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集︵明治四十年︶

5

一月六日︵日︶午後四時︱五時

本郷区駒込西片町十番

地ろノ七号より

麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ

︹はじめの部分切れてなし︒﹁畑打﹂の句なるべし︺

まづこのくらゐなところに候︒御旅行結構に候︒三日

そろ

には大勢あつまりすこぶる盛会に候︒小生野分をかいた

からこの次は何をかかうかと考へをり候︒なんだか殿下

様より漱石のはうがえらい気持に候︒この分にては神様

を凌ぐことは容易に候︒人間もそのうち寂滅とお出にな

いで

るべく︑それまでにいろ

くなものを書いて死にたしと

6

存じ候︒以上

一月四日夜

金之助

虚子先生

一月十二日︵土︶午後十一時︱十二時

本郷区駒込西片

町十番地ろノ七号より

小石川区竹早町森巻吉へ

拝啓︒呵責を読んだ︒

かしやく

あれはたいへん骨を折った短編である︒その骨折は文

章にある︒文章のうちでも句法および句切りにある︒一

7

句一句の内容よりもむしろ前者である︒そしてその骨折

り方は非常に堅い歯の立たないようなものを作り上げ

た︒あ

れは文の口調からいうと僕のかいた幻影の盾や一夜

に似ている︒妙なことに僕は僕の癖を真似た文章を嫌う︒

僕の他人と共通のところを真似たものでなく僕の癖をわ

ざわざ真似た作に対するとその人の個性がないような気

持ちがしていくら善くできていてもほめる気にならな

い︒これが第一の不満の点である︒

それからあゝいう文体は時代ものか空漠たる詩的のも

8

のには適するかもしれぬが世話ものには不適当である︒

世話物は主としてある筋を土台にする︒筋でなくても

あるものを捉えて︑そのあるものを読者に与えようとす

る︒ところがあゝいうふうに肩が凝るようにかくと︑筋

とかあるものとかを味う力がみんな一字一句を味うた

あじわ

めに費やされてしまうから自分で自分の目的を害するこ

とになる︒

だから文体をあのまゝにしてしかも筋とか︑ある人情

とかをキューとあらわすためにはもっと筋を明瞭にしな

ければならない︒あるいは人に感じさせようとする人情

9

をもっと露骨にかかなければならない︒ところが君の短

編の筋は茫としている︒女の呵責もやはり源因結果の不

ぼう

明瞭に伴っていっこうひき立たぬ︒それだから文章をも

っと容易にするよりほかに改良の途はない︒

もしまた文章をあの調子で生かせようとするならもっ

と頭も尾もなくて構わない趣向にしてしまうがいゝ︒詩

的な空想とか︑または官能にだけうったえるようなもの

にしさえすれば文章だけを味うことができる︒

文章に意を用いれば肝心の筋がなお分らなくなる︒筋

わか

をたどれば文章の一字一句が晦渋になる︒君は知らぬ

かいじゆう

10

まに読者を苦しめている︒

単に詩的な作物と人情ものとをかねようとしてそうし

て読者の方向を迷わせたからこうなったものと思う︒

○最後に文章だけでいうと面白い句もあるが前いうとお

りおもに口調や句切りのほうに意を用いて内容に重きを

措いておらん︒平凡な想を妙な口調で述べたにすぎぬ場

所さえある︒だから呵責の一編は単に文章ものとしてみ

てもえらくない︒

○最後に文章はさて置いて筋︑趣向︑人情のほうからい

うとこれはもっと明瞭に長くかくかまたは裏からかいて

11

ももっと自然に近いようにかかなければ人を感動せしむ

ることはできん︒あの女がむやみに一人で苦しんでいる

ように思われる︑苦しみ方が突飛で作者がかってしだい

に道具に使っているように見える︒すべての人間が頭も

尾もないダーク一座の操人形のように見える︒あれでは

いけないよ︒

○してみると呵責は単に文章としてもあまりえらくな

し︒単に人情ものとしてもなおよくない︒そして片々が

片々を邪魔をするように組み合わされているからその結

果はなおいけない︒

12

○僕の解剖は正しい︒普通の人はあれを読んでなんだか

可笑しいと思う︒そしてなにが可笑しいか分らずにしま

う︒君はそれ等の評をきくと不平に違いない︒不平かも

しれないがそういう評が適当である︒君の不平をある点

まで和げようと思って僕はこゝまで解剖して御覧に入

やわら

れたのである︒

○いちばん最後に呵責の一編においてもっとも取るべ加

点があるなら文章である︒そしてその文章はついに漱石

の癖所を真似たものである︒したがって漱石以上に成功

した文章でも天下はそれほど動かない︒君の損である︒

13

真似をされた漱石自身さえ好まぬ以上は他人はなおさら

である︒文は人間である︒君は漱石とは違う人間である

からしぜんにかけばきっと漱石と違ったものができる︒

それが君の文章である︒どうかこの後作物をやる時はそ

のつもりでやってもらいたい︒

○僕は遠慮のないことをいう︒君を失望させるわけでは

ない︒君が正しい点から出立して一個の森巻吉として成

功せんことを望むからである︒以上

一月十二日

夏目金之助

森巻吉様

14

一月十七日︵木︶本郷区駒込西片町十番地ろノ七号より

府下巣鴨町上駒込三百八十八番地内海方野上八重へ

非常に苦心の作なり︒しかしこの苦心は局部の苦

心なり︒したがって苦心の割に全体が引き立つこと

なし︒

局部に苦心をしすぎる結果散文中にむやみに詩的

な形容を使ふ︒しかも入らぬところへむりやりに使

ふ︒スキ間なく象嵌を施したる文机のごとし︒全体

ぞうがん

15

の地は隠れてしまふ︒

しかしてこの装飾は机の木とある点において不調

和なり︒会話は全然写真にして地の文はほとんど漢

文口調のごとき堅苦しきものなり︒︵余の文体のあ

かたくる

るものに似たり︶︒しかし警句はたいへん多し︒こ

の警句に費やせる労力を挙げて人間そのものの心機

の隠見する観察に費やしたらば︑これよりも数十等

面白きものができるべし︒

明暗は若き人の作物なり︒編中の人物と同じくら

ゐの平面に立つ人の作物なり︒みづから高い処にを

16

って上から見下して彼我をかぎ分けたやうな作物に

みおろ

あらず︒それゆゑに同年輩以上の人の心を動かすあ

たはず︒

大なる作者は大なる眼と高き立脚地あり︒編中

まなこ

の人物は赤も白も黒もこと

ぐく掌を指すがごとく

双眸に入る︒明暗の作者は人世のある色のほかは

さうぼう

識別しえざる若き人なり︒才の足らざるにあらず︑

識の足らざるにあらず︒思索綜合の哲学と年が足ら

ぬなり︒年はたいへんな有力なものなり︒﹁明暗﹂

の作者は今より十年後に至って再び﹁明暗﹂をよむ

17

時余の言の詐りならざるを知るべし︒

いつは

されども世には年ばかり殖えていっかう頭脳の進

歩せぬものあり︒十中六七まではこれなり︒余の年○

といふは単に世に住むといふ意ならず︒漫然と世に

住むは住まぬと同じ︒余の年といふは文学者として

、、、

とったる年なり︒明暗の著作者もし文学者たらんと

欲せば漫然として年をとるべからず文学者として年

ほつを

とるべし︒文学者として十年の歳月を送りたる時

過去を顧みば余が言の妄ならざるを知らん︒

まう

女主人公一人より成る小説なり︒この女主人公が

ひとり

18

もっと判然と活動せざるべからず︒これを囲繞する

ゐぜう

付属物の人間もまたいまいっそう躍然たらざるべか

らず︒幸子を慕ふ医学士のごときはどうも人間らし

からず︒これに対する幸子もだいぶは作者がいゝ加

減に狭い胸の中で築上げた奇形児なり︒

読んでなるほどと思ふほどにできねば失敗なり︒

明暗はなるほどとまで思へぬ作なり︒著者のみむや

みになるほどと思ってゐる︒この著者の世間が狭い

証拠なり︒人間の批評眼ができ上らぬ証拠なり︒観

察が糸のごとく細き証拠なり︒

19

明暗のごとき詩的な警句を連発する作家はもっと

詩的なる作物をかくべし︒しかして自己の得所が十

分発揮せらるるやうにすべし︒人情ものをかくだけ

の手腕はなきなり︒非人情のものをかく力量は十分

あるなり︒絵のごときもの︑肖像のごときもの︑美

文的のものをかけば得所を発揮すると同時に弱点を

露はすの不便を免がるるを得べし︒妄評多罪

あら

まぬ

しばらく実際について御参考のため愚存を述べん︒

幸子といふ女が画のために一身を献身的に過ごす

20

といふはよし︒しかし妙齢の美人がこんな心を起す

には起すだけの源因がなければならん︒それをかか

なければ突然で不自然に聴える︒

兄が嫁を貰ふのを聴いてうらめしく思ふのはよ

し︒このうらめしさを読者に感ぜしむるためには

あらかじめ伏線を設けて兄と妹の中のよきところ︑

よさ加減を読者に知らしめざるべからず︒しからざ

ればこれまた突然にて器械的なり︒作者一人が承知

してゐるやうに思はれる︒

女が男の恋をしりぞけるところはそれでよし︒退

21

ぞけて後迷ふもよし︒たゞ力量足らざるためことご

とく作者がかってに製造せるごとく見ゆ︒

女が自分の画のまづきに気がつくところアッケな

し︒突然としてレヴェレーションのごとく自分の画

のまづきを知る︒作者はそれでよしとするも読者の

腑には落ちず︒

女がつひに降参して医学士に靡かんとする時自己

なび

の不見識を考へてむりに昔の主義を押し通すところ

よし︒全編にてもっともと思ふはこのところなり︒

なぜといへば前に伏線があるゆゑなり︒これだけは

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突然にあらず︒作者のかってにあらず︒かゝる女の

心理的状態としていかにもかく発展しさうに思はる

るなり︒

