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Renaissance du Japon après la catastrophe du 11 Mars 2011 Vision de la revitalisation du l’est du Japon パパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパ 2012.6.8.

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   Renaissance du Japon  après la catastrophe du 11 Mars 2011

         Vision de la revitalisation du l’est du Japon

    パリ市庁舎における東日本大震災後の日本再生展

2012.6.8. 版

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    主題 

東日本大震災から復興を進める自治体の姿とその課題Japon, mon amour - vers l'avenir

    目的 

1,000 年に一度といわれる大地震・大津波という自然災害、さらにそれにより引き起こされた深刻な原発事故という三重の苦を背負った日本、あの日以来、各自治体が、その大変厳しい現実に立ち向かい、美しい故郷の復興のために努力している姿、その方向性と問題点を世界に向けて発信し、その状況に対しての理解と、被災と復興経験の共有を提案する。

   

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イベント主催   パリ市庁舎 東日本再生ヴィジョン展 実行委員会 運営 paris-mix

共同開催  パリ市

後援  在仏日本国大使館         在仏日本商工会議所         日本政府観光局パリ事務所         パリ日本文化会館          在仏日本人会 JETRO

協賛       東レ株式会社           安心堂               日立                ソニー欧州 フランス支社 ニチレイ

協力       自治体国際化協会パリ事務所         青森県・岩手県・宮城県・茨城県・福島県・千葉県          NHK 日本放送協会 / NHK エンタープライズ          IGES-JISE 国際生態学センター          OECD 東北スクール          JST 科学技術振興機構 NEDO 新エネルギー・産業技術総合開発機構              パナソニック              キャノン              リコー     フランス日本通運株式会社              Yamaha artist services           三陸鉄道株式会社   新潮社    ヴァイオリンプロジェクト「千の音色でつなぐ絆」              France Okaeshi 順不同           

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開催期間      6 月 20 日から 7 月 7 日まで

    6 月20日プレス・招待のみ    一般公開6月21日から     * 開会パーティー6月21日     * 閉会セレモニー7月7日

開催場所 パリ市庁舎一階展示室二部屋

     salle des Tapisseries 22m x 15m 360m2

   salle des Prévôts 30m x 13m 440m2

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イベント•  オープニング・レセプション 6月21日  18:30-21:00

•  福島県による、福島再生計画などの状況説明と質疑応答 22.23 日•  陸前高田のヴァイオリン演奏会  ( ギトリス氏他 )  数回予定•  震災復興関連などのドキュメンタリーの定期上映  (NHK)

•  原発労働者を撮り続けている写真家小原一真さんの講演 6月30日予定

 •  閉会セレモニー 七夕テーマ 青葉城恋唄 7月7日

展示内容 •  東日本各県毎の被災からの復興状況 パネル展示 復興計画

•  ふくしま宣言

•  福島原発で働く男たちの写真展

•  三陸鉄道の復興とマンガ「さんてつ」

•  陸前高田の瓦礫から作られたヴァイオリンの実物展示と演奏

•  津波・洪水対策と自然の森再生計画について

•   OECD 東北スクール紹介

•  被災地の建築物 仮設住宅のサンプル等の展示

•  宮沢賢治 雨ニモマケズ

•  日本とフランスの牡蠣業界の助け合い交流  France Okaeshi

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東日本各県毎の復興状況

被災6県の各県庁の復興担当部署から、復興の様子 (比較写真など )とその方針についての資料を頂き、それを展示

青森県

岩手県 :

宮城県 :

茨城県 :

福島県 :

千葉県 :

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ふくしま宣言

 

2011年3月11日午後2時46分。 あの日、あの時を迎えるまで、このふくしまの姿を誰が想像できたでしょうか。大地震、大津波は、多くの尊い命と穏やかだった私たちの暮らしを、非情にも奪い去りました。 原子力災害は、美しいふくしまを一変させました。 さらに、風評被害は、地域の活力を奪い、私たちの心までも深く傷つけました。 

この1年、福島県民は、深い悲しみや悔しさを抱えながら、ある人は、住み慣れた土地を追われ、ある人は、少しでも元の暮らしを取り戻そうと汗を流し、またある人は、家族離ればなれの生活を選びました。そして、見えない放射線への不安とも闘いながら、それぞれが必死に毎日を生き抜いてきました。これほど厳しい状況にあっても、取り乱すことなく、地域のきずなを大事にしながら、一生懸命頑張っている県民の皆さんを、私は誇りに思っております。 200万県民一人一人の努力と温かい心に、深く敬意を表します。 

