その席へ来る前に寺

田さんに会って来たそうだ︒そして︑あとで聞けば︑そ

の時すでに夏目先生の臨終の前に見たような死相があら

われているのを感じたということである︒が︑そんなこ

とは聞かせてくれぬから︑私はもとより知ろうはずがな

い︒そ

れから二︑三日後︑故篠本二郎氏の原稿に関して︑

しのもと

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寺田さんから奥さん代筆の書面をもらった︒なんでもそ

の書面によると︑寺田さんはあの原稿について伝言を小

宮君に託されたか︑あるいは託さなくとも当然小宮君か

ら伝わっているものと考えていられたらしい︒が︑小宮

君も取り紛れてか︑その席上では一語も寺田さんのこと

に言い及ぼさなかった︒で︑私は代筆の書面を見ても︑

自分なぞは寝ていなくとも時たま代筆をさせかねない︑

寺田さんは仰向けに寝ていられるのだから代筆くらいは

当たり前だくらいに考えて︑重態なぞとは夢にも考え及

ばなかった︒今にして思えば︑これが寺田さんの病床に

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ありながら︑私の﹃言行録﹄の仕事を念頭に置いてくだ

すった最後であった︑少なくとも最後になってしまった

のである︒

十二月六日の夜︑私は﹃言行録﹄の談話を聞くために︑

かねがね寺田さんから一度訪問するように言われていた

木部守一氏を田園調布のお宅に訪問した︒木部さんは寺

田さんの五高時代の同窓で︑その後理科から法科に転じ

て︑外交官からさらに実業界に入られた人である︒寺田

さんは木部さんの頭脳については常に敬意をもって語ら

れ︑なにごとにも独自の意見を有する人だからというの

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で︑夏目先生の﹃言行録﹄にも︑まずこの人の話を聞く

ようにすすめられた︒私は十月中から木部氏に会見を申

し込んだが︑いろいろな都合で遷延して︑この日はじめ

せんえん

てその目的を果たした︒

で︑さっそくその結果を寺田さんに報告したいと思っ

たが︑とにかく寺田さんの勧告の一つを果たしたという

ことに安心して︑その報告はまあ後でもよかろうという

ような気持ちもあったうえに︑十一月中のどさくさから

自分自身の仕事もつかえていたので︑とうとう師走中は

横着をきめて︑その報告も︑寺田さんの病床を見舞う

おうちゃく

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こともおこたってしまった︒いまから思えば実に残念で

たまらないが︑どうにも仕方がない︒が︑いよいよ暮れ

に押しつまって︑東朝の学芸欄のために︑初春の読み物

として︑﹃人を褒める﹄の蕪文を草したとき︑どういう

ぶぶん

そう

ものか真っ先に寺田さんのが書きたいような気持ちにな

った︒私からいえば﹁虫が知らせ﹂たのである︒が︑そ

の時は︑そんなこととは知らないから︑寺田さんがこれ

を読んだらどんな顔をされるだろう?

苦い顔はしても

まさか腹を立てられるようなことはあるまい︒とにかく

春になったら様子を見に行こうと思っているあいだに︑

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二十九日危篤の新聞が出てしまった︒

私はその時風邪発熱で病臥中であったが︑新聞を読

びょうがちゅう

んでもまだ嘘のような気がしていた︒すると︑三十一日

の午後二時岩波から寺田さんの臨終を知らせてくれた︒

私は病床から起き上がって急いで行ってみたが︑どうし

ても寺田さんの死顔を見る気にはなれなかった︒私とし

ては︑最後に会った時のあの笑い顔をいつまでも記憶に

留めておきたかったのだ︒で︑臨終の寝室の枕辺に立っ

ても︑わざと顔の被いを取らずにおいてもらった︒

おお

私は正月元旦から出た﹃人を褒める﹄の最後へもって

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いって︑﹁寺田さんの死は惜しいというよりも︑私には

なんだか腹が立つくらいである﹂と書き添えた︒誰かか

ら不当な損害でも与えられたような気がして︑腹が立つ

のである︒誰がけしからんかわからないが︑とにかくけ

しからんような気がして︑腹が立つ︒これが私の実感で

あった︵﹁損害﹂といえば︑私自身の損害も無意識に加わっ

ているかもしれないが︑そんな不純なつもりはない︒もっと

大きな損害である︑国家人類のための損害である︶︒

私の勝手を言えば︑漱石先生の﹃言行録﹄は半分は寺

田さんに背負ってもらうくらいの了簡でいた︒しかも

りょうけん

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﹁十年たてば︑もうぼくもいないよ﹂と言ったその人は

十年どころか︑百日もたたないうちに逝ってしまった︒

実際︑﹁虫が知らせる﹂ということはありうる︒寺田さ

んがあんなに﹃言行録﹄のために気をもまれたのは︑一

つは寺田さん自身自覚せずして︑この﹁虫が知らせた﹂

のかもしれない︒寺田さん自身の話を聞かないで済んだ

のは︑いかにも残念だけれど︑七︑八年前に寺田さんの

書かれた﹃漱石先生言行録﹄の原稿はまだ残っている︒

私はそれをせめてもと思っている︒

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漱石と生田長江

生田君の若いころの想い出を語れば︑ほとんど尽きる

ところを知らないくらい多くあるが︑その一つを話せば︑

ある時ふたりで話しているあいだに夏目先生の噂が出

た︒その時ぼくはこんなことを言った︒

﹁どうも夏目先生という人は︑ぼくがなにごとかを言い

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出すと︑必ずその反対説を唱えられる︒それがとっさに

出てくるんだね︒だから︑ぼくが先生は旋毛曲がりだと

つむじ

言ったら︑いや︑ぼくは断じて旋毛曲がりではない︑ぼ

くの旋毛は直きことかのごとしだ︒ただぼくは君らの説

なお

があまりに一方に偏しているから︑その反対対当を立て

へん

アンチセーシス

てお目にかけるばかりだと言っていられた︒つまり先生

という人は︑正︑反︑合といかなければ気のすまない︑

一種のヘーゲリヤンだよ﹂と︒

それを聞いて︑生田君はまたこんなことを言った︒い

わく︑﹁そりゃヘーゲリヤンでもあろうが︑どうもぼく

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には︑先生という人は弟子の欠点を見て︑それを匡正

きょうせい

してやろうという方面に︑主として頭脳の働く人のよう

あたま

に思われるね︒が︑ぼくの考えでは︑若い者というもの

はその欠点を是正しようとかかっても︑決して是正され

るものでない︒それよりもおだてるにかぎる︒おだてる

というと語弊があるが︑どんな人間にもどこか長所はあ

るから︑その長所を見てそれを奨励してやるんだね︒誰

だって褒められればうれしいから︑いよいよその長所を

発揮するようになる︒こうして長所が助長されていけば︑

短所は自然とその陰に隠れて︑しまいには消滅するもの

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だよ﹂と︒

私に言わせれば︑夏目先生といえども︑必ずしも他人

の短所ばかり見て長所を認めない人ではなかった︒むし

ろ大いに他人の長所を認めた人である︒現に私の友人の

鈴木三重吉君のごときは︑ホトトギス派の写生文から入

ったために︑最初からその長所を先生に認識されて︑後

日大成を見た︒

しかし︑私は先生の門に入る前に︑まず自然主義の文

学に接して︑いわゆる自然主義の洗礼を受けていた︒そ

れがために︑文学上の意見では︑どうしても先生とは反そ

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りの合わないところがあって︑なにか言えば︑すぐにや

っつけられやっつけられしたものだ︒私よりも夏目先生

に近づくことの薄かった生田君は︑いっそうその感が深

かったに相違ない︒したがって生田君が夏目先生に対し

て前に挙げたような見解を持ったのも︑同君としてはも

っともな次第である︒

私がはじめて向陵のクローバー生える校庭で文学を

こうりょう

語り合った自分の彼は︑先輩高山樗牛に傾倒して︑気を負お

うた︑意気軒昂たる青年であった︒樗牛に傾倒したとい

きけんこう

う︑そのこと自体からして︑のちに先生とどうも調子の

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うまく合わなかったゆえんがおのずから説明されよう︒

いったい︑漱石先生という人は︑最初は自分の持って

生まれた才分をあまりよく自覚しなかった人である︒そ

れが他人から勧められるままに︑試みに書いてみたもの

が意外に世間からもてはやされる︒それでもう一つ書く︒

それがまたいっそう大きな反響を生ずるといったよう

に︑世間と相俟ち相砥礪して︑ついにあの大を成した人

あいま

あいしれい

だい

のように私には思われる︒

そこへいくと︑樗牛は最初から自分に与えられた天分

を自覚していた︒そして︑よしやそれがまちがっていた

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にもせよ︑またはまちがっていなかったにもせよ︑とに

かくその自覚の上に立って︑初めから天下に教えるよう

な態度で読者に臨んだ︒それが漱石先生には気に入らな

かったのである︒次代の樗牛をもってみずから任じてい

た生田君が︑漱石先生とうまく反りが合わなかったのも

当然ではあるまいか︒

こうは言うものの︑私交においては︑夏目先生は決し

しこう

て生田君を容れられなかったわけではない︒生田君もま

た先生の蘊蓄と温情とは十分に認識していた︒同君の生

うんちく

涯におけるいちばん大きな業績ともいうべき﹃ニーチェ

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全集﹄の翻訳においても︑最初﹃ツァラツストラ﹄を訳

出する際には︑先生をよい相談役にして︑半ば先生の庇

護によって訳出したものである︒

が︑そんなことよりも︑私は生田君の﹁青年は叱るよ

りもおだてるほうが大切だ︑その長所を助長していけば︑

欠点はおのずから隠れる﹂といった︑その老成な意見に

感服した︒感服したればこそ︑三十年後の今日なお記憶

しているような次第である︒

それかあらぬか︑生田君はその後紀州へ講演旅行をし

たついでに︑佐藤春夫君を見出して︑それを東京へ引っ

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張り出してきた︒生田春月君を育成したのも同君であ

しゆんげつ

った︒雑誌﹃芸苑﹄を出した当時︑上田先生も馬場先生

もしだいに手を引かれるし︑私なぞがあきてしまったあ

とでも︑生田君はひとり踏み留まって︑永いあいだ後進

を相手にあの雑誌をつづけていた︒そして︑その間に三

かん

木露風君が生まれた︒まあひとりでお山の大将になって

いることが好きだ︑と悪く言ってしまえばそれまでだが︑

とにかく生田君は後進を指導することが好きであった︒

だいいち︑若い者と話をすることが大好きで︑相手にな

って倦むことを知らない︒これが私なぞのとうていまね

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のできないところであった︒私とあまり往来しなくなっ

てからも︑島田清次郎君︑杉山平助君なぞも︑やはり生

田君の門に出入りした人々だと聞く︒

そんなことを言えば︑だいいち私自身からして︑生田

君におだてられて︑今日ある︵?︶ひとりであるかもし

れない︒私が文学に志したのは︒必ずしも生田君を俟っ

てはじめてというわけでもないが︑ともかく︑一高時代

校庭のクローバーの上に寝そべりながら︑ともに文学を

語り合ったことが︑どのくらい私の文学上の自信を強め︑

故人に対して忘れえない記憶を残しているかしれない︒

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いずれにしても︑生田君は青年をおだてると言って悪

ければ︑他人の長所を認めてそれを奨励することがうま

かった︒うまいだけに好きでもあった︒実際︑それは自

分のことのように︑われを忘れて他人の長所を挙げ︑他

人の美点を称揚した︒同時に彼みずからもそれに酔って

いた︒他人を持ち上げるとともに︑実は自分自身をも持

ち上げて自分で自分の言葉に酔っていたのである︒その

点については︑私はよく彼をツルゲーネフのルーティン

に比較した︒﹁君はルーティンだよ﹂と言うと︑﹁いや︑

ぼくはルーティンのような︑言葉ばかりで︑生涯なにご

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ともなしえない人間ではない﹂と否定してはいたが︒

︱聞けば晩年におよんでも︑やはり﹁おれは若い者が好

きだ︒若い者には︑どんなばかな奴にもローマンスがあ

る︑ローマンティックな気持ちがある︒老人にはそれが

ないから苦手だ﹂と言っていたそうな︒いかにも生田君

らしい言葉である︒

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明治四十一年三月末の某日であったと思う︑塩原の奥︑

尾花峠の雪の中から掘り出された私は︑亡友生田長江

おばなとうげ

に連れられて︑黒磯尻から汽車に乗って上野へ着いたが︑

相手の女史は母親とともにそこからただちに自宅へ引き

取るし︑また私は生田君といっしょに早稲田の夏目先生

のお宅へ落ち着いた︒先生は快く

︱と言っては悪いか

もしれない︒とにかく︑悪い顔は見せずに︑私を引き取

ってくださった︒

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私はそれからはじめて︑自分達のことが大々的に報道

された新聞の記事を見た︒が︑それを見ても︑別段自分

達が社会からシャット・アウトされたというような痛傷

いたで

は感じない︒それよりももっと別な関心事が私の心をい

っぱいに占めていた︒ずいぶん横着な話だが︑大概の

おうちゃく

当事者はそんなものであろうし︑とくに私がそうであっ

たかもしれない︒

ところで︑その翌日のことであったと思うが︑また生

田君がやって来て﹁きょう飯田町の教会の文芸講演会で

は︑とくに予定を変じて︑ふたりのために弁ずという演

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題のもとに︑大いに君達のために弁じてきた﹂と︑さも

得意らしく報告していた︒生田君も当時は若かったし︑

それに演壇から降りてきたばかりで︑気が立っていたか

ら︑きょう君達を弁護するだけの勇気のあるものは乃公

だいこう

ひとりだというような意味のことを匂わせたようでもあ

る︒で

︑同君が帰ったあと︑私は先生に向かって︑﹁どう

も他人の弁護をするということが︑それほど勇気を要す

ることとも思われない︒別に反逆人の弁護をするわけで

もなかろうから﹂というような意味の不平を漏らした︒

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すると︑先生は﹁いや︑そんなことよりも︑もし彼に

それだけの勇気と親切があるなら︑自分で君を引き取っ

て世話をするのが当たり前だ﹂と言われた︒私は粛然

しゅくぜん

として黙ってしまった︒当時の私はもはや他人のことを

かれこれ言う資格はなかったのである︒が︑いまにして

生田君のために弁ずれば︑同君もおそらく先生のことは

別にして考えていたのであろう︒それでなければ︑あん

なことを言うはずはない︒

どうも先生という人は︑ふだんは私どもの仲間に対し

ても︑大所高所から見下ろして批判していられたが︑時

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とすると急に降りて来て︑いっしょになって優劣を論じ

られることがあった︒字だの︑画だの︑俳句だのの話に

なると︑とくにそうであった︒そこがまたなつかしいと

ころでもあった︒

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朝日文芸欄

朝日文芸欄はいまの東朝紙上の学芸欄の前身として︑

明治四十三年から四十五年ごろまで︑第三面の論説欄の

下の所に特設されていた︒これがその後各紙に設けられ

た学芸欄の嚆矢をなすもので︑夏目先生に言わせると︑

こうし

年に一回の長篇小説を書く以外にも︑なるたけ多く先生

に書かせようという肚で︑とくにそういう欄を設けるこ

はら

とを社が許したのだそうな︒で︑その欄ができると同時

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に︑私は先生の助手として働くことになった︒

最初先生が私に相談せられたのは︑この欄に書いても

らう人を文壇の各方面に物色して依頼するか︑それとも

自分達の仲間だけでやるかということであった︒どっち

でも君達の随意でいいと言われたので︑私はいわゆる門

下生の連中と相談の結果︑自分達だけでやると言い出し

て︑そのとおりになった︒あとで考えると︑社では先生

に書かせるのが目的だから︑そんなことはどうでもよか

ったんだろうが︑私どもとしてみれば︑当時は﹃早稲田

文学﹄だの︑﹃文章世界﹄だのと︑それぞれ割拠してい

かっきょ

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た時代だから︑やっぱり自分達の根拠地が欲しかった︒

一つは自分の無精から︑仲間でやるほうが楽でよかった

のである︒その代わり先生が修善寺でわずらわれて︑あ

んまり書かれなくなると︑まもなくつぶれてしまった︒

それはそれとして︑最初は私どももえらい勢いで取り

かかったものだ︒海外文壇の消息も報道しなければなら

ぬというので︑小宮豊隆君のごときは丹念に新聞や雑誌

を読んで︑﹃もしほ草﹄の題下に︑毎日あちらの消息を

書き抜いてくれた︒その時分先生は好んでウィリヤム・

ジェームスの著書を読んでいられたが︑ベルグソンの名

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がはじめてわが国に紹介されたのも︑たしかこの文芸欄

によってであったように記憶する︒

まあ︑それくらいが手柄のほうで︑私の失策はなかな

かに多い︒﹁弱きものよ︑汝が名は女なり﹂と基督に言

キリスト

わせるなぞ︑いやしくも英文学科の出身として︑教わっ

た先生にも申し訳のない話である︒いま北海道大学の予

科で学生の信望を一身にあつめているH君のごときも︑

門前雀羅を張るという言葉を景気のよいことかなにかに

もんぜんじゃくら

使って︑いつまでも﹁雀羅︑雀羅﹂と言われて弱ってい

た︒私はまた中島六郎君の音楽会の批評を代筆して︑聴

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衆がおもしろくないので︑足摺りをして地団駄を踏んだ

あしず

じだんだ

というように書いたら︑先生から﹁君︑音楽会で足摺り

をするのは︑喝采して演奏者を褒めるので︑悪い意味で

はないのだよ﹂と注意されて︑すっかり滅入ってしまっ

たことがある︒

またある時安倍能成君の﹃魚住折蘆を悼む﹄という文

べよししげ

うおずみせつろ

いた

章を三回にわたって掲載したら︑社会部の記者から苦情

が出た︒おれのほうでは陸軍大将が死んでも半段くらい

しか載せない︑一学生の死を悼むに三日にわたるとはな

にごとぞやというのだ︒が︑これは社会欄と文芸欄の性

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質の相違を認識しないからで︑苦情を言うほうが少々無

理かもしれない︒先生も﹁気にかけなくともいいよ﹂と

言っていられた︒が︑はじめて新聞に文芸欄というもの

が設置された時代の出来事としては︑珍風景たるを失わ

ないであろう︒

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漱石の書画

古い話だ︒なんでも明治天皇御登遐前のことであった

ごとうか

ように覚えている︒私が所用あって夏目漱石先生のもと

へ行くと︑書斎の壁に横山大観氏の画幅がかかっている︒

がふく

その時分でも大観氏はもう日本画壇の第一人者であっ

た︒見ると︑柳の枝︵?︶が出て︑雨の中を燕が一羽飛

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んでいる図柄だ︒たいしたものとも思われないが︑さす

がに筆力は達者なものであった︒

﹁へえ︑えらい物がありますね﹂

﹁うん︑大観からもらったのだ︒その返礼に書をかいて

贈ろうと思ってるが︑詩だけはできたがね⁝⁝﹂と言い

差したまま︑黙々として考え込んでいられた︒詩はでき

たが︑字を書くのが億劫だ︑もしくは字を書くのに困っ

おっくう

てるというような顔つきであった︒

﹁道理で

︱﹂私もまさか先生が金を出して新画を購

あがな

われようとも思わなかったから︑そうあいさつしておい

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た︒明

くる日私が再び先生の書斎へはいっていくと︑先生

は毛氈の上に唐紙を並べて︑しきりに筆を揮っていられ

もうせん

ふる

る︒もう何枚も書きくずされたとみえ︑反古が幾枚も座

敷の中に散らばっていた︒夏の真中とて︑浴衣がけの先

まなか

ゆかた

生の額からは汗が滲んでいた︒私が黙って見ていると︑

ひたい

先生は書き終わった一枚をつくづく見直しながら︑

﹁だめだ!﹂といって︑また一枚新しいのに取りかかろ

うとせられる︒私はおかしくなって︑﹁およしなさい!﹂

と︑思わず声をかけた︒﹁いくら先生が気ばってみたと

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ころで︑とても値段の上で大観の画に桔抗するような字

きっこう

は書けやせんから︑いい加減のところでやめておきなさ

い︒だいいち︑ここにかかっている燕の絵は︑先生のよ

うに︑そう骨折ったものじゃない︒ばからしいですよ﹂

﹁ううむ﹂と唸るように言いながら︑先生は私の言った

ことなぞ︑あまり心にも留らないように︑またもや孜々

とま

として書きつづけられた︒私もお邪魔になってはと︑す

ぐにその場をはずしてしまった︒

たしかその晩だったと思うが︑先生はでき上がった書

を留針で留めて︑木曜会に集まった若い連中に見せてい

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られた︒褒められても︑いつものようにご自慢も出なか

ったのは︑先生としてはそれだけまじめだったものであ

ろう︒

漱石全集の﹃初期の文章及び詩歌俳句﹄の巻に︑﹃大

観︑画をやるという︒余の書をくれという︒仕方がない

からお礼の詩をかくというてやる︒詩のほうまずでき上

がる﹂と前置きして︑

独坐空斎裏

丹青引興長

大観居士贈

円覚道人蔵

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野水辞君巷

閑雲入我堂

徂徠随所澹

住在自然郷

﹇独り坐す空斎の裏

丹青

興を引くこと長し

ひと

くうさい

うち

たんせい

きょう

大観居士贈り

円覚道人蔵す

えんかくどうじんぞう

野水

君が巷を辞し

閑雲

我が堂に入る

やすい

こう

かんうん

徂徠

随所に澹く

住んで自然の郷に在り﹈

そらい

あわ

きょう

というが載せてあるのは︑その詩である︒

爾来二十有五ヵ年になる︒その間未だ一度も大観氏に

ゆう

お目にかかったことはない︒が︑いまにして思えば︑大

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観氏といえども︑当時私が考えたように︑そうさらさら

とあの画を描きなぐられたものではあるまい︒というの

は︑金を出して注文された画でなく︑無代の画だからで

ある︒無代の画というものは︑画師にとっては注文され

た画よりも︑よほど描きづらい︑骨の折れるものに相違

ない︒金を取って描く画なら︑代価相当のものを描いて

渡せばすむ︒金を取らない画は︑それが無際限だからで

ある︒もっとも︑同じ無際限でも︑無際限にぞんざいに

、、、、

書きなぐることもできようが︑そこはその人の芸術家と

しての矜恃と良心とに信頼するほかあるまい︒

きょうじ

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当時漱石山房へ集まった若い連中で︑先生と画の話が

できるのは︑故橋口五葉︑津田青楓らの専門家は別とし

て︑他には寺田寅彦さん︑小宮豊隆君︑野上臼川君く

きゅうせん

らいのものであった︒臼川は豊後生まれとて︑どのくら

い知っていたかわからないがよく先生と竹田の話をして

ちくでん

いた︒豊隆も若冲の鶴がなんだとかかだとか︑彼一流

じゃくちゅう

の理屈を持ち出して︑先生から﹁お前に若冲がわかって

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るか﹂と一喝され︑そのまま閉口する程度のものであっ

いっかつ

た︒私

は頭から画のわからない奴ときめられていたから︑

画とお能や謡いの話になると︑口を緘して語らなかった︒

とざ

故人鈴木三重吉君はよく横合いから口を出したが︑これ

も他人の話に茶々を入れるくらいのもので︑やはりわか

らない組であった︒

先生は晩年書と画に親しまれた︒親しむといっても︑

銭を出して購って楽しむのでなく︑自分で描いて楽し

あがな

まれたのだから根本的である︒書は︑人も知るように︑

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黄檗の坊さん達のものを尊んでいられたが︑それが先

おうばく

たつと

生の書にどれだけ消化され︑具現されていたかは︑私に

はわからない︒当時は良寛の流行り出した時代とて︑よ

くその話も出た︒が︑先生の書が良寛ほど灰汁脱けのし

たものでないことだけは︑私にもわかっていた︒画は全

然我流である︒最初描かれたものには︑馬の前脚も後脚

も︑子供の描いた絵のように︑両方ともくの字形に曲が

じなり

っているので︑誰かが﹁先生︑これは違っているでしょ

う﹂というと︑﹁いや︑これが本当だ﹂と言いはって︑

どうしても諾かれなかったことをいまでも憶えている︒

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かいた書や画は︑やって来て褒める者に呉れ呉れして

いられた︒ある時三重吉が﹁どうして私達にはくださら

ないのか﹂と反問すると︑﹁君達は貶すばかりで褒めな

けな

いからだ﹂といわれた︒﹁褒めさえすりゃもらえるなら︑

これから褒めることにしましょう﹂と言うと︑﹁もう晩お

い!﹂と言われたと︑三重吉は死ぬまで想い出話にして

いた︒もう晩い!

は︑少し三重吉臭味がある︒しかし︑

しゅうみ

書や画を褒められて︑子供のようにほくほく喜んでいら

れたことはまちがいのない事実だと言っていい︒

そのころの中央公論の編集主任をしていた滝田樗陰君

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のごとき︑最初は原稿の催促にやって来たものだが︑先

生が朝日に入社されて原稿がもらえないことになると︑

今度は先生の書と画をねだるようになった︒そのねだり

方の執拗さと猛烈さ加減は︑ちょうど原稿を居催促する

いざいそく

時と同じようであった︒ところが︑別にそれがいやでも

なかったのか︑先生もまた樗陰の言うがままに︑何枚で

も書いてやられた︒樗陰の見ている前で︑うんうん言い

ながら︑汗水垂らして書いていられるさまは︑さながら

先生自身然借金の抵当にでも取られたようで︑痛々しい

ぜん

くらいであった︒それを見ていて︑たまりかねた三重吉

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は︑

﹁どうして先生は樗陰にばかり書いてやるんです﹂と︑

ある時先生に食ってかかったものだ︒すると︑先生はす

ましたもので︑﹁君達はなんにも持って来ないが︑樗陰

はああして紙や筆を持って来てくれるからだ﹂と言って

いられた︒が︑その後になって︑﹁樗陰の奴︑紙はあと

でどうせ自分のものになるし︑墨や筆も自分のものを書

かせるんだから比較的上等の品を買って来るが︑硯は

すずり

決して持って来ない︒一度そう言ってやったら︑持って

来るには来たが︑とんだ廉物を持って来たよ﹂と笑って

やすもの

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いられた︒硯は高価である︒樗陰もそのころの私達より

は金も自由になったろうが︑先生の気に入るような硯を

持参するわけにはいかなかったろう︒

自分のものが表装されたのを見るのは︑先生もうれし

いとみえて︑誰かが表装して持って行くと︑にこにこ喜

んでいられた︒が︑だんだんその絵を見ているあいだに︑

気に入らぬところが出てくると︑表装した上から自分の

画に筆を入れられる︒描いてもらった方じゃ︑はらはら

して見ているが︑先生そんなことにはいっさい頓着がな

い︒もう少し少しで筆を入れていくあいだに︑思うよう

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にならぬと︑﹁こりゃいけない﹂とばかり︑いきなり縦

横に筋を引いて﹁表装代はぼくが弁償するよ﹂と言われ

る︒いずれまた描いてもらえるにしても︑客が呆気にと

られて︑さも残り惜しそうにしている顔を︑私は一度目

のあたり見た︒

書や画のわからない男をもって目されていた私が︑漱

もく

石先生に書をかくきっかけを造ってあげたんだからおも

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しろい︒明治四十年の夏︑先生が未だ西片町十番地にい

られた時分だ︒田舎から出てきて︑床に懸けるものも︑

欄間に上げるものもなにひとつ持っていなかった私は︑

先生になにか書いてもらおうと思って︑ある日画箋紙を

がせんし

持参した︒そのとき書いてもらったのが﹁緑苹破処池光

浄﹂の七字であった︒額や幅になるものでは︑これが先

ふく

生の書かれた最初のものであった︒したがって先生は未

だ落款も関防も印というものは一つも持ち合わせていら

らっかん

かんぼう

れなかった︒ちょうどその時彫り上がってきた﹁漱石山

房﹂という二寸角大の大きな蔵書印をぺったりと捺して

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もらった︒おもしろいのは︑毛氈を敷かずに書かれたか

ら︑畳の目がありありと筆勢のあいだに現われているこ

とである︒

最近松林桂月氏の宅を訪れた際︑多く珍蔵の書画を見

せてもらったが︑氏はその中でも﹁恬神﹂の二字を大書

てんしん

したものをことに愛惜していられた︒無落款だが︑どう

あいせき

も坊主の書らしい︒﹁坊主でシナ人ですな︒シナ人でな

ければ︑とてもこうは書けませんよ﹂と言われるのだ︒

見ると︑畳の目がついている︒で︑﹁畳の目が見えるじ

やありませんか﹂と反問すると︑﹁いや︑シナの坊主が

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日本へ来て書いたのです﹂と︑どうしてもシナ人にきめ

ていられた︒もっとも︑日本へ渡ったシナの名僧は古来

たくさんあるから︑これは桂月氏のほうが正しいかもし

れない︒

一時文士のあいだに雅号というもののすたれた時代が

あった︒野上豊一郎君︑中村吉蔵君︑故人堺利彦のごと

きは︑いずれもその風潮に伴れて︑臼川︑春雨︑枯川

きゅうせん

しゅんう

こせん

から還俗したものである︒私は旋毛曲がりを発揮して︑

げんぞく

つむじ

﹁いまに見ろ︑また雅号が流行る時代も来るから﹂と︑

今日まで自分の号を固執してきた︒が︑ファッショの傾

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向を帯んだ東洋趣味の時代はきても︑雅号の流行ばかり

ふく

は根っから復活しそうにもない︒

私の号は前に挙げた﹁緑苹破処池光浄﹂からきている︒

処女作﹃煤煙﹄を発表する際︑更始一新のつもりで﹁な

こうしいっしん

にか新しい号をつけてください﹂と︑漱石先生にお願い

した︒先生はめんどうくさいのか︑﹁それならこのあい

だ書いてやった書の最初の二字を取って︑緑苹とした

りょくへい

らよかろう﹂と言われた︒緑苹は緑雨の弟子になったよ

りょくう

うで︑どうも私の気に入らなかった︒﹁では︑苹の字一

字頂戴して︑それを二つにわけて用いましょう﹂と言っ

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てつけたのが﹁草平﹂の号である︒

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﹃煤煙﹄とその前後

ばいえん

私が夏目漱石先生に師事するようになったのは︑いつ

ごろからであったろう︑はっきり記憶しない︒もちろん︑

大学の講堂では一年生の時から教わっていた︒が︑千駄

木のお宅へしげしげ出入りするようになったのは︑ずっ

と後れて︑たぶん明治三十八年の暮れごろからであった

おく

ろうと思う

︱あるいはもっと前であったかもしれな

い︒

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261

とにかく︑私が先生に心を惹かれたのは︑先生の前で

は自由にものが言われるということであった︒もちろん︑

どんなことを言っても叱られないと︑そうまで狎れた気

持ちはもうとう持っていなかった︒しかし︑どんなこと

を言っても理解される︑決して誤解される恐れはないと

いう安心はあった︒自分を生んでくれた両親に対しても︑

こんな安心は容易に持たれなかろう︒それが他人に対し

て持たれたら︑人と生まれて︑こんな幸福なことはある

まい︒実際︑私は先生に会って幸福であった︒そして︑

うれしかった︒おそらく私がこの世に生を享けて︑これ

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なら生まれて悔いなしとまで思うことのできる幸福は︑

先生と同時代に生まれ合わせて︑親しく先生の謦咳に接

けいがい

することができたという一事であろう︒

漱石先生の作品において︑評論において傑出した点は

いろいろあろう︒しかし︑私がいちばん感服しているの

は︑そしておそらく私ひとりだけの感想だろうと思うの

は︑先生がその時分未だツルゲーネフもトルストイも︑

ドストエフスキーも読んでいられなかったにもかかわら

ず︑その書かれるものがあれほどよく近代的精神に透徹

しているということであった︒

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これには私も感服というよりは︑むしろ驚嘆してしま

った︒ツルゲーネフ以下の作家のものを読んでいるとい

うことを唯一の強みにして︑先生の前へ出た私は︑まっ

たくぺちゃんこであった︒ついでに言っておけば︑先生

もあとになってはそれらの作家のものを読破された︒ド

ストエフスキーのごときは︑私が強いて頼んで読んでも

らったくらいである︒

ところが︑ここにもうひとりツルゲーネフもトルスト

イも読まないで︑稀代の名作を書く男が突如として現わ

れた︒それはついこのあいだ世を去った︑私と同門の鈴

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木三重吉君である︒

彼は私より少し後れて漱石山房へやってきたが︑お土

産に﹃千鳥﹄一篇を携帯した︒先生はそれを読んで﹁傑

作﹂の折紙をつけて︑さっそく﹃ホトトギス﹄の編集者

高浜虚子氏に紹介された︒折柄同じ誌上に先生の﹃坊っ

ちゃん﹄が掲載された直後ではあり︑﹁この師にしてこ

の弟子あり﹂というので三重吉の名はたちまち世上に喧け

伝された︒鈴木君はその勢いに乗じて︑さらに﹃山彦﹄

でんを

発表した︒これがまた前作にも劣らぬできばえで︑彼

の声価はここにまったく定まった︒私は指をくわえて

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隆々たる三重吉の声名を眺めているほかなかった︒

﹃千鳥﹄﹃山彦﹄はいわゆる自然主義の影響を受けたも

のではない︒ホトトギス一派の写生文の系統を引いたも

ので︑それを貫くに三重吉一流の繊細な官能描写と趣味

性をもってしたものである︒が︑自然主義のほかに文学

はないように信じていた私は︑ここにもこういう芸術の

世界があるのかと︑まずそれに驚かされた︒そして︑い

よいよ自分のものが書けなくなってしまった︒その間に

卒業の期はあるし︑卒業すればまた就職問題が目の前に

押し寄せてきて︑私はその後二年近くも筆を取らなかっ

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た︒が

︑その私にも︑どうしても筆を取って立つほかはない

時期がやってきた︒それがいわゆる﹃煤煙﹄事件である︒

塩原の奥︑尾花峠の雪の中から掘り出された私は︑再び

生きて都門の土を踏むようになった︒そして︑夏目先生

ともん

のお宅に入った︒いったん家を捨てて出た私としては︑

世間広しといえども︑先生の家よりほかに身を置く所が

なかったのである︒先生は黙って私を容れてくださった︒

一ヵ月後︑私は横寺町の正定院という寺の奥座敷を借

りて引き移った︒そして︑この事件を小説に書こうと思

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い立った︒当時の私としては︑そのまま社会から葬ら

ほうむ

れるか︑それがいやなら︑この事件を小説として取り扱

う以外に生きる術がなかったのである︒それはまったく

生か死かの問題だ︒が︑それだけにまた私の筆はいよい

よ渋って︑どうしても先へ進まなかった︒私は半ヵ年籠

城の覚悟を定めて︑最後に残った故郷の家屋敷を売り払

った︒先生はまた私のために春陽堂とかけ合って︑原稿

ができたら︑そこから出版する約束を取ってくださった︒

が︑私の原稿は遅々として︑いつできるとも見当がつか

なかった︒その間の焦躁と苦心は︑今から考えてみても

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肌寒いような気がする︒

その間に春過ぎ夏も経って︑秋も半ばになった︒その

ころ私の作が朝日新聞に出してもらえそうだという消息

を先生から伝えられた︒当時の朝日の小説欄は︑漱石先

生の作のほかには︑未だ長谷川二葉亭の﹃平凡﹄島崎藤

いま

村氏の﹃春﹄くらいが載っただけにすぎない︒そこに無

名作家たる私の作が載せられるというのは︑まったく望

外のしあわせである︒私は雀躍して喜んだ︒そして︑

じゃくやく

それに力を得て︑その年の暮れまでにようやく三十回ば

かり書き上げた︒

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明治四十二年の正月元旦から︑私の﹃煤煙﹄は東朝紙

上に連載された︒そして︑出る早々︑これもまた意想外

の好評を博した︒私は蘇生の思いをした︒が︑評判がよ

かっただけに︑私の筆はまた渋り出して︑三十回分の書

き溜めはまもなく追いつかれた︒私は夜もおちおち眠ら

ないくらい︑ほとんど食わず飲まずで書きつづけた︒つ

いには半分書いて社へ持参して︑輪転機の音を聞きなが

ら︑前の半分が組まれているあいだに︑あとの半分を書

き足したことさえあった︒

たいまにして思えば︑﹃煤煙﹄事件なるものは徹頭徹尾

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私の空想の所産であった︒ちょうど︑アナトール・フラ

ンスの﹃タイス﹄の主人公パフニュースが女主人公タイ

スをでっち上げたとおなじように︑私は相手の婦人をで

っち上げたのだ︒その点からいえば︑相手の婦人は﹃煤

煙﹄事件などまったくあずかり知らないといっても差し

つかえない︒

たまたまその婦人は禅に凝って︑男の意表に出るよう

な言葉を弄することが好きであった︒それをまた男のほ

うでは大まじめに受け取って︑自分の好き勝手な意味を

つけて解釈した︒そして︑婦人のほうからいえば︑思い

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も及ばないような女性を造り上げてしまったが︑当時と

いえども︑私は幾分かそうした危険を冒しているなとい

おか

う予感は持っていた︒だから﹃煤煙﹄を書く際には︑解

釈だけは自分の思うままに施したが︑相手の言葉なり

ほどこ

行動なりは真実あったこと以外一歩も出ないように︑細

心の注意を払っておいた︒それだけはいまから考えても︑

いささか心を安んじている次第である︒

やす

で︑その意味において﹃煤煙﹄は徹頭徹尾私のもので

ある︑ほかの何人のものでもない︒それだけはここに断

言しておく︒

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松山巡礼記

﹃坊っちゃん﹄があの時代の日本の中学と中学の教師を

描いたもので︑特定の松山中学校を写したものでないこ

とは言うまでもない︒つまり田舎の中学の類型を描いた

ものだ︒しかし松山中学を克明に描出して︑その個性を

発揮することが︑同時にあの時代の中学の類型をいよい

よ明確にするゆえんでもある︒したがって︑漱石先生が

﹃坊っちゃん﹄を書かれる際︑しじゅう松山中学を目の

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前に置いていられたことは毫末も疑いをいれない︒﹃草

ごうまつ

枕﹄と熊本に近い小天温泉との関係においても︑その理

おあま

想化の程度に差はあろうが︑やはり同じことが言われよ

う︒その意味において︑私がこの秋﹃漱石先生言行録﹄

の材料蒐集を名として︑この両地を訪れ︑親しく先生の

筆の跡を後付けることができ来たのは︑私にとってはな

んとも言われない幸福であった︒

昭和十一年十月二十九日の夜行で東京駅発︒大阪をそ

の翌々三十一日の午後二時の汽船で立ったから︑伊予の

高浜へ着いたのは︑十一月一日の午前三時頃であった︒

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坊っちゃんが着いたのは真っ昼間であったらしい︒日が

ぴるま

強いので水がやに光るうえに︑汽笛の音を聞いて︑赤ふ

んどしを締めた船頭が艀を漕ぎ寄せて来たとある︒私

はしけ

の着いたのは真夜半で︑大阪商船の汽船は桟橋へ横付け

よなか

になるようになっていたから︑そんな光景は見られなか

った︒いっしょに降りたのは男女合せて五︑六人︑汽船

の待合所を出ると︑すぐに道後行のバスが待合せていた︒

松山までは二里余り︑乗車賃は五十銭︒この間は﹃坊

っちゃん﹄にもあるとおり汽車も通っている︒私は戻り

にその汽車に乗ってみたが︑﹁ごろごろと五分ばかり動

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いたと思ったら︑もう降りなければならない﹂ほど近く

はない︒あれは大袈裟なものの言い方をする江戸っ子の

癖である︒﹁マッチ箱のような汽車﹂でもなかった︒こ

れは時代の変化であろう︒

ところで︑行きのバスは︑皆目知らぬ土地で︑夜中の

かいもく

よなか

風も肌に沁みるし︑小山の裾や松並木のあいだを通って︑

優に小一時間はかかったような気がした︒乗り合いの男

女はいずれも途中で降りて︑松山市内の指定された城戸

屋の門前でおろされたときは︑私のほかに道後行きの洋

や服の紳士がひとり乗っているばかりであった︒

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城戸屋は﹃坊っちゃん﹄の中のいわゆる山城屋である︒

宿屋だから門は明け放しになっていたが︑大戸はおろし

て︑家中が寝鎮っていた︒私は鞄を石畳の上におろし

うちじゅう

て︑呼鈴はと見回してみたが︑急には見つからない︒ど

よびりん

んどん戸をたたいた︒おそらく四︑五遍はたたいたろう︒

すると︑玄関脇の部屋で寝惚けたような男の声がして︑

六十近い爺さんが格子戸の間から顔を出した︒が︑うさ

んくさそうな様子をして︑なかなか戸を開けてくれない︒

三時に高浜へ着く汽船があるのだから︑いまごろ宿へ着

く客もたまにないとはいわれまい︒旅宿のくせに︑は

りょしゅく

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て面妖なと思ったが︑喧嘩にもならない︒

めんよう

そうこうしているあいだに︑奥からばたばたと足音が

して誰やら駈け出して来たかと思うと︑いきなり大戸を

開けて︑二十七︑八の年増の女中が︑寝巻の上に毛糸の

としま

ショールを引っ掛けたまま︑睡そうな眼をして出て来た︒

ねむ

そして︑﹁東京の森田さんですか﹂と訊いてくれた︒こ

れで私もほっとした︒かねて村上霽月大人からその旨を

むらかみせいげつたいじん

伝えておいてもらったので︑私の来ることは二週間も前

から宿にはわかっていたのである︒

すぐに二階の所謂﹃坊っちゃん﹄の間へ通された︒が︑

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私は汽船の中で一睡もしなかったから︑床を延べてもら

って︑そのまま横になった︒目を覚したのは九時ごろ︑

﹁お湯が沸いていますから﹂と言われるので︑さっそく

風呂に浸った︒風呂場は廊下を幾曲がりもした︑本館の

ひた

裏手の方にあった︒

﹁坊っちゃん﹂の間は旧館の二階︑表の玄関からは右寄

りの所にあって︑正面の本館はその後建て直したものだ

と聞いた︒このほかに裏の方には︑庭をへだてて平家の

ひらや

座敷が幾棟もつづいていた︒なかなか広い家だ︒が︑あ

る時期のほかには泊まり客もめったにないらしく︑夜な

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ぞ裏座敷の方には灯も点かないので︑ちょっと凄いくら

いに森閑としていた︒

私は湯から上がって︑はじめて自分の泊まっている部

屋をゆっくりと点検してみた︒階段を上がった入口に︑

﹁夏目漱石先生坊ちゃんの間﹂といったような扁額が麗々

へんがく

れいれい

しく懸けてあるのにはちょっと微笑まれもしたが︑別に

ほほえ

悪い気持ちでもない︒

坊っちゃんは初め階子段の下の暗い︑蒸暑い部屋へ入

れられたが︑お茶代を五円奮発したら︑表二階の大きな

床の間のついた十五畳の座敷へ取り代えられたとある︒

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が︑この座敷は十五畳ではない︑十畳に五畳の次の間が

ついているだけだ︒床の間も普通のもので︑違い棚︑地袋

じぶくろ

もついてはいるが︑古い建物だから天井はわりかた低い︒

それに柱も天井も時代がついて︑古色蒼然たるものがあ

こしょくそうぜん

る︒いまとなっては︑とても思いきって茶代を奮発する

ような気を起させる部屋ではない︒その点私なぞにはい

ちばん気楽だ︒見ると︑いつのまに懸け代えたのか︑床

の間にはちゃんと先生の軸がかかっている︒私はなんだ

か故郷へでも帰ったような気がして︑伸び伸びと︑すっ

かりくつろいでしまった︒

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昨夜の女中さんが朝飯の給仕をしてくれた︒﹁東京か

ら来た﹂と聞いて︑﹁東京はよい所でございましょう﹂

と言うほど︑間の抜けた女中さんではなかった︒これも

時代の変化である︒ただ楽しみにしてきた伊予言葉をあ

まり使ってくれないのは︑ちょっと物足りなかった︒私

ものた

は伊予言葉というよりも︑﹃坊っちゃん﹄の中の﹁ぞな

もし﹂言葉が好きだ︒一つは伊予の方言が私の生国美濃

の方言と似ているからでもある︒

ところで︑この女中さんが床の間の軸を指ざして︑﹁あ

れがどうも読めませんが︑先生にうかがったらわかるだ

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ろうと思っていました︒ひとつ読んでくださいませ﹂と

言われたのには弱った︒二句目の﹁吟懐与道新﹂の吟の

字が妙な書体になっていて︑私にはどうしても読みこな

せないのだ︒これにはすっかり赤面してしまった︒いま

全集について調べたところを掲げておく︒

かか

樹下開襟坐

吟懐与道新

落花人不識

啼鳥自残春

﹇樹下

襟を開いて坐す

吟懐

道と与に新たなり

じゅか

えり

ひら

ぎんかい

みち

とも

あら

落花

人識らず

啼鳥

自ずと残春﹈

らっか

ひとし

ていちょう

おの

ざんしゅん

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この軸は︑もちろん︑宿の主人があとから買い入れた

もので︑﹃坊っちゃん﹄とも︑松山時代の先生とも関係

はない︒

いったい︑この部屋が﹁坊ちゃんの座敷﹂だという事

も︑今は故人となられた俳人大嶋梅屋氏が︑その昔先生

おおしまばいおく

と散歩しているあいだに︑城戸屋の前を通って︑﹁あれ

がぼくのはじめて松山へ来たときに泊まった部屋だよ﹂

と指ざされたのを記憶していられたのに基づくと聞く︒

それはおそらくまちがいはなかろう︒

が︑最初階子段の下の蒸暑い部屋へ入れられたという

はしごだん

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のは︑あり得ないことではないとしても︑どうかしらと

も考えられる︒しかもそれが松山では一般に信じられて

いるとみえ︑先年松岡譲君が未亡人といっしょに同地へ

遊ばれたときには︑禿茶鬢の番頭が出て来て︑﹁いつぞ

はげちゃびん

やは先生をひどい部屋へお通し申して﹂と︑主人の代も

変われば︑番頭も代わっているのに︑わがことのように

あやまっていたそうな︒そんな番頭は今度はもう出て来

なかった︒

その日の午後から私は森河北氏の案内で︑まず︑先生

もりかほく

が松山時代に寄宿していられたという二番町の上野氏の

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離れを訪ねてみた︒この家のことは久保より江さんの話

にも出ていたから︑私が改めて紹介するまでもあるまい︒

が︑親しく見るということは︑また別な感じのするもの

である︒

何よりも私は︑その家が四十年の歳月を経て︑よく保

存されているのに驚いた︒いまは塀で仕切られて︑別々

の住いになってはいるが︑母家の上野氏の宅も元のまま

すま

おもや

だということであった︒私はあいさつも忘れて︑ぼんや

り二軒の家を見較べていた︒それから現在住ってる方の

すま

許しを願って︑その昔子規居士が松山の俳人を集めて︑

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毎晩句会を開いたという階下の座敷から︑先生が書斎に

していられたという二階の部屋まで︑いちいち見て回っ

た︒その部屋の窓から庭の古い柿の樹が見える︒庭の木石

ぼくせき

のたたずまいもちょっと趣きがある︒いったいにこの離

れ座敷自体が︑その時分としては小意気にでき上がって

いるのだ︒先生も定めて気に入っていたろうと思われる︒

その家を出た時︑私は森さんに向かって︑﹁あの家を

なにか公共団体の手で保存する議はないか︒子規居士︑

漱石先生の遺跡として︑松山の名所の一つになるではな

いか﹂というような意味のことを話した︒森さんは﹁そ

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ういう議もあるが︑なにぶんにも現在の持ち主が手放し

たがらないので困る︒しかし今のままで取り潰すような

ことはしない︑またもしほかへ譲る場合には︑まずこち

らへ話してもらう約束になっている﹂と言われた︒それ

ならまず安心である︒

例の﹁いか銀﹂の家は久松家の邸内になって︑とうに

取り払われたから︑いまはもう見られないとのこと︒で︑

今度は先生がよく散歩されたという石手川の土手をドラ

いしでがわ

イブして︑岩偃の景勝を一覧したうえ︑さらに石手寺へ

がんえん

回って︑国宝の三重塔︑鐘楼︑仁王門なぞを見た︒四国

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霊場五十一番の札所だということだが︑私が松山を好き

になったのは︑実はここを見てからである︒空気は明澄

で︑山の緑は濃く︑門前を流れている小川の水は︑手で掬き

して呑みたくなるほど清冽だ︒老後を隠居するなら︑こ

せいれつ

んな所だなとつくづく思った︒

それからすぐ道後の温泉へ出た︒道後の湯は︑きわめ

て古い歴史を持ってるようだが︑湧出量が少ないためか︑

七十何軒の旅館はあっても︑内湯というものがない︒町

の人も泊り客も手拭をぶら下げて︑いずれも三軒ある元

湯へ入りに行くのである︒﹃坊っちゃん﹄を見ると︑温

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泉場の名が住田

︱これが当時の校長さんの本姓である

そうな

︱となっていて︑﹁城下から汽車だと十分ばか

り︑歩行いて三十分で行かれる﹂とある︒まさにそのと

おりだ︒

それから﹁温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして︑

流しをつけて八銭で済む﹂とある︒実はこれが松山へ行

ってみるまで︑私にはよくわからなかったのだ︒いずれ

坊っちゃんが入られたのは公衆浴場で︑内湯のほかにそ

んなものがあるだろうくらいに見当はつけていた︒が︑

行ってみると︑内湯なぞてんでない︑公衆浴場が唯一の

、、

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温泉である︒なるほど︑これなら坊ちゃんが毎日出かけ

る気になるのももっともだと思った︒

実際三階建の堂々たる木造建築

︱ただしもう新しく

はない

︱で︑一階は入浴料五銭︑普通の銭湯と同じこ

とである︒二階は二十銭︑浴衣を貸したうえに︑茶菓を

出して︑いくらでも休息することができるようになって

いる︒ただし入れ込みだ︒三階はそれが別々の部屋にな

っていて︑入浴料は一人前三十銭︑四十年間に四倍弱の

値上げはまず相当のところであろう︒ただし一階の客も︑

二階の客も︑一様に階下の湯へ入るのは︑平民的でしご

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く気易い︒

きやす

﹁湯壺は花崗岩を畳み上げて︑十五畳敷きくらいの広さ

に仕切ってある﹂というのも︑そのとおりであったが︑

私達の入ったのは日暮れ前のせいか︑浴客が立て込んで

いて︑とても﹁湯の中で泳ぎ回る﹂わけにはいかなかっ

た︒それどころか︑正面の聖徳太子の石像の下から新し

い湯がこんこんと流れ出しているが︑そこへ回るのは順

番でなければ行かない︒汽車の出札所か映画館の前のよ

うに︑裸体で行列を作っているのはちょっとおかしかっ

た︒

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湯から上ると﹃坊っちゃん﹄にもあるように︑﹁女が

天目へ茶を載せて出﹂してくれた︒鷺の形をした塩釜

てんもく

さぎ

︵?︶が二つばかり添えてある︒森さんのはからいで︑

私はここで名物の団子を取り寄せてみた︒紅︑緑といろ

あか

んな色の餡子をつけた団子が三つずつ串に刺してある︒

あんこ

食ってみると︑なかなかうまい︒ただし昔はこんな色は

つけてなかったそうだ︒

﹁団子屋は遊廓の入口にある﹂と本文にあるが︑団子は

温泉で食ってしまったから︑その遊廓へも公園へも行っ

てみなかった︒それでも戻りの自動車の中で︑山嵐が赤

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シャツを襲撃するために八日間隠れていたという枡屋は

どの辺にあるかと訊いてみた︒森さんは﹁この家がそう

うち

だという話﹂だというので︑わざわざ車を留めて見せて

くれられたが︑三階建ての真新しい家で︑どうも私の想

像に描いていたそれとはだいぶ懸け離れていた︒穿鑿好

せんさく

きな松山人も︑まだそこまでは突き留めていないらしい︒

一路宿へ向かって急ぐ︒

明くる日は午前中︑やはり森さんの案内で︑先生の旧

知だという近藤元晋氏を訪ねてから︑正宗寺境内の子規

堂を見て︑子規居士および鳴雪翁の墓に詣った︒それか

まい

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ら村上霽月大人と商業会議所会頭山本義晴氏の斡旋に據

せいげつ

る料亭亀の井の座談会に出席した︒集るもの右の両氏を

はじめとして︑三好森太郎︑新野良隆︑北尾桂二郎︑森

河北の諸氏︑いずれも松山時代夏目先生の薫陶を受けた

か︑もしくは子規居士の句会に出入した人々ばかりで︑

日のたそがるるまで尽きぬ当時の追憶に耽った︒

夕方宿へ戻ったが︑私は酒を飲みながら談話の要点を

筆記したこととて︑すっかり疲れていた︒が︑松山も今

宵かぎりと思うから︑勇を鼓して市中の散歩に出た︒が︑

城山は夜間だから登れないし︑中学は郊外へ移転した︒

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行ってみれば︑まあ﹁天麩羅四杯は過ぎるぞなもし﹂の

蕎麦屋くらいのものだが︑満腹でとても敵わないから断

念した︒

目貫の大通りをぶらついてから練兵場の方へ足を向け

めぬき

たが︑暗いので︑これも途中から引返した︒日本銀行支

店の近代的な建物が目につく︒城戸屋はどこかと訊こう

と思っているうちに︑ひょいとその前へ出ていた︒﹁広

いようでも狭いものだ︑﹂﹁二十五万石の城下だって高た

の知れたものだ﹂と︑坊っちゃんのいばった言葉がほほ

えましく想い出される︒

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明くる朝は︑早く起きて城山へ登るつもりでいたが︑

寝坊をして︑別府行の汽船に間に合わぬと言われたから

これも断念して汽車に乗る︒汽船は午前九時高浜発あっ

た︒こ

れを要するに︑松山はよい所だ︒先生がどういうわ

けで松山へ来て︑どういうわけで松山を去られたか︑私

にはよくわからない︒が︑思うにそれは個人的の都合で︑

決して松山の人や気候風土が気に入らなかったためでは

あるまい︒清は手紙で︑﹁田舎者は人が悪いそうだ﹂の︑

きよ

﹁気候だって東京より不順にきまってる﹂なぞと言って

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るが︑あれは﹁箱根の先﹂は狸ばかり住んでるように考

えてる人間だから︑決して当てにはならない︒

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誰がいちばん愛されていたか

記者を玄関へ送り出して︑二階の書斎へ戻ろうとする

と︑隣の部屋から細君が声をかけた︒

﹁また漱石先生の想い出のようですね?﹂

﹁うむ﹂

私はそれ以上いう気になれなかった︒世間ではもう私

が漱石先生のこと以外に︑なんにも書くことがないよう

に思っているらしい︒漱石先生のことといえば︑きっと

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私のもとへ持ち込んで来られる

︱ならいいのだが︑私

のもとへ持ち込まれる原稿といえば︑きっと漱石先生の

ことだ︒これは私にとってはいくらか淋しい︒この心持

ちを老妻も知っているのだ︒

しかし︑漱石先生について書けと言われては︑私はや

っぱり書かずにはいられない︒だから︑二言と言わず引き

請けた︒が︑引き請けたからには︑なにか新鮮味のあるこ

とを書きたい︒ただ従来あまりたびたび書いたので︑なに

を書いて︑なにを書かずにおいたか︑ほとんど記憶してい

ないような始末である︒仕方がないから︑現在の心境に

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照らして︑私自身にいちばん新鮮味のあることから書く︒

先生の門下生

︱この言葉も私どもから言い出したの

ではない︒世間でつけた名前だが︑しばらく便宜のため

にかりておく

︱その門下生のあいだには︑故人寺田寅

彦さんのように︑先生のほうからも一種の尊敬と愛情を

交えた感情で遇されていた方もあったが︑それは別とし

ぐう

て︑先生の盛時

︱つまり先生の創作熱がいちばん昂揚

こうよう

していた時代に︑最も深く

︱と言って悪ければ︑最も

近く先生に接近していたものは︑なんといっても小宮豊

隆君と︑三年前に死んだ鈴木三重吉君と︑それから私と

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であった︒では︑この三人男の中で︑誰がいちばん故先

生に愛されていたか︒言い換えれば︑誰がいちばん先生

の胸奥に接近していたか︒

きょうおう

それに対して︑私は躊躇なく﹁それは小宮豊隆だ﹂

ちゅうちょ

と答えたい︒このことは︑すでに先生の生前からして︑

豊隆みずからそう思っていたばかりでなく︑岡目から見

おかめ

てもそうであった︒そして︑今日といえどもおそらく小

宮君はそう思っていることであろう︒

三重吉は︑自分自身本当に先生からいちばん愛されて

いると信じていたかどうかはわからないが︑側の者に対

はた

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しては︑あたかも自分が先生から特別の愛顧をこうむっ

でいる

︱彼自身の言葉をかりて言えば︑﹁先生の睾丸

きんたま

を握っている﹂ようにふるまっていた︵どうも婦人雑誌

でこういう野卑な言葉を使ってははなはだ相済まぬが︑こう

言わぬと三重吉が浮かんでこないのだから仕方がない︶︒し

かも︑三重吉の愛すべき点は︑側の者に対してそう言う

はた

ばかりでなく︑先生自身の前でもそういうようにふるま

っていた︒そして︑先生はまたそれを許していられたの

である︒

ところで︑私はどうかというと︑このふたりの持って

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いるような自信や気持ちは︑残念ながら︑私には少しも

なかった︒こう言うと︑小宮君は鸚鵡返しに言うでしょ

おうむがえ

う︑﹁嘘を吐け!