かゝる変な女を描くことは一方からいへば容易な

るごとくにて一方からは非常に困難なるものなり︒

変人なるゆゑ普通の人と心理状態の異なるゆゑんを

おのづから説明せざるべからず︒これを説明せざる

かぎり読者はなるほどと思へぬなり︒しかもその説

明たるや全編を読むうちにいつといふことを知らぬ

まに説明せざるべからず︒これもっとも手腕の必要

23

なるところなり︒

趣向は全体としてべつだんのことなし︒あしくい

へばありふれたるものなるべし︒たゞ運用の妙一つ

にて陳を化して新となす︒作者は惜しいことにいま

だこの力量を有せず︒

最後の一節のごときはもっとも女主人公の性格を

発揮するとともに吾人の同情をかの女の上に濺がし

そゝ

めうる好シチュエーションなるにも拘はらずさのみ

かゝ

感服せず︒

24

一月十八日︵金︶午後零時︱一時

本郷区駒込西片町十

番地ろノ七号より

麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ

﹁縁﹂という面白いものを得たからホトトギスへ差し上

げます︒﹁縁﹂はどこから見ても女の書いたものであり

ます︒しかも明治の才媛がいまだかつて描き出しえなか

さいえん

った嬉しい情趣をあらわしています︒﹁千鳥﹂をホトト

ギスにすゝめた小生は﹁縁﹂をにぎりつぶすわけにゆき

ません︒ひろく同好の士に読ませたいと思います︒

今の小説ずきはこんなものを読んでつまらんというか

もしれません︒鰒汁をぐら

ぐ煮て︑それを飽くまで食

ふぐじる

25

って︑そうして夜中に腹が痛くなって煩悶しなければ物

はんもん

足らないという連中が多いようである︒それでなければ

人生に触れた心持ちがしないなどといっています︒こと

に女にはそんな毒にあたって嬉しがる連中が多いと思い

ます︒たいていの女は信州の山の奥で育った田舎者です︒

鮪を食ってピリヽときて︑顔がポーとしなければ魚ら

まぐろ

しく思わないようですな︒

こんななかに﹁縁﹂のような作者のいるのははなはだ

たのもしい気がします︒これをたのもしがって歓迎する

ものはホトトギスだけだろうと思います︒それだからホ

26

トトギスへ進上します︒

一月十八日

二月十三日︵水︶午後十一時︱十二時

本郷区駒込西片

町十番地ろノ七号より

牛込区市谷薬王寺前町二十番地早

稲田文学社内片上伸へ

拝啓

今年に至り第一に早稲田文学へ小説を寄稿する

お約束のところ︑昨年末より臨時の用事でき目下毎日そ

27

のはうにて持て余しをり候ふゆゑ肝心のお約束も至急

さふら

と申すわけに相成りかね候につき当分のあひだ御容赦に

あづかりたし︒まづは右用事まで相述べ候︑艸々頓首

二月十三日

夏目金之助

片上伸様

野分の評面白く拝見いたし候︒わる口のところだいぶ

異存これあり候へども批評として例のごとく体を得たる

点において大いにうれしく存じ候︒

28

三月四日︵月︶午前十時︱十一時

本郷区駒込西片町十

番地ろノ七号より

牛込区早稲田鶴巻町一番地坂元︵当時

白仁︶三郎ヘ

拝啓

先日は御来駕失敬いたし候︒その節のお話の義

ごらいが

はとくと考へたくと存じ候ところ非常に多忙にていまが

なんとも決せざるうち大学より英文学の講座担任の相談

これあり候︒よってそのはうは朝日のはう落着まで待っ

てもらひおき候︒しかして小生は今二三週間の後には

少々余裕ができる見込みゆゑ︑その節は場合によりては

池辺氏と直接にお目にかゝり御相談を遂げたしと存じ

29

侯︒しかしそのまへに考への材料として今少し委細のこ

とを承はりおきたしと存じ候︒

うけたま

一手当のこと

その高は先日の仰のとほりにて増減

てあて

おほせ

はできぬものと承知して可なるや︒

それから手当の保証

これはむやみに免職にならぬと

か︑池辺氏のみならず社主の村山氏が保証してくれると

かいふこと︒

何年務めれば官吏でいふ恩給といふやうなものが出る

にや︑さうしてその高は月給の何分一に当るや︒

小生が新聞に入れば生活が一変するわけなり︒失敗す

30

るも再び教育界へもどらざる覚悟なればそれ相応なる安

全なる見込みなければちょっと動きがたきゆゑ下品を顧

みず金のことを伺ひ候︒

次には仕事のことなり︒新聞の小説は一回︵年に︶と

して何月くらゐつゞくものをかくにや︒それから売捌

うりさばき

のはうからいろ

くな苦情が出ても構はぬにや︒小生の

小説はたうてい今日の新聞には不向と思ふ︒それでも差

ふむき

し支なきや︒もっとも十年後にはあるひはよろしかる

つかへ

べきやもしれず︒しかしそのうちには漱石も今のやうに

流行せぬやうになるかもしれず︒それでも差支なきや︒

31

小説以外にかくべき事項は小生の随意として約どのく

らゐの量を一週何曰くらゐかくべきか︒

それから学校をやめることはもちろんなれども論説と

か小説とかを雑誌で依頼された時は今日のごとく随意に

執筆してしかるべきや︒

それから朝日に出た小説やらその他は書物と纏めて小

まと

生の版権にて出版することを許さるるや︒

小生はある意味におて大学を好まぬものに候︒しかし

ある意味にては隠居のやうな教授生活を愛し候︒このゆ

ゑに多少躊躇いたし候︒御迷惑とは存じ候へどお序の

ついで

32

節以上の件々お聞き合はせおきくだされたく侯︒もっと

も御即答にも及ばず︒もし池辺氏に面会いたす機会もあ

らば同氏より承はりてもよろしく侯︒まづは用事のみ︒

艸々

三月四日

夏目金之助

白仁三郎様

大学を出て江湖の士となるは今まで誰もやらぬことに

候︒それゆゑちょっとやってみたく候︒これも変人たる

ゆゑんかと存じ候︒

33

三月十一日︵月︶午後五時︱六時

本郷区駒込西片町十

番地ろノ七号より

牛込区早稲田鶴巻町一番地坂元三郎へ

拝啓

先日お話の朝日入社の件につき多忙中まだ熟考

せざれども大約左のごとき申し出を許可相成り候へば進

んで池辺氏と会見いたしたしと存じ候︒

そろ

一小生の文学的作物はいっさいを挙げて朝日新聞に掲

載すること︒

一だゞしその分量と種類と長短と時日の割合は小生の

随意たること︒換言すれば小生は一年間にできうるかぎ

り感興に応じまた思索の暇を見出してすべてを朝日新聞

34

にいたすこと︒たゞしもとより文学的の述作ゆゑに器械

的に時間を限るあたはず︒小説などにても回数を受合ふ

わけにゆかず︒時には長くなりまた短かくなり︑または

一週に何度もかきまたは一月に一二度しか書かぬことあ

るべし︒しかして小生のやりうる程度は自己にも分らぬ

ゆゑ︑まづ去年中に小生がなしえたる仕事をもって目安

とせば大差なからんかと存じ候︒もっとも去年の仕事は

学校へ出たうへのことゆゑ専門に述作に従事せば︑ある

ひは量において多少の増加を見るに至るべきかなれど︑

まづ標準はあのくらゐとお考へありたし︒しかして小生

35

の仕事の過半はむろん美文ことに小説にあらはるべきか

と存じ候︒︵あるひは長きものを一回にて御免蒙るか

かうむ

または坊っちゃんのやうなものを二三編かくかその辺は

小生の随意とせられたし︶

一報酬はお申出のとほり月二百円にてよろしく候︒

たゞし他の社員並に盆暮の賞与は頂戴いたし候︒これは

なみ

双方合して月々の手宛の四倍︵?わからず︶くらゐの割

にて予算を立てたしと存じ候︒

一もし文学的作物にて他の雑誌に已むを得ず掲載の場

合にはその都度朝日社の許可を得べく候︒︵これは事実

36

としてほとんどなきことと存じ候︒すでに御許容のホト

トギスといへども入社以後はめったに執筆はせぬ覚悟に

候︶一

たゞしまったく非文学的ならぬもの︵誰が見ても︶

たれ

あるひは二三頁の端もの︑もしくは新聞に不向なる学説

の論文等は無断にて適当なところに掲載の自由を得たし

と存じ候︒

一小生の位地の安全を池辺氏および社主より正式に保

証せられたきこと︒これも念のために侯︒大学教授はす

こぶる手堅く安全のものに候ゆゑ小生が大学を出るには

37

大学ほどの安全なることを希望いたすわけに侯︒池辺君

はもとより紳士なるゆゑ間違なきはもちろんなれども万

一同君が退社せらるる時は社主よりほかに条件を満足に

履行してくれるものなくまた当方より履行を要求するあ

てもこれなきにつき池辺君のみならず社主との契約を希

望いたし候︒

必竟ずるに一たび大学を出でて野の人となる以上は

ひつきよう

再び教師などにはならぬ考ゆゑにいろ

くな面倒なこと

を申し候︒なほ熟考せばこの他にも条件が出るやもしれ

ず︒出たらば出た時に申し上げ候がまづこれだけを参考

38

までに先方へちょっと御通知おきくだされたく候︒まづ

は右用事まで︒何々頓首

三月十一日

夏目金之助

白仁三郎様

三月二十二日︵金︶午後五時︱六時

本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

牛込区市谷薬王立間町二十番地早稲

田文学社内片上伸へ

拝啓

かねて御約束の早稲田文学へ寄稿の件︑荏苒遅

じんぜん

39

延し申し訳これなく候︒しかるところ今般ある事情にて

そろ

教員生活をやめ新聞にはひることと相成り候につきては

いっさいの文学的作物はそのはうへ回さればならぬ義務

を生じ候︒よってはなはだ申し訳なき次第ながら御約束

を履行する運びに至りかね候︒右あしからずおゆるしく

だされたし︒まづは右お申し訳かた

ぐお断わりまで︒

艸々頓首三

月二十二日

夏目金之助

片上伸様

40

三月二十三日︵土︶午後零時︱一時

本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