全国、そして世界の皆さん、これまでの、心のこもった数え切れない御支援に、福島県民は大いに助けられ、励まされ、勇気をいただきました。改めて、心より感謝を申し上げます。皆さんの支えと県民の努力があって、このふくしまにも、今ようやく復興の芽が出始めました。この小さな芽を、私たちみんなの手で、しっかりと大きく育てたい。そして、やがて大きくなったその木の下に、笑顔あふれる子どもたちが集まる、そうしたふくしまを、私は創っていきたいと考えています。 

地震・津波という自然災害に始まり、原子力災害さらには風評被害、人類がこれまで経験したことのない、このような多重の災害が、なぜ起きてしまったのか、私たちはしっかりと考えなければなりません。「自然の脅威に対する十分な備えができていたか。」「科学技術の力を過大に評価していなかったか。」「原子力を扱うことの難しさと正面から向き合ってきただろうか…。」これらの問いの中に、未来への大切な教訓があるはずです。 

私たちは、科学技術の力を過信することなく、自然の持つ力の大きさをもう一度しっかりと心に刻み、全ての人が安心して暮らせる社会づくりを進めていきます。そして、二度とこのようなことが起きないよう、県内の原子力発電所を全て廃炉とすることを求めながら、再生可能エネルギーを推進し、原子力に頼らずに、発展し続けていくことができる社会を目指します。今、全世界の人が FUKUSHIMA を見つめています。私たちは、地域の発展と地球環境の保持が両立できる新しい社会の在り方を、さらに、そこに暮らす人々が共に支え合い、地域の文化や誇りをつないでいくことの大切さを、復興していく自らの姿をもって、世界に示してまいります。ふくしまが選んだ道は、決して平坦な道ではありませんが、県民は、すでに前を向いて立ち上がり、歩き始めています。県民が心を一つにして、この困難に立ち向かってまいります。 

「私たちは必ず、美しいふるさとふくしまを取り戻します。私たちは必ず、活力と笑顔あふれるふくしまを築いていきます。そして私たちは、このふくしま復興の姿を世界へ、未来へと伝えます。」 

災害発生から1年を迎えた本日、これを「ふくしま宣言」として、全世界の皆さんにお誓いいたします。

          2012年3月11日 福島県知事 佐藤雄平

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福島県復興計画の発表と質疑応答 ( 二回 )

日時 :  6月22日 15時から    6月23日 11時から

会場 :  市庁舎一階 Salon des Tapisseries

発表者 : 福島県企画調整部企画調整課主幹     林 千鶴雄 さん

添付参考資料 福島県復興ビジョンの概要

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福島原発で働く男たちの写真展

    原発で働く人々の姿を捉え続ける写真家、小原一真(おばらかずま)氏

  1985 年、岩手県生まれ。 フォトジャーナリスト。 宇都宮大学で社会学を専攻。 金融機関で働くかたわら、 「 Days Japan フォトジャーナリスト学校」で学ぶ。

  昨年3・11の3日後、故郷から届く被災地の声に引き寄せられ、会社を退職。取材を開始する。  福島第一原発での取材はヨーロッパ各国で報道される。  今回は彼の中心的作品である、原発で働く男たちのポートレートを中心の写真展と最新の写真は  テレビ画面でのスライドショーで見せるという試みとなります。  