君だって自分が先生からいちばん愛

されていると思っていたに相違ない﹂と︒

﹁言うでしょう﹂ではない︑実はこの言葉は小宮君から

しばしば聞かされた言葉である︒そして︑この言葉は︑

表面私をやっつけているようで︑その裏には少なからず

私の心に媚びるものがあった︒だから私は︑そう言われ

るたびに︑にやにやしながら沈黙するのを常とした︒沈

黙はするが︑腹の中では必ずしも甘んじて小宮君の言葉

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に同ずることはできなかった︒それほど思い上がる気に

は︑私にはどうしてもなれないのだ︒

実際︑小宮君の言うとおり︑私達ばかりでない︑いや

しくも漱石門に出入りした人々は︑いずれも自分がいち

ばん先生から愛され︑信頼されていると思っていたに相

違ない︒たとえば︑やや後れて出入りするようになった

おく

林原耒井君しかり内田百閒君しかりである︒ことに先

はやしばららいせい

生の没年一︑二年前から出入りし始めた故人芥川龍之介

君︑久米正雄君なぞは︑自分達こそ本当に漱石を愛し漱

石を理解している︑そして漱石からも理解され愛されて

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いるという強い自信を持っていた

︱これもおそらく小

宮君の言うとおりであろう︒

つまり先生のほうから言えば︑漱石という人は︑自分

のもとへ来るものには︑誰にでもそういう感じを抱かせ

るような一種の魅力

︱人格のあたたかみを持った人で

あったとだけは︑私もここに断言することをはばからな

い︒なればこそ︑ひとたび先生に接した人々は︑誰も彼

も自分がいちばん先生に愛されている

︱極言すれば︑

先生は自分ひとりのものだという感じを抱くようになる

のであろう︒が︑私だけは例外だ︒

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そりゃ私だって先生を自分ひとりのものだと思いたか

った︒が︑目の前に小宮君や三重吉を置いては︑どうし

てもふたりを差し惜いて︑私がそういう自信を持つわけ

にいかなかった︒一つは私の性質にもよろう︑境遇の影

響もあろう︒が︑そんな詮索は別として︑ただ私は誰よ

りもいちばん先生に迷惑をかけた︑世間的︑社会的なら

びに物質上の迷惑をかけた︒これは自信ではない︒事実

である︒客観的な事実である︒

で︑もし聖書の中のあの﹁帰宅した放蕩息子﹂の例を

ほうとうむすこ

ここに引用してよいということになれば

︱旧約の中の

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あの話は︑さんざ親に迷惑をかけて家を飛び出した道楽

息子が︑数年ののちまたうらぶれて戻って来た︒すると︑

老いたる父親は︑怒ってそれを追い出すかと思いのほか︑

ただちに家へ上げて︑下へも置かず待遇するばかりか︑

二人の兄弟の中でいちばん多くの財産を頒ち与えようと

わか

する︒これを見ては︑しじゅう家に在って︑父を助けて

勤勉に働いていたふたりの弟が納まらない︒なぜそんな

ことをするかと詰問すると︑﹁親にとっては不肖の子が

いちばんかわいいのだ﹂と答えたというようなことであ

ったと思うが

︱こんな話を適用していいとすれば︑私

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がいちばん先生に愛されていたということにもなる︒

しかし先生は私の恩師ではあっても︑生みの親ではな

い︒漱石先生の生前︑先生に対してそういう感じを持つ

ほど︑私も先生に対して狎れてはいなかった︒

だが︑先生の没後二十余年を経た今日ではどうであろ

う︒今日私が先生

︱私の胸奥に生きていられる先生︑

きょうおう

実際の先生ではない︑私が勝手に創った先生に対して︑

こういう感じを抱いたとすれば︑つまり生みの親が道楽

息子に対して持つ感情

︱これはすべてを宥す神の宏大

ゆる

な愛を象徴したものだと思うが

︱を先生に押しつけた

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とすれば︑それははたして故先生に対する冒瀆となるで

ぼうとく

あろうか︒

こんな気持ちになって︑ふと先生の遺愛の書ポール・

ブルジェーの﹃家名の重圧﹄を開いてみると︑次のよう

な文句にアンダーラインがしてある︒いわく︑

﹁人間が本当に寛大宏量になるためには︑まずばかに

こうりよう

なる修業をしてからでなければならない﹂と︒

私は慄然として冷汗が背を流れるのを覚えた︒そして︑

りつぜん

その書をもとの所に納めて︑そこそこに先生の書斎を出

た︒

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紅葉の﹃紫﹄と漱石の﹃坊っちゃん﹄

久しぶりに尾崎紅葉集を取り出して︑その中から二︑

三の作を読み直してみた︒私も紅葉の作はたいがい目を

通しているつもりだが︑読み落としているのもあろうと

思って︑﹃巴波川﹄という表題が目新しいので︑まずそ

うずまがわ

れから手をつけてみると︑もうそれは一度読んだ覚えの

ある短篇であった︒表題は忘れても︑中身は覚えていた

のだ︒それほど当時は興味を持って読んだものらしい︒

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で︑もう読まないのを読もうというような欲望は捨てて︑

どこかで﹁紅葉山人第一の傑作﹂という評判を聞いたよ

うな気がする﹃紫﹄を読み直してみた︒読んでいるあい

だに︑いまは手元にないが︑はじめて読んだ単行本の口

絵か表紙絵かに︑後光の射した阿弥陀如来を拝んでいる

老婆の図︵そのほかに書生と若い娘の口絵もあったようだ︶

のあったことなぞが︑目に浮かんでくる︒

が︑私がこの作を読んで︑今度はじめて感じたのは︑

夏目漱石が﹃坊っちゃん﹄を書かれたとき︑きっとこの

作を眼中に置いていられた

︱少なくとも想い起こして

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いられたろうということである︒

どうしてそんなことをいうか︒内容はもちろん︑両者

のめざすところも違っている︒﹃紫﹄は後期の試験に何

遍も落第した医学書生が︑これを最後に︑うんうん唸り

ながら勉強している話であるし︑﹃坊っちゃん﹄は御存

じのとおりだ︒なるほど︑隣家の厄介婆さんがその医学

生に同情して﹁越後の飴﹂を脾胃の薬だといって︑見舞

いに持っていく︒﹃坊っちゃん﹄の清婆やは田舎の土産

に﹁越後の笹飴﹂が食いたいという︒が︑それだけでは

偶然の暗合というほかあるまい︒

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しかし︑どこか似ている︑似ていると思わせるものが

ある︒一口にいえば︑地の文章からくる気持ちである︒

紅葉山人はそれまで西鶴ばりと言われ︑多く文語体の文

章で地の文を綴っていた︒もっとも︑言文一致体を用い

たのは﹃二人女房﹄が最初だと言われるが︑それはセ

ににんにょうぼう

ンテンスの終わりを﹁である﹂にしたまでで︑気持ちか

ら言えば︑やはり文語体である︒ところが︑この﹃紫﹄

になると︑在来の西鶴ばりの文章を一抛して︑市井の落

いっぽう

しせい

語家の門に降っている︒つまり在来の修養をかなぐり捨

くだ

てて︑市井の落語家に入門して︑そこから再出発しよう

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としているようなところが見える︒

落語家は会話も地の文も同じいきでいく︒小説家のよ

、、

うに︑地の文だからといって︑決してちがった語彙は︑

持ってもいなかろうが使いもしない︒だから︑落語は渾

然一体をなしてる︒そこへいくと︑小説家はなまじ文章

が書けるだけに︑言文一致で行こうとしても︑会話と地

の文がちぐはぐになって︑そこに不調和の感じを与える︒

、、、、

ことに紅葉または漱石というように︑ひとたび文語体の

文章で苦労した人というものは︑どうしてもそういう傾

向は免れなかろう︒

まぬか

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漱石先生も最初は﹃幻影の盾﹄﹃薤露行﹄といったよ

かいろこう

うに︑文語体の文章で書かれた︒もっとも︑その前に言

文一致も書いてはいられる︒が︑先生自身としてはなん

となく落ち着かぬところがあったのではあるまいか︒そ

こで会話も地の文も同じ日常の言語でいく︒﹃坊っちゃ

ん﹄はその試みの一つである︒もっともこの作は坊っち

ゃん自身が物語る体になっているから︑ことさらに地の

てい

文を会話と同じいきでいこうとせずとも︑そうなるのが

、、

当然ではあるが︑先生としては︑文体の上にも一つの革

命をもたらそうとして︑こういう題材を選ばれたものと

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見れば見られないこともない︒

で︑この会話も地の文も同じ口語体の文章でいく

それによって文章に革命をもたらそうというような意気

が︑両者とも共通に仄見えるところから推して︑先生が

ほのみ

﹃坊っちゃん﹄を書かれる際には︑きっと﹁紫﹂を眼中

に置いていられた︒そう決めるのはあまりに速断のよう

でもある︒が︑そこへもってきて﹁越後の笹飴﹂が出て

くる︑それも同じように無知で篤実な︑江戸っ子気質の

とくじつ

婆さんが持参するのである︒こうなると︑私は﹁越後の

笹飴﹂が単なる偶然の暗合でなく︑やはり﹁紫﹂からき

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ているような気がして仕方がない︒

私は先生の生前先生と紅葉について語り合った覚えは

あまりないが︑先生が紅葉の作を︑とくに﹃紫﹄くらい

読んでいられたことは︑ほとんど確実だといってよかろ

う︒そして︑なに︑これくらいのことは俺にもやればや

れないことはない

︱くらいの自信は︑若い時から持っ

ていられたろう︒いや︑若い時だから持っていられたろ

うと思われる︒そして︑その記憶

︱先生の識域の下の

しきいき

どこかに隠れていたその記憶からして︑﹃坊っちゃん﹄

は生まれた︒私はこう判断したのである︒もちろん︑こ

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れは私の臆断である︒が︑臆断なりといえども︑全然あ

おくだん

りえないことではあるまい︒

ただし﹃坊っちゃん﹄と﹃紫﹄のあいだには︑一方が奔湍

ほんたん

のように︑後から後からと思想が湧き出して筆がそれに

あと

及ばないという跡が見えるのに対して︑他は鏤骨彫心

るこつちょうしん

の苦心の跡が歴然として︑同じ洒落一ついうにも無理に

押し出したようなところがあるばかりでなく︑その洒落

も月並みに堕して清新潑刺の味に乏しい︒が︑渾然とは

せいしんはつらつ

している︒前者が往々誇張に失して︑結構の上にも如何

しつ

いかん

と思われる節があるのに比べると︑これはあくまでリア

ふし

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リスチックに押していって︑笑いの中にほろりとさせる

ところは︑前者と同じ効果をあげている︒

私はこの作のほかに﹃二人女房﹄と﹃多情多恨﹄とを

たじょうたこん

読み直してみて︑後者には改めて敬服し直した︒前には

あまりに冗漫のようにも思ったものだが︑そうでない︒

あれだけ書かなければ︑あの味は出ない︒そもそも多情

多恨の主人公柳之助の愚痴を描いたように思うのがまち

がいで︑あれだけきらっていたお種とだんだん気持ちの

たね

接近していく段取りを描いたものと思えば︑そこに寸分

のゆるみもない︒実際﹃金色夜叉﹄なぞは比べものにな

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らぬばかりでなく︑永久に日本の文学史を飾る傑作であ

る︒

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スウィフトと漱石

最近私は小泉信三氏の﹃夏目漱石論﹄をおもしろく読

んだ︒氏の読書余録のおもしろさは氏の人柄によるもの

だと思うが︑私は氏の昵近された福沢翁のことを書かれ

じっきん

たときからおもしろく感じたと同じように︑今度はまた

私の昵近した漱石先生のことを書かれたからとくにおも

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しろく感じたのでもあろう︒私どもはあまりによく先生

を知っているために︑かえって小さなところに目が眩ん

で大体を捕捉することができない︒ところが︑小泉さん

は遠く離れて外界から漱石を見ていられる︒そこがおも

しろいのである︒

たとえば︑氏は漱石がなにごとにも一理屈こねなけれ

ひとりくつ

ば承知のできない例として︑先生が洋行の際︑インド洋

で船室の中に寝ていられると︑小さな窓からちらと星の

光が見えたと思うと︑瞬時にしてまた消えたと書いてき

て︑そのあとに﹁船の動揺激しければなり﹂と付け足し

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ている︒これなぞはよい例だとしていられるが︑そうい

う例なら︑私も別にもう一つ挙げることができる︒

﹃三四郎﹄の中にいや味の弁がある︒いや味はいや味

、、

、、

、、

だ︒説明されなくともわかってると思っていたから︑私

なぞ取り立てて考えてみたことはない︒あれほどいや味

、、

を排斥した当時の俳壇にも︑それを説明した人はほかに

なかった︒しかるに漱石先生は広田先生の口をかりて︑

次のように説明していられる︒いわく﹁アメリカ人は金

もうけが好きで金もうけに専心する︒それは善でも悪で

もない︑もちろんいや味ではない︒美服をまとうことの

、、

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好きな人が好んで美服を着る︒それも決していや味では

、、

ない︒ただ美服を着て︑それを他人に見せびらかすよう

な下心を蔵するときいや味になる︒要するに︑一つの目

、、

的の下に他の目的を隠しておれば︑それはいや味になり

、、

がちだ﹂と︒説きえて︑まことに理義明白である︒なる

ほど︑この定規を当てはめてみると︑いや味かいや味で

、、

、、

ないかはたちまちわかる︒婦人に対して親切であるのは

いや味じゃないが︑相手に気に入られようとするような

、、

下心があったら︑もういや味だ︒

、、

この理屈好きな漱石は︑文芸批評となるといっそうそ

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うなって︑しかもそれが自家独特の理由によったもので

なければ承知ができない︒それがために先生は﹃文学論﹄

を書いて︑文学の根本原理をも究明せられた︒そういう

場合︑漱石がいかに他人を踏襲することをきらい︑自家

の個性を発揮しなければやまなかったかを説いて︑小泉

さんはまたおもしろい例をあげていられる︒いわく︑﹃文

学評論﹄の中に︑漱石はデフォーの﹃ロビンソン・クル

ーソー漂流記﹄がいかに冗長でおもしろくないかを︑

じょうちょう

その理由をあげて丹念に説明しているが︑昔から︑ある

作品なり作者なりのいかにおもしろいかを説明したもの

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はいくらもある︒しかしそのおもしろくないゆえんを漱

石のように事明細に︑しかもおもしろく説明したものは

かつて見ない︒おそらくは漱石をもって嚆矢としようと︑

こうし

まずそんなような意味のことを言っていられた︒実は︑

漱石先生の﹃十八世紀文学﹄は私が先生の講義から書き

直させてもらったものだから︑その内容はよく知ってい

る︒小泉さんの指摘されたような事実もまんざら気がつ

かぬではなかった︒しかし﹁おもしろくないものをおも

しろく批評した︒それが漱石の傾向のあらわれである﹂

とまではっきり言いきることは︑私にはできなかった︒

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先生に捕らわれていたからである︒

最後に小泉さんは︑たいていの作家はその若い時代に︑

自分がどうしてこういう名作を成しうるか︒その因って

来る理由を知らないで︑ただ天才の導くままに名作を成

きたす

のが普通である︒しかるに漱石はまず文学の理論を研

究して︑それを十分に承知したうえ︑比較的晩年から創

作をするようになった︒これは作家としてもめずらしい

ことであると言っていられた︒漱石先生が大学の講義を

してから︑三十七︑八歳になって︑はじめて創作の筆を

執るようになったことは︑たいていの人の知るところで

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ある︒しかも︑とくにその点に着眼した者はやはり小泉

氏を初めとしなければなるまい︒なお氏はその点からか

して︑﹁漱石はすでに文学の理論を知り︑その構成を熟

知したうえ創作に従事したのだから︑その作にはどこか

作為の感を読者に与えることを免れえない﹂とも言われ

ている︒これも私は至極同感である︒先生はしじゅう﹁こ

しらえ物でも︑こしらえ物でないもの以上に自然にでき

ていればいいじゃないか﹂と言っていられた︒まったく

そのとおりであり︑先生の作にはまたそのとおりにでき

たものもある︒しかし︑どこか自然の模写とは違ってい

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た︒要

するに︑小泉さんの言われたことはなんでもないこ

とだ︒誰でもそう思っていたことだとも言われよう︒し

かし︑その誰でもそう思っていたことを︑小泉さんがは

じめてそう言われた︒私は弟子としてそれを感謝せずに

はいられない︒

私もずいぶん漱石先生について書いたものだが︑これ

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まではただ先生の想い出ばかり書いていた︒批評がまし

い筆はほとんど執ったことがない︒私も今年六十八歳︑

先生よりも十八年生き延びている︒五十歳といえば︑私

から見れば小僧ッ子のようなものだが︑先生のことを想

うたびに︑いまでも私のほうがずっと小僧のような気の

していることは︑毎々言うとおりだ︒一生頭が上がらな

い︒先生の想い出に生きて想い出に死んでいく︒私なぞ

はまあ﹁永遠の弟子﹂のいい標本である︒

ところが︑このごろになって︑ほんの少しばかり先生

を離れて見ることができるような気がしてきた︒﹃漱石

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先生と私﹄に想い出の総浚いをしてしまって以来のこと

そうざら

である︒離れて見るといっても︑先生を批評することが

できるという意味ではない︒ほんの少しばかりこれまで

とは違った角度から先生を見るといったくらいのもの

で︑ここに述べさせていただくものも︑その一例である︒

戦災にすっかり書物を失くした私は︑終戦後のつれづ

れに友人から﹃ガリバー旅行記﹄を借りて読み直してみ

た︒新しい書物も手に入らないし︑またそれを読むだけ

の根気も失っていたのと︑もう一つは先生が﹃十八世紀

文学﹄︵﹃文学評論﹄︶の中で︑デフォーを平凡人として貶へ

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していられるのに反し︑スウィフトのことは︑﹁すべて

の人の不満足がみな満足の対照を持った不満足であるの

に対して︑スウィフトのそれはそういう対照を持たない

不満足である︒その冷気は骨に徹して︑あたかも氷塊氷

雨を吐き出す噴火孔を見るようだ﹂と︑なんだかこう先

ふんかこう

生自身のことでもあるように︑他人事ならず書いていら

とごと

れる

︱そこにかねがね私も興味を持っていたから︑も

う一度スウィフトの方面から先生を眺めてみたいと思っ

たのである︒で︑読み返してみると︑たしかに読み返し

ただけのことはあった︒どうして若い時にはこんなとこ

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ろに気がつかなかったろうと思うほど︑私としてはいろ

いろの発見をした︒もちろん︑先生のように身をもって

スウィフトに同情することは︑先生のような素質を持っ

て生まれてこなければできないことではあろうけれど

︱︒

想うに︑漱石先生くらい洋行中しがないみじめな生活

、、、、

をした人はほかにたんとあるまい︒鷗外先生のことはよ

く知らないが︑陸軍省から派遣されたのではあるし︑﹃舞

姫﹄や﹃文づかい﹄なぞを見ても︑日本の留学生として︑

めずらしがられ︑あちらの華冑社会の人々とも交際して︑

かちゅう

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かなり派手な︑同時に愉快な生活をしていられたように

想像される︒弟子の寺田さんですら︑同じく文部省の留

学生ではあるが︑ドイツ一流の学者について︑頴才ある

えいさい

あちらの若い研究生どものあいだに立ちまじって︑一歩

もおくれを取らず︑きわめて愉快に研究をつづけてこら

れたようだ︒寺田さんの日記を見ると︑その研究の日々

がおもしろくてたまらないように書いてある︒たとえば︑

ある日寺田さんが実験中の試験管︵?︶かなにかを︑あ

やまって稀硫酸かなにか︵なにかづくしで恐縮だが︶を

きりゅうさん

いっぱい入れた︑大きな瓶の中に取り落とされた︒さあ

かめ

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困ったと思われたが︑幸い傍らに細長いガラスの管が何

本もあったので︑その二本を箸のようにして︑器用に稀

硫酸の中から例の試験管をすくい出してしまった︒おり

から廊下を通りかかった教授が︑そのありさまを覗いて

いたとみえ︑いきなり扉を排してはいってきて︑﹁おい

はい

君︑いまやっていたことをもう一遍やって見せてくれ﹂

と言ったという話がある︒この日本人独特の器用さ

だけではあるまいが︑その機敏な持ち前で︑実験でもな

んでも要領よくさっさとやってのけることが︑鈍重で不

器用なドイツ人のあいだでは︑大いにハンディキャップ

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ともなれば︑持てはやされもするらしい︒鷗外先生もそ

んなことを書いていられたように思う︒

これに反して︑漱石先生のロンドン生活は実につまら

ぬ︑おもしろくもない日々であった︒だいいち金が乏し

い︑留学費のほかに一文も支給されるあてはなかった︒

大学教授の講義は︑文学と科学との相違はあるが︑聞い

てもつまらぬというので︑一時はロンドン大学に席も置

いちじ

かれたようだが︑まもなく通うことはやめてしまい︑た

だクレーグとかいう沙翁のエディターを招いて︑一週一

回その講義を聞くに止められた︒そして︑限られた留学

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費の中からできるだけたくさん書物を買って帰ろうとい

うので︑極度に生活費を切り詰め︑わびしい素人下宿の

一室に閉じこもって︑誰とも交際しない︒外人と交際す

るには金がかかるし︑日本人と付き合ってもつまらぬと

いうのだ︒もっとも︑交際用として︑最初モーニングを

一揃いと靴と帽子もロンドンで新調されたようだが︑す

ぐに後悔していられる︒

で︑毎日下宿の婆さんと喧嘩ばかりしていられた︒も

ちろん︑先生の一人角力で︑内訌した肚の中の喧嘩であ

ひとりずもう

ないこう

はら

る︒まあ先生のロンドン生活中私どもが読んでちょっと

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ほほ笑まれるのは︑先生が自転車に乗る稽古をして︑で、

っかい巡査に笑われたことと︑下宿の女中のヘッジ・バ

、、、

ートンのおしゃべりに閉口された話ぐらいだ︒素人下宿

の主人夫婦が借金に首がまわらなくなって︑夜逃げ同様

に場末の借家に移転する際先生にもいっしよに移っても

らえまいかと相談すると︑先生も他所を捜してもないも

のだからやむを得ず承諾された︒すると︑夫婦は非常に

喜んでいよいよ移転する時先生が手に提げていられた風

呂敷包み

︱その中には着古した浴衣の寝巻と穴の開い

ゆかた

た靴下とが入れてあった

︱を︑お上さんが﹁私が持ち

かみ

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ましょう﹂と言って持ってくれた︒これがまあロンドン

で先生の婦人に持てた唯一の記念といってもよろしかろ

う︒先

生の作﹃カーライル博物館﹄は読んでおもしろい︒

しかし入場料は廉かった︒﹃倫敦塔﹄はかなり派手でも

やす

ある︒しかし︑要するにお上りさんのロンドン見物のひ

のぼ

とこまである︒

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こうして先生はまったくロンドンの社会から孤立し

て︑ちょうど離れ小島へひとり漂着した難破船の乗組員

のような恰好で生活していられた︒それは﹃ガリバー旅

かっこう

行記﹄の主人公が小人国へ︑大人国へ︑浮き島へ︑さら

にまた馬の国まで押し流されていったのと︑その境遇が

似ていはしないだろうか︒ただしガリバーは最も適応性

の強い人物で︑すぐにその国の言葉をおぼえ︑しまいに

は馬の言葉まで話すようになって︑その国の内部に入り

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込み︑政治や戦争のお役にまで立とうとはしているが︑

なにぶんにも身体が自分の数百倍もあるとか︑数百分の

一にも足らぬとか︑馬が人間で人間が馬であるとかいう

ような自然の条件に制約せられて︑やっぱりその国の社

会からは孤立している︒要するに天涯の孤客である︒そ

してその天涯の孤客たるの眼をもって︑その国の社会を︑

政治を︑住民の生活を眺めている︵もっとも︑それはイ

ギリス人と当時のイギリスの政治︑経済にほかならないのだ

が︶︒同じように漱石先生も孤立した漂流人の眼をもっ

てロンドンの生活を眺めていられたのではなかろうか︒

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ただ先生はイギリスの社会の各層を知る機会を持たれな

かったから︑倫敦を題材として﹃新ガリバー漂流記﹄を

書くことはできなかったけれども︒

ガリバーは大人国へ漂流して︑その国の王妃からおも、、

たいじんこく

ちゃのようにかわいがられ︑比較的安楽な生活を送って

、、

いるが︑その心中は孤独であり︑その生活はヘルプレス

であった︒ある日王妃に抱き上げられて︑いっしよに鏡

にうつったとき︑自分の姿のいかにも小さく見すぼらし

いのを見て︑大いに悲観している︒私はそれを読んで︑

先生がしじゅう言っていられた︑ロンドンを歩いている

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と︑自分ひとり身丈の低く︑顔色の黄色いのが気になる︒

あるとき廊下を歩いていると︑向こうから自分と同じよ

うな矮小な奴がやって来るのを見て︑ここにひとり自

わいしょう

分の仲間がいたと喜んだが︑だんだん近づいてみると︑

それは鏡に映った自分の影であったという話を想い出し

た︒同時にまた先生が帰朝してはじめて神戸に上陸した

とき︑自分はひとかど白人になりすましたような気で︑

日本人の顔がどれもこれも黄色く見えてしようがなかっ

た︒街上に張られた電信柱も倒れて来そうで︑あぶな

がいじょう

くてしようがなかったという話を聞いていた私は︑ガリ

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バーが本国へ帰って︑まだ小人国にいるような気持ち

しょうじんこく

で話をするのに相手を摘み上げてやろうとしたり︑大人

つま

国の人間になったような了簡で︑女房と接吻するために︑

その足もとへしゃがんでやったりする光景をなるほどと

合点したものである︒

﹃ガリバー旅行記﹄の中から︑先生の書かれたような︑

もしくは平生言われていたような言葉を拾い出そうとす

ふだん

れば︑ほかにまだいくらもある︒先生はなによりも強制

ということがきらいであった︒他人を強制することもき

らいなら︑強制せられることもきらいであった︒個性を

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重んじ︑独立不羈を望んでやまれなかったのは︑そこに

ある︒すると︑﹃ガリバー﹄の馬の国にもちゃんとそれ

が出ている︒馬の国はガリバー︑換言すればスウィフト

の理想国である︒したがって馬に強制はない︒いやしく

も理性を持った動物であり︑理性によって行動している

かぎり︑おのずから規矩準繩に適っているので︑法律

くじゅんじょう

かな

も要らない︑強制というようなもののあるべきはずがな

いというのである︒先生はまた﹁他人と会談するのに︑

なにかしらしじゅう口を利いていなければ気がすまない

というようなのは︑かえって気づまりだ︒しばらく黙っ

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て相対していても平気なようなのがよい︒寺田がそうい

う男だよ︒あいつはここへ来て︑二時間ぐらい黙ってぼ

くの前に坐っていて︑そのまま帰ってしまう︒あれでい

いのだ﹂というようなことをよく言われた︒ところが︑

﹃ガリバー﹄の馬の国にちゃんとそれが書いてある︒﹁し

ゃべることはすべて︑話す者も楽しければ︑聞くほうで

も気持ちがいい事柄ばかり︒相手の邪魔もしなければ︑

退屈もしない︑興奮もしなければ︑意見の衝突もない︒

何人か集まった場合には︑むしろときどき黙るほうがか

、、、、、、、、、、、、、

えって話の興を添えるものだということを馬どもは知っ

、、、、、、、、、、、、、

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ている︒これは事実そのとおりだ﹂と︒

ガリバーが馬の国にも留まれない事情になって︑ひと

とど

り小舟に乗ってその国を去ったとき︑彼はもう再びヨー

ロッパへ帰って︑あの堕落したヤフー︵人間︶どもの中

に交って生活することがいやでいやでたまらない︒どこ

か無人島へ漂着して︑そこでひとり住みたいものだと希ね

っている︒先生もよく無人島のことを口にされた︒無人

島には道徳の必要もなければ︑法律のわずらわしさもな

い︒﹁無人島にひとりで住んだら涼しかろ﹂というよう

な俳句まで作っていられる︒その句は明治二十年代のも

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のだと思うから︑そのころはもう先生は﹃ガリバー﹄を

読んでいられたに違いない︒しかも︑熟読味読していら

れたといって︑先生がスウィフトのまねをせられたとい

うのではない︒期せずしてふたりの性がよく合ったもの

だと思うだけである︒

ガリバーがポルトガル船に救われて︑再びヨーロッパ

へ連れ帰ろうとせられたとき︑彼はそれをいやがって︑

何度も海の中へ飛び込んでまで遁れようとする︒とうと

う一室に監禁して︑無理やりリスボンまで連れ帰られた︒

漱石先生も神戸へ上陸せられたとき︑誰か迎いに行って

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連れて帰らぬと︑夏目などどこへ行ってしまうかわから

ぬと心配せられたものだと聞く︒もっとも︑これは先生

の気が触れたなぞと文部省あたりで評判を立てられたか

らではあるが︑ガリバーもあまり人をてこずらすので狂

人だと思われていたことはまちがいない︒

いよいよロンドンへ帰ったが︑女房や子供もヤフー︵人

間︶の仲間だといい︑とくにその体臭がたまらないとい

うので︑きらって食事もともにせず︑仔馬を二疋飼って

その生長を楽しみ︑しじゅう厩舎にばかり行って︑馬と

うまや

話をして暮したといわれる︒帰朝後の漱石先生にもそう

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いう傾向はなかったか︒どうもないとは言われないよう

に私には思われるのである︒

漱石先生はその﹃文学論﹄の序に︑﹁英国留学中は虎狼

ころう

の群れに交わるむく犬の思いをして生活していた﹂と述

懐していられる︒これはあまりにひどい︑先生としても

激越にすぎると思われんでもない︒しかし︑先生留学中

の実況を知り︑その孤独でヘルプレスな生活を想いやれ

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ば︑先生としては確かに実感であった︒先生はその以前

四国の松山中学へ赴任された︒そのときは確かに小人国

へ渡ったガリバーの想いをされたことであろう︒イギリ

スでは大人国へ渡ったガリバーの手頼りなさを経験され

た︒そして︑帰朝後も同じくその手頼りない思いを持ち

つづけていられた︒先生の神経衰弱は昂進するばかりだ︒

こうしん

そして︑その神経衰弱のはけ口が﹃猫﹄であったことは

人の知るところである︒

だいいち︑猫がものを言い︑人間のようにものを考え

て人間批判をするということからして︑偶然の一致では

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あろうが︑馬が理性的動物としてその国の主権者となり︑

人間が蛮性に返って馬のように使役されるという︑﹃ガ

ばんせい

リバー﹄の趣向をもっておりはしないだろうか︒私はあ

えて先生が﹃猫﹄を想いつかれたとき︑﹃ガリバー﹄を

想い出していられたろうとまでは言いきれない︒しかし︑

潜在意識として︑その識域下にあったろうような気はす

しきいきか

るのである︒実際スウィフトにしても先生にしても︑よ

ほどの神経衰弱患者でなければ︑あんな飛び離れたこと

は想いつかないであろう︒

﹃ガリバー﹄の浮き島の条では︑首都の学士院で多くの

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学者がいろいろな研究をつづけている︒ある者は胡瓜か

きゆうり

ら日光を抽出する方法を八年間もつづけて研究している

し︑ある者は排泄物をもとの食料に還元する方法を研究

している︒そのために︑その学者は毎週一回都の組合か

ら大樽に一杯ずつの糞尿を供給されているというのだ︒

そのほか家屋を建築するのに上から建てて土台に及ぶ方

法︑蜘蛛の巣から繊維を取る方法︑空気を凝結させて固

形物にする方法︑馬の蹄を硬化させて蹄鉄代わりにす

ひづめ

ていてつ

る方法︑最も奇抜なのはアルファベットをパーミテーシ

ョンの方則に従って排列して︑その中から意味のない文

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句を取り去り︑それによって︑あらゆる思想と詩歌文学

しいか

とを︑天才の出現を待たずして器械的に発見しようとす

るなど︑二十幾種にわたる新しい企画があげてある︒こ

れらはもちろんスウィフトが学者の迂愚を嗤うためにあ

わら

げたものだが︑こんなばかばかしい考案を誰がはじめて

発明したかといえば︑ほかならぬスウィフト自身である︒

ばかばかしいことをばかばかしいと承知しながら︑どこ

までも自分の考えを追うていくところに神経衰弱の特徴

があるのではなかろうか︒

ついでながら︑スウィフトはよく糞尿のことを書く︒

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小人国では︑ガリバーは王宮の火事を自分の小便で消し

留めて︑大功を樹てながら王妃の忌諱に触れた︒大人国

では︑途上の馬糞の中に落ち込んで︑糞まみれになった︒

大便からまず胆汁で染まった色素を取り去り︑臭気を放

散させ︑浮渣の分泌物をすくい取って︑もとの食物に還

元するというにいたっては︑最も汚らしい︒この汚らし

いことを好んで書くところに︑晩年スウィフトの精神異

常の状態に陥った特徴が早くもあらわれているという

おちい

人もあるそうだが︑あるいはそんなことも言われるかも

しれない︒

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そういう考案としては︑﹃猫﹄には例の首縊りの力学

くびつ

と︑寒月の玉擦りの一条があるだけである︒しかも︑前

たます

者は別として︑後者は決して無用の研究ではない︒ただ

いささか人の意表に出るところが似ているばかりであ

る︒糞尿の話にいたっては︑私は先生からそういう譬喩

で小ッぴどくやられたこともあるが︑好んでそういう︑

讐諭を用いられたという形跡もないから︑ここには略し

ておく︒

﹃猫﹄についてはこれくらいにしておいて︑次には﹃坊

っちゃん﹄に移りたい︒﹃坊っちゃん﹄はやはり先生の

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帰朝後︑﹃ホトトギス﹄に連載された﹃猫﹄の終わるこ

ろに書かれたものだが︑そのモデルになったという松山

へ先生が赴任されたのは︑それより十年前のことである︒

なにしろ箱根の向こうは狐やむじなばかり棲んでいると

思い込んだ江戸者が︵そう言ったのはもちろん作中の婆や

だが︶︑はじめて四国くんだりまで出かけたんだから︑

これはちょっと島流しに遭ったような気がしたかもしれ

ない︵先生自身はそう思われなくとも︑坊っちゃんはそう

思った︶︒もっとも︑﹃坊っちゃん﹄の主人公は︑ガリバ

ーの融通性のあるのとは違って︑直情径行︑まったく

ちょくじょうけいこう

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一本気の男である︒しかし︑こちらを理解してくれない

点にかけてはまるで異民族も同様な田舎漢の間にひとり

いなかもの

で放り出された坊っちゃんは︑必ずや大人国へ渡ったガ

たいじんこく

リバーのような︑ヘルプレスな思いをしたに違いない︒

大人国では︑ガリバーは捕まえられて見世物に出され︑

つか

子供には石を投げられ︑たまたま王妃の寵を受けるよ

ちょう

うになっても︑人間とは見られず︑小動物として取り扱

われ︑しじゅう踏みつぶされはせんかとびくびくして生

活するあたり︑もちろん違うことは違うが︑いささか生

徒にからかわれたり︑下宿の婆さんから芋ばかり食わさ

いも

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れている坊っちゃんを思わせるものがありはせんか︒い

ずれにしても先生は︑ガリバーと同じように︑まったく

松山の社会の外に立って︑松山の社会と住民とを観察し

ていられる︒とくにこの点から見て︑私は﹃坊っちゃん﹄

を先生の新しい﹃ガリバー旅行記﹄であるとしてみたい︒

先生はその﹃文学評論﹄の中に︑﹁スウィフトの一生

を知るほかに︑スウィフトを理解する道なし﹂という意

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味のことを言っていられる︒ここで一大飛躍をすること

を許されるならば︑先生があれほど深くスウィフトを理

解していられたということは︑自分もスウィフトと同じ

ように︑いつかは普通ならぬ状態に陥るべきエレメント

を蔵するものとして︑絶えずその前におびえながら︑自

ぞう

みずか

らの精神の崩壊していく有様を見つめていられた

︱少

なくとも︑そうした危険を自覚していられたからではあ

るまいか︒実際︑同病相憐れむというような切なる共感

がなければ︑ひとりの作者を本当に理解することができ

るものではあるまい︒つまり肉体の共感によって相手を

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肉体的に理解してこそ︑はじめて精神的にもその作者を

理解したと言いうるのである︒先生のスウィフトに対す

る考察は︑ほとんどスウィフト自身が考えている以上に

痛切であり︑深刻である︒あれはもう先生はスウィフト

について言っていられるのではない︑スウィフトをかり

て︑自分自身について言っていられるのだとしか︑私ど

もには思われない︒

こういった推定を下すことは︑弟子のひとりとして私

にはさすがにはばかられもするし︑したがって固くなり

もする︒しかし︑そうした病状の予感については︑先生

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みずからすでにイギリス留学中その夫人にあてた書簡に

おいて︑はっきりと言明していられる︒それはまあ神経

衰弱の昂進した際における疑惧と恐怖の念から出たもの

ともいわれよう︒が︑その疑惧と恐怖の念は︑帰朝後に

おいても︑いよいよ昂進こそすれ︑軽減した証跡は見

しょうせき

られない︒私は科学者でないから神経衰弱症と︑それ以

上のものとの間の区別を立証することはできないが︑あ

の先生にして自分でも制御することのできないような精

神状態に陥られることは︑私どもの知っているだけでも︑

時たまあった︒そして︑それは先生の書かれたものでも︑

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お子さん達に対する仕打ちでも︑歴々として指摘するこ

とのできるところである︒しじゅう﹁おれを狂人だとい

うなら狂人になってやる﹂と威張っていられたなぞも︑

半ば狂人であることを自覚したジムプトーメだと言わば

言われないこともない︒もちろん︑それは一時的なもの

で︑先生は常にその陰惨な状態から回復して︑平生の明

ふだん

朗を取り戻された︒そして︑死期に際しても︑ノーマル

な状態で天命を終えられたのである︒が︑私にはどうし

てもそれが単なる神経衰弱以上のものであったような気

がしてならない︒しかし︑私が興味があるのは︑もちろ

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ん先生の病症そのものではない︒どうして先生があの執

拗な病状と闘いつづけられたか︑いかなる意力によって

それを征服されたかという点である︒

先生は︑ニーチェも︑ドストエフスキーも︑モーパッ

サンも︑非常によく理解していられた︒三人ながら瘋癲

ふうてん

患者である︒スウィフトを加えれば︑四人である︒しか

かんじゃ

し︑先生はニーチェもドストエフスキーもこれを一種の

超人と見るような︑感傷的な見方はしていられなかった︒

あくまでこれを普通の人と見て︑ニーチェのごときは︑

その不平の固まりが彼のごとき超人説を吐かせたのだと

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していられた︒このどこまでもマター・オブ・ファクト

でいくものの見方は︑またスウィフトと軌を一にするも

いつ

のである︒そして︑この生まれついた傾向が先生を狂人

の域から救ったものではあるまいか

︱スウィフトはつ

いに負けてしまったけれども︒

いずれにしても︑先生の晩年の﹁則天去私﹂ばかり見

て︑先生を円満な人格の完成者のようにいう見方には︑

私は与しえない︒﹁則天去私﹂は先生の理想である︒り

くみ

っぱな人格者であったには相違ないが︑一面においては︑

その晩年もなおずいぶん暗鬱な︑欠陥に充ちた日々を送

あんうつ

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られることもあった︒要するに︑先生の一生の卜ーンは

陰鬱である︒それでなければ︑また今日戦後の日本のこ

いんうつ

の暖かい人心の間に︑これだけ多くの共鳴者を見出して︑

ひろく読まれることもなかろうではないか︒

︵昭和二十三年﹃芸林閒歩﹄第二十三号所載︶

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漱石研究

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生い立ち

漱石夏目先生︑その名は金之助︑慶応三年一月五日︑

東京市牛込区喜久井町︑通称馬場下の家に生まれられた︒

﹁慶応四年が明治元年で︑その前の年の一月に生まれた

んだから︑どこから見てもぼくは明治生まれじゃないよ﹂

というようなことを︑先生自身の口ずから聞いたことが

くち

ある︒先生の家は江戸の草分け名主十六人のひとりであ

ったそうな︒草分け名主というのは︑いわゆる権現様ご

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入国以来代々つづいた町名主のことである︒これから見

ても︑先生の家が︑町人でこそあれ︑封建の世に押しも

押されもせぬ相当の家柄であって︑先生自身の脈管に

みゃくかん

も生粋の江戸っ子の血が流れていたことは争われない︒

先生のお父さんは夏目直克といった︒お母さんは四谷

なおかつ

大番町の鍵屋という質屋から来ていられたそうな︒その

間にできた五人の男の子の中の末っ子として︑先生は生

まれられたのである︒それに︑その時はもうお父さんは

五十いくつであったし︑お母さんも四十を越していられ

たから︑先生は最初から

︱これも先生自身の言葉によ

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れば

︱﹁よけいな︑要らぬ子﹂として遇せられ︑生ま

れ落ちるとすぐに︑そのころ家に使っていた女中の実家

へ里子にやられた︒

その女中の家が小ぽけな古道具屋をしていて︑毎晩四

ちっ

谷の大通りへ夜店を出す︒手が足りないから︑先生ひと

り家に残しておくわけにもいかない︒そこで売り物の笊ざ

の中に入れたまま︑我楽多といっしょに道端に曝してお

がらくた

さら

いた︒それを一番上の姉さんがある晩通りがかりに見か

けて︑あんまりかわいそうだというので︑懐へ入れて

ふところ

うちへ連れて来てしまったが︑その晩先生が泣いてどう

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しても寝つかず︑姉さんはお父さんから大きに叱られた

という話は︑随筆﹃硝子戸の中﹄にも出ているが︑私な

ぞたびたび先生自身の口から聞いたものだ︒

三歳の時︑先生は新宿の名主塩原昌之助という人のも

とへ養子にやられた︒その養家先が浅草の諏訪町へ移

わちょう

転するとともに︑先生もそこへ連れて行かれて︑七歳ま

でその家で育てられた︒養父という人は︑﹃道草﹄の中

に︑例の帽子を被らない変な男として出てくる人物のモ

かぶ

デルであることは言うまでもないが︑その時分は浅草の

戸長︵名主の改名したもの︶を勤めていた︒

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ほかに子供というもなく︑家計も比較的裕福であった

ので︑夫婦して大切に︑金に飽かして鷹揚に育てたもの

らしい︒そのころ先生はその小さい身体に合うような鎧

よろい

や兜を持っていられたというのでも︑おおよそはわか

かぶと

る︒ところが︑その間養父はほかに情婦ができて︑夫婦

かん

おんな

別れをすることになり︑養母は先生を連れてその家を出

るというような事件が持ち上がった︒で︑先生は養母と

いっしょに︑一時どこかの裏家に落ち着かれた︒

この養母というのは︑先生自身の言葉に従えば︑﹁非

常に嘘をつくことの巧い女﹂で︑﹁どんな場合にも︑自

うま

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分に利益があるとさえみれば︑すぐ涙を流すことのでき

る重宝な女﹂であったそうな︒

あるとき隣家の上さんかなにかがやって来て︑養母と

となり

かみ

話をしていたが︑しきりに表の米屋の上さんの噂をして︑

ふたりでさんざその陰口をたたいた︒ところで︑その上

さんが帰ったあとへ︑またひょっこりいま噂をしたばか

りの米屋の上さんがやって来た︒すると︑養母は手の裏

返すように︑またその上さんにおべんちゃらを使って︑

、、、、、、

﹁いまもいまとて誰さんとあなたのお噂をして︑本当に

あんな親切な︑よい方はないと申し上げていたところで

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すよ﹂といったような︑﹁不必要な嘘﹂を吐いた︒最初

から傍らで聞いていた先生は︑子供心に憤然として︑

かたわ

﹁あんな嘘を言ってらあ﹂と一徹に言ってのけた︒その上か

さんが帰ってから︑養母は非常に腹を立てて︑﹁本当に

お前のようなものといっしょにいると︑顔から火の出る

ような思いをする﹂と叱ったそうな︒先生は早く養母の

顔から火が出ればいいくらいに思ったというのである︒

この話は﹃道草﹄の中にも挿話として出ているが︑最

初先生の口からそれをうかがったときは︑もちろん座談

として多少滑稽化して話していられたのだが︑私なぞぎ、

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ょっとするような思いをしたものだ︒そこには﹃坊っち

、、

ゃん﹄の底を流れる気分と一脈通ずるもののあることは

言うまでもない︒

そのあたり構わぬ徹底した正直︑あまりにも正直な︑

毫厘の妥協をも許さない態度には︑なにかしらそこに厳

ごうりん

粛なものがある︒私なぞ生前先生にあれだけ狎れ親しん

でいながら︑なおかつ先生の前へ出るごとになんとなく

窮屈な思いをしたのは︑この厳粛な気に触れて︑こちら

の不正直を反映されるような思いをしたからにほかなら

ない︒実際︑それは先生の人格︑ひいてはすべての作品

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の基調をなすものである︒

で︑前に挙げたようないきさつから︑先生は七つの歳

、、、、

に実家へ戻られた︒が︑籍はそのまま塩原の家に残って

いたものとみえて︑二十二歳の時まで塩原姓を名のって

いられた︒そして︑生みの両親のことを︑その当座だけ

ではあったろうが︑﹁お祖父さん︑お祖母さん﹂と呼ん

でいられたそうな︒これは塩原の夫妻が以前からそう呼

ばせるように仕向けていたからだが︑先生自身も心から

そう思い込んでいられたらしい︒そして︑両親のほうで

も︑﹁お祖父さん︑お祖母さん﹂と呼ばれて澄ましてい

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られたそうな︒

ところが︑ある晩先生がひとり部屋に寝ていられると︑

こっそり女中が忍んで来て︑﹁あなたがお祖父さま︑お

しの

祖母さまと思ってらっしやる方は︑真実はあなたのお父

さま︑お母さまですよ﹂と教えてくれた︒その女中の親

切が子供心にもたいそううれしかったというような意味

のことを﹃硝子戸の中﹄に書いていられる︒

こういうようにして物心のつかないうちから︑あちら

へやられこちらへ引き取られ︑誰が自分の親だかわから

ないような︑子としてはあまりありがたくない経験を持

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っていられるせいか︑先生は肉親に対してあまりよい感

じは抱いていられなかった︒もっとも︑お母さんという

方は︑﹃硝子戸の中﹄にもあるように︑いかにも先生を

生んだ母親らしいよいお母さんで︑先生も幾多の美しい

追憶を持っていられるが︑お父さんに対してはどうもそ

う行かなかったらしい︒

後年先生があのペスミスティツクな︑沈鬱な気分に襲

われるようになられたのも︑一概にこれが原因だとは言

いきれないが

︱私としてはむしろそれを先生の体質に

帰したいと思っている︒それについては︑のちにふたた

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び関説するかもしれない

︱少なくとも少年時代の和ら

かんせつ

やわ

かな感じやすい心に印せられたそれらの世相が︑後年に

いん

及んでそういう傾向を先生の裡に誘導する遠因の一つに

うち

ならなかったとは︑誰にも言われなかろう︒

そうはいうものの︑実家に帰られたあとの先生はずい

ぶん手に余るような腕白でもあったらしい︒あまり言う

わんぱく

ことを聞かぬので土蔵の中へ入れて窮命すると︑﹁明

きゅうめい

けてくれい︑明けてくれい︑明けてくれぬと︑ここで小

便するぞ﹂とわめく︒それでも明けてやらんと︑本当に

小便をしてしまうので︑仕方なしに明けてやるといった

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ような具合であったそうな︒これもどこやら﹃坊っちゃ

ん﹄の生い立ちを連想させるものがあるではないか︒

そのほか︑中山安兵貯が高田の馬場で仇討ちをする前

に︑息つぎに一杯引っかけて行ったという馬場下の小倉

屋という酒屋が︑ちょうど先生の生家と裏合わせくらい

になっていて︑その家の娘のお北さんの習っている長唄

の三味線が時折聞こえてきたというのが︑﹃草枕﹄の中

に万屋のお倉さんになって現われている︒馬場下から穴

よろずや

あな

八幡へかけては︑いまでこそりっぱな学生街になってい

はちまん

るが︑先生の育たれる時分は︑それこそ狐でも飛び出し

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かねない︑辺鄙な片田舎であったらしい︒それでも田舎

から荷車を曳いて来て︑野菜の取り引きをするやっちゃ

、、、、

場があったり︑さびれた寄席があったり︑鍛冶屋も一軒

あって︑角には豆腐屋があった︒そして︑そこを曲がる

と︑藪の中の小高い丘の上に︑西閑寺という寺の赤い門

があった︒と︑こう並べてくると︑誰でも﹃二百十日﹄

の中の角さんの故郷の町を想い出すことであろう︒

かく

私どもは折に触れて先生自身の口からそれらの話をう

かがったものだが︑晩年に及んで︑先生みずからそれら

の想い出を一括して︑随筆﹃硝子戸の中﹄に書いていら

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れる︒あの中には︑前に挙げたようなもののほかに︑先

生の両親︑ことにお母さんに対するしみじみとした追憶

をはじめとして︑兄弟姉妹のこと︑親族間の往来︑﹁名

主という派手な交際の要る町人﹂の家庭生活︑猿若町の

つきあい

芝居見物といったようなものが︑心にうかぶままに︑一

つ一つ眼に見るるように描かれているから︑あれと先生

の自叙伝小説ともいうべき﹃道草﹄とを合わせ読めば︑

先生の生い立ちについては内外両面にわたって︑最も正

確な報告が得られようというものである︒

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学校時代

先生に漢学の素養が深かったことは︑すべての作品を

通じてうかがわれるが︑とくにその漢詩は専門家の眼か

ら見てもりっぱなものだと言われる︒が︑私にはよくわ

からないから︑それについて云為することは避けたい︒

うんい

とにかく︑先生は一ツ橋中学校を中途でやめて︑三島

中洲先生の二松学舎へ通われた︒これはしかし先生自

ちゅうしゅう

身の趣味にもよったろうが︒一つはまた学問といえばす

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ぐに漢学のことを考えたその時代の風潮でもあったらし

い︒で︑しばらくたつと︑やはり大学を卒業しておく必

要を感じられたとみえて︑予備門へ入る下準備をするた

めに︑再び駿河台の成立学舎へ転じられた︒

大学予備門へ入学されたときには︑将来建築学をやる

つもりで籍を工科に置かれたということである︒建築に

志したのは︑自己の事業が比較的永久に残るものだから

というような話を先生の口ずから聞いた︒が︑それはや

はり先生の志でなかったとみえて︑予備門の改称された

第一高等中学校を卒業される前に︑再び英文学に転じら

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れた︒

中村是公氏との親交はこの予備門時代に生じた︒いっ

しょに本所の江東義塾という私塾の教師になって︑二階

ほんじょ

に寄宿させてもらって︑そこから予備門に通われたとい

うような話は︑その時代の学生気質を表わすような︑く

かたぎ

さぐさの逸話とともに︑﹃満韓ところどころ﹄や﹃思い

出す事など﹄の中にくわしく語られているから︑私がこ

こに贅するまでもあるまい︒

ぜい

先生の生涯に最も多くの影響を与えたと思われる正岡

子規との交遊も︑この予備門時代に始まった︒なんでも

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そのころ先生はよく日本橋の瀬戸物町にあった伊勢本と

せもと

いう寄席へ講釈を聞きに行かれたが︑子規もやはり講釈

が好きで︑よくそこへやって来ていた︒そんなことから

自然とふたりの間に交友関係が結ばれたというのであ

る︒い

ったい子規という人は勝気で︑才気煥発で︑負けぎ

かちき

さいきかんぱつ

らいな性質であったために︑先生に対しても常に一日の

長あるものとして臨んでいた︒そして︑先生の俳句はも

ちろん︑漢詩漢文というようなものにも︑盛んに朱を入

しゅ

れて評点を施したり︑鼇頭に評語を書き入れたりしたも

ごうとう

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のだ︒その態度があまりに傍若無人なので︑一日先生は

わざと自作の英詩を出して示された︒それにはさすがの

子規も弱ったと見えて︑朱筆を握ったまま︑しばらく黙

って見ていたが︑やがてV

erygood

と書いて返したそう

な︒これには︑ふたりの交情が偲ばれるとともに︑子規

という人の負けぎらいな性質があらわれていておもしろ

い︒明

治二十五年の七月︑ふたりは相携えて京都に遊び︑

先生はそれから家の用務を帯びてひとりで岡山まで行か

れたが︑帰りにはさらに伊予の松山に帰省した子規を訪

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ねていられる︒後年先生が松山中学に赴任されるような

気持ちになったのも︑こんなところに胚胎しているらし

はいたい

い︒二

十六年の七月︑先生は帝国大学英文科を出られた︒

英文科の出身では︑わが国における二人目の学士である︒

そして︑卒業とともに︑お茶の水の高等師範へ勤めるよ

うになられたが︑その後一年有半を経た二十八年の春︑

先生は突如として伊予の松山中学に赴任すると言い出さ

れた︒これには親族の人々もよほど驚かれたらしい︒

都落ちをするといえば︑地方出身の者でもいやがる︒

みやこお

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ましてや先生は生まれてからまだ一度も東京を離れたこ

とのない人である︒それも東京に就職の口でもないとい

うのなら知らず︑たとい月給は四十円でも︑れっきとし

、、、

た高等師範の講師であり︑早稲田専門学校の教師も兼ね

ている︒なにを苦しんでとは︑親族の方々のすべて一致

した意見であったろう︒私なぞがいまから考えてみても︑

そのわけはよくわからない︒そこにいろいろな憶測の入

る余地がある︒

親族のひとりは﹁なに︑あれは失恋ですよ﹂と︑こと

もなげに言われる︒その人はいまの未亡人の事実上の媒

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酌にも当たった人だから︑その人の言われることには一

応の根拠があるかもしれない︒私どもはそれを否定する

なんらの理由ももたない︒そしてまた︑事実失恋であっ

たところで︑いっこう差しつかえはない︒差しつかえな

いばかりか︑先生の作に関連して︑幾多の謎を解く鍵に

なるかもしれない︒ただ私どもはそれを否定する理由を

有しないと同時に︑またそれを事実として認定する根拠

をも有しないばかりである︒

想うに︑先生はただ東京がいやになったのではあるま

いか︒私ども地方の人間がなにがなしに自分の生まれた

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故郷がいやになると同じように︑先生も自分の生まれた

東京が離れてみたくなったのではあるまいか︒東京人な

るがゆえに東京がいやになる

︱そういうこともあなが

ちないとは言われなかろう︒それ以上憶測をたくましゅ

うすることは︑私としては避けたい︒

とにかく︑先生はその年の四月に赴任して︑明くる年

の三月まで︑松山中学に英語の教師として勤めていられ

た︒﹃坊っちゃん﹄の背景は実にこの間の見聞から成る︒

そして︑この作が有名になるとともに︑校長の狸は誰の

ことだの︑赤シャツは誰だの︑野だは誰だの︑うらなり

、、

、、、、

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の古賀さんは誰をモデルにしたものだのというような詮

索が松山人のあいだに始まって︑山嵐のごときはみずか

らそれをもって任じている人も生じたということであ

る︒実際︑坊っちゃんの下宿をしていた萩野のお婆さん

はぎの

を想わせるような年寄が︑先生の下宿していられた家に

もあって︑芋ばかり食わせたかどうかは知らないが︑お

爺さんは毎晩あまり上手でもない謡いをうたったそう

な︒が

︑誰は誰だというような︑ものずきな詮索が始まる

ごとに︑先生はいつもにがい顔をして聞いていられた︒

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そして﹁赤シャツを着ていたのはぼくだよ﹂と︑苦笑し

ながら言い出されたのを覚えている︒つまり先生として

は︑他人の癖もしくは性向の一部分を便宜上借りてこら

れることはあっても︑全体としての人格をそのまま作中

に導入するようなことは努めて避けるようにしていられ

た︒それを心なしめが面白半分のモデル沙汰は︑ずいぶ

ん迷惑であったに相違ない︒

翌年の四月には︑第五高等学校の教授として︑松山か

らさらに熊本に移られた︒熊本時代︑先生はかなり句作

に精進されたらしく︑得るにしたがって︑東京の子規の

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もとに送られた句稿がいまでも残っている︒それも文壇

的野心なぞが毛頭あったわけではないらしい︒といって︑

田舎に埋もれ果てる決心でもなかったろうが︑三十三年

の春文部省から突然英語研究のために海外留学を命ぜら

れたとき︑自分なぞよりはもっと若い適任者がほかにい

くらもあるだろうという意味で︑一応辞退していられる︒

が︑その辞退は取り上げられないで︑同じ年の九月いよ

いよ英京ロンドンに向かって出発された︒

ロンドンにおける二年間の生活はかなり不愉快なもの

であったらしい︒そのあげく︑先生は強度の神経衰弱に

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罹られ︑ついには精神に異状を呈されたというような報

告まで故国の文部省に達したそうな︒先生自身も﹃文学

論﹄の序の中でこの点に触れて︑﹁英国人は余を目して

もく

神経衰弱と言えり︒ある日本人は書を本国に致して︑余

を狂気なりといえる由︒⁝⁝帰国後の余も︑依然として

よし

神経衰弱にしてかつ狂人の由なり︒親戚の者すらこれを

是認するに似たり︒親戚の者すらこれを是認する以上︑

本人たる余の弁解を費やす余地なきを知る﹂と言い︑し

かも神経衰弱にして狂人なるがために﹃猫﹄や﹃漾虚集﹄

ようきょしゅう

や﹃鶉籠﹄を著すことができた︑今後も余が身辺の状

うずらかご

あらわ

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況にして変化しないかぎり︑余の神経衰弱と狂気とは命

のあらんかぎり永続する︒すなわちどこまでも制作をつ

づけるだろうという意味のことを述べていられる︒これ

は先生がその精神状態に関する世間の風説に対して︑憤

然として逆襲していられるものと見てよかろう︒もっと

も千万なことである︒で︑当人がそう言われるのだから︑

せんばん

それにまちがいないものとして︑一応は承認しなければ

ならぬようなものの︑誰も知るように︑それだけではま

だ精神になんらの異状がなかったという究極の証明には

ならない︒

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なおこの問題は人および芸術家としての先生を知るう

えに︑どうしても閑却することのできない重大なもので

はあろうが︑あまりにデリケートな問題であるだけに︑

私としてはなんとも言われない︒ただ直接先生に接して

いた十余年の間︑その道徳的批判においていつも先生か

らから威圧されるような︑一種犯しがたいものを感じた

以外︑私なぞに対する先生の言動には︑いっさい微塵も

そんな徴候を認めえなかったということを断言しうるば

かりである︒そして︑その点がどうあろうとも︑私ども

に遺された作品の価値を毫も増減するものでないことに

のこ

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満足してやみたい︒

先生は三十六年の一月帰朝して︑第一高等学校ならび

に東京帝国大学の講師として︑再び東京に留まられるこ

とになった︒かくして一両年ののち華々しく文壇にうっ

て出られる機縁がおいおい熟してきたのである︒

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時代の背景

先生と同じく慶応三年の出生であった尾崎紅葉は︑明

治三十六年の十月に没した︒が︑その数年前から健康と

かくすぐれず︑﹃金色夜叉﹄が読売新聞に連載された当

時も︑一日出ては一週間くらい休むといったように︑読

者としてはじれったいほど途切れがちであったことをお

、、、、、

ぼえている︒健康もすぐれなかったが︑一つはあの有名

な遅筆にもよったらしい︒

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とにかく︑私の記憶するところによれば︑いわゆる硯け

友社の全盛時代なるものは︑明治も二十年代に終わりを

ゆうしゃ

告げて︑三十年代に入ってからは紅葉まず衰え︑それと

桔抗した幸田露伴氏も﹃二日物語﹄以後ほとんど筆を執

られず︑たまたま広津柳浪氏あって︑﹃今戸心中﹄﹃河

内屋﹄などに一時気を吐いたが︑夕暮の残光のように︑

まもなくその勢いを失っていった︒私一個としては︑氏

のそれらの作品によって︑はじめて文学の眼を開かれた

というなつかしい記憶を持っている︒なお柳浪氏と前後

して︑鬼才樋口一葉女史が彗星のごとくに現われて︑ま

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た彗星のごとく消えた︒

紅葉門下では泉鏡花氏︑故小栗風葉氏など︑それぞれ

個性ある作品を示されたが︑しかも未だ文壇の第一人者

として臨むには到らず︑その間隙に乗じて︑やや傾向を

異にしたものではあるが︑徳富蘆花氏の﹃不如帰﹄なぞ

ほととぎす

が︑かえって天下を風靡するにいたった︒﹃不如帰﹄に

ふうび

ついで︑小杉天外氏の﹃魔風恋風﹄が世に行なわれ︑菊

まかぜこいかぜ

池幽芳氏の﹃己が罪﹄に及んで︑まったく通俗小説の一

ゆうほう

おの

つみ

派︑もしくは通俗小説という一種の概念を構成するにい

たった︒

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もっとも︑天外氏の﹃魔風恋風﹄と小栗風葉氏の﹃恋慕

れんぼ

ながし﹄とのあいだに︑どれだけの差別があるかと反問

されたら︑ちょっと返辞に困るかもしれない︒が︑硯友

社の小説以外︑一段下った通俗的読み物としては︑円朝

さが

えんちょう

その他の講談物か︑涙香小史の翻訳物しかなかった時代

るいこうしょうし

から︑その硯友社が衰うるにつれて︑前に挙げたよう

おとろ

な人々の手で︑両者の中間をいくような︑いわゆる通俗

小説なるものが生まれたことは争われない︒そして︑そ

れが新聞の連載物としての必要から生じたことも注目す

べき事実である︒

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で︑一方に通俗小説を生じた反面には︑純芸術的な運

動が硯友社以外の人々の手によって瞑々裡に行なわれて

めいめいり

いた︒それにおよそ三派があった︒その一つは︑雑誌﹃文

学界﹄の残党として︑主として外国文学を研究した故上

田柳村先生︑馬場孤蝶先生などの人々で︑その二は︑新

派和歌の与謝野鉄幹氏夫妻を中心として︑雑誌﹃明星﹄

に拠った一派である︒そして︑その三は実に俳句雑誌﹃ホ

トトギス﹄に立て籠って︑故人正岡子規の衣鉢を守って

こも

いはつ

いた高浜虚子氏その他の写生文一派にほかならない︒な

お三派のうち︑外国文学を主とした人々は︑上にあげた

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上田︑馬場の両先生をはじめとして︑のちには森鷗外先

生までも雑誌﹃明星﹄の誌上を借りて︑その論策なり作

品なりを発表せられるようになったから︑両派は一つに

数えてもいいかもしれない︒

ところで︑新しい芸術運動が外国文学の刺激によって

起こるのは︑どこの国︑いつの時代にもめずらしいこと

ではあるまいが︑わが国のこの時代に見るように︑本流

の文学が衰頽しもしくは堕落した場合︑純粋な芸術欲と

すいたい

真の創作熱とが和歌や俳句を作る人々の手によって保存

されていたということは︑必ずしも異とするには当たら

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ないとしても︑また注目に値いするものと言わなければ

なるまい︒

子規は先生の留学中︑明治三十五年九月十五日に世を

去った︒不治の病に冒されながら︑覇気満々︑天下を睥睨

きまんまん

へいげい

していた彼が︑上述のような文壇の形勢に対して︑いか

なる感想を抱いていたかは︑これを想像するにかたくな

い︒いたずらに形式にとらわれて︑彫琢を事とした硯友

社派の文章に飽き足らずして︑彼はみずから写生文を唱

道した︒写生文は当時俳句の生命とされていた写生から

きたものであろうが︑まず形式から入って︑文学の本質

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的革命をも来そうとしたものらしい︒

子規の没後も︑その主張は虚子氏をはじめ﹃ホトトギ

ス﹄派の同人によって継承された︒が︑本当に写生文を

大成して︑故人の素懐を全からしめるためには︑やは

そかい

まった

りわが漱石先生を待たねばならなかった︒

もっとも︑写生文を大成してと言ったのでは︑やや語

弊がある︒先生自身の手に成ったものでも︑﹃自転車日

記﹄など純写生文の行き方をしたものもないではないが︑

﹃倫敦塔﹄はもちろん﹃猫﹄はもう写生文ではないが︑

それにもかかわらず︑文壇に立って︑亡友子規の素志を

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全からしめたものは︑やはり先生であったと言われなけ

ればならない︒その間の消息は先生みずから﹃猫﹄の第

かん

一巻に序して︑故人に対する綿々の情を寄せていられ

じょう

るのに見ても︑うなずかれようというものである︒

子規と先生とのあいだには︑そういったような一種の

黙契があったろうと思われるにもかかわらず︑なお帰朝

もっけい

後いろんな身辺の事情から逡巡していられた先生を促

しゅんじゅん

して︑その創作熱を煽るようにしながら︑とうとう文壇

あお

に曳き出した殊勲者は︑なんといっても高浜虚子氏を第

一に推さなければなるまい︒﹃猫﹄の第一回ができ上が

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ったとき︑題名をどうするかと相談されて︑書き出しの

一句﹁吾輩は猫である﹂をそのまま採るがいいと勧めた

のも氏であったと聞いている︒なお氏の談話によれば︑

最初文章においては一日の長ありと自信していた虚子氏

は︑雑誌の編集者として勝手にその第一回に手を入れ︑

先生自身もそれに甘んじていられたということである︒

あま

が︑その一回分が出ただけで︑先生はもう天下に有名

になっていられた︒ちょうど明治三十八年正月元旦のこ

とである︒そしてそれに勢いを得て︑先生は二回三回と

﹃猫﹄を書きつづけられるほかに︑第一回と同じ正月﹃帝

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国文学﹄に掲載された﹃倫敦塔﹄をはじめとして︑﹃カ

ーライル博物館﹄﹃幻影の盾﹄﹃一夜﹄﹃薤露行﹄と特色

かいろこう

ある作物を次々に書いていかれた︒翌年の正月に出た﹃趣

味の遺伝﹄はやや評判が悪かったが︑その四月には﹃ホ

トトギス﹄に﹃坊っちゃん﹄が発表され︑九月﹃新小説﹄

に﹃草枕﹄が出るにおよんで︑作家としての先生の声価

はまったく定まった︒

実際︑この二作は暴風のような勢いで世の中に迎えら

れた︒そのすさまじい勢いにも眼をみはったが︑それよ

りも私どもは︑以上挙げたような諸作

︱挙げなかった

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ものもある

︱のほかに︑二年間にわたってずっと﹃猫﹄

を書きつづけてこられた先生の天分︑絶倫の精力に感嘆

したものである︒それはまったく観る者をして息をも継

がせぬ概があった︒私は﹃草枕﹄を故郷の茅屋で読み終

がい

ぼうおく

わったとき︑そのこんこんとして尽くるところを知らな

いような作者の詩嚢に敬服するのあまり︑はるかに先生

しのう

に書を寄せて︑ただもう﹁言語に絶す﹂と言ってやった︒

そして︑今でもその言葉が最もよく私の感情をあらわし

ているように考えられる︒

で︑このように狂奔して先生の作が世間から迎えられ

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たのは︑もちろん作そのものの価値にもよろうが︑一つ

はまた紅葉没後帰趨を失っていた天下の人心

︱と言っ

きすう

ていいか︑とにかく天下の読書子が︑それに代わる作者

の出現を︑いかに大旱の雲霓を待つがごとく待ちもうけ

たいかん

うんげい

ていたかを語るものであらなければならない︒

もちろん︑その時代には先生以外にも幾多の有力な作

家批評家を輩出した︒島村抱月氏が帰朝後﹃早稲田文学﹄

に拠って自然主義の論陣を張られたのも︑そのころのこ

となら︑島崎藤村氏の﹃破戒﹄が出たのも︑田山花袋氏

の﹃蒲団﹄があらわれたのも︑皆その前後のことである︒

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あるいは硯友社が衰勢を示してから︑取って代わって文

すいせい

壇の大勢を支配したものは︑いわゆる自然派の人々であ

たいせい

ったと言わなければならぬかもしれない︒実際︑その前

後数年間ほどわが国における文学運動の盛んな時代はな

かったのである︒

その中にあって先生はほとんど終始孤立していられ

た︒いかなる派にも属さなければ︑いかなる主義をも奉

じていられなかった︒先生はあくまで先生自身の立場に

立っていられたのである︒しかも個人として天下の衆望

を蒐むること先生のごときは︑他にその匹儔を見なか

あつ

ひっちゅう

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ったと言っていい︒

この事実は私をして︑文学には主義も流派もない︑芸

術はあくまで個人の仕事であるという信念を強からしめ

る︒個人の仕事である︒したがって個性の発揮をほかに

して︑吾人が芸術に携わる意義はない︒偉大なる個人の

足跡こそ偉大なる文学なれだ︒自己を忘れた芸術はそれ

がいかなるものであるにもせよ︑私にとっては永遠に風ふ

馬牛である︒

ばぎゅう

翌四十年の一月には﹃野分﹄が発表されたが︑これも

世間の評判はあまりよくなかった︒しかるにその年の四

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月先生はにわかに大学の講壇を退いて︑東京大阪の両朝

日新聞社に入社され︑以後は全然職業的作家をもって立

たれるようになった︒それまでは先生も創作をもって生

命としていられたには相違ないようなものの︑どこやら

まだアマチュアーの臭いがして︑世間からも大学の先生

の余技のように見られていた︒それだけに先生の新聞社

入りは︑世間に一大センセイションを惹き起こすととも

に︑名実ふたつながら先生を文壇の頭領の地位に押し

とうりょう

上げたのである︒

なおアマチュアーの臭いがよいか悪いかは議論のある

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ところだろうが︒それが入社とともに跡を絶って︑先生

の創作のうえに一つの時期を画していることは争われな

かく

い︒で︑﹃猫﹄以来ここにいたるまでを初期に属するも

のとして︑以下その間の作品について所感を述べてみる

ことにする︒

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初期の代表作

初期のアマチュアー時代に入るべきものは︑﹃猫﹄を

ほかにして︑﹃倫敦塔﹄から﹃野分﹄にいたるまで︑お

よそ十個の短編がある︒ここにはその中の三篇︑すなわ

ち﹃吾輩は猫である﹄﹃坊っちゃん﹄﹃草枕﹄を採って︑

いささか私見を述べるに留めたい︒

なお︑その時代の産物としては︑それらの創作のほか

に︑﹃文学論﹄﹃文学評論﹄の二冊がある︒前者は文学

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の根本原理を説明したもので︑後者はイギリス文学にお

ける十八世紀の分だけを取って評論したものである︒正

宗白鳥氏はその﹃夏目漱石論﹄においてふたつながら﹁彼

の学殖と批判力とを充分に現わしたもので︑文学研究者

を裨益する良書である﹂と言い︑ことに﹃文学評論﹄に

ひえき

ついては︑﹁日本人の観察した西洋文学観として︑これ

ほど委曲を尽くしたものは他に類がないだろうと思われ

いきょく

るい

る︒私としては︑漱石が小説は書かないでも︑この調子

で英国各時代の文学史を書き残していたなら︑もっとあ

りがたかったと思っている﹂と述べていられる︒あとの

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ほうは少しよけいなことでもあり︑わざとらしくも思わ

れるが︑日本人の観察した文学観として類を絶している

と言われたのは︑同感のほかない︒

氏はなお進んで﹃十八世紀文学評論﹄のうちでは︑ス

ウィフト論が最も光彩を放っていて︑これほど微細にか

つ鋭利にスウィフトを解剖し観察し翫賞したものは︑

がんしょう

英国においてもないに違いない︒サッカレーやハズリッ

トなどのスウィフト観も漱石に比べると︑見方が皮相で

ある﹂と喝破して︑先生が﹁この稀代の諷刺家厭世家を

かっぱ

非常に高く評価していられる﹂点をあげ︑不満足を現わ

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す文学的表現の四段階のうち︑スウィフトをもってその

どん詰りにいるものだとする先生の文句

︱﹁普通の不

、、

づま

満足は必ず一方に満足を控えている︑もしくは夢むんで

ゆめ

いる︒スウィフトの不満足にはこの対立がない︒⁝⁝過、

去現在未来を通じて︑古今東西を尽くして︑いやしくも

、、、、、、、、、

、、、、、、、、、

、、、、、

人間たる以上は︑ことごとく嫌悪すべき動物であるとい

、、、、、、、

、、、、、、、、、、、、、、、、、

う不満足である︒したがって希望がない︑救われようが

、、、、、、、

、、、、、、、、、、

、、、、、、

ない︑免れようがない︒彼の諷刺は噴火口からほとばし

、、

、、、、、、、

る氷のようなものである︒非常に猛烈であるけれども︑

非常に冷たい︒人を動かすための不平でもなければ︑み

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ずから免れるための不平でもない︒どうしたって世界

まぬか

のあらん限りつづく︑不平のための不平だから︑スウィ

フト自身はかつて激していない︒冷然としている︒なん

だかスウィフトなるものが重たい石のように英国の真ん

中に転がっているような気がする︒そうしてこの石一つ

あるために︑左右前後はむろん︑全世界に蠢動する人

しゅんどう

間と名のつくものが︑ことごとく石に変化したように思

われる︒なぜというと︑彼はいかに憎悪の意を漏らして

も決して赤くならない︑また決して慇懃にも出ない︑同

いんぎん

情はもとよりない︒⁝⁝﹂を引いて来たうえ︑﹁漱石の

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見たスウィフトは︑通俗の文学史家の見たような浅薄皮

相な諷刺家ではないのである︒古今東西の文学史に散在

している諷刺家や厭世家は︑たいていは一方では甘い夢

を見ているので︑彼と心を同じゅうして見ると︑世界の

ほとんどすべての文学者が甘ちゃんなのである︒⁝⁝そ

して︑漱石の所論を熟読していると︑彼はスウィフトを

客観的に研究し解剖しているだけではなくって︑スウィ

フトの見解にかなり同感し共鳴しているのではないかと

疑われる︒そうでなければ︑ああまで深くスウィフトの

心境に立ち入った傑れた批評ができるわけはないと︑私

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には思われる﹂と︑こう言ってもいられる︒

スウィフト論が﹃文学評論﹄の中でもとくに傑出して

いることは︑必ずしも正宗氏の言を待つまでもなく︑先

生の周囲ではほとんど定論となっており︑私なぞはむし

ろ先生がスウィフトをかりて自家胸中の磊塊を吐かれた

らいかい

ものじゃないかとまで考えさせられたものだが︑しかも

先生とはほとんど何の関係もなかった氏の口から︑今日

この言葉を聞くのは︑私どもにとって一種の感慨を深う

せしむるものがある︵ついでながら︑友人野上豊一郎君が

﹃ガリバー旅行記﹄の全訳を思い立ったのも︑やはり先生の

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この講義に刺激されたものであることは言うまでもない︶︒

スウィフト論からすぐ想い及ぼされるのは︑では︑先

生自身の﹃猫﹄はどういう動機から書かれたものだろう

かということである︒なるほど滑稽物には相違ない︒が︑

こっけいもの

ただ笑いだけを主とした︑単なる滑稽物ではない︒そう

片づけてしまおうにもしまいきれないような何物かが

﹃猫﹄にはある︒それが何物であるかは︑私にもちょっ

と言われない︒が︑あることは確かにある︒では︑﹃猫﹄

はスウィフトの﹃ガリバー旅行記﹄と同じように︑作者

が満腔の不平を滑稽諧謔の裡に寓した︑言うところの

まんこう

かいぎゃく

うち

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諷刺物であろうか︒

いったい︑先生という人はその当時から底の知れない

皮肉家をもって目されてござった︒その人が書いたもの

だというので︑﹃猫﹄も読まぬ先から皮肉なもの︑なに

がなしに一種の諷刺物として迎えられた傾向がある︒

それでは︑この作は全体なにを諷刺したものであろう

か︒この問いに対しては︑昔からまだ何人も答えたもの

がない︒私自身にも答えられそうにない︒そうなると︑

最初にさかのぼって︑いわゆる滑稽物と諷刺物との区別

はどこにあるかということからして︑糺してみたくなる︒

ただ

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さいわい︑先生自身が﹃文学評論﹄の中の同じスウィ

フトの条に︑その区別を明快に論じ去っていられるか

じょう

ら︑まずそれからだいたいの意味を取って引用してみる

と︑﹁元来は満足の意を表わした文学でも︑ときとして

諷刺的不平の発現とまちがえられることがある︒徳川時

代の滑稽物︑﹃膝栗毛﹄のようなものにしても︑ある人

はあれを諷刺と解釈するが︑私にはそうは思われない︒

私の読んだところでは︑自分がいろんな失敗や失策をし

ながら︑その失敗や失策を客観的に振り返ってみて︑お

もしろくそれに打ち興じている体がありありと見える︒

てい

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どこまでも陽気な文学で︑あの当時の社会制度や階級制

度などの抑圧に対して反抗の声を裏からほのめかしてい

るのだなぞとは︑どうしても思われない︒ただ読者の眼

のつけどころで諷刺とも皮肉とも解釈できるだろうが︑

そう解釈するのが深い解釈だなぞともったいぶるのはお

かしい︒なお個人の場合でもそうである︒真っ昼間提灯

ちょうちん

をつけて往来を歩く人があったとするに︑これも考えよ

うでは世の中の暗黒を諷した所業とも見れば見られない

ことはないが︑一方からいえば︑お花見時分のような気

楽な了簡でやっているんだと考えられないこともない︒

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で︑かく見様取り様で一つの行為が諷刺とも滑稽とも解

釈されるんだから始末が悪いが︑自分の考えでは︑ここ

に一つ両方を区別する索引のようなものがある︒つまり

滑稽物の読者に与える影響は︑未来において読者がその

滑稽を再演してみたくなるような傾向を帯びている︒再

演するほどはげしくなくとも︑幾分かその傾向を心に持

っていることが快感になる︒これに反して︑諷刺物から

得る影響は︑未来において読者がなるたけその被諷刺的

地位に立つことを避けようとする傾向である︒万一そん

な諷刺に該当するような地位におちいったら自分の面目

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は潰れ︑人格は傷つけられるという不安の念を抱くよう

になる﹂と︑こうある︒

なるほど︑この索引を当てはめてみたら︑滑稽か諷刺

かはたちどころに決定することであろう︒で︑さっそく

それを﹃猫﹄に当てがってみるに︑第一には主人公苦沙

弥先生の地位だが︑あの超然として間が脱けたようでい

ながら︑ときどき天来の警句を吐くところ︑たといまね

はできないにしても︑あの先生をもって擬せられて︑そ

う腹を立てる人はあるまい︒それから玉擦りの名人寒月

君も同様とみてよかろう﹁第三番の迷亭先生は少々へら

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へらのお饒舌家だが︑それでも才気煥発︑警句︑秀句︑

駄句︑駄洒落と所きらわず連発するあたり︑ちょっとあ

のまねのしてみたい人もその辺に少なくあるまい︒越智

東風君のおっとりとして初心らしいのは言わずもがな︑

猫を煮て食うという多々良三平君といえども決して悪い

役回りではない︒とぼけてはいるが︑気さくで正直で︑

、、、

磊落で︑泥棒の入った翌日苦沙弥先生のもとを訪れて︑

らいらく

家中を相手にひとりでその場を背負って立つあたり︑や

んやと大向こうを唸らせるに足るものがある︒

おおむ

こう数え立ててみると︑﹃猫﹄の中へ出てくる人物で︑

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あの役にばかりはなりたくないと思うようなのはほとん

どない︒あれば向こう横丁の金田夫婦と鈴木の藤さんく

とう

らいなものである︒なるほど︑金田夫婦は当世の金持ち

紳士だけに諷刺とは言われないくらい正面からこっぴど

くやられている︒それに随伴する鈴木工学士の役目もあ

まりありがたくない︒そのほか天璋院様の御祐筆の妹

てんしょういん

ごゆうひつ

の嫁に行った先のお母さんの甥の娘だとかいう︑恐ろし

く長い系図のついた二絃琴のお師匠さんと︑ボールを拾

にげんきん

いに来る落雲館中学の生徒なぞも挙げれば挙げられるだ

ろう︒

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が︑この三人とそれから中学生を槍玉に上げるために︑

あれだけの大作ができたとみるのは︑あまりにものの釣

り合いを忘れた観方である︒それに金田夫婦に対する攻

みかた

撃のごときは︑そこに現われた作者の道徳観というよう

なものもかなり卑近で︑これを諷刺として見ても決して

上乗のものではない︒要するに︑先生自身の索引に照

じょうじょう

らしてみると︑この作は諷刺物でないが︑少なくとも諷

刺物と見ないほうがいいということになるのである︒

では︑﹃猫﹄は諷刺物でない

︱これだけは承認する

にかたくないが︑それならお花見時分の気楽な了簡で︑

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作者自身の周囲をおもしろおかしく眺めながら︑打ち興

じているといったような︑単なる滑稽物にすぎないかと

いうと︑前にも言ったように︑どうもそう言いきってし

まわれないものがある︒それは私ひとりの感じではない︒

小宮豊隆君のごときは︑この点に関説して﹁先生は

﹃猫﹄を書いて有名になった︒しかし﹃猫﹄を書いて有

名になったことによって︑先生はまたずいぶん損をした︒

なぜなら︑当時の世間の多くは﹃猫﹄の笑いを笑いだけ

として歓迎して︑その奥に蔵されている先生の血と涙と

かく

を少しも読みとることができなかったからである︒そう

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して︑先生をまじめな問題をも不まじめに受け取ってし

まう滑稽作家としてまず折紙をつけてしまったからであ

る﹂と言い﹁もし﹃猫﹄を読んで︑先生の不まじめな心

に触れるように感じる読者があるならば︑その人は同時

に﹃道草﹄を併せ読んでみるがいい︒﹃道草﹄に書かれ

ている先生自身の生活上の時期は︑およそ﹃猫﹄が書か

れた時期とほとんど重なり合うくらいになっている︒﹃道

かさ

草﹄を通して︑その時期における先生の生活気分を感じ

る人は︑﹃猫﹄が先生のどういう生活気分のもとに生ま

れたものであるかを知ることによって︑﹃猫﹄の中のま

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じめな分子と﹁猫﹂の奥に潜んだ悲痛な心持ちとを︑よ

ひそ

り具体的に感じることができるに違いない﹂と主張して

いる︒

実際︑それは小宮君の言うとおりである︒先生の帰朝

後三︑四年間の生活は︑﹃文学論﹄の序または朝日新聞

の﹃入社の辞﹄でもほぼ想像されるとおり︑先生にとっ

てはきわめて不愉快な︑陰鬱なものであったらしい︒そ

れが﹃道草﹄にはまざまざと眼に見るように描かれてい

る︒も

っとも︑私としては︑そういう陰鬱な︑悲痛な気分

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のもとに書かれたものだから︑﹃猫﹄は当然陰鬱で悲痛

なものであるべきはずだと言うのではない︒つまりなん

と言っていいか︑誰やらが言ったように

︱たぶん鈴木

三重吉君であったろうと思う

︱﹃猫﹄は先生にとって

一種の安全弁であったのである︒ほかになに一つ安全弁

らしいものを持っていられなかった先生としては︑実際

何物にも代えられない貴重な安全弁であった︒もしこれ

がなかったら︑あの時分の先生はどうなっていたかわか

らないと言っても︑おそらく過言ではあるまい︒

で︑すでに安全弁である︒笑いのうちに苦渋な涙の籠

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められているのは当然であろう︒見よ︑先生は苦沙弥先

生をもって自己のカリカチュアとすることによって︑自

分自らを自嘲していられる︒もちろん︑それは自分自ら

を諷刺の的としていられるというのではない︒そこには

まと

笑いの中に自己に対する愛惜がある︒そして︑苦沙弥先

生のような信念と気分をもって世の中に立てば︑こうい

う目に逢うぞ︑世間からこういう取り扱いを受けるぞと

いうところを示していられる︒﹃猫﹄を読んで真摯の気

しんし

に触れるものがあるとすれば︑これを措いてほかにない︒

その意味において︑セルバンテスの﹃ドン・キホーテ﹄

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も﹃猫﹄と同じような作品である︒私はセルバンテスの

人物をよく知らない︒しかしドン・キホーテは作者自身

でなくとも︑少なくとも作者の理想的人物である︒こう

言って悪ければ︑その幾多の欠点とともに少なくとも作

者が愛惜してやまない人物である︒なるほど︑作者はド

ン・キホーテをずいぶんひどい目に遭わせている︒しか

も彼はその痛みを自分自身にも感じているのである︒痛

みを感じながら︑ますますドン・キホーテをひどい目に

遭わせる︒そこにみずから嘲りみずから鞭打つ者の言

あざけ

い知れぬ甘味があるのではあるまいか︒こうして︑﹃ド

かんみ

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ン・キホーテ﹄の作者は︑﹃猫﹄の作者と同じように︑

やはりその主人公を愛してこそおれ︑決して諷刺の的と

しているのではない︒

以上︑﹃猫﹄がいかなる意味の作であるかは︑だいた

いにおいて説明しえたつもりだ︒で︑これからはその滑

稽諧謔の手際

︱表現の技巧というようなものについて

述べる順序だが︑それは作品を読みさえすれば誰にもわ

かることだから︑ここには省略するとして︑ただ人のあ

まり注意しない︑この作の写実の妙味に関して一言して

みたい︒

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いったい︑滑稽昧の勝った作というものは︑その本質

上からして自然であることを必須条件とする︒滑稽感を

促す不調和や突梯やが︑もし作者の強いてこしらえたよ

とってい

うな不自然なものであったら︑卒然としてその滑稽感は

止むからである︒自然であるためには︑したがってまた

写実的であらなければならない︒古来の滑稽的作品はこ

とごとく写実的である︒どんな空想的な︑伝奇的な作品

の中にあっても︑その滑稽的場面は必ず写実的である︒

たとえば︑沙翁の歴史劇の中へ出てくるフォルスタッフ

がそうである︒﹃ドン・キホーチ﹄がそうである︒わが

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国の狂言がそうである︒歌舞伎芝居の道化役がそうであ

る︒﹃膝栗毛﹄や﹃八笑人﹄はもちろんそうである︒

はっしょうじん

しからば明治年代における唯一の滑稽的作品ともいうべ

き﹃猫﹄が同時に写実的作品であったとしても︑別段異

とするには及ばなかろう︒

先生のすぐれた写実の技巧は︑その後も年とともに冴

えていったものだが︑この作からしてすでに一頭地を抜

いていた︒いつも苦沙弥先生のワキ役を勤めて︑身をも

って軽い笑いを供給している細君といい︑坊っちゃんを

、、、、、

はじめとしてとん子やすん子などの無邪気な子供らしさ

、、

、、

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といい︑下っては金田の令嬢に連名の艶書を送って︑あ

とで後悔している古井武右衛門君のおどおどした容子と

もん

ようす

いい︑一つは先生の周囲に観察の便もあったろうが︑い

かにもその手際はあざやかなもので︑滑稽ということを

離れて︑単に写生の巧さからいっても︑容易に他の追随

を許さないものがある︒

ことに十章の︑泥棒が捕まったというので苦沙弥先生

が警察へ出頭した朝︑前にあげた三令嬢がめいめい顔を

洗って朝飯を食うところから︑雪江さんという女学生と

頓珍漢な対話をするあたり︑本当に子供らしい子供の描

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写というのはこんなものかと思われるくらい︑私なぞ何

遍読んでも飽くことを知らない︒日ごろから先生が歌舞

伎芝居に出てくる子供の不自然でこまちゃくれたのを嫌

って︑あれだけでも芝居を見るのがいやになると言い言

いされたのも︑これあるかなと思われるのである︒

で︑﹃猫﹄の評判はこれくらいにしておいて︑﹃坊っ

ちゃん﹄の紹介に移る︒﹃坊っちゃん﹄はおそらく読者

の多い先生の作品の中でも︑最も多く読まれたものであ

ろう︒では︑その人気はどこからきているのか︒あの主

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人公のきびきびして竹を割ったような性格に伴れて︑そ

れを描く文章まで︑いかにもきびきびとして歯切れのよ

いこともその一つであろう︒が︑なんといっても作その

もののわかりやすいことを第一に推さなければなるま

い︒わかりやすいから万人向きでもある︒しかも私の言

うわかりやすいとは︑正宗白鳥氏のように︑それをもっ

てただちに通俗小説と見做すのではない︒それについて

は︑一︑二言費やす必要がある︒﹃坊っちやん﹄の文章

のわかりやすいことは言うまでもない︒正宗氏はなお進

んで︑この作が﹁例の美文脈の低徊味︵主として﹃虞美

ていかいみ

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人草﹄をさすものらしい︶よりも︑事件の運びに富んで﹂

いて︑﹁ここに現われている人間が型のごとき人間で﹂

あり︑﹁ここに現われている作者の正義観が卑近で﹂あ

ることを指摘していられる︒これは作の構造と︑人物の

性格と︑全体の作意といったようなものの上から︑この

作のわかりやすいことを指摘するとともに︑通俗的であ

ることを批難せられたものと見てもよかろう︒

なるほど︑この作の脚色は︑他の先生の作で見るよう

にまわりくどくなく︑簡明に︑直截に︑とんとん展開し

、、、

、、、、

ている︒が︑作中の人物は︑氏の言われるように︑はた

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して型のごとき性格ばかりであろうか︒型のごとき性格

というのは︑もちろん平凡な人物ということではない︑

単純な性格ということではなおさらない︒非凡な人物で

も︑複雑な性格でも︒型のごとき性格はいくらもあるか

らである︒では︑型のごとき性格とはどんなものかとい

うに︑つまり私どもがものの本なり舞台なりの上で見慣

れ聞き慣れして︑いっこう新味を感じなくなった性格の

謂いにほかならない︒

そういう眼で見ると︑なるほどたぬきの校長は型のご

、、、

どき人物と言われても仕方がないような気がする︒中学

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の校長が小説や舞台にあらわれるのはめずらしいかもし

れんが︑ああいった性格は決してめずらしくないからで

ある︒その証拠に︑私は本郷座における荒次郎の型のご

とき演出を見ても︑その科白がやや大袈裟に過ぎるとは

せりふ

思ったが︑だいたいあれで満足した︒教頭の赤シャツに

ついてもそれが言われる︒野だもうらなりもそうであっ

、、

、、、、

た︒ひとり山嵐だけはちょっと困ったが︑それも数学の

教師らしい︑いっこくなところが出ていないと思ったか

、、、、

らで︑役の性根を取り違えているとも思わなかった︒

しょうね

ところが︑主人公の坊っちゃんとなると︑その役に扮ふ

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した猿之助の努力も認め︑また彼以上にそれを仕生かし

うる役者があろうとも思われないにかかわらず︑どうし

ても私の想像しているような坊っちゃんにはなっていな

かった︒おそらく猿之助ばかりでない︒誰が演ってもな

れないのであろう︒誰が演っても︑その役者自身の色が

ついて︑坊っちゃんにはなりきれない︒それほど坊っち

ゃんの性格は︑無垢で単純なのである︒無垢で単純な性

格も︑こうなればもはや型のごとき性格とは言われなか

ろうではないか︒

最後にこの作の作意である︒なるほど︑教頭が他の教

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師の許婚の女を横取りするために︑転任に託してその

いいなずけ

教師を追い出そうとする︒その陰謀を知った山嵐と坊っ

ちゃんが憤慨して天誅を加えるといったような脚色は︑

てんちゅう

それだけ見たのでは通俗的とも言われよう︒が︑作者の

作意はそこにないのだから仕方がない︒

作者は単純で生一本な坊っちゃんの性格と︑複雑で持

って回った︑やにっこい世間の常識とを対照せしめよう

、、、、、

とせられた︒そこにこの作の作意もあれば︑潑刺たる新

はつらつ

味もあるのである︒﹃坊っちゃん﹄を読んで一味の清涼

を感ずるのは︑一にこの対照から来る新味に触れるから

いつ

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だということを忘れてはならない︒正宗氏にしても︑こ

の作をおもしろく読まれたからには︑やはりその新味に

触れられたのであろう︒それにもかかわらず︑氏は作者

の正義観を卑近だと言われる︒

想うに︑それは坊っちゃんの道徳観をただちに作者の

それに擬していられるのではあるまいか︒もちろんこの

種の作にあっては︑主人公の道徳観はただちに作者のそ

れだとしてもいいかもしれない︒そして︑坊っちゃんの

道徳観は︑その性格が単純であるように単純である︑あ

まりに単純である︒が︑あまりに単純な道徳観というも

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のは︑これを世間の常識的道徳観と対比しきたるとき︑

決して通俗的であるとは言われない︒

前に先生の生い立ちを叙した際あげておいたあの逸話

︱先生が養母に連れられ裏家住いをされた折︑その養

うらやずま

母が米屋の上さんに向かってよけいな追従口をきくの

かみ

ついしょうぐち

を見て︑それに堪えかねて︑﹁あんな嘘を言ってらあ﹂

と喝破されたという︑あの逸話でもそうだ︒誰があの一

かっぱ

言を通俗的な道徳として︑卑近な正義観から出たものだ

なぞと言うことができようぞ!

そして︑﹃坊っちゃん﹄はそういう正義観で貫かれ

つらぬ

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ているのである︒いたるところにそういう道徳観を見る

ことができるのである︒私の看るところをもってすれば︑

通俗的小説なるものは︑世間の常識的道徳観を肯定して︑

それをそのまま体現したものであらなければならない︒

その意味からいっても︑﹃坊っちゃん﹄は断じて通俗小

説ではない︒

しかも正宗氏は︑前にも言ったように︑一方にはスウ

ィフトに共鳴した先生の心境にも深い理解をもっていら

れるのである︒それでいて︑この作はあくまで通俗小説

と見て︑﹁一部でもスウィフトと心を同じゅうしている

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漱石が︑自分の創作においてはなぜ︑﹃坊っちゃん﹄の

ごとき通俗小説を書くのであろうか︒留学中にも帰朝後

にも満腔の不平を抱いていたはずの彼の鬱憤はこんな小

まんこう

説で漏らされる程度であったのか﹂とあやしんでいられ

る︒そして︑﹁私は︑漱石の創作に現われている彼の心

理について︑少なからぬ興味を覚え出した﹂とまで言い

ながら︑それだけで打ち切って︑それ以上立ち入った詮

索はしていられない︒

ただその後に一転語を下して︑﹁鷗外は聡明で筆致も

いってんご

くだ

明快であったが︑心の働きが単純であった︒漱石は複雑

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である﹂というような︑つっこんだ断案を下していられ

る︒しかも︑その複雑な漱石がどうして﹃坊っちゃん﹄

のような単純な作をするようになったかは︑少しも説明

しようとはしていられない︒つまりスウィフトを論じた

先生と︑﹃坊っちゃん﹄を書いた先生との間の連絡がつ

いていない︒

が︑私から見れば︑それは氏がはじめに﹃坊っちゃん﹄

を通俗小説とみて︑その作者まで卑近な正義観に終始す

るものだと見倣されたからわからなくなるので︑それさ

え除ければ︑なんでもなくわかることである︒一口に言

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えば︑先生は複雑であればこそ﹃坊っちゃん﹄のような

単純な作をされたので︑また陰鬱であればこそあんな明

るいものも書かれた︑いや︑書かずにいられなかったの

だと言うことができるのである︒

もちろん︑こう言ったところで︑私は先生が一面にお

いて﹃坊っちゃん﹄に見るような︑きわめて単純な気持

ちを保有していられたことを否定するものではない︒あ

るいは実生活のうえでは︑それまでも比較的平々坦々な

道を通ってこられただけに︑頭こそ複雑なれ︑感情はか

なり単純な働き方をする人であったとも言われよう︒私

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は先生自身そう言っていられるのを幾たびか聞いたこと

がある︒

が︑ここに一つ注意してもらわなければならぬのは︑

先生という人は︑創作をするに当たって︑ある種の作家

に見るように︑決して自分というものの全部を投げ出し

てかかるような人ではなかったということである︒人生

の戦場から血塗れになって帰ってきて︑ただちに筆を呵

ちまみ

して︑その全我を曝け出した人生記録を送るといったよ

さら

うなことは︑決して先生の得意とせらるるところではな

かった︒それがよいか悪いかは︑私にもわからない︒が︑

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とにかく︑先生はそういう種類の作家ではなかった

あるいは︑そういうことは生まれつき嫌いであったと言

ってもいい︒先生の趣味が許さなかったのである︒

それなればこそ︑先生は﹃道草﹄にあらわれたような︑

あんな陰鬱な実生活を送っていられながら︑わずかに

﹃猫﹄を書いてその安全弁としていられた︒同じように

﹃坊っちゃん﹄を書くに当たっても︑先生はただその一

面を出していられるので︑あれをもって先生の全部とす

ることは断じて許されない︒そして︑このことは︑単に

﹃猫﹄と﹃坊っちゃん﹄について言われるばかりでない︑

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﹃草枕﹄以下﹃明暗﹄にいたるまで︑先生の作品全部に

わたって︑それぞれの意味において言い得られるのであ

る︒もっとも︑﹃道草﹄だけは別である︒﹃道草﹄にあ

っては︑ある時代における先生自身を比較的全きもの

まった

として出していられる︒が︑それについては︑後に言う

ことにしたい︒

いよいよ︑﹃草枕﹄の番である︒﹃草枕﹄が一週間で

書き流されたというのは有名な話である︒あれだけ絢爛

けんらん

な︑官能の眩惑とユーモアとに富んだ︑目の覚めるよう

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な文章でありながら︑どこにも筆の渋滞した痕跡すらな

く︑泉の湧くがごとく︑奔湍の巌に激して流るるがご

ほんたん

いわお

とく︑矢も楯もたまらず書き下してあるところは︑まっ

たく天下の偉観であると言っていい︒

が︑まずその作意のあるところからうかがってみたい︒

それには︑小宮豊隆君の所説が簡にして要領を得ている

から︑引かせてもらうことにする︒

いわく︑﹁ここでは︑醜い現実を憎むがゆえに美しい

、、

夢を愛するということが︑最初から堂々と論じられてい

、る︒ここでは︑女がどうするとか坊さんがどうするとか

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髪結床の亭主がどうするとか︑中に出てくる事件そのも

、、

のはさのみ問題にならない︒問題になるのは︑その事件

を美しく受けとる︑その受けとり方である︒ここで主人

、、、、、

公は︑その受けとり方を説明するとともに︑自分が受け

、、、、、

とったものをわれわれに列べて見せてくれる︒しかし惜

しいことに︑主人公の夢は︑現実の一角を磨り減らして

、、

得られた夢であって︑現実そのままを美しい夢と見得た

、、

のではなかったために︑いったん山を下りると︑それは

破られなければならない運命を持たされた夢にすぎなか

った︒このことは︑一面において︑当時の先生の心の中

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の夢と現実との性質ならびにその二つのものの調和の仕

方を示唆する︒しかもここに現わされた先生の人生観は︑

後年の則天去私の人生観と︑十年を隔ててはるかに相呼

応するものでもある﹂と︑まったくそのとおりである︒

私はこれに対してほとんど加うるところを知らない︒

が︑一言蛇足を添えれば︑先生はこの作によって人生

ひとこと

における芸術の使命といったようなものを説いていられ

る︒小宮君の﹁美しい夢を愛する﹂とは︑人生を詩とし画え

として見て︑そこに生ずる余裕を楽しむの意である︒人

生を詩とし画として見るためには︑自己の利害の念を離

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れて︑第三者の地位に立ってそれに対しなければならな

い︒先生のいわゆる非人情の態度である︒

ところが︑そういう意味での非人情の態度は︑人生を

美しいものとして見るための条件でもあるが︑同時にま

た人生をありのままに見る︑人生の真に徹するための

まこと

条件でもあらなければならない︒先生はその方面のこと

にも触れてはいられる︒触れてはいられるが︑そのあと

からすぐにまた筆を転じて︑もとの人生を美しいものと

見る方面へ逸れていられる︒もともと現実を憎むこころ

から出発したものだから仕方がない︒しかも︑人生の真

まこと

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を度外して︑ただ美しい夢ばかりを追おうとするのは︑

小宮君も言っているように︑現実の一角を摩滅して自己

特有の世界を作ろうとするもので︑現実そのままを肯定

することではない︒したがってその世界はいつかは崩れ

れ落ちなければやまない︒先生がその当時にあって世の

批評家から逃避的態度をもって非難されたのも︑実にそ

れがためであった︒

が︑それだからといって︑先生がありのままの人生の

姿を見ていられなかったとは思われない︑見ることがで

きなかったのだとはなおさら思われない︒そういうふう

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に先生を解釈することは︑あれだけ深くスウィフトに共

鳴された先生とも両立しない︒反対に︑先生は人生の姿

をあまりにありのままに見ていられたために︑それを憎

まれた︒憎まれたために︑かえってそれから遠ざかろう

とせられたのである︒

つまり先生の悩みも︑スウィフトと同じように︑あり

のままの人生の姿を見ずにいられない人の悩みであっ

た︒ただスウィフトが徹底的にそれを憎み通したのに対

して︑先生は眼を転じて別の世界を求めようとせられた

だけである︒それが先生の性格から出ているか︑東洋趣

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味の文学の影響から来ているかは︑私にも言われない︒

が︑とにかく︑先生としてはそうせずにはいられなかっ

たのであろう︒小宮君が﹁このことは︑一面において︑

先生の心の中の夢と現実との性質ならびにこの二つのも

のの調和の仕方を示唆する﹂と言っているのも︑おそら

くこの間の消息を伝えようとしたものにほかあるまい︒

以上︑私は小宮君の説に則して自分の意見を述べた︒

あるいは自分の意見を述べるために小宮君の説を利用し

たと言ってもいい︒そして︑その見解には︑だいたいに

おいてまちがいはないものと信ずる︒が︑こちらの理路

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を貫くために︑幾分先生の意見を歪めて見ているような

感がしないでもない︒たとえば︑先生は人生を詩や画と

して見るためには︑非人情の態度をもってそれに接しな

ければならぬとは言っていられるが︑人生の真を度外

まこと

するとは言っていられない︒非人情の態度とは︑自己の

利害の念を離れる

︱換言すれば︑私を去るということ

であって︑それがために人生の真を見得ることはあって

も︑必ずしもそれを度外することにはならない︒いや︑

先生としては︑ありのままの人生の姿なぞは︑非人情の

態度を取らなくとも見られる︑否でも応でも見せつけら

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れる︒ただ利害の念を捨てさえすれば︑さながらにして

それを美しく見ることができると︑こういうつもりであ

ったかもしれない︒

もし一篇の意がここにあるとすれば︑先生が現実の一

角を磨り減らして夢の世界をつくろうとしていられたな

ぞとは言われない︒現実をそのまま肯定していられるの

である︒いや︑肯定なぞと言うと語弊がある︒先生に言

わせたら︑肯定するもしないも︑現実は厳然としてそこ

にある︒どうすることもできない︒どうすることもでき

ない現実を︑どうかして美しく見ようと努力しているの

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だと言われるかもしれない︒とにかく︑先生が現実を肯

定しないまでも︑それをそのまま美しく見ようと試みら

れたものであることだけは認めなければなるまい︒

もっとも︑小宮君が﹁現実の一角を磨り減らす﹂とい

うような言葉を持ち出したについて︑先生もそれに似た

ことを言ってはいられる︒いわく︑﹁四角な世界から常

識と名のつく一角を磨滅して︑三角のうちに住むのを芸

術家と言ってもよかろう﹂と︒が︑ここに﹁常識と名の

つく一角﹂とは︑前後の関係から見て︑利害の念を指す

ものであって︑それを除けば人生はさながら美しく見え

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る︑というほどの意味であろう︑決して人生の真を度

まこと

外する意味ではない︒

これを作の実際について見るも︑なるほど︑この作の

主人公は山に上ってはいるが︑その山の中へは現実の世

のぼ

界がどんどん押しかけて行く︒押しかけて行くと言えな

いまでも︑ちらりちらりと姿を見せる︒そして︑主人公

が那美さんという変な女といっしよに舟に乗って︑山を

下って停車場へ着いた時︑その女に捨てられたもとの亭

主が落魄して︑人夫になって戦地へ出発しようとしてい

らくはく

にんぷ

る姿を見て︑その女の顔に﹁憐れ﹂がうかんだとある︒

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﹁憐れ﹂とは人情を非人情で見たものである︒その﹁憐

れ﹂を主人公が見つけて︑﹁それだ︑それだ︑それが出

れば画になります﹂と叫ぶ︒そこでこの作は終わりにな

っている︒

画になるとは︑画として見るには︑何物かが足りなか

った女の顔を︑完全に美しいものとして見得たという意

味にほかならない︒これも作者が現実の世界を温かい心

に包んで︑そのまま肯定しようとしていることを暗示す

る物ではあるまいか︒実はこの最後の結末はその当時か

ら私どもの間に問題になったもので︑その祈の先生の話

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からいっても︑どうもそう見るのが少なくも先生の本意

であったらしい︒

ところで︑小宮君は︑この作では先生の醜い現実を憎

む心と美しい夢を愛する心とが調和していない︑互いに

相剋しているものと見て︑それが則天去私の人生観のう

ちに本当に調和されるためには︑﹁先生の内生活は一度

激しい力で急回転をしなければならなかった︒そして︑

その急回転を与えたものは︑先生の修善寺における大患

である﹂と言い︑そういう大きな調和した人生観から︑

現実をありのままに見て︑しかもそれを温かい心に包ん

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でいるような作品は︑大患後の作﹃道草﹄においてはじ

めて見られるので︑初期の作品にはそういう美しさを見

ることができないと言っている︒

が︑これはあまりに杓子定規なものの見方ではあるま

いか︒なるほど︑﹃道草﹄はそういう意味で美しい作品

には相違ない︒それは私にもわかる︒が︑初期の作品に

全然それが見られないというのは︑どんなものであろ

う?