府下巣鴨町上駒込三百八十八番地内

海方野上豊一郎へ

お手紙拝見︒小生が大学を退くについて御懇篤なるお

言葉をうけ慚愧の至に候︒僕の講義でインスパヤーさ

ざんき

いたり

れたとあるのははなはだ本懐の至り︑講座に上るものの

のぼ

名誉これにすぎずと存じ候︒世の中はみな博士とか教授

とかをさも難有きもののやうに申しをり侯︒小生にも教

ありがた

授になれと申し候︒教授になって席末に列するの名誉な

るは言ふまでもなく候︒教授は皆エラキ男のみと存じ候︒

41

しかしエラカラざる僕のごときはほとんど彼等の末席に

さへ列するの資格なかるべきかと存じ︑思ひ切って野に

下り候︒生涯はたゞ運命を頼むより致し方なく前途は惨

憺たるものに候︒それにもかゝはらず大学に嚙み付いて

黄色になったノートを繰り返すよりも人間として殊勝な

らんかと存じ候︒小生向後なにをやるやらなにができる

やら自分にも分らず︒たゞやるだけやるのみに候︒頻年

大学生の意気妙に衰へて俗に赴くやう見うけられ候︒大

学は月給とりをこしらへてそれで威張ってゐるところの

やうに感ぜられ候︒月給は必要に候へども月給以外にな

42

にもなきものどもごろ

くして毎年赤門を出で来るは教

授連の名誉これにすぎずと存じ侯︒彼等はそれで得意に

候︒小生は頃日へーゲルがベルリン大学で開講せし当時

けいじつ

の情況を読んで大いに感心いたし候︒彼の眼中は真理あ

るのみにて聴講者もまた真理を目的にして参り候︒月給

をあてにしたり権門からよめを貰ふやうな考で聴講せる

ものはなき様子に候︒呵々

京へは参り候︒京の人形御所望なればお見やげに買っ

てまゐるべく候︒どんなのが京人形やら実は知らぬにて

候︒京都には狩野といふ友人これあり候︒あれは学長な

かのう

43

れども学長や教授や博士などよりも種類の違うたエライ

人に候︒あの人に逢ふために候︒わざ

く京へ参り候︒

一力はいかが相成るやわかりかね候︒大坂へも参りて新

いちりき

聞社の人々と近付になるつもりに候︒昨夜はおそく相成

ちかづき

り︑今日はひる寐をして暮し候︒学校をやめたら気が楽

になり候︒春雨は心地よく候︒以上

三月二十三日

夏目金之助

野上豊一郎様

44

三月三十一日︵日︶午後四時︱五時

京都市外下加茂村

二十四番地狩野亨吉内より

麹町区富士見町四丁目八番地

高浜清へ

拝啓

京都へ参り候︒所々をぶらつき候︒枳殻邸とか

きこく

申すものを見たく候︒句仏へ御紹介を願はれまじくや︒

頓首

三月三十一日

虚子先生

45

三月三十一日︵日︶午後四時︱五時

京都市外下加茂村

二十四番地狩野亨吉内より

本郷区駒込西片町十番地ろノ

七号夏目内小宮豊隆へ

︹封筒の表に﹁東京本郷西片町十

ロノ七夏目金之助様方執事御中﹂とあり裏の署名には﹁葦

わけ人﹂とあり︺

京都は寒く候︒加茂の社はなほ寒く候︒糺の森のな

やしろ

たゞす

もり

かに寐る人は夢まで寒く候︒

春寒く社頭に鶴を夢みけり

高野川鴨川ともに磧のみに候︒

かはら

布さらす磧わたるや春の風

ぬの

46

詩仙堂は妙な所に候︒銀閣寺の砂なんど乙なものに候︒

おつ

智恩院はよき所に候︒祇園の公園は俗に候︒清水も俗に

候︒見

る所は多く候︒

時は足らず侯︒

便通はこれなく候︒

胃は痛み候︒

以上

三月三十一日

47

四月十二日︵金︶本郷区駒込西片町十番地ろノ七号より

牛込区早稲田鶴巻町一番地坂元︵当時白仁︶三郎へ

拝啓

朝日新聞入社についてはいろ

く御厚志を蒙り

御心切の段深く鳴謝奉り候︒

その後池辺と相談︑ほゞ調ひたるうへ去月二十八日

とゝの

京都表へまかり越し︑それより大阪朝日の鳥居氏に面

おもて

会のうへつひに大阪に赴き社主および幹部の人々と大阪

ホテルにて会食の後翌日再び京都へ立ちもどり昨十一日

まで処々見物のうへ今十二日帰京いたし候︒今回のこと

はもと大阪鳥居氏の発意に出で︑それより東京にて大兄

48

の奔走にて三分二以上成就いたし候ことと信じをり候︒

お礼のためまかり出でべきのところそこは例のとほりの

無精にて手紙をもって代理といたし候︒まづは右お礼か

たがた成行御報まで︒いづれそのうち拝眉の節万縷申し

ばんる

述ぶべく候︒以上

四月十二日

夏目金之助

白仁三郎様

49

四月十九日︵金︶午後一時︱二時

本郷区駒込西片町十

番地ろノ七号より

麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ

拝啓

もしや西京よりお帰りにやと存じ一書奉呈いた

し候︒近ごろ高等学校二部三年生にて美文をつくりこれ

そろ

をホトトギスへ紹介してくれといふ人これあり︒一応披

見いたし候ところなか

く面白く小生は感服いたし候︒

毎度ながら貴紙上を拝借いたしたしと存じ候がいかがに

や来月分に間に合へば好都合と存じ侯︒

京の都踊万屋面白く拝見︑一力における漱石はつひ

みやこをどりよろづや

いちりき

に出ぬやうに存じ候︒少々お恨みに存じ候︒漱石が大い

50

に婆さんと若いのと小供のとあらゆる芸妓にもてた小説

でも写生文でもお書きくだされたしと存じ候︒近来の漱

石は色のできぬ男のやうに世間から誤解いたされをり大

いに残念に候︒以上

四月十九日

庵座側

51

四月二十四日︵水︶午後八時︱九時

本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

府下巣鴨町上駒込三百八十八番地内

海方野上豊一郎へ︹はがき︺

小説の批評は君のよし︑僕は四月の小説を読んでおら

んから是非はいっこう分らん︒悪口の程度はあのくらい

でたくさんと思う︒僕少々小説をよんでこれから小説を

作らんとするところなり︒いよ

く人工的インスピレー

ション製造に取りかゝる︒

花食まば鶯の糞も赤からん

ふん

52

五月四日︵土︶午後零時︱一時

本郷区駒込西片町十番

地ろノ七号より

麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ

︹はがき︺

七夕さまをよんでみました︒あれはたいへんな傑作で

す︒原稿料を奮発なさい︒先だってのは安すぎる︒

せん

五月二十七日︵月︶午前九時︱十時

本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

府下大森八景坂上杉村内中村蓊へ

今日は上野をぬけ浅草の妙な所へ散歩したらつい吉原

53

のそばへでたから︑ちょうど吉原神社の祭礼を機として

白昼郭内を逍遥してみたが娼妓に出逢うことしきりな

くるわない

り︒いずれも人間のごとき顔色なく悲酸の極なり︒帰り

がけにある引手茶屋の前に人が黒山のごとく寄っている

ので覗いてみたら祭礼のため芸者がテコ舞姿で立ってい

た︒それが非常に美しくて人形かと思っていたら︑ふい

と顔を上げたのでやはり生きていると気がついた︒

それから橋場の渡しを渡って向島へ行ったら藤棚があ

はしば

ってその下の床几に毛布が敷いてあったから︑そこで上

野から買って行った鯛飯を食って昼寐をして︑うちへ帰

54

ったら君の長い手紙が来ていた︒

あの手紙をよんでいつぞや君が僕の文学論の序に同情

してくれたことを思い出してなるほどとその意味が分っ

た︒僕はあんな序をかくっもりではなかったがある事情

で書くことに決心してしまった︒あれに対して同情して

くれる君はおそらく僕よりも不愉快な境遇であったかも

しれない︒君の手紙で君の家のことなども判然してみる

とかえって僕のほうから同情を寄せねばならんと思う︒

はなはだお気の毒である︒しかし世の中にはまだ

く苦

しい連中がたくさんあるだろうと思う︒おれは男だと思

55

うとたいてぃなことは凌げるものであるのみならず︑か

えって困難が愉快になる︒君などもこれからが事を成す

大事の時機である︒僕のように肝心の歳月をいも虫のよ

うにごろ

くして過ごしてはたいへんである︒大いに勇

猛心を起して進まなければならない︒などと講釈をいう

のは野暮の至である︒世の中は苦にするとなんでも苦

いたり

になる︒苦にせぬとたいがいなことは平気でいられる︒

また平気でなくては二十世紀に生存はできん︒君も平気

に大森から大学へ通っているがよかろうと思う︒

君が中川の序文を訂正したのを見た︒学生が最後の所

56

を読んで痛快だというた︒中川は必ずしも傲慢不遜とい

ごうまんふそん

う男ではないのだろう︒たゞ日本文をかきつけないから︑

あんなものができたのだろう︒僕は序に対しては君ほど

苛酷な考は持っておらん︒右御返事まで︒匆々

五月二十六日夜

夏目金之助

中村蓊様

将来君の一身上につき僕のできることならばなんでも

相談になるから遠慮なく持ってきたまえ︒もっとも僕の

できる範囲はきわめて狭いものである︒

57

五月二十八日︵火︶本郷区駒込西片町十番地ろノ七号よ

京橋区滝山町四番地東京朝日新聞社内渋川柳次郎へ

拝啓

また手紙を差し上げます︒わが朝日新聞におい

て社員諸君は所得税に対していかなる態度を取られます

か︒社のほうではいち

く税務署のほうへ生等の所得高

を通知されますか︒または税務署のほうから照会または

検査に参りますか︒所得の申告をしろと催促状が来まし

たからちょっと参考に伺いたいと思います︒それからあ

なたはどういうふうになさいますか︒お役人をやめられ

てからはじめての所得申告という点が小生とちょっと似

58

ていますからこれも参考にちょっと聴かしてくださいま

せんか︒いろ

く御面倒を願って済みません︒以上

五月二十八日