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リシャール・コラス氏講演会  7月3日15時から予定

リシャール・コラス氏シャネル株式会社日本法人代表取締役社長

1953 年、フランス生まれ。パリ大学東洋語学部卒業後、在日フランス大使館儀典課に勤務。 79 年にジバンシィに入社、 81 年に代表取締役として同社日本法人を設立。 85 年、シャネルに香水・化粧品本部長として入社後、人事総務本部長などを経て、 95 年に現職を務める傍ら、小説家として高い評価を得ている。2008 年 11 月に旭日重光章を、 2006 年 5 月にレジオン・ドヌール勲章を受章。 2006 年 11 月には処女小説『遥かなる航跡』を上梓した。2012年3月には東日本大震災を題材にした小説「田んぼの中の海」をフランスで出版。 欧州の人々に津波被害の実態を伝えるとともに、日本社会が抱える問題を描きたいと筆を執った。 コラス氏は震災後、避難所や仮設住宅にメークアップアーティストを派遣して被災者にメークをするなどのボランティア活動に取り組んできた。その中で、震災を忘れたかのような東京の「日常」と、困難な生活を強いられている被災地との差に「日本が2つの世界に分かれてしまった」と感じた。欧米で東京電力福島第1原発事故ばかりが注目されることも執筆の動機になった。震災直後の日本社会の連帯を評価する一方、がれきの受け入れ拒否や福島県から避難した児童へのいじめには憤りを隠さない。「日本人に助け合いの気持ちがなくなっている。それを外国人(の自分)から指摘されるのは、さみしいことです」

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三陸鉄道株式会社(さんりくてつどう)は、岩手県の三陸海岸を縦貫する路線を持つ、第三セクター方式の鉄道会社。岩手県沿岸部を走り、津波で大きく被災した三陸鉄道北リアス線の陸中野田―田野畑間(24.3キロ)が復旧し運行が始っています。一部区間は被災6日後に運転再開をしましたが、線路が流失した区間の復旧は初めて。現在、南リアス線も合わせた全線の6割に当たる60.5キロでの運行が再開しています。震災で大きな痛手を被った三陸鉄道は、全国のローカル線の持つ問題を抱えながらも、住民の強い支持の元、被災地復興のシンボルとして全国から注目されています。

三陸鉄道 漫画『さんてつ』

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ヴァイオリンプロジェクト「千の音色でつなぐ絆」

東日本大震災の津波被害が最大級だった陸前高田の悲しみの瓦礫の山の中から、ヴァイオリンドクター 中澤宗幸氏が地元の製材業者と協力して探し削りだした木材から、津波に耐えて唯一生き残った松の生命力への想いを込めてヴァイオリンを作り上げました。震災から1年の11日、材料の松を見つけた岩手県陸前高田市である追悼式で、世界的に著名なパリ在住のイスラエル人奏者 Ivry GITLIS氏が被災者に寄り添いながら弾いて初披露されました。このヴァイオリンをこの展示会期間中パリに貸し出すことにしましたので、在仏日本人音楽家ばかりでなく、この災害に心を痛める一人でも多くのパリのヴァイオリニスト達、練習中の学生の方達などに触れていただくことで、音楽を通じた復興のための絆を結んでいただきたいと思います。 ヴァイオリンプロジェクト 「千の音色でつなぐ絆」 命をつなぐ木魂 ( こだま ) の会 大庭 泰三

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東日本大震災から1年の今年3月11日に撮影された写真・動画のコンクール(日本財団主催)の表彰式が5月17日、東京都内で行われ、写真部門で盛岡市みたけ4丁目在住の太田信子さん(68)の作品「レクイエム」がグランプリに選ばれた。 この作品は陸前高田市の高田松原に1本だけ残った「希望の松」の横に立 ち、被災松材で作られたバイオリンで津波犠牲者の鎮魂曲を演奏するイスラエル人マエストロ、イヴリー・ギトリスさんの姿を捉えたもの。 太田さんは「ギトリスさん (イスラエルの著名なバイオリニスト)はほんの数分演奏した後、風のごとく去っていった。出会えたのはまさに千載一遇のチャンスだった」と撮影時を振り返 る。