現に﹃草枕﹄の結末がああいうふうになっている

ところから見ても︑そういったような先生の人生観は︑

少なくとも人生観としては︑その時分からもう胚胎して︑

はいたい

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先生の心の中にだんだん形成されつつあったのではある

まいか︒もっとも︑それを認めればこそ︑小宮君も︑﹁こ

こに現わされた先生の人生観は︑後年の則天去私の人生

観と︑十年を距ててはるかに相呼応するものである﹂と

へだ

言っているのでもあろう︒

が︑私としては︑一つは先生の大患にそれほど多くの

意義を置いていないためかもしらないが︑どうも前期の

先生と後年の先生とのあいだに︑小宮君の言うような重

大な思想上の変化があったとは思われない︒あの大患が

それほど先生の内生活に重大な影響を及ぼしたと見るの

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は︑どうも小宮君のセンチメンタリズムのような気がし

て仕方がない︒その点においてはむしろ正宗氏の説に同

感するものである︒

氏は﹃思い出す事など﹄の中の病床感録に︑先生が知

友門下生愛読者などの好意に感激して︑﹁世の人は皆自

分より親切なものだと思った︒住み悪いとのみ観じた世

界にたちまち暖かな風が吹いた﹂と言い︑﹁四十を越し

た男︑自然に淘汰せられんとした男︑さしたる過去を持

たぬ男に忙しい世が︑これほどの手間と時間と親切を掛

けてくれようとは夢にも待ちもうけなかった余は︑病に

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生き還るとともに︑心に生き還った︒⁝⁝﹂と言ってい

かえ

られるのも︑病後気力の衰えた者の発する感傷語にすぎ

ないとして︑たとい大吐血が先生の生涯に一転機を画し

かく

たとしても︑作の上にあらわれたところでは﹁人生の見

方がいっそう温かになり︑いっそう寛大になったとは

あたた

思われない︒かえってその反対ではあるまいか﹂先生の

気持ちがいっそうまじめになったとは思われるが︑その

思想はいっそう懐疑的に︑いっそう暗くなったのを見る

と︑ずばずば言って退けられている︒

しりぞ

実をいうと︑私も当時先生から︑﹁世の人は皆自分よ

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り親切なものだと思った﹂だの︑﹁忙しい世が︑これほ

どの手間と時間と親切を掛けてくれようとは思わなかっ

た﹂だのというような言葉を聞くと︑これは先生が自分

の大患と聞いて急に大騒ぎを始めた世間︑新聞のよい広

告材料に使っている世間に対して皮肉を言っていられる

のじゃないかと思った覚えがある︒

しかも先生という人は︑そういう場合決して心にもな

いことを言う人ではないし︑それに︑日記の中へ出てく

るあの俳句

︱あれは小宮君も言っているように︑実際

﹁先生のいちばん美しいサイドがいちばん純粋に現われ

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ている﹂ものかもしれない

︱あの俳句を見ては︑やっ

ぱり先生は﹁誠を吐露して﹂いられるのだなと思い返し

思い返ししたものだ︒

それからあの則天去私である︒実は︑私にはあの言葉

の意味はよくわからない︒小宮君の言うような意味にも

解されるが︑ときにはまた﹃草枕﹄の中の非人情と同じ

ことじゃないかとも思った︒一口に言えば︑悠然として

王維や陶淵明の詩境に遊ぶことである︒つまり先生は自

おうい

とうえんめい

宅で詩を作ったり書を書いたりしていられる時が則天去

私で︑創作にかかられる時はまた別の考えになられるの

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ではないか︒先生は晩年よく﹁創作をしていると俗界に

堕したような気がしてしようがない︒その垢を洗い落と

あか

すために︑そのあとではきっと詩を一つ二つ作ることに

しているのだ﹂と言い言いせられた︒これも這裡の消息

しゃり

を語るものではないか︒そういうふうに見てくると︑正

宗氏が︑作の上では︑先生の思想はだんだん暗くなった

と見ていられるのがますますもっともに聞こえてくる︒

つまり先生は生涯美しい夢を求めてやまれなかった

、、、、

が︑醜い現実を憎むこころも死ぬまで失われなかった︒

、、、、

そして︑二つのものは永久にその調和を見出さなかった

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ということになる︒私としては︑これが真実のところで

なかったかと思われぬこともない︒

が︑現に﹃道草﹄のような作品があってみると︑そう

も言いきれない︒実際︑﹃道草﹄は先生に最も近い周囲

を取って描いたもので︑現実の醜い姿を裏まで見透かす

とともに︑またそれを温かい心でいたわっても書いてあ

る︒正宗氏はこれをも先生の暗い気持ちを証明するもの

のように見ていられるが︑私はやっぱり小宮君の言うと

ころに賛同したい︒

ただこうなると︑先生の内生活において︑例の二つの

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ものがどうなっていたか︑いよいよ判断がつかなくなる

ばかりだ︒が︑私としては︑今ただちにそれを解決しよ

うとも思わない︒

それにしても︑これだけのことは言っておきたい︒

︱もし則天去私というような人生観が先生にあったと

すれば︑それはすでに﹃草枕﹄時代からあったので︑も

しまたそこまでいたっていなかったとすれば︑先生の醜、

い現実を憎んで美しい夢を愛される心持ちはやはり最後

、、、

、、、、

までつづいた︑と︒

とにかく︑大患を一転機として︑先生の思想上前期と

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後期とのあいだに非常な変化もしくは発展があったと

は︑私にはどうしても思われない︒その意味において︑

私は︑もし先生が﹃草枕﹄のつぎにただちに﹃道草﹄を

書こうとせられたとすれば︑小宮君の言うように︑必ず

しも十年の歳月を待たないでも︑先生は十分にそれを書

きこなし得られたと信ずるものである︒先生は確かにそ

れだけの人生を見る鋭い眼と︑同時にそれをいたわって

やるだけの温かい心とを持っていられた︒

が︑こう言うのは︑もちろん︑作の上の技巧とかでき

上がりの手際とかいうものを指して言っているのではな

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い︒先生が作一作と間断なくつづけられた技巧の上の進

歩は︑私といえどもこれを認める︑認めざらんとするも

認めざるを得ないところである︒

で︑以上︑やっと初期の代表作をかたづけた︒これか

ら先生が職業的作家として立たれた時代︑小宮君のいわ

ゆる中期に移って評判を進めるつもりだが︑その前に一

言言っておきたいことがある︒

ほかでもない︑世間の読者︑とくに先生の初期の作品

に興味をもつ読者は

︱私もそのひとりかもしれないが

︱それに同情を寄せるのあまり︑ややともすれば先生

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が入社以来の作品を軽視して︑アマチュアー時代の自由

な拘束されない気分が失われたのを嘆じがちである︒が︑

考えてみると︑それも一種のセンチメンタリズムにすぎ

ない︒なるほど︑最初の﹃虞美人草﹄では︑少しく固く

なられた感がないでもないが︑そんなものからはすぐに

脱却していられる︒正宗氏が︑それとは反対に︑先生が

職業的作家となられたために︑いよいよその手腕を上げ

て︑作家として大成されたことをあげてぃられるのは︑

氏一流のマテリアリズムからきた見解でもあろうが︑さ

すがに一見識と言わざるを得ない︒

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長篇時代

入社以来先生は︑新聞の載せ物という必要から︑ほと

んど長篇ばかり書かれた︒たまには︑﹃文鳥﹄とか﹃夢

十夜﹄とか﹃永日小品﹄とかいうような︑小品物にも筆

を染められたが︑小説としては︑﹃虞美人草﹄から﹃明

暗﹄にいたるまで︑だいたい長篇ばかりを書きつづけら

れた︒で︑その期間をかりに長篇時代と名づけておく︒

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正宗氏は

︱いつも氏を引き合いに出して恐縮のほか

ないが

︱﹃虞美人草﹄の作者を馬琴に比して︑極力悪

くいっていられる︒まずどのページにも﹁近代化したよ

うな物識りぶり﹂と﹁理屈﹂とが頑張っている点をあげ

て︑﹁馬琴の龍の講釈でも虎の講釈でも︑当時の読者

りゅう

を感心させたのであろうし︑漱石が今日の知識階級の小

説愛好者に喜ばれるのも︑一半はそういう理屈が挿入さ

れているためであろう﹂と言っていられる︒

まさかそうでもあるまい︒少なくとも︑真の愛好者は

そうでないに相違ないが︑おもしろいと言われる警句が

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自分にはいっこうおもしろくないというので︑﹁九寸五

分の恋﹂がなんとかして﹁紫色に閃る﹂といったような︑

ひか

この作の中でもいちばん厭味なところを引いていられる

のは︑閉口のほかない︒それから馬琴には﹁饑えたるも

むのは食を撰ばず︑逃ぐるものは道を撰ばず︑貧しきも

のは妻を撰ばず﹂といったような格言じみた文句で︑一

回一章を書き始めることがあったが︑﹃虞美人草﹄の﹁蟻

は甘きに集まり︑人は新しきに集まる︒文明の民は激烈

なる生存のうちに無聊をかこつ﹂云々とあるのや︑その

ぶりょう

うんぬん

他を挙げていられるのもちょっと苦笑される︒

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実際︑私なぞから見ても︑この作の中の甲野さんと小

野さんと宗近君とがそれぞれ人間の心の作用の三方面︑

知情意を代表するように作られているなぞは︑口の悪い

氏から﹁伏姫伝授の玉を一つずつもっている﹂と言われ

ふせひめ

ても仕方がないように思う︒

が︑作者はこの作をされる際にも︑他人に迷惑をかけ

たくないという用意から︑なるたけモデルというものを

使わないようにして︑自分の性格なり意識なりを分解し

ては︑その一面を強調して︑各の人物の性格を造り上

おのおの

げるようにせられた結果︑ああいうことにもなったんだ

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と思えば︑その苦心のあるところは買ってあげなければ

なるまい︒

︱とくに︑この作をされた当時は︑ちょう

ど一方に﹃文芸の哲学的基礎﹄というようなことを考え

ていられたから︑あの論文が人間の意識作用を分析した

知情意の三方面から出発しているように︑作中の三青年

もそれぞれその一つを代表することになったらしい︒

なお正宗氏は︑女主人公の藤尾を﹁思慮の浅い︑虚栄

に富んだ︑近代ぶりの女性﹂として︑﹁作者の最も苦心

したところであろうが︑要するに説明に留まっている﹂

と言われる︒なるほど︑それもそうかもしれない︒

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が︑あの当時としては︑舶来物ではサロメとかヘッダ

はくらいもの

・ガブラーとか︑いろいろそういう種類の女性が紹介さ

れていたようなものの︑日本人の手になった日本の女性

としては︑少なくとも私の知るかぎりでは︑あれが嚆矢

こうし

であった︒藤尾が一時ああいう型の女の模範のように宣

伝されたのも︑まったくそれがためである︒評家として

は︑その功績も認めてやらなければなるまい︒

これは余談であるが︑いつか田山花袋氏と会ったとき

氏も正宗氏の﹃夏目漱石論﹄のことを言い出して︑﹁あ

れもいいが︑時代というものの背景がない︑時代を眼中

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に措いていないのが欠点だ﹂というような意味のことを

しきりに言っていられた︒田山氏は必ずしも私の言うこ

の場合のことばかりを言っていられたのではあるまい

が︑この機会に正宗氏に取り次いでおきたい︒

最後に︑この小説を﹁通俗小説の型を追って︑しかも

かた

いたらざるもの﹂と見倣していられる正宗氏の説である

が︑なるほど︑継母が自分の子にあとを譲りたい心から︑

ままはは

それとなく先妻の子を追い出そうとして︑いろいろ策動

するが︑とうとう失敗に終わるというような筋は︑通俗

小説としてもあまりめずらしいものでないかもしれな

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い︒が︑この小説は必ずしも筋を読んでもらいたいだけ

の小説ではないということも注意してもらわなければな

らない︒

当時先生はまだ例の低徊趣味からまったく脱却しきれ

ないでいられた︒で︑先生の書きたかったのは︑もしく

は読んでもらいたかったのは︑あの狐のちゃんちゃんこ

、、、、、、、

を着た青年が︑友達と無駄口をききながら︑春の日永に︑

ひなが

ぶらりぶらりと四明ケ岳へ上って行くところである︒あ

るいは木津川の奔湍を舟で下る光景である︒あるいは春

ほんたん

雨のしとしとと降る日︑京の宿屋に閉じ籠められて︑頬

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杖を突きながら︑隣家の琴の音に聞き恍れる情景である︒

こういった情景は︑おそらく馬琴のどこを捜してもある

まい︒そして︑こういった低徊趣味と小説の筋とを絢い

まぜにして︑そこになんらの破綻を生じさせないように

するのが︑作者の苦心の存するところであった︒

それがために︑先生は出発点から最後の大破綻に向か

って一直線に進んでいくというような︑普通にある脚色

を避けて︑低徊して輪を画きながら︑だんだんとその輪

えが

を小さくしていって︑その渦巻きの中心に達したとき︑

そこにはじめて大破綻を来すといったような構造を取ら

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れた︒そして︑その構造は実に手際よくいっている︒私

が春陽堂版の﹃漱石集﹄の後に︑﹁思いを構うること慎

かま

重に︑プロットの上からいっても一糸乱れず﹂と言った

のは︑まったくこの意にほかならない︒

しかも︑私に言わせれば︑謎の女が︑自分がそうした

いと思うことを自分からはどうしても口にしないで︑相

手からそうさせるように仕向ける一方において︑甲野さ

んは甲野さんで︑相手からそう仕向けられるのを待たな

いで家を出ようとしているが︑両方の意志が通じなかっ

たために最後の大破綻を見るといったような行き方は︑

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性格描写と筋の運びとのしっくり嵌まった実例として︑

もう少しで通俗小説に堕しようとしたこの作の脚色を危あ

うく救っているように思うが︑どんなものであろう︒

そして︑その筋を運んでいく筆づかいがまた巧妙を極

めたもので︑正宗氏自身も認めていられるとおり︑﹁宗

近と妹との対話︑藤尾と母親との対話など︑サクリサク

リと歯切れがよく﹂十分に作家としての将来の発展性を

思わせるものがあるではないか︒

が︑要するに︑この作は先生としては失敗の作である︒

馬琴と似ていると言われたのも︑正宗氏が挙げていられ

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るかぎりでは︑これを認めなければならないし︑

︱も

っとも︑それはこの作に限ったことで︑他の作について

は言われないことであるけれども

︱私ども門下生は︑

決して﹁わが仏尊しと見る偏見﹂からこの作の欠点ま

たっと

で見遁しているものではない︒いや︑私どもがこの作の

欠点を見ていたばかりでなく︑先生自身も見ていられた︒

生前︑この作の噂が出るたびに︑いつも苦い顔をして︑

横を向かれたものだ︒

﹃三四郎﹄については︑私はあの作が︑あの当時の先生

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ならびに先生の門下に集まっていた連中をそのままモデ

ルにしないまでも︑少なくとも︑私どもが読んだのでは

直ちにその雰囲気が感じられる程度に描いたものである

という点で︑とくに私どもの興味を惹く︒

そうはいうものの先生のことだから︑その人間の性癖

の一面とか︑ある時ある場合に起こった行動の一部分と

かを取り入れていられるばかりで︑決してある人物の全

体がそこに出ているわけではない︒たとえば︑廣田先生

にしてからが︑あれを先生自身だとは決して言われない︒

が︑どこやら先生のにおいはする︒この先生の周囲の雰

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囲気がうかがわれるということは︑あの作があれだけ当

時の世間に喜ばれたゆえんでもあろう︒が︑そんなこと

はまあどうでもよいとして︑とにかく先生がある程度ま

ででも生きた人間を捕まえてこられたということは︑作

つか

中の人物を活躍させるうえに非常に力があった︒もっと

も︑これは私がもとの人物をいちいち知っているせいか

もしれない︒

しかし﹃虞美人草﹄の中の人物と対照してくるときに

は︑何人もこの感を抱かざるをえまい︒ことに女主人公

なんぴと

の美禰子のごときは︑藤尾と比べて︑あの執拗な︑底意

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地の悪いところはなくなっているようなものの︑それだ

けにまたまじめなのか︑男を翻弄しているのか︑ちょっ

と捕まえどころのないような近代ぶりの女性として︑い

っそう生きている︑生きた女になっている︒ただしこの

女だけはもとの人物が何人であるか︑私にも見当がつか

ない︒あるいは全然ないんじやないかとも思われるから︑

自分で自分の理論を裏切ることにもなるが︑とにかく簡

単な言葉の端や︑心にも留めていないような仕草に女性

を活躍させることの得意な先生が︑一作ごとにその技量

を進めていかれる跡は︑すでにこの時代からうかがわれ

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ると言われよう︒

﹃それから﹄になると︑先生はいっそう真剣な気持ちで

かかっていられる︒それだけに︑この作の中には︑作者

の全面容がかなり濃厚に出ていると言っていい︒そして︑

ぜんめんよう

それはこれまでの作に見られないことであった︒

いったい︑この作は私が﹃煤煙﹄を朝日の紙上に載せ

てもらった直後に出たもので︑おかげで﹃煤煙﹄は︑こ

の作の中で主人公の代助からいい加減ひやかされる光栄

に浴しているが︑一面においては︑﹃それから﹄の作者

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をして︑ある程度まででも身を投げ出してかからせるだ

けの刺激を与えているのではなかろうか︒こいつはどう

も私の自惚れらしい︒が︑自惚れにしても︑そんなよう

うぬぼ

な考えは︑その当時からあった︒ただばかばかしいから

黙っていた︒しかし︑自分で言わないと︑誰も言ってく

れそうもないから︑ここに挙げておく︒

ついでながら︑代助はこのあいだまでは﹃煤煙﹄も好

奇心に駆られて読んでいたが︑あまりに自分と要吉との

ようきち

間に懸隔があるように思われ出したので︑昨今は眼を通

さないことがよくあると言っている︒なるほど︑代助は

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眼を通さなくなったかもしれないが︑先生自身は︑自分

が朝日に推薦した責任感からも︑毎日欠かさず読んでい

てくれられた︒これら先生がいかなる人であったかを示

すに足ると思うからここに断わっておきたい︒

ところで︑身を投げ出してかかられたといっても︑も

ちろん﹃煤煙﹄のような意味ではない︒先生に﹃それか

ら﹄の題材になっているような経歴があったというわけ

では決してない︒ただこの作には先生の人生観︑社会観

をはじめとして︑知情意の動き工合から神経官能の末に

いたるまで︑近代人としての先生がいかなる人であった

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かをほぼ彷彿することができる程度に出ているというの

である︒はなはだしきは︑その肉体の生理的条件まで先

生を想わせるものがある︒

で︑それらの類似を片端から挙げていけば︑代助はま

かたはし

ず﹁歯並びのよい﹂のをうれしく思ったり︑﹁油をつけ

ないでもおもしろいほど自由になる﹂髪の毛や︑﹁一種

の光沢がある︑香油を塗り込んだあとをよく拭き取った

ように﹂︵原作一︶美しい皮膚に満足を感ずる男として

紹介されている︒

香油を塗り込んだような皮膚はどうだか知らないが︑

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前二者は確かに先生も持っていられた︒そして︑﹁鏡の

前にわが顔を映して﹂﹁女が白粉をつける時の手つき﹂

うつ

おしろい

︵一︶をされようとは思われないが︑先生も若いころか

ら﹁お洒落﹂︵一︶と言われるまでに容儀を重んずる人

ようぎ

ではあったそうな︒それに︑代助が嫂の顔を見ると︑

あによめ

いきなり半襟に眼をつけて︑﹁よい色だ﹂︵三︶と褒める

ところなぞ先生らしい︒

彼は学生時代からarbiter

elegantiarum

という異名を

いみょう

つけられたくらい︑美に対する感受性の発達した男であ

った︒そして︑その情意生活の上に一大躍進をした三千

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代との第一回の会見には︑鈴蘭の香の滴る中で会い︑

かおり

したた

ふたりの関係の最高潮に達した第二回の会見にも︑百合

の花を室中に撒き散らすことを忘れないほど︑官能的快

感を度外しては生きられない男であった︒

もっとも︑情人と会見するのに︑これらの用意を忘れ

ないところは︑むしろダンヌンチオの﹃死の勝利﹄の主

人公を想わせるものがあるが︑三千代が百合の花弁に鼻

をつけて嗅ごうとするにさえ堪えかねて︑ほのかな鈴蘭

の香を嗜むのは︑どうしても先生である︒

この

それから感覚の中でもとくに色彩に対するものが発達

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して︑薔薇の花の赤い色が眼に刺すのを厭い︑擬宝珠の

いと

葉の白い縞が延びていくさまをじっと眺めているあたり

しま

も︑やっぱり先生だと言わなければならない︒代助は︑

ダンヌンチオが自分の部屋を青色と赤色との二つに塗っ

ているという話を引いて︑﹁なぜダンヌンチオのような

刺激を受けやすい人に︑興奮色とも見做しうべき赤の必

要があるだろうと不思議に感﹂ずるとともに︑彼自身は

﹁稲荷の鳥居を見てもあまりよい心持ちはしない﹂︵五︶

と言っている︒

実際︑先生自身も代助と同じように︑﹁ときどき尋常

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な下界から法外に痛烈な刺激を受け﹂て︑﹁それが劇し

はげ

くなると︑晴天から来る日光の反射にさえ堪え﹂られな

いで︑﹁そういう時にはなるべく世間との交渉を稀薄に

して︑朝でも午でも構わず寝る工夫を﹂︵十︶していら

れた︒それほど鋭敏な︑弱い神経の持ち主であったので

ある︒

ただそういう弱い神経の持ち主は

︱先生からただち

に連想するわけでもないが

︱どうも肉体的にあまり健

康であろうとは思われない︒それにもかかわらず︑代助

は自己の肉体美を誇りとしている︒肉体美を誇りとする

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結果︑健康に﹁他人の倍以上の価値﹂︵十一︶を置くの

はいいが︒本当に﹁二︑三年このかた風邪を引いたこと

も﹂︵三︶なかったり︑﹁生まれて以来︑まだ大病という

物を経験しなかったくらい︑健康において幸福を享けて

いた﹂︵十一︶とまでされたのは︑どんなものであろう?