玄耳先生

五月二十九日︵水︶本郷区駒込西片町十番地ろノ七号よ

本郷区駒込西片町十番地反省社内滝田哲太郎へ

御手紙拝見︒実は昨日金尾が来て十八世紀文学出版の

礼をいうて滝田君が野上さんといっしょにやりたいとい

59

いますがどうでしょうというから︑それもよかろうとい

うたら立派なものができますかと聞いたからそれは受合

えない︑自分のものは自分がやるよりほかにうまくでき

るはずがない︑ことに二人や三人でやってはかえってい

けまいというた︒それからなるべくは一人でやるがいゝ

だろうと付加した︒すると金尾のいうには滝田君はとて

も一人ではできますまいというた︒僕答えて滝田君は文

章は達者だが専門が法律家だからあの講義のうちのある

ところは面倒かもしれないと答えた︒それではほかに人

はありませんかときいたから︑人はいくらでもあるが︑

60

滝田君が持って帰ったものだから︑まあ滝田君に相談し

てみたらよかろう︑滝田が進んでやるのが面倒ならば森

田にでも頼んだらやってくれるだろうというた︒話はそ

れぎりで分れた︒金尾はもう出版するつもりで広告など

のことまでいうて帰った︒

僕は君が十八世紀文学を書き直すについてどのくらい

の興味を有しているか知らぬ︒またそれを家計上のたす

けにする必要あってのこととも知らぬ︒それゆえ以上の

ごとき返事をしておいた︒君と金尾のあいだの面白くな

いこともまったく知らなかった︒金尾はそのことについ

61

て一言もいわなかった︒

右の訳である以上はたとい金尾から十八世紀を出すに

しても君がやらなくては少し君として面白くないことに

なるだろう︒金尾からもし君のところへ相談にきたら夏

目さんと相談したうえ返事をするといって帰したまえ︒

右の出版に関しては君の都合のいゝようまた僕の都合

のいゝように相談をするから︑できるなら木曜に来てく

れたまえ︒もっともいそぐことでないから君さえよけれ

ばいつでもよろしい︒金尾のほうへは適当な人を見付け

るまでは広告その他見合せるようにいうてやる︒

62

金尾と君の関係は僕が口を出してよいかどうか分らな

い︒君を無報酬で使うつもりでもないだろう︒君が関係

をつける時に月々の報酬をどのくらいときめて︑それを

払わぬなら不都合の至である︒

いたり

君の一分が立つように金尾にこうつけ加えてやる︒﹁十

いちぶん

八世紀文学は滝田君との関係上から同君に対する好意上

許諾をしたものだから向後の談判は出版の手続に至るま

で契約書をとり更すまではすべて同君を経て御協議を経

かわ

たく候﹂

そろ

委細は御面語のうえ︒虞美人草は広告だけでいっこう

63

要領を得ない︒人がくる︑用事ができる︒どんな虞美人

草ができることやら思えばのんき至極のものなり︒匆々

不一

五月二十九日

夏目金之助

追白

手許に十円ばかりあり︒御不如意のよしなれば

失礼ながら用を弁ぜられたし︒御返済は卒業して金がウ

ナルほどできた時でよろし︒御母上の御病気御大事と存

じ候︒試験にはぜひとも及第するほどに勉強なさるべく

候︒

64

五月二十九日︵水︶本郷区駒込西片町十番地ろノ七号よ

京橋区滝山町四番地東京朝日新聞社内渋川柳次郎へ

拝啓

驩迎会につきお叱りは恐れ入りました︒面会日

かんげいかい

しか

と知らずに受けやったのがわるいのだからなるべく出席

つかまつることにいたします︒実は面会日に来客を謝絶

すると面会日以外に来た人を謝絶する口実を失うのが苦

しいのです︒入杜以後ひまになったと心得てむやみにか

ってにやって来て小説をかくどころの騒ぎじゃありませ

んからいよ

く面会日を励行しょうと思うやさきだか

65

ら︑まずもって自分のほうから面会日だけは守ろうとい

う利己主義から出立した義理を立てようと思ったのであ

ります︒それでお叱りを頂戴いたしてどうもすみません︒

あんまり叱ると虞美人草が飛んでしまいそうです︒

次に所得税のことをお聞き合せくだされましてお手数

あわ

の段どうも難有存じます︒実はあれもほかの社員なみ

ありがとう

にズルク構えてなるべく少ない税を払う目算をもって伺

ったわけであります︒実は今日まで教師として十分正直

に所得税を払ったやら当分所得税の休養を仕るか︑さ

つかまつ

もなくばあまり繁劇なる払い方を遠慮するつもりであり

66

ました︒しかるところ公明正大に些々たる所得税のごと

き云々と一喝されたために蒼くなって急に貴意に従って

うんぬん

真直に届け出でる気に相成りました御安心被さい︒毎日

まつすぐ

入らぬ手紙ばかり書いています︒頓首

五月二十九日

渋川先生

五月三十日︵木︶午後四時︱五時

本郷区駒込西片町十

番地ろノ七号より

京都市外下加茂村二十四番地狩野亨吉

67

方菅虎雄へ﹇はがき﹈

文学論ができたから約束により一部送る︒校正者の不

埓なため誤字誤植雲のごとく雨のごとく癇癪が起ってし

ようがない︒できれば印刷した千部を庭へ積んで火をつ

けて焚いてしまいたい︒

や六月四日︵火︶午後五時︱六時

本郷区駒込西片町十番

地ろノ七号より

本郷区森川町一番地小吉館小宮豊隆へ

︹はがき︺

68

今日からいよ

く虞美人草の製造にとりかゝる︒なん

だかいゝ加減なことをかいてゆくと面白い︒

おもしろ

僕の顔を高等官一等とは恐れ入った︒どうか猫をかく

ような顔付に生れたいものだ︒金子堅太郎君は親任官で

かおつき

あったかな︑君︒金堅君を下ること一等の顔になっちま

った︒ほめられたって感謝はできない︒

69

六月七日︵金︶午前十時︱十一時本郷区駒込西片町十番

地ろノ七号より

京橋区滝山町四番地東京朝日新聞社内渋

川柳次郎へ

拝啓

虞美人草についての御返事承知いたし候︒かき

かけるとお産がありましてね︒お医者がくる︒細君がう

なる︒それやこれやでようやく一編だけしかかきません︒

実のところはなるべく早くかいて安心してしまいたいと

思うのですが︑それが困難らしいからなるべく南翠先生

の長からんことを希望しています︒大阪のほうでは読売

へ大きな広告を出しましたね︒あれでぐっと恐縮してし

70

まいました︒三越呉服店にも譲らざる大広告ですよ︒

そこで虞美人草の原稿をもらいたいという物数奇な人

ものず

間が出て来たのですが︑社のほうでは返してくれますか︒

もし返せないならこの男が自分で写して︑写した分を差

し上げることにしたいと申します︒ちょっと御返事を願

います︒

それから昨日端書投書についていろ

くなことをきき

はがき

ました︒文士仲間では人の作を悪口したり︑自分の作を

ほめたりする投書をよくやるそうです︒ことに自分があ

る新聞のつゞきものを受合いたい時は今出ている小説を

71

長すぎるとか︑早くやめろとかいう投書を続々出すそう

です︒これくらいのことがないにしても一人の作略で日

に何枚でも善悪の投書はできます︒だから向後投書に対

しては賛否両様ともあまり重を置かぬほうがよかろう

おもき

と思います︒まずは用事まで申上ます

以上

六日八日

渋川先生

72

六月十七日︵月︶午後八時︱九時

本郷区駒込西片町十

番地ろノ七号より

麻布区笄町柳原邸内松根豊次郎へ

御手紙拝見

長い手紙をかく余裕がない︒毎日虞美人

草のことばかり考えている︒今日社から原稿をとりにく

きよう

る︒九十七枚わたした︒

せっかく苦心してかいたところもあとから読み直すと

なんだこんなものかと思うこと多し︒つまらない︒当分

は君にも逢えない︒リースの子が僕の作物をよんでくれ

るのは難有い︒僕の妻なんかてんで僕の作には手をつけ

ない︒どうも婦人には苦手のようだ︒紫影先生原稿出版

73

の義お断わりの趣承知︒不得已ことと思う︒その旨先方

やむをえぬ

へ通知いたすべし︒赤ん坊はなか

く大きいよし︒むや

みに大小児を生んで国家に貢献するところもなく心細い

ことなり︒

まずは用事のみ︒草々

六月十七日夕

豊次郎様

74

六月二十一日︵金︶午前九時︱十時

本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

本郷区丸山福山町四番地伊藤はる方

森田米松へ

御手紙拝見︒

君はウーンといって還ってくれたからいゝが︑たいが

かえ

いはうんともなんともいわずはいって来る︒

虞美人草ができるまで謝絶と思うたがなか

く前途遼

遠いつかきおわるか分らない︒かき上げた時はさぞ愉快

だろう︒今では小説が本業だからいつまでかゝっても時

間は惜しくない︒例のとおり急行列車に乗る必要がなく

75

なった代りに書物をよむひまがなくなるだろうと思う︒

七夕さまへ感服してくれたのはうれしい︒滝田樗陰書

を三重吉に寄せて曰く夏目先生があんなものをほめるに

いわ

至ってはいさゝか先生の審美眼を疑わざるを得ずと︒樗

陰はあれを浅薄というそうだ︒樗陰は二三日中君のとこ

ろへ来訪のはず︑よく説諭してくれたまえ︒あれは北国

で仙台鮪ばかり食っていたからそんなことをいうのだろ

せんだいずし

うと思う︒

生田先生はまさに二十円を拉し去る︒言訳に曰く︑飲

らつ

んだんではありませんと︒

76

その他の諸君子を見ざること久し︒豊隆時々台所に来

る︒明日帰るそうなり︒昨日中村蓊来る︒写真をくれと

いって持って行く︒第二義の顔を方々へ進呈してはなは

だ不平なり︒君雲右衛門なるものを聴いたかい︒

くも

もん

六月二十一日

米松先生

六月二十一日︵金︶午後︵以下不明︶本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

本郷区駒込千駄木町二百三十八番地

77