ivry Gitlis ギトリスは親日家としても知られるが、 2011 年 3 月 11 日の東日本大震災にはたいへん心を痛めていた彼は日本人に向けて こうメッセージを届けた。「愛し、敬う誰かが悲劇に遭遇している時、何を語ればよいのだろう? 愛していると伝える? その通り・・。それこ そ、私が第 2 の故郷と考える日本と、日本の皆さんに伝えたいことです。皆さんのことをいつも想っています。私に何かできることが あるなら教え てください。私は最善を尽くしたいと思います。今私に出来ること、それは皆さんにこう伝えること━━『私の心、そしてヴァイオリンはあなたの そばにいます』。もしもそれが皆さんの助けになるのなら、私はすぐにでも日本を訪れるでしょう! 今日本で起こっていることは世界全体への警 告であり、私は世界がここから何かを学ぶことを望んでいます。しかし今は何よりも、被災者の人々を愛し、その勇気を称賛しながら、より良い日 が来るようにと希望を抱き、祈るだけです。」 多くの演奏家が次々に来日公演を中止していることにも心を痛めたギトリスは、自身が来日し演奏することで日本でコンサートを行っても支障がないことを訴えようと考え、急遽6月のチャリティ・コンサートを決め、東京と名古屋で開催した。コンサートの合間には宮城県石巻市の避難所、石巻市立女子高校を慰問し、体育館で約 200 人の被災者や生徒を前に、エルガー作曲の「愛の挨拶」や日本の唱歌「浜辺の歌」を演奏。その後、門脇中学校の音楽室を訪れ、吹奏楽部の生徒たちと交流、バッハの「無伴奏パルティータ」を演 奏すると、返礼として生徒たちは「ふるさと」を演奏した。ギトリスはその演奏に落涙し、「君たちとは音楽でつながっている。音楽をずっと続けてほしい」と メッセージを送った。その後12月にも仙台と石巻を再訪、更に今年3月11日に陸前高田の追悼式で、被災者の鎮魂のために作られたこのヴァイオリンを被災者に寄り添いながら演奏した姿は、多くの人々に感動を与えた。

© Bernard MORALES for 3 photos震災一周年記念写真コンテストグランプリ作品「レクイエム」

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NHKドキュメンタリーなど 103インチの大型スクリーンにて連日上映

上映ドキュメンタリー番組一例  ( 提供 : NHK 日本放送協会 / NHK エンタープライズ )

La vie à l'arrière de la zone irradiée Reconstruire Pouvez-vous voir nos lumières ? Jazz for Japan – Bob James visiting Iwate Journey to the disaster Zone – David Suzuki visiting Tohoku City Takata – An Iwate Chronicle We’re still here – A Tohoku Chronicle Behind the Radiation Line Journey to the disaster Zone The Tsunami Aftermath Seasoning the seasons – Kakunodate, Tono, Matsushima

A remenbrance of Tohoku Earthquake ( 共催 : 日本文化会館 ) Light Up Nippon ( 共催 : 日本文化会館 )

OECD 東北スクール ( 提供 : OECD) Tohoku – Michinoku Photo Caravan

他多数、毎日日替わり上映

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OECD 東北スクール

OECD東北スクールは、若者たちのアイディアで東北の復興を考え、若者たちの力で東北の未来を創りあげる大きなプロジェクトである。これから 2 年半にかけて、「 2014 年9月にパリで東北を世界に向けてアピールする」ための冒険が始まる。レールも筋書きもない。アートやマーケッティング、教育などの専門家のアドバイスを受け、東北3県の仲間と力を合わせ、国内外の応援団にも力を借りながら、「東北の未来づくり」のドラマをつくっていく!  2011 年3月 11 日の東日本大震災で、東北は大きく傷ついた。多くの大人たちは悲しみに打ちひしがれ、絶望し、未来を見失った。そうした中、様々な外からの支援以上に大人たちを励ましたのは、東北の子ども・若者たちの笑顔と真剣に考え、けなげに、ひたむきに、がんばる姿だった。「子どもたちががんばっているのなら」と、あきらめかけていた大人たちも復興に向けて動き出した。若者や子どもたちの存在そのものが、大人を動かす魔法の力、希望を宿す力だ。 しかし、この 1000 年に1度とも言われる困難を乗り越えてきた東北の若者たちならできるはず、いや、彼らにしかできないことかもしれない。       応援します !   東北の子供たち、これからの新しい日本を創って行ってください。

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VILLE ET ARCHITECTURE APRES LE 11 MARSComment les architectes régénèrent-ils le local ?

QS72 / 緊急災害用快適仮設空間

建築家による計画 / 避難所、仮設建築物、復興計画

3.11 後の建築・都市建築家たちは地域をどう再生しようとしているのか ?

Projets conçus par les architectes / Refuge, Construction provisoire, Reconstruction durable

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日本とフランスの牡蠣業界の災害援助の相互交流    France Okaeshi

1970 年代に日本のマガキ種によって絶滅の危機を脱したフランスのカキ養殖。その DNA の源泉となる三陸が 311 の津波で大きな被害を受けました。「今度はフランスが日本を助ける番だ!」とジャック・アタリ氏が発起人となり「フランスお返しプロジェクトが発足されました。日仏の長い歴史のカキを通じた被災支援の歴史の紹介をします。三陸海岸の牡蠣を救おう !!