これは︑一つは作者がことさらに主人公を自分と違っ

たものにしようと試みられたのと︑もう一つは︑この作

をする前に読まれたズーデルマンの﹃エス・ワール﹄の

主人公

︱あの自分でも持てあますような健康体を賦与

されていた主人公

︱が眼中にあったためではあるまい

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か︒﹃それから﹄という題名から見ても︑また同じよう

な三角関係を題材として取り扱っていられるところから

見ても︑そう思われる︒が︑﹃エス・ワール﹄の主人公

は︑あの健康体が昔の恋人と接近させる一つの動因にな

っているから仕方がないが︑﹃それから﹄の主人公には

そんな必要もあるまい︒

もっとも︑先生は代助をそんな健康体にしていられる

かと思うと︑家にいる書生の口から主人公の顔色がすぐ

れないのを評させて︑﹁平岡さんとは大違いだ︒あの人

の体格はよいですね﹂︵五︶なぞと言わせていられるし︑

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ほかにも主人公の健康が疑われるような箇所は随所にあ

るから︑その点については作者自身も格別定見はなかっ

たらしい︒

それはそれとして︑鋭敏で弱い神経の持ち主であった

代助は︑ある意味においてまた臆病でもあった︒彼は生

まれつき地震がきらいで︑じっと書斎の中に坐っていな

がら︑その予知の感にさえおびえ︵三︶︑ある生理学者

が自分の心臓の鼓動を随意に増したり減らしたりすると

いう話を読んで︑平生から鼓動を試験する癖のある代助

は︑ためしにやってみたが︑どうやら自分でもできそう

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なのにびっくりして︑それからは湯の中で自分の心臓に

さわってみることにさえ不気味を感じた︵七︶︒こんな

話を聞くと︑私なぞは代助のことを言うよりも︑直接先

生自身の話を聞いているような気がする︒

ところで︑そういう代助はもとより死を恐れた︒恐れ

るのが当然だと考えているのである︒﹁もし死が可能で

あるならば︑それは発作の絶高頂に達した一瞬にあるだ

ろうとは︑代助のかねて期待するところであった︒とこ

ろが︑彼は決して発作性の男でない︒手も顫える︑足も

ふる

顫える︒声の顫えることや︑心臓の飛び上がることは始

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終ある︒けれども︑激することは近来ほとんどない﹂

︵四︶︒これも︑いかにも先生らしい︒藤村操の自殺が

あってからまもないだけに︑また﹃煤煙﹄を書いていた

ころだけに︑私は当時先生から何度そんな話を聞かされ

たかしれない︒

しかも︑代助は自分が臆病であることを恥としていな

かった︒それどころか︑﹁臆病をもって自任したいくら

いだ﹂︵三︶と言っている︒そして︑死を恐れないこと

を第一義の道徳のように心得ている父や祖父時代の武士

らしい心の訓練を頭からばかにしてかかった︵四︶︒こ

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れは︑﹁他人からお洒落と言われても︑なんの苦痛も感

じえない﹂のとともに︑彼が﹁旧時代の日本を乗り越え

ている﹂︵一︶証左だと言わなければならない︒そうい

しょうさ

う意味において︑先生もまた旧套を脱却した人であっ

きゅうとう

た︒ことにその人生と社会に対する観察なり思想なりの

うえでは︑先生と時代を同じくした多くの作家の中でも︑

おそらく先生くらい旧套を脱却しきっていたものはほか

にあるまい︒

が︑そういう代助も︑最初からそれほど旧套を脱却し

ていたわけではなかった︒彼もその学生時代においては︑

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父の教育と青年の無経験からきた︑空疎な美しい道徳に

支配されていた︒その時分には︑親爺をはじめ他人がこ

おやじ

とごとく﹁金に見えた︒だから自分の鍍金がつらかった︒

きん

めっき

早く金になりたいと焦ってみた︒ところが︑ほかのもの

の地金へ自分の眼がじかにぶつかるようになって以後

じがね

は︑それが急にばかな尽力のように思われ出した﹂︵四︶︒

そして︑鍍金を金に通用させようとするような切ない努

めっき

きん

力をするよりも︑真鍮は真鍮で通して︑真鍮相応の侮

しんちゅう

辱に甘んじようとするようになった︒いわゆる﹁ニル・

アドミラリの域に達した﹂︵二︶のである︒

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昔は友人のために自分の恋をも犠牲にするだけの﹁義

侠心﹂︵十六︶まで持って︑それを﹁名誉﹂︵八︶と心得

ていたものだが︑いまでは他人から﹁熱誠が足りない﹂

ねっせい

︵六︑十三︶と言われて︑自分でもそうかなと思うよう

になった︒それとともに︑﹁子供のころは非常な肝癪

かんしゃく

持ちで﹂あったが︑このころはそれも﹁ぱたりと已んで

しまった﹂︵三︶︒そしていまでは﹁どんな場合にも平生

ふだん

の調子を失わない男﹂︵二︶になった︒その代わりには

また﹁どっちつかず﹂の一見不決断に見える男にもなっ

た︒

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が︑﹁どっちつかず﹂なのは︑﹁彼に融通のきく両つ

ふた

の眼がついていて︑双方を一時に見る便宜を有していた

からで﹂不決断に見えるのも︑﹁思慮の欠乏から生ずる

ものでなく︑かえって明白な判断に基づいて起こる﹂︵十

五︶ものであった︒要するに︑彼は冷静な︑もしくは熱誠

ねつせい

の内訌した﹁頭脳の人﹂︵十︶であった︒頭脳の人とし

ないこう

て︑あらゆる旧套から脱却したものが当然そうあらねば

ならぬように︑彼はマテリアリズムの立場から自分を見︑

自分の周囲を見︑また自分の住んでいる社会を見ていた︒

彼は日本人の神経衰弱と︑精神の困憊と︑道徳の敗退

こんぱい

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とを日本の疲弊した経済状態に帰していた︵六︶︒この

経済状態にして改まらぬかぎり︑人と人との間に信仰が

なくなって︑互いに腹の中で軽蔑し合いながら︑顔だけ

つくろって談笑しなければならないのが日本人の運命だ

と考えていた︵九︶︒人と人との間に信仰がなくなった

とき︑はじめて神に存在の権利がある︒しかも現在の日

本は︑その神の信仰さえない国だと思った︵十︶︒

彼はまた﹁道徳の出立点は社会的事実よりほかにない﹂

︵九︶と信じて︑﹁掏摸と結託して悪事を働いた刑事巡

査の話﹂を新聞で読んでも︑﹁生活の大難に対抗せねば

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ならぬ薄給の刑事が悪いことをするのも実際もっとも

だ﹂︵十︶と考えていた︒そしてその反面には﹁妾を置

めかけ

く余裕のないものにかぎって蓄妾の攻撃をするものだ﹂

ちくしょう

︵三︶という見解から︑父親のそういう所為をも許して

しょい

いた︒

なお彼自身としては︑﹁処世上の経験ほど愚なものは

ない︑苦痛があるだけじやないか﹂︵二︶と言ったり︑﹁働

くのもいいが︑働くなら生活以上の働きでなくっちゃ﹂

だめだ︵六︶と言ったりして︑高等﹁遊民﹂︵三︶をも

って自任していた︒マテリアリズムの立場に立って職業

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を軽蔑するのもおかしいが︑実際資本主義の行われてい

る世の中で︑唯物的観察をすれば︑誰でもそうなる︒厭

世観も︑現実を憎む心も︑そこから生ずるのである︒

が︑彼は﹃草枕﹄の主人公と同じように︑現実を憎ん

で︑しかもそれをどうしようともしなかった︒またどう

することもできないものだと観じていたのである︒そし

て︑自分は自分として︑自分が経済的に保証されている

のを幸いに︑あるがままの世界をあるがままに受け取っ

て︑その中で自分に最も適したところに接触を保って生

きていこうとしていた︵六︶︒

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もちろん︑先生は事実として享楽主義者でも︑職業を

蔑視する人でもなかった︒高等遊民ではなおさらないが︑

﹃草枕﹄の主人公の非人情から出発した逃避的態度は︑

代助の回避的態度と一味相通ずるものがなかったであろ

うか︒ただ前者の逃避的態度は︑一種の理想境に対する

欣求であるし︑後者の回避的態度は︑やむを得ざるに出

ごんぐ

でた苟合的生活である︒だから︑彼は自分で自分を笑わ

こうごうてき

ざるを得なかった︵二︶︒自分で自分を笑って︑酒も飲

んだ︑芸者買いもした︒そして︑自己の生活が充実を欠

いてくると︑アンニュイにもおちいった︒長いあいだに

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は︑﹁自己嫌悪﹂︵十四︶にもおちいらずにはいられなか

ろう︒

彼は自分のアンニュイを説明して︑﹁目的があって人

が生まれるのでなく︑人が生まれてはじめて目的が生ず

るのである︒その意味においては︑自己本来の活動が自

己本来の目的である︒歩きたいから歩けば︑歩くのが目

的になる︒考えたいから考えれば︑考えるのが目的にな

る︒しかも︑饑えたる行動は︑一気に遂行する勇気と興

すいこう

味に乏しいから︑みずからその行動の意義を中途で疑う

ようになる︒これをアンニュイと名づけるのだ﹂︵十一︶

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というようなことを言っている︒

アンニュイを説明するのに︑プラグマチズムの理論か

ら出発したところは︑いかにも先生その人らしいが︑先

生自身は︑もちろん︑代助のように酒も飲まれなければ︑

芸者買いもされなかった︒それでいて︑アンニュイにも︑

自己嫌悪にもおちいられなかった︒これはしかし︑一に

先生があの立派な仕事を持っていられたお蔭だと言わな

ければならない︒同時にまた︑先生は決して熱誠の足り

ない人ではなかった︒それどころか︑先生くらい熱誠に

富んだ人はなかったと言ってもいい︒が︑人生観として

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は︑代助とともに確かにニル・アドミラリの域に達して

いられた︒

﹁何がきざだって︑思わせぶりの涙や︑煩悶や︑まじめ

や︑熱誠ほどきざなものはない﹂︵六︶とは︑しじゅう

先生自身の口から聞いたところである︒そして︑正宗氏

が言っていられるように︑先生から見れば︑当時の作家

が花袋氏でも藤村氏でも︑かれらの標榜するように傍観

的でも客観的でもなく︑思わせぶりの涙や煩悶やまじめ

を売り物にしている作家と思われたことも争われない︒

これは括弧をして言うべきであるかもしれないが︑正

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宗氏が外部から観測して︑先生の個人としての気持ちに

立ち入るとともに︑這般の消息まで見て取られたのは︑

しゃはん

思うに︑氏自身も先生のニル・アドミラリに共鳴するも

のがあったからではあるまいか︒私はそう信ずるもので

ある︒

で︑以上挙げてきたところを概括すれば︑先生は代助

のような父親を持っていられなかったし︑肉体的条件も

異にしていた︒代助のような恋愛の閲歴はもとより持っ

ことて

いられなかったが︑その代わりにりっぱな仕事を持っ

ていられた︒が︑そういうものを除いたあとの代助は︑

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感覚や神経の末からあのユニークな性格の発展の径路に

すえ

いたるまで︑先生そっくりである︒ことにその人生と社

会に対する観察なり思想なりは︑先生自身のそれをそっ

くりそのまま代助のものとして書いていられると言って

もいい︒

ところで︑私がかように先生と代助との異同をいちい

ち挙げてきたのは︑必ずしも私の物好きから出たのでは

ない︒代助が先生の気分︑先生の性格に似ているかぎり

において︑先生自身の人生観を賦与された代助は︑その

性格と人生観との間に︑なんらの矛盾も扞格をもきたさ

かんかく

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ないということを証明したかったからにほかならない︒

さて︑代助は作者と同じような性格と︑同じような人

生観とを持って︑ここに立っている︒これが三千代との

恋の試練に会うのである︒もしこの試練に会わなかった

ら︑彼はいつまでも元の位置から動かなかったかもしれ

ない︒が︑恋愛は彼を渦巻の中へ引っ張り込んで︑ぐる

ぐる回らせながら︑書斎から街頭まで連れ出してしまっ

た︒そういう恋愛はもとよりこしらえ物である︒ただそ

のこしらえ物がどのくらい自然に巧妙にいっているか︑

それをこれから検覈してみたい︒

けんかく

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代助と三千代と平岡との三角関係は︑平岡が上京後は

じめて代助を訪ねて来たとき︑﹁細君はまだもらわない

のか﹂と訊ねられて︑代助が赤い顔をするのと︑平岡が

帰りがけにまた﹁妻がしきりに︑君はもう奥さんをもら

ったろうか︑まだだろうかと気にしていたよ﹂︵二︶と︑

なにげなく言う言葉で暗示されたのに始まる︒つまり︑

この会話を伏線として︑ふたりの間になにかあるんだな

と思わせておいて︑だんだんその伏線が重ねていかれる

かさ

のである︒

嫂が嫁を迎えることをすすめて︑﹁因縁つきじゃあり

いんねん

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ませんか﹂というのに対して︑代助が︑﹁先祖のこしら

えた因縁よりも︑まだ自分のこしらえた因縁でもらうほ

うがいいようだな﹂と答えると︑﹁おや︑そんなものが

あるの﹂︵三︶と言われる︒そこでもちょっとこの問題

に触れている︒︵四︶では︑三千代が夫のために代助に

金を借りに来て︑自分の病気をしたのが悪いといい︑﹁薬

代なんか知れたもんですわ﹂と言うが︑言外に平岡の遊

んだことが暗示される︒これものちの伏線である︒

︵七︶にいたって︑はじめて三人の過去が語られ︑三千

代を平岡に周旋したものは代助自身だということもわか

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るが︑まだふたりの過去における心の関係は明示されな

い︒ただ︑それに伴って︑彼が平岡のために金を心配す

るのも︑つまりは三千代を助けてやりたいからだという

心持ちが割って話される︒しかも︑それはただ三千代を

助けて︑その満足が買いたいだけである︒そのあとで︑

嫂のもとへ金を借りに行って︑そんなに嫁をきらうなら︑

好いた女があるだろう︒その名を言えと迫られたとき︑

はじめて代助の心の中に︑三千代が﹁好いた女﹂として

指名される︒

︵八︶では︑代助が嫂からもらった金を三千代のもとへ

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持って行く︒そのあとから平岡が来るが︑ふたりの心は

会うたびに離れていく︒離れていくというよりも︑代助

は平岡の態度に憎悪の感さえ催して︑﹁なぜ三千代を周

旋したかという声﹂をどこかに聞くような気がする︒そ

して︑自然にさからった道義の念に基づく行動を取った

ものは︑だんだん自然の前に頭を下げていかねばならぬ

ことが説かれる︒

︵九︶では︑例の嫁をすすめられたあげく︑父親の口か

ら︑﹁独身のために親や兄弟が迷惑したり︑はては自分

の名誉に関するようなことができたら︑どうする気だ﹂

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と言われる︒どうも嫂がなにか勘ぐって告げ口をしたも

のらしい︒いったい︑恋愛は他人に気取られて︑それが

客観性を帯びてくると︑退くよりはかえって躍進する

しりぞ

ものである︒作者は機微をとらえている︒

︵十︶で︑三千代が代助から借りた金を日常の用途に使

ってしまったことを言いわけがてら訪ねてくる︒その昔

代助が自分︵三千代︶と兄のもとへ百合の花を持って来

てくれたことをおぼえていて︑訪ねる途中でそれを買っ

て来たことから︑彼女の意中にもその時分から代助のあ

ったことがほのめかされる︒この会見によって︑ふたり

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の恋は一大躍進をするのである︒それから代助の心にも

欲望と道義との﹁火花を散らす﹂︵十一︶ような闘争が

予想されるようになって︑いよいよ本題に入る︒一方で

は︑嫂からうまく歌舞伎座の見合いに誘き出されて︑強

いられた結婚問題がだんだん迫ってくる︒それを避ける

のと︑もう一つは三千代のほうへ傾こうとする自分の心

を転ずるために︑旅行を思い立つ︒

︵十二︶で︑三千代が自分の贈った指輪さえはめていな

いのを見て︑旅行にあてた金を相手にやってしまう︒三

千代の困っている裏面には︑職業にありついた平岡の再

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び遊び出した事実があるのである︒で︑一方には本式の

見合いまで始まって︑父と兄と嫂との総がかりで︑余儀

なく結婚させられようとする︒が︑代助の心はまだきま

らない︒三千代からも︑そのつぎ会いに行ったとき︑﹁な

んだって︑まだ奥さんをおもらいにならないの﹂︵十三︶

と訊かれる始末である︒で︑﹁自分を三千代から永く振

り放そうとする最後の試み﹂として︑平岡を新聞社に訪

ねて︑相手を諭してもとの夫婦関係に引き戻そうとする︒

さと

その試みが無効に終わって︑いよいよ﹁自然の児になろ

うか︑意志の人になろうか﹂︵十四︶という煩悶が始ま

はんもん

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る︒﹁天意︵自然の意︶には叶うが︑人の掟に背く恋は︑

おきて

その恋の主の死によって︑はじめて社会から認められる

ぬし

のが常で﹂ある︒﹁彼は万一の悲劇を二人の間に描いて

覚えず慄然とした﹂︵十三︶︒そして︑﹁運動の不足と︑

りつぜん

睡眠の不足と︑それから脳の屈託とて排泄機能にも変化

くったく

を起こした﹂︵十四︶︒あまりの不決断から﹁自己嫌悪﹂

にもおちいった︒動揺と恐怖︒最後に︑たとい自分が結

婚しても︑自分を三千代から遮断する力のないことに気

づいて︑まず嫁を断わろうと決心して︑それを嫂に告げ

る︒これが代助のした最初の消極的決断である︒と︑今

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度は父親の前に出た際︑あとへ引かれぬようにしておく

必要に迫られて︑ついに三千代との会見の機会を自分か

らつくって実行する︒

ここではじめて代助は﹁自然の昔に帰る﹂ので︑これ

が一篇の最高潮である︒そして︑兄を仲にしたふたりの

昔からの関係は︑ここまで持ち越されて︑やっと読者の

前に浅黄幕が切って落とされる︒その作者の辛抱は驚嘆

あさぎまく

に値するものがあると言わなければならない︒で︑この

あとはただその余波で︑父親に会ってとうとう嫁を断わ

るのも︑平岡と会見してその口から三千代が病気になっ

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たことを聞くのも︑最後に﹁焦げる焦げる﹂と言いなが

ら街頭へ彷い出るのも︑畢竟クライマックスのあとに

さまよ

ひっきょう

くる解決の手続きにすぎない︒

こういうように︑最初に伏線をかけておいて︑事件の

発展するにつれて︑だんだんそれを重ねていくという叙

述の仕方は︑単に読者の好奇心を釣るばかりでなく︑私

どもが自然の知識を得る順序にも適っていると言ってい

かな

い︒つまり作者は︑最初から作中人物の腹の中まで見抜

いているようには書かないで︑事件の発展につれて︑そ

れを知るそばから一つずつ報告していられるのである︒

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だから︑読んでいて︑きわめて自然に見える︒作者はこ

の方法を代助と三千代との関係に用いていられるばかり

でなく︑この作のすべての方面に用いていられる︒

たとえば︑父親が結婚を強いる真意のごときも︑︵八︶

で財界の打撃をほのめかして政略結婚だなということを

うすうす読者に予感させながらも︑なかなかそれを私ど

もの前に明示されない︒︵十二︶にいたって︑先方の娘

と会食したのち代助が父の結婚を強いる目的もただでは

ないなと思うばかりで︑最後に父親と会見して︑断然そ

れを断わる時になってはじめて父親の口から真意が明か

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される︵十五︶︒

こういったような段取りは︑作の全面にわたって寸分

の隙間もない︒うっかりしていると︑後の大切な伏線を

見落としてしまうくらいである︒ことに代助が一歩一歩

三千代に接近していって︑最後に動きの取れなくなるま

での構成は︑実際自然の巧妙を極めていると言わなけれ

ばならない︒

それにもかかわらず︑正宗氏も言っていられるように︑

本当に代助は三千代を恋しているのでないような気がす

る︒そして︑その原因の一つは︑前に挙げたような叙述

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の方法そのものにもあるように︑私には思われるのであ

る︒な

るほど︑そういう叙述は事件の発展を自然に見せる︑

私どもが自然の知識を得る順序にも適っている︒が︑そ

かな

れは第三者として︑事件外に立って︑その発展を眺めて

いる場合に言われることであって︑当事者から見た場合

はまた別であると言わなければならない︒当事者は︑事

件の真相も︑自分の腹の中も︑最初からよく知っている

はずである︒つまり︑こういったような叙述の方法は︑

純客観的の立場から見て︑三人称で書き下された作に最

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も適切であると言われよう︒

ところで︑この作は︑作中の人物残らず三人称で書か

れているようなものの︑人物も事件も︑作中の世界は徹

頭徹尾代助ひとりの立場から見て︑代助の意識に映ずる

えい

がままに︑代助の意識に映ずる順序で描かれている︒﹁代

助は﹂という文字の代わりに︑﹁私は﹂という文字をこ

とごとく入れ代えてみてもいっこう差しつかえあるま

い︒つまり形は三人称で書かれているが︑その実一人称

で書かれたのも同じことだと言っていい︒

そういう作の中にあって︑事件の真相

︱たとえば︑

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代助と三千代とのもとの関係が︑その心持ちの上で︑ど

の辺まで進んでいたかというようなこと

︱の闡明が最

せんめい

後まで延ばされたのはどんなものであろう︒それまでは

主人公の意識に上らなかったからだと言えば言われるよ

うなものの︑たとい不自然の感は与えないまでも︑少な

くともよそよそしい感じを与えはしないだろうか︒

同じ意味において︑あのちょいちょい与えられた伏線

︱たとえば︑代助が赤い顔をしたというような

︱が

与えられ放しになって︑最初のあいだ少しもその心持ち

を取り上げて解剖しようとされていないのも︑

︱もっ

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ともそんなことをすれば︑急にその心持ちの発展する恐

れはあるけれども︑

︱やっぱり変なものではあるまい

か︒とくに︑その他のことでは︑自他を問わず︑どんな

些細な心の陰翳をも見遁さないで︑それを徹底的に解剖

ささい

いんえい

みのが

しなければ已まない代助の場合において︑そうである︒

これを要するに︑﹃それから﹄のような主人公の心持

ちの発展を主人公みずから見てみずから報告している作

品において︑こういったような叙述の方法を取られたこ

とは︑決して策のよろしきを得たものであったと言われ

ない︒その証拠には︑同じような叙述法を取っていられ

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ながらも︑代助が第三者の立場に立って見ているだけに︑

父親の真意の一つずつ展開してくるさまが︑いかに自然

になだらかにいっているかを見よ︒けだし思い半ばに過

なか

ぐるものがあろう︒

代助の恋のよそよそしく見えるのは︑ほかにも理由が

ある︒そして︑このほうがいっそう重大であるかもしれ

ない︒

第一に︑これは背景になっていることではあるが︑代

助が自分の恋人を単なる義侠心から他人に周旋したとい

う︑一篇の事の起因からして不自然である︒不自然では

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あるが︑その不自然なことを青年の無経験から血気に駆か

られてやって退けたとすれば︑それも仕方がないとして︑

再び三千代を恋しなければならなくなった場合に臨んで

も︑彼はもとの不自然な行動を悔いていない︒いや︑天

意に悖った不自然だけは何度も悔いているが︑自己の行

もと

動が愛の充実を欠いたものとして︑それを道徳的に悔ゆ

る心持ちは少しもない︵八︶︒たまたまあれば︑それは

他人のためであって︑自分のためではない︵十六︑平岡

との最後の会見︶︒いったい︑代助にはみずから省みてや

ましいところがない︑この作の前後を通じて少しもない︒

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これが︑私なぞから見ていちばん物足りないところで︑

また彼を人間らしくなくするゆえんでもある︒

それに反して︑相手の平岡は︑非はことごとく己れに

あって︑しかもみずから省みるところを知らない男にさ

れている︒これでは︑あまりに善玉と悪玉とがはっきり

しすぎはしないか︒私なぞから見れば︑平岡が三千代か

ら離れたのも︑遊ぶようになったのも︑表にこそあらわ

れないが︑三千代に代助を慕う心があって︑どうもしっ

くり自分の壺へ嵌まってくれない︒それが物足りなさに︑

そういうことにもなったとしてもらいたかった︒つまり

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三千代を愛するがゆえに︑三千代から離れたとするので

ある︒そうすれば︑三千代が病身だから遊び出したとす

るよりも︑平岡もよほど人間らしくなるし︑平岡が三千

代を愛しているとすれば︑代助もそれに対して嫉妬を感

じないわけにいかなかったろう︒そうなってこそ︑代助

の恋にも人間味を帯びてこようというものである︒しか

るに作者は︑あるいは︑代助はと言ってもいいが︑︵十

三︶で平岡の夫婦関係を説明して︑両者の疎隔をきたし

そかく

た原因をいろいろ挙げていながら︑自分の三千代を思う

心が反映して平岡をその妻から離れしめたとはどうして

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も認めていない︒なるほど︑そういう信念があれば︑代

助が終始ほがらかな気持ちで三千代を恋していられるの

も無理はない︒

なお代助は︑﹁同時に自分の三千代に対する愛情が︑

この夫婦関係を必須条件として募りつつある﹂ことを認

め︑最後の平岡との会見では︑平岡が三千代に対する愛

情を欠いたから︑自分は三千代を愛するようになったの

だと明言している︒まったく理屈づめで︑杓子定規で︑

かつあまりに道徳的である︒正宗氏は﹃虞美人草﹄を通

じて見られる作者が疑問のない︑堅固な道徳の保持者で

けんご

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あるというようなことを言っていられるが︑私は﹃それ

から﹄を通じて見られた作者こそ︑本当に犯すべからざ

る道徳の堅固な保持者であったような気がして仕方がな

い︒こ

れを要するに︑三千代と代助との恋は行くところま

で行っている︒その間の心理の交錯も私どもの心を摑ま

かん

つか

ずにはおかない︒それでいて︑なんとなく物足りない︒

読んでいながらも︑作者が自分のことでなく︑他人のこ

とを書いていられるような気がする︒あれだけ緻密な頭

脳で︑あれだけ用意をしてかかっていられながら︑やっ

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ぱりこしらえ物の弱点を暴露したものと言わなければな

らない︒

その他の人物では︑代助の父親にも作者の同情があっ

たような気がする︒もちろん︑先生は﹁論語だの︑王陽

明だのという︑金の延べ金﹂を丸呑みにしていられたわ

きん

がね

けではないが︑それを﹁書物癖のある︑世慣れない弱輩

へき

の言いたがる警句として﹂︵三︶取り合われなかったあ

たりは︑どうも先生の心持ちの一面が出ているような気

がして仕方がない︒

嫂の梅子と書生の門野にいたっては︑私がそのモデル

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になった人物を知っているせいか︑なんでもない会話を

読んでいても︑その声の音色までも聞こえるような気が

する︒それくらいふたりの人物がよく出ているのである︒

実際︑作者の人を観察する眼の鋭さは恐ろしいものがあ

ると言わなければならない︒

そのほか︑甥の誠太郎が代助に回向院の角力へ連れて

えこういん

すもう

行ってくれと強請んで︑聞き入れられたのをみると︑突

然﹁叔父さんはのらくらしているけれども︑実際偉いん

ですってね﹂と言うところなぞも︑あのくらいの少年の

心理を確実に捕らえていると言ってよかろう︒もっとも︑

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これはよく落語なぞに見る手ではあるけれども︒

私はあまりに長く﹃それから﹄に低徊した︒が︑それ

ていかい

は私が特別の事情からこの作に愛惜と興味とを感じてい

るからでもあるが︑一つはまたこの作には先生の長所と

短所と︑よい所と悪い所とがことごとく出ていて︑この

作一つ批評すれば︑先生の全体を批評したことにもなり

うると信じたからにほかならない︒そして︑結論として

は︑この作はやっぱり作そのものに感心するよりも︑そ

れを書いた作者に推服させられるような作であると言っ

すいふく

ておきたい︒

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﹃門﹄に移る︒﹃それから﹄の眼もくらむような華やか

さとは反対に︑きわめて地味な行き方をしたものである︒

そのせいか︑昔から評判がいい︒いったい︑日本人には

妙な癖があって︑地味なものだとたいてい褒める︒その

ために﹁燻し銀のようだ﹂というような︑一種の褒め言

いぶ

葉さえできて︑そういうところへ眼をつけるのが玄人ら

しい批評だとされている︒しかし︑すぐれた作がきっと

燻し銀のような描写でなければならぬという理屈もある

まい︒

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こうは言うものの︑私も﹃門﹄をすぐれた作でないと

思っているわけではない︒宗助夫婦のひっそりした生活︑

外套が欲しくても買えなかったり︑雨降りに靴が濡れて

も穿き代えがなかったりする︑じめじめした腰弁夫婦の

こしべんふうふ

生活を︑あのしっかりしたシュアーな筆致で︑焦らず騒

がず︑一つ一つ展開してこられるところは︑まったく老手

ろうしゅ

と言っていい︒

それに︑そういうじめじめした生活を描いていられな

がら︑どこか先生らしいゆとりがあって︑抱一の屏風が

ほういつ

出てきたり︑表の家主の家に泥棒がはいったり︑甲斐の

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国の織屋が反物を売りに来たり︑宗助の歯の性が悪か

たんもの

しょう

ったり︑お米が癪を起こしたり︑易者のもとへでかけ

よね

しゃく

たり︑当時の先生の家に起こったことがらを宗助の家と

家主の家との両方へ分けて取り入れていられるのも︑私

には興味がある︒

なお宗助の性格にも︑﹃それから﹄の代助のように熱

誠が内訌して︑どっちつかずに見えるところがある︒

ないこう

︱宗助の弟に対する心持ちの動きを見よ

︱ただ代助

は頭脳でそうなったが︑宗助は運命に抑えつけられてそ

あたま

おさ

うなったという差異があるだけである︒

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﹃門﹄はある意味において﹃それから﹄のつづきを書い

たものだと言われる︒つまり﹃それから﹄は友人の妻に

対する苦しい恋の物語だが︑﹃門﹄はそういう苦しい恋

をして︑その思いを遂げた後のふたりがどうなっていく

か︑それを描いたものだというのである︒

が︑私にはどうも読んでいて宗助夫婦にそんな過去が

あったような気がしない︒そういう過去を持った夫婦の

生活は︑こんなものじゃない︒そう言って悪ければ︑宗

助のような生活をしうるものには︑友人の妻を奪うよう

なまねはできそうもないように思われて仕方がない︒現

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に作者もお米と宗助とがどうしてそういうことになった

かは︑ただ抽象的文字で逃げていられる︒もっとも︑そ

れは︑そこのところを書くのが目的でなく︑その後の生

活を書くのが主眼だからでもあろうが︑その後の生活が︑

前にも言ったように︑私にはどうしてもそう思われない︒

ただの腰弁夫婦の生活を描いたもので︑また腰弁夫婦の

生活を描いたものとして成功しているように思われる︒

想うに︑作者自身もそれに興味を有って書かれたので︑

宗助の過去はほんの付けたりとか︑一時の思いつきでは

、、、

なかったろうか︒

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それにしては︑最初から﹁在学当時の旧友に逢うのを

とくに避けたい理由を持っていた﹂︵四︶というような

伏線が置いてあったり︑﹁いくらやさしい字でも︑こり

ゃ変だなと思って疑り出すとわからなくなる︒このあい

だも今日の今の字で大変迷った︒紙の上にちゃんと書い

て見て︑じっと眺めていると︑なんだか違ったような気

がする︒しまいには見れば見るほどわからなくなってく

る﹂︵一︶と宗助に言わせて︑あとで迷いを晴らしに禅

寺へ行くのが︑宗助の人となりから見てもっともらしく

聞こえるようにしたり︑いつもの先生らしい用意のうか

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がわれるのがおかしい︒そんなところから見れば︑簡単

に出来心とも言われない︒けれども︑作者の興味はやは

りああいうひっそりとした生活を描くところにあった

と︑私としては信じたいのである︒

それについては︑こういう話がある︒ちょうどそのこ

ろ私は﹃朝日﹄の文芸欄に関係していたが︑先生の小説

の予告を出す期日が迫っても︑まだ題名ができていない︒

﹁君一つ好い加減に名前をつけて︑予告を出してきてく

れ﹂と言われて︑そんなことに興味をもつ年頃であった

から︑私も喜んで引き受けた︒が︑ひとりでも不気味だ

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から小宮君と相談して︑手元にあったニーチェの﹃ツァ

ラトストラ﹄をひっくり返して見ているうちに︑たまた

まその序文の中で﹃門﹄という字が眼に留まった︒これ

ならよかろうというので︑それを予告の題にして印刷の

方へまわしてきた︒つまり先生は︑翌日になって︑読者

といっしよに自分の小説の題を知られたわけである︒こ

ういう次第で︑たとい先生にその前から﹃それから﹄の

つづきを書くような腹案があったとしても︑︱そして︑

それが﹃三四郎﹄︑﹃それから﹄︑﹃門﹄の三部作を完成

する意味においても︑当然ありうべきことである︒

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宗助が迷いを晴らしに禅寺の山門をくぐるところだけ

は︑どうしても題を見たのちの思いつきだとしなければ

ならない︒もっとも︑先生自身にも︑大学卒業直後︑松

山へ行かれる前に︑一度円覚寺の僧堂で参禅せられた経

験はあった︒この作の中へ出てくる老師が釈宗演師に︑

しゃくそうえんし

宜道という若い坊さんが宗活師に︑どこか面影が似てい

ぎどう

そうかつし

るばかりでなく︑宗助の最初に与えられた﹁父母未生以

前本来の面目はなんだ﹂というような公案も︑そのとき

先生の宗演老師から授けられたものと同じだということ

である︒しかも︑先生の参禅の動機がなんであったかは︑

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四国下りの動機と同じように︑先生自身もついぞ言明さ

れたことがなければ︑もとより私どもの知るよしもない︒

﹃彼岸過迄﹄の中では︑﹃須永の話﹄だけを取り上げて

問題としたい︒﹃須永の話﹄は﹃それから﹄の前話﹃三

四郎﹄を書き直したものだと見れば見られないこともな

い︒あの中の主人公三四郎を代助にして書き直したので

ある︒

須永も代助のように頭脳の働く男で︑双方が一時に見

えるところから︑どっちつかずのはきつかない男になっ

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ている︒ただ彼は生まれつき虚弱なだけに︑はきつかな

いばかりか︑恐れる男になっている︒﹁なによりも先に

結果を考えて取り越し苦労をする﹂︵十二︶ところから︑

﹁恐れることを知らない女﹂に対して︑﹁恐れることだ

けを知っている男﹂︵十二︶になっている︒そして︑そ

のどっちつかずと恐れるのとがいっしよになって︑恋人

に対しても︑はがゆいほどはきつかない態度を取った︒

いや︑恋人を恋人として認めることにさえ躊躇した︒そ

の結果︑当然自分の手に入るべき︑また向こうでも手に

入ることを望んでいる恋人を逸してしまった︒

のが

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この経過は︑代助が青年の無経験から単なる義侠心に

駆られて恋人を手放すよりも︑どのくらい自然にいって

るかわからない︒そして︑代助のようなある決断に達す

るまでに手数のかかる性格にも︑いっそうよく適ってい

かな

ると言わなければならない︒その意味において︑私はこ

の作を作者が﹃それから﹄の背景になっている代助の初

期の恋物語に不満を感じて︑それを書き直されたものの

ようにも思いたい︒

女主人公の千代子は︑﹃三四郎﹄の中の美禰子の再生

である︒三四郎は須永の前身ではあり得ないかもしれん

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が︑千代子はすっかり美禰子の再生である︒須永のよう

な気むずかしい男には︑誰も妻になり手がなかろうとい

うようなことが問題になっているとき︑いきなり﹁妾

わたし

がなったげましようか﹂︵七︶と言って驚かせたり︑子

供の時分須永に描いてもらった画を大切に蔵って置いた

しま

のを出して見せて︑﹁わたしお嫁に行く時も持ってくつ

もりよ﹂としみじみ言うかと思えば︑﹁しかしまだきま

ったわけじゃなかろう﹂と聞き返すと︑﹁いいえ︑もう

きまったの﹂とどきんとさせておいて︑すぐそのあとか

ら﹁嘘よ﹂︵十︶と言いきったまま逃げて行くところな

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ど︑どうしても美禰子を想わせるのがある︒しかも美禰

子のように取り留めのないものでなく︑その﹁女らしく

ない﹂ように見えるのは︑﹁あまり女らしい感情に前後

を忘れて自分を投げかけるからだ﹂︵十一︶と須永から

も信じられている女として︑実際生きた女になっている︒

正宗氏は︑千代子において︑はじめて﹁漱石の頭から

描き出された潑剌たる女性を見る﹂と言っていられる︒

はつらつ

私もある点までは同感である︒氏も言っていられるよう

に︑﹃それから﹄の三千代が代助の恋の対象として︑た

だしおらしいだけの﹁影の薄い女﹂になっていたり︑﹃門﹄

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のお米が夫といっしよにひっそりとしているだけで︑﹁女

性としての神経の通っていない﹂のに比べて︑千代子は

確かに血も神経も通っている生きた女になっている︒そ

れを認める点では︑私もまったく氏と同感である︒しか

し︑先生が千代子を描かれる可能性は︑美禰子において

もすでに十分認められることだけは言っておきたい︒

この作にも︑先生の他の作におけると同じように︑第

二の男が出てくる︒そして︑主人公はその男に嫉妬も感

じている︒この点において︑須永の恋は代助のそれに比

べていっそう人間味を帯びているとも言われよう︒が︑

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彼の嫉妬はただそれだけの役に立つくらいなもので︑作

の本来としては︑やはり頭脳の働く主人公の熱しようと

あたま

しても熱しられない苦しみを書いたものと言わなければ

ならない︒そして︑そういう苦しい恋を描いたものとし

ては︑ほとんど完璧に近いものである︒

なお︑この作について︑もう一つ言っておきたいこと

がある︒それは須永が母親の真実の子でなく︑小間使い

の腹にできた子ということになっていて︵﹁松本の話﹂

参照︶︑須永自身もうすうすそれを感じて︑どうかして

自分に隠された秘密を知りたいと心を悩ましながら︑母

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親に気兼ねをして︑そこまで突っ込んで聞きえないでい

ることである︒

先生自身は︑もちろん︑両親とも揃っていられたが︑

特殊の事情からして︑ある時期のあいだ自分の親を親と

も知らないでいられたことは︑前にも述べておいた︒

ところで︑正宗氏も指摘していられるように︑先生の

作には︑なにかしらきっと伏せられた秘密なり因果なり

があって︑作中の人物もそれがために悩めば︑読者もそ

れによって釣られていくようになっている︒想うに︑こ

れは作者がそういう機関に興味をもたれたというより

からくり

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も︑少年時代の境遇からきた印象が牢固として心に残っ

ろうこ

ていて︑知らず知らずそういう方面に興味をもたれるよ

うになったのではあるまいか︒もっとも︑これは私も断

言しない︒ただそう思ったというまでである︒

ついでながら︑﹁松本の話﹂の中で︑松本はしきりに

自分と甥との性格の相違を説明して︑須永は内へ内へと

とぐろを捲く質だが︑自分の心は外へ向かって流れる︒

外部の刺激に応じて移る浮気ものにすぎないというよう

なことを言っている︒が︑先生にもそういう一面のある

ことは︑先生自身でも認めていられた︒そして︑﹁停車

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場﹂から﹁報告﹂にあらわれた松本の態度なり生活様式

はどうしても先生その人である︒つまり松本といい須永

といい︑先生が自分というものを二つに分けて使ってい

られる一例にすぎない︒

﹃行人﹄の主人公は︑﹃それから﹄の代助や︑﹃須永の

話﹄の市蔵と同じように︑やっぱり鋭敏すぎるほど鋭敏

な頭脳の持ち主である︒そして︑その鋭敏な頭脳のため

にみずから苦しむところなぞも似ている︒が︑﹃それか

ら﹄や﹃須永の話﹄が求めようとして求めえざる苦しみ

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を書いたものであるのとは反対に︑すでにもっているも

のを失うまいとするものの悩み︑もしくは疑心暗鬼を書

いたものである︒

︱もっとも煎じ詰めれば︑これも求

めて求めえざるものの苦しみには相違ないけれども︒そ

の意味において︑﹃それから﹄の代助を平岡の地位に置

いて書かれたものとも見れば見られないことはない︒

が︑おそらく作者の興味はそんなところにあったので

はなかろう︒作者の意は︑そんなことよりも︑この作の

主人公に見るような︑あまりに頭脳の鋭敏な︑そして︑

考えるがゆえに苦しまずにはいられない人間を解剖台の

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上に載せて︑みずからメスを執って︑読者の前にそれを

解剖して見せるといったところにあったのではあるまい

か︒そして︑代助や須永や松本が先生自身であるという

意味においては︑この作の主人公ももとより先生自身で

ある︒あるいはそれ以上に先生自身であると言われるか

もしれない︒

とにかくこの作には︑主人公の性恪や気持ちのほかに︑

その当時における先生の生活なり︑身辺の事情なり︑ま

たそこに起こった小さな事件なりといったようなものが

多分に織り込まれている︒もちろん︑暴風雨に閉じ籠め

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められて︑嫂と二郎とが和歌山の宿に泊まったというよ

うなこともなければ︑またそれを一郎から強いてさせる

ようにした動因なぞがあったとも思われない︒あれは小

説である︒

が︑そのころ先生は朝日新聞社の講演に頼まれて︑大

阪から和歌の浦へも行かれた︒そこで暴風雨にも逢われ

た︒大阪では二度目の病気にもなられた︒またその旅行

のあいだに︑お貞さんというような︑先生の家に女中と

も仲働きともつかず働いていた親類の娘︑そして︑誰

なかばたら

からも﹁いちばん欲の寡ない善良な人間だ﹂︵﹁塵労﹂四

すく

じんろう

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十九︶と思われていた娘の縁談もきまった︒帰ってから

は︑妹のお重の縁談もちらちら聞こえた︒二郎の見合い

も行なわれた︒そして︑先生は病後の保養に︑Hという

ような友人に伴れられて︑行く先は違うが︑再び旅行に

も出られた︒こういうように︑私ども多少先生の身辺の

事情に通じているものから見れば︑誰は誰だということ

がいちいち指呼されるくらい︑その当時の事件が︑その

まま採用されているのである︒

もっとも︑先生のことだから︑例によって︑なんでも

ない事件が誇張してあったり︑変形されていたり︑人物

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の関係がいくらか似ているかと思えば︑性格がまるで変

えてあったり︑ひとりの性格と行動とがふたりに書き分

けてあったりするにはする︒

︱たとえば︑兄と父親︑

嫂と母親というように︒そして︑そういうようにして︑

周囲の人物なり事件なりを作中に取り入れられるのは︑

必ずしもこの作に限ったことではない︑﹃三四郎﹄にも

﹃門﹄にも︑またこの前の﹃彼岸過迄﹄についても言わ

れることではあるけれども︑しかもこの作のように事件

の連絡なり︑それに伴う気持ちなりがそのまま出ている

ものは︑これまでに見られなかったと言っていい︒こと

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にHの手紙にあらわれた兄の心理状態の解剖は︑どうし

ても先生自身を俎上に載せられたものと言わなければな

らない︒

あの﹁たいていのものを失って︑わずかに自己の所有

として残っている肉体にさえ︑遠慮なく裏切られようと

して﹂︵﹁塵労﹂三十九︶いる人が︑それでも自己の頭脳

が整っているために︑周囲も自分の思うように整頓して

おらなければ気がすまず︑さりとてそう思うように外界

は整ってくれないので︑だんだん﹁整った頭︑取りも直

さず乱れた心﹂︵同四十二︶というようなことになって

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いって︑﹁誰とどこへ行ってもすぐいやになる﹂︵同四十

六︶ばかり︑﹁何をするのもいやで︑同時になにかしな

くてはいられない︑﹂︵同三十一︶﹁なんにでも刺激され

やすい癖に︑どんな刺激にも堪え切れない﹂︵同四十七︶

というような心の状態におちいって︑果ては自分でも﹁正

気なんだろうか︑もうすでにどうかなってるんじゃない

かしら﹂︵同三十九︶とも怖れるようになったが︑理知

の眼が鋭いために︑自分を載せてくれる﹁車夫ほど信用

のできる神を知らない﹂︵同四十一︶といって︑自己を

神とする以外に︑神の信仰にも入れず︵同四十四︶︑や

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っと﹁薄の葉を渡る蟹﹂︵同四十七︶を見て︑それに自

すすき

己を放下し去ることによって安心を見出すにいたる経路

ほうげ

を読んでくるとき︑私はその当時における先生自身の頭

の中を往来した︑血の滲むような悪戦苦闘を想像せずに

はいられない︒

この意味において︑私は︑先生の晩年の心境を問題に

するなら︑そりゃ﹃修善寺日記﹄も大切であろうが︑そ

れよりもこの一篇にあらわれた︑先生自身の心の解剖だ

けは︑どうしても度外することのできないものだと信じ

ている︒そして︑正宗氏がこの後の作から見て︑先生の

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心境が修善寺の大吐血後︑だんだん明るくなるよりも︑

かえって暗くなっていったような形跡があると断じてい

られるのも︑ある意味においては無理もないと信ずるも

のである︒ただどうして先生がそういう陰鬱な暗い方面

にばかり興味をもたれるようになったかは︑私には言わ

れない︑また言うだけの用意もない︒

が︑強いて揣摩することを許されるならば︑修善寺で

あまりに容易く世の中を明るく見られた反動ではあるま

いか︒明るく見れば︑求むるところも多くなる︒多くな

れば︑気に入らないところも出てくるのは当然である︒

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もちろん︑そのほかに肉体の病弱も主なる原因であった

ろうし︑またそう簡単に片付けるべき問題でもあるまい

が︑とにかくそういう暗い気持ちから脱却するために︑

この一篇を草せられたものであることだけは争われな

い︒こ

れを要するに︑この一篇は︑先生の作の中では︑い

わゆる自叙伝体の小説に最も近いもので

︱もっとも

﹃道草﹄は別である︒それについてはのちに論じたい

︱先生としては︑これを書くうえに最も多くの犠牲を

はらっていられる︒もしそういう言葉を使ってよろしけ

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れば︑自分の生皮を引っ剥がすような思いで書かれたと

も言いたい︒したがって︑読者を眼中に置いてはあって

も︑最も当て気味のとぼしい︑少なくとも最も通俗味の

とぼしい小説だと言われるのである︒もしこの作に不満

があるとすれば︑それはこの主人公が元来動かない人間

であるだけに︑その心理解剖も平面的で︑少しも動的で

ないところにあると言わなければならない︒

﹃心﹄は︑私の見るところでは︑その欠点を補おうとし

て現われたものである︒そしてそのために︑作者は﹃門﹄

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で使った題材をもう一度取り上げていられる︒私は前に

﹃須永の話﹄は﹃三四郎﹄を書き直したものだと見れば

見られないこともないと言った︒が︑﹃心﹄はもう少し

強い意味で﹃門﹄を書き直したものだと言われよう︒

第一に︑﹃門﹄が友人の妻を奪った男のその後のひっ

そりした生活を描いたものであるのに対して︑﹃心﹄は

同じように友人を裏切って︑その意中の女を妻とするよ

うになった者の︑われから世間と絶った孤独の生活を描

いたものである︒

第二に︑﹃心﹄の主人公も︑﹃門﹄のそれと同じよう

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に︑両親を失くしてから叔父の世話になって︑よいよう

にその財産をごまかされてしまった︒ただ﹃門﹄の主人

公はごまかされたと知りながら︑別段それを検べてみよ

うとも思わない︒いや︑思わないこともないが︑進んで

交渉することさえ億劫なような︑いわば運命に打ちのめ

された︑きわめて消極的な男になっているのに対して︑

﹃心﹄のそれは同じように消極的な態度を取っていなが

らも︑自分としてはあくまで考え詰めずにはいられない

人になっている︒

彼は叔父を憎む心を移して︑一般に人間というものを

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憎むようになった︒悪い人間という人間があるものじゃ

ない︑平生は皆善人である︒それがいざという間際に悪

ふだん

人に変わるのだから怖ろしいとも思った︵﹁先生の遺書﹂

二十八︶︒しかも︑自分が友人を裏切るにおよんで︑こ

の哲学はいっそう真実性を帯びてきた︒彼は他人を憎む

ばかりでなく︑自分自身を憎まずにはいられなくなった︑

自分自身を呪わずには生きられなくなった︒友人の自殺

が彼の頭に一生消すことのできない烙印を捺したのであ

る︒こうして﹁人間を愛しうる人︑愛せずにはいられな

い人︑それでいて︑自分の懐に入ろうとするものを︑

ふところ

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手をひろげて抱き締めることのできない人﹂︵﹁先生と私﹂

六︶となって︑愛する妻からも離れて︑本当にひとりぼ

っちの寂しい生活を送るようになった︒

その寂しい生活は︑ひとりだけ彼に接近しようとした︑

若い崇拝者の口を通して物語られている︒それが﹃門﹄

のように気の脱けたものでなく︑てきぱきと要所要所を

押えて︑いかにもそういう過去を持った呪われた人の生

活らしく描かれている︒

が︑私のとくに興味を感じたのは︑そんなところより

も︑﹃門﹄には書かれていない︑どうしてこの人が友人

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を裏切るようになったかという︑その経路が正面から遺

憾なく描かれていることである︒作者はそれを先生の遺

書として主人公自身の口から語らせていられる︒

彼はまず両親の死後叔父に財産をごまかされてから︑

自分がどういう人間になったかということから説き起こ

して︑学生時代たまたま素人下宿をした家の奥さんと娘

から隔意なき待遇を受けるに及んで︑自分の気持ちがや

かくい

や変わってきたことを述べている︒それから彼は子供の

時分からの友人が困っているのに同情して︑無理に引っ

張るようにして自分の下宿へ連れ込んできたうえ︑その

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友人が少し変物だからというので︑とくに気をつけて歓

待してくれるように︑母親と娘とにも頼んでおいた︒と

ころが︑そのおかげでKの城壁の中へ立て籠ったような

心がだんだん解けて︑娘と心置きなく話でもするように

なると︑今度はちと薬が利きすぎたように思ってやきも

きする︒そして︑旅行にまで連れ出して︑自分の娘に対

する恋をKに打ち明けようとするが︑相手の超然たる態

度に気後れして︑どうしても打ち明けきれない︒帰って

きおく

からも︑娘が母親からでも言われたのか︑Kと話をする

のも気兼ねするような態度が見える︒そうなるとかえっ

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て気がまわって︑いっそ母親にぶつかっていこうかと思

いながら︑まだ決しかねているうちに︑Kに先を越され

て︑その重い口から娘に対する切なる恋を打ち明けられ

てしまった︒そこで大いにあわてるまでの恋愛と友愛と

嫉妬との交錯した経過は︑きわめて自然に︑かつどんな

細かな点までも注意の行きわたった︑そつのない筆で描

かれていると言わなければならない︒

しかし︑Kからそういう恋愛におちいった自分をどう

思うとまじめに批判を求められたのに対して︑主人公が︑

よき折といわんばかりに急に政略を弄する気になって︑

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Kの日夕口にして已まぬ精進の道にも欠けるではないか

にっせき

と︑相手の弱点を握って︑ぎゅうぎゅう責める気になり

えたのは︑どんなものであろう︒

なるほど︑恋と嫉妬の一方ばかり見ていたからではあ

ろうが︑それにしても︑平生から他人を愛している女と

ふだん

いっしよになりたくないというような恋の哲学を持って

いる男なら︵﹁先生の遺書﹂三十四参照︶︑他人に愛され

ている女といっしよになった場合︑ことに相手の愛を遮

断して自分が勝利者となった場合︑はたして満足でいら

れるかどうかも考えてみそうなものではないか︒とにか

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く︑いちずに盲目的に愛に向かって走らせるためには︑

そういったような考えを突き破るだけの何物かが︑ちょ

うどここのところで挿まれていなければなるまい︒

それに︑相手がしまいに﹁覚悟

︱覚悟ならないこと

もない﹂と言った言葉の意味を取り違えるのも︑あれだ

け理解し合った心友のあいだとしては︑あるまじきこと

に思われはしないだろうか︒そして︑それを取り違えた

がために︑主人公が母親に突進して︑大事を早める動因

になっているのも︑不自然である︒なんとなく作為の跡

を留めているような気がしてならない︒

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これに反して︑Kの性格と行動とはきわめて自然であ

る︒自分の恋を主人公に打ち明けたあと︑そのことにつ

いてもっと話をしようと︑主人公から何度言われても︑

﹁そうだなあ﹂︵三十八︶と渋ったまま︑なかなか応じ

ないのもKらしいが︑﹁覚悟ならある﹂と言って帰った

晩︑夜半に主人公の寝ている合いの襖を明けて︑﹁もう

よなか

寝たのか﹂と聞く︒﹁何か用か﹂と聞き返すと︑﹁たい

した用でもない︒ただもう寝たか︑まだ起きているかと

思って聞いてみただけだ﹂と言って︑ぴたりと襖を立て

切ったまま︑静かに音もしなくなるのも︑なんとなく暗

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い暗示に打たれる︒それがKの自殺したのちに︑やっぱ

り合いの襖がこの間くらい明いていたと聞いては︑思わ

ずぞっとする︒

一つは︑主人公から見て︑その眼に映じただけの行動

がぽつりぽつりと点綴してあるばかりなので︑想像をい

てんてつ

れる余地のあるせいかもしれないが.Kが死ぬまでの経

路はきわめて自然である︒ことに主人公に宛てた遺書の

中の﹁もっと早く死ぬべきだのに︑なぜいままで生きて

いたのだろう﹂という最後の一句は︑ほとんど作ったも

のとは思われない︒Kの真情を吐露している︒

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実際︑彼は主人公から裏切られずとも死ぬべき人であ

った︒死ぬべき人であったように十分描かれている︒そ

の意味において︑私は主人公が胸を打たれたとは違った

意味で胸を打たれずにはいられない︒

ついでながら︑作者がこの話を先生の遺書として︑主

人公自身の口から語らせるようにせられたのは︑叙述の

方法から見て︑きわめて当を得たものであることを言い

たい︒私は前に﹃それから﹄の条で事件の発展が自然に

見えるためには︑第三者の立場から見て︑純客観的に描

写するにかぎると言っておいた︒そのかぎりにおいては︑

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決してその説を改めようとは思わない︒現にKの場合で

も︑第三者から見て︑その眼に映ずるがままに書かれて

いるために︑いかにそれが自然に見えるか比較してみら

れよ︒

が︑それはただ自然に見えるというだけである︒事件

の発展につれて︑主人公の審理の展開していくさまを縦

横に批判し解剖しようとすれば︑やっぱりそれを主人公

自身の眼から見て︑一人称で取り扱うほかない︒ただそ

うすれば︑Kの自殺を見るにおよんで︑はじめてKの真

意がわかるといったような自然さは失われるが︑それは

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仕方がない︒私が﹃それから﹄を非難したのは︑一人称

で書いたものと同じように主人公の心理に触れながら︑

しかもKの場合に見るような自然さをも併せ得ようとさ

れた矛盾を指摘したものにほかならない︒

Kの死後︑﹃心﹄の主人公はなお幾年かを存えてい

ながら

る︒そして︑急に自殺するようになったのは︑明治大帝

に殉死した乃木大将に暗示されたことになっている︒そ

れがなんだか︑自殺の動機としては弱いような気もする

が︑主人公はもう疾うから死んでいる人であることを思

うとき︑そんなことはさして問題にもならない︒

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﹁明治の精神は天皇に始まって天皇に終わった⁝⁝最も

強く明治の影響を受けた私どもが︑その後に生き残って

いるのは必竟時勢後れだという感じがする⁝⁝もし自分

が殉死するならば︑明治の精神に殉死するつもりだ﹂と

言った主人公の言葉も︑いまとなってはなんだか先生自

身の感慨を聞くような気がして︑うらさびしい心をそそ

られる︒

私は先生の作を読むごとに︑たいていは作そのものよ

りも作者に推服してきた︒作者を忘れて︑作そのものか

ら打たれるような気がしたのは︑この作がはじめてであ

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る︒それだけ先生の頭脳よりも感情がよけいに出ている

のかもしれない︒Kというような友人も︑あんな関係は

別として︑先生の物故した友人の中にあったと聞いてい

る︒が︑全体としては︑この作も先生の実験であって︑

決して経験を描いたものではない︒ただ同じく実験にし

ても︑ほとんど自己の全体を投げ出して実験に上らせて

いられる︒そこに︑読者を動かさずに已まないものがあ

るのであろう︒

次の﹃道草﹄は︑前にもしばしば言ったように︑ある

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期間における先生自身の生活を︑比較的全きものとし

まった

て︑ありのままに描き出したものである︒そして︑先生

は﹃心﹄においてそのエキスペリメントの頂点までいか

れたから︑今度は自己のエキスピーリユンスに移られた

ものとも見られよう︒そう見て来ると︑先生の創作の歴

史において︑一大転機を画するものと言わなければなら

ない︒

そして︑私は小宮君が挙げていることを皆認める︒実

際︑﹃道草﹄の作者は︑その主人公の悩みや憤りやに同

情はするが︑しかし一段高い所から見下ろしている︒し

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たがって︑主人公が憎しみを感じる相手に対してもその

心持ちを認めはするが︑いっしよになってそれを憎もう

とはしない︒かえって主人公に対すると同程度の寛容を

持って︑相手の感情や動作を眺めている︒これは﹃それ

から﹄なぞでは見ることのできない作者の態度である︒

その意味において︑同君がこの作をもって︑先生のあら

ゆる長篇小説の中の最も完成したものであると言ってい

られるのも︑一応もっともであると言わなければならな

い︒し

かしながら︑私のこの作に対する最大の不満は︑そ

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の題材にある︒なるほど︑この作の主人公は﹁逃れがた

き過去を持ち︑逃れがたき肉の絆を持﹂って︑﹁振り棄

てたくも振り棄てることができず︑愛し徹したくも愛し

とお

徹すことができず︑⁝⁝悩み憤り悲しみ苦しんでいる﹂

かもしれない︒しかし︑私から見れば︑いわゆる逃れが

たき過去︵養父母︶とか︑逃れがたき肉の絆︵兄姉もし

くは妻の両親︶とかいうものは︑たといそれがどんなに

自分の思うような人間でなかろうとも︑決して人間の生

活にそれほど深い影響を及ぼすものではない︒だいいち

﹁悩み憤り悲しみ苦しむ﹂というような言葉を使うこと

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からして︑少し大袈裟に聞こえるくらいである︒

もっとも︑それはおまえの感受性が鈍いのだ︑おまえ

とこの作の主人公とは違うと言われれば︑それまでだ︒

しかし︑私でなくとも︑人間は誰もそんなもの達のため

に生きているのではない︒同じ人間の中にも︑もっとそ

の者のために生きているといわれそうな︑もしくはそう

いわれるだけの深い関係を自己の生命に対してもってい

るものが︑ほかにありはせぬか︒私は先生がなぜそのも

のを取り上げて︑そのものとの関係を主題として書かれ

なかったろうかと怪しむものである︒その意味において

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私はむしろ﹃行人﹄により多くの興味を寄せるものであ

る︒い

ずれにしても︑作者はこの作をするうえに︑﹃行人﹄

を書くだけの犠牲も払っていられない︑生皮を剥がすよ

うな思いはしていられない︒私はその点に遺憾を有する

ものである︒ついでながら︑もし則天去私というような

人生観が後年の先生を支配して︑その影響がこの作にも

あらわれているものとすれば︑それは修善寺の大吐血に

よって︑先生の内生活が急回転をしたというよりも︑﹃行

人﹄を書くことによって︑当年の暗い気持ちから脱却さ

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れたためであると信じたい︒

最後の﹃明暗﹄は︑人も知るように︑先生の永眠によ

って未完のまま終わっている︒したがって私はそれにつ

いて云為することを差し控えたい︒ただ正宗氏が言われ

うんい

るように︑晩年に及んで作者の箍が弛んできたなぞとは

たが

ゆる

決して思わない︒現に氏も認めていられるように︑お延

といいお秀といい︑現実昧を帯びた女として盛んに活躍

して︑作者の女性を描く手腕のいよいよ冴え渡ってきた

のを思わせるではないか︒これからどう発展するか見当

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603

がつかないように思われるのは︑ただ規模があまりに大

きすぎたからである︒私は﹃それから﹄のように華やか

な︑意気軒昂の時代が復活するんじやないかと︑心ひそ

きけんこう

かに期待していた︒しかしいまや空しである︒

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604

﹃それから﹄から﹃明暗﹄にいたるまで︑振り返ってみ

ると︑ほとんど一つ残らずいわゆる三角関係を取り扱っ

たものばかりである︒三角関係とは︑本来ひとりの男性

もしくは女性がふたりの異性を愛するとともに︑相手の

競争者同志がまた互いに相愛し合っていなければならぬ

というから︑厳密に言えば︑三角関係とは言われないか

もしれぬが︑とにかく︑その多くが道ならぬ恋を取り扱

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605

ってあることだけは争われない︒

では︑どうして先生がそういう方面にばかり興味をも

たれるようになったか︑それについて︑さまざまの揣摩

臆測を下すことは︑ことごとく無意義である︒私はただ

おくそく

たまたまそうなったのだと言っておきたい︒それ以上︑

もし言うことを許されるならば︑非常に道徳的な人とい

うものは︑なにか人生に興味を見出そうとすれば︑反対

に不道徳の方面へ眼を向けるものではあるまいか︒実際︑

人妻に対する恋は︑両性関係の中でも最も倫理的

︱人

の道徳心を刺激する意味において

︱なものである︒

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606

最後に︑しばしば篇中に引用した正宗白鳥氏の﹃夏目

漱石論﹄に敬意を表しておきたい︒私は最初国民新聞の

紙上で︑徳富蘇峰氏によってあの論文を紹介された︒蘇

峰先生は︑正宗氏の見識が年とともに老熟していくのを

認められたのはいいが︑漱石を馬琴と比較しているとい

うので︑あの論文を褒めていられるのである︒それを読

んでから︑私は手元にある中央公論を開いて︑せっかく

の漱石論を読む気がなくなった︒先生と馬琴とを比較す

るのを別段えらい見識だとは思わなかったからである︒

ところが︑今度自分で先生を論じなければならないこ

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607

とになって︑氏の漱石論を読んでみると︑決してそんな

ものじゃない︒前から立場の違っていた氏としては︑か

なり同情のある見方がしてあるうえ︑きわめてインサイ

トに富んだ近ごろの名論である︒私は自分のこの論文を

草するうえに︑氏の評論から暗示されるところが決して

少なくなかった︒その点において︑私は氏に感謝するこ

とを忘れてはならない︒

が︑私の氏に負うところはそれだけではなかった︒実

のところ︑私どもが先生のものを論じようとすると︑左さ

顧右眄して︑どうしても思うことが十分に言われない︒

うべん

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608

しかるに氏は思った通りをずけずけ言っていられる︒そ

れに対して︑私は防禦の位置に立つことができた︒この

ことは︑私が論をやるうえに︑どれだけ私の気持ちを安

易にしてくれたかわからない︒この小論文ができたのも︑

真個そのおかげたと言ってもいいくらいである︒あえて

まこと

再び氏の評論に敬意を表しておく︒

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初期の作品︱解説と鑑賞

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611

﹃吾輩は猫である﹄

﹃猫﹄が大評判になった当時のことである︒表題の新奇

と内容のあまりに奇抜なところから︑そして︑おそらく

は作者自身が大学の先生で学者であるというところか

ら︑こんな奇抜なものが日本にはじめて生まれるわけが

ない︒これにはきっとなにか西洋に粉本があるに相違な

ふんぽん

いというような噂だか︑想像だか︑一般にそういう推想

アーヌング

が行なわれた

︱行なわれたようだ︒

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それかあらぬか︑当時大学でドイツ文学を担任してい

られた藤代素人氏が︑﹃カーテル・ムル﹄という一篇を

﹃帝国文学﹄の誌上で公にされた︒その内容は今すっ

おおやけ

かり忘れてしまったが︑なんでも前に挙げたような想像

を描いた連中が︑なにか﹃猫﹄に似寄ったものはないか

ないかとうるさく訊くところから︑粉本かどうか知らぬ

が︑多少あれと似通ったものがないでもないと︑﹃カー

テル・ムル﹄を挙げられたものらしい︒私は﹃カーテル

・ムル﹄について何事をも知らぬ︒したがって表題以外

にどこが似ているか︑ここに挙げるわけにはいかないが︑

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613

先生がその当時

︱あるいはそれ以後でも

︱この書を

読んでいられなかったことだけは確実である︒

それよりもここに一つおかしいのは︑先生自身が﹃猫﹄

の粉本というようなものを﹃猫﹄を書かれるずっと前︑

八︑九年以前のまだロンドンへ留学せられる以前に﹃江

湖文学﹄の誌上で公にしていられることである︒しかも

それが﹃猫﹄の評判のあれほどやかましかった当時いっ

こう噂に上らなかったのだから︑よほどおもしろい︒そ

のぼ

の書はほかならぬ英国十八世紀の作家ローレンス・スタ

ーンの名作﹃トリストラム・シャンデー﹄である︒

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614

ところで︑私は﹃トリストラム・シャンデー﹄を読ん

でおらぬが︑先生自身の紹介せられるところについて見

ても︑だいぶ﹃吾輩は猫である﹄を想い出させる点があ

る︒第

一︑﹁余が﹂とか﹁我は﹂と一人称で書いてあるこ

われ

と︑もっとも︑その﹁余﹂や﹁我﹂は猫が言うのではな

い︑トリストラム・シャンデーというなまぐさ坊主が一

人称でもって読者に話しかけているんだが︑この坊主が

一篇の主人公というわけではない︒どだいこの物語には

主人公というものがない︑したがって主人公の運命がど

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う変化して︑どう発展するというような話の筋がない︒

瑣談小話筆に任せて描出しきたる︒話が横道へそれたら

さだんしょうわ

それっぱなしでどこまで深入りするかわからない︒漱石

先生これを評して﹁無始無終︑尾か頭かこころもとなき

こと海鼠のごとし﹂と言っていられるが︑これは先生み

なまこ

ずから﹃猫﹄の序文で﹁尾頭のこころもとなき海鼠のよ

びとう

なまこ

うな文章﹂と言っていられるものと︑ぴったり符合する

ではないか︒これが﹃猫﹄と﹃トリストラム・シャンデ

ー﹄との似ている第二の点である︒

次にまた︑﹃猫﹄の中へ出てくる主要人物に水島寒月

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と号する篤学の士があって︑その言行人の意表に出ずる

底のものではないが︑まじめで穏やかな挙措のあいだに

てい

きょそ

読者をしてほくそ笑ましむること︑かつはやや滑稽に取

り扱われた人物として︑非常に目新しい感興を与えると

ころから︑これこそ先生の頭から生み出された独創的性

格であろうと思っていると︑﹃トリストラム・シャンデ

ー﹄の中にそれの粉本とも見れば見らるべき人物が厳存

げんそん

しているのである︒

それは退職の老士官トビー・シャンデーのことで︑こ

の人﹁日夕身を築城学の研究にゆだぬ︑なかなかその道

にっせき

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の達人と聞こえ﹂たが︑自家の庭園中に堡寨を築いて敵

ほうさい

なきの防戦に怠りないところなぞは︑寒月が毎日理科大

学の地下室で︑珠を磨きながら幾年を過ごして倦むこと

を知らないのと似ているではないか︒老士官トビーはま

た物理学にくわしく︑﹁精密なる弾道は抛物線にあらざ

ほうぶつせん

れば双曲線なり﹂とか︑﹁截錐の第三比例数の弾道距離

せつすい

に対する比例は︑投射角を倍したる角度の正弦と全線と

の比例のごとし﹂とかいうような︑訳はわからないが︑

ものものしそうに見える定理か公式かを発明して喜んで

いるが︑それはやがて寒月居士が﹁団栗のスタビリティ

どんぐり

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を論じて︑併せて天体の運行におよん﹂だり︑﹁首縊り

くびつ

の力学﹂を講じて︑αのβだの︑sin

だのcosin

だの

アルファ

ベータ

サイン

コサイン

とむずかしい方程式を振りまわし︑苦沙弥先生を辟易さ

へきえき

せるところを想い出させる︒これが﹃猫﹄と﹃トリスト

ラム・シャンデー﹄との似ている第三の点である︒

それから︑﹃猫﹄の中には金田夫人鼻子という大変な

女が出てきて大いに活躍するが︑高慢で︑下品で︑おま

けに大のお饒舌家で︑偉大な鼻が顔の中央に鎮座ましま

しゃべり

すのをその特長とする︒この鼻はだいぶ諸人の問題にな

り︑迷亭なぞはしきりにそれを気にして︑大いに鼻論ま

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で持ち出しているが︑彼の言うところによると︑﹃トリ

ストラム・シヤンデー﹄の中にもだいぶ鼻論があるそう

である︒これも﹃猫﹄とこの作との似通っている第四の

例証としてよいかもしれない︒

スターンは四十六歳の頽齢ではじめてこの作を著し︑

たいれい

小説界に一生面を開くととに︑当時の英文壇を風靡した

ふうび

とある︒この事実は︑わが漱石先生が三十八歳にしては

じめて﹃猫﹄に筆を染め︑一躍文壇の頭領となられた事

実と酷似していよう︒まったく﹃猫﹄はこの点からいっ

ても先生にとって幸先のよい作物であったと言わなけれ

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ばならない︒

で︑要するに︑これらの諸点から考えてみて︑スター

ンの﹃トリストラム・シャンデー﹄は﹃吾輩は猫である﹄

の粉本であるなぞとはもちろん言えないが︑少なくとも

先生が﹃猫﹄を書こうとせられたとき︑その頭の中に﹃ト

リストラム・シヤンデー﹄がうかんでいたとは推定して

も差しつかえなかろう︒

想うに︑﹃猫﹄は先生が三十有余年溜っていた磊塊を︑

らいかい

あの自由な拘束されない形式の下に︑一度に吐き出した

ものである︒言いたいことがあり余ってる場合︑あの自

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由な拘束されない形式をスターンから学ばれたというこ

とは︑まさにその当を得た賢いやり方と言わなければな

らない︒そして︑スターンから学ばれたものは主として

この自由な形式だけで︑先生の個性は形式が自由なだけ

に﹃猫﹄において最も遺憾なく発揮されたものと見ても

よかろう︒かくのごとくにして︑数ある先生の作の中で

も最も意義ある作のできあがった︑その秘密の扉をひら

く鍵として︑﹃トリストラム・シヤンデー﹄の名を挙げ

ることは︑決して徒爾ではないのである︒

﹃猫﹄が先生にとって一種の安全弁であったことはすで

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に述べた︒が︑それだけに︑﹃猫﹄そのものについて言

えば︑やはり一個の滑稽物として取り扱うほかない︒

では︑一個の滑稽物として︑その滑稽の主成分を成し

ているものはなにか︑またその滑稽の特質はなにか︒

﹃猫﹄の滑稽の本質を解剖して︑その特徴を闡明すると

せんめい

いうことは︑なかなかむずかしいが︑気のついた点だけ

を挙げてみると︑すべて滑稽の感は予期しない不調和に

出逢ったとき生ずるもので︑﹃猫﹄にはふたりの対話な

り︑または対話に表われた双方の気持ちなりが︑ある種

の角度を成して横へ反れる場合に︑抑うべからざる滑稽

おさ

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感を刺激せられることが多い︒

簡単な例を挙ぐれば︑十章の終わりの辺に︑寒月君が

来て︑苦沙弥先生を上野の森へ虎の鳴き声を聞きに連れ

出そうとするところがある︒

﹁虎の鳴き声を聞いたってつまらないじやないか︒﹂

﹁ええ今じやいけません︑これから方々散歩して夜十

一時ごろになって︑上野へ行くんです︒﹂

﹁へえ?﹂

﹁すると公園内の老木は森々としてものすごいでしょ

しんしん

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う︒﹂

﹁そうさな︑昼間よりは少しは淋しいだろう︒﹂

﹁それで何でもなるべく樹の茂った︑昼でも人の通ら

ない所を択ってあるいていると︑いつのまにか紅塵万

こうじんばん

丈の都会に住んでる気はなくなって︑山の中へ迷い

じょう

込んだような心持ちになるに相違ないです︒﹂

﹁そんな心持ちになってどうするんだい︒﹂

﹁そんな心持ちになって︑しばらくたたずんでいると

たちまち動物園の中で︑虎が鳴くんです︒﹂

﹁そううまく鳴くかい︒﹂

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﹁だいじょうぶ鳴きます︒あの鳴き声は昼でも理科大

学へ聞こえるくらいですから︑深夜闃寂として︑四望

げきせき

しぼう

人なく︑鬼気肌に逼って︑魑魅鼻を衝く際に⁝⁝﹂

﹁魑魅鼻を衝くとはなんのことだい︒﹂

﹁そんなことをいうじぁありませんか︑怖い時に︒﹂

﹁そうかな︑あんまり聞かないようだが︒それで?﹂

﹁それで虎が上野の老杉の葉をことごとく振い落とす

ような勢いで鳴くでしょう︒ものすごいでさあ︒﹂

﹁そりゃものすごいだろう︒﹂

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この対話のどこがおもしろいかというと︑寒月君がむ、

きになって上野の森のものすごいありさまを形容してい

、るのに︑苦沙弥先生はそれに釣り込まれないで︑﹁そう

さな︑昼間より少しは淋しいだろう﹂というような返辞

をする︒相手の言葉を真正面から受けないで︑ある種の

角度を持って横へそらしている︒その角度から滑稽感が

生ずるのである︒これは苦沙弥先生が相手をそらすのだ

ろうが︑反対に苦沙弥先生のほうで相手からそらされる

例がある︒

三章の始めに苦沙弥先生が机に向かってしきりに天然

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居士の墓碑銘を考えているところへ︑細君が来て月末払

いの増額を請求するところで︑苦沙弥先生はよい加減な

空返事をしながら︑鼻毛を抜いては原稿用紙の端に立て

はし

ている︒毛の尖には肉がくっついているので︑つまく針

、、

さき

を植え並べたように立つ︒いくら息を強めて吹いてみて

も倒れない︒鼻毛には赤いのや黒いのや︑いろいろの毛

がある︒その中に真っ白なのを発見して︑苦沙弥先生は

びっくりしながら穴の開くほど眺めていたが︑やがて指

の股に挾んだまま︑黙ってそれを細君の顔の前へ出す︒

﹁あらいやだ﹂と言って︑細君はその手を突き戻したが︑

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苦沙弥先生はそれでも﹁ちょっと見ろ︑白髪の鼻毛だ﹂

と非常に感動した様子である︒しかも払いのほうに気を

取られている細君は︑いっこう身にしみて良人の鼻毛

りょうじん

を見てやらない︒苦沙弥先生は細君の相手にならないし︑

細君のほうではまた苦沙弥先生の相手にならない︑この

双方の心持ちの食い違ったところに滑稽味が湧く︒その

食い違い方がきわめて自然で︑無理がない︒無理がなけ

ればこそ滑稽にもなるのである︒

こういったような食い違わせ方は︑だいぶ方々に同じ

ような手段が用いられてある︒三章に迷亭が苦沙弥先生

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の不在中にやって来て︑細君を相手に例の剽軽な談話

ひょうきん

をするところだの︑同じく三章に苦沙弥先生のもとへ例

の金田令夫人鼻子が娘の婿にしようという寒月の身元を

聞き合わせに来るところだの︑または九章の中ほどに迷

亭の伯父さんで︑例の丁髷に結って手から鉄扇

︱で

ちょんまげ

てつせん

はない︑鉄の冑割りを離さないという変な老人が訪ねて

来るところなど︑皆この筆法で行なってある︒総じて一

方が当たり前なら一方が超然としているとか︑女や老人

を相手にするとか︑双方の性格なり気持ちなりが懸け隔へ

たっている場合に︑この手段は成功するものとみえる︒

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が︑全巻を通じて最も成功しているのは︑十章の下半︑

文明中学の生徒古井武右衛門君が苦沙弥先生のもとへ退

もん

校を心配して哀願に来る一節である︒武右衛門君は苦沙

弥先生の前に坐ったまま︑いつまでももじもじしている

ばかりで︑なんとも言い出さない︒

仕方がないから主人からとうとう表向きに聞き出し

た︒

﹁君遊びに来たのか︒﹂

﹁そうじゃないんです︒﹂

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﹁それじゃ用事かね︒﹂

﹁ええ少しお話しようと思って⁝⁝﹂

﹁うむ︒どんなことかね︒さあ話したまえ﹂と言うと︑

武右衛門君君下を向いたきり何にも言わない︒︵中略︶

主人も少々不審に思った︒

﹁話すことがあるなら早く話したらいいじゃないか︒﹂

﹁少し話しにくいことで⁝⁝﹂

、、、、、、、、、、

﹁話しにくい?﹂と言いながら︑主人は武右衛門君の

顔を見たが︑先方は依然として俯向きになってるから︑

何事とも鑑定ができない︒やむを得ず語勢を変えて︑

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﹁いいさ︒なんでも話すがいい︒ほかに誰も聞いてい

やしない︒わたしも他言はしないから﹂と穏やかにつ

け加えた︒﹁話してもいいでしょうか?﹂と武右衛門

君はまだ迷っている︒

﹁いいだろう﹂と主人は勝手な判断をする︒

﹁では話しますが﹂と言いかけて︑毬栗頭をむくりと

いがぐり

持ち上げて主人の方をちょっとまぶしそうに見た︒

︵中略︶

﹁実はその⁝⁝困ったことになっちまって⁝⁝﹂

﹁なにが?﹂

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﹁なにがって︑はなはだ困るもんですから︑来たんで

す︒﹂

﹁だからさ︑なにが困るんだよ︒﹂

﹁そんなことをする気はなかったんですけれども︑浜

田が貸せ貸せと言うもんですから⁝⁝﹂

﹁浜田というのは浜田平助かい︒﹂

﹁ええ︒﹂

﹁浜田に下宿料でも貸したのかい︒﹂

﹁なにそんなものを貸したんじゃありません︒﹂

﹁じゃなにを貸したんだい︒﹂

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﹁名前を貸したんです︒﹂

﹁浜田が君の名前を借りてなにをしたんだい︒﹂

﹁艶書を送ったんです︒﹂

えんしょ

﹁なにを送った?﹂

﹁だから名前はよして︑投函役になると言ったんで

す︒﹂

﹁なんだか要領を得んじゃないか︒いったい誰がなに

をしたんだい︒﹂

﹁艶書を送ったんです︒﹂

﹁艶書を送った?

誰に?﹂

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﹁だから話しにくいというんです︒﹂

、、、、、、、、、、、、、、

﹁じゃ君が︑どこかの女に艶書を送ったのか︒﹂

﹁いいえ︑ぼくじゃないんです︒﹂

﹁浜田が送ったのかい︒﹂

﹁浜田でもないんです︒﹂

﹁じゃ誰が送ったんだい︒﹂

﹁誰だかわからないんです︒﹂

、、、、、、、、、、、

﹁ちっとも要領を得ないな︒では誰も送らんのかい︒﹂

﹁名前だけはぼくの名なんです︒﹂

﹁名前だけは君の名だって︑なんのことだかちっとも

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わからんじゃないか︒ちっと条理を立てて話すがいい︒

元来その艶書を受けた当人はだれか︒﹂

﹁金田って向こう横丁にいる女です︒﹂

﹁あの金田という実業家か︒﹂

﹁ええ︒﹂

﹁で︑名前だけ貸したとはなんのことだい︒﹂

﹁あすこの娘がハイカラで生意気だから艶書を送った

んです︒

︱浜田が名前がなくちゃいけないって言い

ますから︑君の名前を書けって言ったら︑ぼくのじゃ

つまらない︒古井武右衛門のほうがいいって

︱そ

もん

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れでとうとうぼくの名を貸してしまったんです︒﹂

﹁で︑君はあすこの娘を知っているのか︒交際でもあ

るのか︒﹂

﹁交際もなにもありゃしません︒顔なんか見たことも

ありません︒﹂

﹁乱暴だな︒顔も知らない人に艶書をやるなんて︑ま

あどういう料簡で︑そんなことをしたんだい︒﹂

﹁ただみんながあいつは生息気でいばってるっていう

から︑からかってやったんです︒﹂

﹁ますます乱暴だな︒じゃ君の名を公然と書いて送っ

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たんだな︒﹂

﹁ええ文章は浜田が書いたんです︒ぼくが名前を貸し

て︑遠藤が夜あすこの宅まで行って投函してきたんで

す︒﹂

﹁じゃ三人で共同してやったんだねえ︒﹂

﹁ええ︑ですけれども︑あとから考えると︑もしあら

われて退学にでもなると大変だと思って︑非常に心配

して二︑三日は寝られないんで︑なんだかぼんやりし

てしまいました︒﹂

﹁そりゃまたとんでもないばかをしたもんだ︒それで

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文明中学二年生古井武右衛門とでも書いたのか︒﹂

﹁いいえ学校の名なんか書きやしません︒﹂

﹁学校の名を書かないだけまあよかった︒これで学校

の名が出てみるがいい︒それこそ文明中学の名誉に関

する︒﹂

﹁どうでしょう︑退校になるでしょうか︒﹂

﹁そうさな︒﹂

﹁先生︑ぼくのおやじさんは大変やかましい人で︑そ

れにおっ母さんは継母ですから︑もし退校にでもなろ

ままはは

うもんなら︑ぼかあ困っちまうです︒本当に退学にな

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るでしょうか︒﹂

﹁だから滅多な真似をしないがいい︒﹂

﹁する気でもなかったんですが︑ついやってしまった

んです︒退校にならないようにできないでしょうか﹂

と武右衛門君は泣き出しそうな声をしてしきりに哀願

におよんでいる︒

三人共同で艶書を送るということがまじめな恋とは釣

り合わないやり方で︑その不調和がこの滑稽の基礎にな

っているが︑例によって両方の気持ちのそれ工合が興味

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の大半を占めているのである︒武右衛門君がおどおどし

て︑こういう会話には不慣れなところへ︑一方は名にし

負う超然たる苦沙弥先生である︒そのとんちんかんな会

話をとんちんかんなりにどこまでも引っ張っていくとこ

ろに︑作者の手腕を見る︒

第一によほど頭脳のよい作者でなければ︑この芸当は

打てない︒縺れた糸を縺れたままにうっちゃっておくの

なら︑誰にでもできる︒他人には縺れたように見えて︑

作者はちゃんとその縫れ糸を解かす筋道を握っていなけ

ればならないからである︒作者の頭脳がよいというほか

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に︑いかにその写実的な眼光と手腕とを具えていられた

そな

かをうかがうに足るものがある︒

古井武右衛門君の逸話にはどんなモデルがあったか︑

つい聞き漏らした︒おそらくそんな者は一つもない︒た

だ先生の頭から生み出されたものであろうが︑私が親し

く知っている人物について一例を挙ぐれば︑苦沙弥先生

の不在中に迷亭が上がり込んで先生の細君と談話をして

いるうちに︑月並みという問題が出て︑細君の舌鋒なか

ぜっぽう

なか鋭く︑さすがに駄弁家の迷亭先生も少々たじろぐと

ころがある︒

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﹁月並みですか︑月並みというと

︱さよう︑ちと説

明しにくいのですが⁝⁝﹂

﹁そんな曖昧なものなら月並みだってよさそうなもの

じゃありませんか﹂と細君は女人一流の論法で詰め寄

せる︒

﹁曖味じゃありませんよ︑ちゃんとわかっています︑

ただ説明しにくいだけでさあ︒﹂

﹁なんでも自分のきらいなことは月並みと言うんでし

ょう﹂と細君は我知らず穿ったことをいう︒

うが

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最後の一句を耳にするとき︑私はこの細君の声の色ま

ではっきりわかるような気がする︒それほど真に逼るも

のがあるのである︒めんどうだからいちいち例は挙げな

いが︑寒月君についても同様の感がある︒つまり先生と

いう人は︑知らん顔をしていて︑いつのまにかそんな細

かい癖まで見ていられるのである︒

﹃ホトトギス﹄一派によって唱導せられた写生文なるも

のがある︒﹃猫﹄も最初はこの写生文の一例として作ら

れたものらしい︒写生文とはどんなものかというに︑私

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の見るところでは︑やはり一種の写実主義の運動にすぎ

ない︒ただ我邦の写実主義が平面描写とか唱えて︑材料

の無選択を標榜するに対して︑写生文派のほうでは俳味

というようなものの眼から一種の選択を加えた︒つまり

写実の文章に俳味を加味したものが写生文である︒

こう簡単に片付けたのでは︑あるいは写実派も写生文

派も双方に不服があるかもしれないが︑だいたいからい

ってこの断案にまちがいはあるまい︒俳味は写生文の特

徴をなすものである︒そして﹃猫﹄は写生文の長いもの

であるとすれば︑﹃猫﹄の特徴もまた俳味であると言わ

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なければならない︒私の信ずるところによれば︑﹃猫﹄

の滑稽味はこの俳味から導かれ︑俳味が一転して滑稽味

となったものである︒

俳味は︑俳句に表われた趣味というほどの意味である︒

ところで︑俳句はものの調和を主とする文学である︒こ

れに反して︑滑稽文学はものの不調和をうかがうもので

ある︒調和を主とするのと不調和をうかがうのとでは︑

一見したところとても一つにはならない︒が︑不調和と

いっても︑その実調和の一種である︑消極的の調和であ

る︒俳味と滑稽味とのあいだには見逃しがたい共通の点

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がある︑ほかでもない︑両者のそれを味わう態度である︒

俳味なり滑稽味なりに味到するためには︑双方とも人

みとう

情を離れなければならない︑道徳的観念を抽出しなけれ

ばならない︒前に挙げた古井武右衛門君の例にしてから

が︑むやみに武右衛門君に同情して︑ああかわいそうだ︑

こんな小心な男を退校させては気の毒だなぞと思ってい

ては︑かんじんの滑稽感は味わわれない︒また︑学生の

分際として妙齢の処女に艶書を送るなぞは不都合だなぞ

と思っていても同様である︒つまりあの場合︑あの事件

に対して滑稽を感じた以上︑知らず識らず人情も道徳も

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無視した態度で武右衛門君に対していたものと言わなけ

ればならない︒俳味に関してもそのとおりである︒

俳諧にはよく泥棒を詠んだ句がある︒蕪村にも﹁盗人

ぬすびと

の屋根に消え行く夜寒哉﹂というのがあるが︑これも盗

よざむかな

人を道徳的に非難したり︑泥棒にはいられた家の人を気

の毒がったりしていては︑この句の趣味はわからない︒

ただ人情も道徳も超越して︑屋根に消え行く盗人と夜寒

との調和を味わいさえすればよい︒そして︑それはまた

滑稽味に参するうえに必要な態度にほかならない︒

蕪村の句には未だ滑稽味というほどのものも見られな

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いが︑太祇の﹁盗人の狐に逢ひぬ瓜畑﹂なぞになると︑

たいぎ

ぬすびと

明らかにそれが見られる︒さらに几董の﹁盗人に縄かけ

きとう

らるる南瓜哉﹂にいたっては︑むしろ滑稽を主として駄

かぼちゃかな

洒落に堕したものと言えよう︒かくのごとく俳味と滑稽

味との間には離れがたい因縁がある︒

はたせるかな﹃猫﹄を開けて見ると︑ちゃんと泥棒が

書いてあるから妙だ︒よくよく泥棒は俳味に富んだもの

とみえる︒もっとも﹃猫﹄の中に現われる泥棒は︑怖ろ

しい泥棒でもなければすごい泥棒でもない︒葛籠とまち

つづら

がえて山の芋を背負い出すような︑きわめて愛嬌がある

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奴である︒またそれなればこそ︑滑稽の材料にもなるの

である︒

で︑この一例からすぐ結論に到達するのは少々早いか

もしれないが︑だいたいからいって﹃猫﹄の滑稽味は︑

俳味から脱化したものと見て差しつかえあるまい︒すな

だっか

わち東洋の文学にのみ特有な俳味というものがある︒私

は﹃トリストラム・シャンデー﹄を読んでいないからな

んとも言われないが︑先生の個性からくる相違を別にし

て︑この俳味なるものがスターンの作には見られない︑

﹃猫﹄の一大特色をなしていると断言してもよかろう︒

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俳味といえば禅味を連想する︒ただ禅を説くことは容

易でない︒禅を知らずして禅味を説くのはなおさら危険

である︒前に俳味に味到するためには︑人情も道徳も超

越しなければならないと言った︒一種の解脱にほかなら

ない︒そして︑このごとき境地のありがたみを教うるも

のが禅である︒ただ禅は人情や道徳を超越するばかりで

なく︑生死を離脱せよという︒俳味による解脱はそんな

むずかしいものではない︒禅が一生の解脱なら︑俳味は

一瞬の解脱である︒

ところで︑俳味にはものの調和を味わうのと不調和を

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うかがうのと二方面がある︒前者はいわゆる物の美であ

って︑後者は前にも挙げた滑稽味である︒﹃一夜﹄は先

生の作中にあって︑禅味というようなものをそのまま具

体化しようとしたのらしく︑神韻縹渺たる作であるが︑

しんいんひょうびょう

あの中に﹁画から女が脱け出るより︑あなたが画になる

ほうがやさしゅうござんしょ﹂と言うところがある︒こ

れは美と同化することによって得られる解脱を説いたも

のであろう︒なお﹁草枕﹂一篇はやはりこの﹁美と同化﹂

による解脱を主題としたものと見てもいい︒あれがこの

方面の代表作である︒滑稽味によるも一時の解脱が得ら

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れることは再三述べたから︑ここには説かない︒

﹃猫﹄の中ではこの禅味と滑稽味とがないまぜになっ

て︑一種の上品な諧謔を構成している︒たとえば︑前

かいぎゃく

に引用した︑上野へ虎の鳴き声を聞きに行こうという場

面でも︑苦沙弥先生のあの超然とした︑禅味を帯びた性

格なればこそ︑ああいったような返辞も出る︒またあの

返辞があって︑はじめてああいう工合に相手をそらすこ

ともできるのである︒あの問答は見ようによっては︑い

わゆる禅機を弄するものと言われるかもしれない︒鼻毛

ぜんき

で細君を追い払う苦沙弥先生についても︑同様のことが

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言われよう︒

なお﹃猫﹄には︑前後を通じて︑よくはわからないが

禅語もしくは禅の公案めいた文句︑たとえば﹁露地の白

牛﹂だとか︑﹁電光影裏に春風を斫る﹂んだとか︑﹁薫

えいり

しゅんぷう

風南より来って︑殿角微涼を生ず﹂とか︑﹁鉄牛面の

きた

でんかくびりょう

てつぎゅうめん

鉄牛心︑牛鉄面の牛鉄心﹂とかいったような類の文句

たぐい

が頻々として出てきて︑その意味は私にはわからない︒

ひんぴん

おそらく誰に聞いたってよくはわかるまい︒が︑一種の

気持ちだけはどうやらわかるような気もする︑まあそれ

だけでよかろう︒

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滑稽味によるも一時の解脱はできると言ったが︑一時

的の解脱だけに︑人情や道徳を超越するといっても︑あ

る程度を越せば滑稽味のほうで退却してしまう︒白刃を

見て眉毛一筋動かさないのは禅味のことである︒白刃を

見て腰を脱かすのが滑稽味である︒

前に挙げた泥棒の例にしてからが︑あれが白刃を畳に

突き剰してすごい文句を並べるような強盗では︑ちょっ

と滑稽味になりにくい︒苦沙弥先生が破産しなければな

らぬほどたいした金目の物を盗んで行っても︑やはり都

合が悪い︒山の芋を盗んで行ってくれたおかげで︑ちょ

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うどよい工合に滑稽が成立したのである︒古井武右衛門

君の場合でもそのとおりである︒あれがもし本気に金田

の令嬢へ艶書でも送って︑それが曝れそうになった結果︑

苦沙弥先生の宅へ泣きついてきたのでは滑稽味にはなり

かねる︒

いくら道徳観念を抽出しなければならないといって

も︑事件そのものがそれを抽出しうるほどに軽快なもの

でなければ駄目である︒要するに軽快ということが条件

である︑軽快でなければ滑稽は成り立たない︒すでに軽

快でなければ滑稽にならないとすれば︑一転してそれが

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落語趣味になることは自然の数だと言える︒

すう

﹃猫﹄の中にはずいぶん落語を想い出させるような洒落

が織り込まれている︒二回目の︑車屋の黒と﹁吾輩﹂と

が茶畠で話している中に︑﹁吹子の向こう面﹂だの﹁正

ふいご

づら

月野郎﹂だのという罵詈の文句が黒の口から連発される︒

前者は私にもわからないが︑後者がおめでたい野郎とい

う意味であるのは言うまでもない︒それからしばらくい

くと︑﹁どうせぼくらは行徳の俎板という格だからな

ぎょうとく

まないた

ア﹂と言って︑迷亭君がひとりで笑うところがある︒﹁行

徳の俎板﹂というのは﹁深川の飯台﹂と言うのと同じよ

はんだい

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うに︑ばか︵貝の名︶ですれてるというほどの意味であ

、、

る︒いずれも話家が高座の上から御機嫌をうかがう洒落

の一つにすぎない︒

先生は知らるるとおり江戸ッ児である︒そして︑少年

時代から講釈や落語が好きで︑毎日のようにその寄席へ

通われたということだ︒それかあらぬか先生の書かれる

ものには︑まじめに聞いているといつのまにかとんでも

ない洒落になって︑担がれたような気のすることがたび

たびある︒ことにそれが若い時代のものにはなはだしい︒

熊本の﹃龍南海雑誌﹄に出ている﹃人生﹄と題する小

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品には︑﹁不平なるは︑放たれて沢畔に吟じ︑壮烈なる

は匕首を懐にして不測の秦に入り︑頑固なるは首陽山

あいくち

ふところ

しん

しゅようざん

の薇に余命を繋ぎ︑世を茶にしたるは竹林に髯を拈り﹂

ぜんまい

ひげ

ひね

など︑大いにシナの烈士︑壮士︑隠士が並べ立ててある

いんし

から︑その気でいると︑すぐその後へもってきて︑﹁図太

ずぶと

きは南禅寺の山門に昼寝して王法を懼れず﹂とある︒誰

おそ

のことかと思うと芝居でする石川五右衛門だから驚く︒

これに似たので﹁蘭は幽谷に生じ︑剣は烈士に帰し︑

鬼は鉄棒を振り回す﹂というのが︑﹁文壇に於ける平等

主義の代表者ウォルト・ホイットマンの詩について﹂と

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題するまじめな論文の中に出てくるのだから︒まったく

本人の癖だと言わなければならない︒

ついでだから言うが︑比較的後年の作なる﹃趣味の遺

伝﹄の中にも︑﹁瓢箪の中から折れたと同じでしめく

、、、

ひょうたん

くりがつかぬ﹂という洒落だか形容だかが︑ひとりの息

、、

子を戦地でなくしたお婆さんを慰めようとして︑もてあ

ますところに使ってある︒これなぞは少々脱線の気味だ

と言っていい︒でなくとも︑若い時代のものなぞは江戸

ッ児を振り回した気味合いもあって︑だいぶ鼻につくと

も言われよう︒

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が︑﹃猫﹄の中のそれは垢抜けのしたもので︑またそ

れぞれに成功をも収めている︒第十一章の始め独仙君と

迷亭君が碁を打っているあたりは︑駄洒落ではあるが︑

うまいものだと言わざるを得ない︒﹁無絃の素琴を弾じ

むげん

そきん

だん

さ﹂﹁無線電信をかけかね﹂に始まって︑

﹁迷亭君︑君の碁は乱暴だよ︒そんな所へはいって来

る法はない︒﹂

﹁禅坊主の碁にはこんな法はないかもしれないが︑本

因坊の流儀じゃ︑あるんだから仕方がないさ︒﹂

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﹁しかし死ぬばかりだぜ︒﹂

﹁臣死をだも辞せず︑いわんや︑彘肩をやと︑一つ︑

、、、、、、、、

ていけん

こういくかな︒﹂

﹁そうお出でになったと︑よろしい︒薫風より来って︑

いで

殿角微涼を生ず︒こうついておけば大丈夫なものだ︒﹂

でんかくびりょう

﹁おや︑ついだのはさすがにえらい︒まさかつぐ気遣

いはなかろうと思った︒ついでくりゃるな八幡鐘をと︒

、、、、、、、、、、、、

こうやったらいかがするかね︒﹂

﹁どうするも︑こうするもないさ︒一剣天に倚って寒

︱ええめんどうだ︒思い切って︑切ってしまえ︒﹂

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﹁やや大変大変︒そこを切られちゃ死んでしまう︒お

い冗談じゃない︑ちょっと待った︒﹂

﹁それだから︑さっきから言わんことじゃない︑こう

なってる所へははいれるものじゃないんだ︒﹂

﹁はいって失敬つかまつり候︒ちょっとこの白とって

、、、、、、、、、、、、

くれたまえ︒﹂

﹁それも待つのかい︒﹂

﹁ついでにその隣のも引き揚げてみてくれたまえ︒﹂

﹁ずうずうしいぜ︑おい︒﹂

﹁Doyou

seethe

boy

か︒

︱なに君とぼくの間柄じ

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ゃないか︒そんな水臭いことを言わずに引き揚げてく

れたまえな︒死ぬか生きるかという場合だ︒しばらく︑

しばらくって花道から駈け出してくるところだよ︒﹂

﹁そんなことはぼくは知らんよ︒﹂

﹁知らなくってもいいからちょっとどけたまえ︒﹂

﹁君さっきから︑六ぺん待ったをしたじゃないか︒﹂

﹁記憶のいい男だな︒向後は旧に倍し待ったを仕

こうご

きゅう

つかまつ

り候︒だからちょっとどけたまえと言うのだあね︒

そうろう

君もよっぽど強情だね︒坐禅なんかしたら︑もう少

しさばけそうなものだ︒﹂

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﹁しかしこの石でも殺さなければ︑ぼくのほうが少し

負けになりそうだから⁝⁝﹂

﹁君は最初から負けてもかまわない流儀じゃないか︒﹂

﹁ぼくは負けてもかまわないが︑君には勝たしたくな

い︒﹂云

々というところは︑小さんの﹃碁泥棒﹄でも聴いて

るようである︒そして﹃碁泥棒﹄よりも新式で上品であ

るだけに︑いっそうおもしろい︒こんなふうな落語めい

た駄洒落は﹃猫﹄の中では︑迷亭君が専門に引き受けて

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いるらしい︒同君の駄洒落には︑このほかにもまだ記憶

するに足るような︑きびきびしたのがいくらもある︒

相手が容易に石を下ろさないのをもどかしがって︑﹁さ

あ︑独仙君どうか早く願おう︒けいまさの白じゃない

せりふ

が︑秋の日は暮れやすいからね﹂と言うのは︑洒落とい

うわけではないが︑まア一種の声色で︑口から先へ生ま

こわいろ

れた江戸ッ児の言いそうな軽口には相違ない︒けいまさ

というのは︑重の井子別れの芝居の沓掛村姥が餅の段に

しげ

くつかけむらうば

出てくる座頭のことである︒も少し先へいったところに

ざとう

は︑

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﹁とにかくこの勢いで文明が進んでいった日にゃ︑ぼ

くは生きてるのはいやだ﹂と主人が言い出した︒

﹁遠慮は入らないから死ぬさ﹂と迷亭が言下に道破す

る︒

﹁死ぬのはなおいやだ﹂と主人がわからぬ強情を張る︒

﹁生まれる時には誰も熟考して生まれる者はありませ

んが︑死ぬ時には誰も苦にすると見えますね﹂と寒月

君がよそよそしい格言を述べる︒

﹁金を借りる時にはなんの気なしに借りるが︑返す時

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にはみんな心配するのと同じことさ﹂とこんな時にす

ぐ返辞のできるのは迷亭君である︒

というような問答がある︒またその先には︑

﹁ピサゴラス曰く︑天下に三の恐るべきものあり︑曰

いわ

く火︑曰く水︑曰く女︒﹂

﹁ギリシアの哲学者なんて存外迂闊なことを言うもの

うかつ

だね︒ぼくに言わせると︑天下に恐るべきものなし︑

火に入って焼けず︑水に入って溺れず⁝⁝﹂だけで独

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仙君ちょっと行き詰まる︒

﹁女に逢ってとろけずだろう﹂と迷亭先生が援兵に出

る︒

というのもある︒これらの例はもはや駄洒落ではない︑

りっぱなウィットである︒目も留まらぬような頓才の閃

とんさい

きがある︒

ところで︑迷亭先生は︑いったい誰をモデルにしたも

のだろう︒苦沙弥先生は中学教師ということになっては

いるが︑作者自身の変身であることは疑いをいれない︒

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九回目には︑ひとかたならずあばたを気にして︑鏡に向

、、、

かっていろいろ研究したうえ︑これでも小さい時にはだ

いぶ柳の虫や赤蛙のご厄介になったものだと告白してい

られるような動かぬ証拠もある︒

人の知らない頭の真ん中の禿を摘発された苦沙弥先生

の奥さんは言うにもおよぶまい︒寒月先生もそれぞと思

われる見当がつく︒かく重要の人物はそれぞれ見当がつ

付られる中に︑迷亭先生ばかりはどうしてもそれがわか

らないが︑作者自身に聞いてみたら︑おそらくはにやに

や笑みを含んで︑﹁迷亭はやはりおれだよ︒おれの一面

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671

にはああいうところがあるのさ﹂と言われるに違いない︒

ついでながら︑﹃猫﹄は滑稽小説とはいうものの︑滑

稽の中に真理もあり︑まじめな先生の意見もある︒そう

いう意見の中に︑ことに目に立つのは第十一回目︑巻末

に近いところへ出てくる苦沙弥先生の夫婦観である︒あ

の近代文明における個性の発展の結果︑人間と人間との

折れ合いがむつかしくなって︑まず親子が分かれる︒次

には夫婦が分かれる︒﹁わかれる︒きっとわかれる︒天

下の夫婦はみんな分かれる﹂と説くあたりは︑一概に冗

談とばかりは受け取れない︒調子からしてむきである︒

、、

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﹁とにかく人間に個性の自由を許せば︑お互いの間が窮

屈になるに相違ないよ︒ニーチェが超人なんか担ぎ出す

のも︑まったくこの窮屈のやり場がなくなってあんな哲

学に変形したものだね︒ちょっと見るとあれがあの男の

理想に見えるが︑ありゃ理想じゃない︑不平さ﹂と道破

されたあたり︑単なる紹介と踏襲との流行った当時にあ

って︑めずらしく一隻眼を具えた︑独自の批評と言わな

いっせきがん

そな

ければなるまい︒

迷亭や独仙がこんな気炎を挙げたあとで︑最後に苦沙

弥先生は﹁妻を持って︑女はいいものだなどと思うとと

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んだまちがいになる︒参考のためだから︑おれがおもし

ろいものを読ん聞かせる﹂と言いながら︑アリストート

ルやダイオジニアス︑ピサゴラスやソクラテスなぞの婦

人に対する意見を集めたものを読み上げる︒諸名家の意

見が皆女にとってありがたくないものばかりだ︒

みな

かくまで執拗に異性の非を挙げるということは︑気の

回りの早い読者に一種異様の暗示を与える︑また与えざ

ることを保しがたい︒が︑これら諸家の意見が当時の先

生の気持ちを語るものであるかどうかということは︑私

にはわからない︒

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正直に言えば︑私は苦沙弥先生と先生とを同一視して

読む︒読んで︑その間に先生の人格の機微にも触れ︑知

らず知らずその影響をも受けるように思う︒そして︑な

んらの不都合をも感じない︒

が︑ここに一つ︑私にはどうしてもわからぬことがあ

る︒それは苦沙弥先生の探偵に対する嫌悪である︒もち

ろん私も探偵をそれほどよい職業とも思わないが︑職業

として見たら︑探偵もその道徳的批判を除いて見てやる

ことはできなかろうか︒先生はなんだか自分自身が探偵

でもされているように︑それに対してほとんど個人的嫌

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悪の情を持していられるようにも見える︒

これは職業的探偵ではないが︑金田から苦沙弥先生の

探偵に使われているという車屋の上さんの場合も︑十章

かみ

の始めにご王人公が怒り出しさえすれば︑車屋の八ちゃ

はつ

んは必ず泣き出すべく上さんから命ぜられているなぞと

かみ

いうのも︑読者にはとてもわからない︒

また落雲館のいたずら生徒どもにしてからが︑あの放

課の時間中野球の練習をしながら︑﹁ぱちぱちぱちとわ

めく︑手を拍つ︑やれやれと言う︒あたったろうと言う︒

これでも利かねえかと言う︒恐れ入らねえかと言う︒降

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参かと言う﹂がごときは︑皆生徒同志がお互いに喚き合

わめ

ってるので︑決して苦沙弥先生に対して暴言を放ってる

わけではない︒これなぞは直截に言えば︑やや追跡狂の

気味があると言えば言われないこともあるまい︒

先生の天才とマニヤとの関係を説明するがためには︑

この探偵に対する極端な嫌悪は第一の徴症として取り上

げられるものであろう︒

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﹃倫敦消息﹄と﹃自転車日記﹄

﹃倫敦消息﹄と﹃自転車日記﹄とは先生が創作に筆を執

られた最初の試みであって︑また実に先生を有名にした

大作﹃吾輩は猫である﹄の先駆をなすものである︒厳密

にいえば︑この二篇とも最初から創作として書かれたも

のではない︑単に病友子規居士を見舞うために︑普通の

消息としてロンドンにおける自分の生活を報ぜられたも

のだが︑おもしろいからというので︑それが﹃ホトトギ

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ス﹄の誌上に発表せられた︒純然たる私信であって︑公

衆を眼の前に置いて筆を執られたものでない︒が︑それ

だけにまた先生の面目が躍如として出ている︒後年この

﹃倫敦消息﹄を単行本﹃色鳥﹄の中に入れようとして︑

先生みずから筆を加えられたものがある︒あとで筆を加

えられたほうは︑調ってはいるけれども︑どうも興味

ととの

が索然として︑やはり手紙のままのほうがよい︒

﹃倫敦消息﹄は引き続いて三回書かれている︒第一の消

息はロンドンの片田舎における下宿屋生活の直写で︑朝

起きて︑頤髭を剃って︑銅鑼の声を聞いて朝飯を食いに

あごひげ

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降りて行く︒それから新聞を読む︒芝居の広告を見て︑

いつかトリーの沙翁の﹃トエルフス・ナイト﹄を見たが︑

アービングの﹃コリオラナス﹄も見たいものだというよ

うな話から︑十一時から下町の先生のところへ行く︑そ

の汽車や地下電車の中の模様が書いてある︒純然たる私

信の体裁である︒

第二︑第三の消息には︑一冊でもよけいに書物を買っ

て帰りたいので︑非常な節約をしているというようなこ

とから︑散歩をするたびに自分の身丈が低いので気が引

ける︑たまたま一寸法師が向こうからやって来るので︑

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知己の感をしながら近づくと︑それが姿見に映った自分

の影であったりする︒よくシナ人やポルトガル人とまち

がえられる︒それから下宿の主婦さんに︑トンネルだの

ストローだのという英語を知っているかと聞かれたり︑

親切なお婆さんから進化という言葉の講釈を聞かされた

りして︑大いに閉口するところなぞがある︒こうなると︑

だいぶ﹃猫﹄に近い感じがする︒一寸法師の話なぞも先

生特有のユーモアである︒

最後に下宿屋の一家とともに︑ロンドンの北のはずれ

から南の端へ移転する前後の様子が書いてある︒その中

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でも下女の︑姓はペン綽名はベッジ・パードン君の挿話

あだな

は一篇の圧巻だと言わなければならない︒ベッジ・パー

ドンとは︑この女が﹁アイ・ベッグ・ユア・パードン﹂

と言うところを例のロンドン訛りでベッジ・パードンと

なま

言うように聞こえるところから︑先生のこの女に与えら

れた綽名である︒

で︑この下女が主人夫婦の留守中先生をつらまえて︑

差配人が家賃の催促に来た話をするところがある︒いわ

く︒

はたせるかな家内の者は皆新宅へ荷物を片付けに行

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ってがらんどうの中に残るは我輩とペンばかりであ

る︒彼は立板に水を流すがごとく滔々十五分ばかりノ

ベツになにか言っているが毫もわからない︒能弁なる

彼は我輩に一言の質問をもはさましめざるほどの速度

をもって弁じかけつつある︒吾輩は仕方がないから話

はわからぬものと諦めてペンの顔の造作の吟味にとり

かかった︒温厚なる二重瞼と先が少々逆戻りをして根

に近づいている鼻とあくまで紅に健全なる顔色とそ

くれない

して自由自在に運動を縦にしている舌と舌の両脇に流

れくる白き唾とをしばらくは無心にみつめていたが︑

つば

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やがて気の毒なようなかわいそうのようなまたおかし

いような五目鮨のような感じが起こってきた︒吾輩は

ごもくずし

この感じを現わすために唇を曲げて少しく微笑を漏ら

した︒無邪気なるペンはその辺に気のつくはずはない︒

自分の話に身が入って笑うのだと合点したと見えて赤

がてん

い頬に笑靨をこしらえてケタケタ笑った︒この頓珍漢

えくぼ

なる出来事のために吾輩はいよいよ変梃な心持ちにな

へんてこ

る︑ペンはますます乗り気になる︑始末がつかない︒

彼の言うところをあそこで一言ここで一句︑わかった

ところを総合してみるとこう言うのらしい︒昨日差配

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が談判に来た︒うちの女連はバツが悪いから留守を使

って追い返した︒この玄関払いの使命を全うしたの

まっと

がペンである︒自分は嘘をつくのはきらいだ︒神さま

にすまない︒しかし主命もだし難しでやむを得ず嘘を

ついた︒まずたいていここら当たりだろうと遠くの火

事を見るように見当をつけてようやく自分の部屋へ引

き下がった︒

と︑まずこんなふうだ︒こうなれば﹃猫﹄の一節と言

っても差しつかえない︒まったく﹃猫﹄のいきでいった

、、

ものである︒いや︑﹃猫﹄のほうがこのいきでいったも

、、

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のである︒﹃倫敦消息﹄を書いて具合がよかったので︑

日本へ帰ってから︑も一つあのいきでいってみようと思

、、

って︑﹃猫﹄を書き出されたものに相違ない︒

﹃吾輩は猫である﹄中篇の序に︑病子規が︑もう一度ロ

ンドンの消息を聞かせてくれと言ってきたことを追想し

て︑﹁子規がいきていたら﹃猫﹄を読んでなんと言うか

知らぬ︒あるいは﹃倫敦消息﹄は読みたいが﹃猫﹄は御

免だと逃げるかもわからない﹂と言っていられるのをみ

ても︑その間の消息がうかがわれるように思われる︒

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﹃自転車日記﹄は先生が在英中下宿の婆さんに勧められ

て︑自転車の稽古を始められたその実験談を書いたもの

だが︑これは前の﹃倫敦消息﹄よりもいっそう自由に︑

気がねなしに書きなぐったものである︒したがって︑ど

こか上ッ調子のようでもある︒あの先生にもこんな気分

があったんだなというようなところが見えておもしろ

い︒先

生自身もある時︑﹁おれは元来深刻なぞと言えるよ

うな人間ではない︒上ッ調子な︑薄ッペらな男に生まれ

ついてるんだよ﹂と︑反語だか自嘲だかわからないよう

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な面持ちをして言われたことがある︒あの厳粛な先生の

性格の一面に︑そういったような楽天的な江戸っ子の血

が流れていたことは争われない︒それがのちには﹃猫﹄

の中の迷亭先生ともなって表われるのである︒

読んでみると︑なるたけ人の通らない︑大道の横手の

馬乗場で稽古をしていて︑ヌーッと雲突くばかりの大巡

査から︑ここは馬に乗る所で自転車を乗る所でないから

あっちへ行けと叱られるところがある︒ペダルを回転さ

せんでもひとりでに自転車が走るようにと︑坂道で稽古

をしていたはいいが︑走り出すと今度はなかなか自転車

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がとまらない︒とうとう板塀に突き当たって︑﹁だいぶ

お骨が折れましょう﹂と巡査から慰労の言葉をたまわる

ところがある︒ある時はまた荷車と衝突しそうになって

も︑避ける術を知らないところからわざと落車して︑五︑

六間離れた所に退屈そうに立っていた巡査から笑われる

ところもある︒だいぶ巡査が引き合いに出る︒その後少

し乗れ出したので︑近所の街を乗り回っているうち︑急

に合図もなしに曲がり角を急角度に曲がって︑後から随

いて来た見知らぬ自転車乗りをものの見事に墜落させ

て︑﹁自分が落ちるかと思えば人を落とすこともある︒

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そんなに落胆したものでもない﹂と達観したところもあ

る︒前

の﹃倫敦消息﹄にしても︑またこれ﹃自転車日記﹄

にしても︑主要なる興味は滞英中の先生の生活が知られ

る︑先生の眼を通してロンドンの光景がうかがわれると

ころにあるが︑同時にこれが先駆となって︑﹃吾輩は猫

である﹄を生み出したところにもこの二作の意義がある

と言わなければならない︒

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﹃倫敦塔﹄と﹃カーライル博物館﹄

先生がロンドンに関して書かれたものには︑前の二篇

のほかに﹃倫敦塔﹄と﹃カーライル博物館﹄の二つがあ

る︒が︑これは滞英中に書かれたものでなく︑帰朝して

から筆を取られたので︑﹃倫敦塔﹄のほうは︑﹃吾輩は

猫である﹄と同じ月の誌上で発表されたのもおもしろい︒

そして︑この二つが沈滞せる当時の文壇に異常な反響を

引き起こし︑否応なく先生の天分を世間に認めさせた︒

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ことに︑﹃倫敦塔﹄が︑﹃猫﹄の機知に富んだ︑ユー

モラスな作であるのとは反対に︑想像の富贍な︑きわめ

ふせん

てロマンティックな小品であることは︑作家として先生

の多方面な天分を最初から暗示したものと言えよう︒

﹃倫敦塔﹄は作者が実際ロンドン塔を見物した折の回想

記で︑作者はまず着英後たよる知人もなく︑一枚の地図

を案内にして︑汽車に乗らず馬車にも乗れず︑道行く人

に訊き訊きロンドンの街を見物して回ったことを述べ︑

き﹃塔﹄を見物したのはあたかもこの方法によらねば外

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出のできぬ時代のことと思う︒来るに来る所なく去る

きた

に去る所を知らずというと禅語めくが︑よほどの路を

通って﹃塔﹄に達したかまたいかなる町を横ぎってわ

が家に帰ったか未だに判然しない︑どう考えても思い

はんぜん

出せぬ︒ただ﹃塔﹄を見物しただけはたしかである︒

﹃塔﹄そのものの光景は今でもありあり眼に浮かべる

ことができる︒前はと問われると困る︑後はと訊ねら

たず

れても返答し得ぬ︒ただ前を忘れ後を失したる中間が

会釈もなく︑明るい︒あたかも闇を裂く稲妻の眉に落

つると見えて消えたる心地がする︒ロンドン塔は宿世

しゅくせ

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の夢の焦点のようだ︒

と︑こう書き続ける︒これは現実を離れた︑夢とも現

うつつ

ともわからぬ過去の世界へ読者を誘い込もうとする作者

の手段で︑

︱手段と言うとことさらめく︒実際そうで

あったのかもしれないが︑とにかく結果は同じことであ

る︒先生は同じ手段を﹃草枕﹄でも使っていられる︒

で︑これだけの用意をしておいて︑作者はロンドン塔

の描写に取りかかった︒まず塔橋の上からテムズ河を距へ

てて︑﹁塔﹂を望んだ光景を描く︒﹁九段の遊就館を石

ゆうしゅうかん

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で造って二︑三十並べてそうしてこれを虫眼鏡でのぞい

たらあるいはこの﹃塔﹄に似たものができ上がりはしま

いか﹂という句はここにある︒それから塔門まで馳け着

けた︒門を入って振り返りながら︑

憂いの国に行かんとするものはこの門を潜れ︑

うれ

永劫の呵責に遭わんとするものはこの門をくぐ

かしゃく

れ︒云々

という句がどこぞに刻んではないかと思った︒余は

この時すでに常態を失っている︒

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とあるが︑確かに読者をも釣り込んでいっしょに常態

を失わせるだけの効果がある︒ここに掲げた詩は︑ダン

テの﹃神曲﹄から取ったものだそうな︒﹁空堀にかけた

石橋﹂を渡って︑丸形の中塔を見てから少し行くと︑左

手に鐘塔を仰ぐ︒

真金の盾︑黒金の冑が野をおおう秋の陽炎のごと

まがね

かぶと

かげろう

く見えて︑敵遠くより寄すると知れば塔上の鐘を鳴ら

す︒星黒き夜︑壁上を歩む哨兵の隙を見て︑逃れ出

しょうへい

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ずる囚人の︑逆しまに落とす松明の影より闇に消ゆる

さか

たいまつ

ときも塔上の鐘を鳴らす︒心おごれる市民の︑君の

非なりとて蟻のごとく塔下に押し寄せてひしめ

まつりごと

き騒ぐ時もまた塔上の鐘を鳴らす︒塔上の鐘は事あれ

ば必ず鳴らす︒ある時は無二に鳴らし︑ある時は無三

むさん

に鳴らす︒祖来る時は祖を殺しても鳴らし︑仏来る時

そきた

は仏を殺しても鳴らした︒

というような名文句のあるのもここである︒まったく

朗々として唱すべき文章だ︒私どもは最初この文章に接

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したとき︑何度ここのところを吟誦したかわからない︒

ぎんしょう

作者はそれから昔罪人を乗せた船を横づけにしたとい

う逆賊門の石垣の下をのぞいて︑血塔に行く︒この塔は

薔薇の乱に﹁目に余る多くの人を幽閉して﹂︑屍を積

しかばね

み河のごとく血をみなぎらしたということである︒作者

はここで想像を過去に走らせて︑エドワード四世の二王

子が幽閉されている光景を描いた︒母后エリザベスが王

ぼこう

子達に会いに来て︑会われずに帰る悲しいありさまを描

いた︒

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﹁いかにしても逢うことはかなわずや﹂と女がたずね

る︒

﹁お気の毒なれど﹂と牢守が言い放つ︒

ろうもり

﹁黒き塔の影︑堅き塔の壁︑寒き塔の人﹂と言いなが

ら︑女はさめざめと泣く︒

最後に二王子を殺した刺客の述懐が書いてある︒

それから血塔の下を抜けて︑白塔に移る︒白塔はロン

ドン塔の天主である︒ここでも想いは過去に返りがちで︑

リチャード一世がボーリンブローク侯爵に位を譲った光

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景が描かれている︒が︑さらにまた現在に還って︑有名

な武器陳列場に蒙古から献上したという日本の甲冑が並

べてあったことなぞを述べた後︑白塔を出る︒

次は仕置き場だ︒烏が一匹下りている︒﹁翼をすくめ

て︑黒い嘴をとがらせて人を見る︒百年碧血の恨みが凝

くちばし

へきけつ

って︑怪鳥の姿となって長くこの不吉の地を守るような

心地がする︒﹂楡の樹の上にも烏が一羽いた︑また一羽

にれ

どこからか飛んで来た︒そこにまた七つばかりの子供を

連れた若い女が見物に来ていた︒

子供は女を見上げて︑﹁鴉が寒そうだからパンを

からす

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やりたい﹂とねだる︒女は静かに﹁あの鴉は何もたべ

たがっていやしません﹂と言う︒子供は﹁なぜ﹂と聞

く︒女は長い睫が奥にただようているような眼で鴉

まつげ

を見詰めながら︑﹁あの鴉は五羽います﹂と言ったぎ

り子供の問いには答えない︒

作者は女が鴉の気分をわがことのごとくに言い︑三羽

しか見えぬ鴉を五羽いると断言するところから不審を起

こして︑﹁この女とこの鴉の間になにか不思議な因縁で

もありはせぬか﹂と疑っている︒ここでは想像が纏綿し

てんめん

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て︑過去と現在とが入り乱れている形である︒

次はいよいよポーシャン塔の番だ︒作者はあやしき女

を見捨ててこの塔に入った︒入る瞬間に﹁百代の遺恨の

結晶したる無数の紀念を周囲の壁上﹂に認めた︒﹁すべ

ての怨み︑すべての憤り︑すべての愁いと悲しみとは九

十一種の題辞となって︑いまになお観る人の心を寒から

しめている︒﹂

作者は長いあいだここに低徊して︑いろいろのことを

考えた︒去るわれのあとにむなしく残る墓碣や記念碑の

ぼけつ

いたずらなる反語にすぎざるを思うて︑﹁余は死ぬ時に

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702

辞世も作るまい︒死んだ後は墓碑も建ててもらうまい︒

肉は焼き骨は粉にして西風の強く吹く日大空に向かって

撒き散らしてもらおう﹂とまで大声疾呼していられるの

たいせいしっこ

もここである︒

作者は死を待つ人びとのこんな題辞を書くにいたった

心の中を想像して︑それを死よりも苦しい所在なさに帰

した︒またあくまで生きたいという人間の本能にも帰し

てみた︒ただ生きた一心に︑かれらは釘の折れを拾い︑

生爪を磨いだ︒斧の刃に肉飛び︑骨くだける明日を予期

したかれらは︑冷やかなる壁の上にただ一となり二とな

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703

り︑線となり字となって生きんと願った︒

﹁壁の上に残る縦横の疵は生を欲する執着の魂魄であ

こんぱく

る︒﹂﹁そう思って見るとなんだか壁が湿っぽい︒指先

で撫でて見るとぬらりと露にすべる︒指先を見ると真っ

赤だ︒﹂﹁十六世紀の血が滲み出したと思う︒壁の奥の

ほうから唸り声さえ聞こえる︒唸り声がだんだんと近く

なると︑それが夜を洩るるすごい歌と変化する︒﹂こう

書いてきて︑作者は地面の下の窖の中で斧を研いでい

あなぐら

る︑ふたりの首斬り役の対話と戯れ歌とを点出した︒

てんしゅつ

ここで﹁倫敦塔﹂の一篇は最高潮に達していると言って

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もいい︒

﹁昨日は美しいのをやったなあ﹂と髯が惜しそうに言

きのう

ひげ

う︒﹁いや︑顔は美しいが頸の骨はばかに堅い女だっ

た︒おかげでこのとおり刃が一分ばかりかけた﹂とや

いちぶ

けに轆轤を回す︑シュシュシュと鳴るあいだから火花

ろくろ

がピチピチと出る︒磨ぎ手は声を張り上げて唄い出す︒

切れぬはずだよ女の頸は恋の恨みで刃が折れる︒

シュシュシュと鳴る音のほかに聞えるものもない︒

カンテラの光が風に煽られて磨ぎ手の頬を射る︒煤の

あお

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上に朱を流したようだ︒﹁あすは誰の番かな﹂とやや

あって髯が質問する︒﹁あすは例の婆様の番さ﹂と平

ばあさま

気で答える︒

生える白髪を浮気が染める︑首を斬られや血が染

める︒

と高調子に歌う︒

首斬り役は首を斬るのが職業である︒職業の平気さで

もっていかがわしい戯歌を唄いながら︑刃のこぼれた斧

ざれうた

を磨ぐ︒その平気なところに一段の凄気を加えるものが

せいき

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706

ある︒

ここでまた過去の幻影から醒めて現実にかえる︒傍ら

には例の男の子を連れた怪しい女が立っていた︒男の子

が壁を見て︑﹁あすこに犬がかいてある﹂と言うと︑女

はきっとした口調で︑﹁犬ではありません︒左が熊︑右

が獅子で︑ダッドレー家の紋章です﹂と教える︒その言

葉の中に力が籠って︑あたかも己れの家名を名乗ってい

るように聞こえた︒

女はなお﹁この紋章を刻んだ人はジョン・ダッドレー

です﹂と言って︑ジョンの四人の兄弟が︑紋章の周りに

まわ

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707

刻んである草花で︑ちゃんとわかるともつけ加えた︒言

うだけ言ってしまうと︑それなり唇を閉じて黙っている︒

﹁見ると珊瑚のような唇が電気でもかけたかと思われる

さんご

までにぶるぶると顫えている︒蛇が鼠に向かった時の舌

ふる

の先のごとくだ︒﹂女はさらに紋章の下にある︑見えに

くい題辞の句をすらすらと誦した︒

しょう

作者はいよいよ不思議に思った︒ひとたびは現実に返

ったようなものの︑こうなると身は過去にあるか現在に

生きているかを疑わざるを得ない︒過去を過去として見

るとき︑私どもはなお現実の土台の上に立って︑他所な

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708

がらそれに対することもできる︒が︑過去か現在か判然

しない場合には︑私どもの立っている足場からしてぐら、、

つき出すのだからたまらない︒否でも応でも現実を離れ

、、

て︑過去の幻影の中へ引き摺り込まれていく︒作者はこ

の効果の多い手段を取るために︑この子供を連れた女を

捻出されたものと見なければならない︒

最後に作者は壁の上に正しい画で︑小さくジェーンと

かく

書いた文字を見つけた︒ジェーンはギルフォード・ダッ

ドレーの妻で︑﹁義父と所天の野心のために十八年の

しょてん

春秋を罪のうして惜し気もなく刑場に売った︒﹂首斬

しゅんじゅう

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り役は先刻窖の中で野卑な歌を唄っていた奴である︒

あなぐら

女は白きハンケチで目隠しをしたまま︑両の手で首を載

せる台を探るような風情に見えた︒ふとその顔を見て驚

いた︒﹁眼こそ見えね︑眉の形︑細き面︑なよやかな

おもて

る頸のあたりにいたるまで︑先刻見た女そのままであ

くび

る︒﹂ここにも現実と幻影︑過去と現在とが入り乱れて

いる︒女と坊さんとのあいだに二︑三の問答があって︑

やがて僧は返す言葉もなく黙した︒

女はやや落ちついた調子で︑﹁わが夫が先なら追い

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つこう︑あとならば誘うて行こう︒正しき神の国に︑

正しき道を踏んで行こう﹂と言い終わって︑落つるが

ごとく首を台の上に投げかける︒

なんという目に見るごとき光景であろう︒やがて首斬

り役が斧を取り直して︑ええというかけ声とともに︑﹁余

の洋袴の膝に二︑三点の血がほとばしると思ったら︑す

ズボン

べての光景が忽然と消えうせた︒﹂どこまでも現実と幻

影との錯綜である︒

﹁あたりを見回すと男の子を連れた女はどこへ行ったか

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影さえ見えない︒狐に化かされたような顔をして︑茫然

と塔を出る︒﹂外は小糠雨が降っていた︒宿へ帰って︑

こぬかあめ

今日は塔を見物してきたと話したら︑

主人が鴉が五羽いたでしようと言う︒おやこの主

からす

人もあの女の親類かなと内心大いに驚くと︑主人は笑

いながら﹁あれは奉納の鴉です︒昔からあすこに飼っ

ているので︑一羽でも不足すると︑すぐあとをこしら

えます︒それだからあの鴉はいつでも五羽に限ってい

ます﹂と手もなく説明する︒

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また壁の題辞のことを話すと︑

主人は無造作に﹁ええ︑あの落書きですか︑つまら

ないことをしたもんで︑せっかく綺麗な所を台なしに

きれい

してしまいましたねえ︒なに罪人の落書きだなんて当

てになったもんじゃありません︑贋もだいぶありまさ

にせ

あね﹂とすましたものである︒

最後に美しい女に逢ったことと︑その女がわれわれの

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知らないことを知っていたり︑とうてい読めない字をす

らすら読んだことなぞを不思議そうに話し出すと︑

主人は大いに軽蔑した口調で︑﹁そりゃ当たり前で

さあ︑皆あすこへ行くときにゃ案内記を読んで出かけ

るんでさあ︒そのくらいのことを知ってたってなにも

驚くにゃ当たらないでしょう︒なに頗る別嬪だっ

すこぶ

べっぴん

て?

ロンドンにゃだいぶ別嬪がいますよ︑少し気を

つけないと険呑ですぜ﹂ととんだところへ火の手があ

けんのん

がる︒

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この主人なかなか洒落者だ︒それにロンドンっ子とい

うよりはむしろ江戸っ子らしいところが︑私どもには親

しみがある︒いままでの空想的な幻影を滅却するために︑

この親しみのある︑写実的な口調を用いたところにも︑

作者の用意を見るべきである︒いや︑作者の用意という

よりは︑この主人も作者自身の変形であると言ったほう

がいいかもしれない︒

一篇を通観するに︑まずロンドン塔の忠実な記事があ

る︒それから過去にさかのぼって︑歴史の戯曲的な描写

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がある︒過去の幻影と目前の事象との入り乱れたる錯覚

があって︑それによって︑いっそう不可思議な境地に読

者を連れていく︒最後に写実的な一場があって︑それま

で積み上げてきた幻影を一度に打ち壊して幕を閉じる︒

こわ

外国を舞台にとったことも当時にあってはめずらしかっ

だが︑構想の上からいっても誠に稀代の作と言わなけれ

きだい

ばならない︒

同じくロンドンを舞台とした小品に︑﹃カーライル博

物館﹄がある︒﹃倫敦塔﹄が塔の見物記であるように︑

これもトマス・カーライルの旧宅の見物記である︒ただ

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同じ見物記でありながら︑行き方はまるで違っている︒

前者が華やかな空想に充ちた︑ロマンティックの匂い高

い作品であるのに対し︑後者はいわばそれを素で行った

きじ

ような︑平淡な写生文風の小品である︒そして︑かよう

にがらりと態度を変えられたことは︑チェルシーの聖者

とまで呼ばれた︑素朴なカーライルの面目を偲ぶうえに︑

しの

きわめて自然でまた必要な措置と言わなければならな

い︒最

初テムズ河を越えて対岸の霧を描写したあたりは写

生文の上乗なるものだ︒

じょうじょう

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余は晩餐前に公園を散歩するたびに川縁の椅子に腰

かわべり

をおろして向こう側を眺める︒ロンドンに固有なる濃

霧はことに岸辺に多い︒余が桜の杖に頤を支えて真正

あご

面を見ていると︑はるかに対岸の往来をはい回る霧の

影はしだいに濃くなって︑五階建ての町続きの下から

漸々このたなびくものの裏に薄れ去ってくる︒しまい

ぜんぜん

には遠き未来の世を眼前に引き出だしたるように窈然

ようぜん

たる空の中にとりとめのつかぬ鳶色の影が残る︒その

とびいろ

時この鳶色の奥にぽたりぽたりと鈍き光が滴るよう

にぶ

したた

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に見え初める︒三層四層五層ともにガスを点じたので

ある︒余は桜の杖を曳いて下宿の方へ帰る︒帰るとき

必ずカーライルと演説使いの話を思い出す︒彼の溟濛

めいもう

たるガスの霧に混ずるところが往時この村夫子の住ん

こん

そんぷうし

でおったチェルシーなのである︒

私はロンドンを知らないけれど︑ロンドンという街は

全然絵にならない街のように想われる︒その絵にならな

い街から絵になる部分を抽き出して︑霧と河とを使って

パノラマのような光景を見せてくれたのは︑ひとえに作

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者の筆の力である︒この絵のような光景それ自身もおも

しろいが︑それを見ている作者自身の姿はいっそうおも

しろい︒岸辺のロハ台に腰をおろして︑桜の杖に頤を支

えたまま︑対岸の家屋に灯の点くまでじっと真正面を眺

めている︒そして︑灯が点いてからこつこつと下宿へ帰

っていく︒チェルシーの聖者の旧宅を見舞うべく︑なん

とふさわしい作者の風丰であろう︒カーライル博物館の

ふうぼう

見物記がおもしろいのは︑主として見物した者がこの作

者であるからであろう︒

作者はまずカーライルの旧宅のあるチェイン・ローの

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720

古今の様子から説き起こし︑家の格好を説き︑カーライ

ル夫婦が田舎から出て来て︑この家に住居を定めた因縁

まで説いた︒

いわく︑﹁四千万の愚物と天下を罵った彼も住居には

閉口したと見えて︑その愚物の中に当然勘定せらるべき

細君へ向けて︑委細を報知してその意向を確かめた︒︵中

略︶カーライルは書物の上でこそ自分独りわかったよう

ひと

なことを言うが︑家をきめるには細君の助けによらなく

ては駄目と覚悟をしたものと見えて︑夫人の上京するま

で手を束ねて待っていた﹂と︒この細君をばかにしなが

つか

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ら深く細君を手頼りとしてかわいがっているところな

ど︑当年における作者自身の気持ち

︱気持ちというよ

りはむしろ理想

︱を表わしたもののような気がする︒

﹃猫﹄以来正義のために闘ってきた作者と︑偽善退治を

一生の仕事としたカーライルと似たところのあるのは言

わずもがな︑この一篇ではカーライルと作者とがぴった

り一枚になっているように想われる︒

で︑いよいよその旧宅へ乗り込んだ︒入口で名簿に署

名してから︑案内人に連れられて︑各部屋を見て回る︒

﹁うしろの部屋にカーライルの意匠になったという書棚

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がある︒それに書物がたくさん詰まっている︒むずかし

い本がある︒くだらぬ本がある︒古びた本がある︒読め

そうもない本がある︒﹂

案内人の婆さんについてはこんな記述がある︒﹁何年

何月何日にどうしたとかこうしたとかとあたかも口から

でまかせにしゃべっているようである︒しかもその流暢

な弁舌に抑揚があり節奏がある︒調子がおもしろいから

せっそう

そのほうばかり聴いているとなにを言っているのかわか

らなくなる︒始めのうちは聞き返したり問い返したりし

てみたが︑しまいにはめんどうになったから︑おまえは

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おまえで勝手に口上を述べなさい︑わしはわしで自由に

見物するからという態度をとった︒婆さんは人が聞こう

が聞くまいが口上だけは必ず述べますというふうで︑別

段厭きた気色もなく怠る様子もなく何年何月何日をや

おこた

っている︒﹂二つながら写生の文体で︑多少のユーモア

も交じっている︒

作者はそれからカーライルの寝台と風呂桶を見た︑漆し

喰製の面型も見た︒﹁風呂桶とはいうもののバケツの大

くい

マスク

きいものにすぎぬ︒彼がこの大鍋の中でロンドンの煤を

すす

洗い落としたかと思うとますますその人となりが偲ばれ

しの

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る﹂というような感慨も漏らしてある︒

四階へ上がって︑カーライル自身の経営になった書斎

を見る︒天井から明かりを取るようにした屋根裏の書斎

である︒彼は﹁自身の経営でこの書斎を作った︒作って

これを書斎とした︒書斎としてここに立て籠った︒立て

籠ってみてはじめてわが計画の非なることを悟った︒夏

は暑くて居りにくく︑冬は寒くて居りにくい︒﹂これが

案内者の口上である︒

なんのためにカーライルがこの天に近い一室の経営に

苦心したかというと︑彼は彼の文章の示すごとく電光的

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な︑癇癪持ちであったために︑四辺に起こるピアノの声︑

犬の声︑鶏の声︑そのほかいっさいの声が神経を刺激し

てたまらない︒で︑それを避けるためにこの部屋を設計

したが︑でき上がってみると︑なるほど邪魔になったピ

アノの音や︑犬や鶏の声は聞こえなくなったが︑下層に

いた時は考えも及ばなかった﹁寺の鐘︑汽車の笛︑さて

はなんとも知れず遠きより来る下界の声が呪いのごとく

きた

彼を追いかけて旧のごとく彼を悩ました︒﹂この事実

きゅう

はそれ自身において滑稽である︒同時に一種のペーソス

を含んでいる︒彼自身カーライルと同じような︑一種の

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潔癖家で癇癪持ちであった作者がこの話に同感されたの

は想見すべきである︒

四階から降りて地下の台所を見る︒それから庭へ出て︑

東南の隅にカーライルの愛犬ニロの墓標を見た

︱ので

すみ

はない︑墓標があったという話を案内者から聞く︒後年

作者自身の裏庭にも︑愛犬ではない︑愛の字がつくかど

うかは知らないが︑とにかく﹁猫の墓﹂が建てられるよ

うになったのは︑偶然ながら一奇と言われようか︒

最後にカーライルが死ぬ前にこの庭園を逍遙して︑寂し

かな星空を仰ぎながら︑﹁ああ余が最後に汝を見るの時

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は瞬刻の後ならん︒全能の神が造れる無辺大の劇場︑

しゅんこく

眼に入る無限︑手に触るる無限︑⁝⁝余はついにそれを

見るを得ざらん﹂と感慨を漏らした一節を引いて︑筆を措お

く︒こ

の一篇を先生の作中にあってもとくに優秀な傑作の

ように言いなす評家もあるが︑私はさほどとも思わない︒

この篇のごとき比較的人目を惹かない作を褒めることが

評家としての見識を示すような気で︑わざとそんなこと

を言われるのではないかというような疑いさえ抱く︒私

から見れば︑この篇は芸術的に優れた作というよりは︑

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むしろ先生が哲人カーライルに対する欽仰の情を寄せら

きんこう

れたものとして︑先生の性行の一斑をうかがいうる点に

この作の意義を見出したい︒

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﹃幻影の盾﹄と﹃薤露行﹄

﹃倫敦塔﹄のロマンティシズムと︑あの和漢洋を打って

一丸としたような︑新しい文体を継承するものは︑﹃幻

影の盾﹄と﹃薤露行﹄の二篇で︑ただロマンティシズム

の香気をいっそう濃厚にするために︑材は二つながらイ

ギリスの歴史前ケルト時代の伝説から取られた︒文体も

ひときわ欧文脈の勝った︑華やかさになっている︒

﹃幻影の盾﹄は︑作者の序詞にもあるように︑﹁一心不

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乱ということを︑目に見えぬ怪力をかり縹渺たる背景の

前に写し出そう﹂としたものである︒

筋からいうとたわいない︒歴史だか伝説だかよくわか

らない中世紀︑騎士の習慣の厳重に守られた中世紀に︑

ウィリヤムという若者があって︑先祖から伝えられた黒く

鉄の服を所持していた︒いわゆる﹁幻影の盾﹂がそれで

がねあ

る︒

作者はその盾の周囲を飾る鋲金具や唐草模様を叙し

びょうかなぐ

て︑さて︑﹁なお内側へはいると延板の平らな地になる︒

そこはいまもなお鏡のごとく輝いて面にあてたるもの

おもて

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は必ず写す︒ウィリヤムの顔も写る︒ウィリヤムの冑の

挿毛のふわふわと風になびくさまも写る︒日に向けたら

さしげ

日に燃えて日の影も写そう︒鳥を追えばこだまさえ交え

まじ

ずに十里を飛ぶ俊鶻の影も写そう﹂と︒

しゅんこつ

さらに説き進んでいわく︑﹁盾の真ん中が五寸ばかり

の円を描いて浮き上がる︒これには怖ろしき夜叉の額

やしゃ

ひたい

が隙間もなく鋳出されている︒その額はとこしえに天と

地と中間にある人とを呪う︒右から盾を見るとき右に向

かって呪い︑左から盾をのぞくときは左に向かって呪い︑

正面から盾に対う敵にはもとより正面を見て呪う︒ある

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時は盾の裏に隠るる持ち主をさえ呪いはせぬかと思わる

るほど怖ろしい︒頭の毛は春夏秋冬の風に一度に吹かれ

たように残りなく逆立っている︒しかもその一本一本の

末は丸く平たく蛇の頭となって︑その裂け目から消えん

すえと

しては燃ゆるごとき舌を出している︒毛という毛はこ

とごとく蛇で︑その蛇はことごとく首をもたげて舌を吐

いて縺るるのも︑捻じ合うのも︑攀じあがるのも︑にじ

もつ

り出るのも見らるる︒五寸の円の内部に獰悪なる夜叉の

どうあく

顔を辛うじて残して︑額際から額の左右を残りなく塡

ひたいぎわ

めて自然に円の輪郭を形づくっているのはこの毛髪の

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蛇︑蛇の毛髪である﹂と︒こういった調子づいた文体で

ある︒

話の筋へ戻っていうと︑ウィリヤムにはクララという

恋人がある︒恋人は同じ城に住んではおらぬ︒﹁小山を

三つ越えて︑大河を一つ渡りて︑二十マイル先の夜鴉の

よがらす

城にいる︒﹂戦国のならい︑馬の背で人になったウィリ

ヤムは︑白馬に泡を嚙ませながら︑一息に千里を走らし

て︑毎日のようにクララを訪れた︒が︑去年の春のころ

から馬上の彼の姿はふっつり見られなくなった︒彼の仕

うる白城の主人と夜鴉の城主との間に確執を生じた︒両

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家の間に戦いが始まりそうになったからである︒クララ

の一門に弓を引くことはウィリヤムには堪えられない︒

さりとて恩義ある人の難儀に赴かず︑世の物笑いとな

おもむ

るのはなお忍びえない︒ウィリヤムは恋と義理の間に挟

まれて︑ひとり悩んだ︒

それでも昼間は紛れているが︑夜になるとたまらない︒

まぎ

少年時代にクララといっしよに野に遊んで︑蒲公英の蕊

たんぽぽ

しん

の吹きくらをした︒花の散ったあとの︑むく毛を束ねた

ような透明な球をとって︑ふっと吹く︒残った種の数で

占いをする︒思うことが成るか成らぬかと順繰りに繰っ

じゅんぐ

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ていって︑成らぬという辻占の出たとき︑急にクララの

つじうら

元気がなくなったことさえ想い出される︒こういう占い

のやり方は中世紀にはだいぶはやったものらしい︒

﹃ファウスト﹄の中でもあのかわいらしいグレエチヘン

が褄とり草の花弁をもぎ取りながら︑同じ占いをやって

つま

いる︒こんなことを想い出すにつけて︑ウィリヤムには

いよいよ先が真っ暗なような気がした︒

ただウィリヤムにはまだ幻影の盾がある︒この盾はウ

ィリヤムの四代の祖先が北方の巨人と戦場に渡り合っ

て︑相手を仆したとき︑死んでいく敵の手から授けられ

たお

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たものだ︒巨人のいわく︒﹁ワルハラの国オジンの座︵ワ

ルハラは北方の神話における戦死者の天国で︑オジンはその

国の王にして大神︑ギリシア神話のジュピターのようなもの

である︶に近く︑火に鎔けぬ黒鉄を︑氷のごとき白炎に鋳

くろがね

たるが幻影の盾なり﹂と︒またいわく︑﹁盾に願え︑願

うて聴かれざるなし︒ただその身を亡ぼすことあり﹂と︒

またいわく︑﹁百年ののち南方に赤衣の美人あるべし︒

その歌の面に触るるとき︑汝の児孫盾を抱いて抃舞す

おもて

じそん

べんぶ

るものあらん﹂と︒こう先祖の遺した書付けに書いてあ

る︒ウィリヤムはそれを読みながら︑汝の児孫とはわが

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ことではないかと思った︒

いずれにしても︑彼は盾を頼むよりほかに頼むものが

ない︒いよいよ戦いは七日の後と布告された︒評定の席

でもウィリヤムの顔色はますますわるい︒それと見た老

戦士のシーワルドは︑ウィリヤムの部屋まで随いて来て︑

クララといっしよに南方の国へ落ちてはどうかと勧め

る︒相手が頭をふるのを見て︑﹁鴉に交じる白い鳩を

かぶり

救う気はないか﹂と再び訊く︒﹁七日の後なり﹂と答え

のち

たウィリヤムの胸中は︑どうかして戦場でクララを救い

出したい考えである︒それを聞いた老戦士は︑﹁南から

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来て南へ帰る船がある︒城の東の船着場へ回して︑あの

金色の髪の主を便船さしょう︒女が乗ったら︑不断は白

い帆柱の先の小旗を赤に替えさせよう﹂と約束する︒姫

を連れ出す役を引き受けた男は︑ウィリヤムの手紙を持

って︑楽人に身をやつしながら︑夜鴉の城へ忍び込む︒

どこの誰ともわからない︒

戦いの当日となった︒ウィリヤムとシーワルドとは馬

を丘に乗り上げながら︑船の小旗は赤か白かと望む︒﹁白

だ﹂とウィリヤムは唇を噛みながら︑決死の鋒先鋭く︑

ほこさき

城門めがけて打ち入った︒別れ別れになったウィリヤム

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とシーワルドは乱軍の中でまた邂逅う︒﹁生きているか

めぐりあ

とシーワルドが剣で招けば︑死ぬところじゃとウィリヤ

ムが盾を翳す︒﹂私は最初読んだときからこの句をおぼ

かざ

え込んでしまった︒それほどに印象の強い句である︒や

がてなににひるんでか︑寄手は城門の外へなだれ出した︒

よせて

﹁しばらくは鳴りも鎮まる︒﹂日が暮れて︑浪の音ばか

り聞こえるころ︑城中に火が起こった︒クララを連れ出

すために忍び込んだ奴が火を点けたらしい︒最初は窓か

ら黒煙を吐き出して︑だんだん火の手が一面にまわるあ

たりの描写は︑精細を極める︒やがて櫓も焼け落ちた︒

やぐら

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火に包まれた堞の上を黒き影が行きつ戻りつする中に︑

かき

髪振り乱してたたずむ女の姿を見て︑﹁クララ﹂とウィ

リヤムが思わず叫んだ︒とたんに女の影が消える︒火の

中へ飛び込んで死んだものらしい︒ここまでははっきり

話の筋を追うて読むことができる︒が︑ここからはいわ

ゆる縹渺たる描写で︑読むには読んでもちょっと捕ま

ひょうびょう

えどころがない︒

﹁焼け出された二頭の馬が鞍付きのまま宙を飛んで来

る︒﹂これはクララとウィリヤムとを乗せて走るように

用意されたものらしい︒ウィリヤムは馬の尻尾を捕らえ

しっぽ

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て引き戻しながら︑ひらりとその背に跨がる︒この時﹁南

の国へ行け﹂と鉄被る剛き手を挙げて馬の尻をしたたか

つよ

に打った者はシーワルドに相違ない︒﹁呪われたウィリ

ヤムは馬とともに空を行く︒﹂呪われたとはなにに呪わ

れたのか︒幻影の盾に?