幸川方鈴木三重吉へ

本日虞美人草休業︒肝癪が起ると妻君と下女の頭を

かんしやく

正宗の名刀でスパリと斬ってやりたい︒しかし僕が切腹

をしなければならないからまず我慢する︒そうすると胃

がわるくなって便秘して不愉快でたまらない︒僕の妻は

なんだか人間のような心持ちがしない︒

こころも

中学世界での評なんかはどうでもよし︒知人を雇うて

方々の雑誌に称賛の端書を送ったらよかろうと思う︒

六月二十一日

三重吉様

78

六月二十四日︵月︶午後六時︱七時

本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

本郷区駒込千駄木町二百三十八番地

幸川方鈴木三重吉へ

拝啓

ちょっとお願ができた︒また面倒な例の文学

ねがい

論のことだが︒あのなかに肯定と否定の問違が四五か所

あって普通の誤植とは思えぬほど念の入ったものである

により︑大倉をもって秀英舎へ掛合ったところ︑秀英舎

は責任なしと威張っているよし︒僕よってこれを朝日新

聞紙上において筆誅せんと欲するについては例の虞美人

79

草祟りをなして筆を執ること面倒なり︒どうか君僕の代

りに書いてくれたまえ︒間違の個所は僕のところにわか

っているからついでに来て見てくれたまえ︒お願頓首

二十四日

三重吉様

六月二十九日︵土︶午前八時︱九時

本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

小石川区原町十番地寺田寅彦へ︹は

がき︺

80

晩はたいてい散歩︒それからは日によると休業︒もっ

とも日中でも頭と相談のうえ時々休業つかまつり候︒だ

そろ

んだん暑くなると小説をかくのが厭になる︒

六月二十九日

先だっては奥さんがわざ

く難有う︒ついお礼を忘れ

せん

ていた︒

七月三日︵水︶午前十時︱十一時本郷区駒込西片町十番

地ろノ七号より

福岡県京都郡犀川村小宮豊隆へ

81

昨日君の長信が来た︒ひさ

ぐで国へ帰って大持ての

こと︑羨望々々︒途上の絵端書はいち

く落手多謝︒今

ごろは九州はさぞ暑いことだろうと思う︒西片町もなか

なかあつくなった︒蚊帳をつる︒大きな蚊帳で一人で寐

るのは勿体ない︒来客謝絶にもかゝわらず時々御来臨︒

もつたい

臼川︑三重吉︑諸先生健在︑朝日へなにかかくなら書か

ぬか︒

御母さんとお婆さんの御機嫌をとって大事にせんとわ

おかあ

るい︒後世が大事だ︒冥罰がおそろしい︒僕漫然たり︒

みようばつ

臼川天竺牡丹なるものをくれる︒文学論二版お蔭にて出

てんじくぼたん

82

来謝︒十八世紀は樗陰森田両君に依頼することとなれり︒

坪内先生来訪早稲田へこいとの相談である︒評判によれ

ば慶応義塾へも行くそうだ︒近々一万円で家を建てるそ

うだ︒小供がシツをかいて困る︒中央公論を約束したが

まだ見ない︒広告には筑水君の﹁文学論に因みて﹂が出

ちな

ていない︒あるいは送らんで済むかもしれぬ︒竹風君の

評は新小説に出た︒これはそちらで買えるだろうから送

らない︒小説はなかなか進行しない︒暑いと中止したく

なる︒

君の手紙は色女が色男へよこすようだ︒見ともない︒

83

男はあんな愚なことで二十行も三十行もつぶすものじゃ

ない︒

久しく靴屋の娘を見ず︒あれはめかけのよし︒これか

らまた虞美人草をかく︒

七月三日朝九時

七月八日︵月︶午前九時︱十時

本郷区駒込西片町十番

地ろノ七号より

府下巣鴨町上駒込三百八十八番地内海方

84

野上豊一郎へ﹇はがき﹈

近ごろの読売に君のことがよく出るね︒御用心︒虞美

人草の御批評拝受︒善くても悪くてもほんとうに読んで

くれれば結構︒僕ハウチノモノガ読マヌウチニ切抜帳へ

張込ンデシマウ︒ワカラナイ人ニ読ンモラウノガイヤダ

カラデアル︒

七月十二日︵金︶午前九時︱十時

本郷区駒込西片町十

番地ろノ七号より

牛込区早稲田鶴巻町一番地坂元︵当時

85

白仁︶三郎へ

拝啓

京都よりお帰りのよし︑毎日出社御精勤のこと

と存じ候︒小生一昨十日総務局より臨時賞与として五十

円貰えり︒さだめて入社当時に話のあった盆暮の賞与の

意味なるべし︒それならばだいぶ話が違う︒はじめ君の

周旋の時は一年二期に給料の二か月分ずつくらいという

ことであった︒その後いよ

くとなったら弓削田氏より

君への返事に言うところはまず一か月くらいとのことで

あった︒僕が池辺氏にあって最低額は一か月分と定めて

差し支なきやと質したる時氏はしかりと答えられた︒

たゞ

86

僕は賞与がなくともその日には困らぬ︒また実際アテ

にもするほどの自覚もない︒しかし貰ってみるといやで

ある︒金の多少でいやというより池辺︑弓削田両君のご

とき君子人が当初の条件を守られぬということがいやで

ある︒

入社の日が浅いから今年は出さぬというたら弁解にな

る︒同上の理由で今年は少ないというならもっともであ

る︒以

上の理由は誰からもきかぬ︒たゞ一人で︑しか解釈

すべきものか︒

87

受取った五十円は難有く頂戴する︒返却はつかまつら

ありがた

ぬ︒不足だからもっとよけいくれともいわぬ︒たゞ事実

は条件を無視してしかも一言の弁解も伴うておらんとい

うことを︑入社の周旋をしてくれた君に参考のため申し

送る︒

池辺弓削田両氏は君子人なればこの辺の消息は知らぬ

ことなるべし︒知っても当初のことは忘れたるなるべし︒

いずれにても故意ならぬ所作ならば介意するに及ばず︒

ついでの節両君の存意を確められたし︒

たしか

88

小生が朝日に対してなしうることは微少なり︒五十円

にも当らず︒たゞそれは入社の条件とは別問題なり︒こ

れは誤解なきを祈る︒

虞美人草はまだ片付かず︒いつ果つべしとも見えざり

けり︒以上

七月十二日

夏目金之助

白仁三郎様

89

七月十三日︵土︶午後三時︱四時

本郷区駒込西片町十

番地ろノ七号より

牛込区早稲田鶴巻町一番地坂元︵当時

白仁︶三郎へ

拝啓

御多忙のところをわざ

く池辺氏をお尋ね御返

事をお聞きくだされて難有く侯︒

そろ

お申越の理由詳細判然承知いたし候︒

まうしこし

六ケ月以内のものが貰はぬが原則ならば小生の貰ふた

のが異数なるべし︒深く池辺氏の御注意を謝す︒

池辺君に御面会の節は小生が御もっともと納得したる

うへ同君の御好意を感謝しつゝある旨を伝へられたし︒

90

ことに君がこの件につき御奔走の労を謝す︒

医者にお通ひ中のよし︑御病気なるや︒大事にせられ

たし︒以上

七月十四日

夏目金之助

白仁三郎様

七月十六日︵火︶午前八時︱九時

本郷区駒込西片町十

番地ろノ七号より

松山市一番町十九番地池内内高浜清へ

松山へお帰りのことは新聞で見ました︒一昨日東

91

洋城からも聞きました︒私が弓をひいた垜がまだある

あずち

のを聞いて今昔の感に堪えん︒なんだかもう一遍行きた

い気がする︒道後の温泉へもはいりたい︒あなたといっ

しょに松山で遊んでいたらさぞ呑気なことと思います︒

大内旅館についての多評は好景気のようなり︒三重吉

はたいへんほめていました︒寅彦も面白いといいました︒

そこへ東洋城が来て三人三様の解釈をして議論をしてい

ました︒小生はよくその議論をきかなかった︒小生の思

うところは︑大内旅館はあなたが今までかいたもののう

ちで別機軸だと思います︒そこがあなたには一変化だろ

92

とと存じます︒すなわちあなたの作が普通の小説に近く

なったという意味と︑それから普通の小説として見ると

大内旅館がある点において独特の見地︵作者側︶がある

ように見えることであります︒くわしいことはもう一遍

読まねばなんともいえません︒とにかくいろ

くな生面

を持っているということはそれ自身に能力であります︒

御奮励を祈ります︒

五六日前ちょっとなにを考えたか謡をやりました︒

うたい

一昨日東洋城が来た時はめちゃめちゃに四五番謡いまし

うた

た︒ことによったら謡を再興しようと思います︒いゝ先

93

生はないでしょうか︒人物のいゝ先生か︑芸のいゝ先生

か︑どっちでも我慢する︒両者揃えば奮発する︒虞美人

草はいやになった︒早く女を殺してしまいたい︒熱くて

うるさくって馬鹿気ている︒これはインスピレーション

の言なり︒以上

七月十七日

94

七月十九日︵金︶午後八時︱九時

本郷区駒込西片町十

番地ろノ七号より

福岡県京都郡犀川村小宮豊隆へ

手紙が来たからちょっと返事をあげる︒東京は雨で毎

日毎日鬱陶しい︒その代りすこぶる涼しくて凌ぎいい︒

うつとう

大井川が切れて汽車が通じない︒郵便が後れることと思

う︒叡山で講話会をやるから出てくれというて来た︒た

ぶん出ないこと︒ひまができたら北の方へ行く︒三重吉

も行くという︒

虞美人草は毎日かいている︒藤尾という女にそんな同

情をもってはいけない︒あれは嫌な女だ︒詩的であるが

95

大人しくない︒徳義心が欠乏した女である︒あいつを仕舞

しまい

に殺すのが一編の主意である︒うまく殺せなければ助け

てやる︒しかし助かればなお

く藤尾たるものは駄目な

人間になる︒最後に哲学をつける︒この哲学は一つのセ

オリーである︒僕はこのセオリーを説明するために全編

をかいているのである︒だから決してあんな女をいゝと

思っちゃいけない︒小夜子という女のほうがいくら可憐

だか分りゃしない︒

︱虞美人草はこれでお仕舞︒

金子筑水の議論は念の入ったものではない︒昨日上田

柳村君が来て文学論について云々して去った︒大塚は真

96

面目に読んでくれて批評をしにやってきた︒博覧会へ行

ってw

ater

シュートへ乗ろうと思うがまだ乗らない︒伏