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再生可能エネルギーの紹介 by NEDO

再生可能エネルギーとは常に一定量地球に降り注ぐ太陽のエネルギーが該当します。

一定期間に供給されるエネルギーは限定されますが、半永久的に利用できるのが特徴です。具体的には、風力、太陽光、水力、バイオマス、波力等が該当します。(バイオマスは一時的に太陽エネルギーを貯めたものとして考えられ、再生エネルギーとして考えられます)一方、化石燃料(石油、天然ガス、石炭)ウランは資源量が一定であり、再生できない(仮にできても数億年というような期間が必要)エネルギーです。

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混植・密植型植樹 鎮守の森構想地球環境戦略研究機関 国際生態学センター 宮脇昭先生の理論

これまでの防災林では今回のような大津波には全く無力だったことが証明されてしまいました。しかし自然本来の植樹を進めることで強固な防災の森に変えていくことができます。大きな津波被害があった岩手県大槌町の河川敷で、震災で発生したがれきで山を築き植林して防災林を作る初の試みが4月に行われました。幅15メートル、長さ50メートル、高さ4メートルに盛った流木やコンクリート廃材など3千トンの山に、町民ら450人がタブノキやシラカシなど、大槌の風土に合った16種類の広葉樹の苗3千本を植えました。また6月2日には東海地震及び東南海地震に備え推進する「希望の森づくりプロジェクト」の第一弾の植樹が掛川市大浜地区にて地域住民約 1,000 人が参加して、約 5,000平方メートルにシラカシやヤマザクラなど約 15,000 本を植樹しました。この動きは全国に広がりを見せていますが、さらに世界中の津波の被害が予想される海岸線にこの緑の防潮堤を広げていければ素晴らしいことです。

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宮沢賢治 雨ニモマケズ今回の被災後、海外のメディアは、被災した日本人が、この大災害の被害の中にあっても、取り乱したり混乱に陥ったりすることなく、落ち着いて、整然と行動し、忍耐強く辛抱している様子を、大きな驚きを持って報道しました。我々海外に住む日本人としても、肉体的にも精神的にも極限状態に近い中で、吹きさらしに近い避難所で、寒さと食糧不足、さらに衛生状態の悪化の中でも、尊厳を保ち、助け合いながら忍耐を重ねていた被災地の方々の姿には本当に感動しました。そして、日本人が、こういう面で世界から尊敬のまなざしを受けたことを大変誇りに思います。どうして日本人はこんな風に振る舞えるのだ ? との問いかけの一つの答えが、花巻出身の農民詩人で童話作家の宮沢賢治の 有名な「雨ニモマケズ」の詩にあると感じている人が多いようです。「雨ニモマケズ」は、死の床にある賢治からの弱者に対するメッセージであり、今回の災害に遭遇した被災者を思いやる言葉と置き換えることができます。宮沢賢治は 1896 年(明治 29)生まれ、 1933 年(昭和 8)に 37歳の若さで亡くなった。彼の生まれる 2カ月前の 6 月 15 日には明治三陸沖地震(M 8.2~ 8.5)があり、地震後、波高が最大で 38.2メートル( V字型の湾奥の海抜 38.2メートルの峠を津波が乗り越えたもので、海岸の津波高ではない)という大津波が発生、 2万人以上が亡くなった。賢治の誕生から 5 日目には秋田と岩手の県境を震源地とする直下型の陸羽地震が起きている。さらに賢治が亡くなる直前の 1933 年の 3 月 3 日には、昭和三陸沖地震(M 8.1)が発生、死者・行方不明 3000 人以上という犠牲者が出ている。

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パリ市庁舎七夕コンサート 東北七夕まつりとのコラボレーション

七夕祭りについての説明パネルの前で、来場者に、仙台からの短冊に、復興に向かう被災地の方々に対しての応援のメッセージを書いていただく。最終日7月7日には閉会儀式として、陸前高田のヴァイオリンと、被災地出身の音楽家を中心に青葉城恋唄などを演奏、参加者の合唱をバックに仙台七夕へのメッセージ短冊の贈呈式を行う。8月の仙台での七夕では、そのパリからのメッセージを飾っていただく。