とにかく︑﹁ウィリヤムの馬を追うにあらず︑馬のウ

ィリヤムに追わるるにあらず︑呪いの走るなり︒風を切

り︑夜を裂き︑大地に疳走る音を刻んで︑呪いの尽くる

かんばし

所まで走るなり﹂で︑ウィリヤムは野越え︑山越え︑飛

んで行った︒そして乗り斃した馬の鞍に腰を下しながら︑

たお

おろ

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死から蘇ったように往時を追想した︒

出陣︑帆柱の旗︑戦い︑それから火事と想いついたと

き︑﹁なぜあの火の中へ飛び込んで同じ所へ死ななかっ

たのか﹂とウィリヤムは舌打ちをする︒それは読者には

わからない︒﹁盾の仕業だ﹂と口の中でつぶやく︒そう

思ってウィリヤムは諦めるかもしれないが︑作者の専断

のような気がして︑読者にはいっこう合点がいかない︒

読者のほうで作者に隋いていかれないところに︑この作

の失敗がある︒

それはそれとして︑こうして思い入っているあいだに︑

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ウィリヤムの眼には南欧の明るい林の中の幻影があらわ

れる︒林の中に池があって︑池の水際に臥す牛ほどの岩

が横たわっている︒その岩の上に赤衣の女が立って︑﹁知

せきい

らぬ世の楽器﹂を擦りながら︑歌を唄う︒その歌にいわ

く︑

岩の上なる我がまことか︑水の下なる影がまことか︒

、、、

、、、

まこととは思い詰めたる心の影を︑心の影を偽り

、、、

いつわ

というが偽り︒

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と︒その意は幻影でも思い詰めた心から出たのなら︑

それがまことのものであるという意味らしい︒またうた

、、、

う︒

恋に口惜しき命の占を︑盾に問えかしまぼろしの盾︒

うら

声に応じて︑盾を取り上げながら︑ウィリヤムは﹁一

心不乱にその面をみつめた︒﹁ありとある蛇の毛の動

おもて

く﹂のが止んで︑鳴る音も自然と絶えたかと思ううちに︑

盾の面に黒い幕がかかる︒ウィリヤムはただ﹁暗し︑

おもて

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暗し﹂と微かに叫んだ︒﹁その時暗き中に一点白玉の光

かす

が点ぜらるる︒﹂それがだんだん拡がっていって︑﹁眼

の及ぶかぎりは︑四面空蕩万里の層氷を建て連ねたる

しめんくうとうばんり

そうひょう

ごとく豁らかになる︒﹂女はまた歌い出す︒

ほが

イタリアの︑イタリアの海紫に夜明けたり︒

むらさき

﹁広い海がほのぼのとあけて⁝⁝⁝橙色の日が浪から

だいだいいろ

出る﹂と言いながら︑ウィリヤムはなお盾を見つめてい

た︒﹁彼の心には身も世もなにもない︑ただ盾がある︒﹂

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﹁盾はウィリヤムで︑ウィリヤムは盾である︒﹂二つの

ものが純一無雑の清浄界にぴったりと合ったとき︑女は

むざつ

また歌う︒

帆を張れば︑船も行くめり︒帆柱に︑なにを捧げて⁝⁝

かか

﹁赤だっ﹂とウィリヤムは盾の中に向かって叫んだ︒白

い帆が山影を横ぎって︑岸に近づいて来る︒三本の帆柱

の左右は知らぬ︑中なるは確かに赤い旗を掲げている︒

こうしてクララとウィリヤムとは再び邂逅うことができ

めぐりあ

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た︒所は︑﹁空には濃い藍を流し︑海にも濃き藍を流し﹂

あい

た南の国である︒林檎の枝が花の蓋をさしかける欄干の

りんご

かさ

らんかん

下で︑暖かい草の上に足を投げ出しながら︑ふたりは熱

い接吻を交した︒騎士の恋における第四の時期なる

かわ

Druerie

はついに来た︒こうしてウィリヤムは百年の命

を一瞬に縮めたような︑甘い恋を強たかに経験すること

した

ができたのである︒

ここにあらわれた一心不乱ということは︑心理的のも

のであって倫理的のものではない︒もとより一心不乱と

いうのは心理的状態を指した言葉ではあろうが︑それに

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倫理的背景の加わるとき︑いっそうよく私どもに理解さ

れるように思われる︒ウィリヤムはクララ恋しさに一心

不乱になっている︒これも見方によっては倫理的にもな

ろうが︑作者の意もおそらくそこにはない︒

作者はむしろ禅坊主が悟りを開こうとして一心不乱に

なる︑一心不乱になって︑われと物とが﹁純一無雑の

じゅんいつむざつ

清浄界にぴたりと合ったとき︑﹂はっと思った瞬間に悟

、、

りを開く︒その瞬間の心理状態を芸術的にあらわそうと

して︑若い騎士の恋だの︑目に見えぬ怪力だの︑縹渺

ひょうびょう

たる芸術的な背景だのをかりて来られたものと見るのが

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至当である︒

では︑それがどこまで成功しているか︒想うに︑人間

は恋でも一心不乱になりうる︒禅坊主が悟りを開くため

に︑一心不乱になりうると同程度においてなりうる︒ま

た悟りを開いてからの﹁空蕩万里の豁らかな﹂心持ちを

くうとうばんり

ほが

あらわすために︑南欧の明るい芸術的天地をかりて来ら

れたのもいい︒が︑恋のために一生懸命になっている現

実の世界と悟りを開いたあとの朗らかな天地とのあいだ

には︑深い溝壑が横たわっている︒この二つの世界をつ

こうがく

ないで︑一から他へ移る道をなだらかにするために︑作

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者はおそらく︑﹁目に見えぬ怪力﹂なるものをかりて来

られたものであろう︒が︑そこに読者をしてつまずかし

めるあるものの存することは︑前にも言ったとおりであ

る︒私

は決してこの篇を失敗の作とのみ看倣すものではな

い︒が︑あまりに困難な方面に手をつけた︑あまりにア

ムビシアス作だとは思われる︒これに較べると︑一年後

に出た﹃草枕﹄は︑同じく宗教上の悟りの境地を芸術的

にあらわそうとしたものでありながら︑これほどアムビ

シアスな構想でないだけに︑私どもにも会得がいくよう

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に思う︒

﹃幻影の盾﹄は中世紀の伝説めかして書いてはあるが︑

ちょうどそれに当たるような詩も伝説もあちらに見当た

らない︒したがって︑ただ騎士時代の風俗習慣をかりて

物された先生自身の創作と見るべきであるが︑それに反

して﹃薤露行﹄は明らかにマロリーの﹃アーサー物語﹄

を土台とし︑それを作者の豊かな空想のおもむくがまま

に潤飾したもので︑同じ材料を取り扱ったものには︑前

にアルフレッド・テニソンの﹃アイジルス・オブ・ゼ・

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キング﹄︵とくにその中の﹃ランスロットとエレーン﹄︶と

﹃シャロットの妖姫﹄との二つがある︒

同じ材料を取り扱ったとはいうものの︑先生はこの作

の序にも﹁元来なら記憶を新たにするために一応読み返

すはずであるが︑読むと冥々のうちに真似がしたくなる

からやめた﹂と︑わざわざ断わっていられるほどあって︑

だいたいの筋のほかには︑どこにも似たところはない︒

先生はまた︑﹁テニソンの﹃アイジルス﹄は優麗都雅

ゆうれいと

の点において古今の雄篇たるのみならず︑性格の描写に

おいても十九世紀の人間を古代の舞台に躍らせるような

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書きぶりである﹂云々と推称していられるが︑私の見る

ところをもってすれば︑散文でこそあれ︑﹃薤露行﹄の

ほうが﹃アイジルス﹄よりも︑ロマンティックの匂いが

濃厚である︒性格の対比からいっても︑先生が﹁十九世

紀の人間を古代の舞台に躍らせる﹂と言われた意味はよ

くわからないが︑テニソンのほうがやや常識的で情趣に

とぼしい︒

たとえば︑ランスロットがおくれながらに試合の場へ

馳せ向かうところにしても︑﹃薤露行﹄では︑王妃がふ

たりのあいだを繋ぐ蛇が青い煙を吐いて燃え切れる夢を

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754

見て︑心がかりのあまりランスロットを勧めて行かせる

ようになっているが︑﹃アイジルス﹄のほうでは︑王妃

もランスロットもアーサー王の前で病気を盾にいったん

は行かぬと言い張ったものの︑王の影が見えなくなると︑

王妃は急に恐怖の念を生じて︑ランスロットに王のあと

を追うて試合の場へ出よ︑われをランスロットと知られ

て闘わんはおもしろからず︑わざと姿を替えて試合せん

ためにおくれたりと言わば︑誰もおくれたるを肯うべ

うべは

しと言って勧めることになっている︒このほうが理づめ

でもあり心理的でもあろうが︑一種の美しさはなくなっ

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ている︒

また︑﹃薤露行﹄にはランスロットがアストラットの

城に一夜の宿を求めたとき︑城主の娘エレーンが都の騎

士に思いを寄せて︑夜半燭に透かして紅の片袖を切る

ともしび

一節がある︒この作の中でもとくに活躍した描写だと思

うから︑引用しておこう︒

﹁やがてわが部屋の戸帳を開きて︑エレーンには壁に釣

とばり

る長き衣を取り出だす︒燭にすかせば燃ゆる真紅の色な

り︒室にはびこる夜を呑んで︑一枚の衣に真昼の日影を

集めたるごとくあざやかである︒エレーンは衣の領を右

えり

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手に釣るして︑しばらくは眩きものと眺めたるが︑や

まばゆ

がて左に握る短刀を鞘ながら二︑三度振る︒からからと床

さや

ゆか

に音さして︑すわという間に閃きは目を掠めて︑紅深

ひらめ

かす

きうちに隠れる︒見れば美しき衣の片袖は惜しげもなく

断たれて︑残るは鞘の上にふわりと落ちる︒とたんに裸

ながらの手燭は︑風に打たれて颯と消えた︒外は片破月

てしょく

さっ

かたやれづき

の空に更けたり﹂かくてエレーンは﹁右手に棒ぐる袖の

ささ

光をしるべに﹂ランスロットの部屋に忍びながら︑﹁紅

に人のまことはあれ︒恥ずかしの片袖を乞われぬに参ら

する︒兜に捲いて勝負せよとの願いなり﹂と︑少女心の

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一筋に言い寄るのである︒

﹃アイジルス﹄では︑ここのところがただエレーンは一

夜をまんじりともせずに明かした︒朝早くランスロット

といっしよに出立する兄を見送ると自分をも欺きなが

あざむ

ら庭へ出て︑馬上の凛々しいランスロットの面影を見詰

めていたが︑ふと想いついて︑﹁名も知らぬ勇ましき君

よ︑願わくはこの試合にわがかずけ物を帯びてたまわら

、、、

ずや﹂と言う︒﹁否︑美しき姫よ︑われはかつて婦人の

かずけ物を帯びて試合の場に臨みたることなし︒これわ

が習慣なり﹂と︑ランスロットは答えた︒﹁それならば

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なおわが片袖を帯びたまわば︑卿の名を隠すに手頼よか

たより

らずや﹂と︑エレーンは主張する︒ランスロットもなる

ほどと合点して︑ついにエレーンの片袖を帯びて試合の

場へ出たということになっている︒このほうが自然に違

いないが︑紅の片袖の印象は﹃薤露行﹄のほうがはるか

に鮮明で︑かつロマンティックだと言われるようである︒

シャロットの妖姫が高楼の一室に閉じこめられて︑研

ようき

ぎ澄ましたる鏡に映る下界を眺めながら︑来る日も来る

日も機を織っているあたりの場面は︑テニソンのそれも

はた

﹃薤露行﹄もだいぶよく似ている︒シャロットの路行く

みち

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牧羊者や︑巡礼や︑旅商人の鏡に映るところも同じよう

なら︑麦刈る里の男が機の音を聞きつけて恐る恐る高楼

はた

を見上げながら﹁あれがシャロットの妖姫よ﹂とささや

くあたりも︑二つながらたいてい同じような着想である︒

ただ最後にランスロットの姿が鏡に映って姫が窓から

下界を見下ろすと同時に︑ぴちぴちと氷を砕くように鉄

くだ

の鏡が破れて︑織りかけた布や色糸がぷつぷつと切れて

舞い上がるあたりの描写は︑テニソンが二行で簡単にす

ましているのに対して︑﹃薤露行﹄のそれははるかに自

由で︑豊富で︑その場の凄艶な光景が目に見るように写

せいえん

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されている︒これは例の有名な︑ウィリヤム・ロセッチ

の絵画からその幻影を得られたものであろう︒

前にも言ったように︑テニソンの﹃ランスロットとエ

レーン﹄の一篇は美しい物語には相違ないが︑きわめて

写実的な心理的描写で︑どこに一つ幻怪なところもなけ

げんかい

れば神韻縹渺たるところもない︒先生がそれに﹃シャロ

ットの妖姫﹄の物語を結びつけて︑エレーンの薄幸な恋

の運命をこの女の呪いから出たもののように解釈された

のは︑

︱私はマロリーの﹃アーサー物語﹄を読んでい

ないからはっきりしたことは言えないが

︱おそらく先

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生自身の創意であって︑またこの呪いによって動かされ

る幽玄で幻怪な︑縹渺たる世界を描くことが︑﹃幻影の

盾﹄から引き続いて︑先生の創作欲を動かした中心的興

味であろうと想像されるのである︒

﹃ランスロットとエレーン﹄では︑ランスロットは隠士

の洞窟にかくまわれた後︑長兄とともに訪ねて来たエレ

ーンの手で︑いろいろな手篤い介抱を受ける︒それから

病が懈って︑いったんアストラットの城へ引き取られ

やまい

おこた

たが︑ある日庭園でエレーンの熾烈な恋の告白を聞く︒

しれつ

が︑王妃に道ならぬ愛を誓った彼は︑この無垢な処女の

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愛を受けることができない︒で︑エレーンの父の勧める

ままに︑最後の別れさえ告げないでカメロットに去る︒

そのあとでエレーンは返されぬ恋に病んで死ぬという順

序になっているが︑それではあまり明瞭すぎて︑幽玄と

凄艶を主とする﹃薤露行﹄が︑全然そんな手続きを省き︑

ランスロットは隠士の洞窟の壁に﹁罪はわれを追い︑わ

れは罪を追う﹂と書き残したまま姿を隠し︑むなしく帰

る次兄のラベンから一伍一什の話を聞いて︑エレーン

いちぶ

しじゅう

はただちに恋の病に臥すという段取りにされたのは︑そ

のよろしきを得た処置といえよう︒

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763

これによれば︑エレーンはただ一度見たばかりのラン

スロットのため︑うら若い命を捧げることになっている︒

エレーンの日夜に衰えていくさまを写した詩的な文字を

見よ︒﹁花に戯むるる蝶がひるがえるを見れば︑春に憂

いありとは天下を挙げて知らぬ︒されど冷ややかに日落

ちて︑月さえ闇にかくるる宵を思え︒

︱ふる露のしげ

きを思え︒

︱薄き翼のいかばかり薄きかを思え︒

広き野の草の影に︑琴の爪ほど小さきものの潜むを思え︒

︱畳む羽に置く露の重きにすぎて︑夢さえ苦しかるべ

し︒果知らぬ野の底に︑あるに甲斐なき身を縮めて︑誘

はて

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764

う風にも砕くる危うきを恐るるは琳しかろう︒エレーン

あや

は長くは持たぬ︒﹂

テニソンでは︑エレーンの老父が枕頭へ来て︑わざと

ちんとう

ランスロットのことを悪く言いなし︑王妃との間に立て

る悪評なぞも言い立てて︑エレーンに思い切らせようと

するところがあるが︑すると︑エレーンはそれに答えて︑

﹁父上よ︑妾は人を怒るにはあまりに弱く衰えたり︒

わらわ

もし父上にして妾を生かしたさに左様のことを仰せら

わらわ

さよう

おお

るるならば︑そは父上の目的に反せる結果を生ずべし︑

父上のお言葉をそのまま信じなば︑妾はいっそう早く

わらわ

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死んで行くべければなり﹂と言う︒これはこれとしてお

もしろくないことはないが︑どうも近代の小説めいて上

古の物語らしくない︒先生が﹁十九世紀の人間を古代の

舞台に躍らせた﹂ようだと言われたのは︑おそらくこの

辺の消息を指して漏らされた言葉かもしれない︒

いよいよ命旦夕に迫ったとき︑エレーンは父と兄を枕

たんせき

辺へ喚んで︑ランスロットへ宛てた手紙を書き取っても

らう︒その文句は︑﹁天が下に慕える人は君ひとりなり︒

君ひとりのために死ぬるわれを憐れと思え︒陽炎燃ゆる

かげろう

黒髪の長き乱れの土となるとも︑胸に彫るランスロット

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の名は︑星変わるのちの世までも消えじ︒愛の炎に染め

たる文字の︑土水の因果を受くる理なしと思えば︒睫

ことわり

まつげ

に宿る露の珠に︑写ると見れば砕けたる︑君の面影の脆も

くもあるかな︒わが命もかく脆きを︑涙あらば濺げ︒キ

そそ

リストも知る︑死ぬるまで清き乙女なり﹂︒

テニソンのほうでは︑こうなっている︒

"Most

noblelord,Sir

Lancelot

ofthe

Lake,

I,sometim

ecall'd

themaid

ofAstorato,

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Com

e,foryou

leftmetaking

nofarew

ell,

Hither,to

takemylast

farewellof

you,

Iloved

you,andmylove

hadno

return,

And

thereforemytrue

lovehas

beenmydeath.

And

thereforetoour

ladyGuinivre.

And

toallother

ladies,Imake

moan,

Pray

formysouland

yieldmeburial,

Praylfor

mysoulthou

too,SirLancelot,

Asthou

artaknight

peerless."

︵気高き君よ︑湖水のサー・ランスロットよ︑かつてア

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ストラットの処女と称ばれたるわれは︑わが最後の別れ

を告げんがために︑ここに来れり︒君は別れの言葉も告

きた

げで︑われを捨てて走りしゆえに︒われは君を愛したる

も︑わが愛は返されざりき︒さればわが真の愛はわが死

まこと

にほかならざりき︒さればぞ王妃ギニビアにも︑また他

のすべての宮女にも︑われは乞うなり︑わがために︑わ

が霊魂のために祈りて︑わが骸を葬りてたまわれと︒

むくろ

ほうむ

サー・ランスロットよ︑君もまたわが霊魂のために祈り

てたまわれ︑君は並ぶものなき騎士なれば︒︶

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ここに二つの手紙を並べて掲げたのは︑二つを比較し

て優劣を定めようとするためではない︒同じシチュエー

ションにおける同じ材料が︑ふたりの違った作家によっ

て︑いかに違って表現されたかを見んがためである︒こ

の文ができ上がってから︑女はまた言う︒﹁息絶えて︑

ふみ

身の暖かなるうち︑右の手にこの文を握らせ給え︒手も

足も冷え尽くしたるのち︑ありとある美しき衣にわれを

着飾り給え︒隙間なく黒き布しき詰めたる小船の中にわ

れを載せ給え︒山に野に白き薔薇︑白き百合を採り尽く

して舟に投げ入れ給え︒

︱舟は流し給え︒﹂この死後

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の処置に対するエレーンの要求は全然テニソンと揆を一

いつ

にしている︒ただテニソンでは︑野に山に採り尽くした

る百合や薔薇を投げ入れてくれという代わりに︑﹁王妃

その他の人々に向かって︑われ自身より雄弁に語りうる

ものはあるまいから︑櫂とる男にはただ啞の老翁ひとり

かい

のみ載せ給え﹂とまで遺言しているばかりである︒

エレーンの死後︑父や兄は彼女の遺言のとおりに取り

計らった︒かくしてエレーンの亡骸を載せた船はカメロ

ットを指して流れて行く︒一方王妃ギニビアは強いてラ

ンスロットを出してやったものの︑ひとり鬱々として暮

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らすうちに︑アーサー王その他の騎士は帰って来たが︑

肝心のランスロットは帰って来ない︒王妃はいよいよ気

が気でない︒﹁おくれて行くものはおくれて帰る掟か﹂

おきて

なぞと言い紛らしているものの︑やるせなき思いは包め

まぎ

ども色に出る︑なにも知らぬ王は﹁あの袖の主こそ美し

ぬし

からん﹂なぞと平気で言う︒

﹁あの袖とは?

袖の主とは?

美しからんとは?﹂

とギニビアの呼吸ははずんでいる︒

﹁白き挿毛に赤き鉢巻ぞ︑さる人の贈り物とは見たれ︒

さしげ

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繋がるるも道理じゃ﹂とアーサーはまたからからと笑

う︒

﹁主の名は?﹂

﹁名は知らぬ︒ただ美しきゆえに美しき少女というと

聞く︒過ぐる十日を繋がれて︑残る幾日を繋がるる身

は果報なり︒カメロットに足は向くまじ︒﹂

﹁美しき少女!