見の宮さまが英国で大歓迎だという話である︒僕は英国

が大嫌い︑あんな不心得な国民は世界にない︒英語でめ

しを食っているうちは残念でたまらなかったが昨今の職

業はようやく英語を離れて晴々した︒ところが早稲田と

慶応義塾で教師になれというてきた︒食えなければ狗に

いぬ

でもなる︒英語を教えるのはワン

くと鳴くくらいな程

度であるからいざとなればやるつもりであるが︑虞美人

草の命があるうちはまず御免蒙る︒朝鮮の王様が譲位

こうむ

97

になった︒日本からいえばこんな目出度ことはない︒も

でたい

っと強硬にやってもいゝところである︒しかし朝鮮の王

様は非常に気の毒なものだ︒世の中に朝鮮の王様に同情

しているものは僕ばかりだろう︒あれで朝鮮が滅亡する

端緒を開いては祖先へ申訳がない︒実に気の毒だ︒朝日

新聞の湯島近辺というのを読んでごらん︒ああいう小説

もかいて好いというお許しが出ると小説家の気も大きく

なる︒僕もまだ二三十年は英語を教えないでどうかこう

か飯が食えそうだ︒

悪縁で英語を習いだしたがこれからなるべく英語を倹

98

約してドイツと仏語にしたいと思う︒まずドイツを君に

教わりたい︒夏休み以後は少しやってくれたまえ︒以上

七月十九日

七月二十日︵土︶午前十時︱十一時

本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

本郷区駒込千駄木町二百三十八番地

幸川方鈴木三重吉へ

君はなにを思ったか深夜頓首して手紙をよこした︒そ

とんしゆ

99

うして内容は僕に会った時と別に変ったことが書いてな

い︒妙だよ︒豊隆子が長い手紙をよこした︒米を売って

しまえといって婆さんに叱られたとある︒そのくせ婆さ

んから相談を受けたのだそうだ︒これはいよ

く妙だよ︒

小説はなか

く気が長いから僕も困る︑君も困る︒八月

になったらさっそく出掛たまえ︒僕もしできうべくんば

君のいる所へ回って行く︒しからずんばなんでもどっか

で待ち合せる︒しからずんば僕がどうしても東京を出ら

れなくなって君は一つ所にぶら下がる︒これは大いに気

の毒だが︑今日の形勢を案ずるにあるいは西片町を去る

100

ことができぬかもしれない︒なにしろ急行小説はやめた

んだから︒だら

く虞美人でいつまで引張られるか自分

ひつぱ

にも見当がっかない︒もしこうなると違約になる︒はな

はだお気の毒だ︒そうなったら二三日でもいいから君と

前約履行のかたでどっかで遊ぼう︒僕近来ズルクなって

︵広島の意味︶困る︒なんでも急がぬ方針だ︒そして方

針もなにもない︒生きていて︑食っていて︑そして漫然

たり︒以上

七月二十日

三重吉様

101

七月二十一日︵日︶午後三時︱四時

本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

府下巣鴨町上駒込三百八十八番地内

海方野上豊一郎へ︹はがき︺

今日の読売に正当防御と題して早稲田の人が君を攻撃

している︒見たまえ︒ぜんたい君はなにをかいたのか︒

なにをかいてもあんな攻撃をするのは早稲田の若イ人

ダ︒

102

七月二十二日︵月︶午前九時︱十時

本郷区駒込西方町

十番地ろノ七号より

府下巣鴨町上駒込三百八十八番地内

海方野上豊一郎へ

拝啓

人の攻撃を攻撃しかへすときは面白半分にから

かふ時のことなり︒ひまが惜しければやるべからず︒堂々

たる攻撃は堂々たる弁駁を要す︒これは惜しい時間を割

べんばく

いてやることなり︒

僕まだ新聞雑誌に出たものに対して弁解の労をとりし

ことなし︒そんなことをするひまに次の作物か論文をか

くはうがはるかに有益なり︒

103

あんなものに真面目に相手になるくらゐならはじめか

らあゝいふふうな評論をかかれぬがよろしからうと思

ふ︒な

にかいふことがあらば駁論とせず︑次の作物か論文

のうちに十分君の主張を述べらるべし︒それが自分は自

由の行動をとってしかもくだらぬ世評に頓着してをらぬ

ことを事実に証明するゆゑんと思ふ︒

君は文を好む︒文を好めば将来かゝる場合多かるべし︒

皆この例にならって決せられんことを希望す︒

もっとも暑中休暇ゆゑひまがあるならいたづらにいく

104

らでも喧嘩をなさるのも一興と思ふ︒

しかし喧嘩をしだすと︑相手次第で暑中休暇後までも

やるつもりでないといけません︒途中でやめちゃいけな

い︒まあ愚になるね︒以上

七月二十一日

豊一郎様

七月二十三日︵火︶午後八時︱九時

本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

芝区白金台町一丁目八十一番地野間

105

真綱へ

暑いのに牛込まで通うのは難義だなどというのは不都

合だ︒口を糊するに足を棒にして脳を空にするのは二十

のり

世紀の常である︒不平などをいうより二十世紀を呪詛す

じゆそ

るほうがよい︒

夫婦は親しきをもって原則とし親しからざるをもって

常態とす︒君の夫婦が親しければ原則に叶ふ︒親しから

ざれば常態に合す︒いづれにしても外聞はわるいことに

あらず︒

君のことを心配したからというて感涙などを出すべか

106

らず︒僕はむやみに感涙などを流すものを嫌ふ︒感涙な

どを云々するは新聞屋が○○の徳を賛し奉る時に用ひる

べき言語なり︒

僕は君に世話がしてあげたくても無能力である︒金は

時々人が取りに来る︒あるものは人に貸すが僕の家の通

則である︒遠慮には及ばず︒結婚の費用を皆川のやうな

貧乏人に借りるのは不都合である︒

細君は始めが大事なり︒気をつけて御したまへ︒女ほ

どいやなものはなし︒

どこかへ遊びに行きたいが虞美人草をかいてしまうま

107

では動きたくない︒

野村にはいっこう逢わない︒毎日客がくる︒

君は気が弱くていけない︒いっしょになって泣けば際

限のない男である︒ちとしっかりしなければ駄目だよ︒

頓首

七月二十三日

七月二十六日︵金︶午後八時︱九時本郷区駒込西片町十

108

番地ろノ七号より

千葉県海上郡高神村犬若犬若館鈴木三

重吉へ

犬若館とかいう所にお神輿をすえられたるよし︒これ

みこし

はなんでも僕が通った所らしい︒ことによると昔宿った

所かもしれぬ︒岩のなかに彫り込んだ宿屋などはすこぶ

る面白い︒

東京ははなはだ涼しい︒土用でも土用の感じがない︒

東洋城が来てとまって一日ごろついて謡を三四番歌っ

うたい

て帰って行った︒その他いろ

くな人がくる︒十八世紀

文学は金尾をやめて春陽堂にした︒昨日服部の印税未納

109

をしらべたら八百円ほどある︒僕もなか

く寛大な著作

家たるに驚ろいた︒服部も通知を受けて驚いたろう︒

驚印税八百円といってすぐ持ってくればえらい︒

おどろくなかれ

あれは駆権を大倉へ譲り渡してしまうほうが得策だ︒僕

も便利だ︒

虞美人草はだら

く小説七顚八倒虞美人草と名づけて

しちてんはつとう

まだ執筆中︒

あまり潮風に吹かれると女が惚れなくなるにつきいゝ

かげんに御養生しかるべく侯︒以上

七月二十六日

夏目金之助

110

鈴木三重吉様

七月三十日︵火︶午前十時︱十一時

本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

千葉県海上郡高神村犬若犬若館鈴木

三重吉へ

日々御水浴結構に候︒甲野さんの日記は毫も不自

然ならず︒甲野さんの日記は京都の宿屋のところに出て

いる︒つまりそのつゞきである︒しかしてかゝる哲学者

のかいた日記をぽツ

く引き合ニ出スノハアル意味ニオ

111

イテ甲野サンヲ貫ヌカシムル方便デアル︒実ハコノヤリ

ツラ

口ハ僕ノ創体デハナイ︒英ノメレディスの作にシバ

コノ手ガアル︒僕ハコレヲ踏襲シタト評サレテモ仕方ガ

ナイ︒

﹁オヤおはいり﹂という句はチットモ可笑シクハナイ︒

アレヲ可笑シガルノハ分ラナイ︒広イウチデ銘々部屋ヲ

持ッテいる︒母ノ部屋へ娘が行く︒オやおはいりヨリイ

イヨウガナイ︒シカシテもっとも母ラシイ言葉でアル︒

コノ言葉デ母ラシイトコロガタヾチニ出ル︒君ハ広島ダ

カラソウイウ意味ニ聴キ慣レテいナイノダロウ︒アレハ

112

実ハ最上等ノ句ダヨ︒

ワルイトコロヲ摘発スルナラバモットコッチガ閉口ス

ルトコロガタクサンアルノニ︑アスコガ目にツクノハ可

笑イ︒

コノ小説ハノンキ小説トモ︑ダラ

く小説トモ︑マタ

ハ七顚八倒小説トモ称シテ容易ニ片ヅク景色ナシ︒シカ

シ毎日カク︒

二三日非常ニアツクナッタ︒妻君ガ六十円デ紋付ガコ

シラエタイトイウ︒君ノ前ダガソンナモノハ要ラナイヨ

ウダネ︒妻君ニシテ六十円ノ紋付ヲコシラエルナラ︑僕

113

モ薩摩上布ノ上等ヲ買ッテ向ヲ張ルツモリデアル︒

中川カラアズカッテイル百円ハ利子ノ勘定やナニカ面

倒デイケナイ︒アレハ自分ノ名デ預ケ替タラヨカロウ︒

カエ

帰ッタラ君カラ話シテクレタマエ︒以上

七月三十日

三重吉様

カツアノ日記ハ母子ノ間柄ヲ裏面カラアラワスユエ甲

野サンノ日記云々トカクホウガ切実デアルノデアル︵コ

ノトコロ巽軒口調ナリ︶

ソンケンクチヨウ

114

八月三日︵土︶午後八時︱九時

本郷区駒込西片町十番

地ろノ七号より

福岡県京都郡犀川村小宮豊隆へ

手紙が来た︒またなんだか長々と女性的文字がかいて

あるには恐縮したね︒今日高須賀淳平が来て小宮さんは

ことによると恋病をするといった︒気を付けないとい

こいやまい

けない︒漱石病なら心配はないがお絹病などになるとは

なはだ痛心の至だ︒僕の妻が赤門前の大道易者に僕の八

卦を見てもらったら女難があるといったそうだ︒しかも

逃れられない女難だそうだ︒早くくればいゝと思って日