美しき少女!﹂と続けざまに叫んで︑

ギニビアは薄き履に三たび石の床を踏みならす︒肩に

くつ

負う髪の時ならぬ波を描いて︑二尺あまりを一筋ごと

に末まで渡る︒

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王妃の嫉妬を目に見るように表わしたものとして︑最

後の一句ほど力強い描写を私は見たことがない︒先生の

作中でも最も深く私を動かした形容の句の一つである︒

アーサー王はなお相手の心持ちに気がつかないで︑王妃

とはじめて相見し折の昔語りなどしているところへ︑円

あいみ

卓の騎士の面々どやどやと闖入し︑王の面前に王妃の

ちんにゅう

罪を数え上げる︒ギニビアは気を失いて倒れようとしな

がら︑危うく肘掛けにつかまって︑﹁ランスロット﹂と

叫ぶ︒その時河に臨む水門の扉が開いて︑エレーンを載

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せた小船が城中へはいってくる︒これがテニソンでは︑

アストラットから戻って来たランスロットとギニビアと

が河に臨んだ出張り窓の下で言い争っている際に︑目の

下へ小船が着くことになっている︒この辺ではもともと

筋が違っているのだから︑どっちがどうとも言われない︒

で︑王︑王妃をはじめ︑一同水門に降り立って小船を

迎えた︒王妃はエレーンの右の手から手紙を取り上げて

読む︒読み終わって︑小船の上へのしかかるようにしな

がら︑透き徹るようなエレーンの額に唇をつけ︑﹁美

ひたい

しき少女﹂と言う︒同時に一滴の熱い涙をエレーンの冷

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たい頬の上に落とした︒ここに﹃薤露行﹄の一篇は終わ

っている︒

今この一篇を取って前の﹃幻影の盾﹄と比較するに︑

構想においても︑気分においても︑このほうがすっきり

としてはるかによくまとまっている︒文章もいっそう洗

練されて︑﹃倫敦塔﹄に創まって﹃幻影の盾﹄﹃薤露行﹄

はじ

と続いてきた︑先生一流の欧文脈の勝った︑いわゆる和

漢洋折衷体の文章は︑この篇においてその粋を尽くして

いると言ってもいい︒そして︑上の三篇ながら英国の歴

史や伝説を材料に取ったもので︑その中ではやはりこの

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﹃薤露行﹄を推すべく︑﹃倫敦塔﹄のおもしろみはまた

別にある︒日本人として塔を見物して︑作者みずから塔

の歴史の幻影の中へ出入するところに︑あの作の主なる

興味が存する︒

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﹃琴のそら音﹄と﹃趣味の遺伝﹄

﹃幻影の盾﹄と﹃薤露行﹄の二篇が︑材を西洋にかり

て︑人の運命を支配する不可思議な呪いの力を写したも

のであるのに対して︑日本の材料から人間霊性の感応と

でもいうような︑超自然の事象を描こうとせられたもの

に︑﹃琴のそら音﹄と﹃趣味の遺伝﹄との二つがある︒

先生がこの不可思議な超自然力に興味を持たれ出したの

は︑その端を﹃倫敦塔﹄に発しているというべく︑あの

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子供を連れた塔見物の女が三羽の鴉を五羽だと言った

からす

り︑むずかしい壁の題辞をすらすらと読み上げたりする

ところなぞ︑現実を離れた神秘の境に興味を持って書か

れたものと言わなければならない︒そして︑それが極端

なロマンティシズムの要求から生まれたこともまた疑い

をいれない︒いずれにしても先生の初期の作が︑﹃猫﹄

およびその系統に属する一︑二の作を除き︑ことごとく

超自然的要素の勝ったものであることは注目に値する事

実である︒

﹃琴のそら音﹄のだいたいの筋から言えば︑まずKとい

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う法学士があって︑友人の文学士で卒業後も下宿住いを

つづけながら幽霊を研究している津田君というのを訪問

する︒そこで津田君から︑ある陸軍中尉の細君が夫の出

征中インフルエンザから肺炎に変じてあえなく死亡した

が︑死んでから夫の側へ会いに行ったという話を聞かさ

そば

れる︒会いに行ったとは︑細君が息を引き取ったと同日

同時刻に︑満州にいる夫が細君からもらった懐中鏡を出

して見ると︑その中にありありと細君の姿が映った︒そ

れは出征前に細君が︑お留守中に私が死んでもただは死

なない︑必ず魂魄だけはお傍へ行って︑もう一遍お目に

こんぱく

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かかりますと言った言葉をそのまま実行したのである︒

それを聞いてK君は寒い心持ちがした︒というのはK君

にも新婚の妻

︱まだ結婚はしていないんだが︑近々の

うちにいっしょになろうという妻があって︑それが今イ

ンフルエンザに罹っている︒それだけならまだいいが︑

Kは結婚するために新たに家を持って︑嫁の実家から周

旋してくれた婆さんの世話になっている︒その婆さんが

迷信婆アで︑家の方角がわるいから今のうちにもう一度

ばば

引っ越せだの︑犬の遠吠えが気がかりだのと言われ︑信

用はしないものの多少気になっていたところへもってき

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て︑今また津田君から変な暗示を与えられたので︑K君

はいやな心持ちになって友人の下宿を出る︒もちろん︑

夜更けである︒

ふ本郷から小石川へ帰るんだから︑まず盲啞学校の前か

ら植物園の横をだらだらと降りる︒ここで尻の消えて行

くような︑心細い時の鐘を聞く︒雨が落ちて来る︒それ

から極楽水へかかって︑蜜柑箱へ入れた子供の葬式に出

みかんばこ

会う︒担いで行く男が﹁きのう生まれてきょう死ぬ奴も

あるし﹂と言うと︑またひとりが﹁寿命だよ︑まったく

寿命だから仕方がない﹂と答える︒K君はまたいやな気

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持ちにならざるを得ない︒それから竹早町を抜けて︑切

支丹坂にかかる︒名前からして怪しげな坂である︒いつ

かここを通って︑﹁日本一急な坂︑命の欲しい者は用心

じゃ用心じゃ﹂と書いた張り札が土手の中ほどに出てい

たことを想い出す︒折も折この坂の中途でゆらりゆらり

と尾を曳きながら︑ふっと消える人魂を見る︒どうも薄

気味の悪い道具立てばかり重ねてきたものだ︒が︑こう

いうふうに怖いものを並べ立てるのは︑結果からいって

どうであろうか︒これでもか︑これでもかと︑こちらが

降参するのを催促していられるような気がして︑あまり

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ありがたくない︒かえってどうかして笑ってやりたくな

るような反抗心も出るが︑作者は平気でなおも怖いもの

の陳列をつづける︒

坂を降りて︑泥濘の多い茗荷谷の谷道を伝って行くう

でいねい

みょうがだに

ちに︑向こうからお巡査さんが来て︑﹁悪いからお気を

まわり

つけなさい﹂と言い捨ててすれ違った︒なんでもないこ

の言葉が︑別れ際に津田君から﹁よく注意したまえ﹂と

言われた言葉と似ているなと思うと︑たちまち胸が鉛の

ように重くなる︒それから自宅へ帰って︑蒲団の中へも

ぐり込んでからも︑やはり犬の遠吠えが耳について眠ら

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れない︒だんだん気がかりが高じては︑今夜のうちにも

変事の報知が来はせぬかと案じている矢先へ︑お巡査さ

まわり

んに破れるほど表の戸を叩かれて飛び起きるところなぞ

もある︒よくよく変なことばかり重なったものだ︒

明くる朝はぬぐったような快晴で︑おまけに日曜と来

ているから︑朝ッぱらから四谷の細君の実家へ見舞いに

行く︒あまり早いので新妻の君はまだ顔を洗っていると

ころだ︒おっ母さんに訊くと︑﹁ええ風邪はとっくに癒

りました﹂という︒﹁寒からぬ春風に︑濛々たる小雨の

もうもう

吹き払われて︑蒼空の底まで見える心地である︒﹂ここ

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へもってきて落とすために︑あれだけ気味の悪い材料を

わざわざ積みかねてきたので︑前に気味が悪ければ悪い

ほど︑ここへ来ていっそう日本晴れの心持ちがするとい

うものである︒だから︑いやが上にも気味の悪い材料を

積み重ねたのは︑決して徒爾ではない︒ただそれが不自

然の感じを読者に与えるものがあるとすれば︑あまりに

偶然が頻発するからである︒それが偶然の頻発でなくて︑

日常あのくらいの偶然は誰の生活にも起こるんだが︑あ

の際K君の神経が友人から与えられた暗示その他のため

に異常を呈していたので︑普段ならばそのまま見過ごす

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ほどのことをも︑なにか凶事の前兆ででもあるようにい

ちいち取ったんだということが証明されれば︑不自然の

誹りは免れるわけである︒

そし

夜来の悪夢が一掃されると︑K君は急に早朝から人の

家へ飛び込んで来たのが気恥ずかしくなって︑なにしに

来たと訊かれてもよい加減にごまかしながら︑そこそこ

にその家を出る︒心配がなくなると︑髪の生びたのがう

っとうしくなり︑一つは婚約の君から注意されたことを

想い出したので︑神楽坂まで来て床屋へはいる︒この床

屋で聞いた︑狸が源兵衛村の作蔵を訛した話はまったく

げんべ

ばか

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おもしろい︒﹁浮世心理講義録有耶無耶道人著﹂という

やどうじん

本に出てるというんだが︑そんな本はどこを捜しても見

当たるまい︒

﹁ひとりで笑っていねえで︑少し読んで聞かせねえ﹂

と源さんは松さんに請求する︒松さんは大きな声で一

節を読み上げる︒

﹁狸が人を婆化すと言いやすけれど︑なんで狸が婆化

しやしょう︒ありゃみんな催眠術でげす⁝⁝﹂

﹁なるほど妙な本だね﹂と源さんは煙に捲かれてい

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る︒

﹁拙が一ペん古榎になったことがありやす︒ところ

せつ

ふるえのき

へ源兵衛村の作蔵という若い衆が首を縊りに来やした

⁝⁝﹂

﹁なんだい狸がなにか言ってるのか︒﹂

﹁どうもそうらしいね︒﹂

﹁それじゃ狸のこせえた本じゃねえか

︱人を馬鹿に

しやがる

︱それから?﹂

﹁拙が腕をニューと出している所へ古褌をかけやし

ふるふんどし

︱ずいぶん臭うげしたよ⁝⁝﹂

くそ

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﹁狸のくせにいやに贅沢をいうぜ︒﹂

﹁肥桶を台にしてぶらりと下がるとたん︑拙はわざと

腕をぐにゃりとおろしてやりやしたので︑作蔵君は首

を縊りそこなってまごまごしておりやす︒ここだと思

いやしたから急に榎の姿を隠して︑アハハハハハハと

源兵衛村中へ響くほどな大きな声で笑ってやりやし

た︒すると作蔵君よほど仰天したと見えやして︑助け

てくれと褌を置き去りにして︑一生懸命に逃げ出しや

した⁝⁝﹂

﹁大方睾丸でも包む気だろう︒﹂

おおかたきんたま

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アハハハハと皆一度に笑う︒余も吹き出しそうにな

ったので︑職人はちょっと髪剃を顔からはずす︒

かみそり

陰気な︑くさくさするような場面のつづいたあとへ︑

この陽気な滑稽味を点出した︒なおそのあとへ続けて︑

﹁俗人は拙が作蔵を婆化したように言うようでげすが︑

そりゃちと無理でげしょう︒作蔵君は婆化されよう︑婆

化されようとして︑源兵衛村をのそのそしているのでげ

す︒その婆化されようという作蔵君のご注文に応じて︑

拙がちょっと婆化して上げたまでのことでげす﹂と説明

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することによって︑併せてK君が本郷からの帰途にいろ

いろな事件に出逢って︑それをことごとく凶事の前兆の

ように思い込んだのも︑やはり催眠術の暗示にかかった

のだと容易に説明し去ったのは︑かえすがえすも老手と

言わなければならない︒台町のわが家へ帰ってみると︑

門前に黒塗りの車が待っていて︑若い女の笑い声が表に

漏れる︒格子を開けるとたん︑﹁きっと帰っていらした

のよ﹂という声がしてすうと障子が明く︒婚約の君が﹁温

かい春のような顔をして﹂K君を迎える︒

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﹁あなた来ていたのですか︒﹂

﹁ええ︑お帰りになってから︑考えたらなんだか様子

が変だったから︑すぐ車で来てみたの︒そうして昨夜

のことをみんな婆やから聞いてよ︒﹂

この﹁あなた来ていたのですか﹂という一句が︑いか

にも一陽来復の春を代表しているような気がして︑最初

いちようらいふく

この作を読んだときから忘られなかった︒いま読んでも

K君その人を目の前に見るような気がする︒とにかく︑

露子

︱婚約の娘

︱をこの家へ先回りをさせておい

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て︑それによって一篇を結んだのは︑はじめてこの一篇

が落ち着くところへ落ち着くというものである︒

この作は前の陰気な場面を重ねて来ての落とし方とい

かさ

い︑後のこの結び方といい︑結構からいってうまいもの

である︒あんまりうますぎて︑作者からよいように引き

摺り回されてるような気がし出すくらいうまいものであ

る︒あるいは読者にそんな気を起こさせるのは︑本当に

うまくないのだと言われないこともないが︑いずれにし

ても︑先生のこの結構に重きを置かれる傾向は︑後年長

篇小説を書かれるようになって︑いよいよいちじるしく︑

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﹃琴のそら音﹄はその濫觴をなすものだから︑一言注

らんしょう

意しておくのである︒

日露戦争がすんで︑諸軍が続々凱旋して来る時代だけ

に︑﹃趣味の遺伝﹄はまず作者

︱一人称でこの話をし

ている男

︱が新橋でその師団の凱旋を見たところから

始まる︒群集が両側に堵列して︑なかなか凱旋の将軍を

とれつ

見ることができない︒﹁ふと思いついたことがある﹂と

いうのは︑いつぞや麻布のさる町を通行した際︑高い練塀

ねりべい

のある広い邸の中で︑数人の女がテニスで打ち興じて

やしき

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いる笑い声を聞きつけ︑街の真ん中で飛び上りながらの

ぞいて見たことがある︒よろしくその故知にならうべし

だと︑﹁ここだと思って︑両足が胴の中へ飛び込みはし

まいかと疑うほど脚力を振って跳ね上がった﹂︒この一

ふる

句はもちろん深い意味のある句でもなんでもないが︑一

読してその実感の浮かぶような力のある表現である︒

で︑将軍の姿は見えた︒作者は︑日に焦けた将軍の顔

色を見て涙を流した︒同じく日に焦けた軍曹の袖に﹁ぶ

ら下った﹂身丈の低い婆さんを見て︑旅順で戦死した友

人の浩さんを想い出した︒そして︑その軍曹と婆さんを

こう

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見たことが﹁はからずもこの話をかく動機になった﹂と

いうのである︒それから浩さんの戦死した旅順の塹壕戦

ざんごうせん

の記事があるが︑これは戦闘の記事として成功したもの

とは言われない︒戦争のような差し迫った人間の活動を

ああ余裕のある傍観的態度で写されては︑なんぼ読者の

ほうでも戦争を見ているような気持ちにはなれない︒山

の上から陸上運動会でも見ているような気持ちである︒

浩さんは塹壕へ飛び込むんでなくって︑決勝点へ飛び込

むような気がしないでもない︒

が︑これほど戦争をかくにふさわしくない悠長な筆致

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も︑次の寂光院の場で︑ことに化銀杏の描写にいたって

ばけいちょう

は︑﹁聞くところによると︑この界隈で寂光院の化銀杏

といえば誰知らぬ者はないそうだ︒しかし何が化けたっ

てこんなに高くはなりそうもない︒三抱えもあろうとい

みかか

う大木だ︒例年ならいまごろはとくに葉を振って︑から

坊主になって野分の中に唸っているのだが︑今年はまっ

たく破格な時候なので︑高い枝がことごとく美しい葉を

つけている︒下から仰ぐと目に余る黄金の雲が︑穏やか

な日光を浴びて︑所々鼈甲のように輝くからまぼしいく

べっこう

らい見事である︒その雲の塊まりが風もないのにはらは

かた

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らと落ちて来る︒むろん薄い葉のことだから落ちても音

はしない︒落ちるあいだもまたすこぶる長い︒枝を離れ

て地に着くまでのあいだに︑あるいは日に向かい︑ある

いは日に背いていろいろな光を放つ︒いろいろに変わり

そむ

はするものの急ぐ気色もなく︑いたって豊かに︑いたっ

てしとやかに降って来る︒だから見ていると落つるので

はない︑空中を揺曳して遊んでいるように思われる︒閑

ようえい

静である︒

︱すべてのものの動かぬのがいちばん閑静

だと思うのはまちがっている︒動かない大面積の中に一

点が動くから一点以外の静けさが理解できる︒しかもそ

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の一が動くという感じを過重ならしめぬくらい︑否その

いな

一点の動くことその自らが定寂の姿を帯びて︑しかも

ていじゃく

他の部分の静粛なありさまを反思せしむるに足るほどに

はんし

なびいたら

︱その時がいちばん閑寂の感を与えるもの

だ︒銀杏の葉の一陣の風なきに散る風情はまさにこれで

いちょう

ある﹂︒いわゆる写生文の精妙を極めたものである︒が︑

普通の写生文では︑そのあとへ持ってきてそれを説明す

るような議論はくっ付けない︒もっとも︑ほかの写生文

、、

家にはくっ付けようにもこんな議論はできない︑先生に

、、

はそれができたからくっ付けられたのでもあろうが︑自

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由な文体である︒

で︑作者が浩さんの墓へ詣ろうとすると︑もう前に来

ている者がある︒しかもそれが若い女で︑後から見る

うしろ

とまず派手な︑光彩陸離たる帯が眼につく︒進もうか退

こうさいりくり

しりぞ

こうかと思い惑っているあいだに︑女はすっくら立ち上

がった︒暗い緑色の孟宗藪を背景にして︑女の白い顔と

もうそうやぶ

手に持った白いハンケチがあざやかに染め抜かれた︒あ

っと思った瞬間には︑このほかに何物も眼に映らなかっ

たという︒印象的な描写である︒ふたりの視線が出逢っ

たとき︑女の顔は見る見る耳の付け根まで赤くなる︒こ

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れは気の毒なことをしたと︑そこから引き返そうかとも

思ったが︑そのままずんずん進んで行く︒女のほうでも

俯向き加減に男の袖をすり抜けて行く︒相手の通り過ぎ

うつむ

たあとで︑男は石段の上に立って振り向いて見た︒する

と女も﹁化銀杏の下で︑行きかけた体を糾めに捻ってこ

ちらを見上げている︒銀杏は風なきになおひらひらと女

の髪の上︑袖の上︑帯の上へ舞い下がる﹂︒

絵のような風情であるが︑そのあとへ持ってきて作者

は︑この女の派手な姿と物寂びた墓場の光景とが非常な

ものさ

対照をしながら︑しかも普通の対照の与えるような効果

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を見る者の上に生じない︑普通の対照は︑若い女の出現

によって墓場の物寂びた景情が和らげられるか︑物寂び

た墓場を背景にすることによって若い女の姸かさがい

なまめ

っそう引き立つかの二途にしか出ない︑相乗の対照にあ

らざれば︑すなわち相除の対照である︑しかるにこの場

合はそのいずれでもない︑花のような佳人と荒寥たる墓

辺の景情とが渾然融和して︑一団の気と流れながら︑円え

融無碍の一種の感じを見る者のうえに与えたのは︑これ

ゆうむ

いかに

︱こういう問題を提出して︑沙翁の﹃マクベス﹄

の中へ出て来る門番まで引き合いに出し︑滔々数千言を

とうとうすうせんげん

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列ねてその理由を説明しているのだ︒

つら

小説を読んでるんだか︑﹃文学論﹄の講義を聞いてる

んだかわからない︒最初のテニスを飛び上がって見た挿

話といい︑ここに挙げた二つの議論といい︑横道へ反れ

て意とせざることまさに﹃猫﹄と伯仲の間にある︒この

点においては︑﹃琴のそら音﹄とは正反対の作風を示し

たものと言わなければならない︒

ところで︑見知らぬ女が浩さんの墓へ詣って︑白い豆

菊の花を手向けて行った

︱ここにはじめて﹃趣味の遺

伝﹄の本題に入るのである︒浩さんのおっ母さんを訪問

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してみると︑庭に豆菊が塊まって咲いて︑累々と白玉を

綴っている︒これが浩さんの生前好きな花だったという

から︑だんだん不思議になる︒

浩さんの日記を借りて来て読んでみると︑﹁二︑三日

一睡もせんので勤務中坑内仮寝︑郵便局で逢った女の夢

を見る︒

︱旅順へ来てからこれで三度見た﹂とある︒

これだなと作者は手を拍った︒最後のページには︑﹁今

日かぎりの命︒二龍山を崩す大砲の声がしきりに響く︒

死んだらあの音も聞こえぬだろう︒耳は聞こえなくなっ

ても︑誰か来て墓詣りをしてくれるだろう︒そうして白

はかまい

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い小さい菊でも上げてくれるだろう︒寂光院は閑静な

じゃっこういん

所だ﹂とある︒それを読んでぞっとした︒ぞっとするは

ずである︒浩さんのこの死際の念いが届いて︑ただ一度

おも

郵便局で見たばかりの女が白い豆菊を持って浩さんの墓

詣りに来る

︱現にそれを見てきたんだから︒

こうなると︑﹃琴のそら音﹄の中の陸軍中尉の話には

なはだよく似ている︒それは夫婦の間に起ったことだが︑

これは一度見たばかりで︑名も知らぬ︑所も知らぬ女だ

というから︑この不思議を解決するために︑どうかして

女の所在を突き留めようとした︒一度車上で見掛けたが︑

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向こうは人力車︑こちらは徒歩だから︑すぐ見失った︒

いろいろ思い屈したあげく︑これは遺伝学の領分である︑

それなら解けるに違いないと想いついた︒浩さんの家は

紀州の藩士である︒そこで︑紀州家の家令を訪ねて︑浩

かれい

さんの先祖の逸話のようなものをたずねた︒

すると︑浩さんの祖父に当る才三というのが同藩の小

さいぞう

野田帯刀の娘に懸想されて︑すでに結納まで取り交して

たてわき

けそう

から邪魔が入り︑別れ別れになったことがある︒この小

野田の子孫に小野田工学博士というのがあって︑ひとり

の妹がある︑それが寂光院の女だということまで︑だん

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だんわかってきた︒つまり先祖の若い男と女とのあいだ

にあった相思の情が子孫に伝わって︑一度見ただけの浩

さんの墓へ︑小野田の妹が白菊を提げて詣るようになっ

た︒これがこの作の与えた解決である︒

それにしても﹃趣味の遺伝﹄はおかしいと先生に訊ね

たら︑先生は趣味というのは男女間の趣味︑すなわち相

思の情だよと答えられた︒この作は寂光院の場のすぐれ

て美わしいのをほかにして︑取り立てて佳い作とも言わ

れない︒結構は前にも言ったように弛緩したものである︒

しかん

肝心の趣味の遺伝も︑書き様が書き様だから︑神秘的な

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感じよりは探偵的な興味をそそると言ったほうがいい︒

探偵のきらいな先生がそれを学者の研究に仮托して書い

かたく

ていられるのも微笑まれるが︑先生の作には︑後年の長

ほほえ

篇においても︑この探偵的興味をそそるものが少なくな

い︒その最もいちじるしい例は﹃彼岸過迄﹄の一篇であ

る︒

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﹃一

夜﹄

いち

﹃一夜﹄は先生の初期の作中にあって︑特殊の地位を要

求する作である︒﹃猫﹄系統のユーモラスなものでもな

ければ︑﹁呪い﹂や﹁虫の知らせ﹂の神秘主義を取り扱

ったものでもない︒むしろいったいに禅味を帯んで︑い

ふく

わゆる非人情の境地を暗示する点において︑のちの﹃草

枕﹄と通ずる︒

筋からいえば︑﹁八畳の座敷に髯のある人と︑髯のな

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い人と︑涼しい眼の女が相会して︑﹂めいめい勝手なこ

あいかい

とを言い合って︑そのあげくに︑﹁三人とも一時に睡く

ねむ

なったから﹂寝たというだけにすぎない︒が︑各自の言

葉がそれぞれ意味ありげで︑ことにそれがぽつりぽつり

と途切れているからいっそう意味ありげである︒その途

切れた言葉を縫いながら筋を追うて行くと︑ククーと鋭

い声に︑表の禅寺の方へ抜けるほととぎすを聞きつけて

﹁一声でほととぎすと覚る︒二声でよい声だと思うた﹂

ひとこえ

さと

と︑はじめて杜鵑を聞いたらしい髯のある男がいう︒﹁一

とけん

目見てすぐ惚れるのも︑そんなことでしょか﹂と女がそ

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れに応ずる︒別に恥ずかしそうな気色も見えない︒髯の

けしき

ない男は向き直って︑﹁あの声は胸がすくようだが︑惚

れたら胸が痞えるだろ︒惚れぬこと︑惚れぬこと⁝⁝﹂

つか

と言う︒髯のある男がまたそれに応じて︑﹁九仞の上に

じん

一簣を加える︒加えぬと足らぬ︒加えると危うい︒思う

あや

人には逢わぬがましだろ﹂と言う︒

この問答は﹃草枕﹄にいわゆる非人情の態度を指した

もので︑人情に搦まれるわずらわしさを厭うなら︒美人

から

いと

に逢ってもただ美しい画として見るだけで︑むやみに惚

れぬがいい︒惚れても夫婦にならねば気のすまぬような

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惚れ方はせぬがいい︑というほどの意を述べたものと見

れば足る︒

たなおそのあとで︑﹁わしは歌麿のかいた美人に思いを

かけたが︑なんと画を活かす工夫はなかろか﹂と︑髯の

ない男が言い出すのを受けて︑﹁夢にすれば︑すぐに活

きる﹂と髯のある男が無造作に答える︒そして︑その夢

の話を始めようとしたとたんに︑東隣で琴と尺八と合

ひがしどなり

わせる音が紫陽花の茂み越しに聞こえ出した︒しばらく

あじさい

するとまた隣家の格子がけたたましく鳴って︑ぱっと渋し

蛇の目を開く音がした︒若い男と女の声で︑﹁また明晩﹂

じゃ

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﹁必ず﹂と言葉を番えながら︑ひとりが帰って行く︒こ

つが

ちらの三人は無言のまま顔を見合わせてかすかに笑う︒

﹁あれは画じゃない︑活きている︒﹂﹁あれを平面につ

めればやはり画だ︒﹂

この問答は﹃草枕﹄の主人公が女主人公から蚤も蚊も

のみ

いない国を出して見せろと望まれて︑女が馬に乗って山

桜を見ているところを写生帖に描いて突きつけながら︑

﹁さあ︑この中へおはいりない︑蚤も蚊もいない﹂と言

う︒女は平気で﹁まあ︑窮屈な世界だこと︑横幅ばかり

じゃありませんか﹂と言ってのけた︑その言葉を想い起

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こさせる︒つまり画は平面である︒横幅ばかりである︑

それに飽き足らないで︑横縦のある世界

︱普通の世界

へはいって行けば︑たちまち人情に捕らわれるというほ

どの意を寓したものと思えばいい︒

髯のある男の夢というのは︑﹁百二十間の回廊があっ

けん

て︑百二十個の燈籠をつける︒﹂﹁百二十間の回廊に二

百三十五枚の額がかかって︑その二百三十二枚目の額に

画いてある美人の絵が︑波さえ音なき朧月夜に︑ふと

おぼろづきよ

影がさしたかと思えば︑いつのまにか動き出す︒長く連つ

なる回廊を飛ぶにもあらず︑踏むにもあらず︑ただ影の

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ままにて動く﹂といったような︑きわめて幻想的な︑美

しいものである︒﹁夢にすれば︑すぐ活きる﹂というの

はどういう意味か︑文字通りに夢にすれば活きる

︱空

想の世界に遊ぶというほどの意味に取って差しつかえあ

るまい︒

ところで︑﹁画から抜け出した女の顔は﹂と訊かれて︑

髯のある男はぐっと詰まった︒﹁抜け出ぬか︑抜け出ぬ

か﹂と︑髯のない男は催促するように菓子鉢を叩く︒﹁画

から女が抜け出るより︑あなたが画になるほうがやさし

ゅうござんしょ﹂と︑女がそばから口を出す︒﹁それは

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気がつかなんだ︒今度からはこちが画になりましょ﹂と︑

髯のある男は平気で答える︒この﹁画になる﹂というの

はいわゆる芸術上の同化の謂いであって︑同化してその

画になりきったときは︑我もない︑人もない︑あるもの

は物我の一体となった境である︒この境地はやがてまた

禅の悟りとかれこれ相通ずるものであらなければならな

い︑それなればこそ︑銀椀を叩かれて︑葛餅に取り着い

ぎんわん

くずもち

ていた蟻が度を失いながら︑菓子鉢の中を右左へ駈け回

あり

るのを見て︑例の髯のない男が﹁蟻も葛餅にさえなれば︑

こんなに狼狽えんでもすむことを﹂と︑泰然としてほざ、、

うろた

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いたのである︒なおこの同化の境地については︑﹃草枕﹄

、の︵八︶にくわしく説いてある︒

それから︑五月雨に伸びた女竹の叢が手水鉢の上に

さみだれ

めだけ

くさむら

ちょうずばち

覆い重なりながら︑風誘うたびに戸袋をこすって︑縁の

おお

えん

上にはらはらと緑の露をこぼすのを見て︑﹁あすこに画え

がある﹂とひとりが言えば︑床にかかった若冲の蘆雁の幅

とこ

ろがん

ふく

が籠ランプの灯を浅く受けて︑ほんのりと昭らし出され

かご

た古き画のあからさまならぬ趣をゆかしと見て︑﹁こ

おもむき

こにも画ができる﹂とひとりが応ずる︒それに伴れて︑

丸張りの絹団扇を軽く揺かしながら︑肩に流した洗い髪

きぬうちわ

うご

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をそよがせていた例の女が﹁私も画になりましょか﹂と︑

白地の浴衣の襟を掻き合わせて︑ここぞと坐ずまいを正

ゆかた

す︒こ

の﹁画になりましょか﹂と女から言い出すところを

見ては︑どうしても雨の縁に振り袖を着て徜徉したり︑

しょうよう

湯殿の湯煙の中に裸形のまま現われたりして︑﹃草枕﹄

ゆけむり

らぎょう

の主人公を驚かした那美さんを想い出す︒いったいこの

女は最初から﹁一目見て惚れるのも︑そんなことでしょ

か﹂なぞと平気で言って︑別に恥ずかしそうな気色も見

けしき

せないところが︑どこか那美さんに似通っているように

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思われたが︑こうなればもはや﹃草枕﹄の女主人公の原

型であると断じてもまちがいなかろう︒

例の髯のある男が話しかけた夢の話は︑たびたび邪魔

がはいるので︑とうとう中途で流れてしまったが︑当人

も別段気にかけてはいない︒これは物に拘泥しない心持

こうでい

ちを作の上にあらわしたものと見るべきである︒

だいたいにおいて﹃一夜﹄を貫流する思想が同時に﹃草

枕﹄の思想であることは説明しえたつもりだし︑﹃草枕﹄

の女主人公が﹃一夜﹄のそれと同型の女性であることに

も説き及んだが︑この二つの作が似ているのは︑単にそ

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ればかりではない︒

第一には会話が話の筋道を追わないで︑機知ばかりで

移っていくところが︑﹃草枕﹄の画家と那美さんの対話

に似て︑それよりもはなはだしい︒﹃一夜﹄がわからな

いと言われる理由は主としてここにある︒そして︑そこ

がまた物に拘泥しないように見えて︑その実大いに拘泥

しているゆえんでもある︒次にはさまざまな道具立てが

目まぐるしいほど多い︒鵞鳥の羽蒲団だの︑絹の紈扇だ

がちょう

がんせん

の︑宣徳の香炉だの︑白磁の花瓶だの︑払子だの︑若冲

せんとく

ほっす

の蘆雁だのと︑やたらに骨董が並べてあるかと思えば︑

ろがん

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葉巻だの︑小豆革の座蒲団だの︑象牙の紙ナイフだのと

あずきがわ

いうような︑ハイカラな物も出る︒そのほか蟻や蚊や蜘

蛛まで出る︒

﹁灰が湿っているのかしらん﹂と女が蚊遣筒を引き寄

しめ

かやりづつ

せて蓋をとると︑赤い絹糸で括りつけた蚊遣灰が燻

ふた

かやりばい

くすぶ

りながらふらふらと揺れる︒

これは蚊遣火の写生である︒蜘蛛を写したものには︑

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宣徳の香炉に紫檀の蓋があって︑紫檀の蓋の真ん中

したん

には猿を彫んだ青玉のつまみ手がついている︒女の

きざ

せいぎょく

手がこの蓋にかかったとき﹁あら蜘蛛が﹂と言うて長

い袖が横になびく︑ふたりの男はともに床の方を見る︒

とこ

香炉に隣る白磁の瓶には蓮の花がさしてある︒昨日の

とな

へい

きのう

雨を蓑着て剪りし人の情を床に眺むる蕾は一輪︑巻

みの

つぼみ

葉は二つ︒その葉を去る三寸ばかりの上に︑天井から

白金の糸を長く引いて一匹の蜘蛛が

︱すこぶる雅

しろがね

だ︒

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とある︒このあとに引いてある﹁蠨蛸懸不揺︑篆姻遶

竹梁﹂の一聯は﹃草枕﹄の中にも出てくる︒私のここに

いちれん

挙げた二つの文例は︑二つとも例の女が配合されている︒

もう一つ女の姿態を描いた名文を引いておく︒

﹁画家ならば画にもしましょ︒女ならば絹を枠に張っ

て︑縫いにとりましょ﹂と言いながら︑白地の浴衣に

片足をそと崩せば︑小豆革の座布団を白き甲が滑り落

ちて︑なまめかしからぬほどは艶なる坐ずまいとなる︒

えん

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写生から出て写生以上の文体である︒なお﹃一夜﹄の

文体は﹃薤露行﹄なぞの欧文脈の勝ったものに対して漢

文脈とでも言わば言えるような文体で︑たとえば︑﹁蜀

川十様の錦︑花を添えていくばく色をか変ぜん﹂と﹃和

漢朗詠集﹄にでもありそうな文句が織り込んであるが︑

﹃草枕﹄には︑﹁路寂寞と古今の春を貫いて︑花を厭え

みちせきばく

いと

ば足を着くるに地なし﹂と︑それに似たような丈句が織

り込まれている︒﹃一夜﹄と﹃草枕﹄とは着想において

も︑表現においてもだいぶ似たところを挙げることがで

きる︒

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想うに︑先生は﹃一夜﹄を発表された当時︑一概にわ

からないという世評に激して︑いま一度わかるように﹃草

枕﹄を書いて見せられたものではなかろうか︒この推測

は当たっても当たらなくてもいい︒とにかく﹃草枕﹄を

読んでから︑﹃一夜﹄に移られたほうが︑この作を理解

するうえに便利なように思われる︒

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﹃坊っちゃん﹄と﹃草枕﹄

﹃倫敦消息﹄以後﹃趣味の遺伝﹄にいたる諸作は︑まだ

先生の試作時代である︒﹃坊っちゃん﹄と﹃草枕﹄が︑

先生自身においても創作をもって立つ覚悟を定めさせた

らしい︒これは私の想像であるが︑この想像はおそらく

はずれまい︒

江戸っ子肌の文章といったところで︑生粋な東京語の

言文一致なら必ずしも﹃坊っちゃん﹄に始まったとは言

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われない︒尾崎紅葉をはじめとして︑硯友社の諸先輩は

皆それを使っている︒が︑かれらの江戸語は生粋の江戸

語には相違ないが︑どこか硯友社風に様式化された江戸

語である︒﹃坊っちゃん﹄の江戸語は︑江戸で生まれて

江戸で育った生粋の江戸っ子が

︱私どもは今でもたま、、

にはそういう爺さんや婆さんに出会うことがある

︱普

通差し向かいで話しているような調子である︒したがっ

て︑どちらかといえば︑硯友社の言文一致よりは落語の

それに近い︒単純ではあるが︑同時にまた洗練されたも

のである︒深遠な哲理を語るには不都合かもしれないが︑

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﹃坊っちゃん﹄のような単純な思想や気持ちを伝えるに

は︑ぴたりと当てはまった文体である︒

この文体が坊っちゃんを活躍させるうえにどれだけ力

があるかは︑いやしくも﹃坊っちゃん﹄を読んだほどの

人なら︑ひしひしと感ぜずにはいられまい︒で︑それほ

ど有力な江戸語なるものはいったいどんなものか︑これ

から少しく﹃坊っちゃん﹄について︑いわゆる江戸語な

るものの特徴を考えてみたい︒

第一に気のつく特徴は︑昔から落語家なぞも言うよう

に︑大袈裟なことである︒︵一︶の始めから三つ目の節

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に︑﹁庭を東へ二十歩に行き尽くすと︑南上がりにいさ

さかばかりの菜園があって︑真ん中に栗の樹が一本立っ

ている︒これは命より大事な栗だ﹂という句がある︒栗

、、、、、、、、、、、

の樹を命より大事だとまで言う

︱考えてるのではない

︱ようなものは︑江戸っ子のほかにはめったにあるま

い︒もっとも︑子供だから本当にそう考えていたのでも

あろうが︑いったいに江戸っ子というものが大袈裟なも

のの言い方をするのだという一例にはなろう︒同じく五

つ目の節には︑﹁おれを見るたびに︑こいつはどうせ碌ろ

なものにはならない︑とおやじが言った︒乱暴で乱暴で

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行く先が案じられる︑と母が言った︒なるほど碌なもの

にはならない︒御覧のとおりの始末である︒行く先が案

じられたのも無理はない︒ただ懲役に行かないで生きて

、、、、、、、、、、、、、

いるばかりである﹂という句がある︒これは大袈裟であ

、、、、、、、、

ると同時に︑どこかしら滑稽味を帯んだ︑気の利いた句

ふく

である︒

そのほかまだ例を引けば︑︵五︶の終わりに近く︑坊

っちゃんが赤シャツや野だといっしよに沖釣りに出て︑

船の中で︑両人からいろいろ胡麻をすられる辺に︑赤シ

ャツが坊っちゃんを庇うような︑うまいことを言うあと

かば

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について︑﹁教頭はまったく君に好意を持ってるんです

よ︒ぼくも及ばずながら同じ江戸っ子だから︑なるべく

永くご在校を願って︑お互いに力になろうと思って︑こ

れでも蔭ながら尽力しているんですよと︑野だが人間並

みのことを言った︒野だのお世話になるくらいなら首を

、、、、、、、、、、、、、、、、

縊って死んじまわあ﹂というがごとき︑それからもう少

、、、、、、、、、

し先へ行って︑︵六︶のとっ始めに︑﹁野だは大きらい

、、

ぱじ

だ︒こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまうほう

が日本のためだ﹂とあるがごとき︑さらに進んで︑︵七︶

、、、、、、

の五節目には︑﹁世間がこんなものなら︑おれも負けな

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い気で︑世間並みにしなくちゃやりきれないわけになる︒

巾着切りの上前をはねなければ三度の御膳がいただけ

きんちゃくき

うわまえ

ないと事がきまれば︑こうして生きてるのも考えものだ︒

、、、、、、、、、、、、、、、

といって︑ぴんぴんした達者なからだで︑首を縊っちゃ

、、、、、、

先祖へすまない﹂というような句がある︒これなぞは考

、、、、、、、

え方からして大袈裟だと言わなければならない︒こうい

うふうに︑ものの考え方なり言い回しなりが大袈裟にな

りがちなのは︑かれら江戸っ子の楽天的な性質から︑な

るたけ話をおもしろく吹聴しようとするところに根ざし

ているものと見るべきである︒

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それからよく︑江戸っ子は口が悪いという︒なるほど︑

江戸っ子くらい悪態を吐くことのじょうずな人種はめっ

たにあるまい︒﹁話せない雑兵だ﹂というような捨て

ぞうひょう

ぜりふがある︵バッタ騒動のあと︶︒野だに対しては﹁な

んという猪口才だろう﹂と︑一言の下にきめつける︵ゴ

ちょこざい

いちごん

もと

ルキ釣りの船の中︶︒中学生と師範生との喧嘩の際には︑

﹁始めは喧嘩をとめにはいったんだが︑こうどやされり︑

石を投げられたりして︑恐れ入って引き下がるうんでれ

、、、、

がんがあるもんか﹂とたんかを切る︒うんでれがんの意

、、

、、、、、、

味はよくわからないまでもとにかく聞いていて景気がよ

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い︒そのほか︑﹁ハイカラ野郎の︑ペテン師の︑イカサ

マ師の︑猫っ被りの︑香具師の︑モモンガーの︑岡っ引

かぶ

きの︑わんわん泣けば犬も同然な奴とても言うがいい﹂

と︑悪口における日ごろの蘊蓄を傾倒して︑相手の山嵐

うんちく

をしてつくづく感に堪えざらしめるところがある︒山嵐

じゃないが︑田舎者には﹁そう舌がまわらない︒﹂江戸

っ子は悪口の﹁単語をたくさん知ってる﹂ものだ︒

が︑落語家の言うとおり︑口先ばかりで腹綿のないの

はらわた

が江戸っ子の常で︑悪口がうまいというのも︑実は前に

挙げた大袈裟なものの言い方をするのと同じ傾向に属す

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るものであり︑やはりかれらの楽天的な性質から生まれ

たものと見てやらなければなるまい﹂︒この楽天的な性

分については︑坊っちゃん自身も︵三︶の四節目に︑﹁教

場で折々しくじると︑その時だけはやな心持ちだが︑三

、、

十分ばかりたつと綺麗に消えてしまう︒おれは何事によ

らず長く心配しようと思っても心配ができない男だ﹂と

自分で説明している︒江戸っ子の性質を説く前に︑もう

少し江戸っ子の言葉の特徴を述べておきたい︒

同じく楽天的な性質から導かれた言葉の特徴と思われ

るものは︑いわゆる駄洒落の多いことである︒﹃坊っち

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ゃん﹄の中にはずいぶんこの駄洒落が多い︒たとえば︑

やはり沖釣りの船の中で︑赤シャツと野だとがマドンナ︑

マドンナと符丁で女の話をするのを聞いて︑﹁おれはな

ふちょう

んだかいやな心持ちがした︒マドンナだろうが小旦那だ

、、、、、、、、、、、、

ろうが︑おれの関係したことでない﹂というところがあ

、、、

る︒同じく︑もう少し先へいったところには︑﹁バッタ

、、、

だろうが雪駄だろうが︑非はおれにあるのじゃない﹂と

、、、、、、、、、、

いうのがあり︑同じところに︑教頭が﹁いえ︑お世辞じ

ゃない︒まったく喜んでるんです︑ね吉川君﹂と言うの

を承けて︑﹁喜んでるどころじゃない︑大騒ぎです﹂と

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野だの相槌を打つところがある︒これなぞも大騒ぎをし

あいづち

て歓迎する意味とバッタ騒動とを地口ったものにほかな

じぐち

らない︒

この駄洒落に対する趣味は︑江戸っ子のあいだにはほ

とんど病膏肓に入るの観があって︑まじめな談判をし

やまいこうこう

ている際にも︑われ知れず駄洒落の口を突いて出ること

がある︒

坊っちゃんが下宿の婆さんから︑赤シャツが他人の

許嫁の女を横取りしようとしている話を聞いて憤慨す

いいなずけ

るところで︑婆さんが﹁いったん古賀さんへ嫁に行くて

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て承知しときながら︑いまさら学士さんがお出でたけれ︑

そちらに替えよてて︑それじゃ今日様へすむまいがなも

こんにちさま

し︑あなた﹂と言うのを承けて︑﹁まったくすまないね︒

今日様どころか︑明日様にも明後日様にも︑いつまで行

ったってすみっこありませんね﹂とせき立つところなぞ

がそれだ︒バッタ騒動のあとでは︑坊っちゃんが生徒ど

もから﹁そりゃバッタじゃない︑イナゴぞなもし﹂とや

り込められて︑﹁べらぼうめ︑イナゴもバッタも同じも

んだ︒だいいち先生を捕まえてなもしたなんだ︒菜飯は

、、、

なめし

田楽の時よりほかに食うもんじゃない﹂と︑大いにいき

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り立ってみせる︒せっかくいばってみせても︑その下か

らこう駄洒落を言わずにいられないようじゃ︑教師の威

厳を損ずることおびただしい︒

なおこれは余事であるが︑この際相手に洒落がわから

ないで︑﹁なもしと菜飯とは違うぞなもし﹂と︑やはり

、、、

なもしで押して行くところに︑ここの滑稽趣味を高調さ

、、、

せるものがある︒もっとも︑やや常套の手段であること

は免れない︒

次にこれも江戸っ子の性質とは別に関係はないが︑江

戸っ子特有の訛りを調べてみる︒現今東京語は全国の標

なま

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準語になっているそうだが︑また東京語くらい訛りの多

い方言はめったにあるまい︒そして︑漱石先生はこの訛

りをそっくりそのまま作中に使っていられる︒﹃坊っち

ゃん﹄の中でも︑﹁燻ぶる﹂は﹁燻ぼる﹂と発音される︒

くす

﹁まぶしそう﹂には﹁まぼしそう﹂に︑﹁さびしい﹂は

﹁さみしい﹂または﹁さむしい﹂だ︒﹁どうりで﹂は﹁ど

うれで﹂と発音されて︑﹁どうれで変だと思った﹂とい

うように使われている︒しかも先生は﹁どうれで﹂が﹁道

理で﹂から転訛したものとは気がつかないで︑まったく

別な言葉だと信じていられたというから驚く︒なんだか

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嘘のような話ではあるが︑ずいぶん高い教養のある東北

人でも︑きっとイとエとをまちがえて書くところなぞか

ら考え合わせれば︑言葉の訛りについては︑ずいぶんそ

ういうこともありうる︒なお﹃虞美人草﹄の中では︑﹁へ

ぎ折﹂を﹁へげ折﹂︑﹃坑夫﹄の中では︑﹁お葬い﹂を﹁お

ともらい﹂と訛っていられる︒ずいぶん甘ったれたよう

な訛り方である︒この分じゃ﹁お汁粉﹂のことを舌っ足

らずの下町の娘のように﹁おしろこ﹂と書かれなかった

、、、、

のがまだしも目付けものかもしれない︒

以上の例はまだしも音便のうえからその変化が跡づけ

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られる︒その訛り方は江戸っ子に限るとも言われない︑

田舎にもずいぶん共通の訛り方があるように思われる︒

が︑アクセントの置き方と濁り点の付け方にいたっては︑

まったく専断的で︑そこになんらの法則も見出されない︒

ただ江戸っ子はああ言うんだなと思って︑いちいちおぼ

えておくより仕方がない︒アクセントのことは︑日本の

仮名では表わしようがないからやめておく︒ここにはた

だ濁り点のことについて一言するが︑これは田舎の人も

東京の人もあまり気がついていないようだ︒

たとえば関西人

︱私もそのひとりだが

︱は洗濯屋

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のことを﹁せんだくや﹂と言うが︑東京では決してそう

は言わない︑﹁せんたくや﹂と澄んで発音するし︑牛乳

配達のことは︑私どもの田舎じゃ﹁はいだつ﹂と濁って

発音するが︑東京じゃやはり﹁ぎゅうにゅうはいたつ﹂

と澄むのである︒それじゃ関西で濁るものを東京では澄

めばいいのかというに︑そうとはかぎらない︑まるで反

対のもある︒絆纒着の職人のしている腹掛けのことを︑

はんてんぎ

はらが

私なぞは子供の時から﹁はらかけ︑はらかけ﹂と言い慣

らわせてきたが︑東京じゃあれを﹁はらがけ﹂と濁って

言うのである︒洗濯屋と牛乳配達は﹃明暗﹄の中に︑腹

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掛けは﹃草枕﹄の中に出てくるんだが︑ついでだから述

べておいた︒

なお私は東京の区で麻布のことを﹁あさぶ﹂と澄んで

言っていて︑大いに故先生から笑われた︒そうかと思う

と︑相撲取りの小常陸のことを﹁こびたち︑こびたち﹂

と言い馴らわせて︑満座の中で︑これも先生から大いに

軽蔑されたことがある︒なんて﹁こびたち﹂がそんなに

笑われるほどおかしいかと聞き返したが︑別に先生の返

辞はなかった︒

なお濁り点の置き所が東京と田舎とで違っているので

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は︑﹁しけじけと相手の顔を見る﹂というような例があ

る︒こういう場合︑私どもなら﹁しげしげ﹂と言うんだ

が︑東京じゃ﹁しけじけ﹂と濁り点を置き代えていう︒

江戸っ子がひをしと訛ることは普通に言われる︒下町の

男が来て︑﹁そうししょうされちゃ﹂なぞと︑しきりに

、、、、

﹁ししょう︑ししょう﹂と言うから︑最初はなんのこと

とも合点が行かなかったが︑やっと批評のことだとわか

って︑ひとりで噴き出したこともある︒しとひの訛りも︑

こう二重に重なっちゃちょっとわからない︒

先生にはこういう初歩の訛りはあまりなかったようだ

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が︑物の端のことはやっぱり﹁はじ﹂とふりがなをつけ

ていられる︒それに促音は省いてしまわれることが多か

はぶ

った︒﹃坊っちゃん﹄の中には︑﹁やに落ちついてやが

、、

る﹂といったように︑﹁やに︑やに﹂がしきりに出てく

る︒読者のほうから︑あれは﹁いやに﹂の誤植ではない

かと注意してこられた向きもあったようだが︑先生のつ

もりじゃ﹁いやに﹂を勢い込んで言うとき︑﹁やに﹂と

つまって聞こえるから︑そこを表わすために︑わざわざ

﹁やに﹂と書かれたものらしい︒﹁浮きがなくっちゃ釣

りができない﹂というような場合︑﹁なくっちゃ﹂でも

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﹁なくちゃ﹂でも︑先生にはどちらでもよかったのであ

る︒﹁じれったい﹂とも﹁じれたい﹂とも︑﹁ちょきり

結び﹂とも﹁ちょっきり結び﹂とも︑両方書かれたよう

だが︑先生のつもりでは︑判然つを入れてはあまりに強

く︑まるで取ってしまってはあまりに弱い程度において︑

微に促音のつを入れて読んでもらいたかったものらし

かすか

い︒﹁やに﹂の場合も同様である︒先生自ら江戸っ子の

訛りには多大の注意を払っていられたからである︒

先生の原稿を見ると﹁目眩しそうに﹂なぞと︑活版職

工なぞがうっかり﹁まぶしそうに﹂と組んでしまいそう

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なところには︑いちいち﹁まぼしそうに﹂とかなを振っ

ていられる︒﹁しけじけ﹂なぞは︑何遍そう書いてやっ

ても︑﹁しげしげ﹂と組んでしまうというので︑わざわ

ざ﹁しげしげにあらず︑しけじけなり﹂と注意書きを与

えていられるが︑職工のほうじゃまたそれを先生の誤ま

りと思ったものらしい︒先生がこんな江戸っ子の訛りに

気を使っていられたということは︑必ずしも先生がみず

から純江戸っ子をもって任ぜられたからというわけでは

なく︑それによって作中の人物を活躍させようと計られ

はか

たのである︒

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以上だいたいにおいて︑いわゆる江戸語なるものがど

んなものであるかは説明したつもりだ︒作者はこのはき

はきした江戸語を松山のぞなもし言葉と対照させること

、、、、

で︑周囲映帯の妙を発揮している︒校長の狸をはじめ︑

えいたい

煮え切らない中に︑どこかずるいところのある田舎者と

対照させることにおいて︑いよいよ坊っちゃんの単純な

性格を際立たせているのと同一の手段である︒性格の対

照には︑やや作為と誇張の痕が見えないでもないが︑言

葉のうえの対照には︑まるでそういうものはないから︑

いっそう気持ちよくいっている︒そこに自然のおかしみ

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がある︒︵八︶の坊っちゃんが素人下宿の婆さんとうら

なり先生の噂をしているところで︑

﹁お婆さん︑古賀さんは日向へ行くそうですね﹂

ひゅうが

﹁本当にお気の毒じゃなもし︒﹂

﹁お気の毒だって︑好んで行くんなら仕方がないです

ね︒﹂

﹁好んで行くて︑誰がぞなもし︒﹂

﹁誰がぞなもしって︑当人がさ︑古賀先生が物数奇に

行くんじゃありませんか︒﹂

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﹁そりやあなた︑大違いの勘五郎ぞなもし︒﹂

﹁勘五郎かね︒だっていま赤シャツがそう言いました

ぜ︒それが勘五郎なら︑赤シャツは嘘つきの法螺右衛

門だ︒﹂

﹁教頭さんがそうお言いるのはもっともじゃが︑古賀

さんのお往きともないのももっともぞなもし︒﹂

﹁そんなら両方もっともなんですね︒お婆さんは公平

でいい︒⁝⁝﹂

というふうにつづく︒いったい先生はお婆さんを書く

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ことのうまい人だが︒これもその一例である︒次は前に

も挙げたバッタ騒動のあとで︑坊っちゃんと生徒との会

話︑

おれはさっそく寄宿生を三人ばかり総代に呼び出し

た︒すると六人出て来た︒六人だろうが十人だろうが

かまうものか︑寝巻のまま腕まくりをして談判を始め

た︒

﹁なんでバッタなんか︑おれの床の中へ入れた︒﹂

﹁バッタた何ぞな﹂と真っ先のひとりが言った︒やに

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落ちついていやがる︒この学校じゃ校長ばかりじゃな

い︑生徒まで曲がりくねった言葉を使うんだろう︒

﹁バッタを知らないのか︑知らなけりや見せてやろう﹂

と言ったが︑あいにく掃き出してしまって一匹もいな

い︒

いきなりバッタた何ぞなと反問されたので︑坊っちゃ

ん機先を制せられて鋭鋒を挫かれることおびただしい︒

えいほう

こうしてなまぬるい松山の方言と︑いきり立ったべらん

めえとを対照させたところに︑この辺のおもしろみは存

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するので︑そこにまた作者の猾手段があるとも言われよ

かつしゅだん

う︒江

戸っ子の言葉の話はこのくらいにして︑江戸っ子そ

のものの性質の話に移るが︑それらだいたいは言葉の話

をする際にちょいちょい関説したが︑ここにはそれに漏

かんせつ

れたところを補うようなつもりで話す︒﹃坊っちゃん﹄

の中で江戸っ子を代表するものは坊っちゃんを守したお

もり

清というお婆さんと︑坊っちゃん自身である︒だからこ

こに説こうとする江戸っ子の特質なるものも︑やはりこ

のふたりから推論されるものにかぎると思ってもらいた

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い︒お

清婆さんは坊っちゃんが四国へ赴任すると聞いて︑

﹁箱根の先ですか手前ですか﹂と聞いた女だ︒東京生ま

れの無教育な女というものはかわいらしいほど世間知ら

ずである︒一つは帝都の真ん中に住んでるので︑他所へ

行ってもここよりよい所はないと伝習的に信じきってい

るからでもあろう︒田舎の爺さん婆さんよりはよほど世

間を知らない︒

私は最初上京してから半年ほどして︑下宿した家の

主婦さんや娘が私よりもよほど東京そのものを知らない

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ので驚いたことがある︒かれらはふたりとも東京生まれ

であった︒考えてみればそれもそのはずで︑私ども田舎

者が上京すれば︑なにを措いてもまず東京見物というこ

とをするが︑かれら母娘はまだ東京見物をしたことがな

いのだから仕方がない︒自分の住んでる東京さえ知らな

いくらいだから︑越後の笹飴がどこでできるものやら︑

四国が箱根の先か手前か知らないのも無理はなく︑﹁箱

根の向こうだから化物が寄り合ってるんだ﹂と思ってい

るのは︑一面においてかれらの都会人たる矜りを示すと

ほこ

ともに︑かれらの可憐な無識を暴露するものである︒

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私はこういう種類の女を先生が書かれたのを見たと

き︑なんとなく涙の滲むような懐かしさを感じた︒こう

いう種類の女は東京ばかりでない︑パリにも︑ロンドン

にも︑ペトログラードにもたくさんあるはずだ︒私は小

説に表われたそれらの女をだいぶ知っているし︑それら

の女が皆好きだ︒一種の都会情調である︒そして︑それ

らの女が﹁田舎者は皆人が悪いそうだから気をつけろ﹂

というふうに考えているのは︑﹁東京は生き馬の眼を抜

く所﹂とばかり聞かされつけてきた私どもにとっては︑

都会人の田舎者に対する抗弁として耳新しくもあれば︑

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それぞれの愛郷心の発露として︑私ども田舎者にも気持

ちよく聞かれる︒実際︑﹃坊っちゃん﹄一篇は︑この意

味において︑安価な︑しかしながらしみじみとした都会

情調で貫いているものと見れば見られないこともない︒

坊っちゃんその人に表われた江戸っ子の特質なるもの

は︑前からもたいてい挙げてきたが︑それ以外には食い

しんぼうということだの︑喧嘩っ早いことなぞに見られ

けんか

ぱや

る︒食いしんぼうが江戸っ子だけに限った性質であるか

どうか︑そいつはわからないが︑ただ蕎麦と団子が大好

物だというのは︑江戸っ子の特質以外に︑坊っちゃん自

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身のたわいなさを表わすものと言わなければならない︒

喧嘩っ早いことに関しては︑土佐のなんとか踊りを見に

行った際の喧嘩によく表われている︒すばしこいわりに

あまり強くないことも当人の言うとおりである︒明くる

日土地の新聞に出た喧嘩の記事を見て︑癪にさわって

しゃく

たまらず︑その新聞を引き裂ぶいて庭へ抛りつけたが︑

ほう

それでもまだ飽き足らないで︑後架へ捨てに行くあたり

は︑まったく江戸っ子の気性そのままだと言わなければ

ならない︒かれらは︑しかく執着性と深刻さとを欠いた

人種である︒

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それから﹁きょうの新聞に辟易して学校を休んだなど

へきえき

と言われちゃ︑一生の名折れだ﹂というので︑﹁いの一

番に出頭する﹂あたりにも︑江戸っ子一流の負けぬ気が

表われ︑そこで山嵐と顔を見合わせる段になって︑こい

つの﹁鼻にいたっては紫色に膨張して︑掘ったら中から

膿が出そうに見える︒自惚のせいかおれの顔よりよっぽ

うみ

うぬぼれ

ど手ひどくやられている﹂というところなぞは︑苦しい

中にも自己を客観化して洒落の一つも言わずにはいられ

ない︑江戸っ子の洒脱な︑ものに拘泥しない気性をあら

こうでい

わしたものだ︒

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洒落といえば︑新聞に取り消しを申し込んでもなかな

か埓が明かないので︑坊っちゃん自身談判に出掛けよう

らち

とするのを︑狸の校長がまあまあと止めて︑﹁それはい

かん︑君が談判すればまた悪口を書かれるばかりだ︒つ

まり新聞屋に書かれたことはうそにせよ︑本当にせよ︑

つまりどうすることもできないものだ︒あきらめるより

ほかに仕方がないと︑坊主の説教じみた説諭を加えた︒

新聞がそんなものなら一日も早く打っ潰してしまったほ

つぶ

うが︑われわれの利益だろう︒新聞に書かれるのと︑泥鼈

すっぽん

に食いつかれるとが似たり寄ったりだとは︑今日只今狸

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の説明によってはじめて承知つかまつった﹂︒これなぞ

は︑どんなことでも洒落のめさずにはいられない江戸っ

子の癖が出ているとともに︑またこれまでぴたりと嵌ま

ったうまい洒落は︑わが漱石先生でもなけりゃ容易に聞

かれそうもない︒

これらの江戸っ子の特徴は坊っちゃんの個性としっく

り融合しているので︑どこまでが江戸っ子の一般的性質

で︑どこからが坊っちゃんの個性の表われだか︑容易に

決められそうもなく︑決めなくてもいいことだ︒元来坊

っちゃんは兄弟喧嘩をして︑おやじが勘当すると言い出

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したとき︑﹁もう仕方がないと観念して︑先方のいうと

おり勘当されるつもりでいた﹂というほど無邪気な︑単

純な男である︒こんな単純な男だから江戸っ子の一般的

性質をあれほどよく発揮したんだとも言われようが︑逆

に江戸っ子に生まれたから坊っちゃんはあれほど単純な

個性を発揮されたとも言われよう︑両方相持ちである︒

どっちから見たって差しつかえない︒そして︑この単純

で江戸っ子的なところが田舎者ののろ臭い︑そのくせい

、、

やに持ってまわった世間的なところと対照されて︑一種

の滑稽趣味を生ずるのである︒

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坊っちゃんがはじめて校長に面会して︑教育の精神や

ら教師の義務やら︑いろいろお談議を聞かされたとき︑

そんなむずかしいことはとても自分にゃできそうもない

と考えて︑そのまま断わって帰ろうとするところがある︒

旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思っ

て︑とうていあなたのおっしゃる通りにゃできません︑

この辞令は返しますと言ったら校長は狸のような眼を

ぱちつかせて︑おれの顔を見ていた︒やがていまのは

ただ希望である︑あなたが希望どおりできないのはよ

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く知っているから心配しなくってもいいと言いながら

笑った︒そのくらいよく知ってるなら︑始めから威嚇

おどか

さなければいいのに︒

ここを読んで会心の微笑を促されぬものはおそらく

うなが

あるまい︒そのほか山嵐が免職されたあとで︑﹁そんな

裁判はないぜ︒⁝⁝君とおれはいっしよに祝勝会へ出て

さ︑いっしよに高知のぴかぴか踊りを見てさ︑いっしよ

に喧嘩をとめにはいったんじゃないか︒辞表を出せと言

うなら公平に両方へ出せと言うがいい﹂と︑坊っちゃん

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が憤慨するのを︑山嵐が承けて言うには︑

﹁それが赤シャツの指し金だよ︒おれと赤シャツとは

がね

いままでの行きがかり上とうてい両立しない人間だ

が︑君のほうは今のとおり置いても害にならないと思

ってるんだ︒﹂

﹁おれだって赤シャツと両立するものか︒害にならな

いと思うなんて生意気だ︒﹂

﹁君はあまり単純過ぎるから︑置いたってどうでもご

まかされると考えてるのさ︒﹂

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﹁なお悪いや︒誰が両立してやるものか︒﹂

この辺は坊っちゃんの無邪気さ加減とその江戸っ子的

表現とから生ずるおもしろみで︑さらに坊っちゃんが校

長の前へ出て︑いっしよに免職してくれと駄々をこね︑

狸がめんくらって狼狽するあたりは︑やはり単純と複雑︑

世間知らずと世間的な凡物との対照からくるおかしみで

ある︒それにはまたきびきびした江戸っ子と田舎者のの

ろまさ加減の対照がよほどそのおかしみを助けている︒

最後に江戸っ子的性情から導かれた滑稽味としては︑

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﹁たまごの仇討ち﹂を挙げることができる︒たまごを敵

かたきう

手の顔に打ちつけて︑たらたらと黄身が流れるなぞは︑

見ていても痛快きわまるものに相違ない︒そのくせ命に

別条はないだろうから︑見た目に効果のあるほど深刻で

はない︒そこに江戸っ子の楽天的な性情が仄見えていて︑

ほのみ

茶番なぞで演ってみたら定めて受けるだろうと思われ

る︒も

っとも︑これは全然先生の創意というわけではなく︑

生前先生から聞いたところによれば︑メレディスにも︑

馬鈴薯を取っては投げ取っては投げして︑傍からそう投

ばれいしょ

そば

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げるとお午の弁当がなくなると言われ︑やっと罷めると

ひる

ころがあるそうだ︒それにしても馬鈴薯を生卵にしたと

ころに︑先生の創意もあれば︑ここのおもしろみもある︒

ところで︑ここに一つ注意すべきことは︑坊っちゃん

はあれほど単純で無邪気な性格に描かれているけれど

も︑ぼっとしたようなところはどこにもない︒どこもか

しこも神経がぴりぴりと働いている︒自分ではしきりに

知恵が足りない足りないと言ってるようだが︑ありゃ嘘

だ︒間の抜けたようなところはどこにもない︒どこにも

拙なところがない︒前に挙げたたまごの仇討ちにしてか

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らが︑深刻ではないが︑どこか気の利いたところがある︒

ただ一箇所︑主人公の拙なために読者の笑いを買いえ

たと思われるのは︑坊っちゃんが山嵐に一銭五厘の氷代

の割り前を返そうとして︑銅銭を手の平に握ったまま︑

学校まで行って︑開けて見ると膏っ手だから一銭五厘

あぶら

が汗をかいていたというところだけであろう︒それを机

の上に置いて︑ふうふう吹くところなぞはなるほど拙だ

が︑ここを措いては︑全篇を通じてこんな感傷的な笑い

を促すようなところはない︒

︱私は笑いにも感傷的な

笑いがありうると信ずるものである︒

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先生は自叙伝小説を書かない人である︒こういう意味

は︑自分で経験したことを書かれたことがないという意

味ではない︒いくら想像で書くといったところで︑人間

の想像というものからして︑過去に経験した個々の材料

を違った連鎖において新たに組み立てることの謂いにほ

かならない︒この意味において︑先生はすべての作を想

像によって書かれた︒換言すれば︑先生は自己の経験を

まとまった自己の経験︑すなわち自己の閲歴としては書

かれなかったけれども︑個々の材料としては盛んに作中

に取り入れていられる︒このことは先生のすべての作に

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ついて言われることではあるが︑ことに﹃坊っちゃん﹄

は初期の作であるためでもあろうが︑それが比較的まと

まった経験として作中に織り込まれている︒そして︑そ

のことは坊間にも伝わっているようだから︑ここに私の

知れる範囲において︑﹃坊っちゃん﹄に描かれた先生の

経験

︱事実あった話を挙げる︒

第一︑先生の生家の隣に相模屋という質屋があったこ

さがみ

とは事実である︒﹃坊っちゃん﹄の中では︑それが山城

屋となっている︒この相模屋に勘太郎のような倅があ

せがれ

ったかどうかは知らない︒が︑その時代の先生はずいぶ

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ん手に負えない腕白で︑両親に対する感情もこの作に表

われたとほとんど似たものであったということは︑私ど

もも折に触れて先生自身の口からうかがったものだ︒

それに伴れて︑お清という婆さんも実際あったという

ことである︒このお清

︱これが本名である

︱に対し

ては︑一生美しい追憶を持っていられたらしい︒それが

ためか︑お清は作中にあっても特殊の愛情をもって取り

扱われている︒この婆さんの出てくるところ必ずしみじ

みとした感情が伴っている︒﹁おれは若い女もきらいで

はないが︑年寄りを見るとなんだかなつかしい心持ちが

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する︒おおかた清が好きだから︑その魂が方々のお婆さ

きよ

んに乗り移るんだろう﹂とあるのは︑先生自身の感情を

表わしたものと見られる︒お婆さんが好きなだけに︑お

婆さんを書くことは実際うまく︑﹃琴のそら音﹄の中の

婆やもやはりお清婆さんの化身と見てよかろうし︑その

ほか︑﹃草枕﹄の中にも︑﹃趣味の遺伝﹄の中にも年寄

りが出てくるが︑皆しみじみとした実感にあふれている︒

︵三︶の三節目に︑ある人の使いに帝国ホテルへ行って︑

錠前直しとまちがえられたと書いてあるが︑これは先生

が大学生時代に︑新たにやとわれてきた外国教師が泊ま

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っている所へ︑学生総代としてあいさつに出向かれたと

きのできごとである︒前に挙げた︑坊っちゃんが狸の校

長に向かって﹁とうていあなたのおっしゃる通りにゃで

きません︒この辞令は返します﹂と言うところなぞも︑

実際にあった話で︑大学卒業後︑はじめて高等師範の講

師になられたとき︑嘉納校長に面接して︑やはりあのと

おりのことを答えられたのだそうな︒

﹃坊っちゃん﹄に取られた場所が︑作中にはどこにもそ

れと挙げてはないけれども︑伊予の松山であることは周

知の事実である︒住田の温泉とあるのは有名な道後の湯

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でなければならない︒では︑松山にあのような事件があ

って︑この作の中へ現われる人物もそれぞれモデルがあ

ったのであろうか︒

私はよく松山人が狸の校長は誰︑山嵐は誰に当たると︑

いちいちその名を挙げているのを聞いたが︑﹃坊っちゃ

ん﹄の出た当時︑好奇な新来の客なぞから︑そんな話が

出るたびに︑先生はにがい顔をして﹁ばかをいうな︒あ

の時分あの学校には文学士といえばぼく一人よりいなか

った︒そんなことをいったら︑さしずめ赤シャツはぼく

のことになるよ﹂と︑一言のもとに斥けていられた︒

しりぞ

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一つおかしいのは︑同じく︵三︶の三節目に︑﹁あし

たの下読みをしてすぐ寝てしまった﹂という一句︑坊っ

ちゃんは数学の教師であったはずだから︑数学の教師に

下読みはおかしい︒まちがいと言えば︑沖釣りに出てゴ

ルキを釣り上げたとあるが︑あれは土地ではギソという

魚だそうな︒ロシアの文学者でなくて︑フランスの歴史

家に似ていたのである︒西洋人に似た名前だとおぼえて

いられたので︑こんなまちがいを生じたものらしい︒

そのほかうらなり先生の送別会で︑野だが棕櫚箒を

しゅろぼうき

小脇に掻い込んで﹁日新談判破裂して⁝⁝﹂と座敷中を

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練り歩くところがある︒この歌はたいていの人が二十七︑

八年戦役の際できたもののように心得ているが︑あのこ

ろ吾妻艦という軍艦は帝国の艦籍にはない︑﹁品川乗り

出す吾妻艦﹂は台湾戦争のことだと︑さる物識りが教え

てくれた︒

このほか︑﹃坊っちゃん﹄の中に現われた事実として

は︑先生の家の系図である︒多田の満仲の後裔は系図に

みつなか

あるとおりだが︑旗本ではない︒もっとも︑これは多少

自嘲の気味で引き合いに出されたものらしい︒自嘲とい

うのが強ければ︑有り合わせのものを使われたのである︒

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﹃坊っちゃん﹄の話はだいぶ長くなったからこのくらい

にしておいて︑今度は﹃草枕﹄

︱﹃草枕﹄と﹃坊っち

ゃん﹄とは︑ともに一人称で書かれていること︑すなわ

ち主人公みずから自家の経験を語る体になっていること

てい

が似てはいるけれども︑そのほかにはなに一つ似たとこ

ろはない︒﹃坊っちゃん﹄が平易明晰な行文であるのに

こうぶん

対し︑﹃草枕﹄はかなり修飾された︑いわゆるエラボレ

ートされた文章である︒もっとも︑そう言うのは︑先生

が﹃草枕﹄では骨を折って︑ようやく書き上げられたと

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いう意味ではない︑わずか七日で一気にできあがったも

のだということは︑私どもも聞いているし︑それがまた

行文のうえにも表われて︑あれだけ独創と感覚的幻惑と

に富んだ︑目の覚めるような文章でありながら︑筆の渋

滞したような痕跡はどこにも見えない︒最初この作を一

読したとき︑私は﹁言語に絶す﹂とばかり感慨これを久

しゅうしたものだ︒つまりこういう文体なり材料なりが

先生のエレメントにあったのである︒

先生という人は︑前にも言ったように︑最初は俳句に

安住の地を求めた人である︒それが俳句では満足ができ

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なくなって︑おいおい創作に手を延ばすようになられて

からも︑やはり俳句で養われた芸術観なり趣味なりが︑

その根底をなしていた︒いわゆる俳味なるものの中で︑

ものの不調和を味わう方面︑すなわち一転して滑稽味と

なり︑滑稽味に参することによって解脱を期する方面で

は︑まず﹃自転車日記﹄なぞに萌芽を発して︑﹃吾輩は

猫である﹄に大成したことは前にも説いた︒﹃坊っちゃ

ん﹄は単なる滑稽物とは言われないかもしれないが︑先

生の作を大別すれば︑まずこの系統に属するものと見て

差しつかえない︒

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これに反し︑俳句本来の面目を発揮してものの調和を

味わう方面︑すなわち詩と美の世界に悠遊し︑それに味到

ゆうゆう

みとう

することによって転瞬の解脱を求めようとする方面で

てんしゅん

は︑まずこの﹃草枕﹄を代表作として挙げなければなら

ない︒実際︑﹃草枕﹄は俳句を引き伸ばしたような作で

ある︒そして︑先生のそれまでの句作における修養と蘊蓄

うんちく

とは︑この一篇に結晶して表われていると言ってもいい︒

﹃草枕﹄の始めに︑作者の芸術観が挙げてある︒﹁智に

働けば角が立つ︒情に棹させば流される︒意地を通せば

窮屈だ︒とかくに人の世は住みにくい︒﹂﹁住みにくさ

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が高じると︑安い所へ引っ越したくなる︒どこへ越して

も住みにくいと悟った時︑詩が生まれて︑画ができる︒﹂

﹁越すことのならぬ世が住みにくければ︑住みにくい所

をどれほどか寛げて︑束の間の命を束の間でも住みよく

ひろ

せねばならぬ︒ここに詩人という天職ができて︑ここに

画家という使命が降る︒﹂では︑どうしてその詩人や画

くだ

家は住みにくい世を住みよくするかというと︑﹁住みに

くき世から住みにくき煩いを引き抜いて︑ありがたい

わずら

世界を目のあたりに写すのが詩である︑画である﹂とい

うのである︒

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一口に言えば︑芸術の目的は人生に余裕を与えるにあ

って︑余裕のある世界は実際にはないから︑詩や画のう

えでこれを作ろうというのである︒いちばんよい芸術は

世の中を忘れさせてくれるものであるということにな

る︒人事に関係のない︑天然の景物を歌ったり︑画いた

りしたものがいちばんよいということになる︒なぜよい

かというに︑それは利害の念を離れて︑ただ美しいもの

として眺めることができるからで︑もっとも利害の念を

捨てさえしたら︑人事に関係した事柄でも美しいものを

ただ美しいものとして見られないことはない︒

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先生は同じところで︑恋も美しかろ︑忠孝も美しかろ︑

が︑その美しさが﹁わかるためには︑わかるだけの余裕

のある第三者の地位に立たねばならぬ︒第三者の地位に

立てばこそ︑芝居は見ておもしろい︒小説も見ておもし

ろい︒芝居を見ておもしろい人も︑小説を読んでおもし

ろい人も︑自己の利害は棚へ上げている︒見たり読んだ

りするあいだだけは詩人である﹂と言われている︒

が︑芝居や小説では利害の念は離れることができても︑

人情は捨てられない︒余裕に重きをおく人から見れば︑

それさえいやに相違ない︒東洋の詩歌と西洋の文学とを

しいか

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較べれば︑人情を離れない西洋の文学よりは︑天然と融

合したような東洋の詩歌がいいということにもなる︒そ

こで先生は︑﹁菊を東籬の下に採り︑悠然として南山を

とうり

もと

なんざん

見る﹂という陶淵明の詩と︑﹁独り坐す幽篁の裏︑琴を弾

とうえんめい

ひと

ゆうこう

だん

じて復長嘯す﹂という王維の詩とを引いて︑この境地

またちょうしょう

おうい

を説明していられる︒この出世間的な詩味に憧れる先生

を指して︑消極的だ︑逃避的な態度だと非難するなら︑

先生は甘んじてそれを受けられたかもしれない︒ただ﹁二

十世紀に睡眠が必要ならば︑二十世紀にこの出世間的な

詩味も大切である﹂と主張せられたのである︒

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が︑二十世紀の天地では︑淵明や王維のように悠然と

して南山を見たり︑竹藪の中で昼寝ばかりしても暮され

ない︒どんな山の中へはいっても人間は住んでいる︒人

間が住んでいる以上︑それとの交渉なしには一日もすま

されない︒そこで︑非人情という態度が提出された︒人

情を人情として見ない︑趣味として︑芸術として見る謂

いで︑それにはまず自己の利害を離れて第三者の地位に

立たなければならないが︑それだけではまだ人情に動か

されることを免れない︑なるたけなら芝居を見るという

よりは︑むしろ能を見るような心持ちで人生に対せよと

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いうのである︒

芝居がありのままの人情を取り扱っているとすれば︑

能はその上に幾重にも芸術の衣を被せている︒一方が真

まこと

を主眼として人情を取り扱っているとすれば︑一方は美

を主眼として取り扱っている

︱と︑はっきり区別する

わけにもいかないが︑だいたいにおいてそんなことが言

われないこともなく︑能が芝居よりも芸術味の多いだけ︑

それだけ人情味は少ないとも言われよう︒そこがいっそ

う非人情の主旨に適うゆえんである︒

かな

が︑能を見るような気持ちばかりでもいられないとき

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は︑芝居見物まで妥協しても差しつかえない︒なんとな

れば︑芝居を見る心持ちとは︑いわゆる第三者の態度を

持することであって︑この態度を持してさえいれば︑そ

れに動かされはしてもそれに囚われる恐れはないからで

あって︑先生は︵三︶に適切な例を引いて︑この関係を

説明していられる︒

﹁われわれは草鞋旅行をするあいだ︑朝から晩まで苦し

わらじ

い苦しいと不平を鳴らしつづけているが︑人に向かって

曽遊を説く時分には︑不平らしい様子は少しも見せぬ︒

そうゆう

おもしろかったこと︑愉快であったことはむろん︑昔の

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不平をさえ得意に喋々して︑したり顔である︒これは

ちょうちょう

あえてみずから歎くの︑人を偽るのという了見ではない︒

旅行をするあいだは常人の心持ちで︑曽遊を語る時はす

でに詩人の態度にあるから︑こんな矛盾が起こるのだ︒﹂

同じように︑小説家が自家の閲歴を書く場合も︑常人

として経験したものを詩人として書くので︑人生を芸術

化せんとの欲望から起こる︒前と同じ節において︑先生

は一歩を進めて﹁世には有りもせぬ失恋を製造して︑み

ずから強いて煩悶して︑愉快を貪るものがある︒常人は

これを評して愚だという︑気違いだという︒しかしみず

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から不幸の輪廓を描いて好んでその中に起臥するのは︑

みずから烏有の山水を刻画して壺中の天地に観喜するの

うゆう

こちゅう

と︑その芸術的の立脚地を得たる点においてまったく等

しいと言わねばならぬ﹂と言い︑さらにまた︑いかにし

て目のあたりの人生を芸術化すべきかを説いて︑﹁こん

な時にどうすれば詩的な立脚地に帰れるかといえば︑お

のれの感じそのものをおのが前に据えつけて︑その感じ

から一歩退いて︑他人らしくこれを検査する余地さえ

しりぞ

作ればいいのである︒詩人は自分の死骸を自分で解剖し

て︑その病状を天下に発表する義務を有している﹂と︒

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ここにいたって︑非人情の態度は自然派の主張をも包

含したものと言わなければならない︒というのは︑利害

の念を離れて第三者としておのれに臨むということは︑

人生を美しいものとして眺めるための条件でもあろう

が︑それよりも人生の真を捕捉するための条件と言っ

まこと

たほうがより適切であるからで︑自然派のいわゆる人生

の観照的態度とはこれにほかならない︒で︑私どもは先

生が非人情を主張せられる結果︑いわゆる耽美派の立脚

地を是認するともに︑自然主義の主張をも容れられたも

のと見て差しつかえなかろう︒

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が︑どうも先生のつもりはそうではなかったらしい︒

それは前に挙げたような︑あんなはげしい言葉のあとへ

もってきて︑一見それとはまるで釣り合わない︒﹁その

方便はいろいろあるが︑いちばん手近なのは︑なんでも

かんでも手当たりしだい十七字にまとめて見るのがいち

ばんいい﹂というような︑平易なことを言っていられる

のでもわかる︒﹁自分の死骸を自分で解剖してその病状

を天下に発表する﹂手段が単なる俳句であろうとは︑な

んとしても私どもには物足りないが︑それも先生の芸術

の目的が人生に余裕をもたらすにあって︑余裕を主とし

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て考うれば︑俳句ほど自己を客観するうえに手ごろな︑

手ッ取り早いものはなかろう︒

いわく︑﹁まアちょっと腹が立ったと仮定する︒腹が

立ったところをすぐ十七字にする︒十七字にする時は自

分の腹立ちがすでに他人に変じている︒腹を立てたり︑

俳句を作ったり︑そうひとりが同時に働けるものではな

い︒ちょっと涙をこぼす︒この涙を十七字にする︒する

や否やうれしくなる︒涙を十七字にまとめた時には︑苦

しみの涙は自分から遊離しておれは泣くことのできる男

だといううれしさだけの自分になる﹂︒

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それに違いないが︑俳句によって自己を客観するのは︑

美に即して︑おのれを美しいもの︑趣味あるものと見立

てて客観するのであって︑真に即して︑おのれの姿を

まこと

直視し︑その真に徹底することによって客観するのでは

ない︒ここに両者の相違がある︒先生はこのところでは

この二つのものを混同していられるようだが︑この根本

の相違を見遁すわけにはいかない︒真に即して︑自己の

みのが

感情を直視し︑それを客観することによっても余裕は十

分に得られる︒おのれを美しいもの︑趣味あるものと見

立てたのでは︑もしそこに真を逸していたら︑ただちに

のが

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動揺が起こる︒真に即して自己を客観したものには︑そ

れがない︒が︑どういうものか︑先生はそれを採られな

かった︒採られないばかりでなく︑真に即した文芸は人

生から余裕を奪うもののように言いなされた︒

なるほど真に即して真に囚われた作物は︑いよいよ真

とら

を発揮し得て︑いよいよ余裕を失うような結果にもなっ

ている︒おおかたの自然主義の作品はそれだと言っても

いい︒が︑それは真に囚われた作物の弊で︑ちょうど耽

へい

美派の作品が︑美に即して美に囚われる結果︑余裕どこ

ろの騒ぎでなくなると同じことではないか︒真の自然主

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義の作品はそんなものではない︒おのれの姿を直視し︑

自己を諦観するこの傾向が進めば︑ついには文芸の域を

脱して︑禅家のいわゆる生死の関門を打破して︑一大頓悟

いちだいとんご

を発するところまで行くのであろう︒

私は人生の真に徹しようとする文芸上の観照的態度

が︑ここに述べたような宗教上の悟りと必然的に繋がる

ものであることを信ずるが︑先生はやはりそれをも採ら

れなかった︒先生のいわゆる余裕ある文学

︱たとえば

前に挙げた俳句のように︑美に即して自己を客観化せん

とするもの

︱こそ︑宗教上の悟りの境地と相通ずるも

あいつう

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のであることを主張していられた︒このことに関しては︑

私は生前

︱とくに﹃草枕﹄の出た前後

︱よく先生と

論争したものだ︒﹁先生は一大事を忘れていられる﹂と

いうような激語を放ったこともあった︒そして︑たいて

いの場合は先生からやり込められた︒実際︑美に即して

も︑宗教上の悟りを思わせるような境地に達せられない

ことはない︒

先生はなお︑﹁一事に即し︑一物に化するのが詩人の

感興とはいわぬ︒ある時は一弁の花に化し︑ある時は一

双の蝶に化し︑あるいはワーズワースのごとく︑一団の

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水仙に化して心を沢風のうちに繚乱せしむる事もあろ

たくふう

りょうらん

うが︑なんとも知れぬ四辺の風光にわが心を奪われて︑

わが心を奪えるは那物ぞとも明瞭に意識せぬ﹂場合があ

なにもの

ると言い︑さらに﹁普通の同化には刺激がある︒刺激が

あればこそ愉快であろう︒余の同化にはなにと同化した

か不分明であるから毫も刺激がない︒刺激がないから窈よ

然として名状しがたい楽しみがある﹂とも説かれている

ぜん︵

両節とも第六章より引く︶︒この境地は︑詩人のいわゆ

る﹁冲融﹂とか﹁澹蕩﹂とか称するもので︑同化によ

ちゅうゆう

たんとう

ってわれを忘れ︑同化の対象それ自体をも忘れる点にお

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いて︑かかる心の状態こそ宗教上の解脱と一味相通ずる

ものであろう︒先生は常にこの境地を愛していられ憧憬

してもいられた︒

これを要するに︑真に徹底するにしろ︑美に同化する

にもしろ︑それによって利害の念を離れ︑自己を忘れる

ことができれば︑そこに一種の言い知れぬ余裕が湧く︒

この余裕は解脱にほかならない︒解脱によって︑はじめ

て真正の余裕が得られるのである︒先生が余裕をもって

芸術の目的とされたのも︑もっぱらこの意味であると見

なければならない︒

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﹃草枕﹄は︑一方にこの芸術観を敷衍して述べなが

えん

ら︑一方にそれを具体化して見せたものである︒この議

論と描写との並行していくところに︑この作の異色があ

って︑こんな例はわが国には従来かつて見られなかった︒

この作にはみずから画家と名のるひとりの主人公があ

る︒この主人公が作者に代わって芸術観を吐きながら︑

自分でそれを実行してみせるので︑芸術観とは例の非人

情の態度

︱第三者として人生に対することである︒い

ろいろ変わった自然や人間に出逢うのだが︑最初山道へ

かかったころは︑画家だけに︑菜の花だの︑雲雀だの︑

ひばり

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山越えをして来る赤い毛布だのが眼に着く︒やがて雨が

けっと

降り出した︒濡れながらかけて行くうちに︑

五︑六間先から鈴の音がして︑黒い中から馬子がふ

けん

うとあらわれた︒

﹁ここらに休む所はないかね︒﹂

﹁もう十五丁行くと茶屋がありますよ︒だいぶ濡れた

ね︒﹂ま

だ十五丁かと振り向いているうちに︑馬子の姿は

影絵のように雨につつまれて︑またふうと消えた︒

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それから峠の茶屋で休んだときは︑茶店の婆さんの顔

を能の面に見立てた︒それほど悠長な︑浮き世を離れた

顔をしていたのである︒これはこの作全体の結構とも関

係がある︒﹁二︑三年前宝生の舞台で高砂を見たこと

ほうしょう

がある︒その時これはうつくしい活人画だと思った︒箒

かつじんが

を担いだ爺さんが橋懸りを五︑六歩来て︑そろりと後向

はしがか

きになって︑婆さんと向かい合う︒その向かい合うた姿

勢が今でも眼につく︒余の席からは婆さんの顔がほとん

ど真むきに見えたから︑ああうつくしいと思った時に︑

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その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまっ

た︒茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたもので

かよ

ある︒﹂作者の芸術観において︑なるたけ人情に触れた

くない︑触れなくてはならぬ場合でも能を見ているくら

いの淡い心持ちで通り過ぎたいとあるのに協わせたので

かな

ある︒

画家はまたこの婆さんに石臼が挽かしてみたくなった

いしうす

という︒この画工の眼の着けどころが画家というよりも

俳諧師に似ているのは争われない︒それに画よりは俳句

のほうがよくできあがる︒画はたいがい未成品で終わる

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のだ︒茶店の婆さんと馬士の源兵衛との間に︑那古井の

湯治場のお嬢さんの話が出る︒

とうじ

ばお婆さんは言う︒﹁源さん︑わたしゃ︑お嫁入りの

ときの姿が︑まだ眼の前にちらついている︒裾模様の

振袖に高島田で︑馬に乗って⁝⁝﹂

﹁そうさ︑船ではなかった︒馬であった︒やはりここ

で休んで行ったな︑おばさん︒﹂

﹁あい︑その桜の下で嬢様の馬がとまったとき︑桜の

花がほろほろと落ちて︑せっかくの島田に斑ができ

まだら

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ました︒﹂

この光景は︑画家の言うとおり︑画にもなる︑詩にも

なる︒この画工にはここでもやはり画はできあがらなか

った︒代わりに句ができた︒

花の頃を越えてかしこし馬に嫁

もっとも︑花嫁の衣装も髪も︑馬も桜もはっきり目に

映じたが︑かんじんの顔だけはどうしても想いつけなか

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907

ったとある︒どうしてその顔を︑ぴたりとはまった顔を

想いついて︑この画を完成させることができるかという

のが︑この作の主題になっている︒花嫁は言うまでもな

くこの小説の女主人公たる那美さんで︑伝説の長良の乙

ながら

女に似た背景を背負っている出戻りの女である︒ここま

でがこの作の序曲といったようなもので︑これだけ読め

ば一篇の傾向なり気分なりがわかるようになっている︒

おまけに作の主題も暗示され女主人公も紹介されている

手際は︑老手と言うほかない︒

で︑これからいよいよ主人公の画家が湯治場へ乗り込

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んで︑那美さんに出逢う︒この女がいろいろなしぐさを

して見せる︒それをまた片っ端から画にして︑あくまで

非人情に取り扱って見せようというのである︒温泉の宿

へ着いた夜は︑ぐるぐると迷宮のような回廊を引きまわ

されて︑あげくのはてに二階とも下座敷ともわからぬ六

畳の部屋に入れられる︒そこではじめて那美さんがあら

われる︒

この女のあらわれる順序からいえば︑最初は志保田︵湯

の宿︶へ泊まった当夜︑画家が夢を見たあとで︑まず﹁秋

づけば尾花が上に置く露の消ゆべくもわは思ほゆるか

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も﹂という︑長良の乙女の歌を聞かせながら︑月下の海棠

かいどう

の下に立って︑はじめて姿を見せるのである︒詩的には

相違ないが︑はなはだ気取ったあらわれ方である︒画家

はそれでももうこの女に囚われそうになって︑しきりに

俳句を作って紛らそうとする︒次には夜半に画家の寝て

よなか

いる部屋の戸棚からなにか取り出しに来て驚かせる︒

第三番目には︑朝起きて︑湯壺へ降りて︑しばらく温

あたた

まったあとで︑身体もふかずに上がろうとするとき︑い

からだ

きなり背後へまわって︑﹁さアお召しなさい﹂と︑やわ

らかな丹前をふわりとかけてくれた︒画家はまた驚かさ

たんぜん

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れた︒画家ははじめて女の顔をまともに見た︒

︱﹁昔

から小説家は必ず女主人公の容貌を極力描写することに

相場が極っている︒古今東西の言語で︑佳人の品評に使

きま

用せられたるものを列挙したならば︑大蔵経とその量

だいぞうきょう

を争うかもしれぬ︒この辟易すべき多量の形容詞中から︑

余と三歩の隔りに立つ︑体を斜めに捩って︑後目に余が

ねじ

しりめ

驚愕と狼狽を心地よげに眺めている女を︑もっとも適当

に叙すぺき用語を拾いきたったなら︑どれほどの数にな

るかしれない︒しかし生まれて三十余年の今日にいたる

まで︑いまだかつてかかる表情を見たことがない︒美術

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家の評によると︑ギリシアの彫刻の理想は端粛の二字

たんしゅく

に帰するそうである︒端粛とは人間の活力の動かんとし

ていまだ動かざる姿と思う︒動けばどう変化するか︑風

雲か︑雷霆か︑見わけのつかぬところに余韻が縹渺と

らいてい

ひょうびょう

存するから含蓄の趣を百世の後に伝うるのであろう︒

おもむき

世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然たる可能力の裏面に

たんぜん

伏在している︒動けばあらわれる︒あらわるれば一か二

ふくざい

か三か必ず始末がつく︒一も二も三も必ず特殊の能力に

は相違なかろうが︑すでに一となり︑二となり︑三とな

った暁には︑拖泥帯水の陋を遺憾なく示して︑本来円

あかつき

たでいたいすい

ろう

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満の相に戻るわけにはいかぬ︒このゆえに動と名のつく

ものは必ず卑しい︒運慶の仁王も︑北斎の漫画もまった

くこの動の一字で失敗している︒動か静か︑これがわれ

ら画工の運命を支配する大問題である︒古来美人の形容

もたいていこの二大範疇のいずれにか打ち込むことがで

きるべきはずだ︒﹂

﹁ところがこの女の表情を見ると︑余はいずれとも判断

に迷った︒口は一文字を結んで静かである︒眼は五分の

隙さえ見出すべく動いている︒頬は下膨れの瓜実形で︑

しもぶく

うりざねがた

豊かに落ちつきを見せているに引き替えて︑額は狭苦し

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くもこせついて︑いわゆる富士額の俗臭を帯びている︒

じびたい

のみならず眉は両方から逼って︑中間に数滴の薄荷を点

せま

はっか

じたるごとく︑ぴくぴく焦慮ている︒鼻ばかりは軽薄に

鋭くもない︑遅鈍に丸くもない︒画にしたら美しかろう︒

かように別れ別れの道具が皆一癖あって︑乱調にどやど

やと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はな

い︒﹂

﹁元来は静であるべき大地の一角に欠陥が起こって︑全

体が思わず動いたが︑動くは本来の性に背くと悟って︑力

そむ

つと

めて往昔の姿に戻ろうとしたのを平衡を失った機勢に制

おうせき

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せられて︑心ならずも動きつづけた今日は︑やけだから

無理でも動いて見せるといわぬばかりのありさまが

そんなありさまがもしあるとすれば︑ちょうどこの女を

形容することができる︒﹂

﹁それだから軽侮の裏になんとなく人に縋りたい景色が

すが

けしき

見える︒人をばかにした様子の底に慎み深い分別がほの

見えている︒才に任せ気を負えば︑百人の男子を物の数

まか

とも思わぬ勢の下から︑おとなしい情がわれ知らず湧い

せい

て出る︒どうしても表情に一致がない︑悟りと迷いが一

軒の家に喧嘩をしながらも同居している体だ︒この女の

てい

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顔に統一の感じないのは︑心に統一のない証拠で︑心に

統一がないのは︑この女の世界に統一がなかったのだろ

う︒不幸に圧しつけられながら︑その不幸に打ち勝とう

としている顔だ︒ふしあわせな女に違いない︒﹂︵第三章︶︒

画家はこう観察したが︑その不幸に同情したり︑または

こちらから働きかけて相手の事情の中へ立ち入ったりす

るのは︑非人情の態度が許さない︒あくまで第三者の地

位に立って︑統一のないところに統一を見出し︑画にな

らない女の顔を画にして見せるのが画家の役目である︒

そして︑女の顔が画になったとき︑この作の主題は終わ

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る︒こ

こに長々と女の顔の議論を引用したのは︑そういう

意味でこの作の主題に関係があるためばかりではない︒

その中にある静と動との弁が一面において先生の芸術観

を代表するものであるからで︑先生は静と動との弁から

考案して︑常に芸術最高の理想は静にあるとしていられ

た︒動を内に蔵する静である︒そして︑この理想を表わ

すことの可能なる点において︑小説よりも詩が優る︒小

説は人情を取り扱うからどうしても動に堕しやすい︒音

楽のことはわからない︒絵画彫刻においては︑運慶や北

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斎を貶する一方において︑雲谷派の山水画や大雅堂︑蕪村

へん

うんこくは

たいがどう

ぶそん

を推奨していられたのも︑やはりこの理に基づく︒静

ことわり

とはこれらの水墨画にあらわれた気韻にほかならない︒

きいん

そして︑その気韻とは前に同化を説く条に述べた冲融

ちゅうゆう

とか澹蕩とかいう境地︑身神剥落し尽くした解脱の境地

たんとう

しんしんはくらく

に遊んだ者にして︑はじめて紙墨の間に落としうるもの

しぼく

であろう︒

再び女主人公のうえに帰って説く︒那美さんはそれか

ら宿の小女が朝飯の膳を下げるとき︑閉め切る障子の

こおんな

間からその片鱗を示した︒向こう二階の欄干に頬杖を突

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いたまま︑静かに庭を見下ろしていたのである︒それは

見る間に消えた︒が︑まもなく菓子鉢を持って自身画家

の部屋へやって来た︒ふたりの間に会話がある︒彼女の

口から多少意味のある言葉を聞きうるのは︑これがはじ

めてで︑その中に﹁田舎と都とどっちがよいか﹂という

ような問答から始まって︑

﹁こういう静かな所がかえって気楽でしょう︒﹂

﹁気楽も︑気楽でないも︑世の中は気の持ちよう一つ

でどうにでもなります︒蚤の国がいやになったって︑蚊

のみ

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の国へ引っ越しちゃなんにもなりません︒﹂

﹁蚤も蚊もいない国へ行ったらいいでしょう︒﹂

﹁そんな国があるなら︑ここへ出してごらんなさい︒

さあ出してちょうだい﹂と女は詰め寄せる︒

﹁お望みなら出して上げましょう﹂と例の写生帖をと

って女が馬へ乗って︑山桜を見ている心持ち

︱むろ

んとっさの筆使いだから画にはならない︒ただ心持ち

だけをさらさらと書いて︑

﹁さあ︒この中へおはいりなさい︒蚤も蚊もいません﹂

と鼻の前へ突きつけた︒驚くか︑恥ずかしがるか︑こ

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の様子ではよもや苦しがることはなかろうと思って︑

ちょっと気色をうかがうと︑

﹁まあ︑窮屈な世界だこと︒横幅ばかりじゃありませ

よこはば

んか︒そんな所がお好きなの︑まるで蟹ね﹂と言って

かに

のけた︒余は

﹁わはははは﹂と笑う︒

といったような会話がある︒横幅ばかりだというのは︑

人情との交渉を避けて︑世の中を画としてのみ見ようと

する待避的態度を諷したものとも︑見れば見られないこ

ふう

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とはないが︑私一個の趣味からいえば︒ここにあらわれ

た那美さんの言葉なり︑態度なりはきらいだ︒禅の禅臭

いのは︑文士の文士臭いのと同じように厭味なものであ

る︒さらに長良の乙女の話が出て︑﹁

︱しかしあの歌

は憐れな歌ですね﹂と画家が言うと︑

﹁憐れでしょうか︒私ならあんな歌は詠みませんね︒

だいいち︑淵川へ身を投げるなんて︑つまらないじゃ

ふちかわ

ありませんか︒﹂

﹁なるほどつまらないですね︒あなたならどうします

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か︒﹂

﹁どうするって︑わけないじゃありませんか︒ささだ

男もささべ男も︑男妾にするばかりですわ︒﹂

と言うにいたってはほとんど手がつけられない︒それ

も彼女のふしあわせが言わせるんだと思えば︑まだしも

我慢がなる︒生嚙りの禅が言わせるんだとすれば︑鼻持

なまかじ

ちがならない︒それをどうもただの女でないなぞと︑相

手の画家がいやに感心してるのもわからなすぎる︒私は

読んでいきながら︑これはただの女じゃないか︑それを

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画家のほうで誇張して︑ひとりで相手の人格を作り上げ

ているんだというような気がしじゅうした︒この女が羊よ

羹を持ち出して﹁これならあなたにも召し上がられるで

かんし

ょう﹂と︑いかにも田舎の女の言いそうなことを口に

したり︑﹁東京にいたことがありましょう﹂と言われて︑

﹁ええ︑いました︑京都にもいました︒渡り者ですから

ほうぼうにいました﹂と︑でか鉢な返辞をするところな

、、

ばち

ぞから見れば︑どうしてもただの女である︒ただのすれ、、

た女である︒

、この次には例の髪結床の親方が出てくる︒私は﹃草枕﹄

かみゆいどこ

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の中でもとくにこの一章を愛するものである︒生温かい

春風にふわりふわりとなぶられる暖簾の中で︑親方のか、

のれん

ら気炎にうつつともなく耳をかしている︑ユーモラスな

、気分に富んだこの章は︑﹃坊っちゃん﹄の中の一章がこ

の作の中に紛れ込んだようなもので︑﹃草枕﹄の他の部

分とは鋭い対照をなす︒

ここにも︑例の那美さんが親方と小坊主了念の口を

りょうねん

通して那美さんは観海寺の所化に文をつけられた時︑そ

かんかいじ

しょけ

ふみ

の坊主が和尚といっしよに本堂で経を読んでいる所へ行

って︑そんなにかわいいなら仏様の前でいっしよに寝よ

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うって︑いきなり相手の首玉へかじりついた︑という話

を聞く︒私はやはりここでもこの女のしぐさのわざとら

しいのを感じずにはいられない︒

髪結床の親方の駄弁でわずかに息を継がされたのは︑

すぐそのあとでさらに濃厚な︑咽せっぽいような詩的雰

囲気の中へ連れ込まれる用意であった︒﹁花曇りの空が

刻一刻に天からずり落ちて︑今や降ると待たれる夕暮の

欄干に︑しとやかに行き︑しとやかに帰る振袖﹂の幕は︑

らんかん

画家が床屋から帰って︑一日をぼんやり頬杖ついて暮ら

ほおづえ

しながら︑例の芸術的同化の境地を心に描いているとき

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に︑ちょうど始まるのである︒この派手な︑同時に寂び

のある古い錦絵のような光景を︑この次に出る風呂場の

湯気に包まれた裸体像の描写とともに︑﹃草枕﹄の中で

も出色の美しい文字とするについてはさらに異存がな

しゅっしょく

いが︑ただ女がこれほど大芝居をしているのを︑画家が

あくまで芝居でないように言い張って︑相手が自分︵画

家︶を眼中に置いていないように言うのは読者を強うる

ものである︒

それに較べると︑次の湯殿の場はわざとらしさがない︒

湯槽に浸かって︑身体といっしよに魂まで浮かせながら︑

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もうもうと立ち上る湯気の中に︑遠音の三味線に聞きほ

のぼ

とおね

れているところは︑三味線はそうして聞くべきものかと

もうなずかれる︒そこへ那美さんが着物を脱いではいっ

て来るのである︒

それからあとは宿の老人からお茶の御馳走になって︑

書画骨董の話が持ち出される段取りだが︑先生が日ごろ

から﹁銘は鑑賞のうえにおいてさのみ大切のものとも思

わない﹂というように︑それだけの風韻さえ出ていれば

贋物でもかまわないと言っていられたのは︑﹁世間に茶

人ほどもったいぶった風流人はない﹂というように︑趣

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味のない偽風流を軽蔑していられた事実とともに︑こ

にせふうりゅう

の方面における先生の見識をうかがうに足る︒

なおここでも那美さんは観海寺の和尚の話の中へあら

われる︒﹁お前はそんな形姿で︑地体どこへ行ったのぞ

けいし

じたい

いと聞くと︑いま芹摘みに行った戻りじゃ︑和尚さん少

せりつ

しやろうかというと︑いきなりわしの袂へ泥だらけの

たもと

芹を押し込んで︑ははははは﹂と︑まことに無邪気なし

ぐさであるが︑同時に有邪気なわざとらしさが見えない

でもない︒

次には画家と那美さんとのあいだに非人情の問答が始

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まる︒非人情のいかなるものであるかは︑ここに説明さ

れる︒私が前に挙げたのもそれから帰納したものである︒

ふたりの会話はまず画家の読んでいた西洋小説の話に始

まる︒

画家は言う︒﹁小説なんか︑始めから仕舞いまで読む

必要はない︒こうして開けたところを読めばおもしろい︑

なんなら逆さに読んでもいい﹂また言う︑﹁これが非人

さか

情の読み方である︒筋を読むのは探偵の所業である﹂と︒

筋を読んだところで必ずしも人情に囚われるとは限らな

い︒第三者の態度を持して︑人情の美しさだけに着眼し

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て読むこともできる︒むしろ筋を読まなければ︑人情の

内容からくる美しさはわからぬと言ってもいい︒では︑

非人情の読み方というのは︑人情の内容を度外して︑人

どがい

情のあらわれ方︑人情の絵模様となってあらわれたとこ

ろにのみ着眼する謂いであろうか︒表現の技巧にのみ着

目する点において一種の技巧派と言ってよかろうか︒

が︑そうでもない︒画家がまた︑﹁なんならあなたに

惚れ込んでもいい︒そうなるとなおおもしろい︒しかし

いくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです︒

惚れて夫婦になる必要のあるうちは︑小説を初めから仕

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舞いまで読む必要があるんです﹂と言ってるところなぞ

から見れば︑ただ自己の利害を離れて人生に対すればい

いということで︒まるで人情の内容に頓着しないという

のでもないらしい︒この点はやや判明しない︒ここの会

話はきわめて機知に富んだものだ︒見本を挙ぐれば︑

﹁しかし若いうちはずいぶんお読みなすったろう︒﹂

余は一本道で押し合うことをやめにして︑ちょっと

裏へ回った︒

﹁いまでも若いつもりですよ︒かわいそうに︒﹂放し

はな

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た鷹はまたそれかかる︒少しも油断がならん︒

﹁そんなことが男の前で言えれば︑もう年寄りのうち

ですよ﹂と︑やっと引き戻した︒

といったような類である︒すべて禅と芸術と非人情

たぐい

同志の機知の闘いだと思えばいい︒たとえば︑また画家

がいつかの振り袖のことを言いかけると︑女はいきなり

引き取って︑

﹁なにかご褒美をちょうだい﹂と︑急に甘えるように

ほうび

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言った︒

﹁なぜです︒﹂

﹁見たいとおっしゃったから︑わざわざ見せて上げた

んじゃありませんか︒﹂

﹁わたしがですか︒﹂

﹁山越えをなさった画の先生が︑茶店の婆さんにわざ

わざお頼みになったそうでございます︒﹂

余はなんと答えてよいやらちょっと挨拶が出なかっ

た︒女はすかさず︑

﹁そんな忘れっぽい人に︑いくら実をつくしても駄目

じつ

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ですわねえ﹂と︑嘲るがごとく︑恨むがごとく︑また

真っ向から切りつけるがごとく二の矢をついだ︒だん

だん旗色がわるくなるが︑どこで盛り返したものか︑

はたいろ

いったん機先を制せられると︑なかなか隙を見出しに

くい︒

﹁じゃ昨夕の風呂場はまったくご親切からなんですね﹂

ゆうべ

ときわどいところでようやく立て直す︒

女は黙っている︒

﹁どうもすみません︒お礼になにを上げましょう﹂と

できるだけ先へ出ておく︒いくら出てもなんの利き目

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もなかった︒

女はなにくわぬ顔で大徹和尚の額を眺めている︒や

だいてつ

がく

がて︑

﹁竹影掃

堦塵不動﹂

ちくえいかいをはらってちりうごかず

と口の中で読み了って︑また余の方へ向き直ったが︑

おわ

急に想い出したように︑

﹁なんですって﹂

と︑わざと大きい声で聞いた︒その手は食わない︒

﹁その坊主にさっき逢いましたよ﹂と地震に揺れた池

の水のように円満な動き方をしてみせる︒

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かかる会話もおもしろい人にはおもしろかろう︒私も

若い時は非常に好きであった︒ただ年を取ると︑だんだ

ん好きでなくなる︒ふたりとも自分の言うことを自分で

意識して︑得意になっているのが厭味に見えてくるから

である︒ついでにもう一つ例を挙ぐれば︑

﹁その鏡ケ池へ︑わたしも行きたいんだが⁝⁝﹂

﹁行ってごらんなさい︒﹂

﹁画をかくによい所ですか︒﹂

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﹁身を投げるによい所です︒﹂

﹁身はまだなかなか投げないつもりです︒﹂

﹁私は近々投げるかもしれません︒﹂

ちかぢか

あまりに女としては思いきった冗談だから︑余はふ

と顔を上げた︒女は存外たしかである︒

次は鏡ケ池の場である︒この古池の感じは︑対岸の水

際に人知れず咲いて︑ぽたりと落ち︑またぽたりと落ち︑

幾千年ののちにはこの池を埋め尽くさねばやまないとい

う︑深山椿の花にいちばんよくあらわれている︒この

みやまつばき

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毒々しい花がこの古池の象徴である︒ここで画家は馬士

の源兵衛に会って︑志保田の嬢様が梵論字に惚れて︑こ

ぼんろんじ

の池に身を投げた話を聞く︒いまの嬢様ではない︑ずっ

と昔の嬢様だというのだ︒源兵衛の田舎言葉は︑髪結床

の親方のがらがらとは違って︑この男から志保田の家に

は代々狂人がつづくというような話を聞く︒那美さんは

里の者からは皆狂人と思われているらしいが︑画家はそ

の中へ立ち入ろうとは思わない︒

源兵衛が去ったあとで︑ひとり描くべき場所をあれか

これかと求めている時︑不意に対岸の一丈もある巌の上

いわ

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に那美さんの姿があらわれる︒あなやと思う暇もなく︑

女は身を躍らして飛び降りた︒画家はまた驚かされた︒

画家もよく驚くが︑那美さんは人を驚かせるために生き

ているような女である︒

月のおぼろに乗じてそぞろ歩きに出た画家は︑一段ず

つ観海寺の石磴を登った︒山門をくぐったとき︑庫裡の

せきとう

軒下に﹁岩佐又兵衛のかいた鬼の念仏が︑念仏をやめて

踊りを踊っている﹂ような姿のサボテンを見た︒私は最

初読んだ時から﹁鬼の念仏﹂というこの形容を忘れない

でいた︒忘れないといえば︑鏡ケ池の畔の椿の花もそ

ほとり

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うである︒この次の場で﹁愚にして悟ったもの﹂と極め

をつけられる木瓜の花もそうである︒いや︑最初山道へ

かかって見た菜の花も︑山桜も︑はじめて那美さんの姿

を見かけた月下の海棠も︑皆そうである︒おそらくこれ

かいどう

ほどさまざまの植物が随所に使ってあるのは︑これは先

生の多感性によることもちろんであろうが︑一つには多

年句作に憂身をやつした人でなければ︑おそらくこうま

うきみ

では到りえなかろう︒﹃草枕﹄を俳句を引き伸ばしたよ

うな作だといったのは︑こんなところからきている︒

画家はいよいよ庫裡へ上がって和尚と対面した︒禅僧

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らしい印象も受けるが︑どういうものか︑私には﹁画工

にも博士があるかの﹂というような言葉がわざとらしく

聞こえてしようがない︒聞こえるほうがわるいのかもし

れないが︑和尚がなにかにつけて﹁わはははは﹂と豪傑

笑いをするのも気になる︒画家はこの会見から得た印象

を述べて︑﹁彼の心は底のない嚢のように行き抜けで

ふくろ

ある︒なんにも停滞しておらん︒随所に動き去り︑任意

に作し去って︑いささかの塵滓に沈殿する気色がない︒

じんし

もし彼の脳裏の一点の趣味を拈しえたならば︑彼はゆく

ねん

ところに同化して︑行屎走尿の際にも完全たる芸術家

こうしそうにょう

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として存在しうるだろう﹂と︑キリストまで引き合いに

出して︑この和尚が芸術家の資格を具えていることを極

力主張しているのは︑芸術上の同化の極致が禅の悟りと

一致するものであることを説いたものであろう︒

和尚はどうでもいい︑ただあんな大芝居をして見せる

那美さんを芝居をしていないように言うのはわからな

い︒いや︑芝居をしていないと言うのではない︑芝居を

していても芝居をしている︑と気がつかずにいると言う

のである︒﹁あの女を役者にしたらりっぱな女形ができ

る︒普通の役者は舞台へ出るとよそ行きの芸をする︒あ

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の女は家の中で常住芝居をしている︒しかも芝居をして

いるとは気がつかん︒自然天然に芝居をしている︒﹂﹁あ

の女はいままで見た女の中で最も美しい所作をする︒自

しょさ

分で美しい芸をして見せるという気がないだけに︑役者

の所作よりもなお美しい︒﹂作者は那美さんのために弁

ずることいよいよ努めて︑読者はいよいよこの女にも芝

居気がありと信ずるにいたる︒作者の弁ずる必要を感じ

たことそれ自身が︑女主人公に芝居気のある証拠だから

で︑つまり作者は無理をしているのである︒その無理は

この作が単に美の理想ばかりを追うて︑真の理想を度外

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したからである︒

絵の具箱を抛り出したまま︑木瓜だの花の中に寝転ん

ほう

ねころ

でいるとき︑画家は思いがけなくも那美さんが落零れた

おちぶ

先の亭主に会って金財布を渡しているところを見かけ

かねざいふ

た︒ここではじめて那美さんはやや鮮明にその正体を見

せることになる︒いや︑彼女とても人間だから︑これま

でだって非人情にばかり生きていたわけではない︑やは

り人情に生きていたのであるが︑その表われ方が非人情

であったので︑村の者からは狂人のように思われていた︒

それをまた画家は非人情の立場からただ美しく眺めてい

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た︒非人情の仮面を被っていた那美さんは︑その裏から

見透かされることによって︑急に小さくなった︒もちろ

ん︑人間は人情の動物である︒人情の裏を見られたって

恥すべきことでもなんでもない︒が︑この女が画家に向

かって︑﹁私なんぞは︑いまのようなところを人に見ら

れても︑恥ずかしくもなんとも思いません﹂と︑わざわ

ざ断わっているのは︑なによりも恥ずかしがっている証

拠である︒ちっとも︑こんなふうに見るのは︑作者の本

意であるかどうかは知らない︒とにかく︑私にはそう見

えた︒

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で︑那美さんが小さくなった結果として︑それまでは

とかく相手を実質よりも大きく見がちであった画家も︑

だんだん下目に見るようになった︒ちょうど那美さん一

家が日露戦争に出る久一さんを送って︑停車場へ行く船

の中で︑

﹁先生︒わたくしの絵をかいてくださいな﹂と那美さ

んが注文する︒︵中略︶

﹁書いて上げましよう﹂と写生帖を取り出して︑

春風にそら解け帯の銘や何

めい

なに

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と書いて見せる︒女は笑いながら︑

﹁こんな一筆がきではいけません︒もっと私の気象の

出るようにていねいにかいてください︒﹂

﹁私も書きたいのだが︑どうもあなたの顔はそれだけ

じゃ画にならない︒﹂

﹁ご挨拶ですこと︒それじゃ︑どうすれば画になるん

です︒﹂

﹁なに今でも画にできますがね︑ただ少し足りないと

ころがある︒それが出ないところをかくと惜しいです

よ︒﹂

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﹁足りないたって︑持って生まれた顔だから仕方があ

りませんわ︒﹂

﹁持って生まれた顔はいろいろになるものです︒﹂

﹁自分の勝手にですか︒﹂

﹁ええ﹂

﹁女だと思って︑人をたんと馬鹿になさい︒﹂

﹁あなたが女だから︑そんな馬鹿を言うのですよ︒﹂

﹁それじゃ︑あなたの顔をいろいろにして見せてちょ

うだい︒﹂

﹁これほど毎日いろいろになってればたくさんだ︒﹂

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女は黙って向こうをむく︒

と︒こんな会話にもその一端があらわれている︒これ

が女の本音なので︑こんなことを言ったら先生はきっと︑

﹁最初からそのとおりに女を見ているんだよ﹂と言われ

るかもしれな︒一行がいよいよ停車場へ着いて︑久一さ

いっこう

んの乗った汽車が発車したとき︑同じ列車に満州へ出稼

ぎに行く那美さんの先の亭主も乗っていた︒茫然として

汽車を見送っている女の顔の中には︑不思議にもいまま

でかつて見たことのない﹁憐れ﹂が一面に浮いていた︒

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﹁それだ!

それだ!

それが出れば画になります︒﹂

と余は那美さんの肩を叩きながら小声に言った︒

ここで﹃草枕﹄は終わっている︒この﹁憐れ﹂という

のは︑いわゆるものの憐れを感ずるという﹁憐れ﹂であ

って︑歌には詠まれても実行には移らない︑第三者とし

てはじめて味わわれるような︑いわば人情味を超越した

人情である︒那美さんの顔にそれが表われたというのは︑

この女がこれまでの闘いから諦めの境に入ったともい

あきら

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える︑張りつめた心が不意に弛んだともいえる︒それだ

ゆる

から﹁不幸に圧しつけられながら︑その不幸に打ち勝と

うとしている顔﹂に落ちつきを生じた︒静と動とのあい

だに絶えず動揺して統一の感じのなかったところに︑そ

れを見出すこともできた︒そして︑画家が胸中の画面は

とっさに成就したのである︒

﹃草枕﹄中にあらわれた事実というものを挙げてみる︒

この作に取られた舞台面が熊本に近い海岸の温泉場で︑

先生も熊本にいられた時分︑一︑二度同僚とともに遊び

に行かれたとは聞いた︒そこに那美さんのような出戻り

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の娘がいたそうな︒

が︑それよりも動かしがたい事実と思われるのは︑﹁子

供の時分︑門前に万屋という酒屋があって︑そこにお倉

よろずや

くら

さんという娘がいた﹂︵画家の湯壺へ浸かっての回想︶こ

とである︒実は酒屋の名が小倉屋で︑娘はお北さんとい

おぐらや

きた

ったそうだが︑そういう娘がいて︑﹁静かな春の昼過ぎ

になると︑必ず長唄のお浚いを﹂したものらしい︒庭に

さら

三本の松があって︑﹁おもしろいことに三本寄って︑は

じめて趣のある恰好を形づくっていた﹂というのも事実

からきている︒﹁影参差松三本の月夜かな﹂という句を

かげさんさ

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作ったのは︑この松を詠んだものらしいと︑後年﹃硝子

戸の中﹄にも書いていられる︒﹁燕と酒の香とはどうし

ても想像から切り離せない﹂という俳味に富んだ調和も︑

やはりこの小倉屋から得られた先生の実感であろう︒

ついでながら︑髪結床の親方の話の中に︑江戸名代の

なだい

橋で︑龍閑橋のそばの松下町とあるは松永町のまちが

りゅうかんばし

い︑松下町は同じ神田でも外神田にある︒なお那美さん

が楊柳観音のような姿をして亜字欄に凭れているとこ

ようりゅうかんのん

じらん

もた

ろに︑﹁蝶々が二羽寄りつ離れつ舞い上がる﹂とあるの

も︑気がつくとちょっとおかしい︒いかにこの作者が用

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語の末に無頓着であったかという例である︒

最後に︑後年先生がこの作のことを言い出して︑﹃坊

っちやん﹄はああいうものだからまだいいが︑﹃草枕﹄

はとうていお座へ出せんものだ︑はじめから書き直さな

くちゃ駄目だと言い言いしていられたことを挙げておき

たい︒どうしてこの作はそれほど先生に悔いを残したか︒

あまりにそのいわゆる芸術的趣味の濃厚なためか︒骨董

そのほか︑至る所にいろいろな講釈が出て︑どこかペダ

ンティックなきらいがあるとでも思われたものか︒それ

とも︑私がこれまで指摘してきたように︑あまりに非人

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情を高調せられた結果か︑またほかに原因があってのこ

とか︑私どもの忖度をたくましゅうするかぎりではない︒

そんたく

﹃坊っちゃん﹄と﹃草枕﹄は︑早いころの作として先生

の作風の二方面

︱江戸っ子風な︑機知に富んだユーモ

ラスな方面と︑も一つは主として俳句からきたと思われ

るような︑芸術的な︑富贍な趣味の方面とを代表するが︑

ふせん

ここにも一つ先生の作風の一つの方面をなすものがあ

る︒先生の倫理的方面で︑それを代表するものは﹃野分﹄

のわき

の一篇である︒

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﹃二百十日﹄と﹃野分﹄

﹃野分﹄を論ずる前に︑やはり多少の倫理的傾向を含む

作として︑﹃二百十日﹄を一瞥しておきたい︒﹃草枕﹄

が人生に対する消極的︑待避的態度を力説したものなら︑

この作は積極的︑奮闘的態度を暗示したものであるが︑

その基調はやはり﹃猫﹄もしくは﹃坊っちやん﹄系統に

属するユーモラスな︑きわめて余裕のあるものだ︒

だいたいの筋からいうと︑圭さんに碌さんというふた

ろく

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りの友達が阿蘇の噴火口を見物しようと︑山腹の旅人宿

りょじんやど

に泊まっている︒圭さんの身の上話から︑金持ち華族に

対する憤慨談が出る︒同宿の商人らしい二人連れや︑辞

爺さんなどの挿話が出る︒明くる朝噴火口をめがけて出

発したが︑途中暴風雨に逢って︑道に迷って引き返した︒

なんでもそれは二百十日であったらしい︑と︑これだけ

の話である︒

先生自身さる友達といっしよに阿蘇へ登ったことがあ

るというから︑それから想いつかれたものに相違ないが︑

作の上へ表われたところでは︑誰が誰というようなこと

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はない︒強いていえば︑圭さんも碌さんも作者の分身で

ある︒先生の生家の近隣には寒磬寺のような藪の中の寺

かんけいじ

があって︑そこで毎朝たたく鉦の音を寝ながら聞いてい

かね

たというような話は先生からも聞いた︒また門前の豆腐

屋も本当にあったそうだ︒が︑先生は圭さんのようにそ

の家の伜でもなく︑圭さんのように体格が頑丈でもな

せがれ

い︒すこし歩くと︑すぐへこたれて︑うどんは閉口だな

ぞと食い物の贅沢を言うところは碌さんのほうであらな

ければならない︒先生は﹁うどんは馬士の食うものだよ﹂

と言って︑普段から軽蔑していられた

︱もっとも︑半

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ば串戯ではあろうけれども︒が︑富と権力とに対する

じょうだん

圭さんの憤慨談は先生自身のものだと見てもよく︑こう

して自己をいくつかに分けたうえ︑その一面を強調して

人物の性格を作り上げることは︑作家としての先生の特

徴でもあるが︑その傾向はまずこの作に始まったといえ

よう︒

﹃二百十日﹄でおもしろいのは︑華族や金持ちに対する

憤慨談よりも︑﹃坊っちゃん﹄系統に属する軽いユーモ

アで︑それがこの作ではいっそう落語趣味に近づいてい

る︒圭さんが﹁君の家は全体どこにあるわけだね﹂と訊

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かれて︑

﹁ぼくの家は︑つまりそんな音の聞こえる所にあるの

さ︒﹂

﹁だからどこにあるわけだね︒﹂

﹁すぐそばさ︒﹂

﹁豆腐屋の向こうか隣りかい︒﹂

﹁なに二階さ︒﹂

﹁どこの︒﹂

﹁豆腐屋の二階さ︒﹂

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﹁へええ︑そいつは⁝⁝︒﹂

と碌さんの驚いたところから始まって︑﹁君そんなに臍へ

ばかりじゃぶじゃぶ洗ったって︑出臍は癒らないぜ﹂と

でべそ

なお

言うところなぞ落語趣味でもあれば︑落語家の行き方で

もある︒﹁伊賀の水月﹂の問答から︑宿の小女がたまご

の半熟を注文されて︑半分の数だけ煮てくるところなぞ

もそれで︑﹁ビールでない恵比寿﹂にいたっては落語家

のくすぐりに堕したものと言わなければなるまい︒

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﹁なんだろう︑あの本は︒﹂

﹁伊賀の水月さ﹂と碌さんは︑躊躇なく答えた︒

﹁伊賀の水月?

伊賀の水月たなんだい︒﹂

﹁伊賀の水月を知らないのかい︒﹂

﹁知らない︒知らなければ恥かな︒﹂と圭さんはちょ

っと頸を捻った︒

﹁恥じゃないが話せないよ︒﹂

﹁話せない?

なぜ︒﹂

﹁なぜって︑君荒木又右衛門を知らないか︒﹂

﹁うん︑又右衛門か︒﹂

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﹁知ってるのかい﹂と碌さんはまた湯の中へはいる︒

︵中略︶

︱それで︑その︑荒木又右衛門を知ってるかい︒﹂

﹁又右衛門?

そうさ︑どこかで聞いたようだね︒豊

臣秀吉の家来じゃないか﹂と圭さんとんでもないこと

を言う︒

﹁ハハハハこいつはあきれた︒華族や金持ちを豆腐屋

にするんだなんて︑えらいことをいうが︑どうもなに

も知らないね︒﹂

﹁じゃ待った︒少し考えるから︑又右衛門だね︑又右

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衛門︑荒木又右衛門だね︒待ちたまえよ︒荒木又右衛

門と︒うんわかった︒﹂

﹁なんだい︒﹂

﹁相撲取りだ︒﹂

﹁伊賀の水月﹂を知らないと言われてまじめに困った

り︑豊臣秀吉の家来じゃないかと言うだけでおもしろい

ところへ持って来て︑も一つ﹁相撲取りだ﹂で押す︒ち

ょうどそれは︑たまごの半熟の条で

︱︑

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︱おい︑姉さん︑恵比寿はいいが︑この玉子は生

だぜ﹂と︑玉子を割った圭さんはちょっと眉をひそめ

た︒

﹁ねえ︒﹂

﹁生だというのに︒﹂

﹁ねえ︒﹂

﹁なんだか要領を得ないな︒君︑半熟を命じたんじゃ

ないか︒君のも生か﹂と︑圭さんは下女を捨てて︑碌

さんに向かってくる︒

﹁半熟を命じて不熟を得たりか︑ぼくのを一つ割って

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みよう︒

︱おや︑これは駄目だ⁝⁝﹂

﹁うで玉子か﹂と︑圭さんは首を延ばして相手の膳の

上を見る︒

﹁全熟だ︒こっちのはどうだ︒

︱うん︑姉さん︑こ

れはうで玉子じゃないか﹂と︑今度は碌さんが下女に

むかう︒

﹁ねえ︒﹂

﹁そうなのか︒﹂

﹁ねえ︒﹂

﹁なんだか言葉の通じない国へ来たようだな︒

︱向

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こうのお客さんのが生玉子で︑おれのはうで玉子なの

かい︒﹂

﹁ねえ︒﹂

﹁なぜ︑そんなことをしたのだい︒﹂

﹁半分煮て参じました︒﹂

﹁なあるほど︒こりゃよくできてらあ︒ハハハハ︑

君︑半熟のいわれがわかった﹂と︑碌さん横手を打つ︒

﹁ハハハハ単純なものだ︒﹂

﹁まるで落とし噺みたようだ︒﹂

ばなし

﹁まちがいましたか︒そちらのも煮て参じますか︒﹂

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﹁なにこれでいいよ︒︵後略︶﹂

﹁半分煮て参じました﹂で︑もうこの諧謔の絶頂に達

かいぎゃく

しているのをもう一つ﹁そちらのも煮て参じますか﹂と

押されては︑どんな笑わない人間でも吹き出さずにはい

られない︒前のもこれと同じで︑この押すということが︑

なんでもないことのようでいて︑よほど作者に余力が剰あ

っていなければできない︒

こういう基調でできあがっているんだから︑いくらそ

の中のひとりが世の中の不公平を慨して︑富や権力の横

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暴を呪ってみたところで︑そう強くは響かない︒またそ

れが作者の目的でもない︒圭さんは大いにやると言う︒

そんなやつらを許しておくくらいなら︑世の中に生まれ

て来ないほうがいいとも言う︒それは本気で言っている

のであるが︑いますぐどうしなければならぬというので

はない︒話が弾んで行きづまりそうになると︑いつでも

はず

横へ反らしてしまう︒反らす役目は碌さんがついている︒

一例を挙ぐれば︑圭さんが学資に窮したときは︑一日

きゅう

に白米二合ですました︒それもいいが︑虱の湧いたに

しらみ

は弱った︒煮え湯で洗濯しようにも銭がない︒やむを得

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ず敷石の上でたたき潰そうとしていると︑宿の主婦さん

に見つかって放逐されたというような話で︑﹁さぞ困っ

ほうちく

たろうね﹂と碌さんが訊くと︑﹁なあに困らんさ﹂と圭

さんが力む︒

﹁そんなことで困っちゃ︑きょうまで生きていられる

ものか︑これからおいおい華族や金持ちを豆腐屋にす

るんだからな︒めったに困っちゃ仕方がない︒﹂

﹁するとぼくなんぞも︑今にとおふい︒油揚げ︑がん

もどきと怒鳴ってあるかなくっちゃならないかね︒﹂

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﹁華族でもないくせに︒﹂

﹁まだ華族ではないが︑金はだいぶあるよ︒﹂

といったような調子である︒それに︑圭さんの考えて

いる革命は︑血を流さない革命である︒文明の革命であ

る︒雨と風との中によなに塗れながら︑阿蘇の噴火口か

、、

ら立ちのぼる黒雲のような煙の渦を眺めていた圭さん

は︑落ちついた調子で︑

﹁雄大だろう﹂と言った︒

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﹁まったく雄大だ﹂と碌さんもまじめに答えた︒

﹁恐ろしいくらいだ﹂しばらく時を切って︑碌さんの

付け加えた言葉はこれである︒

﹁ぼくの精神はあれだよ﹂と圭さんが言う︒

﹁革命か︒﹂

﹁うん︑文明の革命さ︒﹂

﹁文明の革命とは︒﹂

﹁血を流さないのさ︒﹂

﹁刀を使わなければ︑なにを使うのだい︒﹂

圭さんはなにも言わずに︑平手で自分の坊主頭をぴ

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しゃぴしゃ二返たたいた︒

﹁頭か︒﹂

﹁うん︒相手も頭でくるから︑こちらも頭でいくん

だ︒﹂頭

でする革命とはどんなものか︑頭を武器として自分

は手を下さずに他人にやらせるという意味だと︑それで

はやはり血を流すことになる︒どうしても自分の頭を使

うことによって︑だんだん他人の頭を改造していって結

局革命の実を挙げるという意味に取るべきで︑それがま

じつ

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た平生から文筆をもって立つうえにおいて︑先生自身の

ふだん

主張であったのだ︒

が︑そんな穏健な主張ですら︑人の前で本気で言うと

きには︑あとからそれを芝居気にしてしまわなければ気

しばい

のすまないのが︑﹃二百十日﹄の作者である︒いったん

馬車宿へ引き返したとき︑作者は碌さんの口をかりて︑

﹁そうして山の中で芝居染みたことを言ってさ︒﹂

﹁ハハハハしかしあの時は大いに感服して︑うん︑う

んと言ったようだぜ︒﹂

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﹁あの時は感心もしたが︑こうなって見るとばかげて

いらあ︒君ありゃまじめかい︒﹂

と言わせている︒なんでもまじめですることがいちい

ち芝居気としか見えないのが︑江戸っ子の特長でもあれ

ば︑弱点でもあって︑先生は別に田舎者を主人公として︑

同じ﹁頭でする革命﹂を主張していられるのである︒そ

れが﹃野分﹄である︒

﹃野分﹄の主人公を田舎者のように言ったけれども︑江

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戸っ子とはっきり書いてあるわけでなくとも親戚その他

のいろんな事情から推して︑江戸っ子と断定するほかな

いが︑その執着力

︱というとだいぶ異存があるか

しゅうじゃくりょく

もしれないが︑一筋に自家の信ずるところを守って他を

顧みない点において︑きわめて江戸っ子らしくない江

かえり

戸っ子である︒先生の人格の中で︑その江戸っ子らしく

ない方面を強調して作り上げられたものが白井道也であ

る︒完全に田舎者を代表するものは︑この作の副主人公

ともみなさるべき高柳周作である︒執着力の強い点にお

いて︑いかなる場合にも自己中心の念を離れ得ない点に

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おいて

︱﹁道也先生から見た天地は人のためにする天

地であり︑高柳君から見た天地は己のためにする天地で

ある﹂点において︑僻みから皮肉に出なければやまない

ひが

その神経質において︑完全なる田舎者の標本というべき

で︑それに較べれば︑自家の主義を守るためとはいえ︑

三たび職をなげうち三たび漂泊の旅に上った道也先生は

のぼ

むしろ執着力がないといえよう︒先生がなにものを捨て

ても離さないものは︑その主義である︒この主義の人を

はっきり読者の前に浮かばせるために︑作者は主義を解

しない細君を対照として出した︒それは田舎者の高柳君

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を反映させるために︑都会人に貴公子風な中野春台君

しゅんたい

を出したと同じ手法である︒

道也先生の主義はいかなるものか︒

︱先生は三たび

その職をなげうった︒最初は石油の産地たる越後の長岡

へ赴任して︑次に渡ったのは九州の北部石炭王の国であ

る︒この二つはいずれも金力と人格との争いである︒第

三には中国辺の田舎に出現したが︑ここでは前ほど猛烈

な拝金主義がない代わりに︑因襲に囚われた土地で旧藩

主なぞがむやみに巾をきかせたものだ︒先生は金力と権

力とに反抗して︑どこからも追われた︒金持ちと華族と

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に対する争いであって︑この点においては︑﹃二百十日﹄

の圭さんと同一轍に出ずるものであろう︒三たび追われ

どういつてつ

た道也先生は︑飄然と東京へ舞い戻ったまま︑金力や

ひょうぜん

権力の支配の下に立つ気はなく︑曲がった社会を矯正し

ようとした︒名門や富豪を蔑視するばかりでない︑学問

才芸をも軽んじた︒学問才芸は金力権力と同じように人

かろ

間の付属物で︑﹁この付属物と公正なる人格と戦う時︑

世間は必ずこの付属物に雷同して︑他の人格を蹂躙せ

じゅうりん

んとする﹂この誤まれる社会に処して︑自己の人格を維

持するために生まれたるのほか︑人生になんらの意義を

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認めえない︑これが道也先生の信念である︒

が︑それまではこんな思想やら感情やらを抱く者は自

分ひとりではあるまい︑誰でもそうだろうというような

気があった︒で︑自分はただ自分としておいて︑わざわ

ざ文筆の力で世間を警醒するにも当たらないと信じてい

けいせい

た︒ところが︑今日の道也先生はそうではない︒﹁わが

筆は道を載す︒道を遮るものは神といえども許さずと

さえぎ

誓って紙に向かった︒﹂単に道のためである︒そして︑

道也先生の態度は︑最初田舎に韜晦して︑文壇的野心を

とうかい

もたなかった作者自身が︑筆をとって立つようになった

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径路を想わせる︒先生は追われるごとに心の中で︑﹁道

を守るものは神よりも貴し﹂と繰り返した︒

が︑細君の前では決してこれを口にしなかった︒言っ

てもわからないからである︒彼女にとって大切なのは︑

良人の志でも人格でもない︑ただ月給である︒月給を

りょうじん

捨てるような男は︑良人であって良人でない︒三度目に

出京して︑芝琴平町の安宿へ着いたとき︑月給を取る取

らぬについて︑夫婦のあいだに問答があった︒﹁月給が

とれなくても金がとれればよかろう﹂と言って慰めてみ

たが︑いっこう利き目がないので︑

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﹁どうもお前はむやみに心配性でいけない︒﹂

﹁心配もしますわ︒どこへいらしっても︑折合いが悪

くっちゃおやめになるんですもの︒私が心配性なら︑

あなたはよっぽど癇癪持ちですわ︒﹂

かんしゃくも

﹁そうかもしれない︒しかしおれの癇癪は⁝⁝︒﹂

と言いかけて︑道也先生は言葉を反らした︒私はここ

に日ごろから癇癪持ちで通った作者自身の面影を髣髴す

ほうふつ

るものである︒道也先生は﹃江湖雑誌﹄の編集と英和字

こうこざっし

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典の編纂をして︑三十五円の定収入を得るようになった︒

このほかにも書くことはいくらでも書くが︑金にならぬ

仕事は細君から見れば仕事ではない︒先生からいえば︑

金にならぬ仕事がほんとうの仕事で︑金になる仕事では

訪問記者のまねくらいしかできない︒そして︑裏長屋に

住んで︑金にならぬ仕事を続けていた︒先生が晏如たれ

あんじょ

ば晏如たるほど細君は気に入らない︒

この間の消息を叙して︑﹁女は装飾をもって生まれ︑

装飾をもって死ぬ︒多数の女はわが運命を支配する恋さ

えも装飾視してはばからぬものだ︒恋が装飾ならば恋の

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本尊たる愛人はむろん装飾品である︒否自己自身すら装

いな

飾品をもって甘んずるのみならず︑装飾品をもって自己

を目してくれぬ人を評して馬鹿という︒しかし多数の女

もく

はしかく人世を観ずるにもかかわらず︑しかく観ずると

は決して思わない︒ただ自己の周囲に纏綿する事物や人

てんめん

間が︑この装飾用の目的にかなわぬを発見するとき︑な

んとなく不愉快を受ける︒不愉快を受けるというのに︑

周囲の事物人間が依然として旧態をあらためぬとき︑わ

が眼に映ずる不愉快を左右前後に反射して︑これでも改

めぬかという︒ついにはこれでもか︑これでもかと念入

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りの不愉快を反射する﹂︒で︑道也先生の細君も﹁不愉

快を反射する﹂仏頂面をして︑先生を仕事から喚び覚

ぶっちょうづら

ました︒

﹁あなた﹂と細君は二度呼んだ︒

﹁なんだい︒﹂

﹁御飯です︒﹂

﹁そうか︑いま行くよ︒﹂

といったような︑そっけない会話がつづく︒御飯のお菜さ

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は湯豆腐とてっか味噌である︒が︑道也先生は﹁なんで

、、、

も食ってさえいれば構わない﹂という了簡で︑彼の眼に

は︑寒そうな鼠色の壁の上に写っている大きな影法師と

同じように︑細君自身も無意味に見えた︒細君はまた借

金の始末からお金の相談を持ち出し︑質屋へ行こうにも

もう質草がない︑仕方がないから時分で道也の兄のもと

しちぐさ

へ才覚に行ったという︒道也は兄を信用していない︒細

君は道也にも兄にたよらせようとする︒いろいろ話がめ

んどうくさくなって︑

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﹁それで才覚ができたのかい︒﹂

﹁あなたはなんでも一足飛びね︒﹂

﹁なにが︒﹂

﹁だって︑才覚ができる前にはそれぞれ魂胆もあれば

工面もあるじゃありませんか︒﹂

﹁そうか︑それじゃ最初から聞き直そう︒で︑お前が

兄の家へ行ったんだね︒おれにないしょで︒﹂

﹁ないしよたって︑あなたのためじゃありませんか︒﹂

﹁いいよ︑ためでいいよ︒それから︒﹂

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細君は兄のもとを訪ねて事情を訴えたところ︑兄が大

変自分に同情してくれた次第を語って︑

﹁で︑そりゃ早く整理しなくっちゃ駄目だ︒全体なぜ

いままで抛っておいたんだっておっしゃるんです︒﹂

ほう

﹁うまいことを言わあ︒﹂

﹁まだあなたはお兄さんを疑っていらっしゃるのね︒

罰があたりますよ︒﹂

﹁それで金でも貸したのかい︒﹂

﹁ほらまた一足飛びをなさる︒﹂

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﹁おれにないしょで﹂と釘を刺しておくところなぞ作者

自身の皮肉な面影が見られるが︑それよりも﹁一足飛び﹂

の一本鎗で良人をやり込めたつもりでいる細君のほう

りょうじん

が︑苦沙弥先生の細君と同じモデルの口調を想わせ︑あ

まりそっくりそれが出ているので︑私どもにはモデルの

ほうが眼にうかんでかなわないくらいだ︒

こういうのは︑決して作者の夫人をもって道也先生の

細君に擬するものではない︑私の言いたいのはその口調

である︒そして︑この一語によっていかによく女性があ

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らわれているかということである︒作者が同じモデルの

観察から女性を描いていられるのは︑苦沙弥先生や道也

先生の細君ばかりではない︒のちの諸作にもずっと出て

いるし︑作者の手に描かれた女性は︑いずれかの点にお

いて︑ことごとく同じモデルのにおいがする︒それを見

るたびにトルストイが﹃アンナ・カレニナ﹄の中で言っ

た︑﹁一生一人の女を愛して渝らなかった者は︑千人の

かわ

女に接した男よりもいっそうよく女性を知っている﹂と

いう言葉の真理であることをしみじみ感ぜずにはいられ

ない︒

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道也先生を理解したものは細君ではなくて︑田舎者を

代表する高柳周作君である︒高柳君は大学を出たばかり

の文学士で︑地理学教授法の翻訳の下働きをして︑二十

余円の収入に衣食しているが︑それに満足しているので

はない︒しじゅう自分の苦しい﹁内面の消息﹂に触れた

ものを書きたいとあせっている︒あせってはいるが﹁衣

食のために精力をとられてしまって︑﹂なにも書けない︒

おまけに肺病の徴候まで見え出した︒彼は憂鬱で︑神経

質で︑また皮肉である︒

高柳君の引き立たせ役としては︑中野春台君がある︒

しゅんたい

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彼は富家の子である︑お坊っちゃんである︑また都会の

子である︒高柳君が﹁ひとりぼっち﹂なのに対して︑彼

は美しい許嫁をもっているし︑高柳君が﹁触れた作﹂

いいなずけ

をしようとしているのに対して︑華やかな﹁空想小説﹂

を書こうとしている︒高柳君の友人として同君に同情は

しているが︑境遇が違うだけに理解のない同情は︑受け

る者に嘲笑よりもつらく︑高柳君は親友の同情に皮肉を

もって酬いることがある︒中野君と高柳君とは日比谷公

園で会った︒中野君は道行く女の着物の色とうしろの孟

宗藪との色の配合をほめた︒が︑高柳君にはわからない︒

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﹁そうかなって︑君そう感じないか︒﹂

﹁別に感じない︒しかし綺麗は綺麗だ︒﹂

﹁ただ綺麗だけじゃかわいそうだ︒君はこれから作家

になるんだろう︒﹂

﹁そうさ︒﹂

﹁それじゃもう少し感じが鋭敏でなくっちゃ駄目だ

ぜ︒﹂

﹁なに︑あんなほうは鈍くってもいいんだ︒ほかに鋭

敏なところがたくさんあるんだから︒﹂

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これは田舎者の色に対する鈍感と︑その反抗とを示し

たもので︑

﹁あるくのは︑まっぴらだ︒これからすぐ電車に乗っ

て帰らないと昼飯を食い損なう︒﹂

そこ

﹁その午飯を奢ろうじゃないか︒﹂

おご

﹁うん︑また今度にしよう︒﹂

﹁なぜ?