夜渇望している︒大旱の雲霓を望むがごとし︒

たいかん

うんげい

115

あつくてだら

くしている︒門司まで芝居を見に行く

ほうはない︒東京へ帰ってゆっくり見るものだ︒田舎へ

いなか

行ったら芝居気をすてて田舎ものになるがいゝ︒このあ

いだ印税がはいった︒君がいればなにか奢ってやろうと

思うがさいわい不在だからやめた︒文学論は三版になっ

た︒たゞし五百部︒虞美人草については世評はきかず︒

みんながむずかしいという︒すべてわからんものどもは

だまってぃれば好いと思う︒それが普通の人間である︒

よけいなことをいう奴は朝鮮国王の徒だ︒いわんや漱石

先生にいかほどの自信あるかを知らずしてみだりに褒貶

ほうへん

116

上下して先生の心を動かさんとするをや︒君の前だが先

生はしかく安価なる先生ならず︒しかく安価なる作物を

作りつゝあらざるなりか︒

三重吉は洞穴生活のよし︒なにをしていることやら︒

ほらあな

帰ったらきっと漁師の神さんに惚れられたとか︑アマに

見染められたとかいうに違ない︒

森田ノ赤ン坊が死ニカヽル︒二三日なにもしないよし︒

野上が一両日前来た︒

エイ子さんのシツオイ

く本復す︒姉妹コトゴトくシ

ツカキ性なるには愛想がつきた︒エイ子さんがいちばん

あいそ

117

温良でユッタリしていて好い子だ︒赤ン坊は豪傑の相が

ある︒また写真をとろうと思う︒頓首

八月三日

八月五日︵月︶午後五時︱六時

本郷区駒込西片町十番

地ろノ七号より

千葉県海上郡高神村犬若犬若館鈴木三重

吉へ

日々暑いことだ︒さて旅行の儀は延引また延行今月の

118

半ごろならばと思っているが一方ではだん

く考えて

なかば

みると例の小説がどうも百回以上になりそうだ︒短かく

切り上げるのは容易だが︑自然に背くと調子がとれなく

なる︒いかに漱石が威張っても自然の法則に背くわけに

はまいらん︒したがって自然がソレ自身をコンシューム

して結末がつくまでは書かなければならない︒するとこ

とによると君と同伴行脚の栄を

うするわけにまい

かたじけの

らんかもしれぬ︒旅行も大事だが虞美人草は胃病よりも

大事だからその辺はどうか御勘弁を願いたい︒トルスト

イ︑イプセン︑ツルゲネフ︑などは怖いことさらになけ

119

れどたゞ自然の法則は怖い︒もし自然の法則に背けば虞

美人草は成立せず︒したがって誰がどういってもゾラが

自然派でフローベルがなんとか派でもその他の人がなん

とかかとかいってもどうしても自然の命令に従って虞美

人草をかいてしまわねばならぬ︒万一八月下旬に自然か

らお許が出たらさっそく端書をあげる︒それまでは吉

ゆるし

原の美人でも見てインスピレーションを起していたま

え︒もし自然の進行が長引けば此年いっぱいでも原稿紙

に向っていなければならない︒あゝ苦しいかな︒

八月五日

120

三重吉様

八月六日︵火︶午後四時︱五時

本郷区駒込西片町十番

地ろノ七号より

福岡京都郡犀川村小宮豊隆へ

豊隆先生︒僕の小説は八月末には書き上げるだろうと

思うから九月早々出て来たまえ︒旅行はたぶんやめるだ

ろう︒小説をかいてしまわないと雑誌さえ読む気になら

ん︒旅行などは来年に延ばしてしまう︒あの小説をかい

ているうちは腹のなかにカタマリがあって始終気が重

121

い︒妊娠の女はこんなだろう︒

僕が洋行して帰ったらみんなが博士になれ

くといっ

た︒新聞屋になってからそんな馬鹿をいうものがなくな

って近来晴々した︒世の中の奴は常識のない奴ばかり揃

っている︒そうして人をつらまえて奇人だの変人だの常

識がないのと申す︒御難の至である︒ちと手前どもの

いたり

ことを考えたらよかろうと思うがね︒あんなお目出度奴

でたい

は夏の螢同様尻が光ってすぐ死ぬばかりだ︒そうして分

りもしないのに虞美人草の批評なんかしやがる︒虞美人

草はそんな凡人のために書いてるんじゃない︒博士以上

122

の人物すなわちわが党の士のために書いているんだ︒な

あ君︒そうじゃないか︒

三重吉が下総の国で吉原の別嬪を見たという︒物騒千

べつぴん

万なことだ︒君のお絹さんと同じことだ︒

きぬ

森田の子供が死にかゝって森田先生毎日僕のところへ

病気の経過を報告にくる︒可愛らしい男であります︒火

事を出しかけて長屋の人が来て揉み消してくれたとい

う︒お蔭で五円進上せざるを得ざるの已を得ざるに至っ

やむ

たという︒惜いことなり︒

小説をかいてしまったら書物をよんで諸君子と遊ぼう

123

と思う︒それを楽しみに筆を執る︒君謡を稽古してい

うたい

るか︒僕は近々再興するつもりだ︒いっしょに謡おう︒

今日は坐っていても汗が出る︒なか

くあついことだ︒

僕の嫌な蟬の声がする︒花壇にはまだ花が咲いている︒

きらい

不思議なものだ︒僕も小説家としてもう少しのあいだは

大丈夫だ︒博士にならなければ飯が食えないと思うもの

に好例を示してやる︒

八月六日

124

八月八日︵木︶︵時間不明︶本郷区駒込西片町十番地ろ

ノ七号より

京橋区滝山町四番地東京朝日新聞社内渋川柳

次郎へ

拝啓

虞美人草の校正については今までいろ

く校正

者の注意により小生の間違も直していたゞいたこともあ

って大いに感謝の念に堪えんわけでありますが︑時々原

稿をわざ

くお易になったため読者から小生方へ尻が飛

かえ

かた

しり

び込むことがあります︒横川を横川と改められたのなど

よかわ

よこかわ

は一例であります︒そんなことは︑こっちの間違と差引

てこっちが得をしているくらいだからいゝですがね︒今

125

日は少々困りますからちょっと申上ます︒

︵十︶の三

﹁もう明けて四ッヽになります﹂

、、、

というところがありますが︑あれは少々困る︒三十四︑

二十四︑四十四などを略して東京では四になったとか︑四

だとかいいますが四つになったとは申しません︒四つに

なっては藤尾が赤ん坊のようになってしまいます︒私は

判然﹁四になります﹂と書いたつもりです︒しかも二か

所とも四つに改めてある︒困りましたね︒

校正にいうてください︒丁寧なる校正ではなはだ感謝

126

をするが︑時々はこんなこともある︒しかしこのくらい

な間違はどうせ免かれぬことでしょう︒だから仕方がな

い︒向後もあるでしょう︒しかしこういうのがあったと

いうだけを校正者に話してください︒

八月八日

八月十五日︵木︶午後五時︱六時

本郷区駒込西片町十

番地ろノ七号より

福岡県京都郡犀川村小宮豊隆へ

127

拝啓

トルストイの独訳を売った︒今二三頁読んだ

︵だゞしいゝ加減︶︒ところがあれをかくに際して沙翁

さおう

を繙読したのが七十五歳だと称している︒そのまえにも

はんどく

たび

く読んだとある︒トルストイのように気力がある

と僕も大作物を出す︒

トルストイは沙翁を読んで人のように面白くないと公

言している︒そこがはなはだよろしい︒好漢愛すべしで

ある︒What

isArt

でも自分の思うことをかってに述べ

ている︒あの男の頭には感服せんがあの意気には感服す

る︒ライトというD

ialecticSociety

で字引を編集した人

128

は四十になるまで英語のほかは知らなかったという︒そ

れが今ではたいへんな語学者になった︒西洋人はえらい

根気のある奴がいる︒

漱石は沙翁を繰り返す気もなし︑語学者になる気もな

いが︑この両人の根気だけはもらいたい︒小説をじ然と

ねん

発展させてゆくうちにはなか

く面倒になってくる︒こ

れで見るとディッケンズやスコットがむやみにかき散ら

した根気は敬服の至だ︒彼等の作物は文体において漱石

ほど意を用いていない︒ある点において侮るべきもので

ある︒しかしあれだけ多量かくのは容易なことではない︒

129

僕も八十くらいまで非常な根気のいゝ人と生れ変って

大作物をつゞけざまに出して死にたい︒

君の手紙をよんだ︒返事の代りにこれをかく︒

これから文壇に立派な批評家と創作家を要求してく

る︒今のうち修養して批評家になりたまえ︒

今より十年にして小説は漸移してたゞ今流行の作物は

消滅すべし︒その時専門の批評家出でて真正の作家を紹

介すべし︒

今の文壇に一人の評家なし︒批評の素養あるものは評

壇に立たず︒いたづらに二三子をして二三行の文字を得と

130

意気に臚列せしむ︒

ろれつ

英︑仏︑独︑ギリシア︑ラテンをならべて人を驚かす

時代は過ぎたり︒巽軒氏は過去の装飾物なり︒いたづら

に西洋の自然主義をかついで自家の東西を弁ぜざるもの

またまさに光陰の過ぐるに任せて葬られ去らんとす︒し

かる後批評家は時代の要求に応じて起るべし︒豊隆先生

これを勉めよ︒樗牛なにものぞ︒豎子たゞ覇気を弄して

つと

じゆし

一時の名を貪るのみ︒後世もし樗牛の名を記憶するも

むさぼ

のあらば仙台人の一部ならん︒

せんだいひと

謹んで檄す︒頓首

げき

131

八月十五日

八月十六日︵金︶午前九時︱十時

本郷区駒込西片町十

番地ろノ七号より

府下大森八景坂上杉村内中村蓊へ

昨日は暑中見舞の書状難有拝見︒杉村氏帰京にて御

ありがたく

多忙のことと推察いたし候︒

そろ

小生いまだ小説を脱稿せず︒百回でやまざるゆゑどこ

まで行くか夫子自身心元なし︒P

enelope'sweb

と申すこ

ふうし

132

とあり︒永劫に虞美人草攻となる了簡なり︒

細民はナマ芋を薄く切って︑それに敷割などを食って

しきわり

ゐるよし︒芋の薄切は猿と択ぶところなし︒残忍なる世

の中なり︒しかして彼等は朝から晩まで真面目に働いで

かせ

ゐる︒

岩崎の徒を見よ!!!