いやかい︒﹂

﹁いやじゃない

︱いやじゃないが︑しじゅう御馳走

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にばかりなるから︒﹂

これは富者に対する貧乏人の気がねであり︑反抗であ

ふしゃ

る︒ある人は肺病患者特有の心理状態だと言ったが︑私

にわかっているのは︑貧乏人というものは金持ちに御馳

走になるよりも︑金のない貧乏人同志のあいだで奢られ

ることをよろこぶものである︒借金をするにしてからが︑

金持ちに頼むよりは同じ貧乏人をせびるほうが︑相互の

、、、

間に理解がある︒

理解のない同情に対して︑作者は﹁人に不平を訴えん

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とするとき︑わが不平の徹底せぬうち︑先方から中途半

端な慰謝を与えらるるのは快くないものだ︒わが不平が

通じたのか通じないのか︑本当に気の毒がるのか︑お世

辞に気の毒がるのかわからない︒高柳君はビフテキの赤

さ加減を眺めながら︑相手はなぜこう感情が粗大だろう

と思った︒かつ少し切り込みたいという矢先へもってき

て︑じゃああと水をかけるのが中野君の例である︒不親

切な人︑冷淡な人ならば始めからそれ相応の用意をして

かかるから︑出鼻をはたかれてもさほどにくやしくはな

かったろう︒しかし高柳君の眼に映ずる中野輝一は美し

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い︑賢い︑よく人情を解して事理を弁えた秀才である︒

わきま

この秀才が折々この癖を出すのは解しにくい﹂と︑こう

高柳君に代わって弁じている︒

高柳君はこの心持ちを次の一句にまとめて︑相手に投

げかけた︒﹁君などは悲観する必要がないからけっこう

だ︒﹂そう言われるのは︑中野君も不満である︒

﹁ぼくが悲観する必要がない︒悲観する必要がないと

すると︑つまりおめでたい人間という意味になるね︒﹂

︵中略︶﹁ぼくだって三年も大学にいて多少の哲学書

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や文学書を読んでるじゃないか︒こう見えても世の中

がどれほど悲観すべきものであるかくらいは知ってる

つもりだ︒﹂

﹁書物の上でだろう﹂と高柳君は高い山から谷底を見下

ろしたように言う︒

これが一歩進むと皮肉になる︒またの日︑中野君は高

柳君を上野公園で︑音楽学校の演奏会へ誘ったが︑高柳

君は応じない︒余った切符があれば︑あすこへ送ってや

ればいいじゃないかなぞと言う︒

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﹁あすことは︒

︱うん︑あすこか︒なに︑ありゃい

いんだ︒自分でも買ったんだ︒﹂

中野君は少々恐縮の微笑を洩らして︑右の手に握っ

たままの山羊の手袋で外套の胸をぴしゃぴしゃたたき

始めた︒

﹁穿めもしない手袋を握ってあるいてるのはなんのた

めだい︒﹂

﹁なに︑いまちょっとポケットから出したんだ﹂と言

いながら中野君は︑すぐ手袋をかくしの裡に収めた︒

うち

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高柳君の癇癪はこれで少々治まった︒黒塗りの馬車に

乗って︑シルクハットと美しい紅の日傘が行く︒

くれない

ひがさ

﹁ああいう連中が行くのかい﹂と高柳君が頤で馬車の

あご

後影を指す︒

﹁あれは徳川侯爵だよ﹂と中野君は教えた︒

﹁よく知ってるね︒君はあの人の家来かい︒﹂

けらい

﹁家来じゃない﹂と中野君はまじめに弁解した︒高柳

君は腹の中でまたちょっと愉快を覚えた︒

二人は演奏会へはいった︒四辺の華やかさに︑高柳君

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は﹁きょうに限って特別に下等席を設けてもらって︑そ

こへ自分だけはいって聴いてみたい﹂ような気がした︒

﹁君おもしろくないか︒﹂

﹁そうさな﹂

﹁そうさなじゃ困ったな︒

︱おい︑あすこの西洋人

の隣にいる︑細かい友禅の着物を着ている女があるだ

ろう︒

︱あんな模様が近ごろ流行るんだ︒派手だろ

う︒﹂

﹁そうかなあ︒﹂

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﹁君はカラー︑センスのない男だね︒ああいう派手な

着物は︑集会の時やなにかにはごくいいのだね︒遠く

から見て︑見醒めがしない︒美しくていい︒﹂

﹁君のあれも︑同じようなのを着ているね︒﹂

﹁え︑そうかしら︒なに︑ありゃよい加減に着ている

んだろう︒﹂

﹁よい加減に着ていれば弁解になるのかい︒﹂

高柳君の皮肉は興味が個人的であるだけに︑当人には

愉快でも他人は共鳴しない︒それだけに︑いよいよ一人

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ぼっちのような心持ちにならざるを得ない︒ふたりはま

た連れ立って演奏会を出た︒別れる前に︑中野君は道也

先生が訪問記者として自分の家を訪ねたことを話した︒

高柳君は先生が越後へ赴任したころの生徒で︑しかも先

生をいじめて追い出した生徒のひとりであるが︑悔悟と

かいご

懐旧の情に駆られて︑ミルク・ホールヘはいるといきな

りそこにある江湖雑誌を取り上げた︒第一ページに﹃解

脱と拘泥

︱憂世子﹄とある︒そこではじめて高柳君は

こうでい

ゆうせいし

先生の文章に接したのである︒

その大意を挙げれば︑先生は自分の胃の腑の存在を知

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らないという男の例を引いて︑この男は胃が健康だから

胃に拘泥する必要がない︑胃において悟りを開いたもの

であると説いた︒高価な帯を締めた女は︑帯に拘泥して︑

音楽会へ行っても音楽が耳に入らない︒靴足袋に穴の開

いた男は︑その穴に拘泥して話の調子が乱れる︒世に生

まれて苦痛は免れない︒しかし拘泥すれば一日ですむ苦

痛を五日にも七日にもする︒

では︑どうして拘泥を免れるかというに︑それには二

法がある︒一はあらかじめ用意して拘泥しなければなら

ぬような地位に身を置くことを避ける︒たとえば服装に

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しても︑五分も隙かさぬようにちゃんとして︑人から指

を差される恐れのないようにする︒が︑そういうことに

骨を折るということからして︑やはり服装に拘泥してい

ると言わなければならない︒本当に拘泥を免れるために

は︑いくら人が拘泥しても自分だけは拘泥せずにすます

工夫をすること︑これが第二の方法であって︑真の解脱

である︒

解脱は単なる方便で︑解脱を修得したところで知恵が

増すわけでも︑品性が高まるわけでもない︒それには別

に学問をして高尚な趣味を養わねばならぬ︒先生にあっ

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ては︑趣味とは単なる美醜︵芸術︶の上の好悪の標準を

びしゅう

指していうのではなく︑善悪︵道徳︶の上にも︑真偽︵哲

学︶の上にもまた用いられる︒いわゆる真善美の三範疇

にわたり︑高尚な趣味を養成するとは︑人格そのものの

向上を計ることである︒下劣な趣味は下劣なる人格をつ

くる︒実際の社会においては下劣なる趣味を体する俗物

たい

が勢力を得て︑ほかに最も影響を与えやすい地位にある

が︑道也先生の主張は︑この勢力ある俗物に対する人格

の争いにほかならない︒

高柳君は靴足袋の穴に拘泥する男の話を読みながら︑

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﹁うう︑おれの身体は穴だらけだ﹂と呻った︒人一倍拘

うな

泥する彼は人一倍解脱の必要な人であった︒彼は道也先

生のもとを訪れ︑あの一文によって﹁利益を享けたば

おとず

かりでなく︑痛快に感じた﹂旨を告白した︒が︑いくら

拘泥せずとも︑貧乏ばかりは向こうから逼って来るのだ

せま

から︑﹁衣食のために精力をとられてしまって﹂書きた

い物を書かずにいるのは苦しい︒高柳君はそれを訴えた︒

道也先生の返辞はこうだ︒あなたは文学をやったと言

われる︒それならそれでいいわけだ︒なぜというに︑﹁ほ

かの学問はですね︒その学問やその学問の研究を阻害す

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るものが敵である︒たとえば貧とか多忙とか︑圧迫とか

不幸とか︑悲酸な事情とか︑不和とか喧嘩とかですね︒

ひさん

これがあると学問ができない︒だからかなりこれを避け

て時と心の余裕を得ようとする︒文学者もいままではや

はりそういう了簡でいたのです︒そういう了簡どころで

はない︒あらゆる学問の中で︑文学者がいちばん呑気な

閑日月がなくてはならんように思われていた︒おかしい

かんじつげつ

のは当人自身までがその気でいた︒しかしそれはまちが

いです︒文学は人生そのものである︒苦痛にあれ︑困窮

にあれ︑窮愁にあれ︑およそ人生の行路にあたるもの

きゅうしゅう

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はすなわち文学で︑それらを嘗めえたものが文学者であ

る︒文学者というものは原稿紙を前に置いて︑熟語字典

を参考して︑首をひねっているような閑人じゃありませ

ひまじん

ん︒円熟した深厚な趣味を体して︑人間の万事を臆面な

たい

く取りさばいたり︑感得したりする普通以上のわれわれ

を指すのであります︒その取りさばき方や感得し具合を

紙に写したのが文学書になるのです︑だから書物は書か

ないでも︑実際そのことにあたればりっぱな文学者です︒

したがってほかの学問ができうるかぎり研究を妨害する

事物を避けて︑しだいに人世に遠ざかるに引きかえて︑

じんせい

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文学者は進んでこの障害の中に乗り込むのであります﹂︒

人生の経験それ自体が文学だから︑作はしないでもり

っぱな文学者であると説くところに︑先生の卓見がある︒

実際︑そういう人が作をせずに終わったときには損をす

るのは社会であって︑文学者自身ではない︒もっとも︑

これは文学者自身の名利ということを眼中に置かない話

であるが︑文学者は本来名利をあてにして作をすべきは

ずのものではない︒私はこの説を作者が﹃野分﹄に書か

れる前に︑先生の口ずから聞いたものだ︒私が高柳君の

地位に立って聞いたのである︒そして︑一生頭から脱け

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ないような深い感銘を与えられた︒

電車の中で地理学教授法を遺失したのも私だ︒実は地

理学ではない︑手工の教授法を︑ある先輩から頼まれて

私の翻訳したもので︑遺失したにはしたが︑警視庁へた

ずねに行ったらちゃんとあった︒先生といっしよに岩崎

、、、

の塀について池の端を散歩しながら︑﹁先生︑私の歴史

へい

いけ

はた

を聞いてくださいますか﹂と言い出したのも私である︒

ただし歴史そのものはまるで違っている︒悲惨の程度は

同じくらいかもしれないが︑内容はすっかり違っていて︑

その時﹁ひとりぼっちは崇高なものです﹂という講釈を

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聞いたかどうかは︑はっきりしない︒聞いたにしても︑

おそらくほかの時に聞いたのである︒

で︑道也先生はいう︑﹁君は人より高い平面にいると

自覚しながら︑人がその平面を認めてくれないためにひ

とりぼっちなのでしょう︒しかし人が認めてくれるよう

な平面ならば︑人も上がって来る平面です﹂︒これは昔

からあらゆる思想界の偉人の孤独と寂寥を説いたもの

せきりょう

だ︒またいわく︑﹁同じ卒業生だから似たものだろうと

思うのは︑教育の形式が似ているのを教育の実体も似て

いるものと考え違いした議論です︒同じ大学の卒業生が

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同じ程度のものであったら︑大学の卒業生はことごとく

後世に名を遺すか︑またことごとく消えてしまわなくっ

のこ

てはならない︒自分こそ後世に名を遺そうと力むならば︑

りき

たとい同じ学校の卒業生にもせよ︑ほかの者は遺らない

のだということを仮定してかからねばなりますまい︒す

でにその仮定があるなら自分とほかの人とは同様の学士

であるにもかかわらず︑すでに大差別があると自任した

わけじゃありませんか︒大差別があると自任しながら︑

他人が自分を解してくれんといって煩悶するのは矛盾で

す﹂と︒

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これは前と同じ考えを名声というような︑世俗的なも

のと結びつけて敷衍したまでで︑そこに先生のトリック

ふえん

があるが︑高柳君にはわからない︒﹁では︑先生は現代

に認められずとも︑知己を後世に待つ

︱名を後世に遺

す了簡で働いていらっしゃるのですか﹂とたずねた︒高

柳君は﹁名を後世に遺す﹂ということを知己を後世に待

つ意味に解釈したのだ︒すると︑道也先生は︑﹁わたし

のは少し違います︒いまの議論はあなたを本位にして立

てた議論です﹂とはぐらかしておいて︑次のように述べ

た︒

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﹁わたしは名前なんてあてにならないものはどうでもい

い︒ただ自分の満足を得るために︑世のために働くので

す︒結果は悪名になろうと︑醜名になろうと︑狂人に

しゅうめい

なろうと仕方がない︒ただこう働かなくては満足ができ

ないから働くまでのことです︒こう働かなくっては満足

ができないところをもって見ると︑これがわたしの道に

相違ない︒人間は道に従うよりほかにやりようのないも

のだ︒︵中略︶道に従う人は神も避けなければならんの

です︒﹂名前などはどうでもいい︑ただ自分の満足を得

るために働くというのは現実主義者で︑同時に﹁道のた

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めに働く﹂理想主義者である︒理想主義と現実主義との

かくのごとき幸福なる結合は︑道也先生にはじめてこれ

を見る︒

ひとりぼっちで︑妙な咳嗽をし出した高柳君の貧を写

ひん

すのには︑作者は裏枯れて行く一本の桐の木を使ってい

る︒﹁一葉落ちてという句は古い︒悲しき秋は必ず梧桐

ごとう

から手を下す︒ばっさりと垣にかかる袷のころは︑さ

くだ

あわせ

までに心を動かす縁ともならぬと油断する翌朝またばさ

えん

りと落ちる︒うそ寒いからと早く繰る雨戸の外にまたば

さりと落ちる︒葉はようやく黄ばんでくる︒﹂また︑道

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也先生の清貧を写すには︑﹁障子にさした足袋の影はい

つしか消えて︑開け放った一枚の間から︑靴刷毛の端が

くつは

見える︒椽は泥だらけである︒手の平ほどな庭の隅に

たるき

一株の菊が清らかに先生の貧を照らしている﹂というよ

うな道具立てが使ってある︒

ところで︑いくら道也先生が呑気でも︑いつか細君が

道也の兄の手を経て融通してもらった借金の期限が来た

のに︑先生には返すあてがない︒それを返すあてに執筆

していた﹃人格論﹄はできあがったが︑本屋で大家の序

たいか

文でもあったらというので︑友人の足立という大学教授

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に頼んでみたが︑足立はその著書を危険視する︒細君は

それにつけ入って︑そんな書いて食うなぞという了簡は

やめて︑もう一度教師になれと勧める︒﹁あなたはやっ

ぱり教師のほうがおじょうずなんですよ︒書くほうは性

しょう

に合わないんですよ﹂とまで切り込む︒

﹁よくそんなことがわかるな︒﹂

細君は俯向いて︑袂から鼻紙を出してちいんと洟

うつむ

たもと

はな

をかんだ︒

﹁私ばかりじゃありませんわ︒お兄さんだってそうお

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っしゃるじゃありませんか︒﹂

途中でちいんと鼻をかんで︑すぐにまたものを言い続

けるところに︑世帯にかまけた︑貧乏ッたい細君を見せ

しょたい

ている︒細君が兄の言うことばかり信用して︑愚なこと

を言い募るのを聞いて︑

﹁そうか﹂と言ったなり道也先生は火鉢の灰をていね

いに掻きならす︒中から二寸釘が灰だらけになって出

る︒道也先生は曲がった真鍮の火箸で二寸釘をつまみ

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ながら︑片手に障子を開けて︑ぽいと庭先へほうり出

した︒

これも貧乏世帯の実景である︒二つながら写実の堂に

入ったものと言わなければならない︒

ところで︑道也先生の思想はそれほど危険な性質のも

のであろうかというに︑﹃人格論﹄の内容は表にあらわ

れていないから︑したがって先生の持説は︑それが充分

な形を取ってあらわれている清輝館の演説に見るほかな

せいきかん

いが︑それにしても演説会の主旨が電車の焼き打ち事件

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で挙げられた社員の家族を救助する意味で開かれるとい

うこと以外には︑演説は別に危険とも過激とも思われな

い︒

﹁自己は過去と未来の連鎖である︒﹂

演説は突如として始まった︒まず︑自己が過去を享け

て未来に発展する中間の連鎖であることから説き起こし

て︑それなら自己は過去のために存在するか︑未来のた

めに存在するか︑それともわれそのものを樹立せんがた

めに存在するかという問題を提出した︒﹁袷は単衣の

あわせ

ひとえ

ために存在するですか︒綿入れのために存在するですか︒

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または袷自身のために存在するですか﹂というような︑

奇抜な問いもここで発せられている︒

また︑﹁およそ一時代にあって初期の人は子のために

生きる覚悟をせねばならぬ︒中期の人は自己のために生

きる決心ができねばならぬ︒後期の人は父のために生き

るあきらめをつけなければならぬ﹂という︒例を挙ぐれ

ば︑イタリアの文芸復興は大なる意味において父母のた

めに存在した時期で︑自己を樹立せんがために存在した

時期の好例はエリザベス朝の文学である︒では︑子孫の

ために存在した時期は

︱先生はそれに明治の初期時代

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をあてていられる︒

明治も四十年たった︒が︑この四十年は準備の時代に

すぎない︒われらの時代は︑﹁政治に伊藤侯や山県侯を

顧みる時代ではない︒実業に渋沢男や岩崎男を顧みる時

だん

代ではない︒また文学に紅葉氏一葉氏を顧みる時代でも

ない︒これらの人々は諸君の先例になるがために生きた

のではない︑諸君を生むために生きたのである﹂︒こう

いう時代に生まれ合わせたわれらは︑よろしく自己を樹

立して自己のために生きなければならない︑みずから先

例を作らねばならない︒後を顧みる必要もなければ︑

うしろ

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前を気づかう必要もない︒

が︑﹁束縛のない自由を享けるものは︑すでに自由の

ために束縛せられている︒この自由をいかに使いこなす

かは諸君の自由であると同時に大なる責任である︒諸君︑

偉大なる理想を有せざる人の自由は堕落であります﹂︒

われらはわれらの自由に相当する理想を養わなければな

らないが︑その理想はどこにある︒先例のない時代は︑

理想をみずから作らねばならぬ︒

では︑その理想とはいったいどんなものか︒﹁学問を

する者の理想はなんであろうとも

︱金でないことだけ

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はたしかである︒﹂こういって︑先生は金と学問との分

野を説明した︒

﹁学問すなわちものの理がわかるということと生活の

ことわり

自由すなわち金があるということとは独立して関係がな

いのみならず︑かえって反対のものである︒学者であれ

ばこそ金がないのである︒金を取るから学者にはなれな

いのである︒学者は金がない代わりにものの理がわか

ことわり

るので︑町人は理屈がわからないから︑その代わり金を

もうける︒﹂それだから金のある者︑すなわち富豪が金

の社会で巾をきかすのはかまわない︒が︑ものの理の

ことわり

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わかる社会にまで踏み込んで横暴を働こうとするのは不

都合である︒少しは考えてみるがいい︑いくら金があっ

ても病気のときに金貨を煎じて飲むわけにはいかないと

いったような﹁熱心な滑稽﹂が出るのもここである︒﹁そ

うでしょう

︱金貨を煎じたって下痢はとまらないでし

ょう︒

︱だからお医者に頭を下げる︒その代わりお医

者は

︱金に頭を下げる︒﹂これが金と学問との分野で

ある︒したがって学者が金銭問題にかかれば金持ちに頭

を下げるのが順当であるように︑金持ちも人生問題︑道

徳問題︑社会問題になれば最初から学者の前に服従しな

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ければならない︒自分の持ってる金力にしても︑それを

商売上に使わないで人事上に利用するとなると︑ものの

わかった学者に聞いてからしなければならない︒それを

自分がわけのわかったつもりかなにかで勝手に使用すれ

ば︑﹁社会の悪をみずから醸造して平気でぃる﹂ことに

なる︒だんだんそれが積っていけば︑﹁災いは必ず己に

帰る︒かれらは是非とも学者の言うことに耳を傾けねば

ならぬ時期がくる︒耳を傾けねば社会上の地位が保てぬ

時期がくる﹂︒

演説はここで終わっている︒これが危険思想であろう

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か︒なるほど︑道也先生の持説として︑金力権力に対す

る反抗はあるが︑いくら富豪を攻撃したところで︑富豪

が金を持っていること︑資本を擁していることそのこと

を攻撃してこそはじめて危険である︒金を持っているこ

とそのことは許しておいて︑ただ富豪の人格を攻撃する

のでは︑いくら攻撃しても危険にはならない︒金と学問

の分野を画し︑富豪の資本を擁することを公認した点︑

かく

永遠にかれらの地位を防禦するものともいえる︒最後の

ぼうぎょ

一句は革命の到来を暗示したものと見れば見られないこ

ともないが︑それとても警告であって︑煽動でもなんで

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もない︒要するにこの演説は危険な思想に危険でないよ

うな外観を与えたものでもなければ︑危険でない範囲に

おいてそれを言わんと欲したものでもない︑根本の思想

からきわめて安全なものである︒

が︑危険か危険でないかは︑決して思想そのものの価

値を上下するものではない︒私がそれを指摘したのは︑

ただ道也先生のこの思想を危険のようにさえ言わなけれ

ばいい︒それを言うのは︑なんだか大袈裟のようなわざ

とらしい感じがすると思うからである︒もっとも︑それ

を危険がるのは道也の兄や細君で︑先生の知ったことで

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はない︒先生自身は細君が﹁社会主義とまちがえられる

とあとが困る﹂と言うのを聞いても︑なに﹁国家主義も

社会主義もあるものか︑ただ正しい道がいいのさ﹂とう

そぶいていられる︒が︑兄や細君はどうでも︑兄の勤め

ている会社の重役が手をまわしたり︑大学教授の足立が

序文を書くことを拒んだりすると︑ややまじめの意味を

帯んでくるので︑少なくとも作者は道也の思想が世間か

ふくら

危険視されるものであることを予期していると言わな

ければならない︒

私はかつて

︱この演説を読んだあとか︑それともほ

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かの時であったか

︱作者に向かって︑﹁どうも先生の

議論はウォーター・シュートに似ている︑痛快にしてし

かも安全なるものだ﹂と無遠慮に言ったことがある︒す

ると︑先生はにやにや笑いながら︑いつになく首肯して

しゅこう

いられた︒これで見れば︑先生自身もその思想がどこか

ら見ても安全なものであることは承知していられたとい

えようし︑実際先生の主張は︑それが反抗的に見える場

合でもそうであった

︱たとえば︑帝国大学に対する弾

劾でも︑または博士問題のごときでも︒

もう一つ道也先生の演説でいちじるしく目に立つもの

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は︑いかにも機知に富んで聴衆を酔わせるようにできて

いることで︑一︑二の例は演説の大意を述べる際にも引

いておいたが︑そのほかにも例はいくらもある︒聴衆の

横槍を受け流したり︑突っ返したりしながら︑着々論旨

を進めて行く手際は︑﹁活版に押したような演説は生命

がない︑道也は相手しだいでどうとも変わるつもりであ

る﹂というくらいだから腕に覚えがあるものと見なけれ

ばならない︒ただわからないのは︑そのくらい腕に覚え

のある道也先生がいつまでも世間から認められないこと

で︑私にはこれまで知っていた道也先生の素朴な性格と︑

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この光彩ある演説とがどうもそぐわないような気がして

仕方がない︒これはやはり︑作者が自分というものを分

析して作中人物の性格を作り上げる手法が︑たまたま破は

綻を生じたものといってよかろう︒

たん﹃

野分﹄の作者は︑じめじめした︑小雨の降る冬枯れの

ような描写ばかりつづく中に︑中野春台君と許嫁との

いいなずけ

小春の南縁のような︑日当たりのよい場面を点綴して︑

みなみえん

てんてつ

読者に息を継がせる用意を忘れなかった︒あるいは読者

に息を継がせるというよりは︑作者自身が息を継ぐため

と言ったほうがいいかもしれない︒これがこの作者の常

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套手段で︑作者その人の内部の要求から︑こういう場面

を挿入せずにいられないらしい︒

﹃虞美人草﹄の︵十︶を見ると︑その中ほどに︑﹁謎の

女の言うことはしだいに湿気を帯びてくる︒世に労れた

つか

る筆はこの湿気をきらう︒かろうじて謎の女の謎をここ

まで叙しきたったとき︑筆は一歩も前へ進むことはいや

じょ

だという︒日を作り夜を作り︑海と陸とすべてを作りた

る神は︑七日目にいたって休めと言った︒謎の女を書き

こなしたる筆は︑日のあたる別世界に入ってこの湿気は

払わねばならぬ﹂︒こういって宗近兄妹の無邪気でにぎ

むねちかけいまい

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やかな会話に移っている︒先生が自然主義の作風をきら

って︑﹃草枕﹄のような美の世界を創造された心持ちと

も︑どこかしら相通ずるものがあると見られる︒中野春

台君と許嫁との対話はどんなものか︑まずその例から挙

げよう︒

﹁その指輪は見慣れませんね︒﹂

﹁これ?﹂と重ねた手は解けて︑右の指に輝くものを

かさ

なぶる︒

﹁このあいだ父様に買っていただいたの︒﹂

とうさま

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﹁あんまりお父さんを苛めちゃいけませんよ︒﹂

いじ

﹁あら︑そうじゃないのよ︒父様のほうから買ってく

ださったのよ︒﹂

﹁そりゃ珍らしい現象ですね︒﹂

﹁ホホホホ本当ね︒あなたそのわけを知ってて︒﹂

﹁知るものですか︑探偵じゃあるまいし︒﹂

﹁だから御存じないでしょうと言うのですよ︒﹂

﹁だから知りませんよ︒﹂

﹁教えて上げましょうか︒﹂

﹁ええ教えてください︒﹂

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﹁教えて上げるから笑っちゃいけませんよ︒

︱この

あいだね︑池上に競馬があったでしょう︒あのとき父

様があすこへいらしってね︒そうして⁝⁝﹂

﹁そうして︑どうしたんです︒

︱拾って来たんです

か︒﹂

﹁あら︑いやだ︒あなたは失敬ね︒﹂

﹁だって︑待っててもあとをおっしゃらないですも

の︒﹂

﹁今いうところなのよ︒そうして賭をなすったのです

って︒﹂

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﹁こいつは驚いた︒あなたのお父さんもやるんです

か︒﹂

﹁いえ︑やらないんだけれども︑試しにやってみたん

だって︒﹂

﹁やっぱりやったんじゃありませんか︒﹂

、、、、、、、、、、、、、、、、

﹁やったことはやったの︒それでお金を五百円ばかり

、、、、、、、、、、

お取りになったんだって︒﹂

﹁へえ︑それで買っていただいたのですか︒﹂

﹁まあ︑そうよ︒﹂

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この会話の中には︑いわば論理的低徊趣味といったよ

ていかいしゅみ

うなものがあって︑論理のもつれから滑稽味を引き出す

ことは﹃猫﹄や﹃二百十日﹄の中にしばしば用いられた

が︑ここではそれから男女の会話の甘い味わいが出てい

る︒これがもう少し深入りすると︑

﹁昔ある好事家がビーナスの銅像を掘り出して︑わが

こうず

庭の眺めにと橄欖の香りを濃く吹くあたりに据えたそ

かんらん

うです︒﹂

﹁それはお話?

突然なのね︒﹂

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﹁それからある日テニスをしていたら⁝⁝﹂

﹁あら︑ちっともわからないわ︒誰がテニスをするの︒

銅像を掘り出した人なの?﹂

﹁銅像を掘り出したのは人足で︑テニスをしたのは銅

にんそく

像を掘り出さした主人のほうです︒﹂

﹁どっちだって同じじゃありませんか︒﹂

﹁主人と人足と同じじゃ少し困る︒﹂

﹁いいえさ︑やっぱり掘り出した人がテニスをしたん

でしょう︒﹂

﹁そう強情をお張りになるなら︑それでよろしい︒

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1041

︱では掘り出した人がテニスをする⁝⁝﹂

﹁強情じゃないことよ︒じゃ銅像を掘り出さしたほう

がテニスをするの︑ね︒いいでしょう︒﹂

﹁どっちでも同じでさあ︒﹂

﹁あら︑あなた︑お怒りなすったの︒だから掘り出さ

したほうだって︑あやまっているじゃありませんか︒﹂

﹁ハハハハハあやまらなくってもいいです︒﹂

と︑こんなことにもなる︒ラケットを持つのに邪魔だ

というので︑婚約の指輪を銅像の小指に穿めておいたま

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ま︑つい失念して結婚式に臨んだ男は︑その晩どたりど

たりと寝室へ上がって来た庭のビーナスのために取り殺

されたという︒メリメから取ったこの話は︑結婚前の若

い男女の甘い会話の中に出る挿話として︑多少の酸味を

もたらす効果もあって︑まことに時と所を得たものがあ

る︒ふ

たりは結婚した︒自分達の愛を享楽したふたりは︑

他人の上にも普通以上の同情を寄せようとして︑高柳君

が病気で寝ていると聞いて︑中野君は新しい細君のいう

がままに百円の紙包みを持ち︑転地療養を勧めに友達の

すす

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もとへやって来た︒

﹁行けばいいじゃないか︒﹂

﹁行けばいいだろうが︑ただは行かれない︒﹂

高柳君は元気のない顔をして︑自分の膝頭へ眼を

ひざがしら

落とした︒瓦斯双子の端から鼠色のフランネルが二寸

スふたこ

はし

ばかりはみ出している︒︵中略︶

﹁それは心配することはない︒ぼくがどうかする︒﹂

高柳君は潤いのない眼を膝から移して︑中野君の幸福

な顔を見た︒︵中略︶

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﹁ぼくがどうかするよ︒なんだってそんな眼をして見

るんだ︒﹂

高柳君は自分の心が自分の両眼から外を覗いていた

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

のだなと︑急に気がついた︒

、、、、

、、、、、、、

﹁君に金を借りるのか︒﹂

﹁借りないでもいいさ⁝⁝﹂

﹁もらうのか︒﹂

﹁どうでもいいさ︒そんなことを気にかける必要はな

い︒﹂

﹁借りるのはいやだ︒﹂

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1045

﹁じゃ借りなくってもいいさ︒﹂

﹁しかしもらうわけにはいかない︒﹂

結局︑高柳君は転地先でかねて書きたいと思いつめて

いた創作をして︑それによって中野君に対する義務を果

たすという条件のもとに︑その金を借りることにした︒

で︑喜び勇みつつ︑そのことを道也先生のもとへ報告

いさ

に行った︒すると︑先生の宅ではいましもちょうど借金

取りに押しかけられて︑手詰めの談判を食っている最中

であったが︑この借金取りというのも︑実は道也の兄と

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1046

細君とが相談のうえ︑道也を困らせて文士から教師に改

宗させるための策略から出たまわし者なんである︒した

がってそれを知っている読者には痛切な感じは与えな

い︒が︑道也先生はひとりで困っていた︒それを見た高

柳君は︑すぐに決心して懐中の紙包みを投げ出しながら︑

なにとぞ﹁この原稿を百円で私に譲ってください﹂と言

った︒先生の﹃人格論﹄は引き請け手のないためにまだ

机の上に載ったまま残っていたのである︒そして︑﹁

先生︑私はあなたの弟子です

︱越後の高岡︵長岡のま

ちがい?︶で先生をいじめて追い出した弟子のひとりで

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す︒

︱だから譲ってください﹂と言い添えた︒この感

傷的な告白で︑﹃野分﹄の一篇は終わっている︒

いかにもうまく一篇のプロットが仕組まれている︒最

初道也先生を出し︑次に高柳君と中野君を出し︑中野君

によって道也先生と高柳君とをつなぎ︑さらに中野君夫

妻のはなやかな場面と道也先生や高柳君のじめじめした

光景とを交互に点出して︑最後にまた高柳君をして中野

君の金で道也先生の急を救わせることにより︑一扁の結

末をつける︒あまりにうますぎるくらいプロットが具合

よくできていると言わなければならない︒作者があらか

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じめプロットを設けて筆を執られたことは明白である︒

先生はこれまでプロットのある小説を書かれたことが

なかった︒﹃倫敦塔﹄以下の短篇は感興の赴くがままに

書かれたようなものであるし︑﹃猫﹄のごときはかえっ

てプロットを無視した作というので有名である︒﹃坊っ

ちゃん﹄にも筋があるといえばあるが︑あれは自然にで

きた筋である︒﹃草枕﹄には確かに一種のプロットがあ

る︒が︑あれは普通の意味のプロットではない︑﹃草枕﹄

特有の構想である︒したがって普通のいわゆるプロット

のある小説を書かれたのは︑この﹃野分﹄をもって権輿

けんよ

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としなければならない︒その意味からこの作は後に先生

が職業的に創作をせられる﹃虞美人草﹄以下の︑プロッ

トのある諸作の先駆をなすものと言うべきである︒

以上︑﹃坊っちゃん﹄﹃草枕﹄および﹃野分﹄の三篇

を比較的詳細に論評した︒これらの作が﹃坊っちゃん﹄

は江戸っ子のユーモラスな方面を︑﹃草枕﹄は美的趣味

の方面を︑また﹃野分﹄は道徳的方面をというように︑

それぞれ先生の違った方面をいちじるしくあらわしてい

るためでもあるが︑またこれらの作が先生の純然たる感

興によって書かれた時代の代表的作品とみなせるからで

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もある︒

この時代の作は︑﹃倫敦塔﹄以下の諸作のごとき一時

のでき心のような感興から生まれたものではない︒でき

心と言うのがわるければ︑少なくとも従前の作はすべて

試みの時代とも言われよう︒が︑この時代の作は皆やむ

にやまれぬ猛烈な創作的要求から生まれている︒といっ

て︑これ以後の作のように職業的に強いられた気味もな

い︒この意味において︑﹃坊っちゃん﹄以下の三作は先

生の創作的生涯の中にあって︑どこか若々しいところも

あると同時に︑最も脂の乗った時代の作品というべきで︑

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そういう時代があったればこそ︑先生ももっぱら創作を

もって立つ

︱創作を職業とするだけの勇気を得られた

のであろう︒で︑﹃野分﹄の一篇をもって純然たる感興

の時代は終わった︒これ以後は朝日新聞記者として筆を

執られたものである︒

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﹃虞美人草﹄と﹃坑夫﹄

﹃虞美人草﹄は︑先生が朝日新聞に入社後ただちに京都

に遊んで︑帰って来てからはじめて筆を執られたもので

ある︒まず︑この作のプロットから考えてみる︒普通の

人情の展開を取り扱われた最初の作であって︑この作に

よってはじめて小説らしい小説を書かれたのであるか

ら︑プロットということが非常に重きをなして考えられ

ている︒

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もっとも︑作者によっては普通の人情を取り扱ったと

ころで︑プロットに重きを置かないようなのもないでは

ない︒たとえば︑自家の閲歴をそのまま作中に再現する

というような作家にとっては︑プロットはおのずからし

てその閲歴の中に含まれているから︑別段プロットに重

きを置く必要はない︒先生のように︑ある観念があって

それを具体化するために︑それぞれ人物の性格を造り︑

その造られた人物どもをある葛藤の中で互いに反噬しも

はんぜい

しくは融和させることによって︑一つの小宇宙をこしら

え上げるといったような作風にあっては︑プロットに重

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きを置かざるを得ない︒

先生のこの傾向は自然主義全盛の当時ずいぶん世上の

物議を惹起した︒﹁あくまで現実に忠実なれ﹂というモ

じゃっき

ットーのもとに立った当初の自然主義としては︑プロッ

トのあるのは︑すなわちこしらえ物である︒こしらえ物

は不自然であるという二段論法から︑先生のこの傾向を

いれることができなかったのである︒先生のこれに対す

る返答は︑現実をそのまま描写した作必ずしも自然では

ない︒こしらえ物でもこしらえ物でないもの以上に自然

にこしらえてあれば︑それでいいじゃないか︑プロット

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があるといって攻撃する諸公の推奨せられる作なり︑議

論なりを見るに︑要するにその作のプロットがよくでき

ている︑ということなのであるのはおかしいというので

あった︒

先生のプロットと自然主義者のいわゆるプロットとは

言葉の概念からして食い違っていたので︑こしらえ物で

あってこしらえ物以上に自然を模しうれば︑もとより問

題ではなく︑ただどの程度まで実際において自然を模し

うるかが問題である︒

ところで﹃虞美人草﹄の構

は︑渦巻のように

コンストラクション

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なっていて︑外側から中心へ近づいていって︑作中のあ

らゆる要素が一点に集中すると同時に大破綻に到達し

キャタストローフ

て終わる︒

まず甲野さんと宗近とが比叡の山腹に点出される︒東

京の留守宅では︑甲野さんの妹の藤尾と小野さんとが話

をしている︒そこで問題の金時計が出る︒京都では︑甲

野さんと宗近君とが雨に降り籠められて︑宿の二階に寝

転びながら︑隣の琴を聴く︒小野さんの許嫁の小夜子

いいなずけ

が弾く琴である︒それからふたりが嵐山へ遊んで小夜子

父子に出逢う︒東京では小野さんが︑小夜子の父の孤堂

こどう

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先生から娘を連れて東京へ移るという知らせをもらって

気を揉んでいる︒甲野さんと宗近君は東京へ帰る汽車の

中で再び小夜子父子に邂逅う︒

一行が新橋へ着いて︑それまで東京と京都とに分れて

いた舞台が東京に移されたときは︑もうだいぶ作の中心

に近づいている︒甲野さんが帰京したので︑気が気でな

い藤尾のおっ母さんは宗近の老人に藤尾の縁談を断わり

に行ったが︑言葉がまわりくどいから相手のほうで要領

を得ない︒そんなこととも知らない宗近君は平気で妹の

糸子と戯談を言いながら︑上野の博覧会へ連れて行く

じょうだん

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約束をする︒孤堂先生父子を迎えた小野さんは︑住まい

の世話をしてやっただけで︑なるたけ近寄らないように

していたが︑昔の恩誼を思えばそうもならず︑やむを得

おんぎ

ず博覧会へ父娘を案内したが︑池の縁の茶屋で休んでい

ふち

るところを︑宗近兄妹︑甲野兄妹の一行に見られてしま

った︒いままで小野さんをおのれの頤使に従って動く奴

隷のように信じていた藤尾は驚いた︒﹁驚くうちは楽し

みがある!﹂ここで局面は鋭い曲線を描いて一転化する︒

明くる朝小野さんはしばらく無沙汰になった甲野の家

へ出かけようとしているところへ︑小夜子が訪ねて来た︒

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小夜子は父親の心添えで︑小野にいっしょに行ってもら

って買物をして来いと言いつけられて来たのであるが︑

先を急ぐ小野さんは︑買物は自分が帰りに調えて持っ

ととの

て行ってやるからと︑小夜子を瞞して返しながら︑急い

だま

で甲野の家に向かったが︑門前でばったり散歩に出掛け

る甲野さんに出逢う︒甲野さんの口から昨夜藤尾と博覧

会見物に出掛けた話を聞いて︑傷持つ足で怖々藤尾に会

こわごわ

ってみると︑案の定紫の女は怒っている︒さんざん脂を

取られたあげく︑昨宵の女はただ恩師の娘というだけ

さくしょう

で︑そのほかには﹁魚と鳥との関係だにない﹂と嘘を吐

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いて︑ようよう虎口を遁れる︒一方甲野さんは宗近の留

ここう

守宅を訪ねて糸子と話をする︒ここの対話がちょっとハ

ムレットとオフェリヤのそれを想わせるようなもので︑

糸子はとうとう甲野さんには妻帯する心持ちなどはな

い︑自分は一生嫁になどは行かないと悲しい覚悟をする︒

また甲野の家を出た小野さんは︑頼まれた洋燈の台と屑

ランプ

籠を買って帰る途中で宗近君に出逢う︒そして︑宗近君

ののんきで平然と構えているのがうらやましくなる︒そ

れから孤堂先生の家を訪ねたが︑先生から小夜子との結

婚を迫られて︑二︑三日熟考の猶予を頼んでその場を遁

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れる︒ここまでが博覧会の翌日一日中のできごとである︒

それから一両日してのことである︒藤尾のおっ母さん

は甲野さんの煮えきらない態度をもどかしがって︑それ

となく家を出るなら出ると早く決めろと催促におよん

だ︒甲野さんはそこへ藤尾を招んで︑も一度宗近へ行く

気はないかと念を押してみたが︑みごとに跳ねつけられ

た︒それじゃ思いどおりにしたがいい︑自分は家も財産

も藤尾にくれて自宅を出ると言い渡してしまう︒同日同

時刻に︑外交官の試験に及第した宗近君は老父と話をし

た結果︑自分が藤尾をもらう先決問題として甲野さんが

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糸子をもらってくれるかどうか直談判におよぼうとし

た︒糸子が甲野さんには妻帯する気がないから︑そんな

話はよしてくれというのを押しきって︑甲野さんのもと

へ行ってみると︑甲野さんはもうこの家を出ることにし

たと告げる︒ここで藤尾が例の金時計を小野さんの胸に

かけるところを見せつけられたりして︑宗近君も藤尾の

ことは思いきったが︑どうしても家を出るなら糸子のた

めに自分の宅へ来てやってくれと甲野さんに頼む︒一方

小野さんの友人の浅井という男は︑小野さんに頼まれて︑

孤堂先生のもとへ小夜子との結婚を破約に出かけたが︑

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あまりに先生の憤怒が激しいので︑ほうほうの体で遁げ

てい

出しながら︑かねて就職口を頼もうと思っていた宗近の

家へ駈け込んで︑ぺらぺらと逐一の事情をしゃべってし

まう︒この浅井が宗近の家へ行ったという偶然の事情か

らまた局面が一転して︑従来流れていた方向とは正反対

の方向に逆流することになる︒

これより先︑小野さんは藤尾と約束して︑この日ふた

りで大森へ遊ぶことになっていた︒若い男と女がこっそ

り大森へ行ってしまえばもう取り返しがつかない︒それ

を食い留めるために宗近君は小野さんの下宿へ向かっ

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た︒小野さんは自分で自分のすることに確信を持たない

男である︒それにかねて宗近君の平気な心状をうらやま

しくも思っていたから︑いま宗近君から一語二語異見さ

いけん

れると︑すぐに前非を後悔して即座に小夜子と結婚する

ぜんぴ

といい出した︒一方︑宗近君が小野さんの下宿へ向かう

と同時に︑宗近老人は孤堂先生をなだめに先生の家に赴

いた︒糸子は甲野さんを迎いに甲野さんの宅へ行ってい

る︒小野さんの覚悟を聞いた宗近君は小夜子を迎いにや

って︑三人で甲野の邸へ向かう︒

甲野の邸では︑甲野さんが家を出るといって︑亡父の

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額をはずしている︒藤尾のおっ母さんがそれを留める︒

糸子がまた留めるなといっておっ母さんを留める︒その

中へ三人の腕車が着く︒最後に新橋の停車場まで行って︑

くるま

小野さんの破約を知り真っ赤になって帰って来た藤尾の

腕車が着く︒これでこの作のおもだった人物が皆一堂に

会したわけだ︒小野さんは皆の前で藤尾に謝して︑小夜

子と結婚する旨を宣言する︒藤尾は蒼くなる︒ひとたび

蒼くなった藤尾は︑﹁じゃ︑これはあなたに上げましょ

う﹂と︑例の時計を宗近君の手に渡したが︑宗近君はそ

れを煖炉に投げつけながら︑﹁こうすればぼくの精神も

だんろ

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君らにわかるだろう﹂と言った︒藤尾は床に倒れる︒す

べての波瀾は紫の女の死によって一掃された︒これが梗

概である︒

この梗概でもほぼ了解されるように︑事件の発展は普

通の劇や小説のようにただちに終局をめざして進まない

で︑一章ごとに輪を描いて迂回しながら︑だんだん中心

に近づいていく︒最初大きな輪を描いているあいだは︑

進行が手間どって︑叡山に登ったり︑保津川を下ったり︑

雨の宿に隣の琴を聴いたりして︑いわゆる低徊趣味の小

説でも読んでいるような気持ちであるが︑その間に作中

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にあらわれる各人物の従前の関係を説明したり︑将来の

因縁をつけたりして︑作者は決して無意味に低徊してい

るのではない︒ことにそのところどころへ結末の大破綻

を暗示するような︑たとえば

︱︑

﹁人間万事夢のごとしか︑やれやれ︒﹂

﹁ただ死ということだけが真だよ︒﹂

まこと

﹁いやだぜ︒﹂

﹁死に突き当たらなくっちゃ︑人間の浮気はやまない

ものだ︒﹂

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﹁やまなくてもいいから︑突き当たるのはまっぴらご

めんだ︒﹂

﹁ごめんだって今に来る︒来た時にああそうかと思い

当たるんだね︒﹂

﹁誰が︒﹂

﹁小刀細工の好きな人間がさ︒﹂︵叡山の中腹︑宗近と

甲野さんの会話︒︶

または

︱︑

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﹁ありがたいな︒第一義となると︑どんな活動だね︒﹂

﹁第一義か︒第一義は血を見ないと出てこない︒﹂

﹁それこそ危険だ︒﹂

﹁血でもってふざけた了見を洗ったときに︑第一義が

躍然とあらわれる︒人間はそれほど軽薄なもんだよ︒﹂

やくぜん

﹁自分の血か︑人の血か︒﹂︵天龍寺︑同じく甲野さん

と宗近君の会話︒︶

というような会話を挿入して︑ともすれば間の延びが

ちな場面を引き緊めていく︑そういうふうに低徊しなが

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ら進行し︑進行しながら低徊しているあいだに︑だんだ

ん主要人物の関係が緊密になり︑描かれる輪が小さくな

る︒輪が小さくなるにつれて︑進行の速度が急に高まり

渦の流れが烈しくなる︒最後に作中の各要素が一堂に会

はげ

するにいたって︑一大音響を発して爆発する︒すなわち

最初は低徊趣味であったものが︑だんだん劇的になって

いく︒宗近の家から腕車が三台︑小野さんの下宿と孤堂

くるま

先生のわび住居と甲野さんの邸とへ向かうあたりからそ

うなって︑最後に藤尾の死ぬ場面は全然劇的な結末であ

る︒

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かくのごとく︑全体のプロットを緊密にするためには︑

どこかに無理をして不自然なきらいのあることを免れ

まぬか

ない︒たとえば︑甲野さんと宗近とが京都に遊んで︑偶

然にも小野さんの許嫁である小夜子の隣の宿に泊まった

り︑その小夜子と嵐山で遇い︑東上の汽車の中で逢いし

て︑偶然が頻発するといい︑博覧会で孤堂先生と小夜子

を連った小野さんが藤尾の一行と落ち合って︑それか

つらな

ら事件が一転するのといい︑最後に浅井という妙な男が

宗近の家を訪ねたために︑一つの方向に流れていた物語

の筋が急に逆転するのといい︑不自然といえばすべて不

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自然であるが︑偶然必ずしも不自然とは言えない︒われ

われの日常生活を振り返って見ても︑偶然はいたるとこ

ろにあるから︑そういうプロットのうえの偶然はさほど

苦にはならないにしても︑性格描写のうえの不自然はど

うすることもできない︒それも性格そのものの不自然と

いうよりは︑おのおのの性格に対する作者の解釈なり︑

批判なりが妥当を欠くと言ったほうがいいかもしれない

が︒こ

の作のおもだった人物の性格を見るに︑それぞれ一

つの観念に帰納することができよう︒たとえば︑藤尾の

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おっ母さんは﹁謎の女﹂︑藤尾は﹁我の女﹂または﹁紫

の女﹂︑糸子は﹁五本の指を並べたような女﹂︑小夜子

は﹁過去の女﹂である︒また男性のほうでいえば︑甲野

さんは﹁計画ばかりしていっこう実行しない男﹂で︑宗

近君はその逆を行ったような男である︒最後に小野さん

︱甲野さんの日記の一節にいわく﹁色を見る者は形

を見ず︑形を見る者は質を見ず﹂︒小野さんは﹁色を見

て世を暮す男﹂である︒

これらの言葉は︑作者みずから︑それぞれの性格をそ

ういう言葉で一摑みに言い表わしていられるので︑ある

ひとつか

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いは作者みずから帰納されたというよりも︑作者みずか

らそういう観念から出発して︑それぞれの性格を造り上

げたと言ったほうがいいかもしれない︒まず女性のほう

から見ていくに︑女主人公の藤尾はあまりに力を籠めら

れたせいか︑作意の痕が遺っているし︑小夜子は﹁過去

の女﹂と言われるだけあって︑在来のありふれた型の女

に近く︑三人の若い女性の中では糸子がいちばん活躍し

ている︑作者自身も﹁謎の女﹂なぞを書くとは違って︑

筆が運んでうれしそうだ︒十章の中ほどから出る糸子と

宗近君との対話を見ても︑それがわかる︒

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腹這いは弥生の姿︑寝ながらにして天下の春を領

はらば

やよい

りょう

す︒宗近はものさしの先でしきりに敷居をたたいてい

る︒

﹁糸公︒こりゃお前の座敷のほうが明るくって上等だ

ね︒﹂

﹁替えたげましょうか︒﹂

﹁そうさ︒替えてもらったところであまり儲かりそう

でもないが

︱しかしお前には上等すぎるよ︒﹂

﹁上等すぎたって誰も使わないんだからいいじゃあり

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ませんか︒﹂

﹁いいよ︒いいことはいいが少し上等すぎるよ︒それ

にこの装飾物がどうも

︱妙齢の女子には似合わしか

らんものがあるじゃないか︒﹂

﹁なにが?﹂

﹁なにがって︑この松さ︒こりゃたしかお父さんが苔た

盛園で二十五円で売りつけられたんだろう︒﹂

せいえん

﹁ええ︒大事な盆栽よ︒ひっくりかえしでもしようも

んなら大変よ︒﹂

﹁ハハハハハハこれを二十五円で売りつけられるお父

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さんもお父さんだが︑それをまた二階までえっちらお

っちら担ぎ上げるお前もお前だね︒やはりいくら年が

かつ

違っても親子は争われないものだ︒﹂

﹁ホホホホ兄さんはよっぽど馬鹿ね︒﹂

﹁馬鹿だって糸公と同じくらいな程度だあね︒兄妹だ

もの︒﹂

﹁おやいやだ︑そりゃむろん私は馬鹿ですわ︒馬鹿で

すけれども兄さんも馬鹿よ︒﹂

﹁馬鹿よか︒だからお互いに馬鹿よでいいじゃない

か︒﹂

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﹁だって証拠があるんですもの︒﹂

﹁馬鹿の証拠がかい︒﹂

﹁ええ︒﹂

﹁そりゃ糸公の大発明だ︑どんな証拠があるんだね︒﹂

﹁その盆栽はね

︱知らなくって?﹂

﹁知らないとは?﹂

﹁私大きらいよ︒﹂

﹁へええ︑今度はこちらの大発明だ︒ハハハハきらい

なものをなんでまた持って来たんだ︒重いだろうに﹂

﹁お父さまがご自分で持って入らしったのよ︒﹂

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1079

﹁なんだって?﹂

﹁日があたって二階のほうが松のためにいいって︒﹂

﹁おやじも親切だな︒そうか︑それで兄さんが馬鹿に

なっちまったんだね︒おやじ親切にして子は馬鹿にな

りか︒﹂

﹁なに︑そりゃ︑ちょっと︒発句?﹂

ほっく

﹁まあ発句に似たもんだ︒﹂

﹁似たもんだって︑本当の発句じゃないの︒﹂

﹁なかなか追窮するね︒それよりかお前きょうは大

ついきゅう

変りっぱなものを縫ってるね︒なんだい︑それは?﹂

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1080

﹁これ?

これは伊勢崎でしょう︒﹂

﹁いやに光つくじゃないか︒兄さんのかい︒﹂

ぴか

﹁お父さまのよ︒﹂

﹁お父さんのばかり縫って︑ちっとも兄さんには縫っ

てくれないね︒狐の袖無以後お見限りだね︒﹈

ちゃんちゃん

﹁あらいやだ︑あんな嘘ばかり︒いま着ていらっしゃ

るのも縫ってあげたんだわ︒﹂

﹁これかい︒これはもう駄目だ︒こらこのとおり︒﹂

﹁おや︑ひどい襟垢だこと︒このあいだ着たばかりだ

えりあか

のに

︱兄さんは膏が多過ぎるんですよ︒﹂

あぶら

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1081

﹁なにが多過ぎても︑もう駄目だよ︒﹂

﹁じゃ︑これを縫い上げたら︑すぐ縫ってあげましよ

う︒﹂

﹁新しいんだろうね︒﹂

﹁ええ︑洗って張ったの︒﹂

﹁あのお父さんの拝領ものか︒ハハハハハ︒ときに糸

公︑不思議なことがあるがね︒﹂

﹁なにが?﹂

﹁お父さんは年寄りのくせに新しいものばかり着て︑

年の若いおれにはお古ばかり着せたがるのは︑少し妙

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1082

だよ︒この調子で行くとしまいには自分でパナマの帽

子をおって︑おれには物置きにある陣笠を被れと言う

じんがさ

かもしれない︒﹂

﹁ホホホ兄さんはずいぶん口が達者ね︒﹂

﹁達者なのは口だけか︒かわいそうに︒﹂

﹁まだ︑あるのよ︒﹂

宗近君は返辞をやめて欄干の隙間から庭前の植え込

みを頬杖に見下ろしている︒

﹁まだあるのよ︑ちょっと﹂と針を離れぬ糸子の眼は︑

左の手につんとつまんだ合わせ目を︑見る間に括けて

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1083

来て︑いざという指先を白くふっくらと離した時︑よ

うやく兄の顔を見る︒

﹁まだあるのよ︑兄さん︒﹂

﹁なんだい︒口だけでたくさんだよ︒﹂

﹁だって︑まだあるんですもの﹂と針の針孔を障子へ

向けて︑かわいらしい二重瞼を細くする︒宗近君は依

然としてのどかな心を頬杖に託して庭を眺めている︒

﹁言ってみましょうか︒﹂

﹁う︑うん︒﹂

下頤は頬杖で動かすことができない︒返辞は咽喉か

したあご

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1084

ら鼻へ抜ける︒

﹁あし︵足︶︒わかったでしょう︒﹂

、、

﹁う︑うん︒﹂

紺糸を唇に湿して︑指先を尖らすのは︑射損なった

しめ

とが

いそこ

針孔を通す女の

である︒

はかりごと

この中に糸子が襟垢のひどいのに目をつけて︑いった

い﹁兄さんは膏が多過ぎるんですよ﹂というのは︑先生

自身膏の多い︑襟垢のすぐ溜る人であったことを想い出

させる︒そのあとに親爺ばかり新しいものを着て︑おれ

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1085

にはお古ばかり着せたがるとある宗近の述懐も︑あるい

は青年時代の先生みずからの経験を書かれたものかもし

れない︒で︑ここにも表われているように︑宗近君はい

かにも糸子の兄さんらしい快活な男である︒

これに反して︑甲野さんは叡山へ登りながら︑﹁雲の

岫を出で︑空の朝な夕なを変わるごとく︑すべての拘泥

しゅう

こうでい

を超絶して﹂生きたい︑﹁それでなければ化石になりた

い﹂︑﹁それでなければ死んでみたい﹂なぞという考え

に耽らないではいられないような︑二六時中﹁はるかな

国﹂を慕ってやまない厭世家である︒この甲野さんと宗

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1086

近君の性格を最もあざやかに対照せしめた会話がある︒

﹁たしかに酔っ払っているようだ︒君はまた珍しくか

しこまってるじゃないか﹂と一重瞼の長く切れた間か

ら︑宗近をじろりと見た︒

﹁おれは︑これで正気なんだからね︒﹂

﹁いずまいだけは正気だ︒﹂

﹁精神も正気だからさ︒﹂

﹁どてらを着てかしこまってるのは︑酔っ払っていな

、、、

がら︑異状がないと得意になるようなものだ︒なおお

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1087

かしいよ︒酔っ払いは酔っ払いらしくするがいい︒﹂

﹁そうか︑それじゃごめんこうむろう﹂と宗近君はす

ぐさまあぐらをかく︒

﹁君は感心に愚を主張しないからえらい︒愚にして賢

けん

と心得ているほど片腹痛いことはないものだ︒﹂

﹁諫めに従うこと流るるがごとしとはぼくのことを言

いさ

ったものだよ︒﹂

﹁酔っ払っていても︑それなら大丈夫だ︒﹂

﹁なんて生意気をいう君はどうだ︒酔っ払っていると

知りながら︑あぐらをかくこともかしこまることもで

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1088

きない人間だろう︒﹂

﹁まあ立ちん坊だね﹂と甲野さんはさびしげに笑った︒

ここに﹁酔っ払っている﹂とは﹁常態を失っている﹂

というほどの意味にすぎない︒常態を失っていると知り

ながら︑進むことも退くこともできないのは︑思慮があ

って実行力が伴わないからである︒思慮のあるためにか

えって実行力を阻むからで︑考えるものは動かない︒こ

の﹁立ちん坊﹂の性格は古来ハムレットによって代表さ

れている︒

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1089

このハムレットに似た︑考えてばかりいて︑なにごと

にも手を出さない甲野さんと糸子との対話は︑この作の

中にあっても出色の文字なので︑ここの文章はふたりの

対話に入る前︑甲野さんがしんとした宗近家の玄関に立

って︑﹁のんきな白襖に舞楽の面ほどな草体を︑大雅堂

しろふすま

ぶがく

たいがどう

流の筆勢で︑無残に書き散らした﹂のを眺めながら︑案

内を乞うでもなく︑細い杖の先でこつこつたたきの上を

たたいているところからしておもしろく︑これはハムレ

ットではない︑先生自身である︒私はどういうものか︑

ここを読むたびに先生の姿を想いうかべずにはいられな

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1090

い︒最初ふたりの間に︑昨宵の博覧会はおもしろかっ

さくしょう

たか︑なにがおもしろかったか︑言いましょうか︑言っ

てごらんなさいというような問答があって︑

﹁あの皆してお茶を飲んだでしょう︒﹂

﹁ええ︑あのお茶がおもしろかったんですか︒﹂

﹁お茶じゃないんです︒お茶じゃないんですけれども

ね︒﹂

﹁ああ︒﹂

﹁あのとき小野さんがいらしったでしょう︒﹂

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﹁ええ︑いました︒﹂

﹁美しい方を連れていらしったでしょう︒﹂

﹁美しい?

そう︑若い人といっしょのようでした

ね︒﹂

﹁あの方を御存じでしょう︒﹂

﹁いいえ︑知らない︒﹂

﹁あら︒だって兄がそう言いましたわ︒﹂

﹁そりゃ顔を知ってるという意味なんでしょう︒話を

したことは一遍もありません︒﹂

﹁でも知ってらっしゃるでしょう︒﹂

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﹁ハハハハ︑どうしても知ってなければならないんで

すか︒実は逢ったことは何遍もあります︒﹂

﹁だからさよう言ったんですわ︒﹂

﹁だからなんと?﹂

﹁おもしろかったって︒﹂

﹁なぜ?﹂

﹁なぜでも︒﹂

というように続く︒この中の甲野さんの返辞はどうし

ても先生で︑先生自身の論法である︒やがて甲野さんが

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1093

庭の隅にひそやかに咲く小さな花を見つけてから︑ふた

りの対話はいよいよ本題に入る︒

﹁きれいでしょう?﹂

﹁ええ︒﹂

﹁知らなかったんですか︒﹂

﹁いいえ︑ちっとも︒﹂

﹁あんまり小さいから気がつかない︒いつ咲いて︑い

つ消えるかわからない︒﹂

﹁やはり桃や桜のほうがきれいでいいのね︒﹂

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1094

甲野さんは返事をせずに︑ただ口の中で︑

﹁あわれな花だ﹂と言った︒糸子は黙っている︒

﹁昨夕の女のようだ﹂と甲野さんは重ねた︒

ゆうべ

﹁どうして?﹂と女は不審そうに聞く︒男は長い眼を

翻してじっと女の顔を見ていた︑やがて

﹁あなたは気楽でいい﹂とまじめに言う︒

﹁そうでしょうか﹂とまじめに答える︒

賞められたのか︑くさされたのかわからない︒気楽

がいいものか︑わるいものか解しにくい︒ただ甲野さ

んを信じている︒信じている人がまじめに言うから︑

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まじめにそうでしょうかと言うよりほかに道はない︒

文は人の目を奪う︒巧は人の目をかすめる︒質は

あや

たくみ

しつ

人の目を明らかにする︒そうでしょうかを聞いたとき︑

、、、、、、、

甲野さんはなんとなくありがたい心持ちがした︒直下

じきげ

に人の魂を見るとき︑哲学者は理解の頭を下げて︑無

念ともなんとも思わぬ︒

﹁いいですよ︒それでいい︑それでなくっちゃ駄目だ︒

いつまでもそれでなくっちゃ駄目だ︒﹂

糸子は美しい歯を露わした︒

あら

﹁どうせこうですわ︒いつまでだったってこうです

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わ︒﹂

﹁そうは行かない︒﹂

﹁だってこれが生まれつきなんだから︑いつまでたっ

たって変わりようがないわ︒﹂

﹁変わります︒

︱お父さんと兄さんのそばを離れる

と変わります︒﹂

﹁どうしてでしょうか︒﹂

﹁離れると︑もっと利口に変わります︒﹂

﹁私もっと利口になりたいと思ってるんですわ︑利口

に変われば変わるほうがいいんでしょう︒どうかして

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藤尾さんのようになりたいと思うんですけれども︑こ

んな馬鹿なものだから⁝⁝﹂

甲野さんは世に気の毒な顔をして糸子のあどけない

口元を見ている︒

﹁藤尾がそんなにうらやましいんですか︒﹂

﹁ええ︑本当にうらやましいわ︒﹂

﹁糸子さん﹂と男は突然やさしい調子になった︒﹁な

に﹂と糸子もうちとけている︒

﹁藤尾のような女は今の世にありすぎて困るんです

よ︒気をつけないと危ない︒﹂

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女は依然として︑肉余る眼瞼を二重に︑愛嬌の露を

まぶた

ふたえ

大きな眸の上に滴らしているのみである︒危ないと

ひとみ

したた

いう気色は影さえ見えぬ︒

けしき

﹁藤尾がひとり出ると昨夕のような女を五人殺しま

ゆうべ

す︒﹂鮮

やかな眸に滴るものはぱっと散った︒表情はとっ

さに変わる︒殺すという言葉はさほどに怖ろしい︒

、、

︱その他の意味はむろんわからぬ︒

﹁あなたはそれでけっこうだ︒動くと変わります︒動

いてはいけない︒﹂

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﹁動くと?﹂

﹁ええ︑恋をすると変わります︒﹂

女は咽喉から飛び出しそうなものを︑ぐっと嚥み下

くだ

した︒顔は真っ赤になる︒

﹁嫁に行くと変わります︒﹂

女はうつむいた︒

﹁それでけっこうだ︒嫁に行くのはもったいない︒﹂

かわいらしい二重瞼がつづけざまに二︑三度またた

いた︒結んだ口元をちょろちょろと雨龍の影が渡る︒

あまりょう

鷺草とも菫とも片づかぬ花は依然として春を乏しく

さぎそう

すみれ

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咲いている︒

もし甲野さんをハムレットに比較することが不当でな

かったら︑この場はどうしても︑﹁尼寺へ行け︑尼寺へ

行け﹂とばかりでオフェリヤを逐いやる︑あの傷心の幕

であらなければならない︒先生自身もおそらくそれは意

識していられたろう︒甲野さんはハムレットほど自己に

執着していない︒人生を達観している︒相手の心持ち

しゅうじゃく

に無関心すぎる憾みがないでもないが︑それだけに言う

うら

ことはいっそう徹底しているともいえよう︒

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糸子の性格もはっきり出ている︒あまりにはっきり出

すぎて︑それがまた甲野さんの哲学を誘うに都合よくで

きているところから︑多少不自然の感を起こさせないで

もない︒が︑別にどこといって不自然な点も挙げられな

い︑つまり会話がうますぎて︑ときにかえって不自然の

感を抱かせるというにすぎない︒それは会話ばかりでな

い︑地の文も非常によい︒﹁結んだ口元をちょろちょろ

と雨龍の影が渡る﹂とあるがごときは︑女性の感情を肉

体によって描写したものとして︑﹃薤露行﹄の中の﹁二

尺余りを一筋ごとに末まで渡る﹂の句とともに忘れがた

すえ

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い︒このあとに宗近君が外交官の試験に及第した結果︑

自分が藤尾をもらいたいが︑先決問題として︑甲野さん

に妻帯させる必要があるというので︑糸子の意中をただ

す︒糸子はまた甲野さんに妻帯する意志がないから︑そ

んなこと言い出してくれるな︑自分も一生嫁になぞ行か

ないと言い張る場面がある︒ここの対話がまた振ったも

のである︒

糸子がかく作者からかわいがられているのに︑藤尾の

ほうは一篇の女主人公であるが︑あまり作者からかわい

がられていないようである︒藤尾は道徳上非難さるべき

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多くの欠点をその性格の中に保有する女ではあるが︑不

道徳な女でもひとたび女主人公として取り扱われる場合

には︑少なくともいわゆる人間として意義あるものとし

て︑作者は極力それを回護するような態度に出るのが普

通である︒もちろん︑藤尾といえども無意義な女には書

いてない︒

彼女の美しさも︑思い上がったところも︑溢れるよう

あふ

な才気も十分に書いてはある︒が︑それも作者がこの女

に好感を持って描いたものとは受け取れない︒それどこ

えが

ろか︑読者がこの女主人公に対して好感を抱くことを恐

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れたような形跡さえ随所に見られる︒糸子と甲野さんと

の対話の中に引いた︑甲野さんの藤尾に対する批判のよ

うなものである︒なおその当時小宮豊隆君に与えられた

手紙には︑藤尾に対する作者の反感を明らさまに言明せ

られている︒

で︑こうしたことは創作心理からきわめて珍しい現象

である︒前にも挙げた二様の作家のうち︑自家の直接経

験をそのまま紙上に再現するというような傾向の作家に

は︑作中の人物に対する愛着から愛撫し回護せずにはい

られないのだが︑初めにある観念があって︑それから出

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発して一篇を構成する場合は︑比較的この愛着が少ない︒

それかあらぬか︑女主人公藤尾の性格は︑性格描写の妙

を得た作者の手になったものとしては成功したものと言

われない︒

西洋の作品にきわめて多い︑ああいった型の女に較べ

ると︑だいぶ遜色がある︒

そんしょく

最初小野さんと藤尾とが対座して︑あのインテレクチ

ュアル・ファイトとも言わば言えるような︑言葉の上の

闘いを演出するところなぞ︑巧妙なものには相違ないが︑

藤尾が相手をやり込めるのも︑小野さんがやり込められ

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るのもわざとらしい︒やり込められなくともよいところ

を︑わざわざやり込められているようで︑そこがこしら

え物のように思われるのである︒たとえば︑

﹁年を取ると嫉妬が増してくるものでしょうか﹂と︑

女は改まって小野さんに聞いた︒︵中略︶

﹁そうですね︒やっぱり人によるでしょう︒﹂

角を立てない代わりにあいさつは濁っている︒それ

かど

ですます女ではない︒

﹁私がそんなお婆さんになったら

︱今でもお婆さん

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でしたっけね︒ホホホ

︱しかしそのくらいな年にな

ったらどうでしょう︒﹂

﹁あなたが

︱あなたに嫉妬なんて︑そんなものは︑

今だって⁝⁝﹂

﹁ありますよ︒﹂

女の声は静かなる春風をひやりと斬った︒

﹁今でもお婆さんでしたっけね﹂は良家の令嬢の言葉と

も覚えないし︑小野さんの返辞はいかに相手に求むると

ころがあるとはいえ︑幼稚である︒そんな欠点を拾わな

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ければ︑ここの会話もきびきびして︑実際はおもしろい︒

﹁清姫が蛇になったのは何歳でしょう︒﹂

じゃ

いくつ

﹁さよう︑やはり十代にしないと芝居になりません

ね︒おおかた十八︑九でしょう︒﹂

﹁安珍は?﹂

あんちん

﹁安珍は二十くらいがよくはないでしょうか︒﹂

﹁小野さん︒﹂

﹁ええ︒﹂

﹁あなたはお何歳でしたかね︒﹂

いくつ

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﹁私ですか

︱私はと⁝⁝﹂

﹁考えないとわからないんですか︒﹂

﹁いえ︑なに

︱たしか甲野君と同じ年でした︒﹂

﹁そうそう兄と同じ年ですね︒しかし兄のほうがよほ

ど老けて見えますよ︒﹂

﹁なに︑そうでもありません︒﹂

﹁本当よ︒﹂

﹁なにか奢りましょうか︒﹂

おご

﹁ええ︑奢ってちょうだい︒しかし︑あなたのは顔が

若いのじゃない︑気が若いんですよ︒﹂

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﹁そんなに見えますか︒﹂

﹁まるで坊ちゃんのようですよ︒﹂

﹁かわいそうに︒﹂

﹁かわいらしいんですよ︒﹂

女の二十四は男の三十にあたる︒理も知らぬ︑非も

知らぬ︒世の中がなぜ回転してなぜ落ちつくかはむろ

ん知らぬ︒大いなる古今の舞台のきわまりなく発展す

るうちに︑自己はいかなる地位を占めて︑いかなる役

割を演じつつあるかはもとより知らぬ︒ただ口だけは

巧者である︒天下を相手にすることも︑国家を向こう

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へまわすことも︑一団の群集を眼の前に事を処するこ

とも︑女にはできぬ︒女はただ一人を相手にする芸当

を心得ている︒一人と一人と戦うとき︑勝つものは必

ず女である︒男は必ず負ける︒具象の籠の中に飼われ

かご

て︑個体の粟を啄んではうれしげに羽搏きするもの

あわ

ついば

はばた

は女である︒籠の中の小天地で女と鳴く音を競うもの

は必ず斃れる︒小野さんは詩人である︒詩人だからこ

たお

の籠の中に半分首を突っ込んでいる︒小野さんはみご

とに鳴きそこねた︒

﹁かわいらしいんですよ︒ちょうど安珍のようなの︒﹂

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﹁安珍はひどい︒﹂

許せといわぬばかりに︑今度は受け留めた︒

﹁ご不服なの?﹂と女は眼元だけで笑う︒

﹁だって⁝⁝﹂

﹁だって︑なにがおいやなの?﹂

﹁私は安珍のように逃げやしません︒﹂

これを逃げそこねの受け太刀という︒坊ちゃんは機

を見てきれいに引き上げることを知らぬ︒

﹁ホホホ私は清姫のように追いかけますよ︒﹂

男は黙っている︒

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﹁蛇になるには︑少し年が老けすぎていますかし

じゃ

ら?﹂

時ならぬ稲妻は︑女を出でて男の胸をするりと透し

とお

た︒

﹁藤尾さん︒﹂

﹁なんです?﹂

こう男に呼びかけさせておいて︑まさに局面が展開し

ようとする刹那に︑藤尾のおっ母さんを帰って来させる︒

せつな

ごのほか藤尾が優越を占める場合には︑きっと誰かがそ

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の犠牲になっている︒小野さんでなければ糸子︑でなけ

れば宗近君である︒ひとり甲野さんばかりは︑さすがの

藤尾でもどうすることもできない︒もっとも︑誰に対し

ても優越感を抱かなければ承知しない女だから︑甲野さ

んに向かってもときどき食ってかかるのだが︑たいてい

は陰弁慶である︒

かげべんけい

甲野さん︑宗近君︑藤尾︑糸子の一行が夜の博覧会を

見物に行ったときなぞ︑真っ先にやられているのは糸子

で︑宗近君もやられているが︑この男はやられても意と

しない︑平気でいる︒

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﹁ねえ︑糸公︑まるで龍宮のようだろう︒﹂

いとこう

﹁本当に龍宮ね︒﹂

﹁藤尾さん︑どう思う﹂と宗近はどこまでも龍宮が得

意である︒

﹁俗じゃありませんか︒﹂

﹁なにが︑あの建物がかね︒﹂

﹁あなたの形容がですよ︒﹂

﹁ハハハハ甲野さん︒龍宮は俗だというご意見だ︒俗

でも龍宮じゃないか︒﹂

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﹁形容はうまくあたると俗になるのが通例だ︒﹂

﹁あたると俗ならあたらなければ何になるんだ︒﹂

﹁詩になるでしょう﹂と藤尾が横合いから答えた︒

﹁だから︑詩は実際にはずれる﹂と甲野さんが言う︒

﹁実際より高いから﹂と藤尾が注釈する︒

﹁するとうまくあたった形容が俗で︑うまくあたらな

かった形容が詩なんだね︒藤尾さん︑まずくってあた

らない形容を言ってごらん︒﹂

﹁言ってみましょうか

︱兄さんが知ってるでしょ

う︒聞いてごらんなさい﹂と︑藤尾は鋭い眼の角から

かど

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欣吾を見る︒眼の角はいう︒

︱まずくってあたらな

きんご

い形容は哲学である︒

宗近君にはずけずけ言う藤尾も︑甲野さんに向かって

は眼の角にものを言わせてすます︒この辺の呼吸は心得

たものと言わなければならない︒

ところで︑このくらい相手を揶揄したり︑気の利いた

えらそうなことの言える藤尾だから︑本当にものがわか

っているかというに︑そうでない︒ものの順調に行って

るときは︑とても正面からは向かっていかれないほど太

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刀先が鋭いが︑少しく逆境に立つとすぐ尻尾を出してし

しっぽ

まう︒これがこういう女の常である︒たとえば︑最後の

一幕前︑甲野さんの書斎に一同の集まったところで︑小

野さん自身の口から破約を宣言されたとき︑すぐその場

で﹁じゃ︑この時計はあなた不用なんですね︒ようござ

んす︒

︱宗近さん︒あなたに上げましょう﹂と言い出

したりして︑それで宗近君が喜んで受け取るように思っ

ているのは︑いかに世間の事がすべて自分の思いどおり

になると心得ているような女にしても︑またいかに絶体

絶命の窮地に陥ったとしたところで︑浅薄である︑血迷

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っている︒が︑これが彼女の正体であって︑想うに作者

は︑藤尾をして死の前にこの恥ずべき一言を吐かしむる

ことによって︑彼女の人格の上に最後の批判を与えられ

たものであるまいか︒

ついでながら︑宗近君がまた時計を握るとともに︑そ

れを大理石の媛炉の角に打ちつけて壊しながら︑﹁藤尾

こわ

さん︑ぼくは時計が欲しいために︑こんな酔狂な邪魔を

したんじゃない︒小野さん︑ぼくは人の思いをかけた女

が欲しいから︑こんな悪戯をしたんじゃない︒こう壊し

いたずら

てしまえばぼくの精神は君らにもわかるだろう︒これも

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第一義の活動の一部分だ︒なあ甲野さん﹂と言って︑そ

れで自分の潔白を証しえたように思うのは︒ああいうな

りゆきになった場合︑読者は決して宗近君が小野さんと

藤尾とを離れさして︑自分がその後釜に据わるつもりだ

ろうなぞと疑いはしないので︑もし宗近君の心事に一点

の疑いをはさむべきものがあるとすれば決してそんなと

ころにあるのではなく︑むしろ彼が藤尾のためにすると

か︑藤尾の性格を改造してやるとか称しながら︑その実

自己の復讐をしているのではないか︑いや︑本当に藤尾

のために善をなしているつもりでいながらも︑その下に

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やはりそういう下心が働いておりはせぬか

︱それを疑

うのである︒どうせ宗近君は反省なぞのある男でないか

らそれでいいとしても︑作者が宗近君と同じように︑こ

の点について考えられなかったとすれば︑先生に似気な

い手落ちと言わなければなるまい︒そして︑作者がその

点を考えられたような痕跡は少しもないのである︒

藤尾は死んだ︒その死ははなはだ卒急に来たけれども︑

しかしきわめて自然である︒およそ作中にあって︑人の

死を自然に見えしむるのに二法ある︒その一は一歩一歩

死なねばならぬ状態に近づかしめることであって︑その

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二は突発的に︑生の頂点から死のどん底へ転落せしむる

、、

ことである︒もちろん︑後者を採るとすればそれだけの

重大な動機がなければならないが︑それさえあればその

死の自然に見えることは︑作者のほうからいってもより

容易かもしれない︒先生は﹃虞美人草﹄執筆中︑﹁書い

ていくうちにどうなるかわからないが︑殺せたら藤尾を

殺すつもりだ﹂と言い言いしていられたが︑易行門を取

いぎょうもん

られたものと見える︒残る問題としては︑藤尾は床に倒

ゆか

れたまま︑神経系の激動の結果ついに死んだものであろ

うか︑それとも別に毒でも仰いで自殺したものであろう

あお

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か︒どちらにも考えられるように思うし︑そして︑どち

らに考えてもそれぞれおもしろい︒したがってまた︑い

ずれとも確たる判断は与えられない︒

﹁色白く傾く月の影に生まれて名を小夜という︒﹂小夜

子は昔風の類型的な女である︒それだけにその行動も消

極的で︑取り立てて言うこともないが︑類型的な女では

あるけれども︑好き嫌いからいえば︑私は小夜子が大い

に好きだ︒

︱だから一日都合をしてもらって︑いっしよに博

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覧会でも見ようと言ってるんじゃないか︒お前話した

かい︒﹂

﹁いいえ︒﹂

﹁話さない?