終日人の事業の妨害をして︵いな企てて︶さうして三

食に米を食ってゐる奴等もある︒漱石子の事業はこれ等

の敗徳漢を筆誅するにあり︒

ひつちゆう

天候不良なり︒脳巓異状を呈してこの激語あり︒蓊先

のうてん

133

生願はくは加餐せよ︒以上

かさん

八月十六日

夏目金之助

中村

蓊様

八月十七日

本郷区駒込西片町十番地ろノ七号より

分県大分郡松岡村吉峰竟也へ﹇はがき﹈

四海同胞の好みをもって御書遣はされ拝見いたし候︒

よし

つか

虞美人草の人物の名二葉亭氏にこれあるよし︑御注意難

有く候︒実はその面影をよまずそれがためかゝるコント

134

ラストを生じ候︒まづはお答へまで︒草々

八月十九日︵月︶︵時間不明︶本郷区駒込西片町十番地

ろノ七号より

福岡京都郡犀川村小宮豊隆へ

君が帰京前最後の手紙としてこれをかく︒三重吉とい

っしょにこしらえてくれた花壇はいまだに花が絶えぬ︒

お蔭で日々慰めになる︒虞美人草をかく時にも大いなる

注意物となった︒筆をもって漫然とあの花畠を見ている︒

暑があけて秋が来て朝夕は涼しい︒小供が虫籠を軒へか

135

けた︒虫がなく︒少し書物が読みたい︒この夏も江山の

こうざん

気を得ずに籠城してしまいそうだ︒三重吉のおとっさん

が肺病になる︒川下江村という人が卒業してすぐ死んで

しまった︒

世の中は妙な考を持っているものだ︒殿下様が漱石

かんがえ

の敵だといえば漱石はすぐ恐れ入るかと考えている︒至

極呑気にできている︒殿下様はえらいかもしれないが︑

のんき

漱石がそう安っぽくできていたひにゃ小説なんかかく必

要がなくなってしまう︒もっともはなはだしい例は漱石

の文は時候後れだといえばすぐ狼狽して文体をかえるか

ろうばい

136

と思ってる︒漱石はドイツが読めないといって冷評すれ

ば漱石は翌日から性格を一変するかと心得ている︒どう

考えても世の中は呑気だなあ︑豊隆子︒こんな人間がご

ろごろしているうちは漱石もいさゝか心丈夫だ︒

島からの端書到着︒石はなんでできていると聞いた人

はがき

は傑作家に違ない︒

ちがい

君が帰るまでは花壇に花があるだろう︒小説は今月中

には方づくだろう︒

かた

八月十九日

137

八月二十八日︵水︶午前︵以下不明︶本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

京橋区滝山町四番地東京朝日新聞社

内中村蓊へ

大水にて大騒︒ちょっと見物に行きたい様が致すが

おおさわぎ

もう三四日は虞美人草ゆえ外出を見合せる︒

時に君も朝日へ入社のよし大慶︒一人でも知った人が

はいるのは喜ばしい︒

御舎弟の御病気のことは森田氏より承わりたり︒御

うかたま

気の毒と思う︒

138

﹁うきふね﹂は二三の書店へ話だけはしておいたが︑たゞ

いま出版界不景気だからというので春陽堂などはちょっ

と逃げた︒こうでもしたらどうだろう︒君が﹁うきふね﹂

持参︑大倉へ行って原平吉に逢う︒僕がぜひ出版してく

れという添状をかく︒その後は君の談判に任せる︒

そえじよう

それからまだこんなことがある︒昨夕も森田に話した

のだが︑僕は月給の約束で明治大学で三十円ずつ取って

いた︒ところが朝日へはいるについて明治大学も辞職し

た︒その月︵すなわち三月か四月と思う︶の月給をくれ

ない︒そこで一応は内海月杖君に催促したら先生はさ

うつみげつじよう

139

っそく会計に申して取計うという返事だけよこしてま

とりはから

だ寄こさない︒君僕の代理として君の事情を打明けてこ

れを内海氏からとるか上田敏君から受取ってもらうかす

る勇気があればその三十円を君に上げる︒

それで帰国の旅費が足りなければ十月十日になると僕

は二三百円金がはいる︒そのうち二十円くらいなら君に

やってもいゝ︒昨夜は森田君に弐拾円かし︒その他へも

チョイ

く貸シタリヤッタリスルノガ重ナルトナンダカ

心細イ︒シカシ十月マデ待テバソノクライナ勇気は回復

スル︒

140

右一応御返事まで︒

とにかく九月初旬にちょっと来たまえ︒ゆっくり相談

をする︒八

月二十八日

夏目金之助

中村蓊様

九月二日︵月︶午後十一時︱十二時

本郷区駒込西片町

十番地ろノ七号より

千葉県一の宮一の宮館畔柳都太郎へ

端書拝見︒肺せんかたるの疑ありとのこと︑大したこ

141

ともこれあるまじけれどずいぶん勉強して遊んだらよか

ろうと思う︒僕も小説が脱稿に及んだから出掛て二三日

馬鹿話でもしたいがどうも一の宮とあってはちょっと行

く気にならん︒実はこのあいだ大塚に誘われて別荘地見

分のため参ったのでね︒一の宮より稲毛の方がよくはな

いなげ

いか︒

家賃を三十五円にするというからたゞいま逃亡の仕度

したく

最中だ︒君いゝうちを知らないか︒○○はむやみに借り

ろ借りろという︒あんなのはなんだか気味がわるい︒実

際僕の崇拝者でもないものが家を貸すために崇拝者にな

142

るなんて怪しからんわけだ︒

僕例の立派な湯屋へ行って体量をはかるに十二貫半で

ある︒今日かゝったら十二貫半の半である︒家賃と体量

は反比例するものかと思う︒今に家賃が百円くらいにな

れば体量○すなわち大往生の域に達することだろう︒胃

が悪クテイケナイ︒これを称してイッツェンカタールト

名ケル︒一の宮くらいじゃなか

く癒らない︒火葬場の

ナヅス

トーブで煖めないととうてい全治しないそうだ︒

あたゝ

まずは御返事まで︒匆々頓首

九月二日

143

九月八日︵日︶本郷区駒込西片町十番地ろノ七号より

小石川区原町十番地寺田寅彦へ

﹁やもり﹂まあ負けて面白いとする︒欠点は初めはお

房さんが山になるようだ︒ところが荒物屋が主になっ

てしまった︒そこでツギハギ細工のような心持がする︒

はじめからやもりに関する記憶をツナゲル体で読者に

てい

これが中心点だと思わせないように両者を並列する心得

144

があればこの矛盾は防げたろうに︒そういう態度で並

べた話ならもっと渾然としてくる︒いかんとなればいく

つ並べてもやもりで貫いているから︒

︱また文章の感

じが一貫しているから

である︒

文章の感じは君の特長を発揮している︒やはりドング

リ感︑竜舌蘭感である︒この種の大人しくて憐で︑し

りゆうぜつらんかん

おとな

あわれ

かも気取っていなくって︑そうしてなんとなくつやっぽ

くって︑底にハイカラを含んでいる感じはほかの人に出

しにくい︒君にはこれより以外に出せないかもしれない︒

まずは一口評まで︒さっそく虚子に送る︒

145

九月八日

九月二十八日︵土︶午前十一時︱十二時

本郷区駒込西

片町十番地ろノ七号より

麹町区富士見町四丁目八番地高

浜清へ︹はがき︺

私の新宅は

牛込早稲田南町七番地

デアリマス︒アシタ越シマス︒

146

十月九日︵水︶午前九時︱十時

牛込区早稲田南町七番

地より

日本橋区本町三丁目博文館内巌谷季雄︑田山録弥

へ︹はがき︺

謹啓

西園寺侯爵招待の日どり御変更につき︑またま

た御通知を煩はし御手数恐縮の至に候︒当日はあいにく

差支えにて出席

かね候あひだ︑さやうご承知く

つかまつり

さふらふ

だされたく右折返し御返事まで︒匆々

147

十一月二日︵土︶午後零時︱一時牛込区早稲田南町七番

地より

京都市外下加茂村葵橋東詰北入厨川辰夫へ﹇はが

き﹈

御紙面拝見︒京都へ御転任のことはかねて聞き及び候︒

御地は熊本より万事好都合のことと存じ候︒まづ

く結

構に候︒小野さんのモデル事件は小生も新聞にて読み候︒

かってなことを申すやからに候︒さだめし御迷惑のこと

と存じ候︒かってなことをかってな連中が申すことゆゑ

小生も手のつけようなく候︒

148

十一月十一日︵月︶午後五時︱六時

牛込区早稲田南町

七番地より

麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ

先日は失礼︒御依頼の序文をかきました︒お気に入る

かどうだか分りませんがまあ御覧に入れます︒

ゆうべだいたいの見当をつけて今朝十時ごろから正四

時までかゝりました︒しかし読み直してみると詰らない︒

しかしだいぶ奮発して書いたのは事実であります︒そこ

をお買いください︒頓首

十一月十日

149

当分序文ハカカナイコトニシマス︒ドウモナニヲカイ

テ好イカ分ラナイ︒

イシカシアナタノ作ヲ読ムノハヒマガ入ラナカッタ︒ア

レデハ頁が多クナリマセンネ︒

十一月十五日︵金︶午前十時︱十一時

牛込区早稲田南

町七番地より

本郷区丸山福山町四番地伊藤はる方森田米

松へ

拝啓

久しく拝顔を得なかったところお手紙で虞美人

150

草の批評をかいてをられるよし承知︑右皆々へ披露いた

し候︒かやうに御丹精研究のうへ御批評あらんとは思ひ

も寄らぬところ︒たとひ虞美人草がそれほどの価値なき

にせよ︑またその批評が褒貶いづれに向ふにせよ小生は

ほうへん

心中より深く君の好意を感謝いたし侯︒大喜雀躍が単

じやくやく

に自分のためのみならず︒近来の批評は寄席へ行って女

義太夫を評する格にて文壇のためすこぶる物足らぬ節こ

れあるところへ君が出て一批評をかくためにロシア派を

研究ドイツの哲学を研究︑最後にシラーの伝までしらべ

るにいたってはその厳正の態度堂々の献立敬服のほかな

151

く︑しかもそれほど骨を折ってもらふ作物はといふと僕

のかいたものに候ゆゑいっそう嬉しく思はれ候︒君の批

評を先鋒として日本の批評が従来の態度を一新するやう

になったらさぞよろしからうと存じ候︒深田康算がドイ

ツから手紙にて僕の作物を評したい︑ことに文学論とそ

のほかの議論文の学界にいまだかつてあらざりしゆゑん

を述べて精細たる批評を試みたいと申しきたり侯︒かゝ

る人がかゝる態度にて拙著を取扱ってくれるのはまこと

に心嬉しきものに候︒もしそれ大町桂月君の夏目漱石論

にいたってはいくらほめられても小生のためにも批評界

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のためにもならぬことと存じ候︒委細は拝眉を期し候︒

はいび

うれしきゆゑ一筆お礼を申し上げおきたしと存じこのふ

み御覧に入れ候︒一日も早く批評拝見いたしたしと存じ

候︒なかにはずゐぶん手痛きところもこれあるべくそれ

は承知ゆゑなるべく堂々と︑あゝやったりやったりとい

ふふうに立派に真の批評らしくおやりくだされたく候︒

以上

十一月十五日

之助

草平先生

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十一月十八日︵月︶午前十一時︱十二時牛込区早稲田南

町七番地より

本郷区森川町一番地小吉館小宮豊隆へ

拝啓

読売の白雲子のことなどでわざ

く端書を寄こ

す必要があるものか︒寄こすならお笑ひ草として寄こす

べし︒あれで胸糞がわるくなると申すは読売新聞自身に

いふべきことなり︒読者は面白がってしかるべき論文な

り︒あ

の白雲子なる人はかつて僕のところへ話をぎきに来

て僕が玄関先で帰した趣味の男のよし︒いたって大人し

い口もろくにきけさうもなき神経質の男なり︒それだか

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らあゝいふことをかく︒あゝいふ男が相応の学問をしな

いであゝいふことをかく時は少し気が変になってゐる時

分である︒恐るべきことだ︒あの人は生涯あれで蒼い顔

で苦しんでさうして人から馬鹿にされて死んでしまふ︒

穴賢

あなかしこ

十一月十八日

十二月十日︵火︶午後十一時︱十二時

牛込区早稲田南

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町七番地より

本郷区森川町一番地小吉館鈴木三重吉へ

︹はがき︺

小説を御脱稿のよし大慶これにすぎず候︒樗陰は有卦

抑に入り申すべく候︒小生も三十日つゞきのものをたゞ

いまたのまれたばかりに候︒小説とゆかなくても三十日

はつゞける義務ができ候︒相なるべくは二十九日くらゐ

で御勘弁を願はんかと存じ候︒お風邪の趣せっかく御養

生専一に候︒小子奥方も風邪にて伏せりをり候︒したが

ってお見舞にもあがりかね候︒羊羹はもちろんのことお

あきらめしかるべく候︒八重子さんは小説を二つかき候︒

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新小説とホトトギスへ出すよしに候︒風呂が洩りて湯が

たたぬよし︒なんだか湯にはひりたく候︒風が吹き候︒

存外あたゝかに候︒地震もこれあり候︒

十二月十日

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