話せばいいのに︒いったい小野が来た

というのになにをしていたんだ︒いくら女だって︑少

しは口を利かなくちゃいけない︒﹂

口を利けぬように育てておいて︑なぜ口を利かぬか

という︒小夜子はすべての非を負わねばならぬ︒目の

中が熱くなる︒

﹁なにいいよ︒お父さんが手紙で聞き合わせるから

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︱悲しがることはない︒叱ったんじゃない︒︵後略︶﹂

これは孤堂先生父娘の会話である︒さらに︑宗近老人

がこの父娘を慰めに行った場面をあぐれば︑

﹁しかしせっかくこれまでご丹精になったものを︒そ

う思いきりよくお断念になるのも惜しいから︑どうか

ここはひとまず私どもにお任せください︑倅もでき

せがれ

るだけ骨を折ってみたいと申しておりましたから︒﹂

﹁ご好意は実にかたじけない︒先方で断わる以上は︑

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娘も参りたくもなかろうし︑参ると申しても私がやれ

んような始末で⁝⁝﹂

小夜子は氷嚢をそっと上げて︑額の露をていねい

ひょうのう

ひたい

に手ぬぐいでふいた︒

﹁冷やすのは少し休めてみよう︒

︱なあ小夜︑行か

んでもいいな︒﹂

小夜子は氷嚢を盆へ載せた︒両手を畳の上へ突いて︑

盆の上へおおいかぶせるように首を出す︒氷嚢へぽた

りぽたりと涙が垂れる︒孤堂先生は枕に着けた胡麻塩

ましお

頭を

あたま

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﹁いいな﹂と言いながら︑半分ほどうしろへねじ向け

た︒ぽたりと氷嚢へ垂れるところが見えた︒

﹁ごもっともで︑ごもっともで⁝⁝﹂と︑宗近老人は

とりあえず二遍つづけざまに述べる︒孤堂先生の首は

もとの地位に復した︒潤んだ眼を光らしてじっと老人

うる

を見守っている︒やがて

﹁しかしそれがために小野が藤尾さんとかいう婦人と

結婚でもしたら︑御子息にはお気の毒ですな﹂と言っ

た︒

﹁いや

︱そりゃ

︱ご心配には及ばんです︒倅はも

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らわんことにしました︒たぶん

︱いやもらわんです︒

もらうと言っても私が不承知です︒倅がきらうような

婦人は︑倅がもらいたいと言っても私が許しません︒﹂

﹁小夜や︑宗近さんのお父さんも︑ああおっしゃる︒

同じことだろう︒﹂

﹁私は

︱参らんでも

︱よろしゅうございます﹂と

小夜子は枕のうしろで切れ切れに言った︒雨の音の強

い中でようやく聞き取れる︒

﹁いや︑そうなっちゃ困る︒私がわざわざ飛んで来た

甲斐がない︒︵後略︶﹂

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この場面はいかにも劇的である︒が︑それはそれとし

て︑私にはやっぱりおもしろい︒つまり陳いと陳くない

ふつ

と︑類型と類型でないとを超越したおもしろみがあるの

であるが︑ただあのくらい芝居じみたことのきらいであ

った先生が︑どうしてこんな劇的な場面を書かれたかと

いうことが︑私には不思議といえば不思議でないことも

ない︒

甲野さんと宗近君︑ことに宗近君については︑糸子と

藤尾を論ずる際にほぼ紹介しておいたから︑まず甲野さ

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んから始めて︑甲野さんと小野さんとの対照を主として

述べていきたい︒甲野さんは︑考えるばかりで前にも後

にも動くことを知らない︑ハムレット型の性格にできて

いて︑それに作者自身の哲学を加えたようなものである

が︑この性格といい︑作中における地位といい︑読者の

同情と愛とを一身にあつめるようになっている︒

が︑忌憚なくいえば︑時として一種の反感を抱かせら

きたん

れたことも少なくない︒その理由を考えてみるに︑およ

そ二つで︑第一は作者があまりに甲野さんを庇護して︑

その実質を誇張するような傾向の仄見えること

︱ある

ほの

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いは作者からいえば︑あれが本当で︑少しも誇張してい

るのではないかもしれないが︑この傾向は小野さんとの

対照において最もいちじるしい︒一例を挙ぐれば︑

︱小野さんは近づいて来る︒幾度の降る雨に︑土

に籠る青味を蒸し返して︑湿りながらに暖かき大地を

踏んで近づいて来る︒磨き上げた山羊の皮に被る埃

かぶ

ほこり

さえ目につかぬほどのきれいな靴を︑刻み足に運ばし

て甲野家の門に近づいて来る︒

世を投げやりのだらりとした姿の上に︑義理に着る

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羽織のひもを丸打ちに結んで︑細い杖に本来空の手持

から

ち無沙汰を紛らす甲野さんと︑近づいて来る小野さん

は塀の外でぱたりと逢った︒自然は対照を好む︒

﹁どこへ﹂と小野さんは帽に手をかけて︑笑いながら

寄って来る︒

﹁やあ﹂と受け応えがあった︒そのままステッキは動

かなくなる︒本来はステッキさえ手持ち無沙汰なもの

である︒

﹁いま︑ちょっと行こうと思って⁝⁝﹂

﹁行きたまえ︒藤尾はいる﹂と甲野さんはすなおに相

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手を通す気である︒小野さんは躊躇する︒

﹁君はどこへ﹂とまた聞き直す︒君の妹には用がある

が︑君はどうなっても構わないという態度は小野さん

のとるに忍びざるところである︒

﹁ぼくか︑ぼくはどこへ行くかわからない︒ぼくがこ

の杖を引っ張り回すように︑なにかがぼくを引っ張り

回すだけだ︒﹂

小野さんの風采のきざで︑にやけて︑甲野さんが投げ

ふうさい

やりの中に︑どこか無造作な学者らしい面影のあるかを

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見よ︒が︑ステッキまで哲学的にせずとものことで︑か

かる傾向はあえてここばかりではない︑全篇を貫いてす

べてこうなのである︒

第二の理由は︑甲野さんがあらゆる点で強者の地位に

立ちながら︑いかにも自分を弱者のごとく考え︑もしく

はふるまわんとしていることである︒強者の地位に立ち

ながら︒自分が強者であることを自覚しない点

︱自分

が強者であることを自覚しないだけならいい︑相手が弱

者であることをも自覚しない︒彼は甲野家の当主であっ

て︑父が死んだ以上は︑家も財産もいっさい彼の所有で

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ある︒藤尾と藤尾のおっ母さんとは彼の寄食者にすぎな

いのに︑自分はかれらから絶えず圧迫され悩まされてい

るかのごとくふるまっている︒神経の鋭敏な哲学者にと

っては︑無知な婦人の悪あがきでも︑それによって心の

平静を乱され︑圧迫され︑悩まされているように感ぜら

れるのは無理もないが︑それならそのようにそれを避け

る道はあったはずで︑彼がいかにその実強者でありなが

じつ

ら弱者のごとくふるまっているかの一例を見よう︒

﹁おや︑なにをするの﹂と母は手紙の断片を持ったま

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ま︑下から仰向いた︒眼と眼の間に怖れの色が明らか

あおむ

に読まれた︒

﹁額を下ろします﹂と上から落ちついていう︒

がく

﹁額を?﹂

怖れは愕きと変じた︒欣吾は鍍金の枠に右の手を

おどろ

めっき

わく

かけた︒

﹁ちょっとお待ち︒﹂

﹁なんですか﹂と右の手はやはり枠にかかっている︒

﹁額をはずしてなににする気だい︒﹂

﹁持って行くんです︒﹂

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﹁どこへ︒﹂

﹁家を出るから額だけ持って行くんです︒﹂

﹁出るなんて︑まあ︒

︱出るにしても︑もっとゆっ

くりはずしたらよさそうなもんじゃないか︒﹂

﹁悪いですか︒﹂

﹁悪くはないよ︒お前が欲しければ持って行くがいい

けれども︑なにもそんなに急がなくってもいいんだろ

う︒﹂

﹁だって今はずさなくっちゃ︑時間がありません︒﹂

母は変な顔をして呆然として立った︒欣吾は両手を

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額にかける︒

﹁出るって︑お前本当に出る気なのかい︒﹂

﹁出る気です︒﹂

欽吾は後向きに答えた︒

﹁いつ︒﹂

﹁これから出るんです︒﹂

欽吾は両手で一度上へ揺り上げた額を折れ釘からは

ずして︑下へさげた︒細い糸一本で額は壁とつながっ

ている︒手を放すと︑糸が切れて落ちそうだ︒両手で

うやうやしく提げたままである︒母は下から言う︒

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﹁こんなに雨の降るのに︒﹂

﹁雨が降ってもかまわないです︒﹂

﹁せめて藤尾に暇乞いでもして行ってやっておくれ

な︒﹂

﹁藤尾はいないでしょう︒﹂

﹁だから待っておくれというのだあね︑藪から棒に出

るなんて︑おっ母さんを困らせるようなもんじゃない

か︒﹂

﹁困らせるつもりじゃありません︒﹂

﹁お前がその気でなくっても︑世間というものがあり

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ます︒出るなら出るようにして出てくれないと︑おっ

母さんが恥をかきます︒﹂

そこへ糸子が甲野さんを迎いに来たといって不意にあ

らわれた︒甲野さんは糸子に手伝わして額をおろしなが

ら︑それを人力車に載せて出かけようとする︒継母はあ

わててそれを呼び留めた︒

﹁少しお待ちよ︒

︱糸子さんも少し待ってちょうだ

い︒なにが気に入らないで親の家を出るんだか知らな

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1141

いが︑少しは私の心持ちにもなってみてくれないと︑

私が世間へ対して面目がないじゃないか︒﹂

﹁世間はどうでもかまわないです︒﹂

﹁そんな聞き分けのないことをいって︑

︱頑是ない

がんぜ

子供みたように︒﹂

﹁子供ならけっこうです︒子供になればけっこうで

す︒﹂

﹁またそんな︒

︱せっかく子供から大人になったん

じゃないか︒これまで丹精するのは一通りや二通りの

ことじゃないよ︑お前︒少しは考えてごらんな︒﹂

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﹁考えたから出るんです︒﹂

﹁どうして︑まあ︑そんな無理をいうんだろうね︒

︱それもこれも皆私の不行届きから起こったことだ

から︑いまさら泣いたって口説いたって仕方がないけ

れども︑

︱私は

︱亡くなったお父さんに

︱﹂

﹁お父さんは大丈夫です︒なんともいやしません︒﹂

﹁いやしませんたって

︱なにも︑そう意地にかかっ

て私をいじめなくってもよさそうなもんじゃないか︒﹂

甲野さんは額を提げたまま︑なんとも返辞をしなく

なった︒

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1143

甲野さんが返辞をしなくなったのは︑もちろん継母の

心事を洞察しているからである︒継母は謎の女といわれ

るだけに︑言うことと腹の中とがうらはらだ︒最初に﹁雨

が降るから﹂と言って留める︒雨が降るからと言って留

めるのは︑雨がやんだら出て行ってもいいということに

なる︒次には︑﹁藤尾にも暇乞いをして行ってやってく

れ﹂と言って留める︒藤尾に暇乞いさえしたら出て行っ

てもいいというのである︒つまり︑出て行ってもらいた

いにはもらいたいが︑こんなふうにして出て行かれては

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1144

困る︑﹁出るなら出るように﹂世間に対してこちらの顔

の立つようにして出て行ってもらいたいというにあっ

て︑虫のいい了簡といえばそれに相違ないにしても︑甲

野さんがそれに対抗し︑継母を困らせるような態度をと

るのは︑そうしたところで彼女の性格を改造するうえに

なんの益もないことだとすれば︑やはり彼女の言うとお

り﹁出るようにして出て﹂やったらよさそうなものであ

る︒彼

は紛れもないこの家の当主である︒家出をしたとこ

ろで法律上の手続きを済まさないあいだは︑家も財産も

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1145

彼といっしよに出て行くのである︒したがって彼が家出

をするということは藤尾と藤尾のおっ母さんとを前より

もいっそう孤立の地位におとしいれるものとも言われよ

う︒それだけの強味を握りながら︑さもこちらが追い出

されてでも行くように︑こっそり父親の額なぞ持ち出し

て家出をしようとする︑どこにそんな芝居がかりで家を

出る必要があるか︒糸子も甲野さんのすることならなに

ごとも信じているとはいいながら︑よけいな口を出して

継母と言い争ったあげく︑継母が困って﹁だって︑こん

な雨が降って⁝⁝﹂と言うのを引き取って︑﹁雨が降っ

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ても︑叔母さんは濡れないんだからかまわないじゃあり

ませんか﹂なぞと皮肉を言うのはこれまで考えられてき

た糸子をうらぎるものと言わなければならない︒

最後に藤尾の遺骸を横たえた枕頭で︑甲野さんが継母

ちんとう

に向かって説いた言葉は︑かれらの間の総勘定をしたも

のであるから︑ここに引いておく︒﹁あなたは藤尾に家

も財産もやりたかったのでしょう︒だからやろうと私が

言うのに︑いつまでも私を疑って信用なさらないのが悪

いんです︒あなたは私が家にいるのをおもしろく思って

おいででなかったでしょう︒だから私が家を出るという

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のに面目のためだとかなんとか悪く考えるのがいけない

です︒あなたは小野さんを藤尾の養子にしたかったんで

しょう︒私が不承知を言うだろうと思って︑私を京都へ

遊びにやって︑その留守中に小野と藤尾との関係を一日

一日と深くしてしまったでしょう︒そういう策略がいけ

ないです︒私を京都へ遊びにやるんでも私の病気を癒す

ためにやったんだと︑私にも人にもおっしゃるでしょう︒

そういう嘘が悪いんです︒﹂

なるほど︑継母にはそういったような小策をめぐら

ままはは

しょうさく

す癖はある︒そして︑それがこの一篇の波瀾を捲起した

まきおこ

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源であったことも争われない︒しかし甲野さんが﹁だか

らやろうと私が言うのに︑いつまでも私を疑って信用な

さらないのが悪いんです﹂なぞと言うならば︑継母のほ

うでも同じように﹁だからお前が私を疑って︑いつまで

もくれないのが悪いんです﹂と言いたくなろうし︑いく

ら彼女が家も財産も藤尾にやりたいからといってそんな

権利は継母にはなく︑やるもやらぬも甲野さんの思召し

おぼしめ

しだいである︒したがって︑彼女が甲野さんの特殊な性

格を理解しえないかぎり︑やろうと言われたっておいそ

、、、

れと請けられないのは普通の人情と言わなければなるま

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い︒甲野さんはもともと家も財産も要らない人である︒

それくらいなら相手の自分を信用するしないにかかわら

ず︒真っ先にやってしまったらよかりそうなもので︑そ

れが相手をして自分を信用させる捷径でもあれば︑し

しょうけい

たがって継母の性格を改造しうるゆえんでもあろう︒藤

尾の死後︑いたずらに孤影頼るところなき継母の非を責

めるのはどうであろうか︒甲野さんを道徳的に非難する

のではないにしても︑ただ甲野さんに対してはこういう

観方もできる︑そしてそれを逸するのは作としての欠陥

みかた

たることを免れないというのである︒

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甲野さんが常に作者から労られ︑庇護されているの

いたわ

に対して︑小野さんは反感と嫌悪の情をもって取り扱わ

れている︒彼は甲野さんの日記の一節によって紹介され

たが︑この日記によって人物の性格を紹介するというこ

とは先生の創始ではない︑メレディスの用いた手法を踏

襲したものだと︑先生自身言っていられた︒

﹁色を見るものは形を見ず︑形を見るものは質を見ず︒

小野さんは色を見て世を暮らす男である﹂というのは︑

すなわち﹁ハンケチに時々ヘリオトロープの香り﹂をさ

せて︑﹁鼻の先に金縁の眼鏡﹂を光らせていることで︑

きんぶち

めがね

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論文を書くなら﹁ただの論文ではならぬ︑必ず博士論文

でなくてはならぬ﹂と考えるようなことである︒甲野さ

んの学力はわからないが︑﹁とにかく彼は時計を頂戴し

ておらん︒自分は頂戴している︒恩賜の時計は時を計る

おんし

のみならず︒脳の善悪をも計る﹂なぞと考えて︑それで

安心するようなことである︒

小野さんはもと﹁暗い所で生まれた︒ある人は私生児

だとさえいう﹂︒両親には早く死に別れ︑孤堂先生に救

い上げられて︑最高学府までやられた︒自分が明るみへ

乗り出すと︑今度は背後に引き摺っている暗い過去との

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因縁を切って捨てたくなった︒

小夜子との婚約に背いても︑藤尾のひけらかす金時計

に飛びついていこうというのであるが︑小野さんは根が

悪人ではない︒作者からは﹁学士の亀の子﹂と酷評され︑

当の相手の藤尾にさえ︑﹁小野さんに喧嘩ができるもの

ですか﹂なぞと︑頭から見くびられているような男で︑

つまり彼には悪人になるだけの度胸がない︒度胸がない

くせに得をしたがる︒そこに小野さんの矛盾もあれば︑

煩悶もある︒小夜子を捨てて藤尾と結婚するのは︑金持

ちになって孤堂先生に恩返しをするためだなぞと︑理屈

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にならない理屈をつけてでも安心しようとするのはそれ

がためである︒が︑そんなことで安心していられるわけ

がないから︑宗近君の一喝に会うと︑藤尾との約束を破

って再び小夜子に還る︒

かえ

これらの行動は見苦しいといえば見苦しいものに相違

ない︒まったく優柔不断で︑優柔不断であるばかりでな

く︑いつも打算的で利害の念を忘れえないのである︒が︑

彼は利害の念から小夜子を捨てて藤尾と結婚しようとし

たにしてもそれは藤尾母娘から持ちかけられたので︑彼

自身少しも能動的に働いているのではない︒しかも最後

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におよんでその非を遂げえなかったところから見れば︑

甲野さんなぞより人間味があるともいわれる︒

ことに宗近君が途中で屑籠を下げた小野さんに会っ

くずかご

て︑つけつけ露骨にやっつけるところなぞを読んでは︑

やっつける者に対して︑一種の反感をさえ抱かずにはい

られない︒いわく︑

﹁君に紙屑籠を提げて往来を歩くだけの義侠心があると

は思わなかった︒﹂いわく︑

﹁みんな欲しそうだね﹂と宗近君は書物を見ずに︑小

野さんの眼鏡ばかり見ている︒

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﹁みんな新式の装

釘だ︑どうも︒﹂

バインディング

﹁表紙だけきれいにして︑内容の保険をつけた気なの

かな︒﹂

﹁あなた方のほうと違って文学書だから︒﹂

﹁文学書だから上部をきれいにする必要があるのか

ね︒それじゃ文学者だから金縁の眼鏡を掛けているん

だね︒﹂

﹁どうも厳しい︒しかしある意味でいえば︑文学者も

多少美術品でしょう﹂と小野さんはようやく窓を離れ

た︒

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﹁美術品でけっこうだが︑金縁眼鏡だけで保険をつけ

るのはなさけない︒﹂

﹁とかく眼鏡が祟るようだ︒﹂

これが︑宗近君はまだ小野さんの恋敵であることを

こいがたき

知らない前だからいいようなものの︑知ってからだとす

れば人格の問題である︒作者自身の小野さんに対する批

評は実に辛辣を極めたもので︑このあたりにも︑﹁気の

毒とは自我を没した言葉である︒自我を没した言葉であ

るからありがたい︒小野さんは心の中で宗近君を気の毒

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だと思っている︒しかしこの気の毒の中には大いなる己

おのれ

を含んでいる︒悪戯をして親の前へ出るときの心持ちを

いたずら

考えてみるとわかる︒気の毒だったと親のために悔ゆる

了見よりは︑なんとなく物騒ぎだという感じが重であ

じゅう

る︒︵中略︶ただの気の毒とはよほど趣が違う︒けれど

も小野さんはこれを称して気の毒と言っている︒小野さ

んは自分の感じを気の毒以下に分解するのを好まぬから

であろう﹂というのがある︒小野さんは作者になに一つ

純な感じを持ちえぬ男にされているのである︒

小野さんが小夜子を連れて博覧会へ行った明くる日︑

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藤尾に会って︑ゆうべの女は誰と問いつめられるところ

に︑﹁ただの女と言い切ればすまぬこともない︒その代

わり人もきらい自分も好かぬ嘘となる︒嘘は河豚汁であ

ぐじる

る︒その場かぎりで祟りがなければこれほどうまいもの

はない︒しかし中毒ったが最後苦しい血を吐かねばなら

ぬ︒そのうえ嘘は実を手繰り寄せる︒黙っていれば悟

まこと

られずに行き抜ける便りもあるに︑隠そうとする身繕い︑

名繕い︑さては素性繕いに︑疑いの瞳の征矢はてっきり的

まと

と集まりやすい︒繕いはほころびるを持ち前とする︒ほ

ころびた下から醜い正体がそれ見たことかと現われたと

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きこそ︑身の錆は生涯洗われない︒

︱小野さんはこれ

さび

ほどの分別を持った︑利害の関係には暗からぬ利巧者で

ある﹂といったような作者の注釈がついている︒つまり︑

小野さんにも嘘を好かぬという心持ちはあるが︑それは

正義の念から発したものでなくて︑利害の打算から割り

出したものであるという説明である︒が︑小野さんの言

動はそっくりそのままにして︑ただ作者の説明だけ変え

たら︑そこにまるで別人のような小野さんができあがら

ないだろうか︒私は確かにそれができると信ずるもので

ある︒

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この作は事実なり人物なりをそのまま抛り出して︑そ

ほう

れに対する批判はいっさい読者に任せるといったような

行き方のものではない︒作中の人物と読者との間には作

者が介在して︑読者はいちいち作者の紹介なり解釈なり

を通して︑はじめて作中の人物に接することのできる仕

組みになっている︒こういう種類の作品では︑ややとも

すれば作者の成心のその間に加わることを免れない︒成

せいしん

心というとやや語弊があるが︑少なくとも作者は一定の

見識をもって作中人物の行動を観察し判断しようとする

に違いないのであって︑勢い作者の見識から見て是認さ

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れる者は挙げられ︑そうでない者は貶せられることにな

へん

る︒その場合には︑作者はあくまで自家の見識と観察と

判断との前に読者を賛同せしむるだけの力を具えていな

ければならない︒﹃虞美人草﹄の作者をもってしてすら

上来述べきたったような不平を醞醸したものとすれ

じょうらい

うんじょう

ば︑いかにこの種の作風の困難であるかを想見するに足

るであろう︒

この種の作風を直接作品について検すれば︑会話より

けん

も地の文が長いということになる︒﹃虞美人草﹄は地の

文を主とした作品である︒それは作家としての先生自身

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の性情から導かれたものであらなければならない︒ある

人が先生に向かって︑﹁先生はどうして戯曲を書かれな

いのですか﹂と訊いたとき︑先生が笑いながら︑﹁書い

てもいいが︑戯曲では人物の心持ちだの︑しぐさだの︑

性格の解釈だの︑肝心こちらが書こうと思っていること

は︑みんな役者が演ってしまって︑なんにも書くことが

なくなるからいやだ﹂と答えられたのを︑傍えに聴いて

かた

いたことがある︒もちろん︑それは半ば戯談に言われ

じょうだん

た言葉ではあろうが︑先生の創作上における興味を推察

し得られる︒

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先生は会話も巧いに相違ないが︑自分では地の文を書

くことに興味を覚えていられた︒とくに﹃虞美人草﹄に

おいてはそうで︑前に挙げた藤尾と小野さんとの会話︑

女が﹁かわいらしいんですよ﹂と言ってから︑﹁かわい

らしいんですよ︑ちょうど安珍のようなの﹂と言葉を継

ぐまで︑その間に数十言の作者の注釈が加わっているの

げん

を見よ︒これなぞはまだ短いほうである︒一方の問いが

あってからそれに対する返辞が出るまでに︑三︑四ペー

ジの地の文が介在していることなぞも決して珍しい例で

はない︒九章で小野さんが︑﹁もっとよい家でないとお

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気に入るまい﹂云々と言うのを︑小夜子が﹁いえ︑これ

でけっこうですわ﹂と打ち消してから︑小野さんが再び

﹁京都の花はどうです﹂と取って付けたようなことを言

い出すまでの長さを見よ︒

かくのごとく長い地の文を書かれるだけ︑それがまた

巧妙と精緻と絢爛とを極めたものであることは言うまで

もない︒試みに一︑二の文例を挙ぐれば︑

ぎいぎいと櫂が鳴る

かい

岸は二︑三度うねりを打って︑音なき水を︑停まる

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暇なきに︑前へ前へと送る︒重なる水の蹙まって行く

しじ

頭の上には︑山城を屏風と囲う春の山がそびえている︒

逼りたる水は是非なく山と山の間に入る︒帽に照る日

せま

ぼう

の︑たちまち影を失うかと思えば舟は早くも山峡に入

る︒保津の瀬はこれからである︒

﹁いよいよ来たぜ﹂と宗近君は船頭の体を透かして岩

と岩の逼る間を半丁の向こうに見る︒水はごうと鳴る︒

﹁なるほど﹂と甲野さんが︑舷から首を出したとき︑

ふなばた

船ははや瀬の中に滑り込んだ︒右側の二人はすわと波

を切る手をゆるめる︒

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櫂は流れて舷に着く︒舳に立つは竿を横たえたま

かい

へさき

まである︒傾いて矢のごとく下る船は︑どどどと刻み

くだ

足に︑船底に据えた尻に響く︒壊れるなと気がついた

ときは︑もう走る瀬を脱け出していた︒

﹁あれだ﹂と宗近君が指さす後を見ると︑白い泡が

うしろ

一町ばかり逆落としに嚙み合って︑谷を漏る微かな日

影を万顆の珠と我勝ちに奪い合っている︒

ばんか

たま

われが

﹁壮んなものだ﹂と宗近君は大いに御意に入った︒

さか

ぎょい

﹁夢窓国師とどっちがいい︒﹂

﹁夢窓国師よりこちらのほうがえらいようだ︒﹂

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船頭はしごく冷淡である︒松を抱く巌が落ちんと

いわお

して落ちざるを苦にせぬように︑櫂を動かし来り︑棹

かい

きた

を操り去る︒通る瀬はさまざまにめぐる︒めぐるごと

に新たなる瀬は当面に躍り出す︒石山︑松山︑雑木山

と数うる暇を行客に許さざる疾き流れは︑船を駆って

こうかく

はや

また奔湍に躍り込む︒

ほんたん

大きな丸い岩である︒苔を畳むわずらわしさを避け

て︑紫の裸身に︑撃ちつけて散る水沫を︑春寒く腰か

らしん

すいまつ

ら浴びて︑緑崩るる真ん中に舟こそ来たれと待つ︒舟

は矢も楯もものかは︑いちずにこの大岩をめがけて突

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きかかる︒渦巻いて去る水の︑岩に裂かれたる向こう

は見えず︑削られて坂と落つる川底の深さは幾段か︑

乗る人のこちらよりは不可思議の波の行末である︒岩

ゆくすえ

に突き当たって砕けるか︑捲き込まれて︑見えぬかな

たにどっと落ちて行くか︒︱舟はただまともに進む︒

﹁当たるぜ﹂と宗近が腰を浮かしたとき︑紫の大岩は︑

早くも船頭の黒い頭を圧して突っ立った︒船頭は﹁う

ん﹂と舳に気合いを入れた︒舟は砕けるほどの勢い

へさき

に︑波を呑む岩の太腹に潜り込む︒横たえた棹は取り

さお

直されて︑肩より高く両の手が揚がるとともに舟はぐ

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うと回った︒この獣奴と突き離す竿の先から︑岩の裾

けものめ

さお

を尺もあまさず斜めに滑って︑舟は向こうへ落ち出し

た︒

﹁どうしても夢窓国師よりは上等だ﹂と宗近君は落ち

ながら言う︒

と︑これは保津川下りの叙景で︑古来山陽の耶馬渓の

ばけい

紀行とか︑そのほかにいろいろ名勝を叙した名文も少な

くないが︑これほど生気の躍動して︑筆の暢達自在な

ちょうたつ

ものはほかに多く類があるまい︒

るい

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で︑これは動ける水の描写である︒動かざる水の叙述

には︑博覧会における不忍の池の描写がある︒﹁昼でも

しのばず

死んでいる水は︑風を含まぬ夜の影に圧しつけられて︑

見渡すかぎり平らかである︒動かぬはいつのことからか︒

静かなる水は知るまい︒百年の昔に掘った池ならば︑百

年以来動かぬ︑五十年の昔ならば︑五十年以来動かぬと

のみ思われる水底から︑腐った蓮の根がそろそろ青い芽

みなそこ

を吹きかけている︒泥から生まれた鯉と鮒が︑闇を忍ん

こい

ふな

でゆるやかに腭を働かしている︒イルミネーションは

あぎと

高い影を逆しまにして︑二丁余りの岸を︑尺も残さず真

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っ赤になってこの静かなる水の上に倒れ込む︒里い水は

死につつもぱっと色をなす︒泥に潜む魚の鰭は燃える﹂

ひそ

ひれ

と︑いかに沈滞した腐れ水が腐れながらに美化されてい

るか︒

いったい︑先生の文章は決して冗漫ではないが︑言葉

数が多い︒その一例は︑不忍池畔の会場をめがけて︑両

ちはん

方の高台から好奇の瞳を輝かした群集がなだれ寄る様を

、、、

形容して真に到れり悉せりであるが︑そういったよう

まこと

つく

な饒舌の一面には︑また非常にずば抜けた︑奇警な眼

、、

じょうぜつ

きけい

のつけ所がある︒それによって冗漫から救われていると

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言ってもあるいはいいかもしれない︒﹁泥に潜む魚の鰭

が燃える﹂というような句はその好例であるが︑中には

また︑﹁小野さんは眼を上げて部屋の中を見まわした︒

低い天井の白茶けた板の︑二所まで節穴の歴然と見え

しらちゃ

ふたところ

ふしあな

るうえ︑雨漏りの染みを侵して︑ここかしこと蜘蛛の網

を欺く煤が釣りをかけている︒左から四本目の桟の中ほ

すす

さん

どを︑杉箸が一本横に貫いて︑長いほうの端が思うほど

すぎばし

下に曲がっているのは︑立ち退いた以前の借り主が通す

縄に胸を冷やす氷嚢でもぶら下げたものだろう﹂とい

ひょうのう

うような︑冴えた写生もある︒一本の杉箸の写生が︑借

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屋住いの陰気なわびしさをまざまざと読者の眼に訴えて

いる︒

さらに︑﹁裁縫の手を休めて︑火熨にためらっていた

しごと

ひのし

糸子は︑入子菱にかがった指抜きを抽いて︑鴇色に銀

いりこびし

ときいろ

しろがね

の雨を剌す針差しを裏に︑如鱗木の塗り美しき蓋をはた

じょりんもく

ふた

と落とした︒やがて日永の窓に赤くなった耳朶のあたり

ひなが

みみたぶ

を平手でささえて︑右の肘を針箱の上に︑取り広げたる

縫物の下で︑隠れた膝を斜めに崩した︒襦袢の袖に花と

じゅばん

乱るる濃き色は︑やわらかき腕を音なく滑って︑くっき

りと普通よりは明らかなる肉の柱が︑蝶と傾く絹紐の下

リボン

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に鮮かである﹂という一節にいたっては︑思いきって濃

艶な姿態を描き出したものである︒

﹁真葛が原に女郎花が咲いた︒すらすらと薄を抜けて︑

まくず

おみなえし

すすき

悔いある高き身に秋風を品よく避けて通す心細さを︑秋

は時雨て冬になる︒茶に︑黒に︑ちりぢりに降る霜に︑

しぐれ

冬ははてしなく続く中に︑細い命を朝夕に頼み少なく繋つ

ぐ︒冬は五年の長きを厭わず︒寂しき花は寒い夜を脱け出

いと

でて︑紅緑に貧しさを知らぬ春の天下に紛れ込んだ︒

こうりょく

まぎ

地に空に春風のわたるほどは︑物皆燃え立って富貴に色

ものみな

ふうき

づくを︑ひそかなる黄を一本の細き末に頂いて︑住む

いただ

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まじき世に肩身狭く憚りの呼吸を吹くようである﹂と︑

はばか

これは写生文ではない︒

寂しい小夜子の一生を女郎花になぞらえて︑諷喩的に

メタホリカル

言い表わしたものであるが︑同じく詩的な文字ながら︑

女主人公藤尾を描いた一節には︑きわめて調子の高い︑

ロマンティックな︑熱烈火のごときものがある︒﹁紅を

弥生に包む酣なるに︑春を抽んずる紫の濃き一点を︑

たけなわ

ぬき

天地の眠れる中に︑あざやかに滴らしたるがごとき女

したた

である︒夢の世を夢よりも艶やかに眺めしむる黒髪を︑

つや

乱るるなと畳める鬢の上には︑玉虫貝を冴え冴えと董

たた

びん

たまむしがい

すみれ

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1176

に刻んで︑細き金脚にはっしと打ち込んでいる︒静かな

きざ

きんあし

る昼の︑遠き世に心を奪い去らんとするを︑黒き眸の

ひとみ

さと動けば︑見る人は︑あなやと我に帰る︑半滴のひろ

はんてき

がりに︑一瞬の短きをぬすんで︑疾風の威をなすは︑春

にいて春を制する深き眼である︒この瞳をさかのぼって

魔力の境を窮むるとき︑桃源に骨を白うして再び塵寰に

きわ

とうげん

じんかん

帰するを得ず︒ただの夢ではない︒模糊たる夢の大いな

るうちに︑燦たる一点の妖星が︑死ぬるまで我を見よと︑

さん

ようせい

紫色の︑眉近く逼るのである︒女は紫色の着物を着てい

せま

る︒﹂今後わが国にもどんな名文家が出るかもしれない

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1177

が︑こういった文章を書く人は︑おそらく永遠に出なか

ろうと思う︒

すでに地の文のいちじるしく勝っている作であると言

った︒地の文が勝つというのは︑作者の紹介なり批判な

りを俟って︑はじめて作中の人物に接することができる

︱すなわち作者の主観がいちじるしく目に立つという

意味である︒この作くらい作者の人生哲学が生地のまま

で出ている作は少ない︒したがってまた︑この作くらい

いわゆる格言的な警句に富んだ作も少ないのである︒

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女は人を馬鹿にするもんだ︒︵第一章︶

俗界万斛の反吐皆動の一字より来る︒︵同︶

ばんこく

どかいどう

きた

この二つは甲野さんの言葉だが︑甲野さんが作者に最

も近いことは言っておいた︒

一人と一人と戦うとき︑勝つものは必ず女である︒

︵第二章・重

出︶

ちょうしゅつ

糸子は五指を同時に並べたような女である︒︵第六

章︑重出︶

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哲学者は二十世紀の会話を評して肝胆相曇らす会話

かんたんあいくも

といった︒︵第六章︶

鍛冶の頭はかんと打ち︑相槌はとんと打つ︑されど

、、

、、

あいづち

も打たるるは同じ剣である︒︵第八章︶

つるぎ

水車を踏めば廻るばかりである︒いつまで踏んでも

踏みきれるものではない︒︵第九章︶

まずくってあたらない形容は哲学である︒︵第十一

章︑重出︶

驚くうちは楽しみがある︒女はしあわせなものだ︒

︵同︑甲野さんの言葉︒重出︶

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我を立てて恋をするのは︑火事頭巾を被って︑甘酒

を飲むようなものである︒調子が悪い︒︵第十二章︶

当たり障りのない答はたいていの場合において愚な

答である︒︵同︶

といったような具合である︒その通俗的真理をうまく

言い表わしたところ︑したがって記憶に便で人口に膾炙

べん

じんこう

かいしゃ

する資格の十分なところはアレキサンダー・ポープの警

句と似ている︒ポープの寸鉄的格言が英国十八世紀の文

明から生まれたものとすれば︑先生のそれも先生自身の

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1181

中に流れている江戸時代の血がこんな警句を吐かせたも

のと見ておそらくまちがいではあるまい︒とくに例の落

語趣味と繋がっているように思われる︒

最後に︑例によって︑この作中における先生の不用意

な欠点を拾うと︑宗近君が糸子に向かって︑どうだ︑お

花見にでも連れて行ってやろうかと言うところに︑﹁荒

川から萱野へ行って︑桜草を取って︑王子へまわって汽

かやの

車で帰ってくる﹂とあるが︑萱野は浮間ケ原であらなけ

うきま

はら

ればならない︒これは﹃坑夫﹄の中の主人公が長蔵さ

ちょうぞう

んに連れられて︑汽車を降りた町はずれで︑﹁暖簾が風

のれん

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1182

に動いていたり︑腰障子に大きな蛤が書いてあったり﹂

こししょうじ

はまぐり

するのを見たのと同じような場所錯誤である︒深川のむ

きみ屋じゃあるまいし︑山の中の宿はずれに大きな蛤を

かいた腰障子がはまっているはずがないのである︒

﹃坑夫﹄と﹃虞美人草﹄はいろいろな意味においていち

じるしい対照をなすもので︑一方が華やかな︑教育や知

識の上からも︑物質的に見ても比較的上流に位する文

くらい

明の世界を写したものであるのに対して︑一方はまた社

会のどん底に沈んだ︑年中日の目も拝まない坑夫の世界

、、

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1183

を描いたものである︒文章においても︑一方が絢爛無比

けんらんむ

のきわめて荘重なものであるのに対して︑一方はまたき

わめて地味で平板な︑お話風のものである︒構想からい

っても︑一方が周到な用意から出た︑複雑を極めたもの

であるのに︑一方はただ浮世の義理に絡まれて死ぬ覚悟

で家を脱けた一青年が︑途中でポン引きに捕まり︑銅山

へ連れて行かれて︑浮世の外なる怖ろしい坑夫の生活を

見てきたという︑ほとんど筋というほどの筋もない︑い

わば一夕の実験談にすぎない︒

いっせき

想うに︑作者は例の対照を好む先生一流の傾向から

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1184

︱一つは偶然の機会からこういう材料を手に入れられ

た便宜もあったろうが

︱派手な友禅のような﹃虞美人

草﹄のあとで︑手織木綿の襤褸のような﹃坑夫﹄を見せ

ることに興味を持って︑この作に筆を染められたもので

あろう︒が︑これほどいちじるしい対照を見せながら︑

同じ作者の同じ時代に属するものだけに︑この二つの作

の間にはまた賭やすい共通の点がないでもない︒

その一は例の低徊趣味とでも言わば言われるような︑

余砂のある書きぶりで︑﹃坑夫﹄の最初の六︑七行には︑

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1185

さっきから松原を通ってるんだが︑松原というもの

は絵で見たよりもよっぽど長いもんだ︒いつまで行っ

ても松ばかり生えていていっこう要領を得ない︒こち

らがいくら歩行いたって松のほうで発展してくれなけ

れば駄目なことだ︒いっそ始めから突っ立ったまま松

とにらめっこをしているほうがましだ︒

東京を立ったのは昨夜の九時ごろで︑夜通し無茶苦

茶に北の方へ歩いて来たらくたびれて睡くなった︒泊

ねむ

る宿もなし金もないから暗闇の神楽堂へ上がってちょ

かぐらどう

っと寝た︒なんでも八幡様らしい︒寒くて目が覚めた

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1186

ら︑まだ夜は明け離れていなかった︒それからのべつ

、、、

平押しにここまでやって来たようなものの︑こうやた

らに松ばかり並んでいては歩く精がない︒

とある︒これでは死ぬ覚悟で家を飛び出して︑ゆくゆ

くは坑夫の群へはいって社会のどん底まで落ち込んでい

、、

く男とも思われない︒余裕がある︒この余裕のある態度

が︑当時の先生の主張でもあれば︑どうしても切り離す

ことのできない先生の生地でもあった︒

その二は作者が作中の人物と読者との間に介在して主

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1187

人公のいちいちの行動にその心理を解剖したり︑批判し

たりしていることで︑地の文がこの作の主要部分を占め

ていることは︑﹃虞美人草﹄に優るとも劣らない︒

この作では主人公と作者とが同一人物で︑主人公みず

から過去の閲歴を語る体になっているがいっこう自分で

えい

自分の経験を物語っているようには思われない︒主人公

の行動と語る人の気持ちとがかけ離れているのである︒

もちろん︑自家の閲歴といえども︑年月を経過したあと

では︑これを他人の経験のように第三者として語ること

もできようが︑語る者と語られる者とは︑なにかその間

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に一脈相通ずるものが必ずあってしかるべきはずで︑た

あいつう

とえば老兵が往時の戦役を追懐して語るといったよう

に︑どこか老兵らしいところが語句のあいだに出ていて

こそ物語に精彩を生ずるのである︒﹃坑夫﹄の語り手に

は少しもそれがない︑あれだけの苦楚を嘗めてきた人に

してはじめてこれだけのことが言われるんだと思うよう

なところがない︒人生の経験に富んだ︑苦労人らしいと

ころは出ているが︑その苦労は頭のよい人なら教師をし

ていてもあれくらいの経験は積めるだろう︑のみならず︑

言うことがすべ学究的である︒ときどき︑自分は学者で

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1189

ないと︑わざわざ断わってはあるが︑ともすれば学者の

口吻を免れない︒

こうふんそ

れから︑一度は坑夫にまでなりさがった人間として︑

いまは何をしているんだかさっぱり見当がつかない︒小

説や文学とは縁の遠いようなことをしきりに言っている

が︑小説の構造を説いたり︑性格を説いたり︑作者自身

の口吻としか思えないようなところが随所にある︒そう

かと思うと︑台湾からの戻りに暴風雨に逢って難儀をし

なんぎ

たとあるから︑ほうぼう渡り歩いた人間らしいが︑それ

っきりで︑坑夫のその後の生活については︑それ以外に

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なに一つ与り聞くことができない︒これはむしろ︑坑

あずか

夫の後身たるいまの語り手の境遇をありのままに描き出

して︑そのうえで物語をさせたほうが︑その物語の切実

性を強めはしなかったろうか︒そうすればもちろん︑こ

う自由に作者自身の思うことを並べるわけにはいかない

にしても︑同時にまた語り手の境遇に縛られたり︑はな

はだしい脱線もなしにすんだろうと思われる︒

主人公の前身

︱坑夫になるまでの生い立ちについて

は︑漠然ながら作中に説明してある︒彼自身の言うとこ

ろによれば﹁相当の地位を持ったものの子である﹂そう

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な︒﹁相当の地位﹂というのはどのくらいの地位かわか

らないが︑一昨日揚げた︑蠅のむらがっている揚饅頭

おととい

はえ

あげまんじゅう

に辟易したり︑茶店の婆さんの立ち小便に顔を背向ける

へきえき

くらいのことはあたりまえとしても︑当人の言うほどよ

い育ちとは受け取れない︒

ポン引きの長蔵さんが一目見て︑こいつは銅山行きだ

なとただちに鑑定をつけるくらいの人品には確かに見え

る︒長蔵さんはしきりに﹁儲かる儲かる﹂と言って勧め

る︒茶店の婆さんもそばから﹁なにしろ十九だ︒働きざ

かりだ︒いまのうち儲けなくっちゃ損だ﹂と言って︑ふ

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たりながら青年の地位を理解することができないで︑青

年には通じない︑いっこう効目のない勧誘をしていると

ききめ

ころにおもしろみがあって︑そこをねらったものに相違

ないが︑私の目にはこの青年がちゃんとそれの通じるく

、、、

らいの男に見える︒これは私が先生のもとへこの材料を

持ち込んで来た男を目の当たり見て知っているせいかも

しれない︒あるいは︑坑夫ばかりでなくさまざまな苦労

をし尽くしたあとで︑往時を振り返って語るのだから︑

その当時の純良な︑坊っちゃんらしいところがよく出て

いないのだとも解釈されないことはないが︑どだいずぶ

、、、

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1193

の坊っちゃんなら︑長蔵さんとの間にいくら家を脱出し

たあとでも︑ああした交渉が起こりそうには思われない︒

それからひとりの少女と許嫁の身でありながら︑他の

少女と恋に落ちて︑浮世の義理につまって家出をしたと

いうが︑﹁自分が鏡の前に立ちながら︑鏡に写る自分の

影を気にしたってどうなるもんじゃない︑世間の掟とい

う鏡が容易に動かせないとすると︑自分のほうで鏡の前

を立ち去る﹂ほかないと決心したというのも︑十九の青

年にしてはあまりに分別がありすぎ︑これだけ分別のあ

る男なら︑最初から無分別な家出なぞしそうもない︒

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これを要するに︑﹁坑夫﹂が家出をするまでの閲歴

︱主人公の生い立ちはこしらえ物である︒その後身も

こうしん

漠然として︑強いていえば作者自身である︒それにまた

書き出しからして悠長な︑余裕のある文体で︑この作に

はどうも題材から期待せられるような切実味がない︒

実をいうと︑前に読んだときは︑私にはどうもあまり

おもしろいものとは思えなかった︒が︑今度読み返して

みると非常におもしろい︒考えてみれば︑切実な題材を

切実でなく表現するのもまた一つの手法であって︑それ

はそれで別種のおもしろみがあろうというものである︒

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1195

私は家を遁げ出しながらのんきに長い松原を歩いている

青年を見るのもおもしろかった︒長蔵さんが腹掛けの

ちょうぞう

どんぶりから皺だらけになって︑太刀のように反っくり

、、、、

返った巻煙草を引張り出しながら︑﹁君煙草を呑むかい﹂

まきたばこ

と勧めるところもおもしろい︒この辺の描写だの︑茶店

の主婦さんが﹁そうさ﹂と言ったまま裏へ出て行って︑

黒松の根方で立ち小便をするところは︑その当時の写生

ねかた

文のいきでいったものである︒全篇を通じて写生文の行

、、

き方で書いたものとも言われようが︑自然の写生として

とくに︑主人公が長蔵さんなぞといっしよに山の中の弧こ

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家に泊まって︑明くる日銅山に向かう途中雨に逢う︑そ

かの叙景を引く︒

自分は高い坂へ来ると︑呼息を継ぎながら︑ちょっ

と留まっては四方の山を見まわした︒するとその山が

どれもこれも黒ずんで︑すごいほど木を被っている上

に︑雲がかかって見る間に︑遠くなってしまう︒遠く

なるというより︑淡くなるというほうが適当かもしれ

ない︒淡くなったあげくは︑しだいしだいに︑深い奥

へ引っ込んで︑いままでは影のように映ってたものが︑

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影さえ見せなくなる︒そうかと思うと︑雲のほうで山

の鼻面を通り越して動いていく︒しきりに白いものが

はなづら

捲き返しているうちに︑淡く山の影が出てくる︒その

影の端がだんだん濃くなって︑木の色が明らかになる

はし

ころは先刻の雲がもう隣の峰へ流れている︒するとま

さっき

たあとからすぐに別の雲が来て︑せっかく見え出した

山の色をぼうとさせる︒しまいには︑どこにどんな山

があるかいっこう見当がつかなくなる︒立ちながら眺

めると︑木も山も谷もめちゃめちゃになって浮き出し

てくる︒頭の上の空さえ︑際限もない高い所から手の

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届くあたりまで落ちかかった︒長蔵さんは︑

﹁こりゃ雨だね︒﹂

と︑歩きながら独り言を言った︒誰も答えたものは

ない︒四人とも雲の中を︑雲に吹かれるような︑取り

捲かれるような︑また埋められるようなありさまで登

って行った︒

これは単なる自然描写であるが︑この写生は実際山の

中で雨に逢った覚えのある者でなければできない写生で

ある︒

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1199

しかしこの作は︑決してこんな写生ばかりでできあが

っているのではない︒いちばん目に立つものは︑やはり

心理描写である︒主人公のいちいちの行動について︑い

ちいちその内面の心理作用が解剖され批判されている︒

主人公の青年が松原でどてらの長蔵さんに呼び留められ

た︑呼び留められて足を返した︒いままでただ暗い所へ

はいり込んでしまいたい一心で歩いていながら︑こんな

男に呼び留められたからといって︑すぐ引き返す気にな

ったのはどうした了簡だろうというところからして︑細

密周到な心理解剖を聞かされる︒で︑これが主人公の矛

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盾の第一である︒それから長蔵さんにいきなり働く気は

、、、、

ないかと訊かれて︑すぐにまた﹁働いてもいいですが﹂

と答えてしまった︒死ぬ覚悟で家出をしながら︑こんな

返辞をするとはどうしたわけだ︒これが矛盾の第二であ

る︒先

生の心理解剖の一班を示すものとして︑この二つの

矛盾の説明を挙ぐれば︑﹁自分はどこへ行くんだかわか

らないが︑なにしろ人のいない所へ行く気でいた︒のに

振り向いてどてらの方へ歩き出したのだから︑歩き出し

、、、

ながらなんとなく自分に対して憫然な感がある︒という

びんぜん

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1201

ものはいくらどてらでも人間である︒人間のいない方へ

、、、

行くべきものが︑人間の方へ引き戻されたんだから︑こ

とほどさように人間の引力が強いということを証拠立て

ると同時に︑自分の所志にもう背かねばならぬほどに自

分は薄弱なものであったということをも証拠立ててい

る︒手みじかに言うと︑自分は暗い所へ行く気でいるん

だが︑実のところはやむを得ず行くんで︑なにか引っか

かりができれば︑得たり賢しと普通の娑婆に留まる了

かしこ

しゃば

簡なんだろうと思われる︒幸いにどてらが向こうから引

、、、

っかかってくれたんで︑なんの気なしに足がうしろ向き

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1202

に歩き出してしまったのだ︒いわば自分の大目的に申し

訳のない裏切りをちょっとしてみたわけになる︒だから

どてらが働く気はないかねと出てくれずに︑お前さん野

、、、

にするかね︑それとも山にするかねとでも切り出したら︑

しばらく安心して忘れかけた目的を︑ぎょっと思い出さ

、、、

せられて︑急に暗い所や︑人のいない所がこわくなって

ぞっとしたに違いない︒それほどの娑婆気が︑戻りかけ

、、

しゃば

るとたんにもう萌していたのである︒そうしてどてらに

、、、

きざ

呼ばれれば呼ばれるほど︑どてらの方へ近寄れば近寄る

、、、

ほど︑この娑婆気は一歩ごとに増長したものと見える︒

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1203

最後に空脛を二本︑棒のようにどてらの真向こうに突っ

、、、

からずね

立てたときは︑この娑婆気が最高潮に達した瞬間である︒

その瞬間に働く気はないかねときた︒お粗末などてらだ

、、、

が非常にうまく自分の心理状態を利用した勧誘である︒

だしぬけの質問に一時はぼんやりしたようなものの︑ぼ

、、、、

んやりから覚めてみれば︑自分はいつか娑婆の人間にな

っている︒娑婆の人間である以上は食わなければならな

い︒食うには働かなくっちゃ駄目だ﹂と︒これだけ精密

な︑またこれだけぴたりとはまった心理解剖をなしうる

、、、

ものは︑おそらくこの作者を措いてほかにあるまい︒

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1204

が︑そこになにかしらまだ物足りないあるものがある

のは︑先生の心理解剖はあくまで解剖で︑つまり心理状

態の説明である︒俎上に屍体を載せて︑鋭利な刃物で切

そじょう

り裂きながら︑ピンセットの尖で摘み上げて︑これはな

さき

つま

に︑あれはなに︑この神経はどこから出てどこへ続いて

いるというように︑いちいち明瞭に説明してある︒が︑

要するにそれだけであって︑この心理解剖のあるがため

に︑いっそう深く読者の心に食い入って︑それを動かす

というようにはできていない︒解剖が微に入り細にわた

さい

ればわたるほど︑単に理知に訴えるばかりで︑情熱には

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1205

訴えない︒ここに挙げた主人公の心理解剖もそれである︒

﹁お前さん野にするかね︑それとも山にするかねとでも

切り出したら︑しばらく安心して忘れかけた目的を︑ぎ

ょっと思い出させられ﹂云々は︑確かにぎょっとさせら

れる文句であるが︑心理解剖の説明の中へ入っていては︑

それだけの力はない︒

では︑情熱に訴える心理解剖とはどんなものか︑それ

は先生の作品の中にもないことはない︒﹃坑夫﹄の中に

もある︒宿場のはずれの飯屋から飛び出した赤毛布を捕

あかゲット

まえて︑長蔵さんはあたかも第二世の自分であるかのよ

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1206

うに︑﹁まったく同じ調子と︑同じ言語と︑もっと立ち

入っていえば︑同じ執心の程度をもって︑同じく坑夫に

なれと勧誘している︒それを自分はなぜだか少々けしか

らんように考えた﹂というところに︑主人公みずからそ

の心理状態を説明して﹁坑夫は長蔵さんの言うごとくす

こぶるけっこうな稼業だとは︑常識を質に入れた当時の

自分にももっともと思いようがなかった︒まず牛から馬︑

馬から坑夫というくらいの順だから︑坑夫になるのは不

名誉だと心得ていた︑自慢にゃならないと悟っていた︒

だから坑夫の候補者が自分ばかりと思いのほか︑突然居

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1207

酒屋の入口から赤毛布になって現われようとも︑別段神

あかゲット

経を悩ますほどの大事件じゃないくらいはわかりきって

いる︒しかしこの赤毛布の取り扱い方が全然自分と同様

であると︑同様であるという点に不平があるよりも︑自

分は全然赤毛布と一般な人間であるという気になっちま

う︒取り扱い方の同様なのを延き伸ばしていくと︑つま

り取り扱われる者が同様だからという妙な結論に到着し

てくる︒自分はふらふらとそこへ到着していたとみえる︒

長蔵さんが働かないかと談判しているのは赤毛布で︑赤

毛布はすなわち自分である︒なんだか他人が赤毛布を着

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1208

て立ってるようには思われない︒自分の魂が自分を置き

去りにして︑赤毛布の中に飛び込んで︑そうして長蔵さ

んから坑夫になれと談じつけられている︒そこでどうも

なさけなくなっちまった︒自分が直接に長蔵さんと応対

しているあいだは︑人格もなにも忘れているんだが︑自

分が赤毛布になって︑君もうかるんだぜと説得されてい

あかゲット

る体裁を︑自分が側へ立って見た日にはかたなしである﹂

そば

と︑この心理描写は感情を伴っている︒﹁それを自分は

なぜだか少々けしからんように考えた﹂と言いっぱなし

にしてあるより︑この心理解剖のあるためにどのくらい

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強く読者の心に逼るかわからない︒

せま

もう一つ例を挙げれば︑長蔵さんに連れられた主人公︑

赤毛布︑小僧の一行が暗がりの山道をたどりたどって︑

山の中の孤家にたどり着くところがある︒﹁ランプの灯

が往来へ映っている︒はっとうれしかった︒﹂﹁自分は

こんな所に人の住む家があろうとはまるで思いがけなか

ったし︑そのうえ眼がくらんで︑耳が鳴って︑夢中に急

いで︑どこまで急ぐんだかあても希望もなくやって来て︑

ぴたりと留まるや否や︑ランプの灯がまぶしいように眼

にはいってきたんだから︑驚いた︒驚くとともにランプ

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の灯は人間らしいものだとつくづく感心した︒ランプが

こんなにありがたかったことはきょうまで未だかつてな

いま

い︒﹂なるほどこんな場合に際会したら︑そんなものか

もしれない︒

が︑読者をしてつくづくそんなものかもしれないと感

じさせるためには︑あれだけ山の中を引っ張って来る必

要がある︒あれだけ長く山の中の道中を書いて︑はじめ

てそれだけの感じを持たせることができるのである

これはあえて心理描写と言うわけではないが︑長蔵さん

はここでやっと﹁これから山越えをするのは大変だから︑

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1211

今夜はここで泊まっていこう﹂と言い出した︒それを聞

いて︑青年は急に身体がぐったりとなった

︱そのとき

の心理状態を述べて︑﹁長蔵さんが敷居の上に立って︑

往来を向きながら︑ここへ泊まっていこうと言い出した

とき︑こんな破屋でも泊まることができるんだったと︑

あばらや

はじめて意識したよりも︑すべての家というものが元来

泊まるために建ててあるんだなと︑ようやく気がついた

くらい︑泊まることは予期していなかった︒それでいて

身体はこんにゃくのように疲れきってる︒平生なら泊ま

いつも

りたい︑泊まりたいですべての内臓が張切れそうになる

はちき

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1212

はずだのに︑没自我の坑夫行き︑すなわち自滅の前座と

しての堕落と諦めをつけたうえの疲労だから︑いくら

あきら

身体に泊まる必要があっても︑身体のほうから魂へあて

て宿泊の件を請求していなかった︒ところへ︑泊まると

命令が天から逆に魂に下ったんで︑魂はちょっとまごつ

いた形で︑とりあえず手足に報告すると︑手足のほうで

は非常にうれしかったから︑魂もなるほどありがたいと︑

はじめて長蔵さんの好意を感謝した︒というわけになる︒

なんとなく落語じみてふざけているが︑実際この時の心

の状態はこうたとえを借りてこないと説明ができない﹂︒

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終わりのほうの説明は多少ふざけぎみがないでもない

が︑そこに悲喜劇的な人を動かすあるものがある︒こと

に﹁すべての家というものが元来泊まるために建ててあ

るんだなと︑ようやく気がついたくらい︑泊まることは

予期していなかった﹂という一句のごときは︑強く読む

者の心にせまる︒

で︑こういったように感情に訴えるものもないではな

いが︑だいたいにおいて先生の心理解剖は理知に訴える

ほうがまさっている︒その最もいちじるしい例は主人公

が飯場へ着いて︑南京虫に攻められながら一夜を明かし

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た朝︑さっそく案内人に連れられてシキの中へはいる︒

地下何百フィートという八番坑のどん底まで降りて︑冷

、、

たい水の中をじゃぶじゃぶ渡って歩いたあとで︑行きに

降りた竪坑の下へ出る︒再び地上へ出るためには︑十六

たてこう

もある真っ竪の梯子を登らなければならない︒その下で

たて

はしご

休んでるあいだに︑疲労のあまりだんだん意識が稀薄に

なっていく︒まったくよい心持ちであった︒とたんにこ

れは死ぬぞという気が暗中から躍り出して︑われに還っ

た︒それから勇気を鼓して梯子を登りにかかったが︑な

にしろ真っ竪の梯子が十六もあるんだからたまらない︒

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1215

途中で手が労れて︑眼がかすんで動けなくなった︒﹁い

つか

っそのこと手を離してしまおうかしらん︒逆さに落ちて

頭から先に砕けたほうが早く片が付いていい﹂というよ

うな気が起こった︒梯子の下では︑死んじゃ大変だと飛

び起きながら梯子の途中へ来ると︑急に死ぬ気になる︒

主人公みずからこの矛盾した気持ちを解剖して︑﹁ア、

テシコを尻に敷いて休息したときは︑はじめから休息す

、、、

る覚悟であった︒から心に落ちつきがある︒刺激が少な

い︒そういう状態で壁に凭っかかっていると︑その状態

がなだらかに進行するから︑自然の勢いとしてだんだん

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1216

気が遠くなる︒魂が沈んでいく︒こういう場合における

精神運動の方向は︑いつもきまったもので︑必ず積極か

ら出立してしだいに消極に近づく径路を取るのが普通で

ある︒ところがその普通の径路を行き尽くして︑もうこ

れがどん詰りだという間際になると︑魂が割れて二様の

、、

づま

所作をする︒第一は順風帆を上げる勢いで︑このどん底

まで流れ込んでしまう︒するとそれぎり死ぬ︒でなけれ

ば大切りの手前まで行って︑急に反対の方角に飛び出し

おおぎ

て来る︒消極へ向いて進んだものが︑突如として︑さか

さまに積極の頭へ戻る︒すると命がたちまち確実になる︒

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自分が梯子の下で経験したのはこの第二に当たる︒だか

ら死に近づきながらよい心持ちに︑三途のこちら側まで

さんず

行ったものが︑順路をてくてく引き返す手数を省いて︑

はぶ

急に娑婆の真ん中に出現したんである︒自分はこれを死

しゃば

を転じて活に返す経験と名づけている︒﹁ところが梯子

かつ

の中途では︑まったくこれと反対の現象に逢った︒自分

は初さんのあとを追いかけて登らなければならない︒そ

はつ

の初さんはとっくに見えなくなってしまった︒心は焦る

気はもめる︑手は離せない︒自分は猿よりも下等である︒

なさけない︑苦しい

︱︒万事が痛切である︒自覚の強

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度がしだいしだいにはげしくなるばかりである︒だから

この場合における精神運動の方向は︑消極より積極に向

かって登りつめる状態である︒さてその状態がいつまで

も進行して︑興奮の極度に達すると︑やはり二様の作用

に出るわけだが︑とくにおもしろいと思うのはその一つ︑

︱すなわち積極の頂点からとんぼ返りを打って︑魂が

、、、

消極の末端にひょっこり現われる奇特である︒平たく言

、、、、、

きとく

うと︑生きてる事実が明瞭になりきったとたんに︑命を

捨てようと決心する現象を言うんである︒自分はこれを

活上より死に入る作用と名づけている︒この作用は矛

かつじょう

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盾のごとく思われるが︑実際からいうと︑矛盾でもなん

でも魂の持ち前だから存外自然に行なわれるものであ

る︒論より証拠発奮して死ぬものはきれいに死ぬが︑い

じけて殺されるものは︑どうもうまく死にきれないよう

だ︒人の身の上はとにかく︑こういう自分がよい証拠で

ある︒梯子の途中で︑ええいまいましい︑死んじまえと

思ったときは︑手を離すのが怖くもなんともなかった︒

むろん例のごとくどきんなどとは決してしなかった︒﹂

、、、

これは全然理知に訴える心理学者の解剖である︒この

説明のために︑この場における主人公の読者に訴うる力

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1220

は強められているというよりも︑むしろ弱められている

と言ったほうが適当である︒もし作者が主人公の緊張し

た心持ちを出すためにこの心理解剖を試みたとすれば︑

明らかに失敗だと言わなければならない︒が︑作者の意

図は想うにほかにあった︒すなわち理知に訴うる心理解

剖そのものに興味をもって書かれたのである︒したがっ

て読者もそのつもりで読まなければならない︑そのつも

りで読まなければなんの興味も見出されない︒そうして

読みさえすれば︑確かにその中から多くの興味と満足と

を見出しうるのである︒私が今度﹁坑夫﹂を読んで非常

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1221

におもしろかったと言ったのはその意味にほかならな

い︒理

知に訴うる心理解剖は切実ではない︒それだけに余

裕がなければできない︒ややともすれば︑主人公の特殊

の場合を離れて一般論になりやすい︒そこにまた学者ら

しい特質が存するのである︒前の例もそれに近いと言わ

れなくもないが︑もっと適切な例を挙げるために︑再び

最初に立ち帰って︑松原の茶店で長蔵さんや主婦さんか

ら︑やれ働けの︑もうかるのとやたらに勧められたとき︑

これが﹁平生の自分なら︑なぜ坑夫になればけっこうな

へいぜい

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んだとか︑どうして坑夫より下等なものがあるんだとか︑

自分はもうけることばかりを目的に働く人間じゃないと

か︑もうけさえすればどこがいいんだとか︑なんとかか

とか理屈をこねて︑できるだけ自己を主張しなければ勘

弁しないところを︑ただおとなしく控えていた︒﹂﹁こ

の時ほどおとなしい気分になれたことは自分が生まれて

から﹂かつてない︒これが主人公の矛盾の第三である︒

この矛盾を力説しておいて︑さらに一般論に移って︑

﹁自分のばらばらな魂がふらふら不規則に活動する現状

を目撃して︑自分を他人扱いに観察した贔屓目なしの真

ひいき

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相から割り出して考えると︑人間ほどあてにならないも

のはない︒約束とか契いとかいうものは︑自分の魂を自

ちか

覚した人にはとてもできない話だ︒またその約束を盾に

取って︑ぎゅうぎゅう押しつけるなんて蛮行は野暮のい

たりである︒たいていの約束を実行する場合をよく注意

して調べてみると︑どこかに無理があるにかかわらず︑

その無理を強いて圧し隠して︑知らぬ顔でやってのける

までである︒決して魂の自由行動じゃない﹂︒こうなれ

ば作者の口吻であり︑また作者自身の持論なのである︒

持論だけに︑同じ説がその後幾度も形を変えてあらわれ

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ている︒

その一︑主人公が赤毛布と並んで歩き出したとき︑た

あかゲット

だいまこんな男といっしょにされるのはなさけないとし

みじみ思いながら︑もうそんな心は消えている︒これは

どうしたんだと不審を打つ条で︑﹁どうも人間の了簡ほ

ど出たり引っ込んだりするものはない︒あるんだなと安

心していると︑すでにない︒ないから大丈夫と思ってる

と︑いやある︒あるようで︑ないようで︑その正体はど

こまで行っても捕まらない﹂とある︒

その二は︑一行が山道へさしかかってから︑だんだん

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路はけわしくなる︒呼吸は切れる︒耳はぐゎんと鳴る︒

ふだんならとても耐えられないところを︑自殺のし損な

そこ

いだからと︑黙って長蔵さんのうしろからくっついて行

った︒これほど神妙になっておきながら︑いまではまる

でその気持ちを忘れている︒長蔵さんから見たら︑さだ

めし増長した野郎だと思うだろう︑なぞと述懐するあた

りで︑﹁が︑昔は神妙でいまは横着なのが天然自然の状

態である︒人間はこうできてるんだから仕方がない︒夏

になっても冬の心を忘れずに︑ぶるぶる悸えていろった

ふつ

ってできない相談である︒病気で熱の出たとき︑牛肉を

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食わなかったから︑もう生涯ロースの鍋へ箸を着けちゃ

ならんなぞという命令は︑どんな大名だって無理だ︒

咽喉元過ぐれば熱さを忘れるといって︑よく忘れてはけ

どもと

しからんように持ちかけてくるが︑あれは忘れるほうが

当たり前で忘れないほうが嘘である﹂というような︑警

句を交えた説明を先頭に︑二︑三ページほど﹁むやみに

他人の不信とか不義とか変心とかを咎めて︑万事万端向

とが

こうが悪いようにさわぎ立てる﹂お嬢さん︑坊っちゃん︑

学者︑世間見ず︑お大名なぞの攻撃が並べてある︒論旨

は︑一つ置いて前の引例と似たようなものだから略して

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1227

おく︒

最後に︑山の中の弧家へたどり着いたとき︒あれだけ労つ

れ果てていながら︑いっこう泊まる気が起こらなかった︒

それほど長蔵さんの言いなり次第になっていたのである

が︑いまじゃ百の長蔵さんが来て︑七日七晩引っ張りつ

づけに引っ張ったとて︑梃でも動くんじゃない

︱言葉

てこ

のはずれにも︑作者自身の性癖がそっくりそのまま出て

、、、、

いるのはおもしろい

︱境遇によって変わるのが人間の

性で︑変わるのは矛盾だといっても︑矛盾が人間の常態

なら仕方がない︒矛盾だらけのしまいには︑人間の性格

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はあってもなくっても同じことになると︑例の無性格論

を担ぎ出して︑一ぺージ半ほど気炎を挙げた末︑﹁要す

るにお腹が減って飯が食いたくなって︑お腹が張ると眠

なか

くなって︑窮して濫して︑達して道を行なって︑惚れ

きゅう

らん

ていっしょになって︑愛想が尽きて夫婦別れをするまで

のことだから︑ことごとく臨機応変の沙汰である︒人間

の特色はこれよりほかにありゃしない﹂と結んである︒

当時の作者にはよほど人間の矛盾が気になっていたも

のらしく︑主人公の矛盾を説くことこれで何遍目だか知

らないが︑そのたびに人間の性格のばらばらで︑あてに

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1229

ならないことを引き合いに出して弁護してある︒で︑こ

れはちょっと聞くと反語のようにも思われるが︑そうで

はない︒むしろ先生の持論というべきである︒

およそ先生が人間を観られる眼は二つあった︒一つが

道徳の眼なら︑一つは自然の眼である︒道徳の眼で他人

を批判する前には︑まず自然の眼で見ておかなければな

らない︒それでなければ言うことに威がない︑根底がな

い︒先生はつねにこの両面から人をも作をも観察する用

意を忘れられなかった︒だからここに挙げたこの説なぞ

も︑﹃坑夫﹄の主人公の気炎というよりは︑むしろ先生

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1230

自身の持論と見たほうがいい︒先生自身の持論が作の中

に紛れ込んでいるのであって︑作としてはよけいでも︑

私には先生自身の持論を聞くような気がしておもしろ

い︒この点において︑これらの説はちょうど﹃猫﹄の中

の苦沙弥先生の議論と同じような意義をもつものであ

る︒おもしろさもちょうどあれである︒

﹃猫﹄の中にあるような︑作者一流の珍説︑または警句

の類を参考までに二つ三つ挙げると︑主人公が例の赤

たぐい

あか

毛布と連れ立って歩き出しながら︑﹁自分はこの男につ

ゲット

いて何一つ好いてるところはなかったけれども︑ただい

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1231

っしよに零落れてくれるという点だけがありがたい﹂﹁ど

おちぶ

うせ捨てる身だけれども︑ひとりで捨てるよりは道伴れ

があって欲しい︒ひとり零落れるのはふたりで零落れる

よりも淋しいもんだ﹂と︑心の中を述懐し︑﹁これから

推して考えると︑川で死ぬときは︑きっと船頭のひとり

やふたり引きずり込みたくなるに相違ない︒もし死んで

から地獄へでも行くようなことがあったら︑人のいない

地獄よりも︑必ず鬼のいる地獄を択ぶだろう﹂とか︑例

の孤家で︑泊まる所を見つけながら泊まる気がまるで起

こらなかったのについて︑また無駄口をたたいて︑﹁同

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時に︑もし人間が物の用を無視しうるならば︑かねて物

の用を忘れうるものだということを悟った︒

︱こう書

いてみたが読み直すとなんだかむずかしくってわからな

い︒実をいうと︑もっとずっとやさしいんだが︑短くつ

めるもんだからこんなにむずかしくなっちまった︒たと

えば酒を飲む権利はないと自信して︑酒の徳をあれども

なきがごとくに看做すことさえできれば︑徳利が前に並

とくり

んでも︑酒は飲むものだと気がつかずにいるくらいなと

ころである︒お互いが泥棒にならずにすむのも︑つまり

を言えば幼少の時から︑人工的にこの種の境涯に馴らさ

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1233

れているからのことであろう﹂とか︑最後の一句のごと

きは剽軽な言いぐさのようではあるが︑なかなか科学

ひょうきん

的な根拠を持った観察である︒

次は︑明くる朝その孤家を立つとき︑長蔵さんも赤毛布

あかゲット

も寝起きのまま︑いきなり土間へ降りて草鞋のひもを結

わらじ

ぶ︑自分も一番あとから土間へ降りた︒﹁土間へ降りた

以上は︑顔を洗わないかの︑朝飯を食わないかのと︑当

然のことを聞くのが︑さも贅沢の沙汰のように思われて︑

とんと質問してみる気にならない︒﹂それについて︑ま

た感慨を洩らして︑﹁習慣の結果︑必要とまで看做され

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ているものが︑急によけいなことになっちまうのはおか

しいようだが︑その後この顚倒事件を敷衍して考えてみ

てんとう

ふえん

たら︑こんな例はたくさんある︒つまり世の中では大勢

のやってることが当然になって︑ひとりだけでやること

がよけいのように思われるんだから︑当然になろうと思

ったら味方を大勢こしらえて︑さも当然であるかの容子

ようす

で不当のことをやるにかぎる︒やってはみないがきっと

成功するだろう﹂と︑これも先生の持論の一節で︑私ど

もはたびたび先生の口からそれを聞かされたものだ︒

だいたいにおいて︑写生文のような気分の少なからず

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混入しているものには相違ないが︑本来ならば﹃坑夫﹄

は自然主義でいくべき作で︑題材がそれを命ずるのであ

る︒したがって自然主義らしい︑いわゆる切実な気分の

あらわれた場面もないことはなく︑たとえば主人公が空

腹を訴えたとき︑長蔵さんは﹁そうかい︑芋でも食うべ

い﹂と言いながら︑いきなり左側の芋屋へ飛び込んで︑

両手に芋を載せて出て来た︒そして︑﹁さあ︑食った﹂

と主人公の前へ突き出した︒その﹁さあ食った﹂におび

えたような気分で︑手を出しかねていると︑相手は﹁さ

あ﹂と再び催促するように顎をしゃくった︒やっと芋の

、、、

あご

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方へ手を持って行くとたんに︑芋が一本ころころと往来

の中へ落ちた︒これはすぐさま赤毛布が拾った︒拾った

あかゲット

と思ったら︑﹁この芋はええ芋だ︒おれがもらおう﹂と

言った︒ところで︑この赤毛布はたったいま﹁酒めし︑

御肴﹂の障子の奥から出て来たばかりである︒私はこ

おんさかな

しょうじ

こを読んでなんとも名状することのできない感に打たれ

たものだ︒

それから夕方ひとりで山から降りて来た小僧に向かっ

て︑長蔵さんが﹁芋を食わないかね﹂と言いながら︑の

こりの芋を二本くれてやるところがある︒小僧は二本と

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も引ったくるように受け取って︑すぐその一本を食い始

めた︒人がなんと思おうが︑﹁無我無心に食っている︒

しかも頬張ったやつを︑唾液も交ぜずに︑むやみに呑み

下すので︑咽喉がぐいぐいと鳴るように思われた﹂︒そ

のがつがつした食い方も憐れだが︑それよりも小僧が見

る間に二本の芋を平らげてしまったとき︑長蔵さんはた

った一語︑﹁うまかったか﹂と訊いた︒この一語が私に

はまた非常に意味深く聞かれた︒これらの味わいはどう

しても自然主義の見方でなければ解されない︒

一つこれに似た例を挙げるなら︑主人公が飯場の二階

はんば

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から見下ろしたジャンボーである︒主人公が見下ろした

というよりは︑寝ている病人を連れて来て無理に見せた

ジャンボーである︒この作の中では有名な一節である︒

﹁おい金州﹂とひとりが大きな声を出したが︑寝て

きんしゅう

いるものは返事をしない︒

﹁おい金州︒起きろやい﹂と怒鳴りつけるように呼ん

だが︑まだなんとも返事がないので︑三人ばかり窓を

離れてとうとう迎いにでかけた︒被っている蒲団を手

荒にめくると︑細帯をした人間が見えた︒同時に︑

ほそおび

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﹁起きろってば︑起きろやい︒いいものを見せてやる

から﹂という声も聞こえた︒その時︑その刹那︑その

せつな

顔を一目見たばかりで自分は思わず慄とした︒これは

ぞっ

ただ保養に寝ている人ではない︒まったくの病人であ

る︒しかも自分だけで起居のできないような重態の病

たちい

人である︒年は五十に近い︒髯は幾日も剃らないと見

ひげ

えてぼうぼうと伸びたままである︒いかな獰猛も︑こ

どうもう

う憔悴れると憐れになる︒憐れになりすぎて逆にまた

怖くなる︒自分がこの顔を一目見たときの感じは憐れ

の極まったく怖かった︒

きょく

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病人はふたりに支えられながら︑釣られるように︑

利かない足を運ばして︑窓の方へ近寄って来る︒この

ありさまを見ていた︑窓際の多人数はさもおもしろそ

うに囃し立てる︒

﹁よう︑金州早く来いよ︒いまジャンボーが通るとこ

ろだ︒早く来て見ろよ︒﹂

﹁おらあジャンボーなんか見たかねえよ﹂と病人は︑

無体に引きずられながら気のない声で返事をするうち

むたい

に︑見たいも︑見たくないもありゃしない︑たちまち

窓の障子の角まで圧しつけられてしまった︒

かど

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じゃじゃん︑じゃららんとジャンボーは知らん顔で

石垣の所へ現われて来る︑行列はまだ尽きないのかと︑

また背延びをして見下ろしたとき︑自分は再び慄とし

ぞっ

た︒金盥と金盥の間に︑四角な早桶が挾まって︑山

かなだらい

はやおけ

道を宙に釣られて行く︒上は白金巾で包んで︑細い杉

しろカナキン

丸太を通した両端を︑水でも一荷頼まれたように︑容

いっか

赦なく担いでいる︒その担いでいるものまでも︑こち

らから見ると︑例の唄を陽気にうたってるように思わ

れる︒

︱自分はこのときはじめてジャンボーの意味

を理解した︒生涯いかなることがあっても︑決して忘

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れられないほど痛切に理解した︒ジャンボーは葬式で

ある︒坑夫︑シチュウ︑掘り子︒山市に限って執行さ

、、、、

やまいち

れる︑また執行されなければならない一種の葬式であ

る︒お経の文句を浪花節に唄って︑金盥の潰れるほど

に音楽を入れて︑一荷の水と同じように棺桶をぶらつ

かせて

︱最後に︑半死半生の病人を無理に引きずり

起こして︑否と言うのを︑おさえつけるばかりにして

いや

まで見せてやる葬式である︒まことに無邪気の極で︑

きょく

また冷酷の極である︒

﹁金州︑どうだ︑見たか︑おもしろいだろう﹂と言っ

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てる︒病人は︑

﹁うん︑見えたから︑床ん所まで連れてって︑寝かし

とこ

てくれよ︒後生だから﹂と頼んでいる︒さきのふたり

は再び病人を中へ挾んで︑﹁よっしょいよっしよい﹂

と言いながら︑刻み足に蒲団の敷いてある所まで連れ

て行った︒

坑夫どもの無知な︑動物に近い︑陰惨な︑希望のない

生活を知るには︑千万言を費やすよりもこの一節のほう

が力あるように思われる︒

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ところで︑主人公が飯場へ着いてからシキにはいるあ

たりは︑この作の眼目でもあり︑他人の話を聞いただけ

で︑よくこれほど精密に目に見るように書けたものだと

感嘆もするが︑おもしろいかと訊かれたらすぐには返辞

ができない︒一つは内容がいよいよ切実になって︑あの

とぼけた味の文体がそれにそぐわないからだとも言われ

、、、

ようが︑やっぱり他人の話だからではあるまいか︒﹃坑

夫﹄には︑その話を聞かれたときの覚え書のようなもの

が残っている︒それによると︑いよいよ銅山へはいって

からがくわしく︑その前はほとんどなにも書いてない︒

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私にはやはり銅山に入るまでの前半が後半よりもはるか

におもしろい︒

最後にこの作は︑主人公の無教育なところを出すため

かどうかは知らないが︑ずいぶんくずれた江戸訛りで書

どなま

いてある︒中にも今じゃいくら東京でも使いそうもない

ような︑ひどいのが三つばかり眼についた︑﹁自分や長

蔵さんのはいってしかるべきやたいち流のがあすこにも

、、、、

ここにも見える﹂︒出所はわからないが︑あまり上等で

ない飯屋︑居酒屋を指すらしく︑また︑﹁これがものの

二寸も低かろうものなら︑岩へ打つかって眉間から血が

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出るに違いないと思うと︑松原をあるくように︑ありっ

たけの身丈で︑野風俗にゃやって行けない﹂︒ののふう

、、、

のふうぞう

ぞうはおそらくのほほん︑あるいはのっそりの意味か︒

、、

、、、、

、、、、

またいわく︑﹁それとも寝られないので︑のっそつして

、、、、

いるかしらん﹂︒これはのっそりの誤植ではない︒展転

、、、、

てんてん

反側というほどでもないが︑蒲団の上で天井を眺めなが

はんそく

ら︑まじまじまたはもぞもぞしている程度だと思えばま

、、、、

、、、、

ちがいあるまい︒

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